「送信、っと……!」
ッターン!という効果音が付きそうな勢いでエンターキーを叩き、編集長へと明後日が期限の記事を送信する。
終わった終わったと言いながらカップラーメンをすすっていると、俺の記事を読んだ編集長から『OK』とだけ書かれた短いメッセージが入る。
今週は現在パ・リーグの首位打者争いを独走している選手へのインタビューが運良くまとまったのでネタに困らなかったが……さて、来週はどうしようか。
「ま、今考えても仕方ないか」
夕飯を作りながら次の日の夕飯のメニューを考える母親の姿が昔は馬鹿馬鹿しいと思っていたが、今は気持ちが分かる気がする。
とにかく、明日1日は特に用事がないので久しぶりの休日だ。
明後日も出社は午後からなので、たまにはどこか遊びに行くとしよう。
「つっても、行ける場所なんてたかが知れてるよな」
スマホをたぷたぷと操作しながら長い息を吐く。
世の中の社会人は休日に何をしているのだろうか。
「……星歌先輩の顔でも見に行くかぁ」
ずずっとカップラーメンの汁を飲み干し、ゴミを流し台に放り込んだ。
#4 アー写と痛みの古い写真
現在の時刻は午後1時。
星歌先輩に『明日行っても良いですか?』と連絡を入れたら『お前は関係者扱いにしてやるから昼以降なら5時前に来てもいいぞ』と返信が来たので、言葉に甘えてライブハウスにお邪魔させてもらうこととした。
差し入れにマドレーヌの詰め合わせを持って下北沢の街を運転していると、つい最近誕生日を迎えた金髪サイドテールを発見する。
声をかけようか、と思ったが、周りに友人らしき女の子が3人居るので辞めておこう。
だが俺が道を変更するより早く俺の車に気づいた虹夏ちゃんが、笑顔で手をブンブンと振る。
「あっ……ま、いいか」
別に悪いことをしてる訳じゃないしな、と虹夏ちゃんの隣に車を停めて窓を開ける。
「おはよう、虹夏ちゃん……と、その友達かな?」
髪留めを付けた女の子は見覚えがあった。
あの日のライブでベースを弾いていた子だ。
「そう!結束バンドのメンバーなの!ああ、みんなにも紹介するね。お姉ちゃんの後輩の日向君!」
「紹介の通り、星歌先輩の後輩の木村日向です」
誰だこのオジンは、と言いたげにぽかんとしている3人に対して虹夏ちゃんが俺を紹介する。
他の3人は顔を見合わせると、あぁ~と口々に呟く。
「もしかして、ずっと音信不通だった後輩さんですか?」
赤みがかった髪の女の子が目を輝かせながら顔を覗き込んでくる。
「え、多分俺のことだけど……何で知ってるの?えっと……」
「あ、喜多です!」
「喜多ちゃんね。改めて、どうして知ってるの?」
わざわざ虹夏ちゃんが話すとは思えないが……まさか、星歌先輩が?
「この間、星歌さんが愚痴ってた。10年も消息不明だったくせにひょっこり現れやがってって。あ、山田です」
喜多ちゃんに代わり、ベースの子……改め、山田ちゃんが答える。
「げ、その言い方だと怒ってるみたいだけど……」
「怒ってるって感じではなかったですよね?」
「うん。怒ってはなかったよね。まぁ日向君は昔からお姉ちゃんの尻に敷かれてるからね~」
ケタケタと笑う虹夏ちゃん。
「そうなのかな。そこのピンク色の服の子はどう思う?」
会話に上手く参加出来ていないジャージの子の方を見ると、その子はサッと虹夏ちゃんの背に隠れてしまった。
え、俺何かしたか?
「ほーら、ぼっちちゃん。日向君は怖くないから大丈夫だよ」
やはりオジサンはダメなのか、と若干傷ついていると、俺の心境を察した虹夏ちゃんが苦笑いを浮かべながら背後の女の子を前に押し出す。
「あっ……あっあっあっあっ……ご、ごごごっごごご……後藤ひとり、で、す……」
最後の方は蚊の鳴くような声だったが、ちゃんと聞き取れた。
「後藤ちゃん、ね。よろしく」
「よろしく……お願いします……」
ちゃんと自己紹介や挨拶が出来る辺り、ただ少し人見知りなだけのようだ。
……『少し』でないことを知るのは、もう少し後の話である。
「星歌先輩の話は一旦置いておいて、4人は何をしてるの?」
「アー写の撮影だよ。ほら、スタジオとか借りるとお金がかかるから、街中で良い場所探しててさ~」
「アー写……ああ、アーティスト写真のことか」
そういえば昔、星歌先輩にあっちこっち引きずりまわされてカメラマンやらされたっけ。
懐かしい記憶の余韻に浸りたいところだが、現役女子高生の前でそんなことをやったらいよいよ老害の烙印を押されそうなので辞めておく。
と、そんなことを思い出していると、山田ちゃんが俺の車の周りをぐるぐると回りながらあちこち見ていた。
「山田ちゃん、どうかしたの?もしかして傷でもあった?」
「……この車、アー写に良いかもしれない」
「あ、確かに!スポーツカーって映えますよね!いいですか?」
山田ちゃんの提案に乗った喜多ちゃんがパンと手を叩く。
「いや、俺の車を写真に使うのは全然いいんだけど……女子高生バンドっぽくなくない?」
「そうだよね。ちょっと背伸びしすぎ?ってなっちゃいそうだよねぇ」
「確かに……」
俺と虹夏ちゃんがそう言うと、喜多ちゃんはウームと唸ってしまう。
山田ちゃんはまだ俺の車を見ている。
WRXと共に映るアー写は、もう完全に頭文字Dの世界観である。
「アー写のスタジオ代くらい俺が出そうか?」
「えっ」
俺の言葉に真っ先に反応したのは山田ちゃんだった。
ボンネットをまじまじと見ていた彼女だったが、そう言うや否や猛スピードでずいっと顔を近づけてくる。
「じゃあ、新宿にある有名バンドがこぞって使うスタジオを……」
「こらこらリョウ!日向君にたからない!しかもそこ、凄く高い所でしょ!」
虹夏ちゃんが俺と山田ちゃんの間に割り込む。
「日向君の提案はすっっっごい魅力的なんだけど……こういうのって、私達結束バンドの力でどうにかしたいんだよね。だから、気持ちだけ受け取っておくね。ありがとう」
「……そっか。まぁ何かあったら気軽に話してよ。力になれることならやるよ?」
俺はそう言って財布から五千円札を抜き、虹夏ちゃんに渡す。
「今日暑いし、そのお金でみんなでサ店にでも行って休憩しな。お小遣いってやつだから、それは受け取って?」
頑張るこの子達に、このくらいはしても良いだろう。
そう考えていたが、結束バンドの4人は顔を見合わせて首を傾げた。
何か変なことを言っただろうか。
「えっと……サテンって何ですか?」
喜多ちゃんの何気ない一言。
え、今時サ店って言わないの?
「……じゃあ俺STARRYに居るから!」
ジェネレーションギャップに大ダメージを受け、何か言われる前に窓を閉めて車を発進させた。
☆☆☆
「言わない。もう令和だぞ」
「言わないですねぇ。久しぶりに聞きました」
「まじっすか……」
STARRYに着き星歌先輩の顔を見るなり『サ店って言いますよね?』と訊いたが、返ってきた答えは無情なものだった。
隣のスタッフさんにも言わないと宣告を受け、へなへなと椅子に崩れ落ちる。
「あ、星歌先輩の後輩の木村日向です。日向って呼んでください」
「私はここでPAしてます~」
そういえば自己紹介をしていなかったな、とスタッフさんに名刺を渡す。
ゴリゴリに開けられたピアス穴からヤンキー系かと思ったが、喋ると柔らかい雰囲気だった。
「お前ら、初対面のくせに結構息が合ってるな……」
幼児が飲むような紙パックのリンゴジュースを飲む星歌先輩。
昔も飲んでたなぁと懐かしい気分になる。
「あ、マドレーヌ持って来たんで。適当に食べてください」
「わぁ、ありがとうございます」
「気が利くじゃないか。ドリンクサーバーのジュース飲んでいいぞ。あ、車で来たならアルコールはダメだからな」
「ドリンクサーバーよりそのリンゴジュースください」
「はぁ?気持ちの悪い奴だな」
手を伸ばすと、星歌先輩はゴミを見るような目で飲みかけの紙パックを俺から遠ざける。
「そうじゃなくて……その手の商品、煙草のカートン買いみたいに幾つか繋がって売ってるやつですよね。新品ひとつ下さいって言ってるんですよ。何で星歌先輩の飲みかけなんて貰わなくちゃいけないんですか」
「私の飲みかけなんて、とはどういう意味だ?汚いとでも言いたいのか?」
「もう何を言ってもダメじゃないですか……別に汚いなんて思ってないですよ」
傍若無人もここまでくると清々しいな、なんて考えていると、PAさんから新品のリンゴジュースが投げ渡される。
それを半分近くまで飲み、ふぅと一息つく。
「ここ、禁煙ですか?」
「禁煙だ。吸いたかったら外に行け」
「煙草吸われてるんですか?嫌煙家って感じの見た目ですけど」
「まぁぼちぼち」
嘘だ。ぼちぼちでは済まない。
煙草の値上がりが財布に厳しい、今日この頃である。
「そうだ。日向さんって、店長の幼馴染なんですよね。聞きましたよ?」
「ん……まぁ」
悪戯っぽく笑うPAさん。
「店長って、学生時代どんな人だったんですか?気になります」
「星歌先輩なら……」
7歳までおねしょしていたことを言おうとした瞬間、背中に悪寒が走った。
『余計なことを言ったら殺す』と目だけで圧をかけてくる星歌先輩。
「……星歌先輩なら、今とそんなに変わらないですよ。ええ」
これで良いですか、と目線を送ると殺気は治まった。
どうやら許されたらしい。
「ちぇー、そうなんですか。2人の写真とかはないんですか?」
それでもなおもPAさんは引き下がらず、果敢に俺達のことについて掘り下げようとしてくる。
だが、ド直球に『付き合ってたりしたんですか?』などと訊いてこないのはありがたい。
「俺は……今はないかなぁ。家の押し入れの中を漁れば出て来るかもしれないけど」
星歌先輩もないだろう、と思っていたが、先輩はすっすっとスマホを操作して1枚の画像を表示して机の上に置く。
「うげ……」
写真を見た瞬間、蛙が潰れた時のような声が出てしまった。
「……これ、日向さんですよね?中学か高校くらいですか?」
星歌先輩が出したのは、俺が中学3年生時の野球の写真だった。
着ているユニフォームが中学時代のそれなので、間違えるはずがない。
「この間昔の写真を整理していたら発掘してな」
「何故にわざわざ俺が打たれて負けた試合の写真をチョイスしたんですか」
「野球部だったんですね~」
不貞腐れる俺と、呑気に笑うPAさん。
忘れるはずもない、この試合は星歌先輩が来てくれていたので絶対に勝ちたかったのだ。
……が、現実は甘くなく、9回表に俺が決勝タイムリーを打たれ、ラストバッターも俺だったはずだ。
ちなみに、俺の記憶が正しければ空振り三振である。南無。
「どうしてわざわざこの写真なんですか。発掘するにしても、もっとマシな写真はなかったんですか?勝った試合とか……」
「生憎、これしか見つからなくてな」
「じゃあわざわざスキャンしなくていいですから……ほら、消しますからスマホ貸してください」
俺が星歌先輩からスマホを取り上げようとしたが、ひょいとかわされてしまう。
「……星歌先輩?」
「何で消すんだ、こんな良い写真を」
「良い写真って……俺からしたら消して欲しい記憶ですよ。家帰ったら勝った試合の写真をスキャンして送りますから、そっち消してくださいって」
「断る」
星歌先輩から絶対に消さないという強い意志を感じ、ムっとする。
消した後のフォローをしないのではなく、きちんと違う写真を送ると言っているのだから消してくれてもいいじゃないか。
「こうなったら力尽くで……」
俺が立ち上がると、星歌先輩はギョッとしたように椅子に座ったまま後ずさる。
「ち、ちょっと待て、力で敵うわけないだろ」
「分かってますよ。だからやるんじゃないですか」
「変態が……!」
「スマホ渡してくれるだけでいいんですよ!」
俺が星歌先輩の手からスマホを奪い取ろうとすると、その手から離れたスマホはポーンと放物線を描いてPAさんの手に渡る。
「PAさん!貸してください!」
「日向に渡したらクビにするからな!」
「えぇ……」
困ったように俺と星歌先輩の顔を交互に見ていたPAさんだったが、『お?』と言いながら何度かスマホに指を走らせると、にやっと笑ってスマホを星歌先輩に渡す。
「あぁ……どうして」
「それでいいんだよ、それで」
星歌先輩は素早くポケットにスマホを滑り込ませる。
だが、にやにやと笑っているPAさんの様子に、眉間に皺を寄せる。
「……何がおかしい?」
「いえ?店長も素直じゃないなって思っただけですよ」
「……うるさい。あっち行ってろ」
「……?」
女同士の秘密のやり取りが行われている気がする……が、あまり首を突っ込むのも躊躇われる。
「ただいまー!あ、日向君いるじゃん!」
「おかえり。上手く撮れた?」
「バッチリだよ!お姉ちゃんとPAさんも見る?」
「見よう」
「私も見たいです~」
机に置かれた虹夏ちゃんのスマホを4人で取り囲む。
良い感じの壁の前で撮られたその写真は、バンドメンバーの個性が上手く発揮された写真だった。
あと、虹夏ちゃんは律義に釣銭を返してくれた。良い子である。
☆☆☆
今日はライブの開催予定もなく、客の居ない静かなSTARRYには裏で練習している虹夏のドラム音だけがうっすらと響いている。
日向が居ればもう少し騒がしかったのだろうが、つい先刻『げ……編集長からの呼び出しだ』と言って慌ただしく帰って行った。
「てーんちょう。ちょっといいですか?」
来月ライブを行う予定のあるバンド名を頭の中で羅列していると、PAが笑いながら私の名前を呼ぶ。
「……何だ」
嫌な予感がしたが、仕事の話だった時に無視する訳にもいかないので返事をしておく。
「日向さんの写真、この間整理していたら出てきたって言ってましたけど……あれ、嘘ですよね?」
「……どうしてそう思った?」
「だって、カメラロールの先頭の写真でしたから。前のスマホから変えた時、あの写真は消さずにわざわざ引継ぎしたってことですよね」
しまった、と言いたくなった。
迂闊だった。
「理由までは分からないですけど、あの写真は店長にとって大切な1枚なんですよね。まぁ、日向さんは死ぬほど嫌がってましたけどね」
「……それ、日向や虹夏に言ったらマジでクビにするからな」
「は~い」
そんな元気の良い返事をして、あいつは笑いながら自分の仕事を再開した。
「……はぁ」
軽い頭痛を覚えながらもパソコンを開き、私も仕事に戻った。
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