ナナリーがエリン先生と別れの挨拶を交わした後、ロックマンは先生を見送ってそのまま騎士団に行ってしまった。
急に一人になったナナリーは、昼食を食べると眠くなり、おとなしく休むことにした。
午後いっぱい寝て、起きたら軽く体操をして関節を動かした。疲れない程度に部屋の中や廊下を歩き、そしてまたご飯を食べて湯浴みをして眠った。
そんな風に魔力の回復を最優先にして過ごし始めて三日目の夜。
布団に入ったナナリーはなかなか寝付くことができなかった。召使いが今夜も温石を用意してくれて、布団の中はとても温かい。温かいを通り越して熱いくらいだ。
「……熱い!」
眠れないし、熱い。汗もかいてる。
ガバッと起き上がり、魔法で天蓋を上げて寝台を降りた。毛足の長い手拭いで額の汗を拭き、体を綺麗にする魔法をかける。
室内もとても暖かい。昨日までは何とも思わなかったが、こんなに暖かい部屋で寝ていたのか。
暖房は始めて見る型で、ナナリーは扱ったことがなかった。下手に触って壊してしまっては大変なので、消さないことにする。寝室にある扉をすべて開けて寝ればそこまで熱が籠ることはないだろう。
夜に起きているのは久しぶりだ。曇った窓硝子を手で拭いて外を見てみる。幸い、雪は降っていない。この部屋には素敵な露台が付いていて、今日の午前中はそこで過ごした。
キィ……と音を立てて大きな窓を開ける。
「さむっ……!」
想像以上に外は寒かった。白い吐息が顔の周りを漂う。久しぶりの夜風は頬を刺すようで、ぶるるっと体が震える。まずい、今度は風邪をひくかも。
「ヘル?」
「ロックマン?」
少し離れた露台にロックマンがいた。間に一つ露台があるから、ロックマンの部屋はナナリーの部屋の隣の隣なんだろうか。ロックマンの部屋がどこなのか考えたことがなかった。
ロックマンがふわっと浮き上がって、浮遊してやってくる。蜂蜜色の金髪が短くなっている。肩よりも短くて、長めの短髪という感じだ。ロックマンは家に帰ってくると髪を解く習慣があるようで、長い髪を下ろしている姿に見慣れてしまい、短いのは変な感じがする。
今朝会ったときは長かった。あんなに綺麗な髪を切るのは惜しくないのだろうか。切った髪を売ったら高い値で女性たちに売れそうだ。
ナナリーがいる露台に降り立つと、ロックマンは羽織っていた毛織の上着をナナリーの肩に掛けた。上着から葉巻の匂いがした。露台で葉巻を吸っていたのかもしれない。葉巻なんてお父さん世代の人が吸うものだと思ってたが、ナナリーだって成人だ。吸っても問題ない歳である。
「髪、切ったの?」
「うん。検証したいことがあってね」
髪を切ったくらいで何が検証できるんだろう?
ロックマンは短い髪を耳にかけ、
中性的と言っても女っぽいわけではない。着痩せするのか実はがっしりしているし、男性の中でも背が高い。端整な顔立ちには女性的な美しさがあるが、切れ長の涼しげな目元や男性としての骨格と調和している。ついでにロックマンの周りだけ光の粒子や花が舞ってるように見えるとか……ナナリーも随分マリスに毒されてしまったようだ。
「髪が伸びる早さとか調べるの?」
「まぁ、そんな感じ。……そんなことより、君は早く部屋に入って。風邪を引くよ」
ロックマンに背中を押されて、寝室に戻る。寒い外から中に入るとさっきよりも熱く感じられるが、ホッとする暖かさだった。
ロックマンが窓の鍵を締めて、何やら魔法を掛けている。施錠の魔法だろうか。
「もう外に出たりしないわよ」
ロックマンが指を振り、ナナリーはふんわりとした暖かくて柔らかい風に包まれた。体を取り巻いていた冷気が消えて、冷えた髪も暖かくなる。このふんわか乾燥機能を魔具にして売ってくれないだろうか。
「寝ないと魔力が回復しないよ」
「わかってるわよ。ちょっと熱くて」
「熱い?」
「布団の中が熱かったから、少し夜風にあたろうと思ったの。……寒すぎたけど」
「布団がそんなに熱いかな?」
「温石を入れてあるのよ」
天蓋を上げたままの寝台に乗り、ナナリーは布団の中からごそごそと温石を取り出した。
「止め方知ってる? 高いものかもしれないから下手に手を出せなくて」
「貸して」
「あと暖房の消し方も教えて欲しい」
「はいはい」
魔法で起動する温石と暖房を消した。ロックマンが使い方を知っているのは意外だった。身の回りのことは全部使用人がやっていると思っていたから。それを伝えると、ロックマンが改良したものを公爵家では使っているから、お坊っちゃまのロックマンも扱いに慣れてるそうだ。
「まだ熱いなら、寝間着を薄いものに変えれば?」
「へ?」
チラッとナナリーの全身を見下ろして、ロックマンが指を振ると、ナナリーの寝間着が薄手の軽いものに変わった。急に首回りが寒くなる。ずっと首が詰まった服を着ていたから、大きく開いた胸元が心許ない。
「勝手に寝間着を替えないでよ」
寝間着が変わった拍子に肩に掛かっていた上着がはらりと落ちた。屈み込んで足元に落ちた上着を拾い、簡単にたたんでロックマンに差し出す。
「ロックマン、これ──」
「君は──」
ナナリーとロックマンの声が重なった。ロックマンは腕を組むみたいに肘を手で握りしめている。何かに堪えるみたいに、ぎゅっと音が聞こえそうなほど強く。
「君は無防備だ」
「は?」
「君は自分がどれだけ危険な目に遭ってたかわかってない」
「何?」
「わからないの? 男に毒みたいな薬を飲まされて、君はその男と一緒にいたときの記憶を失っている。それがどういうことか」
「え?」
とん、と肩を押されて、ナナリーは背中から寝台に倒れた。柔らかな布団にナナリーの体が軽く沈んで跳ねる。
「君は非力だ」
片膝を寝台に乗り上げたロックマンが、ナナリーの肩の横に手をつき、四つん這いになって上から覆いかぶさってくる。ロックマンは手足が長いから隙間から抜け出すことは可能だと咄嗟にナナリーは算段をつけた。
「こんなに簡単に男が寝室に入るのを許して」
「な、何よ?」
ロックマンの口元が歪んだ。眉間に皺を寄せて鬱陶しそうな顔で、細められた目は攻撃的な炎の色をしている。
「──もう乙女じゃなくなった?」
「はぁっ?」
「あの男だよ。あんな薬まで使って君を手に入れたんだ。とっくに君に手を出してるだろう?」
「何を言ってるの?」
「あいつはどんな風に君に触れたの?」
しなやかで長い指がナナリーの頬に触れて、指の背がするりと頬を撫でる。何度か頬を撫でた後、親指が下唇の膨らんだところを軽く押した。
「……あいつとの口付けはどうだった?」
唇を押していた指が唇の形をなぞる。上唇の端から端へ、ゆっくりと形を確認するように。
冷ややかな目つきをしているのに、長い睫毛に縁取られた赤い瞳は激しく燃えている。苦笑いにも見える、酷薄そうに歪んだ頬と口元が
「君の白い……柔らかな肌にどう触れた?」
長い人差し指が顎を伝い、ゆっくりと喉元を通って鎖骨に向かう。滑るように肌の表面を伝う指の感触がナナリーを妙な気持ちにさせる。
「…………あ……」
ナナリーの口から小さな吐息がこぼれた。肌がぞわぞわとして、でも気持ち悪くはなくて。体が内側から熱くなってくる。
ロックマン──そう呼ぼうとして、口から出てきたのは熱い吐息だけだった。何かがおかしい。ロックマンも、こんな自分も。
ロックマンに「もう乙女じゃなくなった?」と言わせたかったんです……。