コメントとお気に入り登録いただけたYRNT様に多大な感謝を込めて。また原作者様の生み出した座頭市の世界観へ愛を込めて。11/25/2023 21:16
「ただいま」
「随分と楽しまれたのかとお見受け致します」
暁月の軒下、遊郭より千鳥足で帰宅した京二郎は、にこにこしながら正座して出迎えた市にぎょっとした。
「た、ただいま」
「へへへ、そんな隠す事なんざございませんよ。旦那様ほどの菩薩さんなら、少しくらい色がついたところでおてんとうさまが怒ることもありやせん」
普段からへらへらと感情豊かに笑う女ではあるが、どうも胸につっかえるような言い回しだ。
さては、俺に嫉妬しているのか。男として妬かれることはこの上ない箔がついたというものだ。
「なんでわかるんだい」と、京二郎は市の前に膝を付いて迫った。
「視えなくてもわかります。旦那様がたは、よう戯れなさった」
妙にぞわっとした君の悪さと後味の悪さがあった。
なんだこの女、嫉妬しているのか。
「…すまねえ」と、京二郎は酔いが一気に醒めた様にひきつった顔で呟いた。
「あっしは色恋沙汰は視えません。が、真っ暗でもよう見えるんで御座いますよ旦那様」
女は瞑った瞼の向こうに何か黒々とした念を彼に送る様に云った。
「男に哭く女の人のつらが」
「赦してくれ!」
「へえ、まさか旦那様がそんな功徳を」
「俺が唯一つら下げなくてもいい至福の時だ。あの女郎が俺をただで拠って来るなんてよ」
「それでも盛らないのは縁切寺の坊主さんがたも見習ってほしいや」
「相変わらずくちがわりいな、市さん」
胡坐を掻いてかゆを飲み干した京二郎の両肩にそっと手を置いた。
びくっと脳天から突き破る様に緊張したが、すぐに手もみに身を委ねた。
「凝りつくしてるのは、体も心も同じでございやすね」
「勘弁してくれよ、俺あさっきから圓朝の怪談話みてえに背筋が凍っておっかねえんだ」
「へへへ、ってことは、やっぱりあっしをそういう目で視てるってことですか」
「え?」
女は、ぴたりと手を止めると、覗き込むように笑っていた。
「あっしが怒ってる様に見えますかい」
「一応あんたも女だ、俺になんか、なあ。そういう心持でもしてんじゃねえかとばっかしいけねえ詮索を…ああ~、俺だって雄だよ!」
「出ましたね、本音」
一本取られた。剣だけではなくとも。
「参った、参ったよ市さん…実は、親分よりそろそろ身を固めろって言われてるのさ。俺も想えば三十路だ。それで変に気が回っちまってよ」
「さいざんすか」
「それに、最近人斬りが流行り出した。また昨日道場のお師匠さんが斬られてな。実検したときに読みが浅えって親分に叱られちまった」
「またですか」
「あんたが
この男の鈍さというモノは人の好さから来ている。
浅草の観音より優しく、その言葉だけを頼って生きてきた。
市はそれまで畜生渡世の限りを生きてきた。船の上で刺客たちを斬り伏せた時も、そして仕掛けの依頼で道場の翁を竹竿でねじ伏せた時も。人間の汚さというモノは常に虻田の上から浴びるほど感じてきた。
それを考えずに本当の自分が居れた時は、僅かに一つ。それは猫と戯れる事。
然し、京二郎と逢った時より、大きく変わった。
京二郎は猫ではないが、人語は通じるし、そして生き仏だった。
「悲しいですねぇ・・・」
「だよな。市さんなら、そういうよな」
市がそう呟いたのに合わせて、京二郎は全く疑う事も知らないで、深くうなずいた。
「その人は、もしや斬りたくて斬ったわけじゃないかもしれやせんよ」
「その
揉んだ手つきが止った。
「イヤア、この世に人斬りたくて泣いて生まれる赤ん坊がいますかね」
「いねえな。どんな鬼でも泣いて生まれるぜ」
「そうでございやしょう、ましてや人の皮着た奴ならば、嫌でも肉絶つ音は聴きたかないでしょう」
「妙に肩もつ言い草だねえ」
「まさに今ですよ」
呆気にとられた京二郎だったが、刹那鼻で笑った。
「こいつは一本取られた。按摩と掛けたな」
そのまま寄りかかる様に、市は腹に手を廻して抱き着いた。
京二郎は急にこの女が甘えて来たのに驚いた。
「オイオイ、急に何してやんだ」
「へえ、あっしも、女でさ、人の子です」