ブロロロ……と車を走らせる中、私はバックミラーを使ってちらりと日向を見る。
後部座席に座った日向はよっぽど疲れているのか、こっくりこっくりと舟を漕いでいた。
髭こそ剃られているが、目の下には濃い隈が浮かびスーツもどこかよれた印象を受ける。
「どれだけ無理してんだよ……」
赤信号で車を停めると、助手席に置かれたスマホを取る。
そして虹夏とのトークルームを開き、『今から日向を連れて帰る。湯船に湯を張っておいてくれ』と短くメッセージを送る。
既読はすぐに付き、『OK!』とだけ返信が来た。
「ん、青になったか」
左右を確認してから車を発進させ、左折する。
すると日向の身体は外に引っ張られるように傾き、窓に頭をぶつけて目を覚ます。
「んあっ……ふわぁ……」
だが起きていたのは一瞬で、すぐにまた舟を漕いでしまう。
「……はぁ」
ため息が漏れる。
もっと身体は大事にしてほしんだけどな……。
#14 Good-bye Your Loneliness
「おーい、帰ったぞ。虹夏」
「あ!お姉ちゃんお帰り!それと、いらっしゃい日向君……って、うわ!ゾンビみたいな顔してる!?」
「お、お邪魔します……」
車の中でよだれを垂らさんばかりの勢いで熟睡しかけていた日向を叩き起こし家まで引っ張ってきた私。
エプロンを付けた虹夏の出迎えに、日向は居心地悪そうにしている。
「何だ。別に初めて来たってことでもないだろ」
「いや、そうなんですけど……あっ」
靴を脱ぎながらバツが悪そうな顔をしていた日向だったが、扉の隙間から見えた仏壇と母さんの遺影を見ると口を噤んだ。
虹夏の前で話題に出さないという日向なりの配慮だろうが、正直とても助かる。
「それより、お姉ちゃんどこに行ってたの?お仕事のことでって言ってたのに、どうして日向君と一緒に?」
「仕事で車走らせてたら、退勤中の日向を見つけてな。このまま放っておいたら死にそうだったから連れてきたんだよ」
「退勤って……日向君、今まで仕事してたの!?」
「あ、あはは……大丈夫だよ……」
いや、その顔を見て大丈夫と言える奴はいないだろ。
そう言いたくなる程に今の日向は憔悴していた。
「お風呂沸いてるから、日向君入ってきなよ!その間に簡単に朝ごはん作っておくからさ!」
「あぁ……わざわざありがとうね」
そう言って日向は笑う。
「あ、でも下着はどうするんだ。服は父さんの物を貸せばいいとしても、下着までは貸せないぞ。今から買ってこようか?」
「あ、いえ。タオル下着靴下歯ブラシは常備してるので」
下着と歯ブラシを買いに行こうとした私だったが、日向は鞄の中からそれらが入っているであろう紙袋を出す。
随分と準備がいい、というか……。
「……それを常備してるってことは、お前定期的に会社に泊まり込んでるってことだな?え?どうなんだ?」
私がそう言うと、日向は露骨に目を逸らした。
「あのなぁ。身体は大事にしろよ。幾ら稼いでも身体を壊していたら何の意味もないぞ」
「う……すいません」
シュンと小さくなった日向。
まだ言ってやろうかと思ったが、虹夏がパンと手を叩いて話を遮る。
「はい、お姉ちゃんそこまで。まずは日向君がお風呂に入る方が先でしょ?」
「……そうだな。日向、入って来い」
「分かりました。あ、10分経っても出てこなかったら寝てる可能性あるんで呼びに来てください」
「10分って……」
シャワーの時間からもあいつの普段の生活が見え透けるが、とりあえず何も言わずに浴室へ送り込む。
「あ、お姉ちゃんお父さんの服を日向君に持って行ってあげて。私は簡単に朝ごはん作っておくから」
虹夏はそう言いながらキッチンに向かい、野菜炒めを作り始める。
私は箪笥から父さんの服を上下セットで取り出すと、脱衣所の洗濯機の上に服を置く。
……父さんより日向の方が10センチくらい背が高いけど、入るよな?
「おい日向。服置いておくからな~」
ドアの向こう側の日向に声をかけるが、返事がない。
さっきからシャワーの音も聞こえないが……これは、寝てるな?
「はぁ……入るからな」
聞こえちゃいないだろうが一応断りを入れ、ドアを開く。
すると案の定といったところか、日向は湯船に浸かったまま左腕で頬杖をついて寝ていた。
「起きろ馬鹿。頭まで沈めて1000数えるか?」
靴下を脱いで浴室に入り、身体を揺すって起こそうと右肩に触れる。
「あん?何だこれ……?」
触れた右肩をよく見ると、鎖骨の辺りから肩にかけて大きな線が入っていた。
まるで手術跡のような……。
「……ん?ああ!?せ、星歌先輩!?どうしたんですか!?」
私の存在に気づいた日向はバッと身体をよじって私の手を振り払う。
「いや、呼んでも返事がないから起こしに来たんだが……」
その肩の跡は何だ。
そう訊く前に、日向は大袈裟に大声を出した。
「ああなるほど!ありがとうございます!身体も温まったからもう出るので、星歌先輩はどっか行っててください!」
「い、いや……」
「それとも、俺のアレでも見たいんですか?溜まってるんですか?」
「そんな訳ないだろ!」
ゴン!と脳天に拳骨を振り下ろし、湯船に沈んでいく日向を残して脱衣所を後にする。
「お風呂の方から凄い音が聞こえたけど……何かあったの?」
リビングに戻ると、机に料理を並べた虹夏が驚いたような顔をしていた。
「別に何でもない。アイツがおかしなことを言ってたから殴っただけだ」
「あんまり暴力はいけないと思うな……。あ、多分日向君少し寝るよね?来客用の布団、どこに敷こうかな?」
特に指示していた訳ではないが、気を利かせていたのか来客用の布団を干していた虹夏がそれを取り込みながら言う。
そうだな、さっき明らかにはぐらかされたことについて訊きたいしな。
「私の部屋に敷いておいてくれ。私も日向と一緒に少し仮眠をとるから静かでいいだろう」
「分かった……って、お姉ちゃんも手伝ってよ!」
「はいはい、分かったよ」
虹夏に叱られ渋々ながら布団を私のベッドの脇に敷いてリビングに戻ると、日向が流し台で歯を磨いていた。
私達に気が付くとすぐに口を濯ぐ。
「虹夏ちゃんありがとうね。一人暮らししてると中々湯に入る機会がなくなるからさ」
「ううん、日向君ならいつ来てくれてもいいよ!」
「日向なら、な……」
私の脳裏に浮かぶのはきくりの姿だった。
多分、虹夏も同じ顔が浮かんでいると思う。
「あ!それより冷めちゃう前にご飯食べなよ!簡単な物しか作れてないけど……」
「いやいや簡単じゃないって。いただきます」
日向は手を合わせると、野菜炒めを一口頬張る。
「うお、うまっ……」
「そう?それなら良かったー……」
虹夏は安堵したように胸をなでおろす。
……コイツ、私が作ったオムライスはがっつかなかったくせに、虹夏の料理はそんなにパクパク食べるんだな。
「……日向。私の部屋にお前の布団を敷いておいたから、食べ終わったら来い。話がある」
「え?あ、はい……?」
日向から何かを言われる前に自分の部屋に向かい、もやもやを紛らわせるために動画サイトを開く。
「……なーにやってるんだか」
実の妹に嫉妬してどうするんだよ。
カチカチカチとマウスを動かして適当に動画を漁り、開始10秒で他の動画に変えるという意味のない行動を続ける。
「星歌先輩。入っていいですか?」
動画サーフィンしていたのはものの5分くらいだと思うが、食べ終えたらしい日向が私の部屋のドアをノックする。
入っていいぞ、と答えると、控え目にドアが開く。
「うわー、変わらないですね……この部屋……」
私の部屋に入るなり日向は懐かしさを楽しむように笑った。
……まぁ、この笑顔に免じてさっきのことは許してやろう。いや、許すも何も日向は悪いことしてないけど。
「あ、それで話って?というか、布団敷いてありますけど俺仮眠とってもいいんですか?」
「そのための布団だろ。まぁ適当に座れ」
「……まぁ、分かりました。眠いんで手短にお願いしますね」
日向は無表情で布団の上に胡坐をかく。
……というかコイツ、飯食って帰るつもりだったのか。
「手短に、というなら単刀直入に済ませるからな。風呂場で見たが、肩の手術跡みたいなのは何だ」
私が訊くと、日向は露骨に嫌そうな顔をした。
「……星歌先輩の見間違いじゃないんですか?」
「見間違いだったらそれでいい。じゃあ服を脱げ。今見てやるから」
「……断る、と言ったらどうします?」
「無理矢理にでも脱がせる」
そう言うと、日向は何も言わなくなった。
しばらく沈黙が訪れたが、それをかき消すように日向はため息をついた。
「あまり知られて気分の良いものじゃないんですけどね。星歌先輩も察してる通り手術跡ですよ。じゃ、おやすみなさい」
話を切り上げるように布団に引きこもる日向。
手術……か。
私は口の中で、今の言葉を反芻する。
「……日向」
「何ですか?」
布団の中から聞こえたのは、明らかな拒絶の声。
『何ですか』という短い言葉の裏に込められたそんな気持ちに、私は言葉に詰まる。
普段負の感情を表に出さない日向は、今何を考えているのだろう。
そして、こんな日向を放っておいていいのだろうか。
……そんな訳がない。
「なぁ日向。私な、実は10年前のこと後悔してるんだよ」
「……え?」
日向の顔が布団から出てくる。
その顔は驚愕に染まっていた。
「え、いや、何で星歌先輩が?悪いのは俺なのに」
「そうでもないだろ。今でもたまに思うぞ。あの時、ちゃんと日向の話を聞いていたらなって」
「聞いていたらって……星歌先輩に後悔されても俺は困るんですけど」
だって、俺が全部悪いんですから。
半笑いの日向の言葉に、私は胸がギュッと締め付けられる。
そうじゃない、そうじゃないんだよ。
「全部自分が悪いって思うな。私だって……あの時、お前の話をもっと聞いてやるべきだったんだ」
「だって星歌先輩、あの時バンド忙しかったじゃないですか。俺の話を聞いてバンドもやるなんて、そんな二足の草鞋は履けませんって」
「違う、違うんだよ。私はあの時、バンドに逃げてたんだ。お前の話を聞いてやらなくちゃいけなかったのに」
「……何で、俺の話を?」
日向の声が震えている。
悲しみとはまた少し違った、ドロドロの複雑な感情が見え隠れする。
「何で、って……お前が大事に決まってるからじゃないか」
そう言うと、日向の目から涙が流れた。
私は椅子から降りて、日向の頭をポンポンと撫でる。
「あークソ、星歌先輩の前じゃ泣かねぇって決めてたのに……」
「もう私は逃げないからさ。その肩、何があったか教えてくれよ」
「……すいません。ちょっと時間ください」
「いいよ。待つから」
日向の隣に座り、天井を見上げる。
隣からすすり泣く声が聞こえたが、日向の名誉のために顔は見ないでおく。
「肩のこと、そんなに知りたいですか」
5分もしないうちに落ち着いた日向は、親指で涙を拭いながらそう訊いてきた。
私が頷くと、日向は仕方なさそうにぽつりぽつりと喋り始めた。
「怪我ですよ。4回生の秋の大会の前に、オーバーワークを拗らせて。手術をして日常生活はそこまで苦にならない程度には治りましたけど……野球選手としてはそこで引退でした」
「オーバーワーク……練習のし過ぎってことか?」
「平たく言えば。野球選手になるために下北沢を出たのに、馬鹿みたいな怪我してなれませんでしたって。星歌先輩に説明出来る訳ないじゃないですか」
笑いながら淡々と語る日向。
「当時付き合ってた彼女にも『プロ野球選手になれると思ってたから付き合ってた』って言われて一方的に振られちゃいましたしね。星歌先輩のバンドメンバーの男みたいに、キラキラ輝く人間にはなれなかったんですよ」
日向はそこまで言うと、憑き物が落ちたような晴れやかな顔を上げる。
「何なんでしょうね、俺って。星歌先輩は何だと思いますか?」
屈託のない笑みを浮かべる日向に、私は自分がこれまで何も日向のことを知らなかったことを思い知らされた。
ずっと近くに居たと思っていたのに、10年前日向がどんな気持ちで私の前から消えたのか、何も理解してやれていなかった。
「……もういい。喋るな。それ以上自分を傷つけるな」
今の私に言えるのは、それだけだった。
私の好きな人を、私の好きな人が傷つけて欲しくなかった。
「すいません。ちょっと喋りすぎました」
「いいんだよ。1人になりたければ私は出て行くぞ?」
「いえ。今は近くに居てください。人肌恋しい時だってあるんです」
「……そうか」
私が日向に少しだけ近づくと、その日向は私の肩にもたれかかり寝息を立て始めた。
「よっぽど疲れてたんだな……」
すぅすぅと安心したように眠る日向の髪を撫でる。
昔と変わらない、弱いウェーブのかかった癖毛の髪。
私は、再会した時からずっと、日向は変わったと思っていた。
だが、日向は変わったんじゃなかった。昔の私が何も知らないだけだった。
「バカだなぁ……私って」
誰に言うでもなくそう呟くと、日向の手をギュッと握って目を閉じた。
こんな馬鹿な私でも寄りかかってくれる日向に、少しでも一緒にいてあげたかった。
ー評価してくださった方ー
コースさん、FEVERTAKAYUさん、twoDsさん、ツムユウさん、タダノ芋さん、明日のやたからすさん
ありがとうございました!