「星を見に行くわ」
部屋に入るなり、彼女はそう言った。
彼女が星を見に行くのは、別にそうおかしな話じゃない。
数年前、新月の日。出会った時から習慣化していたことであった。
それでも私がおかしいなと思ったのは、今がまだ日中、星も見えない正午前であったからだ。
頭に疑問符が浮かぶ。それを察したのか、彼女は補足を入れた。
「星を見るって言っても、こっちからじゃ見えない星もあるの。だから、ちょっと遠くまで」
そう言って彼女が見せたのは航空機のチケット。
行き先はなんと南半球。今の日本は冬だから、きっと現地は真夏だ。
東京近辺ならまだしも、海外ともなると話は別。
指導者として彼女を導く責任がある以上、理由を聞かないわけにはいかなかった。
「なんでこの時期に?」
そう聞くと、彼女はほほえんだ。
「カノープス。日本からじゃよく見えないもの。せっかくなら星座で見ておきたくて」
彼女らしいといえばそうなのだが、私が求めていた答えではなかった。
彼女が答えたのは何をするか。私が欲していたのは、なぜそうするか。
“星座で見たい”という答えは「なぜ」の答えになりそうだったが、とはいえ納得のいくものでは無かった。なぜなら、あまりにもリターンが小さいから。
でもまあ、彼女にとっては重要なことなのだろう。人と人の間で価値観が違うってのはよくある話だ。ウマが合う相手だろうと、そのような違いというのは存在する。
それに、彼女を担当するなら、それは最初からわかっていたことだ。
私は勝手について行くだけ。だから、今回も勝手にやらせてもらう。
「まあいいや。アヤベ、チケット見せて」
彼女がさっき取り出した航空券を手に取る。
明日の朝、行き先は同じ。前日の購入は可能だっただろうか?仕事も無いわけではない。
とはいえ、幸いな事に今は色々な仕事がひと段落ついてる時期だ。私を縛る柵は何も…とはいかないけど、そんなにない。
迷いを捨てて、「購入」と書かれた赤いボタンを押す。
「明日の朝ね。私も行くから」
彼女はそんなに驚いていなかった。ちょっと拍子抜け。
翌日。
直行便で目的地に着いた私たちは、早々に展望スポットに向かっていた。
仕事柄飛行機には結構乗るんだけど、やっぱりあの感覚には慣れない。
結果として、今の私は飛行機酔いしてる。
でも、彼女はそんなのお構いなしにどんどん先に行ってしまうのだ。
「ちょっと、着いたばっかりなんだから少しゆっくりしてこうよ……観光とかさぁ」
ウマ娘と成人女性の体力差ってのも勿論あるけど、そもそもせっかく海外に来たのだ。観光するってのが礼儀なんじゃないかなぁ、なんて。
「悪いけど、観光してる暇なんて無いわよ。ホテルも取ってないし、帰りの便だってすぐだし」
まあ、そんなことだろうとは思ってたけどね。
「ボサっとしてると星が出ちゃうわ。ほら、早く」
勝手についてくるんでしょう?——うん。それを言われたら何も言えない。
「……着いたわよ。そろそろ降ろすけど大丈夫?」
「勝手について行く」って言った手前、あまり彼女を頼るわけにもいかなかったんだけれど、流石にヘトヘトの私を見かねたのか彼女は手を貸してくれた。
私はいつも助けられてばかりだ。
彼女を追って山に入ったあの時だってそうだった。
「…あ」
ふと見上げると、仄暗くなった空に一番星が出ていた。
アヤベにも教えてあげなくちゃ。ほら、見て!
「残念だけど、降りてくれないと見れないわ」
「買ってきたよ」
2人でベンチに腰掛ける。
正直勢いで来たからこの国がなんて国なのか覚えてないんだけど、英語が通じる国で良かった。そう思いながら、彼女にハーブティーを渡した。
お茶を飲み、星を見上げる。さっきまで、日本と違うところを色々見てきた筈なのに、何故だろう。こうしていると、日本とそう変わらない気がしてくる。
世界は繋がっている。同じ空の下で……ベタだけど、そういうことなのかな。
「でも、逆なんだ」
その時気づいた。日本とは、オリオン座の向きが逆。
よく見ると、周りの星もみんなそうだ。(私はあんまり星に詳しくないから、確証は持てないんだけれど)
「南半球だから、星が見える向きも逆なの。オリオン座の右肩にあるベテルギウスも、逆さだから下側に見えるわ。でも、違うのは星の向きだけじゃない。ほら、こっち」
彼女の指す方を見る。そっちにもやっぱり満天の星空。
素人目には、何が違うのかわからないけど……
「言ったでしょう?日本からじゃ見えなかったり、見えにくい星座もあるって。みなみじゅうじ座あたりは有名ね。ほうおう座だったり、はえ座っていうのもあるの。それで……」
再び、指す方向を見る。そこには、一際輝く星があった。
「あれがカノープス。りゅうこつ座の一等星で、全天で2番目に明るい星」
月並みだけど、本当に綺麗だった。
日本じゃあまず拝めないくらいの、まばゆい輝き。
知らず知らずのうちに、口から声が漏れる。
「……なんでアヤベがこっちに見に来たのか、今ならちょっとわかるかも」
「そうね。カノープス自体は日本からでも見えるけれど、場所が限られる上にここまで綺麗には見えないわ。それでも、それは本来の目的とはちょっと違う。わざわざこっちに来たのは、星座で見るためだもの」
そう前置いて、彼女は話し始める。
「りゅうこつ座は、元々アルゴ座という大きな一つの星座だったの。それがある時、4つに分かれた。ほ座と、とも座と、らしんばん座。そして、りゅうこつ座に。今ではもう、アルゴ座という星座を見ることはできない」
「でも、星は変わってないんでしょ?」
「見方の問題よ。それが何も変わっていなくても、認識が変わってしまっているの。もはや私はそれを「アルゴ座」として認識できない。「りゅうこつ座」や「とも座」としてしか認識できないの」
認識が変わってしまう。自分を責めるあまり、いつしか祈りは呪いに。
それは、彼女も良く知っていることだ。
既に別れてしまったもの。それはまるで何かを表しているようで。
もしかすると、これは彼女なりの——
考えすぎか。
空からも星は見えるのだろうか。
見えればいいなと、心から思う。
「ねぇアヤベ。私の認識は、初めて会った時から変わった?」
「あなたの認識は、ずっと「変な人」。これまでも、多分、これからも」
「…あなたは、いつまで私についてくるの?」
「う〜〜ん、ずっと。100年だって、1000年だって……12000年だって」
「………そう。それは——」
騒がしくなるね、きっと。