〇伊地知虹夏の黙視録 その2
最近、お姉ちゃんと日向君が付き合い始めた。
今日の夜ご飯の肉じゃがを3人分作りながら、ソファに並んで座ってバラエティー番組を見ている2人を見る。
2人から直接聞いた訳じゃないけど……ほら、なんていうか、空気で分かる。
「……ん?こっちをじっと見てどうかしたの?やっぱり何か手伝った方がいい?」
私の視線に気づいた日向君が、ソファの背もたれに肘をついてこちらを見る。
ううん、大丈夫だよ、と笑いながら手を振ると、日向君は特に疑問に思うこともなくまたテレビの方を向いた。
「日向君って結構鋭いよね……」
危ない危ない、と肉じゃがに落し蓋をしながら胸を撫で下ろす。
家事が出来る日向君には手伝ってもらいたいけど、そこでお願いするともれなくお姉ちゃんまでついてくるからなぁ。
ただでさえ広いとは言えないこのキッチンに3人も入るとまともに動けなくなるし、何より……あのピンク色の空気感を至近距離で浴びたらぼっちちゃんでなくても溶けてしまうかもしれない。
「いいところなのにCMか。俺煙草吸ってきますね」
いや、今日1日でもう何本目?
ベランダに置かれた、吸殻の山盛りになった灰皿を見ながら心の中で突っ込む。
「そうか。じゃあ私もついて行こうかな」
いや、お姉ちゃん前までそんなに吸わなかったよね。
前は1日に2~3本吸うか吸わないかだったのに、日向君と付き合い始めてからお姉ちゃんは間違いなく煙草の本数が増えた。
こうしてニコチン中毒者は増えていくんだなぁって。
私は絶対に吸わないぞ、と意識を新たにする。
「星歌先輩、前までそんなに吸わなかったんですよね。身体に悪いんですから控えてくださいよ」
いや、それ日向君が言うの?
「1日に2箱近く吸ってるお前に言われたくないぞ」
いや、そこだけはお姉ちゃんに賛成だよ。
「星歌先輩は女性なんですから、身体を大切にしてくださいよ」
いや、日向君も大切にしてよ。
むしろ過労、飲酒、喫煙の3コンボの日向君の方が心配だよ私は。
「私はいいんだよ。お前の先輩だからな」
いや、どういう理論?
「え、えぇ……そう言われましても……」
いや、そこはちゃんと切り返そうよ。
そんなんだからいつまで経ってもお姉ちゃんの尻に敷かれたままなんだと思うな。
「ほら。四の五の言わずにベランダ行くぞ」
「はぁ……分かりましたよ」
日向君は不服そうにしながらも、お姉ちゃんに引きずられるようにベランダへと出て行った。
「……はぁ~」
2人で並んで煙草を吸う姿を窓越しに見ながら、私はため息をつく。
心の中でとはいえ、あの2人の会話に突っ込むのも疲れる。
「今日リョウの家に泊まろうかな……疲れたなぁ……」
そんな愚痴を吐きながら、私は鍋の火をとろ火に落としてテレビに目を向ける。
2人はまだベランダで煙草を吸いながら喋っているけど、バラエティー番組のCMはとっくに終わっていた。
〇28歳で学生服はキツイって
「先輩は~制服着てる写真ってないんですか~?」
ある日のSTARRY。
まだ結束バンドの子達が来ていない大人だけのライブハウスで、パソコンを使って記事を書く俺を邪魔していたきくりが、唐突にそんなことを言い出した。
例のごとく手には鬼ころの紙パックが握られており、いつも履いている下駄はあちこちに散乱している。
「なんだよ唐突だな。つーか何で当たり前のようにうちにいるんだ」
「シャワーありがとうございま~す」
「金とるぞ」
星歌の言い分はもっともである。
これまで頼りにしていた俺の家から『星歌と付き合い始めたからもう1人では来ないでくれ』という理由で追い出されたきくりは、伊地知家に厄介になることが増えたらしい。
いや、まだ付き合い始めたことは言ってないんだが。
そんなこんなで伊地知家に入り浸ることになったようだが……こんなことになるならお前の家を使わさせてやれよ、と言いたくなる奴も多いと思うが、きくりを家に上げると星歌が怖いんだよなぁ。
「いや~、妹ちゃんを見てると先輩にもあんな時期があったのかな~なんて気になっちゃって。やっぱ伊地知家の遺伝子バグみたいな感じなんですか~」
「お前の酔いを死という方法で醒ましてやろうか」
なにやら物騒なことを星歌が言っているが、いっそのこと殺ってしまってほしい。
……いや、嫁が殺人犯は嫌だな。
「ね~ね~、日向ちゃんは先輩の制服の写真とか持ってないの~?」
話の矛先が俺に向く。
仕事も丁度良いところまで終わったということで、パソコンを閉じながら星歌の写真の在り処を思い出す。
「んー……家の押し入れの中を探せば何枚か出てくるんじゃないかな。母さんが生きてた頃に作ってたアルバム、捨てずに残してあるはずだし」
「まじ~?じゃあ今から日向ちゃんの家にゴー!先輩の制服姿の写真見たいしね~」
「やめろ。お前は日向の家に上がるな」
下駄を履いて俺の手を引くきくりを星歌が締め上げる。
「てか、私服の高校だったから制服を着た記憶もあまりないしな。中学の頃の写真はどこにしまってあるか分からん」
「ま、それもそうですね」
そもそも星歌がまともに学校にいた記憶もないが。
「えぇ~、PAさんは?」
「同じく~」
「つまんね~~~!!!」
きくりはそう言って、STARRYの床に寝転がる。
汚いぞ、と注意してやろうかと思ったが、元よりボロ雑巾みたいな奴だしまぁいいか。
「高校も1年で辞めましたしねぇ。思い出は何もないですね」
死角から重たそうな過去をぶっこんでくるPAさん。
何でSTARRYにはまともな大人がいないんだ、と頭を抱えたくなる。
「あー……触れていいか分からんが、何で中退したんだ……?」
「朝起きれなくて単位落としまくって留年決定したからです~」
『だから夜型の仕事最高です~』と平然と言い放つPAさん。
し、しょうもねぇ……。
「じゃあじゃあ!日向ちゃんはどうなの……ってそっか~、先輩と同じ高校だから制服なかったんだよね~」
「ん、まぁそうだな。もっとも、あったところでお前には見せねぇよ」
「ぶ~、ケチ~」
「というか、人の写真が見たいならまず自分の写真を持ってきたらどうだ?ねぇのか?」
俺がきくりにそう訊くと、当のきくりは『あ~……』とか言いながら渋い顔をした。
「……よーし!せっかくだし制服でも着て記念に写真撮りましょうか~!」
「あっ、はぐらかしましたね」
「ですね」
どこからか高校の制服らしき服を取り出したきくり。
俺とPAさんが頷く中、星歌が目を剝く。
「おまっ、それ」
「先輩のクローゼットの奥に隠されてた服を持ってきました~」
「お前遂に人の部屋にまで入りやがったな!?」
「星歌先輩……何を持ってるんですか……」
「そうですね~、どうしてこんなの持ってるんですか?」
俺とPAさんが目を向けると、星歌は露骨に目をそらした。
「これは……ほら、アレだよ、ライブハウスの落とし物だよ。保管してたんだ」
「うーん苦しい」
「ほらほらほら、たくさん出てきますよ~」
まるでマジシャンのようにポイポイと服を出していくきくり。
女物だけではなく、ちらほらと男物の制服も見える。
「分かった!着るからそれ以上出すな!着るから!」
悲鳴にも似た星歌の懇願の声に、きくりがにやりと笑う。
「え~、着てくれるんですかぁ?それじゃあ……先輩はこれで~」
きくりはそう言って、桃色のカーディガンの制服を星歌に渡す。
星歌にはセーラー服だろ、と言いたくなったが我慢しておく。
俺だって命は惜しいのだ。
「面白そうですし、私も着てみたいですね~」
「じゃあPAさんは~、これ!」
PAさんに渡されたのは、紺色のオーソドックスなタイプだった。
分かってるじゃん、と言いたくなったがこれも我慢しておく。
星歌の前でちょっとでも他の女を褒めると鉄拳が飛んでくるのだ。
何度も言うが、命は惜しいのである。
「じゃあ、ここで着替えるなら俺は一旦出ていきますね。外で煙草でも吸ってきます」
ポケットから煙草を取り出しながらSTARRYを出ていこうとすると、ズボンのベルトを星歌に掴まれる。
「お前も着るんだよ」
「は?」
「お前も、着るんだよ」
笑顔でサムズアップをする星歌の背後に、『絶対に逃がさないからな』という文字が浮かんで見える。
「いやいやいやいや!どうして俺まで……というか、俺のサイズの制服なんてないですよね!俺身長186あるんですよ!」
「あるんだな~、これが~」
必死の抵抗をする俺に、きくりが服を渡してくる。
綺麗に畳まれたそれを開くと、確かに俺が普通に着られるくらいのサイズだった。
「な、何でこんなサイズの制服まで……」
「どうだっていいだろ。お前も着るんだよ。それとも何だ、私が着るってのにお前は着ないのか?先輩の言うことが聞けないのか?あ?」
「都合のいい時だけ先輩を出してこないでくださいよ!」
「うっさい!つべこべ言わず着てこーい!」
そんな怒鳴り声と共に尻を蹴られ、楽屋に押し込まれる。
背後からPAさんの『店長も素直じゃないですね~』という声が聞こえてきたのを最後に、ドアはバタンと閉められた。
さっさと出ていきたいが、万が一PAさんが着替えていたら申し訳ないので、ドアが開けられない。
「はぁ……」
ため息が出る。
どうして28にもなって制服なんて着なくちゃいけないんだ。
「でも、着なかったら着なかったで星歌怒るだろうしなぁ……はぁ……」
もう一度ため息をつくと、俺は床に散らばった制服を拾い上げる。
「……ブレザーか」
中学の時は学ランだったし、高校は野球部の対外戦以外で正装を着る機会がなかったし、思えばブレザーは着たことがない。
「ま、いい機会だしちょっと着てみるかぁ」
着る要領はスーツと同じだろう。
パッパッパと手早く着替えネクタイを締め、鏡の前で自分の姿を見てみる。
「お、おぉ……」
意外とまだいけるんじゃないか?
高校なんて10年前に卒業したが、まだ俺もそこまで老けていないらしい。
鏡の前でくるくると回り全身を見るが、おかしな点は見当たらない。
これで通学バッグでも背負っていたら、高校生と見間違えられてもおかしくないだろう。
「ふふふ……」
自分の若さが怖い。
くつくつと声を殺して笑っていると、ドアがコンコンとノックされる。
「店長が、着替え終わったら出て来いって言ってますよ~」
「ああ、はい。今行きますよ~」
「……木村さん、何か笑ってますか?」
「イッ、いえいえ!笑ってませんよ!」
こほんと咳払いをしてドアから出る。
すると既に星歌の撮影会が始まっており、制服姿の星歌は俺を見るとプイっとそっぽを向いた。
「いいですね~、スクールカースト上位に君臨してるけど本当はアニメ好きでオタクに優しいヤンキー系ギャル!」
「なんだよその気持ち悪ぃ設定……」
「俺、星歌にはセーラー服だろって思ったけどこれはこれでいいな」
「だよね~。あれ?いま呼び捨てに……」
「お前達どっちも死ね!」
きくりが何か言いかけたが、それを打ち消すように星歌が顔を真っ赤にして怒鳴る。
俺がスマホのカメラを向けると机の陰に隠れてしまったので、後できくりにもらうことにしよう。
「ま、いいや~。PAさんは……清楚系女子高生と思いきや実はピアスゴリゴリの治安悪い系女子!」
「初ブレザー、悪くないですねぇ」
PAさんが今何歳かは知らないが、マジで似合ってる。
……カメラを向けようとしたら机に隠れている星歌からスリッパが飛んできたので、この写真も後できくりにもらうとするか。
「最後は日向ちゃん!……って思ったけど、何か普通?」
「うっさい。お前が着せたんだろ」
「無難に似合ってるな」
「ですね~。高校生って言われても、ちょっと大人びてるな~って思うだけであんまり気にならないくらいには」
3人からスマホを向けられ、パシャパシャと写真を撮られる。
「……そうだ!日向ちゃん、一番上のボタン開けてネクタイ緩めてヤンキー座りしながらタバコ咥えてみてよ!」
「注文が多いな……こうか?」
きくりに言われた通り、制服を着崩し煙草を咥えてしゃがんでみる。
すると、3人がオーッと歓声を上げた。
「いいね~!一気に治安が悪くなったね~!」
「深夜のコンビニ前にいそうだな。きったねぇ原チャ乗って」
「尾崎豊の曲に出てきそうですね~」
「「分かる~」」
ワイワイと盛り上がる3人の輪に俺も加わり、きくりのバッキバキのスマホで写真を見てみる。
「まだ私も10代と張り合えますかね……ふふふ……」
「いけるいける!先輩と日向ちゃんもいけるって!」
「そう言われると私もいける気がしてきたな。おい日向、今から高校行ってみるか?」
「いや行かないです。けど、俺達もまだ若いってことですね」
「おはようございま~す!」
俺達が盛り上がる中、喜多ちゃんの元気な声が聞こえてくる。
「あれ?店長たち何かの罰ゲームですか?」
「げっ!?おねーちゃんに日向君も何やってるの!?」
きらきらと輝く現役女子高生の肌。
あ、これは勝てない、と隣の星歌の脚を見た瞬間、俺の顔面にグーがめり込んだ。
「ぶべっ!?」
「おい日向……今の目はなんだ……?」
「ぶぎゃっ!?」
地面に倒れ込んだ俺の背中に星歌が踵を落とす。
「そして喜多郁代……そこに直れ」
「フルネーム!?あと何で怒られるんですか!?」
「毎月肌ケアに3万円もかけてるのに……」
「や~、やっぱり10代のフレッシュさにはかなわないね~」
「えっ何ですか……」
四つん這いでめそめそと泣くPAさん、正座で星歌に頭をグリグリとされる喜多ちゃん、全てを悟った表情で虹夏ちゃんと肩を組むきくりに、それを見てドン引く虹夏ちゃん。
収拾のつかなくなったこの事態に、俺はとりあえずPAさんを慰めるところから始めるのだった。
……それと、後日星歌とPAさんの制服姿の写真はきちんときくりからもらっておいた。
〇前を向いて歩こう
「やっぱり寒いな……」
コンビニから出た俺の身体を、冷たい風が襲う。
そんな、愚痴に似た独り言がついつい口の端から漏れる。
すっかり夏も過ぎ去った9月の終わり、日付を跨ぐか跨がないかというこの時間はかなり寒くなっている。
昼間が暖かいだけに、夏用か冬用かどちらのスーツを着ようか迷ったりする。
「……ん?」
コンビニ前に置かれた灰皿で一服しようとするが、何度ホイールを回しても火花が散るだけで火が点かない。
おかしいな、と思い面倒ながらケースからインサイドユニットを引き出してみると、フェルトはカラカラに乾いてしまっていた。
よく考えれば、ここ1週間近くジッポにオイルを差した記憶がない。
「はぁ……使い捨てライター持ってたかなぁ……」
普段使いしている鞄になら入っていたような記憶があるが、生憎今日は違う鞄なのである。
足元に置いた鞄に手を伸ばそうとした瞬間、隣でボッという音がして咥えた煙草に火がともる。
「え……あ、ありがとうございます」
気を利かせた人が火を貸してくれたのだろう。
隣を向いて心優しい人の顔を見ると、凄く見覚えのある顔だった。
「よっ。久しぶりだな」
「あ、あなたは……」
確か、星歌と一緒にいたバンドマン。
仕事帰りで油断していた身体に、一気に緊張が走る。
「自己紹介した記憶がないから、改めて名乗らさせてもらうな。俺は神崎誠也。アンタは確か……」
「……木村日向です」
「そうそう。星歌もそう言ってたな」
キャメルを吸いながら笑うこの男は、かつて星歌と一緒に居た男のはずだ。
星歌とデートした日以来顔を合わせたことはなく、今後一生関わることなんてないと思っていたが……まさか偶然出くわすとは。
いや、そもそも本当に偶然なのか?
星歌からどこまで聞いているか知らないが、まさか尾けられたりはしていないよな?
「いやー、仕事帰りに偶然コンビニでアンタを見つけたからさ。ちょっと話してみようと思ってね」
「そうですか」
俺は話したくはないけどな。
何の罰ゲームで、付き合っている彼女の元の彼氏と話さなくちゃいけないんだ。
「それにしても大きいな。幾つくらいあるんだ?」
「185か186くらいじゃないですかね」
「へぇ、そりゃ大きいな……体重は?あ、というか、今年で幾つになるんだ?」
「29です。体重は……今は80前後じゃないですかね」
「っつーことは、俺や星歌の1つ下か。ま、星歌から後輩とは聞いてたけどさ」
この人、本当にどこまで知ってるんだ?
出来る事なら俺と星歌が付き合い始めたことは知らないで欲しいが。
……もし知っていたら、1発2発殴られることは覚悟しておいた方が良さそうだ。
「そんな怖い顔しないでくれよ。さっきも言ったけど、たまたま見かけたからちょっと話をしようと思ってるだけだって」
よっぽど嫌な顔をしていたのか、男は苦笑いを浮かべながらそう言う。
この台詞を信用して良いのかは分からないが、とりあえず嫌な顔は失礼だからやめよう。
「……いえ、嫌な顔なんてしてませんよ」
純度100パーセントの営業スマイルをする。
俺の表情を見た男は『そうか?なら悪かった』とか言いながら特に疑うことはせず煙草を吸う。
俺は3分の2くらいまで吸った煙草を灰皿に捨てると、スーツの襟を正して男の方を向く。
「話がこれで終わりなら失礼しますが……」
「ああ、もう少し待ってくれよ。時間がないってなら別だけど、大丈夫なら訊きたいことがあるんだ」
「……分かりました。時間は大丈夫です」
色々考えた結果、俺は仕方なくそう返す。
さっさと帰るのも選択肢の1つだが、後日ゆっくり話す機会を設けられたくはないのでここでケリをつけておくことにする。
「ん、悪いな。そんなに時間はかからないからさ」
「いえ。それで、訊きたいこととは?」
まぁ、大方俺と星歌についてだろう。
「んー……ま、夜も遅いし単刀直入に訊こうか。星歌と付き合い始めたんだってな。聞いたよ、あいつから」
ほらきた。
……というか、星歌は余計なことを言いふらしてるんじゃねぇよ。
「……まぁ、そうですね」
嘘をついて後々厄介事に巻き込まれたくもないので、正直に答えておく。
「お前さんがどこまで知ってるか分からないけど、俺大学時代に星歌と付き合ってたんだよね。今はお互い何ともないから星歌がどんな男と付き合ってても口出しする権利なんてないけど……ま、気になるじゃん?」
「……そうですか」
「そ。それで、俺実は今でも星歌のこと好きなんだよね。そんな星歌がおかしな奴と付き合ってたりしたら、流石に一言言ってやろうかと思ってさ」
ああ、そう言えばあの日、星歌はこの人から告白されてたんだっけ。
ドライブ中に言われたことをふと思い出す。
そんなことを思い出していると、男は俺を上から下まで舐めるようにじっと見つめていた。
「まぁ見る限り普通っぽいし、『アイツは辞めとけ!』みたいなことは星歌に言わなくていいかな」
「普通だと思いますよ、自分は」
「星歌の好きな相手をなるべく否定したくはないし、良かったよ。でも……」
男はそこで言葉を一旦区切り、フィルターギリギリまで吸った煙草の火をアスファルトで踏み消す。
「……そうだな。素直におめでとう、とは言えないかなやっぱり。俺星歌のこと好きだし。アンタにこんなこと言うのもお門違いとは分かってるんだけどさ」
まあ、そうだよな。
俺だってこの人の立場だったら同じことを思うだろう。
一歩間違えたら俺がこうなっていたのかもしれないと考えていると、スマホが震える。
「お、電話か?いいよ出て」
「あ、すみません……」
着信先の名前を見ると、編集長だった。
電話に出ると、ワーカホリックの編集長らしく手短に用件だけ告げられ、30秒もしないうちに電話は切れた。
「何、仕事先からの電話?もう12時過ぎてるってのに大変そうだな」
「ええ、まぁ」
「仕事って何してるの?営業?」
コンプレックスを刺激されるので、この人と仕事の話はしたくない。
そんな意味を込めてつっけんどんに返したつもりだったが、それは伝わらなかったらしい。
俺はため息を我慢しながらスーツの内ポケットから名刺を取り出し男に渡す。
「雑誌社でスポーツライターをやらさせてもらっています」
「あ、これは丁寧にどーも、ってしまった。俺の名刺はバイクの中か」
「いえ、自分が勝手に渡しているだけなので大丈夫ですよ」
「そう言ってくれると助かるな。一応、俺は音楽関連の仕事やらさせてもらってるんだ。ミックス、って分かるかな?」
「ミックス……?」
「分からないか。ま、音楽関連の用語だし分からなくて当然なのかな?」
男は笑いながら、ミックスとは何ぞやということを語り始める。
説明を聞く限り……CDを作る人と考えて良さそうだ。
そして一通りの説明を終えると、スマホのライトで照らしながら俺の名刺を見る。
「うおっ、ここ超大手の雑誌社じゃん。スポーツだけじゃなくて、音楽とか芸能とか色んな雑誌出してるよな?」
「ええ……と言っても、自分にもよく分かっていない部分も多々ありますが」
俺の勤める雑誌社は、スポーツ以外にも様々なジャンルで週刊誌や月刊誌を出していたりする。
音楽関連も週刊誌と月刊誌で2種類くらいあった気がするな。
「へー……」
男は、俺の名刺を眺めながらそんな声を出す。
おかしな名刺じゃなかったと思うが、何だろうか。
「……やっぱ、生活って安定するよな。企業勤めだと」
「……?まぁ、それなりには」
たっぷり1分は名刺を眺めていた男は、不意にそんなことを言う。
俺はギャンブルや過剰な無駄使いはしないし、ある程度は安定している……というか、それなりに大手の会社に勤めて普通に働いて安定していない方が嫌だ。
すると、男はため息をつきながら俺の名刺を胸のポケットに仕舞った。
「いやさ、やっぱ音楽関連の仕事って安定しないのよ」
「そうなんですか?」
「ああ。昔からの夢だった音楽に関わる仕事には就けたとはいえ、ここまで安定しないとは思わなかったって感じ?あ、煙草吸う?」
「あ、なら……」
俺は煙草に火を点けてもらう。
いつの間にか煙草を咥えていた男はゆっくりと煙を吐き出すと、背中を反らして空を見上げる。
「俺はまだギリギリ生活できてるから恵まれてる方なんだけど、やっぱ周りには音楽だけじゃ食っていけない奴が多くてさ。毎日必死こいてアルバイトした金が全部ノルマに消えて泣いてる奴とか、良いバンドなのに売れなくて辞めていく奴なんてザラでさ……俺もいつかああなっちまうのかなって、心配になる時がたまにあるんだよねぇ」
「……夢って、叶えてもつらいんですか?」
俺は、考えるより先に口を継いだ質問に自分で驚いた。
こんなこと訊くつもりじゃなかったのに。
すると、男は一瞬目を見開いてから笑った。
「当たり前じゃん。叶えて終わりじゃないって」
さも当たり前のことのように……いや、神崎さんにとっては当たり前なのだろう。
そう言い放った神崎さんを、俺は今までどんな目で見ていたのだろうか。
『俺と違って夢を叶えた』という都合の良い外側にしか目を向けず、苦労や葛藤といった負の面だけは目を逸らす。
それでいて、あまつさえ敵視すらしていた。
「……すみませんでした。自分は、これまで神崎さんのことを勘違いしていました」
「えッ、いきなりどうした!?」
深々と頭を下げた俺に困惑したような声を出した神崎さんだったが、俺が言葉を繋ぐよりも早く俺の肩をポンと叩いた。
「よく分からないけど頭上げてくれよ。いきなり謝られても困るって」
「でも……」
「いいっていいって。ぶっちゃけると、俺もアンタのこと勘違いしてた節があるし、お互い様だって」
「え?」
顔を上げると、神崎さんは照れたように笑っていた。
「俺さ、正直あんまりアンタに良い感情持ってなかったんだよね。話してても結構暗そうな雰囲気だし、何で星歌は俺じゃなくてコイツ選んだんだろうなって思ったりしたよね。いやぶっちゃけ」
「はぁ……」
いきなり悪口を言われたが、ド正論過ぎて何も言い返せない。
すると神崎さんは、でも、と呟いた。
「……うん、そうだな。木村って、よく堅物とか言われたりしないか?」
「いや、そんなに……」
言われたことはない。
よっぽど俺が困った顔をしていたのか、神崎さんはプッと噴き出した。
「いーや、俺には分かる。堅物じゃなかったら、この状況で俺相手にわざわざ謝ったりしないって」
「そんなことはないと思いますけど……」
「いや謝らないね。少なくとも俺なら、『あーこのオッサン不幸自慢してら』とか思っちまうし」
再びフィルターまで煙草を吸った神崎さんは、火を消さずに灰皿へ煙草を放り込む。
水に落ちて、ジュッと火が消える音がした。
「知ってると思うけど、星歌ってかなり苦労と我慢をして今のライブハウスを作った訳よ。そんな星歌の隣には、アンタみたいな奴の方が合ってるのかなって」
「そう、ですか……」
「うん、そうそう。今なら素直におめでとうって言えるよ。おめでとさん」
神崎さんはそう言って俺の背中を叩いた。
「星歌のこと、大切にしてやれよ」
「もちろん」
「フッ……それを聞きたかった」
「ブラックジャックですか?」
「お、初めてそのツッコミしてもらえたな。アンタ良い奴だな。色々勘違いされそうだけど」
ケタケタと笑う神崎さん。
「まーでも、そうだな。もし別れたら真っ先に俺に報告しろよ?その時は俺が星歌をもらいにいくからな?」
「えっ!?」
「冗談だよ冗談。ホント、弄り甲斐のある奴だなぁ」
「こ、怖いこと言わないでくださいよ……」
ま、そんな報告しないけどな。
悪いとは思いながらも内心ちょっとだけマウントをとりながら、俺は背中を叩く神崎さんの手からするりと抜け出すのだった。
ー評価してくださった方ー
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