【完結】雨上がりの向こうへ   作:桜ノ宮雨

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 黒に侵食される話。


十六滴目 蝕まれる

 目が覚めると、見慣れた景色だった。

 

 真っ白い天井に、左から眩しい、人工的な明かりが差し込む。

 

(あぁ。僕、黒インク吐いて倒れたんだっけ……)

 ゆっくりと上半身を起こす。

 

 ここは───病院だ。嗅ぎなれた消毒の臭いが鼻につく。どうやってここまで来たのかはわからないが……とにかく助かった。

 

 僕はまだ、生きている。

 

 

「…………シオン?」

 

 突然、明かりの方から名前を呼ばれた。顔を向けるとそこには───

 

「とう、さん……?」

 

 居るはずのない、父さんの姿があった。

 

「良かった。目が覚めたんだね。君に何かあったらどうしようかと……」

「どう、して……?」

 純粋に疑問をぶつける。

 

「リクと、君のフレンドさんが知らせてくれたんだ。だから新幹線に乗って、すぐにここへ来れた。すぐに動けるのが、僕だけだったから」

「リクさんと……ツバキが…………」

 

 そうだ。段々と倒れる直前の記憶がハッキリしてきた。

 

 バイトの後、ツバキに八つ当たりをして、ツバキの前で黒インクを吐いて倒れたんだ。

 

 ツバキは大丈夫だろうか。こんな怖い光景を見せてしまって、すごく心配をかけているに違いない。

 それに彼にとって『怒鳴られる』ということは、とても辛いことであるはずなのに。申し訳ないことをした。

 

「良い、フレンドさんを持ったね」

 父さんがポンッとオレの頭に手を置いた。

 

 その表情は優しく、オレが病気で寝込んだ時の父さんの表情だった。

 

 

「身体は大丈夫かい? まだ少しぼんやりしているはずだろう。今日はまだゆっくりお休み。……大丈夫。今日は僕がずっと側にいるから」

「…………別に。大袈裟だよ。ちょっと許容量を見誤っただけ。ほら、もうこんな元気に───」

 そう言って、点滴をされていない左腕を上げて見せる。

 

 だが、

 

 

「あれ? なに、コレ……」

 

 腕には見慣れない、黒の模様が表れていた。

 

 

 それは元々黒ずんでいた指先から、ツルのような模様が肘辺りまで伸びていた。それは右腕も同じ。

 

 まるでそのツル模様がごとく、腕に絡みつくように伸びていた。

 

 

「っ!!」

 それを見て、父さんは顔をこわばらせた。

 

「…………なにこれ。黒インクのアザ、だよね? また広がったの? にしても、なんでこんな形に……」

 

 

「すまない! シオンっっ!!」

 

 

 突然、父さんがオレの左手を両手で握りしめてきた。

 

 少しギョッとして父さんを見る。

 

「ちょ、ちょっと本当……大袈裟だってば。こんなの大したことないよ。まぁ少し隠す範囲広がって面倒だけど、これはオレの自業自得だし……」

 

「違うっ!! これはっ、これは僕の─────!!」

 

 オレの左手を握りしめ、そこに頭を寄せて泣く父さん。

 

 

 父さんが泣くところなんて、初めて見た。

 それどころか、父さんが感情を露わにしているところを、初めて見た。

 

 

 うっ、うっと、父さんが微かに泣く声だけが病室に響く。

 

 オレは茫然と、それを眺めていた。

 

 

 

 同じ刻、その病室の外では踵を返す音が遠く、遠く響いていた。

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

『疲労』と判断されたため、一日だけ検査入院をして家へと帰った。

 

 結局、腕のアザについては何も言われなかった。

 まぁ黒インクは世間から隠されたモノだし、医者も『ただのタトゥー』と判断したのだろう。

 

 でも父さんも、何も教えてくれなかった。

 

 何か知っているはずの反応だった。

 

 でも、それでも、何も教えてくれなかったんだ。

 

 

 

 それから数日、バトルは休んで父さんと一緒に過ごした。

 

 ちなみにあのチームは抜けた。

 元々病弱だったこと、倒れて病院に運ばれたこと、医者から安静にしているよう言われたことを伝え、抜けさせてくれるよう頼んだ。

 だいぶ渋られたが、最終的には皆んなわかってくれた。

 

「また気が向いたら来てね!」って言われたけど、正直言ってもう戻る気はしない。

 良いヒト達だったとは思うけど、オレには合わなかったのだ。

 

 そう思うようにした。

 

 

 そしてオレは父さんに、ハイカラスクエアを案内した。

 またリクさんにお礼を言ったり、買い物をしたり……。父さんは見るもの全てに驚いている様子だった。

 まぁ、普段あんな田舎に住んでいるし、都会が珍しいのは当然だろう。オレも最初はそうだったし。

 

 

 でもツバキには、ツーイカでしかお詫びと感謝を伝えられなかった。

 ツバキが「今は親父さんと一緒に過ごせよ」と、気を回してくれたからだ。

 

 彼がまだオレのことを友達だと思ってくれていることにホッとしたけど、罪悪感が拭えなかった。

 いつか必ず、ちゃんと顔を見て謝らなければ。

 

 

 父さんはオレの話を、いつもの微笑みで聞いていた。

 けどリクさんと久しぶりに会った時は、本当に嬉しそうに話していて非常に驚いた。

 

(父さんって、こんな表情するんだ)

 

 それが少し、イライラした。

 

 オレの話にはいつも通りで聞いているのに、リクさんとはそんな嬉しそうに話せるのか。

 いや、久しぶりの旧友に会うのはとても嬉しいことだろう。だからこそ、いつも以上に感情が表に出る。当たり前のことだ。

 

 でも───

 

(オレでは、父さんの感情を変える事ができない)

 

 それがたまらなく、悔しかった。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「父さん、今日は色々回って疲れたでしょ。晩ご飯はオレが作るから、ゆっくりしてなよ」

「いや、大丈夫だよ。むしろ僕が作らせてくれ。シオンはまだ病み上がりだし、僕も料理は出来るから」

「……いや、病み上がりって言ってもただの疲労だし……大袈裟だと思うけど」

「じゃあ一緒にするのはどうだい? しばらく一緒に料理とか、したことなかっただろう?」

「いや、いい。キッチン狭いし」

「そうか……じゃあ父さんはデザートで買ったリンゴを切っておこう。これなら果物ナイフで切れるし、テーブルでするから汚れないし、邪魔にはならないだろう? シオンは昔から、リンゴが大好きだよね」

「…………別に」

 

 そんな淡々と返すオレに臆することなく、父さんは器用にリンゴを果物ナイフで切り出した。

 チラッと一瞥をして、オレは簡単に晩ご飯を作ることにする。

 

 

 リンゴは小さい頃、風邪を引いた時に食べれる特別な物だった。

 父さんがベッドの隣で、今のように果物ナイフで食べやすいように切り分け、食べさせてくれた。

『母さんがリンゴ好きだったから、切るのに慣れた』と、父さんは言っていったっけ。

 

 今では父さんの収入も安定し、オレのバトルで稼いだ貯金も安定した。だからリンゴは、そこまで特別な物ではなくなった。

 

 

 父さんの中では、オレはまだまだ小さい子供のままだ。

 

 

 包丁を持つ手に、ギュッと力が入る。

 

 悔しい。

 

 オレはこんなにも、出来ることがたくさん増えたのに。

 

 

 父さんは今の()を、見てくれない───

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「……ごちそうさま。シオンは本当に料理が上手くなったね。母さんと比べても違いがわからないぐらいだ」

「……だって一人暮らししてるんだし……そもそも家の手伝いしてたし。これぐらい出来なきゃ意味ないでしょ」

 晩ご飯の片付けをして、父さんとリンゴを食べる。

 

「いい」って言ったのに、父さんは「せめて後片付けはしなきゃ」と、勝手に食器類を洗ってしまった。全く、本当に過保護だ。

 

 沈黙。

 

 シャクシャクと、二人で食べるリンゴの音のみ響く。

 

 気づけば窓の外は真っ赤に染まり、足早に暗闇へ急いでいる。

 

 

「…………シオン」

 最初に沈黙を破ったのは、父さんだった。

 

「僕は…………君に話さなければいけないことがある」

「話さなければいけないこと……?」

「あぁ」

 そこで一つ、父さんは息を吐く。

 

 

「僕の、昔の話だ」

「父さんの……? そんなの、知って何の───」

 

 

「君を蝕んでいる、『黒インクの話』だ」

「っ!!」

 

 

 オレは思わず息を殺す。

 

「知りたい、だろう? 自分を蝕む、得体の知れない“何か”。その、正体を」

 

 

 父さんの紅い目が、背景の夕日と共に煌々と輝く。

 

 その姿は───踏み込んではいけない領域に入った感覚を覚えた。

 

 オレの沈黙を肯定と受け取ったのか、父さんは淡々と話し出した。

 

 

「あれは今から、約20年前のことだ────」

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