おかしい。絶対におかしい。
俺の頭の中では、そんな確信に近い疑問がぐるぐると渦巻いていた。
「星歌先輩、どうしちまったんだよ……」
星歌先輩とのロインのトーク画面を見ながら後頭部を掻きむしる。
きくりのライブから早くも3日が経ったのだが、俺と星歌先輩は何故かギクシャクしてしまっていた。
いや、正確には何故か星歌先輩が俺から距離を取っている、と言った方が良いだろう。
「……」
無言でトークルームを遡っていく。
星歌先輩は元々長文を送ってくるタイプの人間ではなかったが、それを加味しても最近の返信はあまりにも素っ気なさすぎる。
いつから、と問われれば、間違いなくきくりのライブの日からだ。
「おっとっと!」
じーっとスマホを睨みつけていたが、突然電話がかかってきて驚きで取り落としそうになる。
一度宙を舞ったスマホを床に落ちる直前でキャッチして画面を見ると、虹夏ちゃんからの電話だった。
#8 親愛なる先輩へ…
「もしもし、虹夏ちゃん?」
時間を見ると、午後10時半だった。
こんな時間に何の用なのだろうか。
『あ、日向君?いきなりごめんね?』
「俺は大丈夫だよ。それより、何かあった?」
『うん。ちょっとね』
虹夏ちゃんはそう言うと、ウームと一瞬唸った。
『……日向君、お姉ちゃんと何かあった?』
「えっ」
ドキリとする。
それを何故虹夏ちゃんが?
『最近のお姉ちゃん、どこかぼーっとしてるんだよね。お仕事はちゃんとしてるんだけど、それ以外は私やPAさんが話しかけても無反応だったり。体調が悪いってことでもなさそうだし、日向君と何かあったのかな~って』
「うぅん……実は、俺もよく分かってないんだよね。間違いなく原因は俺にあるんだろうけど……」
『日向君に?何で?』
「いや、先週のことなんだけどね。俺と電話をした後から星歌先輩からのロインが素っ気なくなって」
『電話って、何を喋ったの?』
「虹夏ちゃんからのロインに反応忘れてるぞってことをね。それだけだと思うんだけど……」
どれだけ思い出しても、本当にそれだけのはずなのだが。
『とにかく、お姉ちゃんと仲直りしてよ!……あ、お姉ちゃんお帰り!』
虹夏ちゃんの声と共にドアの開閉音が聞こえてくる。
『ただいま……って、電話中だったか。悪かったな』
少し遠いが、星歌先輩の声がする。
ぱさり、ぱさりと衣擦れの音がしているので、着替えているのだろう。
『日向君だから大丈夫だよ!あっ!お姉ちゃんも日向君とおしゃべりする?』
『しない』
何の躊躇いもなく放たれた無慈悲な3文字が、俺の心臓を貫く。
そりゃあ別段用事はないが、喋ってくれてもいいじゃないか。俺が何をしたって言うんだ。
「……虹夏ちゃん。星歌先輩に代わって」
これまでロインという文面でしか見ていなかったから分からなかったが、今の星歌先輩の声で理解した。
今回、間違いなく俺が何かをやらかしている。
『あっ、うん!お姉ちゃん!日向君が用事だってー!』
『はぁ?……何だよ』
一呼吸おいて、不機嫌そうな星歌先輩に電話が代わる。
「星歌先輩、明日の夜って空いてますか?」
俺は手帳を捲りながら訊いてみる。
明日は午前で仕事が終わる予定だ。明後日が仕事なのが辛いが……星歌先輩との関係を修復するためと思えば楽勝だ。
『……空いてるけど』
死ぬほど不機嫌そうな星歌先輩の声。
普段だったら謝っているが、今日ばかりは俺も引くわけにはいかないのだ。
「じゃあ、明日の夜にご飯行きませんか?お互い色々と喋りたいこともあるでしょうし」
『私は良いが……お前は大丈夫なのか?』
「え?」
そう言う星歌先輩の声は、どこか俺を心配するような感情が含まれていた。
「いや、俺は別に大丈夫ですけど……」
『……分かった。明日の夜だな。詳細は後で連絡してくれ』
そこで電話がぷつりと切れる。
「『お前は大丈夫なのか?』って、どういう意味だ……?」
☆☆☆
「あ、星歌先輩~。こっちです~」
肩に鞄を下げた見慣れた金髪に向かって手を振る。
今日の星歌先輩は珍しく、少し露出の多いワンピースを身に纏っていた。
「ん、待たせたか?」
「いえ。俺も今来たところですよ。じゃあ直ぐそこなんで、行きましょうか」
時計で時間を見ると、午後5時50分だった。
6時からの予約だが……まぁ大丈夫だろう。
集合場所から徒歩で2分もかからない場所にあるイタリアンの店に俺は星歌先輩の手を引いて入って行く。
いらっしゃいませと頭を下げるウエイトレスに名前を伝えると、窓際の席に案内された。
「随分と雰囲気の良い店だな」
窓の外の景色を見ながら星歌先輩が言う。
「居酒屋じゃゆっくり話せないですからね。星歌先輩、俺に言いたいことがあるんじゃないですか?」
「……別に」
「ま、酒のひとつでも入らないと話せないこともありますからね」
「酒が入らないと話せない話ってのは嘘だって、前にどこかで見たな」
「あぁ……それこそ嘘ですよね。酒が入らないと出てこない話ってのもありますから」
「特に大人になると、な……」
星歌先輩がそう言っているとタイミング良く、ウェイターがワイングラスとワインを持ってテーブルに現れる。
「あ、星歌先輩ワイン飲めますか?今なら他の物に変えられますけど」
「飲めるから心配するな」
「そうですか。じゃあ、お願いします」
ウェイターは何も言わず一礼すると、ワインの説明をしながらグラスに注いでいく。
飲みやすい白ワインを予約していたが、先に星歌先輩に好みを聞いておくべきだったな、と少しばかり後悔する。
説明を終えたウェイターは、また一礼して去って行った。
「それじゃあ……乾杯」
「ん、乾杯」
グラス同士を軽くぶつけ合わせ、口に含む程度にワインを飲む。
「お……飲みやすいワインじゃないか。美味しいな」
「実の所……俺が、飲みにくいワインがあまり得意じゃなくてですね。飲みやすいスパークリングワインを注文させてもらったんですよ」
「へぇ……子供舌」
机に頬杖をついた星歌先輩が、べっと舌を出して子供っぽく笑う。
そんな俺達の前に、前菜の生ハムメロンが届けられる。
「……美味しいな」
「美味しいですね。昔生ハムメロンって聞いた時は正気かと疑いましたが、これが意外と合うんですよね」
その後も俺と星歌先輩は当たり障りのない話を続けながらコースを楽しんでいき、メインを完食し後はデザートを待つだけとなる。
「……日向はさ。色んな店を知ってるんだな」
デザートは何だろうな、と考えながらワインを飲んでいると、窓の外の景色をぼんやりと眺めていた星歌先輩が笑いながらそう言う。
だが、心から笑っているようないつもの笑顔ではなく、どこか何かを諦めたような、そんな哀しい笑顔だった。
「……星歌先輩。俺、知らず知らずのうちに星歌先輩を傷つけていたんですよね。すみません」
頭を下げる。
あれからどれだけ考えても、俺の頭では何故星歌先輩を傷つけてしまったのか分からなかった。
今の俺に出来る事は、こうして誠意をもって謝ることだけだった。
「謝らないでくれ。私が勝手に傷ついただけなんだから」
星歌先輩は苦笑いを浮かべながら手をひらひらとさせる。
「それと、あまり気軽に女を食事に誘うんじゃないぞ。彼女が嫉妬したら、お前じゃ大変だろう?」
「はい……はい?ん?え?」
今この人、何と言った?
「え、星歌先輩今何と言われました?」
「はぁ?あまり他の女と食事に行くと彼女が嫉妬するぞって言ったんだ」
ギロリと睨まれる。
「え、彼女って誰の事ですか?」
「彼女は彼女だ。ガールフレンド」
「いや、いないですけど」
「え?」
「え?」
気まずい沈黙が流れる。
デザートが置かれたが、俺も星歌先輩も手を着けようとはしなかった。
「え、どうして俺に彼女がいることになってるんですか?」
「だってお前……この間電話をかけた時、女の声が聞こえたじゃないか」
「女の……声……?」
この間の電話、というのは分かる。
飲み会の帰りのタクシーの中でした電話のことで間違いないだろう。
あのブツ切りはやはりおかしいと思っていたんだ。
だが、女の声というのが分からない。
「……星歌先輩、最近幻聴とか聞こえてないですか?」
「私を何だと思ってるんだ。至って健康体そのものだ馬鹿野郎」
デザートを一口で食べた先輩は、不機嫌そうに眉を吊り上げながらナプキンで口元を拭く。
とりあえず、あの日のタクシーの中での会話をもう一度思い出してみよう。
星歌先輩から電話があって、電話に出て、虹夏ちゃんに返信しろと叱られて、危険運転のスカイランが通って、俺と岩下さんが悲鳴を上げて……。
俺と、岩下さんが……。
岩下さんが……。
「…………あぁっ!?」
岩下さんの声だ!
テーブルに両の掌を叩きつけて立ち上がる。
椅子がガタンと倒れ、星歌先輩が驚いたように身を引く。
「ど、どうした……?」
「岩下さんですよ!岩下さん!」
「いわし……いや、誰だ。知らん。あと座れ。目立つだろ」
「す、すみません」
幸い周りに客は居なかったものの、このままでは恥ずかしいので椅子に座る。
「えっと……あの日ですね。知り合いのライブに行っていたんですよ。それで、そのライブの後の飲み会に何故か誘われて、電話に出た時は帰りのタクシーの中だったんです。それで、帰りの方向が一緒だった人と同じタクシーで帰っていたんですよ。その人の声じゃないですかね」
「は……え、じゃあ、彼女は?」
「いませんよ。少なくとも今は」
「……」
「……」
説明を終えると、自分の勘違いを理解した星歌先輩の顔がみるみる赤くなっていく。
そして、耳まで真っ赤になったと思えば、今度はゆらりと揺れるオーラを全身から噴き出しながら般若のような鬼の形相へと変化していく。
「日向……それを何故最初に言わなかった……」
「え、いや……まさか星歌先輩がそんな勘違いをしているとは思ってなかったですし……」
「……はぁ。もういい。怒る気すら失せてきた」
星歌先輩はそう言ってため息をつくと、般若の仮面を脱いでいつも通りのムスっとした表情に戻り頬杖をつく。
……あれ?良く考えれば、星歌先輩は俺に彼女がいると勘違いして凹んでいたということなのか?
それって……。
「……いや。ないか」
ふっと湧き出た考えを、自らで否定する。
10年も音信不通だったのに、今更『星歌先輩は俺のことが好き』なんて考えるのはあまりにも都合が良すぎるだろう。
「何がないんだ」
「別に。何でもないですよ。良い時間ですし、そろそろ帰りますか?あまり遅くなっては虹夏ちゃん心配するでしょうし」
「……そうだな」
酒が回っているのか顔を少し赤くした星歌先輩。
これ以上酔われてまた寝てしまったら送り迎えが大変……という建前の元、星歌先輩と一緒に居るのが辛くなってきた、というのが本音だった。
星歌先輩と再会して早くも数カ月、思っていたよりも嫌われていない……というか、どちらかと言えば良い印象を持たれていることは分かった。
だが……だからこそ、日に日に俺の星歌先輩への思いは大きくなっていた。
「彼女、かぁ……」
今回は勘違いだったが、本当に彼女でも作ってしまおうか。
彼女が出来て、その彼女を心から好きになれれば……。
……いやいや。そう言って大学生の時に彼女を作ってどうなった?思い出せ、木村日向。
「今日はありがとうな。なんだかんだ、楽しかったぞ」
駅までの道のりで、少しふらつきながら隣を歩く星歌先輩がフフンと笑う。
「いえ。また行きましょう」
地下鉄の階段を降り、俺達は改札の前で別れた。
良い酒が飲めた、今日は眠れそうだ。
☆☆☆
「ん?何だこれ?」
上機嫌で我が家であるマンションに帰ってきた俺は、まず違和感を覚えた。
故障中と張り紙のされたエレベーターの前に、何か紙パックのような物が落ちている。
それを拾い上げて何かを確認すると、安酒である鬼ころのゴミだった。
「ま・さ・か……」
慌てて非常階段を使って6階に昇り、恐る恐る自分の家の方を見る。
「あ~、帰ってきた~!お帰り~!」
俺の部屋のドアの前では、何故かゲロカスベーシストが酒盛りをしていた。
「……またシャワーか?」
「せいか~い!鬼ころいる?」
「いらん」
良い酒を飲んだ後に安酒なんか飲まねぇよ。
そう言って俺が家の扉を開くと、きくりは一目散にシャワールームへ飛び込んで行った。
「あ・の・アル中……!」
いよいよ雷のひとつでも落としてやろうかと考えたが、多分無意味なので止めておく。
怒るという行為も、存外にエネルギーを使うのだ。
「いや~、悪いねぇ」
俺がテレビを見ていると、10分程度できくりがシャワールームから出てくる。
「悪いと思ってるなら来るな」
きくりがこうして我が家にシャワーを借りに来るのは、今週で既に3回目だ。
あの時岩下さんのロインを聞いておけばよかったな、と心から後悔する。
そんなきくりの右手には鬼ころの瓶が握られており、濡れた足でフローリングを闊歩しながらラッパ飲みをしている。
「いい加減シャワーくらい付いている部屋に引っ越せよ」
きくりの髪から滴り落ちた水滴を拭いながら言ってやる。
最近は風呂なし物件とやらが流行っているが、コイツもそれに乗せられたクチなのだろうか。
「私借金あるから無理。じゃ、またね~!」
紐で縛ってウエストを締め上げた俺のジャージを身に纏ったきくりは、ゲラゲラ笑いながら手を振って帰って行く。
今時風呂なしのアパートって……というか、どうせ今からどこかへ飲みに行くのだろう。
二度と我が家に来ないで欲しい。
「はぁ……せめて風呂くらい付いてるアパートを借りろよな……」
何で家主の俺より先にきくりがシャワーを浴びてるんだ。
心の中で愚痴を吐きながらシャワールームに向かうと、脱衣所にはきくりの服と下着が脱ぎ散らかされていた。
「あいつ……まぁ取っておいてやるか」
俺はそれを拾い上げ、なるべく見ないようにしながら洗濯機に放り込んでいく。
女性物の下着など洗う機会がないので、適当な洗い方をして縮んだとしても文句は言わせない。
俺も洗濯機に仕事着のシャツや下着を入れ、適当に洗剤をぶち込んだらスイッチを入れて洗濯機君に働いてもらうことにする。
ガタガタと揺れる洗濯機の音をバックグラウンドミュージックにシャワーを浴び、ドライヤーで髪を乾かしながらテレビをつける。
「……はぁ」
せっかく上機嫌で帰ってきたというのに、台無しである。
「……また誘おう」
涙をこらえながらスマホで雰囲気の良い店探しを始めるのだった。
ー評価をつけてくださった方ー
nz50さん、zyottiさん、レトロニカさん、久瀬鏡理さん、ごまくまさん
ありがとうございました!
また、この二次創作が日間ランキングに掲載されていたらしいです!
書き始めた時は、こんなにもたくさんの方に見てもらえるとは思ってもいませんでした!
本当にありがとうございます!