「ここが、ハイカラスクエア……」
まだ少し肌寒い春。
周りにいる他のインクリングと比べて一際大きな荷物を持ったオレは、イカとコンクリートの森に圧倒され、その場に茫然と立ちつくす。
朝にも関わらず(と言ってももうお昼に近いが)、駅前は様々な色のインクリング達で溢れかえっていた。
オレの名前は
服装は長袖長ズボンの、何処にでもある普通の服で、両手に黒くピチッとしたレザーの手袋をしていた。
ハイカラスクエア。開発途中ではあるが、日々バトルが繰り広げられ、今最も熱い場所。そんなハイカラスクエアには、バトルに憧れる多くの若者が訪れる。
オレもまた、その一人だった。
・
・
・
「ふぅ……これである程度、引っ越しの片付けはできたかな」
とりあえず生活するのに必要な荷物を整理し、オレは一息をつく。まだ開けていないダンボール箱は一箱二箱残っているが、必要になればおいおい出していけばいいだろう。下手に全部出してゴチャゴチャになるのは避けたいし。
「あ、そういえば『着いたら電話しろ』って言われてたんだったっけ……」
オレはイカスマホを取り出し、実家への電話番号を探す。
今回、オレがハイカラスクエアに来て一人暮らしを始めた理由は、ほとんど両親による強い希望だった。2人いわく、「広い世界を見てきてほしい」だそうだ。
今の時代は14歳になり、ヒト型を維持できるようになれば、バトルに参加するために都会で出てくるのが一般的……だが、オレはそれを無視し続けた。
いや、バトルに全く興味が無いという訳ではない。毎週欠かさずプロの試合の実況番組やスポーツ雑誌、バトル解説番組を見ていたのだから。
理由は母だ。母は目が見えない。光ぐらいならボンヤリわかるらしいが、生活に支障が出るレベルで目が見えない。昔とある事故で視力を失った話らしいが……詳しいことは教えてくれない。
そういう訳で、オレは母の手助けをせざるを得なかった。心配だったから。……まぁ、昔から母は「大丈夫だから」と一人だけでわりと色々こなしてはいたが。
それでもオレは、何か力になりたかった。
今回ハイカラスクエアに出てきたのは、両親の熱意に負けたというのもあるが……第一の目標は『おカネを稼ぐこと』だ。父の稼ぎでなんとか生活は出来ているが、それでも少ない。まだ小さい妹もいるし、おカネがあって損は無いだろう。
この目標は両親には内緒だ。絶対「そんなことしなくていい」って言うはずだから。
「……あ、もしもし? シオンだけど」
『……シオン? 良かった、無事着いたのね』
「その声は母さん? うん、ちゃんと着いたよ。今引っ越しの片付けが終わったとこ」
実家の電話番号を押し、電話をかける。出たのは例の母だった。
『どう? ハイカラスクエアは。ここと色々違ってて、面白いでしょう?』
「まだそう思うのは早いよ。確かに色々ビックリはしてるけど」
『ふふっ、そう。大丈夫だとは分かってたけど、やっぱり心配だったから』
「心配性なんだよ……母さんと父さんは。オレはもう16なんだよ? 一人暮らしぐらいできるって」
『親が子供の無事を祈るのは、いつだって当たり前なのよ』
フフフッと穏やかに笑う母。オレも思わず口元を緩める。
母は穏やかな性格だ。怒った時は怖いが、それはオレ達が危険なことや間違ったことをした時だけ。お節介なところはちょっと飽き飽きしてるけど。
「そういえば父さんは? 見送りの時いたはずだけど」
『お父さんは今少し出てるわ。買い物に行ってくれてるの。洗剤が切れちゃっててね』
「…………そう」
内心、オレはホッとしていた。
ボクは父が苦手だ。父も母と同様、穏やかな性格だ。
しかし少しズレていたり、抜けていたり……良くいえば天然じみた、悪くいえば世間知らずなところがある。
何回か、オレはその事でイライラして父とぶつかったことがあった。その時でも父は驚いた顔をするだけでほとんど怒らず、むしろ少し悲しそうな表情を見せるだけだった。
それがオレにはなんだか憐れみの表情に見えて……いっそうイラつかせるのであった。
『あ、そうそう。シオン、行く前に電話番号を書いたメモ渡したでしょう?』
「うん。確か……ハイカラスクエアに住んでる母さんの知り合い、だったっけ?」
『そうよ。困った時はそこに電話すること。まぁ、すぐ調子に乗ってバカなことやらかして他のイカの気持ちに鈍感な、どうしようもないイカだけど』
「それ本当に大丈夫なの……?」
母の早口な言い草に苦笑する。滅多に他のイカの悪口を言わない母さんにそこまで言わしめるとは、一体どんなイカなのだろうか。
『でも、根は優しくて真面目な性格だから。必ず、力になってくれると思うわ』
母の声音が柔らかくなる。まるで、そのイカのことを心から信頼しているように。いや、信頼しているのだろう。じゃないと、オレにそのイカの電話番号なんか教えないはずだ。
『母さん! 誰と電話してるの? もしかして兄さん!?』
『あ、ちょっと待ってシエロ。ちゃんと代わってあげるから』
「近くにシエロがいるの? 母さん?」
向こうからドタバタと物音が聞こえた。
ほんの数秒後に少女らしい、高く軽やかな声が画面の向こうから聞こえてくる。
『兄さん! ハイカラスクエアはどう? もうバトルはした? 都会って何があるの? テンタクルズには会った? ジャッジくんってやっぱりモフモフしてた!?』
「ちょっ、ちょっと待ってまだ着いたばかりだから!」
スピナーのように捲し立てられる質問に、慌ててストップをかける。
シエロはオレの妹だ。優しくて大人しい、しかし好奇心旺盛で負けず嫌いという相反する性格を、見事身体一つで体現したガールだ。
今回、オレの一人暮らしを始めるにあたってその高い好奇心ゆえに付いて行きたがったが、『まだヒト型になれない』ということで家族全員から止められたのだった。見送りのときにわんわんと泣きつかれたのは記憶に新しい。
その反動だろうか、今日はいつもより勢いが強い。
『だって気になるんだもん。兄さんばっかりズルい!』
「仕方ないだろ? シエロはまだヒト型になれないんだから」
「う〜〜〜」と唸る声が聞こえる。これはとても不機嫌な時の声だ。フォローを入れないと、後々面倒なことになる。
「シエロもヒト型になれたら、母さん達からお許しが出るはずだよ」
『でも……』
「その代わりオレが経験したこっちのこと、教えてやるから。そしたらこっちに来た時の楽しみが増えるだろ?」
『ホント!?』
シエロの声がパァーっと明るくなる。
「あぁ。だからあと一年の我慢、な?」
『うん!』
なんとか機嫌が戻ったみたいだ。ふぅ……と、バレないように小さくため息をつく。
また母さんに代わってもらうと、母さんは小さく「ありがとう。流石お兄ちゃん」と言った。少し照れくさい。
『とにかく、色々なものを見て、様々なイカに出会って、より多くの経験をしてきなさい。その全ては必ず、あなたの一生の支えになるわ。母さんと父さんのようにね』
「ふーん…………」
そんなことを言われても、オレにはピンとこない。確かにいい経験にはなると思うが、果たしてそんな大層なものなのだろうか?
『それじゃあね。体には気をつけて。あなたは少し“病弱”だから……』
「あーはいはい、分かってるよ。じゃあね、母さん」
母さんの言葉を遮り、ボクは通話を終了する。というか話そうと思えばイカスマホでいつでも話せるのに、大袈裟だ。
「もう夕方、か」
窓を見ると、もう外は紫がかった茜色。明日は選手登録のためにデカ・タワーに行き、そのままナワバリをするつもりだから、もうそろそろ寝る準備をした方がいいかもしれない。電気を付け、新品のカーテンを閉めるために立ち上がった。
カーテンを閉める前にポツポツと出始めた星を一瞥する。
ふと「初心者が多く来るが、同時にバトル離れの若者が多い」という、不吉な新聞の一面を思い出した。
「
誰も聞いてない、秘かな決意が思いがけず零れる。
普段は隠している素の僕がポロリと零れる。
田舎だった故郷とは違って数少なくなった星達は、故郷と変わらず僕を見下ろしていた。