秋津夜語り   作:ジト民逆脚屋

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六回り

暗い、黒い廊下を進む姿があった。

星も月も差さず、灯り一つ無い漆黒の廊下を、手にした角灯一つでゆったりと歩く。

しかし、その角灯に照らされた姿すらも黒かった。

身を包む外套、頭に被る制帽も黒く、髪は言わずもがなに烏の羽の如く、暗闇を見詰める瞳は上質な墨を更に濃く煮詰めたかの様な黒だった。

ただ違うのは角灯を持つ手を包む手袋の白と、病的なまでに白い顔と足と、その服装に散らばる金具くらいだろう。

角灯の灯りに照らされて、ぽっかりと暗闇に浮かぶ白い顔は夜に浮かぶ月の様でもあり、闇夜から誘う使者の様でもあった。

耳障りな甲高い軋みをあげる廊下を、文字通り無人の野を行く様に進む。

だが、何時もとは違い、その顔には焦りがあった。

 

「提督殿」

「あきつ丸……」

 

執務室に入り、扉を確りと閉め、あきつ丸は用件を告げず提督の側へと歩む。

 

「何かあったのか?」

「提督殿、どうか小官を信じ、何も言わずに着いてきてください」

 

そう言って、あきつ丸は懐から灯籠を取り出すと、提督に手渡す。

 

「一体何があった?」

「よいですか、提督殿。これから先、小官以外の声に返事をしてはいけません。それが誰の声であったとしても」

「あきつ丸、それはどういう……」

 

意味とは続かなかった。

 

提督

 

あきつの背後、提督の正面。そこにある扉がノックされ、そこからか細い誰かの声が執務室に届いた。

聞き覚えはある。しかし、何故か誰の声なのか判別が出来ない。

何故、提督は自分の部下を全員覚えている。

なのに、この声の主が誰なのか判別が出来ない。

 

「提督殿、こちらへ」

「あ、ああ……」

 

あきつ丸に手を引かれ、灯籠を持って彼女の側に寄る。

 

「あきつ丸、これは一体……」

「提督殿、小官を、今だけは小官だけを信じてください」

 

提督

 

ノックの音は次第に重なりを増し、声も数を増していた。

しかし、それらの声が誰なのか一向に判別出来ない。

提督は戸惑いながらも灯籠を手離さず、あきつ丸に問う。

 

「一体何が起きているんだ?」

「提督殿、とにかく今はここを離れるのが先決であります。説明は後で必ず」

「……あきつ丸、信じるぞ」

「はい、信用にお応えします。さ、その灯籠を翳してください」

 

急かすあきつ丸に促されるまま、提督は執務室の壁に向けて、あきつ丸の灯籠を翳す。

すると、灯籠の火が揺らめき淡い万華鏡の様な輝きを壁に写し出し、次第にそれは一つの形となっていく。

扉だ。

 

「さ、お早く」

「いや、これは……。ああもう、分かったよ!」

 

影絵の扉のノブに手を掛けると、そこには確かに実物の質感があった。

疑問するよりも早く、提督はそのノブを回すと、すんなりと壁であった扉が開く。

 

「ここは」

「小官の自室であります。……早く扉を閉めるであります」

「あ、ああ」

 

焦燥に染まったあきつ丸の声に、提督が扉を閉めるのと、執務室の扉が破られるのは同時であった。

まるで、形の無い有象無象が執務室を満たすかの様な音を背景に、提督は息を吐いた。

そして、あきつ丸に向き直る。

 

「あきつ丸、説明しろ。何が起きている」

「その前に提督殿、あの日の事は覚えておいでで?」

「ああ、忘れられるものか。それが関係しているのか?」

「提督殿。夢とは自身を写し出す鏡であり、鏡はそれ自体を写し出す。その真偽は確かでなくとも」

「話が見えん。結論を言え」

「……提督殿、これは夢であります。瀕死の貴方が見る走馬灯を元にした夢。現実の貴方はあの日、終戦の日に起きた空襲で瀕死の重症を負い、眠り続けているのであります」

「……あきつ丸、何を言っている? 俺は確かにここに居る。お前もだ。それが夢……?」

「……そうであります」

 

にわかには信じ難い事だった。

これまでの事が全て夢で、本当の自分は死にかけている。

まるで、足元から全てが崩れ去る様な脱力感に見舞われ、提督は若干ふらつきあきつ丸は急ぎ提督を支えに入る。

だが、提督はあきつ丸が支えに入るよりも早く立ち直った。

 

「……ふー、あきつ丸。戦況の報告を」

「はっ、現在我々は四面楚歌であり、戦力は小官一人であり、敵戦力総数は不明。俗に言う末期戦さながらの状況であります」

「勝利条件は」

「我々の勝利は提督殿がこの鎮守府を脱する事であります。しかし、この鎮守府は連中が作った場。所謂深海棲艦の支配海域に近い状態であり、一人に見付かれば奴ら全員に見付かると同義であります」

「敵支配海域に二人だけ……。絶望的だな。あきつ丸、意見を」

「はっ、戦闘を避けての撤退戦を推薦します。彼奴ら、どうやら倒しきれるものではないようで」

「……敵戦力の正体は」

「死者の無念、その群体であります。英雄たる提督殿を欲して、この鎮守府を作り上げたのでありましょう」

 

あきつ丸の報告を頭に入れ、提督は作戦を考える。

戦力は実質あきつ丸一人、しかしあきつ丸は直接戦闘には向いていない。

それに戦場は敵に支配された室内、狭く限定された空間が連続する場所で、敵に見付からずにこの鎮守府から出られるか。

答えは否、不可能だ。

 

「提督殿、意見具申を」

「言え」

「小官を囮に提督殿が撤退するならば、勝機はあります」

「却下だ。……あきつ丸、厳命する。生きて俺を連れ帰り、そして最後まで俺と居ろ」

「……了解しました」

 

戦力は無く、勝機も無い。

だが、提督に諦めは無かった。

勝機の無い戦い、それは常にあった。

勝機は無い。ならば、勝機の有無を有する場を引っくり返せばいい。

 

「あきつ丸、黄泉比良坂の話は」

「存じております。しかし、今回はそれに当てはまるかどうか」

「……俺は不思議に思っていた。何故、俺とお前しかこの鎮守府に居ない様な気がするのか。俺を欲しているなら、俺に接触すればいい。だが、連中はそうはしなかった」

 

何故か

 

「俺がまだ死んでいない。その上、お前という存在が俺を繋ぎ止めていた。……あきつ丸」

「はっ」

「帰るぞ。皆の元に正面から」

「了解しました。このあきつ丸、身命を賭けて提督殿をお守りしましょう」

「行くぞ」

 

カラン、と軽い音を立てて角灯が揺れた。

 

提督

 

先程よりはっきりとした声だ。

 

「……では、提督殿。小官に」

「ああ」

 

あきつ丸は扉を開けた。

そこは今までの夜闇が、昼間と錯覚する程の闇が広がっていた。

 

こっち こちら こちらです 提督

 

はっきりと聞こえる声は、誰のものか。

そんな事は関係無い。提督が聞く声はただ一人だ。

 

「提督殿、こちらへ」

 

角灯を胸の前に掲げるあきつ丸の声だけだ。

提督は闇の中へと足を踏み入れた。

冬の海よりも冷たく、深海よりも深い。身だけでなく魂すら凍えつく様な闇。

しかし、提督の目は死んでいない。

 

提督 こちら こちらへ そいつは違う

 

「そう言えば、あきつ丸。お前、どうやってここへ来たんだ? 俺みたいな半死人しか来れない世界なら、生きてる筈のお前は来れないだろう」

「そこは小官も不思議に思っていたのですが、提督殿と小官には共通点が」

「なんだ?」

 

提督 そいつは違う 私達を見て

 

気軽な会話、まるで昼間を歩くかの如く進む二人。

提督に迷いは無い。闇を見据える提督は、一人の男から戦を終わらせた英雄の顔に戻っていた。

 

「あの日、開戦の空襲で知り合い、いまだにそれを夢に刻み付けられた者同士であり、終戦の日にも重ねて刻み付けられた者であるという共通点でありますよ」

「同じ傷を持つ者同士、か」

「ええ、そうであります。……それに心底惚れ込んだ男を、こんな訳も判らぬ輩に大人しく取られる程、小官は初ではありませぬ故」

「まったく、……俺より良い男は山程居るだろうに」

「ははは、まったく小官の好みに合いませんな」

 

衣服の裾を掴む手も、自らを呼び止める声も、全ては取るに足らない些事でしかない。

何故なら、常世で何よりも誰よりも信用し、信頼する部下の声と後ろ姿の道標があり、提督という男は英雄なのだ。

千に万にと積み重ねられた死体を踏み越え、千々に千切れよと浴びせかけられる怨嗟の声を、荒波を越える不沈艦の如く切り開いてきた。

その男が今更死者の声で止まる筈が無い。

英雄とは、英雄の側に立つ者とはそういう者なのだ。

 

「提督殿」

「ああ、あっちだ」

「この目印はおろか、建物自体判らぬ闇の中でよく現在地が分かりますな」

「舐めるなよ。俺は提督だ。自分の城を忘れるかよ」

 

提督が角灯を掲げると、そこにあった闇は恐れ戦くか如く失せ、あきつ丸も見覚えのあるエントランスの床が見えた。

 

提督 違う 私達を見て こっちに来て

 

まとわりつく声も、すがり付く無数の手も、提督が進む一歩を止められない。

ならばと、無様と言える抵抗にあきつ丸の外套を引き千切らんばかりに、無数の手が掴む。

 

「あきつ丸、どうした?」

「いえ、何も問題ありませぬな」

 

英雄の道標は揺れない。

死者の無念で揺れる様な者が、英雄の行き先を照らす事など出来ない。

故にあきつ丸歩みに迷いは無い。

手にした角灯で提督の歩みを照らし、灯籠で闇を祓う。

 

「さてさて、提督殿。鎮守府の門であります」

「ああ」

「どうぞ、お開きください」

 

決して振り返らぬ様にして、あきつ丸は門扉の横に避け、恭しく頭を下げた。

 

「お前もだ。あきつ丸」

「……小官なら提督殿の後に」

「お前、どうせ自分を囮に俺を安全を確保しようとか、そんな腹だろ? そうはさせるかよ」

「……何を食ったか判らぬ人の腹なぞ、探るものではありませぬよ?」

「ふん、俺の部下の腹なんぞ、探るまでもない。……ほら、帰るぞ」

「あっ……」

 

提督はあきつ丸の白い手袋に被われた手を取り、自ら真横に引き戻す。

 

提督 そいつは違う 私達を見て 行かないで 置いていかないで

 

「あきつ丸。もう一度厳命する。最期まで俺の部下として側に居ろ」

「了解しました。提督殿」

 

振り返る必要も、理由も無い。

提督はあきつ丸の手を繋いだまま、門扉に手を掛け、重いそれを開いた。

 

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