君の瞳に映るのは   作:露草ツグミ

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第29話 追憶の魔法3

 大広間の中央に立ち、右手に握った女神の棍棒(デア・ラブドス)を床に突き立ててナナリーは天井を見上げる。目を閉じて、追憶の魔法の呪文を頭の中で確認し、精神を集中させる。

 

 なんとしてもその人の記憶を取り戻したいと切望する────。

 

 ナナリーは目を開けると顔を正面に戻した。チラッと視線を動かせば、ロックマンが金の杖を持って少し離れたところでナナリーを観察するように見ていた。眼鏡の奥の赤い瞳と視線がかち合い、ロックマンが軽く頷く。

 

 ロックマンが見ている。負けられない。

 高価な魔具をいくつも借りているのだ。何度も失敗はできない。大丈夫、きっとできる。追憶の魔法を絶対に成功させる。ナナリーは自分を鼓舞した。

 

 棍棒を両手で持ち、大きく息を吸った。指先から棍棒に魔力を注ぎ込んでいく。魔力が溜まり、パチパチと音を立てながら魔法陣が広がる。魔力の流れが昨日とは桁違いだ。魔具のお蔭だろうか。

 

 思い出したいのは「恋人のアルバート」。

 

 追憶の呪文と守護精の呪文を唱え、「追憶復元」と言い放つ。心の中でミロナスさんを思い浮かべながら、「恋人のアルバート」を思い出したいと、彼にもう一度会いたいと強く願う。ナナリーの足元で摩擦音が消え、魔法陣がカッと大きく光った。

 

 ざわざわと人混みの中にいるような騒がしい音が聞こえてくる。ナナリーが目を開けると、目の前には大広間ではない、見慣れた街中の風景が広がってた。

 

 *

 

 ナナリーは過去の自分と同化する形でその光景を見ていた。

 見覚えのある喫茶店の席に座り、ナナリーはホット・チョコを飲んでいる。向かいに座っているのはミロナスさん──アルバートだ。

 

 頭の中で誰かの声が聞こえる。落ち着いた、でも少し婀娜(あだ)っぽい大人の女性の声。

 

『好きな人はアルバート』

『アルバートはあなたの恋人』

 

「俺はヘルさんが好きなんです」

「わたしも好きよ、アルバート」

 

 思ってもいない言葉が勝手に口から出てきて、ナナリーは口元だけで笑みを作る。いったい自分がどんな顔をしているのかわからない。心の中は空っぽだ。何も考えてない。

 過去の自分を追体験しているナナリーは、空虚な愛の告白に背筋が凍る心地がした。

 

 (はしばみ)色の瞳のアルバートが目を細めて笑った。笑顔なのに、ひどく歪んだ顔をしている。

 

 その日は寮の入り口まで送ってもらって別れたようだ。映像がブチッと切れて、場面が変わる。

 食事をしたり、手を繋いで街中を歩いたり。ナナリーは一日に一、二杯はホット・チョコを飲んで、妙な声を聞いていた。

 

『アルバートは恋人』

 

 また声が聞こえる。

 

『好きな人はアルバート』

『あなたは彼を好きなの。他は些細なことよ』

 

 ──他? 些細なこと? 

 

『もう意地になって張り合うのは()めなさいな』

 

 ──張り合う? 

 ──誰と? 

 

 隣を見ればアルバートがいる。そう、隣にいるのはアルバートだ。

 親密そうに寄り添うナナリーとアルバートの会話を聞けば二人は恋人同士だと思う。アルバートは愛の言葉を囁いて、ナナリーは喜んでいる。でも、目はアルバートを見てはいない。

 

『アルバートは恋人』

『好きな人はアルバート』

 

 同じ言葉を心の中で繰り返してる。これは好きという感情ではない。恋はわからないけれど、何かを好きになる気持ちはナナリーにだってわかる。

 ナナリーとアルバートは向かい合って一緒にご飯を食べている。ほら、兎鳥を食べてる自分の感情はあんなに『好き』と『美味しい』であふれてる。

 

 

 また場面が変わった。目の前には煤で真っ黒になった家が凍っていて、アルバートが自分の腕を溶かして治癒魔法をかけている。大丈夫かと聞いたら、凍る直前に炎で腕を守ったという。しかし完全には凍らせるのを防げなかったようだ。バツが悪そうな顔で笑っている。

 

 ──違う。

 ──彼じゃない。

 ──()()()は憎たらしい顔をして、余裕綽々でわたしの氷を溶かす。

 

「大丈夫だよ、ナナリー」

 

 ──違う。アイツはそんな風にわたしの名前を呼ばない。

 

 ここにはいない、誰かがアルバートの手前に見える。

 ナナリーの目に映っているのは。

 金髪で赤い瞳の。

 

 

『忘れてしまいなさいな』

『あなたの隣にいるのはアルバート。あの男じゃないのよ』

 

 ──あの男? 

 

『あなたをずっと守ってきた男よ』

 

 ──忘れない。

 ──絶対にアイツに勝つんだから。

 ──わたしはずっとアイツの背中を追いかけて。

 

『強情ね』

 

 闇が凝縮したようなものがナナリーの前に現れる。頭の中で聞こえる女性の声の周りで、金属質で耳障りな声がいくつも響いている。これは魔物だろうか。惚れ薬に混ざっていたという魔物。

 

()()()の為にも、お前の恋を捨てさせよう』

 

 ──恋? 

 ──わたしが? 

 ──誰に? 

 

『あらあら、あんなにいい男なのに、報われないこと』

『気づいてないなら好都合。好きにさせてもらうわ』

 

 ──やめて。

 

『私の愛しいあの方のために』

 

 ──やめて。

 ──忘れたくない。

 

 ここにはいない、でもいつも見ている背中。背が高くて姿勢が良くて。蜂蜜みたいな金色の髪をしたアイツ。

 

 ──この気持ちを取り上げないで。

 

 ナナリーの隣にいるのはアルバート。

 吐く息は白く、凍てつくような寒さの中を並んで歩く。

 突然、傍らの街路樹が燃えた。

 

 

 赤い瞳がナナリーを見ている。

 

 *

 

 バチバチと魔法陣が立てる音でナナリーは我に返った。

 魔法陣に魔力を吸われていく感覚に目眩を起こす。まだ目の前の景色は過去のままだ。街路樹が燃え、ロックマンとアルバートが話をしている。

 

 ここまで上手くいったのに。魔力が足りないのだろうか? 

 

 過去の光景がぐらぐらと揺れ始める。女神の棍棒を両手で握りしめて、倒れないように足を踏ん張る。

 突然、耳飾りの魔具が燃えるように熱くなった。魔法陣に吸われた分よりも大量の魔力が耳飾りから流れ込んできて、ナナリーは体勢を立て直した。

 幾度か場面が切り替わり、女性の声が聞こえ、ナナリーの頭の中で空白が増えていく。最後にアルバートと昼ご飯を食べたところで突然世界が真っ白になる。

 

 …………これで終わり。

 

 忘れていた記憶を全部思い出し、魔法陣が光を失って消えていく。

 

「ヘル!」

 

 手を伸ばせば届くところにロックマンが来ていた。ナナリーは女神の棍棒を両手で抱えてその場に倒れ込む。がくんと膝をついたナナリーを、力強い腕が支える。胸の前に回された腕のお蔭で床に顔をぶつけることはなかった。

 

 ロックマンの黒い服を握り締め、目を閉じて浅い呼吸を繰り返す。目眩がする。頭がぐわんぐわんと揺すぶられるようで気持ちが悪い。体は汗びっしょりだ。早く、横になりたい。

 

「……成功、した」

 

 目を開けてナナリーは魔法の成功を告げる。

 

「よくやったよ」

 

 魔法の成功を褒めているのに、全然そんな声じゃない。焦燥を滲ませた声音に大きな溜め息。頭を撫でる大きな手。

 

「……この……耳かざ……」

「喋らないで」

 

 意識が朦朧(もうろう)としてくる。もう限界だ。ロックマンに寄りかかるのは不本意だが、腰に力が入らない。

 ナナリーの体に回された腕に力が籠もる。力強くて、でも扱いは丁寧だ。認めるのは(しゃく)だけど、がっしりとした体は頼りになって安心感がある。

 大きな肩に頭を預けると呼吸が楽になった。ナナリーは体の力を抜いて目を閉じた。

 

 *

 

 いつもの寝台でナナリーは目覚めた。天蓋は薄い布を残して(くく)ってあり、日の光が窓から差し込んでいる。まだ充分に明るい。

 追憶の魔法を行ってからどれくらい時間が経ったのだろう。ナナリーは布団の上に起き上がる。寝間着ではなく、ハーレの制服を着ていた。それほど時間は経っていないかもしれない。

 

 魔法は成功した。ナナリーは忘れていた記憶を思い出し、懸念は払拭され、惚れ薬に入っていた魔物と頭の中で話をしていたことも知った。

 

 あの魔物はナナリーの恋を忘れさせると言っていた。

 記憶の中で、ナナリーがずっと目で追いかけていた人は。その場にいなくとも見ていた男性は。

 あれが恋だというのだろうか? 

 

「…………好き……?」

 

 小さく声に出して呟くとストンと胸に落ちてきた。人差し指でそっと唇に触れる。紡いだ言葉がこそばゆい。

 

「そっか、好きなんだ……」

 

 

「何を好きなの?」

「へ?」

 

 予期せぬ返答にナナリーは頓狂(とんきょう)な声を上げる。すっかり耳に馴染んだ低い声。

 天蓋の薄い布の向こうにロックマンが立っていた。

 




なんでそこで兎鳥?それがナナリーなので。
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