「聞いてくれよ日向ぁ~!」
この『聞いてくれよ日向』という台詞、飲み始めてから既に9回目である。
同僚の酒癖の悪さにウンザリしながらも、次こそは違う話かもしれないという淡い期待を抱きハイハイと返してみる。
「彼女がさぁ~、可愛くてさぁ~、な?分かるだろ?」
分からん。
そして俺の淡い期待は打ち砕かれた。
この話、飲み始めてから9回目である。
「ほらほら見ろよ~。この間USJに行って来た時の写真だぞ~?可愛いだろ、俺の彼女」
「お前なぁ……俺達もう28だろ。いつまで大学生みたいな酔い方してるんだ」
彼女とのツーショットの画像を表示したスマホを俺の顔面に押し付けて来る手を払いのけながら、逆の手に持ったビールを取り上げる。
「あっ!返せよ俺の酒!」
「返さねぇよ。いい加減にしろ」
まだ半分以上残ったビールを一気にあおる。
「おっ!お兄ちゃん良い飲みっぷりだねぇ~!」
空になったグラスでガチャガチャうるさい同僚の頭をシバいていると、見知らぬ女性に突然肩を組まれる。
「え……いや、誰ですか」
#6 GOOD COMMUNICATION
「私?私は酒とベースをこよなく愛する天才ベーシスト……廣井きくりちゃんでーすっ!」
自らをちゃん付けする完全に出来上がった女性。
顔は真っ赤になっており、吐く息は死ぬほど酒臭い。
ちなみに同僚は目の前で潰れた。今日も飲み代は俺持ちらしい。
「……それで、廣井さんが俺に何の用で?」
居酒屋で絡んでくる女にロクな人間は居ない。
俺は警戒しながら、牽制の意を込めて煙草に火を点ける。
「おっ、煙草とはロックだね~。うんうん、ロックロック。店員さーん!ウィスキーのロックひとつ~!」
だが廣井さんは俺の行動など意に介さず、肩を組んだままガハハと笑いながら店員に酒を注文する。
「それ以上飲まないでくださいよ……」
しかも、あろうことか店員は俺達の伝票にこの酒をツケていった。
俺が払うのか?
「もう一度訊きますけど、何の用ですか?」
昔居酒屋で相席したら宗教勧誘をされたことがあるので、今回もそれだろうか。
はたまた、新手のねずみ講だろうか。
「え?用事?特にないけど」
「え、えぇ……」
そんな俺の警戒とは裏腹に、廣井さんはあっけらかーんとそう言い放つ。
見る限り嘘は言っていなさそうなので、恐らくマジでただの酔っ払いだろう。
「あー、強いて言うなら飲み相手が欲しかったって感じかな。私がトイレでリバースしてるうちにみんな帰っちゃって」
「いやじゃあ廣井さんも帰ればいいじゃないですか」
「今帰ってどうするってんだ!夜はこれからだぜ兄ちゃん!」
廣井さんはワッハッハと笑いながら俺のビールを飲む。
自由すぎないか?
というか、キャミソールワンピース1枚で抱き着くのは止めて欲しい。
肩紐もズレて、下が見えそうになっている。
「とりあえず、この馬鹿を帰すか……」
問題が山積みだが、とにかく目の前でよだれを垂らして寝ている同僚を家に帰すことにする。
ゲラゲラ笑いながら酒を飲んでいる隣の廣井さんを一旦無視してタクシーを呼び出し、コイツの家の住所を書いた手帳の切れ端と1万円札をタクシードライバーに渡して帰ってもらう。
あまり遅い時間までアイツと飲んでいると、何故か俺がアイツの彼女から説教を喰らう羽目になるのだ。
「あ~、帰ってきた~。何々、私と2人っきりになりたかったの~?」
店先から席に戻ると、廣井さんはまだ俺の席で飲んでいた。
しかも、ご丁寧に1リットルの巨大レモンサワーが頼まれている。
「もうそういうことでいいですから、廣井さんもそろそろ帰りましょうよ」
「え~?ひょっとして誘ってる~?私、そういう貞操観念ガバガバなのは嫌なんだけど~?」
「誘ってねぇし、そもそも倫理観がガバガバな女に言われたかねぇよ……」
俺も多少酒が回っている上に厄介事を押し付けられ苛立ち、つい口調が荒くなってしまう。
そんな俺を見た廣井さんは、より一層ケタケタと声を上げて笑い始めた。
「そうそう!多分同い年くらいだし、敬語なんていらないいらない!あ、名前は~?」
「木村日向」
「日向ちゃんね、おっけ~」
酔っ払い相手に丁寧な言葉を使う気も失せ、どうにでもなれとレモンサワーを飲む。
つーか、初めから名前+ちゃんって距離感どうなってるんだ。
そう思った瞬間、俺の手から奪い取ったレモンサワーを飲んでいた廣井さんの動きがピタリと止まった。
「……廣井さん?」
あ、マズい。
そう思った時にはもう遅く、廣井さんは床に向かって盛大にゲロをぶちまけていた。
☆☆☆
「ホント、どーすんだよこのゲロ女……」
時刻は午前1時。
あの後俺は店員に謝り倒しながら掃除をして、意識が朦朧としているゲロ女に口を濯がせ、このゲロ女が飲んだ分まで支払った。
そしてそのゲロ女は今、俺の背中で気持ち良さそうに寝息をたてている。
極めつけはこのゲロ女、あろうことか身分証を何も持っていなかった。
そのため家が分からず、あの店に放置という訳にもいかないのでこうして連れているのだが……。
「やっぱり俺の家に運ぶしかないよなぁ」
考えうる限り最低の回答しか見つからず、大きなため息をつく。
近場のカプセルホテルやビジネスホテルに片っ端から連絡を入れてみたものの、運悪くどこも満員だった。
今日明日とこの近くでお祭りが開催されているが、恐らくそのせいだろう。
ラブホテルに連れて行くのは論外すぎるしその辺に放置というのも後味が悪いので、結局俺の家しか選択肢がない。
目覚めてくれねーかな、とも思ったが、このコンディションで目覚めたところで家には帰れないだろう。
「ったく、まだ星歌先輩すら上げたことねぇってのに」
社会人になると他人を家に上げる機会も減り、記念すべき我が家の来客第1号がこんなゲロ女になることに軽い絶望を覚える。
仕方なくゲロ女を背負ったまま俺は帰宅すると、ベッドに寝かせてやる。
そしてシャワーを浴びると冷蔵庫からハイボールのロング缶を取り出し、録画した刑事ドラマを観ながら飲み直しを始める。
「う……ん……ここどこ……?」
ハイボール缶が3缶目に突入したところで、寝室の方から微かにそんな声が聞こえてくる。
リモコンを操作して再生を止めると、ペットボトルの水を持ってゲロ女の様子を見に寝室へ向かう。
「よう。目が覚めたか」
「ん~……?誰……?」
「誰?って……お前がゲロ吐きながら酔い潰れたから連れてきてやったんだろうが」
ゲロ女は俺の顔を見ると、徐々に記憶を取り戻したのか目を見開いていく。
そして、キャミソールワンピース1枚の自分の姿を確認し、毛布で身体を隠す。
「もっ……も、ももっ……持ち帰り……!?」
「その格好で散々ベタベタしておいて何を今更乙女みたいなこと言ってるんだ。ほら、水飲め。多少は楽になるだろ」
ペットボトルを投げ渡してやると、廣井さんは遠慮がちにちびちびと飲み始める。
ゲロってアルコールが抜けて素面に戻ったのか、酔っていた時とかなり印象が違う。
「廣井さん、家どこ?今から歩いて帰れそうか?」
「……新宿」
「新宿か。今から歩いて帰るのは無理だな。今からタクシーで帰れるか?」
「そんなに手持ちがない」
「はぁ……マジか」
俺が住んでいるのは豊島なので、新宿のどこに家があるのか知らないが今から歩いて帰るのは無理がある。
かといって終電は終わっているし、俺もアルコールが入っているので車も駄目だ。
タクシーは……また俺が出すのか?
「……はぁ。仕方ないから、一晩泊まっていけよ……って、オイ!迎え酒してんなよ!?」
俺が喋っていると、廣井さんはどこからか取り出した鬼ころで迎え酒を始めていた。
一気に日本酒を飲み干し、ベコッと音をたてて紙パックが潰れる。
「ぷはーっ!きくりちゃん、復活!」
「死ぬぞ……」
「死なない死なない!いやー、これまでそれなりに生きてきたけど、持ち帰られちゃったのは初めてだよ!」
「人聞きの悪い言い方をすんな。死にかけてた珍獣を保護したんだよ」
「それでも持ち帰りは持ち帰りじゃん?草食そうに見えて結構ヤリ手だったりする?」
「しない」
この酔っ払いと喋ってる時間があるくらいなら、刑事ドラマの続きを見よう。
リビングへ引き返そうとすると、廣井さんに手首を掴まれる。
「シャワー貸して?」
……図々しいにも程があるだろ。
☆☆☆
「いやー、さっぱりさっぱり。悪いね~」
鬼ころのパック片手に風呂から出てきた廣井さんは、それを飲み干してゴミを流し台に捨てる。
俺の部屋着のジャージを貸しているのでぶかぶかだが、元から大して変わらないような格好だったので気にする必要はないだろう。
そして3パック目もどこからか取り出し、刑事ドラマを観ている俺の隣に腰かける。
「あ、これ私も観てるドラマじゃん。結構面白いよね~」
「そうだな。冒頭で犯人を映して視聴者に教えてから謎解きが始まるってのが斬新で良いよな」
廣井さんの服を洗濯するためにドラム式洗濯機君が仕事をしており、その音でたまに台詞が聞こえないのが問題だ。
録画だと字幕出ないんだよなぁ。
「も~、うるさい洗濯機だなぁ。ドラマが聞こえないじゃないか」
「アンタの服だろ……」
「あれ~?そうだっけ?」
俺としては早く寝たいところだが、洗濯が終わるまでは眠れないのが悲しい。
唯一良かったことがあるとすれば、俺が廣井さんをゲロ女として見ているということだった。
見てくれは悪くないということで、ゲロ女として見れていなかったら……正直、本能が理性に勝っていたかもしれない。
「お?どこ行くん?」
「煙草」
「私も行く行く~」
ドラマが終わりエンドロールが流れ始めたところでソファから立ち上がると、廣井さんも俺の後をついてベランダに出て来る。
俺は手摺にもたれかかり、いつも吸っているセブンスターではなくアメリカンスピリットを咥える。
廣井さんはそんな俺の様子を見ながら手摺を背もたれにベランダに座る。
「いやー、夜の街を見ながらベランダで煙草を吸う男……絵になるねぇ」
「そうか?そう言われると悪い気はしないな」
「あ、煙を私の顔に吹きかけてよ」
「断る。意味分かってんのか?」
「ありゃ、知ってたか~」
行きずりの女と過ごす夜なんて、本当に何年ぶりだろうか。
……6年か。
「まー、色々世話になっちゃったね。ありがと」
「別に。あのまま放置も目覚めが悪かったしな」
「またまたそう言って~。あっ、お礼してあげようか?」
廣井はそう言って、ニヤリと笑いながら挑発的に服の襟首に指をかける。
襟首が指で引っ張られて広がり、白い肌と鎖骨が露になる。
だが、俺は知っている。
この手の女は、挑発するだけしておいて相手の反応が見たいだけだ。
「そんな気ねぇくせに、止めとけ」
「鋭いねぇ。でもお礼がしたいってのは本当だよ?そうだ!何か一曲弾こうか!私こう見えて、インディーズでは結構売れてるバンドのメンバーなんだよ~?」
「え、廣井さん本当にバンドメンバーだったの?」
「あ~?嘘だと思ってたな?よーし、じゃあ今から一曲弾いて……」
「近所迷惑だから止めてくれ。あと……」
俺は廣井さんを見る。
「ベースなんてどこにもなくないか?」
「……居酒屋に置いてきたね~」
「はぁ……明日取って来いよ」
頭が痛くなってくる。
「ったく、俺の知り合いにもバンドマンが居るけど、ギターをどこかに置いてきたりなんてしないぞ」
脳裏に浮かぶのは星歌先輩の顔。
ギターを大切にしていた星歌先輩がどこかに忘れるなんて、絶対にないだろう。
「あ~、私もよく先輩に叱られたなぁ。酒癖直せ馬鹿!ってね」
4パック目の鬼ころを飲みながら廣井さんは軽快に笑う。
「ま、叱られてたあの頃より飲酒量は増える一方で」
「禁酒しろよ」
こんな酒癖してたらな。
俺は笑いながら煙草を灰皿に捨て、2本目を吸い始める。
そういえば星歌先輩、飽きてバンド辞めたって言ってたけど本当の理由は何なんだろうな。
「……へぇ?好きなんだ、その先輩のこと」
「うぇッ!?ゴホッゴホッ……!」
廣井さんに見抜かれ、煙が気管に入り込んでむせる。
「なッ、何で……!?」
「まー、そりゃあそんな顔してたらね~。バンドやってる私が言うのもアレだけど、バンギャに恋するのは大変だぞ~?」
廣井さんは悪戯っぽく笑う。
「……今はもうやってないんだよ。理由は知らないけど」
「あれ、そうなんだ」
「あぁ。何で辞めちまったのかな」
俺がそう言うと、廣井さんは今までに見せないような柔らかな笑みを浮かべる。
「なんて言うか、ちょーっと羨ましいねぇ」
「羨ましい?何が?」
「いや?そんな風に誰かを好きになれるってのがさ」
そう言って5パック目に手を付ける廣井さん。
「見る限り、結構生活安定してそうじゃん?それなり~に貯金もあるタイプでしょ?」
「まぁ……それなりに」
通帳の残高を思い出しながら答える。
「私の印象だけど日向ちゃんクソ真面目そうだし?そういう人間が誰かを好きになるって、こうやって身の回りが安定してないと出来ないと思うんだよね~」
廣井さんはそう言って、ふーっと長い息を吐く。
「私なんてその真逆。将来に対する不安とか、諸々に押しつぶされそうな時があるんだよねぇ。だからこうして……ぷはぁ。お酒の幸せスパイラルでなんとか正気を保ってる、って感じ」
こんなちゃらんぽらんな人でも、将来のことって考えるんだな。
と、凄く失礼なことを思ってしまった。
「廣井さんの場合は飲みすぎだけどな」
こほんと小さな咳ばらいをしてそう言うと、廣井さんは両腕を使って顔の前でバッテンを作る。
「その廣井さんっての禁止!名前で呼ぶこと!」
「……名前、何だっけ」
「えぇ~?忘れたの?きくりだよき・く・り!」
「……分かったよ。きくり」
ほんの少しの恥ずかしさもあるが、煙草の煙と一緒に吐き出してしまおう。
☆☆☆
「じゃあ、ちゃんとベース取りに行けよ?あと酒は他人に迷惑かけない程度にな」
「も~分かったって。日向ちゃんは私のお母さんなのかっつーの!」
次の日の朝9時。
結局本当に何もせずに一晩を過ごした俺ときくりは、遠足に行く前の小学生と母親のようなやり取りをしていた。
きくりの手には相変わらず鬼ころのパックが握られており、ぶっちゃけ泥酔状態と変わらないと思う。
それでもまぁ……うん、コイツならどうにかなるだろう。
「まぁ世話になったね。じゃ、バイバーイ!」
「おう、じゃあな」
エレベーターまで歩を進めたきくりだったが、何かを思い出したように走って戻ってくる。
「どうした?忘れ物か?」
「ああいやそうじゃなくて。はい、これ。私のバンドのライブチケット。一曲弾くって約束、まだ果たせてないしね」
「あぁ……ん、この日なら多分大丈夫じゃねぇかな」
チケットに書かれた日付とスケジュールを照らし合わせる。
順当にいけば、この日は普通に定時で帰れるだろう。
「じゃあ絶対来てよ~。今度こそバイバーイ!」
きくりはそう言い残し、今度こそエレベーターに乗って行った。
「……まぁ、あれだけ釘を刺したしな。ベースを取りに行くのを忘れることはないだろうし、他人に迷惑も今日くらいはかけないだろうな」
後藤ちゃん辺りにでも絡みに行った日には、大惨事が起こりそうなものである。
そんな心配をはっはっはと笑い飛ばし、俺は昨日の刑事ドラマの第2話を再生するのだった。
ー評価をつけてくださった方ー
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ありがとうございました!
お酒は嗜む程度に……。