番外編#1 あべこべ世界
「ん……」
いつものような喧しい目覚まし時計の音とは違う、チュンチュンという平和そのものな鳥の鳴き声で目を覚ます。
まだぼんやりと霞んでいる目を擦りながら枕元に置いた時計を見ると、その針は朝の7時を示していた。
平日の出勤前のようにバタバタとではなくゆっくりとシャワーを浴びて歯を磨き、インスタントコーヒーの粉の入ったマグカップにお湯を注ぐ。
そして、それと今朝の朝刊を持ってベランダに出て、蝉の声を身体で感じながらゆっくりと煙草を吸う。
アイツの影響で吸い始めた煙草だったが……今では、なくてはならない物となってしまった。
『When evening falls……She‘ll run to me……』
灰皿で火を揉み消し朝刊を開いたところで、ポケットに入れたスマホが震える。
この着メロを設定しているのは1人しかいない。
「もしもし?」
着信相手の名前を見ることもせずにワンコールで電話を取る。
夜遅くまで仕事をしているアイツがこんな朝から電話をかけてくるなんて珍しいこともあったものだ。
『もしもし?起きてた?』
「ああ、起きてたよ」
『なーんだ。今日お仕事休みだって聞いてたから、モーニングコールしようと思ってわざわざ早起きしてみたのに』
予想通り、昔から聞き慣れた幼馴染の声が聞こえてくる。
悪戯に失敗した子供のような少し不貞腐れた声に、俺は思わず口角が上がる。
「普段仕事で早起きしてるからな。このくらいの時間に起きるのが習慣になってるんだよ」
『そっか~』
「で?何か用事があるからかけてきたんだろ?どうしたんだ?」
今日の夜、俺達は会う約束をしている。
何か用事があればその時に話せば良いはずだが……と、俺の脳裏を嫌な予感が駆け巡る。
しかし、そんな嫌な予感はすぐに杞憂に終わった。
『ん、ん~……その、ね?日向君、今日って1日空いてたりする?』
「ん?まぁ空いてるけど」
今日明日と2日間有休を取ったし、今日1日は特に何もないはずだ。
見えないと分かっていながら首を縦に振って答えると、スマホの向こう側から深呼吸が聞こえてきた。
『その……昨日、明日日向君と会うって従業員の子に喋ったら『明日は私達だけで営業するから店長は休んでください!』って言われちゃってさ。私も今日1日フリーなんだよね』
照れくさそうな声。
マジ?と言いたくなるのをグッとこらえて、煙草に火を点ける。
「そうか」
『うん。明日はSTARRYもお休みだし、久しぶりにどこか行かない?』
「そうだな。じゃあ、10時くらいにお前の家に到着するようにしておくよ」
ただでさえ会うのはひさしぶりだというのに、こんな嬉しい誤算があるとは。
俺の手は、無意識のうちにポケットの車の鍵へ伸びていた。
『じゃあ、待ってるね』
「おう、またな。虹夏」
番外編#1 あべこべ世界
「おじゃましまーす」
午前10時ぴったり。
虹夏から貰った合鍵で伊地知家に入った俺は、後ろ手でドアに鍵をかける。
「もう。『おじゃまします』じゃなくて『ただいま』で良いっていつも言ってるでしょ?」
そう言って居間から出て来た虹夏は、年齢に見合わず可愛らしい桃色のエプロンを付けていた。
ドアの隙間から良い香りが漂ってきたが、一体何を作っているのだろうか。
「悪い悪い。あれ?俺のスリッパどこ?」
「へたってきたからこの間買い換えておいたよ。そのえんじ色のを使って」
虹夏の指さすえんじ色のスリッパを履き、ザッと手を洗って居間へ入る。
この匂いは、さては肉じゃがだな?
「あ、おはようございまーす」
「ああ、おはよう星歌ちゃん。学校はもう休みかな?」
「もう夏休み。それより日向さんは今日仕事じゃないの……って、そうか。今日は休みなんだっけ」
「そ、今日明日と有休取ったからね。やっと取れたよ」
居間では、星歌ちゃんがソファに寝転がってスマホを触っていた。
俺がソファの端に座ると、その俺の太ももの上に足首を乗せてくる。
「こら星歌ちゃん。日向君の上に足を乗せないの」
「えー……」
「えー、じゃない」
「はいはい」
「はいは1回!」
お姉ちゃんの圧には勝てなかったようで、星歌ちゃんは唇を尖らせながら足を降ろす。
俺は別に良かったんだけどね。
「お昼は肉じゃがか?」
いつまでも眉間に皺を寄せていると虹夏が老けるということで、俺は話題転換を試みる。
「うん。日向君好きでしょ?」
「好きだけど、朝から悪いな。外も暑いってのに」
「いいよ。私も料理好きだしね~」
すっかりいつもの表情に戻った虹夏が鍋の中を覗き込みながらそう言う。
俺もソファから立ち上がると、ひょいッと味見をする。
あっ、と声を出した虹夏を横目にじゃがいもを味わう。
「うん、美味い。この間お前に教わった通りに作ってみたけど、同じ味にならなかったぞ?どうやってるんだ?」
「隠し味は愛情ってやつかな」
「いや普通に調味料の分量を教えてくれ」
「趣がないなぁ。まぁ考えられることとしては、日向君変な所でケチ臭いから味醂か何かをケチったんじゃないの?」
「ケチ臭くはないだろ」
俺がいつケチな姿を見せたんだよ。
そんな文句は、『私何か間違ったこと言った?』と言いたげな虹夏の一睨みで黙殺された。
お互いアラサーになっても、昔からの先輩後輩の関係は崩れなかったりする。
「くくっ……あはははははははは!」
それまで黙っていた星歌ちゃんがいきなり笑い出す。
「どうかしたのかな、星歌ちゃん?」
俺が訊くと、星歌ちゃんは目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら俺の顔を見た。
「ああいや……姉貴も日向さんも昔から変わらないなって。姉貴も日向さんのことをあんまり尻に敷いてばかりだと、愛想を尽かされちゃうんじゃないか?」
「なっ……」
虹夏が顔を驚愕の色に染めて俺を見る。
星歌ちゃんに言われたことに心当たりがあるのだろう。
尻に敷かれ気味なことを俺自身特段気にしたことはないが……ふと、嗜虐心が湧いた。
「あー、そうかもなぁ。虹夏と別れた後、誰か俺のことを貰ってくれる人いないかなぁ」
星歌ちゃんの方を見ながらわざとらしくそう言うと、星歌ちゃんも俺のやりたいことを理解したようでニヤーッと笑った。
「あたしとかどう?ちょっと離れてるけどイケるでしょ」
「なっ……!」
「まだ高校生だから犯罪だけど、もう少し経ったらそれでも良いかもなぁ。星歌ちゃん、今年で17歳だったよね?あと1年かな」
「ひなッ……!?」
「あたしは日向さんと付き合っても全然ありだなぁ。背が高くてカッコいいし」
「背が高い以外も言及してくれると嬉しいなぁ」
心の中でズッコケながら横目で虹夏を見ると、プクーッと頬を河豚のように膨らませていた。
可愛い。
「……じゃあ日向君と星歌ちゃんで付き合えばいいじゃん!」
明らかに拗ねたような発言。
とても、今年で30になるとは思えない可愛さである。
「ん、そうしようかな」
虹夏は『嘘だって』と言って欲しいんだろうが、星歌ちゃんと結託した時の俺はそうは甘くない。
トドメの一撃を見舞うと、虹夏はアッと目を見開いた。
凄く可愛い。
「……バカーッ!!!」
可愛くない声量で怒鳴り散らかした虹夏は、居間を飛び出して自分の部屋に引きこもる。
虹夏の部屋から聞こえてくる不機嫌そうにベッドに倒れ込む音に、俺と星歌ちゃんは顔を見合わせて笑った。
☆☆☆
「悪かったって。機嫌直せよ」
俺はそう言いながらウィンカーを点滅させて左折する。
助手席に座った虹夏は終始不機嫌そうな顔をしており、腕を組んでブー垂れている。
「許さないから。絶対許さないから。私とじゃなくて星歌ちゃんとドライブしたらいいんじゃなーい?」
「干支が一周近く離れてる子は無理だって。まして星歌ちゃんだし」
星歌ちゃんが生まれた時から知っている俺からすると、星歌ちゃんは妹のような存在だった。
成長過程を知ってるし、今更恋愛対象としては見られない。
それは向こうも同じだろう。
「ほら、詫びの代わりに好きな所連れていくからさ。どこ行きたい?」
「……日向君の家」
「えぇ、今から俺の家まで戻るのかよ……つーか、来ても何もないぞ。虹夏も知ってるだろ」
一人暮らしをしている俺だが、家は酷く殺風景だったりする。
元々そこまで物欲がないということもあり、友人から『刑務所』『独房』『一泊500円の西成のホテル』などと散々に言われている家だと虹夏も知っているはずだ。
「日向君の家に行かないなら今から帰るけど」
「分かったよ」
本当に何もないんだけどなぁ、と苦笑いをしながら家に向かう。
30分くらいかけて自宅のマンションに到着した時には、虹夏の機嫌もすっかり直っていた。
……というか、元々そんなに悪くなかっただろ。
「わー、日向君の家久しぶりかも」
「半年ぶりくらいか?会う時は基本下北沢だしな」
俺はそう言いながら、机に散らばった書類を拾って軽くファイリングしていく。
虹夏が来るとは思っていなかったので、仕事の書類が机の上に置きっぱなしなのだ。
片付けはこのくらいにして残りは後日……と棚にファイルを仕舞い込んでいると、急に後ろから服を引っ張られベッドに押し倒される。
「に、虹夏?どうした急に?」
マウントポジションを取って俺を見下ろす虹夏。
そんな虹夏は俺の質問には答えず、スッと柔らかなキスをする。
「お、おい。本当にいきなりどうした」
その質問にも答えてはもらえず、虹夏は俺に覆いかぶさるように首元へ腕を回し抱き着いてくる。
「寂しかったんだから。あんまり会えないのは分かってるけど、仕事仕事って」
「……悪かったって」
そう言って虹夏の背を軽く抱きしめる。
「今日1日一緒に居てくれたら許してあげてもいいよ」
「分かったよ、星歌」
これといって考えずに出た一言。
しかし、俺はこの一言に強烈な違和感を覚えた。
俺今、なんつった?
「……何?本当に星歌ちゃんのことが好きなんだ?」
咎めるような虹夏の言葉。
首元にしがみつかれているせいで顔は見えない。
「い、いや、違うんだ。口が勝手に……」
そう言いながら虹夏の背を撫でる。
……あれ?虹夏って髪が長かったよな?背中を撫でてたら手が髪に触れると思うんだけど?
あと、なんか虹夏がデカい。覆い被さられている感じ10センチくらい背が伸びてる気がする。
「へぇ、日向は星歌のことが好きなのか」
声も低くなった気が……いや、間違いなく低くなってる。
まるで星歌ちゃんみたいな……。
「なるほどな」
「せ、星歌……」
そう言いながら腕をベッドに突き立てて俺から離れた虹夏ちゃんの顔は……いつの間にか、星歌に変わっていた。
★☆★
「ほぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」
絶叫しながらガバッと顔を上げる。
いつの間にか周りの風景はSTARRYに変わっており、高校生の虹夏ちゃんが驚いたような表情で俺の顔を見つめていた。
「ゆ、夢……?」
はぁはぁと荒い息をつきながら現状を確認する。
確か今日は朝からSTARRYでダラダラしていて、昨日仕事が忙しくてやたら眠くて……居眠りしていたのか。
汗で張り付いた服が気持ち悪い。
「そ、そうだ!虹夏ちゃん!」
「ひゃっ!?ひゃい!?」
俺は椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、虹夏ちゃんの肩を両手で掴む。
隣のPAさんが「わぉ」と呟いているが、今は気にしない。
どこからどう見ても高校生くらいにしか見えない。
「に、虹夏ちゃん。大人になってないよね?」
「いきなり何言ってるの!?」
「30歳くらいになってないよね!?」
「ホントに何言ってるの!?まだ高校生だよ!?」
「良かったぁ……」
ホッと胸を撫で下ろす。
するとそこで、虹夏ちゃんが俺ではなく俺の後ろを見つめていることに気づく。
「あ、あのね?そのー……夢の中で私のことを呼び捨てで呼んでくれてたのは嬉しいんだけどね?いや、ホントだよ?ホントに嬉しかったんだけどね?その……ね?」
「……?」
何やら言いづらそうにしている虹夏ちゃんの視線を追って背後を振り返る。
「よう……随分と良い夢を見ていたみたいだな……」
背筋が凍るような声。
虹夏ちゃんの視線の先では、笑顔の星歌が腕組みをして仁王立ちしていた。
しかも、笑顔といっても目は一切笑っておらず、全身から立ち昇る闘気が『ブチ殺す』と空中に文字を描いていた。
「なぁ日向。人間をドラムにしたら良い音が出ると思わないか?例えばそうだな……頭をハンマーで叩いてみるとかどうだ」
「いや、それはただの殺人では……」
俺が言い終わるより早く、星歌が工具箱からハンマーを取り出す。
虹夏ちゃん達はいつの間にかSTARRYから逃げ出していた。
「せ、星歌。弁明させてくれ。違うんだ……」
「人の妹と夢の中でイチャイチャした挙句私の名前を呼びながら悲鳴を上げて飛び起きるとかどういうことだぁぁぁ!!!」
「違うんだぁぁぁ!!!」
星歌の拳が脳天に叩きつけられ、ぐらりと揺れる視界の中俺は気を失ったのだった。
……後日、山田ちゃんが「夢オチなんてサイテー」と言っていたが、どういう意味なのかは分からない。
ということで今回は三十路スキー@JK星歌さんの『もしもJK星歌ちゃんだったら。」とのコラボ回でした!
最後にURLを貼っておきますので、皆様是非読んでください!
この場を借りて三十路スキー@JK星歌さん、ありがとうございました!
ー評価してくださった方ー
ノーツさん、tomo.sinさん、しめずぃいーさん、お似ささん、昼寝中さん
ありがとうございました!
……オリジナル主人公の日向君って、読者の皆様の中ではどんなイメージなのでしょうか。
『もしもJK星歌ちゃんだったら』→https://syosetu.org/novel/313752/
Twitter始めました→https://twitter.com/Rain777_BTR
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