「あー……こんなに忙しいなら就職するんじゃなかった……」
静かな部署に響く後輩の愚痴。
作業しながらちらちらと見ていたが、コイツの手はここ1時間でほとんど動いていない。
俺はため息をつくと、デスクに突っ伏している後輩の頭を書類の束ではたく。
「仕事が忙しいのなんてどこでも同じだ。日付が変わる前に帰りたかったら口より手を動かせ。手伝ってやるから」
「先輩は仕事がデキる男だから簡単に言いますけど、俺はそうじゃないんですよ。しんどいー……帰ってエリちゃんの胸で寝てぇ~……」
「仕事が出来る出来ないはただの言い訳だろ。お前がやらないなら俺も手伝ってる意味を見失うし、帰るぞ」
「分かりましたよ。それにしても、言い訳とか前時代的かつ運動部的な考えですね~」
後輩は毒を吐きながらも顔を上げ、作業に取り掛かる。
それからしばらくは黙って作業をしていた後輩だったが、10分もしたら飽きてきたのか、キーボードを叩きながら俺の方を向く。
「先輩って、彼女とかいないんですか?」
#13 星に重ねたモノローグ
「ん……いないな。どうしてだ?」
「いや、普通にモテる要素ありそうなのに女性の影が一切ないじゃないですか。合コンとか誘われても断ってるって聞きますし。もしかして男が好きとか、そんなセンシティブな話題になりますか?」
「ならん」
そう言いながら、俺は目玉だけ動かしてキーボードをたたく後輩の指を見る。
左手の薬指には真新しい結婚指輪がはめられており、薄暗いこの部屋の中でもきらりと光っている。
「悲しい話だけど、女にモテたことは生まれて此の方ないぞ。そりゃあ彼女くらいはいたが」
「へぇ……意外ですね。ちなみに俺はモテモテでしたよ」
「何がちなみにだ。喧嘩売ってるのか」
そう言いながら後輩の頭に軽くチョップを入れると、後輩はてへっと舌を出して笑った。
「まぁ俺がモテることはおいといて、何で先輩モテないんですかねぇ。若干幸薄そうな顔はしてますけど、そういう男がタイプの女性もいると思うんですけど」
「……お前、俺一応先輩だぞ」
「いいじゃないですか。結婚とか恋愛に関しては俺の方が先輩までありますし」
「まぁ……そうだが」
「え、認めちゃうんですか……冗談のつもりだったんですけど」
後輩はそこまで言うと、エンターキーを押して次の資料に取り掛かる。
ちゃんとやれば俺より仕事が出来る奴なのにもったいない。
「まー……本当の事だしな」
「そうっすかねぇ……俺が女なら先輩みたいな男が良いですけどね」
「気持ち悪いこと言うなよ……お前こそセンシティブな話題の人間なのか?」
「違いますよ!?既婚者になんてこと言うんですか!」
後輩はそう言って、誇らしげに結婚指輪をはめた指を掲げる。
「知ってるよ。結婚式、俺も行っただろ」
「そうでしたね。余興でやったカラオケ、ビックリするほど下手でしたね」
「お前が結婚式の3日前になって余興やってくれって言うからだろうが……」
「あれはあれで盛り上がったからいいじゃないですか」
ケタケタと笑う後輩だが、正直あの日のことはたまに夢に見る。
コイツが言う通り盛り上がったから良かったものの……お通夜になっていたらどうなっていたのだろうか。
「じゃあ、モテないから彼女がいないのは100歩譲って認めますよ。でも、どうして合コンまで断る理由があるんですか?モテないなら逆にハイエナみたいに合コン行きそうですけど。実際、そういう友人居ますし」
「いや……誘われる機会が無くてな」
苦し紛れの嘘をつくと、後輩はそれダウトー!と愉しそうに言った。
「それはウソですよね。中野先輩が、日向先輩は合コン誘っても来ないって言ってましたもん」
酒を飲みながらゲラゲラ笑う同僚の顔が脳裏に浮かぶ。
仕事では報連相が出来ないくせに、要らん情報ばかりペラペラ喋りやがって……。
「実の所、いるんじゃないですか?彼女のひとりやふたり?」
「いない。昔はいたけど振られたしな」
「へぇ。じゃあ気になってる女性がいるとか?」
「……どうだろうな」
キーボードを打つ手が一瞬止まったが、努めて冷静に返す。
星歌先輩のことは好きだが、誘導尋問のようにコイツに知られるのは癪だ。
「あ、今一瞬手が止まりましたね。ビンゴですか?」
「……性格悪いぞ」
「その答えはビンゴってことですね。誰ですか?事務の玲子さんとかですか?たまに一緒にコーヒー飲んでるの見ますけど」
「あの人は既婚者だ。指輪はつけてないけど」
「なるほど……」
後輩はそう言うと、顎に手を当てて考え込んでしまう。
仕事をしろ、と言ってやろうかと思ったが、多少は進めているようなので見逃してやる。
「……となると、この会社の人間じゃないと思いますね。先輩が女性と親しくしている姿をあまり見ませんし。実は裏では~みたいな線も勿論ありますけど、今の口ぶりと先輩の人柄で考えると違うような気がするなぁ」
「お前、スポーツライター辞めて探偵に転身したらどうだ」
「嫌ですよ。浮気調査とか絶対したくないですもん」
「だったら仕事しろ。そろそろ日を跨ぐぞ」
壁にかけられた時計を見ると、もう午後11時を回っていた。
俺はコイツの手伝いの他にコラムのまとめが残っているので、今日は泊まり込み決定らしい。
「そもそも、俺に気になっている人が居るっていう前提から間違ってるとは考えないのか?」
「そう言われるとそんな気もしますね。じゃあ先輩、ロイン見せてください!やましいことがないなら見せられますよね……?」
「……はぁ。おかしなことはするなよ」
このままではいつまで経っても仕事が終わらなさそうなので、見終わったら仕事しろよと言いながらスマホを渡してやる。
まさか本当に見せてもらえるとは思っていなかったのか、後輩は心底驚いたような表情をする。
「じゃ、じゃあ見させてもらいますね。えーっと……」
後輩はそう言ってロインを開く。
「あ!やっぱり女性いるじゃないですか!この『にじか』って女の子じゃないんですか?」
「その子は高校時代の先輩の妹だ。今年で17だから手を出したら犯罪だぞ」
「な、なるほど……じゃあこの『Kikuri』ってのは?」
「風呂なし物件に住んでるアル中だ」
「ダメ人間じゃないですか……じゃあ、この『星歌』ってのは?」
「……高校時代の先輩だよ」
何も嘘はついていない。
星歌先輩と俺は、先輩と後輩の仲。
それ以上でもそれ以下でもない。
「うーん……これだけなんて、そんなはずないと思うんですけどねぇ……」
諦めきれないのかそれからもしばらくの間ロインを見ていた後輩だったが、遂に見つけることが出来ずに俺にスマホを返す。
「なんというか、先輩って本当に女性の影ないんですね。それどころか友人すら少ないっていうか……先輩休みの日とか、何して生きてるんですか?」
「煽ってるのか?」
「いやいや!そうじゃなくて……もったいないなぁって思っただけですよ。世の中の女性は何で先輩のことを放っておいてるんですかねぇ」
「気持ち悪いなぁ……」
俺はそこまで言うと、後輩の書類を取り上げる。
「家に家族いるんだろ。後はやっておいてやるから、早く帰れ」
「……いやほんと、こういうことサラッと出来る先輩がちょっと羨ましいですよ。何でモテないんですかねぇ」
後輩は鞄を持つと、ありがとうございますと言い残して会社から出て行った。
俺以外誰もいない部屋で、椅子に浅くもたれかかる。
「……ま、俺に男としての魅力がねぇからだろうな」
空には、綺麗な星が浮かんでいた。
☆☆☆
「……ぱい。先輩。起きてください」
「はッ!?」
身体を揺さぶられる感覚で飛び起きる。
視界に最初に飛び込んできたのは後輩の顔。
周りを見ると、俺の家ではなく会社だった。
「……あれ、何で会社?」
最初はぼんやりとしていたが、段々と記憶が蘇ってくる。
確か昨日、仕事を終わらせて……そのまま寝てしまったのか。
仕事を終わらせたことが夢のように思えてしまい慌ててパソコンを確認するが、キッチリと仕事は終わらせてあった。
「昨日仕事を押し付けて帰った俺が言うのもなんですけど、先輩無理しないでくださいよ。ここの所、忙しいからって先輩が出社してない姿を見てないんですけど」
「あぁ……今日で11連勤か?すまん。コーヒー淹れてきてくれ?」
「勿論ですけど……身体壊しますよ」
後輩はそう言って給湯室へと向かった。
朝の8時小前ということは……俺の記憶に間違いがなければ2時間弱は寝たはずだ。
「んっ……」
腰を反らして凝り固まった身体をほぐす。
甲子園も終わりいよいよドラフト会議に向けて各球団が本格的に準備を始めたということで、それに比例するように俺達の仕事量も増えていた。
あまり気にしないようにしていたが、星歌先輩が我が家に来た日の次の日から今日までの11日連続で出社している。
ブラック企業ここに極まれり、である。
「はい。カフェオレにしましたから、少しは糖分摂ってください」
「ああ、ありがとう」
湯気を立てるマグカップに口をつけ、カフェオレを飲む。
まだ暑い日が続くようだが、冷房の効いたこの部屋ではホットコーヒーが丁度良い。
「じゃあ俺はこのデータを編集長に渡してくる。お前はお前でやることあるだろうし、先にそっちやっとけよ」
「はい!了解です!」
後輩は笑いながら敬礼し、自分のデスクに向かって仕事を始める。
こういうところが素直で可愛いんだよな、と思いつつ完成したデータを持って編集長の元へ向かう。
「編集長。完成しましたよ、頼まれていたデータ」
「ん、日向か。早く見せろ」
俺が話しかけると、編集長は自分の作業の手を止めて俺の方を向く。
……この人、俺より多い仕事をこなしているはずなのにどうしてこんなにケロッとしているんだろう。
ノートパソコンを操作しデータを一通り確認した編集長は、ため息をつきながら老眼鏡を外す。
「……お前、今日で何連勤目だ」
「え……」
「それに、昨日と同じシャツということは帰っていないんだろう。見させてもらったが、後半が誤字脱字だらけだ。修正は俺がやっておくから、お前もう帰れ。そんなコンディションで仕事されても邪魔なんだよ」
「いや、でも……」
「でも、じゃない。お前ひとり居ない程度で物事の進行速度に大きな影響がある訳じゃない。それより、上司の俺が邪魔だって言ってるんだ。聞こえたらさっさと帰れ」
「……はい」
俺はがっくりと肩を落とし、すごすごと編集長の部屋から出て行く。
ホント、何も出来ねぇよ俺って……。
「おい日向」
「はい?」
部屋を出る直前に名前を呼ばれて振り返ると、編集長から何かが投げ渡された。
それを見ると、眠気覚ましの板ガムだった。
「明日も同じようなミスしたら減給だからな」
「わ、分かりました」
深々と頭を下げてっ編集長の部屋を後にする。
とりあえず……まだチャンスは残っているらしい。
自分のデスクに戻り鞄を持ち、出勤してきた人とすれ違うように退勤する。
「今車で帰るのは危ないし……電車で帰るか。寝過ごしたら面倒だなぁ……」
いっそのことタクシーを使うという手もあるが、こんな所で金を使いたくないということで却下する。
「ふわぁ……ねみぃ……」
ここ数日パソコンの光ばかり見ていた俺にとって、陽の光はあまりにも眩しかった。
ショボショボする目を揉んでいると、後ろからパッパというクラクションが聞こえてくる。
「あん……?」
クラクションのした方を見ると、ミニバンの窓から星歌先輩が顔を出していた。
「おーい日向、おはよう……って、うわ、酷い顔だぞ!?どうした!?」
車を車道の脇に停めた星歌先輩は、ウィンカーを出して車から降りてくる。
「あぁ、おはようございます。俺なら大丈夫ですよ。ちょっと仕事が忙しかっただけですから。それより、星歌先輩は何でこんな所に?」
少し強引かもしれないが、話題の転換を試みる。
実際気になっているしな。
「私は本当にたまたまこの近くに用事があったから来ただけだ。それより、時間的に今から会社に行くんだろ?送ってやるよ」
「いえ。今から帰るんですよ」
反射的に言ってしまったが、しまったと後悔した。
こんな時間から帰ると言えば、星歌先輩は心配してくれるに決まっているじゃないか。
「今から、って……徹夜だったのか。それでそんな顔に」
「あ、あはは……まぁ忙しくて。それじゃあ、俺は帰りますね」
これ以上心配されて口が滑り、仕事でミスしたことを知られたくない。
早く最寄り駅に向かおうとした俺だったが、星歌先輩はそんな俺の進行方向に回り込む。
「待て。そんな状態で家に帰ってどうするんだよ。お前一人暮らしなんだろ?」
「まぁ……適当に飯食ってシャワー浴びて寝ますよ。この程度、今まで何回もありましたから大丈夫ですって」
特に新人時代、当時副編集長だった編集長に散々しごかれて帰るのが日を跨ぐことがザラ、なんて時期もあったくらいだ。
しかし、それを聞いた星歌先輩はポンと俺の肩に手を置いた。
「あのなぁ……あまり無理するな。とりあえずウチに来い。飯と湯船くらいは準備してやるから」
「いや、悪いですよそんなの」
「先輩の私が来いって言ってるんだ。大人しく来い」
こんな台詞、さっき編集長からも聞いたな。
そんなどうでもいいことを考えながら、俺は星歌先輩に背中を押されてミニバンの後部座席に詰め込まれたのだった。
ー評価してくださった方ー
byananaさん、ぽいぽさん、一般通行さん、ユキの宮さん
ありがとうございました!
今回珍しくスマホから投稿しましたので、もしかしたら間違いがあるかもしれません……。