「星歌先輩。起きてくださいよ」
隣で突っ伏す星歌先輩の肩を揺するが、うん……とかいう言葉にならない呻き声が返ってくるだけで顔が起き上がらない。
動こうにも、俺の右腕はしっかりと星歌先輩にホールドされている。
助けを求めてマスターに目線を送るが、笑顔でサムズアップをするだけで何も手を貸してはくれない。
マスターの性格上『ユー持ち帰っちまえYO!』とか思っていそうだが、残念ながらそんな間柄ではないのだ。
「先輩~……起きてくれ~……」
自分でも分かるくらいげっそりとしながら再び肩を揺する。
寝落ちた星歌先輩の前には、半分くらい残ったカクテルが置かれている。
「マジかよ……」
完全に寝息をたてている星歌先輩の姿に、俺はがっくりと肩を落とす。
「あーもう。身体触りますからね、星歌先輩」
聞いてはいないだろうが一応忠告してから、俺は星歌先輩を背負う。
どうしてこんなことになったのか……時間は、2時間くらい前に遡る。
#2 俺が思い出になる前に
「あーっ!もしかして、日向君!?」
虹夏ちゃんの演奏が終わった直後に帰ろうと思った俺だったが、星歌先輩の『虹夏に顔くらい見せていけ』という言葉に引き止められていた。
気まずいなぁなんて考えているうちに星歌先輩に呼ばれた虹夏ちゃんと顔を合わせると、開口一番それだった。
「あ、あはは……久しぶり、虹夏ちゃん。よく覚えてたね」
引き攣った笑みを浮かべながら手を振る。
「そりゃあ覚えてるよ!昔よく遊んでくれたもん!」
「ん、そうだったな。それにしても大きくなったね」
10年前は俺の腰くらいの身長しかなかった虹夏ちゃんだが、今は胸くらいに頭が来ている。
成長するのだから当たり前と言われれば当たり前なのだが、親戚の子が成長したような喜びが込み上げてくる。
……まぁ、親戚の子など居ないが。
「それにしても、いきなりどうしたの?」
「いや、本当にたまたまでさ。近くに来たから実家を見ていこうと思ったら、見覚えのないライブハウスが出来ていたから入ってみたら星歌先輩のライブハウスだった、って感じかな」
首を傾げる仕草が星歌先輩にソックリだな。
そんなことを考えながら答えると、虹夏ちゃんはふぅんと呟く。
「てか、日向今仕事は何をしてるの?スーツ着てるんだし、営業とか?」
「今は週刊誌を出してる会社に雇われてスポーツジャーナリストやってます。担当はプロ野球で」
俺は懐から名刺を取り出し星歌先輩に渡す。
その名刺を横から覗き込んだ虹夏ちゃんは、おおっと小さく声を漏らす。
「今の名刺の渡し方、なんだか社会人みたい!」
「いやまぁ、実際社会人だし……」
「そ、そっか。そうだよね」
後頭部を掻きながら笑う虹夏ちゃんに釣られて俺も笑う。
そんな中、星歌先輩は名刺をポケットに仕舞い込んでカウンターに頬杖をつく。
「なんというか……日向が普通に社会人をやってるっていう事実がムカつく」
「酷くないっすか……」
良い印象を持たれているとは微塵も思っていないが、まさか社会人が出来ないと思われていたとは。
首を垂れて落ち込んでいると、虹夏ちゃんが唐突に手をパンと叩く。
「そうだ!お姉ちゃんと日向君、今日はご飯行ってきなよ!久しぶりで喋りたいことも色々あるだろうしね!」
「え、ちょっと……」
「ちょ、ちょっと虹夏。何を勝手に……」
この状況で2人になるのは無理がある。
そう思い焦った俺だったが、それ以上に焦っていたのは隣の星歌先輩だった。
何でそんなに焦っているのか、と星歌先輩に視線を送ると、それに気づいた先輩はコホンと咳ばらいをする。
「……分かった。虹夏、今日は夜ご飯要らないから」
「うん!あ、日向君連絡先の交換しよ!」
「あ、あぁ……」
現役女子高生の圧に負け、俺はスマホを虹夏ちゃんに渡す。
あーだこーだとスマホをいじくり連絡先の交換を終えた虹夏ちゃんは俺にスマホを返すと、またね!と言い残し元気良くライブハウスから出て行く。
いつの間にか他のバンドの撤収も終わっており、片付けを終えたスタッフも家路についている。
ライブハウスに取り残された俺と星歌先輩の間に、今日一番の気まずい空気が流れる。
「あー……とりあえず俺、車取ってきます。多分15分くらいで戻ってくるので」
「わ、分かった。じゃあ私は閉店作業しておくから」
どんな顔して飯に行けばいいんだよ、なんて考えながらコインパーキングに戻り、車に乗ってライブハウスへ向かう。
予定より少し早い10分で到着してしまったが、星歌先輩は既に階段を登ったところで待っていた。
「すいません。待たせましたか」
「いや、私も今終わったところだ。それにしても……中々良い車に乗ってるじゃないか」
助手席に乗り込んだ星歌先輩は、革のシートを指で押しながらそう言う。
カスタムしたシートを褒められ少し嬉しい。
「まぁ金の使い道が酒と車くらいっすからね。それより、何か食べたい物ってありますか?」
そんな照れを隠すように、カーナビを触る。
接待で様々な食べ物屋に行っているので、和食洋食中華など一通りカーナビに入れてある。
「うーん。あの時は言わなかったけど、私もう夕飯軽く済ませているんだよな。だから、そんなに重くないものでいいか?」
「あぁ、そういうことなら俺ももう夕飯を終えているんですよ。移動で昼飯食えなくて、取材終わった後にすぐ食べてて」
俺はそう言いながら、コンビニのサンドウィッチのゴミを見せる。
「2人共夕飯を終えてるならバーでも行きますか?奢りますよ」
俺はそう言って、右手でグラスを傾ける仕草をする。
「……お前、今日車だろ。飲酒運転はダメだぞ」
「あぁ……まぁ顔なじみのバーに行くつもりだから、マスターに言えば一晩くらい置かさせてもらえるでしょう」
楽観的に考えながらキーを回しエンジンをかける。
週に一度は行っているバーだから、カーナビで検索をかける必要はない。
「……まさか、お前に会うとはな」
窓の外で光るネオンが高速で流れていく中、ドアのドリンクホルダーに頬杖をついた星歌先輩が口を開く。
「いや……まぁ、そうっすね。俺も驚きましたよ」
信号が赤になる。
ブレーキをかけ、星歌先輩の方を向く。
「星歌先輩は……変わらないっすね。10年前から」
「そう言うお前は変わったよな。昔はもっと初々しかったのにな」
「ま、俺ももう28なんで。アラサーってやつですよ」
「アラサーって言うな。私にもダメージが入るだろ」
星歌先輩は不機嫌そうに頬を膨らませる。
そこで会話は終わり、バーに到着するまでの間無言の時間が続く。
星歌先輩の顔をちらちら見ながらも目的地に到着し、ひとつしかない従業員用の駐車場に車を停める。
「着きましたよ」
「ん……雰囲気の良さそうなバーじゃないか」
「見てくれはいくらでも取り繕えますからね」
まぁ、星歌先輩を連れていく店に汚い場所を選ぶ気はないが。
カランカランとベルが鳴るドアを潜ると、いつものようにマスターがカウンターで煙草を吸っていた。
「おお、日向じゃねぇか……っと、そちらのお嬢ちゃんは?」
「おじょうちゃ……」
「こっちは昔の先輩。金は払うから、適当に見繕って作ってくれよ」
俺はそう言いながら星歌先輩を連れてカウンター席に座る。
星歌先輩はあまりこういう店には来ないのか、物珍しそうな顔をして店内を見ている。
「はいよ。嬢ちゃんには何を作れば良いか分からなかったから、とりあえず飲みやすいカクテルだ。日向は……いつも通り、グレンドロナックの21年をロックで良かったな?」
「ありがとう」
マスターは何やら怪しげな笑みを浮かべると、また元の場所に戻って新聞を読みながら煙草をふかし始める。
「それじゃあ、まぁ……その……再会に、乾杯」
しどろもどろになりながらグラスを挙げると、星歌先輩は何も言わずに軽くグラスを当ててくれる。
もったいない飲み方であると自覚しつつ、ぐっとグラスを傾けて半分程一気に喉に流し込む。
ウィスキー特有の柔らかい香りと、喉の焼けるような刺激が心地良い。
「……さて。どこから話そうか?」
多少アルコールが回りほんのりと顔を赤くした星歌先輩が話を切り出す。
「そう、っすねぇ……」
俺は口の中を濡らす程度にウィスキーを煽ると、ポケットから煙草を出す。
半ば無意識のその行動だったが、隣の星歌先輩を思い出してポケットに仕舞い込む。
「いいよ、吸っても。私は気にしない」
「あ、なら……すいません」
俺は再びポケットから煙草を取り出し火を点け、星歌先輩に煙がかからないように顔を背けて吹き出す。
「……お前、変わったな。本当に」
灰皿に灰を落とす俺を見て、星歌先輩はどこか悲しそうにそう呟く。
「俺にも色々とあったんですよ」
「まぁそうだろうな。それで……10年前、どうしていきなりいなくなったんだ?」
初っ端から核心に迫る質問に、思わず目をそらす。
「あの時は私と同じ大学に行くって言ってたじゃないか。それなのにある日いきなりいなくなりやがって」
問い詰めるような物言いにたじろぐ。
だが、いつまでも黙っている訳にもいかず、星歌先輩の三白眼に気圧される形でゆっくりと喋り始める。
「その……当時、俺、野球やっていたじゃないですか」
「やってたな」
「それで、最初は高校で野球を辞めて星歌先輩と同じ大学に行く予定だったんですよ。勿論、そのための勉強もしていましたし。ただ……」
「ただ?」
「……星歌先輩、昔に増して怖くなりました?」
机の下で脛を蹴られる。
「さっさと話せ」
「イテテ……受験間際に、関西の大学からウチに来ないかってオファーがあったんですよ。スポーツ推薦枠で」
俺がそう言うと、星歌先輩は驚いたように目を見開く。
「初めて聞いたぞ」
「初めて言いましたから。はじめは野球辞めるつもりでいたので断ろうかと思っていたんですけど……監督に『俺がお前をプロにしてやる』って言われまして……まぁ、その、欲が出たんすよ」
小学1年生の頃から野球を続けていた俺にとって、プロとは憧れの世界だった。
その憧れの世界に連れて行ってやると言われ、欲が出てしまった。
「……事情は分かった。何で言わなかった?都合の悪い話じゃないだろう」
カクテルを飲み干した星歌先輩が俺を睨む。
「……恥ずかしい話、何も言わず消えて、プロになってからもう一度会おうと思っていたんですよ。あの時の俺は『いきなり自分が消えたらどうなる』かなんて考えもせずに、それが格好良いと思ったんです。本当にすいませんでした」
俺もウィスキーを飲み干し、マスターに2人分のお代わりを求める。
黄金色の液体がとくとくとグラスに注がれる様を見ながら、俺は自嘲気味に笑う。
「結局プロになることも出来ず、星歌先輩に合わせる顔もなく、あれやこれやと10年ってことです」
「はぁ……死んだんじゃないかと心配した過去の自分に言ってやりたいよ。日向は馬鹿な理由で居なくなっただけだから安心しろ、ってな」
星歌先輩は呆れたようにため息をつきながらミックスナッツを口に放り込む。
「本当にすいませんでした」
「さっきも言っただろ。終わったことだからもういいって」
星歌先輩はそこで一度言葉を区切ると、でもと繋ぐ。
「虹夏には謝っておけよ。虹夏がどれだけ心配したと思ってるんだ。どれだけ泣いたと思ってるんだ」
「う……何か埋め合わせでもさせてもらいますから」
「お前から小学生の時にもらった玩具の指輪程度で許されると思うなよ?」
「何でそんな昔のことを覚えてるんですか……」
星歌先輩に言われるまで完全に記憶から抜け落ちていた、小学4年生の時の記憶が鮮明に蘇る。
あの時学校でプロポーズごっことやらが流行っていて、例に漏れず俺も星歌先輩に百均で買った指輪を渡したっけ。
恥ずかしさで叫びそうになっていると、星歌先輩はクスクスと愉しそうに笑う。
「そりゃあ覚えてるさ。人生で初めて受けたプロポーズなんだからな」
「プロポーズって、たかだか小学生の遊びじゃないですか。あっ、星歌先輩結婚とかは……」
また脛を蹴られる。
「それ以上言うな」
「横暴だ……」
じんじんと痛む脛を摩りながら恨めしそうに星歌先輩を見ていると、ぼうっと虚空の一点を見つめていた先輩が急にこちらを見る。
「あれ、星歌先輩、結構酔ってます?」
「酔ってない」
「それは酔ってる人間の台詞っすよ。マスター、水ください」
テレビチャンネルを回していたマスターの方を見ようとしたが、その顔を星歌先輩の両手に掴まれ、強制的に顔を見合わせる体勢にさせられる。
「たかだか。日向は、そう思ってるのか?」
「は?何言って……」
「私は……嬉しかったのにな。私だけだったか」
何を言っているのか分からないが、そこまで言うと星歌先輩は俺の腕を巻き込みながら電池が切れたように机に突っ伏してしまう。
「……先輩?星歌先輩?」
あまりの急な寝落ちっぷりに、一瞬俺で遊んでいるのかと錯覚する。
だが星歌先輩は、一定のリズムを刻みながら気持ち良さそうに寝息を立てていた。
「星歌先輩。起きてくださいよ」
肩を揺すってみるが、起きる気配がない。
「マスター、星歌先輩に何を飲ませたんだよ?」
「ロブ・ロイだぞ」
「はぁ……もう少し弱いの出してくれよ」
咥えていた煙草を灰皿で揉み消す。
ロブ・ロイは確かに多少強い酒だが、1杯半で寝落ちるとは思っていなかった。
言ったら確実に叱られるが、焼酎くらいならラッパ出来るタイプの人間だと思っていた。
ちったぁ助けてくれよ、とマスターに助けを求めるが、返ってきたのはサムズアップだった。
「マスター、会計」
「おうおう。そこの嬢ちゃんの分も含めて……ま、今回はサービスでこれで勘弁してやる」
マスターはそう言って5本の指を立てる。
「随分安いな。ありがとう」
財布から五千円札を抜きマスターに渡し、どうしようかと考えながら星歌先輩の脇から腕を回す。
「あーもう。身体触りますからね、星歌先輩」
星歌先輩を背負うと、アルコールに酔って上がった体温が背中から伝わって心地良い。
明日の朝車は取りに来ると言い残してバーを出て、適当な場所でタクシーを捕まえて乗り込む。
「ん……」
カーブに差し掛かり、星歌先輩と頭が俺の肩にのしかかる。
「……はぁ」
ため息をつき、ぐらりと揺れる星歌先輩の頭を優しく支える。
伝わる体温、聴こえる息遣い、柔らかそうな唇。
「好き、だなぁ……」
星歌先輩は俺を『変わった』と言ったが、実際は何も変わってはいない。
10年前から何も変わらず、俺は星歌先輩が好きらしい。
ー評価をつけてくださった方ー
黒蛇二等兵さん、タマンさん
ありがとうございました!
追記
タグがおかしなことになっていたので修正しました。