貧乏同心恋慕調書   作:贋作偽筰

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第7話

1.

「さ、親分さん、呑みなんし」

 「お、格上のだな」

 太夫お銀は、その麗しいまでの化粧と(かんざし)と、そして金剛華美な召し物を纏って、平六の盃に注いだ。

 不服そうに、若い25程の男がじっとお銀を視ていた。

 「親分さん、お隣さん。今日(こんにち)はありがとござりんした」

 「女郎、父はお前を首の皮一枚で持たせてやっているのだ。更に誘惑の限りを尽くして母からかどわかそうだのと策を巡らすな」

 廻り方同心の兵太郎(へいたろう)は、今年25になる男である。平六は実父であり、幼少の時から京二郎と共に養育されてきた。厳格だが家庭では忌憚なき子煩悩の父だった。休暇の日には住み込みの女中や書生を引き連れて、庭で飯を食うのが好きだった。

 ある日、穢い男を拾ってきた。母は戸惑ったが、平六は同じ召し物を着せ、部屋を与え、兵太郎と共に剣術と読み書き和算を叩きこんだ。養子に引き取り、男は義理の兄として同じ同心となった。今では京二郎はオンボロ長屋、己は実家の屋敷。

 隣の馴染の旗本の娘、お(きぬ)を娶り、父、母共に暮らしている。将来的な家督を継ぐのは己であると強く確信しているが、父の心は京二郎に向き始めているのを感じ取っていた。

 母からは早く孫を生んで京二郎よりも先手を打てと重圧を受けている。

 その鬱憤と糞真面目さがたたって、彼はお銀に素直になれない。

 「怖いお顔、女郎とてここに来れば旦那さんも座敷童。あちきが追い出しても文句ひとついえないよ。塩次郎の判捺してやろうか」

 「女郎如きが、客の(いとま)(べっ)するか!」

 女は眼を細めて袖で口を隠した。

 「あ~嫌々。京二郎様とは食いもんが違って性根が腐っちまったんだね。同じ兄弟でも菩薩と餓鬼(がき)かえ」

 「貴様…」

 「よせやい、せっかくお銀に労わってもらってんだ。うめえ酒くらいかかあが居ねえ時に喰らわせろよ、馬鹿倅(ばかせがれ)

 「父上…。そうは云いましても、京二郎は……」

 「親分さん、何で京二郎様はいないんざんしょ?」

 「京二郎はまっつぐ()えった。二日経つが瞽女(ごぜ)にうつつ抜かしてるな、ハハハ」

 今日はやっと秀泉の検分が終わり、近くの寺で荼毘に付した。

 その祝いでこうして実子を連れて大酒にありついたのだ。伊藤姓を京二郎は継ぐことは無かった。養子に入る分で、当然人別帳には書くわけだが、どうしても橘を棄てる覚悟は無かった。

 京二郎は、本日も血気盛んに仇討を誓う彼の門弟を奉行所から追っ払う役目を終えて帰途についていた。途中で馴染のばくち打ちや乞食と寒空の下で一杯だけひっかけて談笑した後に、頭にあのへらへらっとした市の顔がよみがえり、慌てて戻っていったのだ。

 

 

2.

「やっぱり、京二郎様は…あたしを見ちゃいないんだね」

 「アイツも天下の周りもんで日の本一の功徳が来てるってのに、惜しい馬鹿だよなあ」

 「父上、もう兄に構うのはよしましょう。薄気味悪い女めくらなど引き込んで、渡世どもと組んでいる落魄(おちぶ)れた男に、十手も剣も握らせることは出来ません」

 「…おめえ、それ本気で云ってるのか」

 急に眼が仁王になった。鬼の睥睨は空気をも気圧す。

 口元に寄せた杯を静に置くと、平六は仁王の形相をゆっくりと向けた。

 「あいつは、俺の息子だ。それでいて大事(でぇじ)な子分だ。次に俺の後継ぐのは、そんな器しかねえおめえだってのか」

 「父上。歯向かう事は承知の上での諌暁(かんぎょう)です。直ぐにでも勘当して、この女郎との上方(かみかた)放逐(ほうちく)する策略(さくりゃく)(はよ)う進めてしまいましょう」

 平六はお銀の強い勧請で、内密に京二郎との身請けにだそうと一年前より画策していた。

 手筈はこうである。先ず最近自身の上長であり、奉行であった佐野英吉(さのえいきち)が老年になり、閑職であった大目付に昇進した。然しこの男は世にも不思議なほどスルリと人の懐に飛び込むのが上手かった。

 大目付の取り纏めの役は老中である。老中は定員4~5名である。

 そのうちの一人と裏で繋がって居り、大目付の役を引っ張り出したというのは専ら噂だった。それを踏まえて平六は既に脱走の傷がついている彼女を逃す為に、老中と繋がる英吉に頼んで上方の公家の屋敷に住み込みで逃してやろうという遠大丁半博打な事を本気で考えていた。

 とある篤志家の公家が事情を英吉経由で聴き、妾というていで屋敷に住まわせても構わないと密書を平六に送り付けてきたのだ。肝心な京二郎であるが、こちらは京都の治安維持にあたる京都所司代付(きょうとしょしだいつき)の同心として、公家の守護警備に廻して事を納めようという。

 まさか本当にこんな綱渡りを鬼の平六は為そうとしている。

 「親分さん、あたし、京二郎様と行けるんなら、公家の妾でも何でもなってやるよ。どんなに体に傷つけたって、命とあのお人が居るんなら何処だって極楽さ。だから、ねえ」

 すがりつく太夫を、平六は眉を顰めて訝しく視た。

 初めて反抗らしい反抗をして、利害の一致というさもありなん状況で事を進めようとする息子と、一途に京二郎のみを見据える女郎に、今日終わった検分から、やはり女やも知れぬ人斬りに脳を搔き乱されながら、ようやっとめくらと身を落ち着かせる気概の京二郎を、平六は黙って杯を飲み干して想起しながら、盆に強く高台(こうだい)を打ち付けた。

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