────白。
触れたら溶けてしまいそうな、純白。
それが、最初に彼女へ抱いた印象だった。
春になって周りが様々な色に埋め尽くされる。
そんな中ほんの少し残ってしまった、しかしながらより一層際立って存在している、雪のようなゲソと肌。
そして頭の一部に巻きつくように刻印された、まるで蔦のようなアザ。
ワシは偶然見つけたその雪に見惚れて、思わず立ち止まった。
周りのインクリング達もしばしばワシと同じように立ち止まってその雪を見る。しかし、すぐに興味を無くして足早にどこかへと駆け出していく。
ワシだけが、ずっとその場にいた。
彼女はデカ・タワービジョンで、ナワバリバトルの試合が映し出されている様子を観ていた。何をするでもなく、ただぼんやりと。
けど、白いゲソと対称的な黒い瞳は何故か哀しそうで……その瞳から、目を逸らすことができなかった。
「おーい、何してんだよ! 早く帰るぞ!!」
遠くで相棒が呼んでいる。……もう行かなくては。
「あぁ、わかっとる!!」
同じように声をあげて、ワシは相棒の元へ駆け寄る。
家に帰っても、彼女の色はしっかりと脳裏に焼き付いて、決して忘れることができなかった。
・
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「だぁ──ー!! クソっ! まーた敗けた!!」
お昼過ぎのロビーに繋がるエントランスにて、夕焼けのような赤色の頭を抱えてボーイが叫ぶ。数杯のインクリングが驚いて振り返った。
「なんでやねん、どいつもこいつも……なんで塗らへんのや? ガチマやからって塗らんでええのとちゃうぞ!!」
ブツブツと文句を垂れ流す赤い彼。周りのインクリング達はそそくさと、その場を逃げ出していく。
彼の名前は茜。18歳。サッカーバンドを頭に付け、イカのような大きな模様が描かれている半袖のブラット色のワイシャツに黒いネクタイを締めたフク(ピーターパンクブラット)と半ズボンを着て、サンダル型のクツ、デルタストラップのスノーを履いていた。そして両耳には大きなリング状のピアスを付けており、瞳の色は夕暮れを連想させるような鮮やかな橙色。ゲソは燃える炎のような形と太陽のような色だった。彼の相棒と一緒に結成した、チーム・Rainbowのリーダーでもある。
そんな彼は今、10試合中7敗という記録を叩きだし、絶賛ピンチ中だった。
「今日はアイツおらんしなぁ……。アイツおったらもーう少し、勝率上がるんやけど……最近用事が多いなぁ……」
噂の相棒は今日も用事で行けないと言う。何の用事かは知らないが、仕方ないのでこうやって1人だけでガチマッチをやるのが、茜の今の日常だった。
「……そういや、最近“あの子”も見てへんな」
ふと脳裏に焼き付いた、一週間前の記憶が呼び起こされる。
デカ・タワービジョンでナワバリバトルの試合を観ていた、“白いインクリング”。どんな子なのかも、名前さえも知らない。
しかし、どうしても気になるのだ。あの光景はあまりにも綺麗過ぎて、忘れることができない。何も知らない彼女のことを気にするのは些かおかしいかもしれないが、茜はいつものように無意識で探してしまっていた。
そして願った。また、出会えるのではないかと。
「まぁええわ。今日はこれ以上やっても勝てへんような気ィするし、明日アイツに罰としてなんか奢ってもらおか」
もう終わってしまったことはしょうがない。はぁ、と大きく溜息をついて、茜はエントランスから出た。
太陽がどんどん西へ傾き始める。今はまだ青色だが、もうしばらくすれば自分と同じ赤色になるだろう。
そうぼんやりと考えた、矢先だった。
「なぁ、アンタさぁー? まだこの街にいたの? この街にアンタみたいなダサい癖に目立つ奴はいらないって、この前言ったよね~?」
「で、でも……今日はどうしても頼まれ事があって……」
「あぁ? なーんーてー? よぉ~く聞こえなかったなぁー?」
エントランスから出てすぐ左の方から、いかにも悪役のような言葉が聞こえた。
(なんや、またチンピラが出とるんか。毎回毎回ご苦労なこった)
呆れながら茜は辺りを見回す。
すると左の路地の奥、ダンボールが沢山置いてある自転車置き場の前で、ボーイ2人が1人のインクリングを壁際で囲んでいるのが見えた。角度的に顔は見えないが、声と背の低さから絡まれているのは女の子か。
ハイカラスクエアは最近発展してきた新しい街、いわゆる発展途上国のようなものだ。まだあちらこちらで工事が行なわれており、流行最先端の街……と言われれば聞こえはいいが、まだハイカラシティと比べて少々治安が悪い。
怪しいバイトや路地裏が沢山あり、1歩踏み外せばすぐに不良達の溜まり場に辿り着く。……普通にしていれば滅多にそのようなことは無いが。
案の定、周りのイカ達は見て見ぬフリをして足早に去っていく。当然、誰も面倒事に巻き込まれたくないのだ。しかし、
(やっぱワシが行くしかないか……)
ただ1人、茜だけがその言葉の方へ歩き出した。
彼の性格上、どうしても弱い者いじめは好かないタチなのだ。彼にとって面倒事に巻き込まれることは、自らの信念を曲げることよりも軽いものだった。
「おーい、お前らぁ! こんなところで何しとんの、や──」
茜の声に不良達が振り返る。その隙間から見えた色に茜は思わず目を丸くした。
小さくなって震えている少女の色は──茜がずっと探していた“あの雪の色”だった。
「ぁあ? なんだテメェ。コイツの連れか?」
「…………」
「もしかしてぇー、ヒーローごっことか!?」
「いやぁー勇ましいねぇ! でもー、そういうのはお呼びじゃねぇんだけどなー!」
「ボクらァ、ちょーっとお話してるだけだから、なぁんにも悪いことしてないんだけどなー!」
「…………」
「おい無視すんなよテメェ!!」
不良の怒鳴り声で茜はハッと我に返る。目の前には額に血管の浮き出た不良の顔と、その側ですっかり怯えた色の彼女の目線。茜はいてもたってもいられなくなり、彼女を庇うように彼女と不良の間に体を割り込ませた。
「おうおうすまんのぉー? お前さんらが余りにも典型的過ぎて、少し意識とんどったわ」
「はぁ? どういうことだ」
「何? ハッキリ言わなわからんか? ならバカなお前らにもわかるように言い直したるわ。
要するにアンタら、『小物臭すぎて呆れとった』っちゅうことや」
「…………はぁ!? 舐めてんのかテメェ!!」
「ケンカ売ってんのか!!」
「おーおー『弱い犬ほどよく吠える』ってやつやな」
「っだとテメェ!!」
「あ、あのっ!」
突然、茜の服の裾が引っ張られた気がした。
振り返ると白い彼女が震えながら裾を掴み、上目使いで茜をじっと見ていた。
「も、もう…………大丈夫、です……私は大丈夫です、から…………その、どこのどなたか知りませんが……あなたが私なんかを庇う必要は…………これ以上は、あなたに迷惑がかかってしまいます。だから──」
その言葉を聞いた瞬間、茜はふつふつと感情が沸騰していくのを感じた。彼女を困らせるコイツらに。そして助けを求めるどころか、面倒事を自分一人で背負い込もうとする彼女に。
それにここで引き下がっては男として失格だ。何のために自らここに首を突っ込んだのか。
「……なぁお前ら、1つ提案がある」
「ぁあ?」
「今からプライベートマッチで2vs2のナワバリバトルせぇへんか?」
「「…………はぁ!?」」
「えっ?」
茜以外の3人が驚いた声をあげる。茜は気にせず続けた。
「“プライベートマッチ”は自分達でルールを決めるモード、“ナワバリバトル”は時間制限の中でどれだけ自分らの色を塗れるか競うルールってことは、知ってるやろ?」
「あ、当たり前だろ! ふざけてんのか!?」
「そのルールでお前さんらとワシらで戦おうって言っとるんや。それでワシらが買ったら今後一切、彼女を困らせへんって誓え」
「は、その条件だとオレらになんのメリットもねぇだろが」
「ならお前さんらが勝ったら、ワシが一生お前さんらの雑用係したるわ」
「なっ…………!?」
挑発するように茜は笑う。
「どうする? やるんか、やらへんのか? お前さんらにとっては悪うない条件やと思うが?」
不良達は互いに顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
・
・
・
「…………あ、あのっ」
プライベートマッチの待合室で、初心者ギア一式に着替えた白い彼女が真剣な顔で口を開いた。
「んー? ……あ、そういえば名乗ってなかったな。
ワシは茜。よろしくなー」
「え? あ…………は、
「ハクレン、か。いい名前やな」
ハクレン。茜は口の中でもう一度呟く。
やっと聞けた、彼女の名前。
自然と顔がにやけるのを抑えるのがやっとだった。
「そ、そうですか……? 初めて言われました」
彼女の白い頬がほんのり紅くなって俯く。茜の胸の奥がキュンと締め付けられた気がした。
「えっ、あ……そ、そうなんかー! だ、誰も気づかんなんてアホやなぁー! あ、そうや! 呼びやすいようにハクって呼んでええか!?」
「え? あっ……は、はい……そうですね……?」
(あ、あかん。ミスったこれ…………)
急に大声で話しだした茜に驚き、白練は思わず同意する。その反応に茜は後悔した。
(なんか調子が出んな……。ワシこんなんやったっけ?)
ガシガシと頭をかきながら茜は首を傾げる。先程チンピラ達を前にしたときと大違いだ。非常にカッコ悪い……。
「──茜さん、一つ聞いていいですか?」
改めて、彼女が真剣な顔で話しだした。
「な、なんや?」
「……どうして、このような勝負を仕掛けたんですか?」
「どうしてって、そりゃあ……」
「先程あなたが示した条件だと、あなたばかり不利益を被ってしまいます。こんな、見ず知らずのイカのために。私のことなんか、放っておけば良かったはずです。これは私の問題ですから。
……あなたには、関係の無いことでしょう?」
「…………」
「今からでも遅くはありません。私、あの人達に『茜さんは関係ない』ということを一生懸命伝えますから」
責め立てるわけでも怒るわけでもなく、ただただ淡々と機械的に白練は話す。
そこで初めて茜は彼女の瞳をじっくりと見た。茜を移す黒い瞳の奥は吸い込まれそうなほど真っ暗で、真ん中にそこだけ何かが欠落したかのような白い丸がぽっかりと空いていた。
「……確かに、ワシには関係ない。ハクとは初めて会ったし、アイツらのこともまっっったく知らん。過去に因縁つけられたようなこともなかったしな」
「なら──」
「でも、見てもうたから」
茜はハッキリと口に出す。ハクがハッとした顔で茜を見つめた。
「イカが……ハクが困ってるとこ、見てもうたから。そんなん放っておけるわけないやろ?」
「…………それだけで?」
「ワシにとっては、それで充分や」
黒く濡れた瞳が大きく開かれる。茜は初めてその瞳が大きく揺れた気がした。
「さて! この話はここまでにして、バトルに集中しようや。さっきロビーで知ったけど、バトル初めてなんやな? ルールとかブキの使用方法とかわかるか?」
「…………え? あ、はいっ! あの、私はその……『他のインクに長く染まることができない体質』で、インクに潜ることはできませんが……その分、テレビや本でバトルのことについて学びました。わかばシューターなら、初めの試しうちのときに触ったことがあります」
「よしっ! それだけできたら上出来や。慣れる意味もこめてハクはステージを塗っといてくれ。今回は“ナワバリバトル”やから、ハクがどれだけ塗ってくれるかにかかってるからな」
「はい、わかりました。あのっ、茜さんは……?」
「ワシか? ワシは…………」
茜は意地悪くニカッと笑って言った。
「調子乗ってるアイツらを懲らしめにいかなあかんからな」
◇ ◆ ◇
『マッチング完了。ルール:ナワバリバトル。ステージ:Bバスパーク。
双方チーム、準備してください』
機械音声の淡白な声が響く。目を開けると、そこはもう外だった。目の前にBバスパーク特有のでこぼこした地面と高台が見える。
私のゲソの先と頭のアザは黒ずんでいるものの、一応その他はピンク色には染まっている。どうやら体質は問題なさそうだ。
ギュッとわかばシューターを両手で抱える。
……本当に大丈夫なんだろうか? 足を引っ張らないだろうか?
今までずっと体質のせいで諦めていたバトルが、こんな成り行きではあるができることになったのは嬉しい。
けれど、この試合は負けられない。助けてくれた茜さんが大変なことになってしまう。そしたら私の責任だ。そうなったら優しいこの方に、私はどう責任をとれば?
『Ready』
パンっ。
不意に私の背中が音を鳴らした。ビクッと肩を上げて恐る恐る隣を向くと、茜さんが真っ直ぐ前を見つめたまま私の背中を押してくれていた。
大丈夫。
自分のできることをしたらいい。
そう、言われた気がした。
『Go!』
合図と同時に茜さんが一気に飛び出した。みるみる小さくなっていく背中が、とても大きく堂々としていて。まるで太陽が分厚い雲を押し退けるようだった。
──私も、頑張らなくては。