一.
「いい食いっぷりじゃねえかよ市さんよ!」
食わせに来たのは橘御用達のそば屋。市は器用にどんぶりを指先で確認すると吞むように頬張った。
「そんなに腹減ってたらついでに大酒屋だな」
「ぶっ」
市はこの勢いで酒を頼もうとする橘の気迫を感じ、焦って詰まらせた。
「よおっ、こっちにも酒持ってこい」
そんな市をよそに橘は仲居に頼んだ。流れる速さで置かれる瓶を掴んで橘は問いかける。
「どうしたい、大丈夫かよ。咳き込んでやんだ。よしこいつで流してやれ」
お猪口についだ酒を市は俯きながら小刻みに首をふるう。
「いやあ旦那さん、蕎麦食わせてもらっただけで御の字ってのに酒迄貰っちゃ」
「なんだい、飲めねえか。今更そそいじまったのは返せねえや。盆の水なんとやらよ」
市は鯨飲馬食であるが初対面の、ましてや
「旦那様、このお礼はどうしてやりゃあ良いでしょうか。もしやあっしが女なのを見越してですかい」
市は一杯ぐいっと喉に放り込むと、盃をカンっと机に置いて、中心に置かれた酒瓶を見るように話す。
「馬鹿野郎、こいつは俺の仁術だよ。ぶっ倒れてるお人をほっとくのが同心の仕事なら、天下の火盗が名折れじゃねえか。そこらのやくざと変わらねえ。それに俺だって何人もお抱えが吉原に居らあっ」
江戸っ子気質はさく裂し、市の疑いも吹っ飛ばす勢いで啖呵を切った。市は一瞬反り返るが直ぐに噴き出す。
「ハハハハハっ、すいやせん旦那様。そりゃあ渡世じゃねえ火盗付の旦那ならご慈悲があるのも当たり前だ」
「ただでさえ俺たちゃ町の守護を務めてんだよ。あんたみてえな按摩とかを斬るべらぼうどもをふんじばるのが俺の役目さ。況や女を護るためにな」
パンと平手で一回、自分の胸をたたくと徐に立ち上がる橘。
「お勘定!」
二.
退店した二人は町を歩いていた。市の杖で地面をつつく音に、橘は聞き入る。
「旦那様、先ほどは思わぬ御慈悲に授かりましてありがとうございます」
突如立ち止まると深々と市は立礼した。
「なにいってやんでえ、いったろうがよ、貧乏同心にも投げ銭ぐれえあんだよ。俺はどんぶりじゃねえが江戸っ子なら宵越しは持たねえ決まりだろう」
「ではお礼はいったい何にいたしやしょう。こんな素性知らずの女盲にこんだけ旦那様が施して呉れちゃああっしも何か返さねえと、これでは仁義になりません」
「ならおめえさんのその手でやってくれよ」
「按摩、でよござんすか」
「あたぼうよ、おめえ、ほかに何があるって、ア!」
橘は気づいて赤面する。
「だからまだ疑ってんのかよ、べらんめえっ」