それからは彼女との穏やかな日々が流れた。
傷はカイの丁寧な看病のおかげで治っていったし、リクと一緒にバトルもした。N-ZAP85を購入したのもこの時だったかな。
バトルはすごく楽しかった。今までの殺伐とした空気と違い、みんな楽しそうに自分の力を試しているんだ。
そうだ。リクとの勝負は五分五分だったかな。今思えば、リクとはいわゆる“ライバル”という関係だったのかもしれない。彼はとても強くてね。僕ら二人の様子に、カイはいつも呆れていたかな。
そんな中、僕はずっと気に掛かっていることがあった。
それは妹──フリージアのことだった。
傷もある程度完治し、そこそこ動けるようになった今、どこかにいる彼女を探しに行きたい気持ちが湧いてきたのだ。
「でもそれは」
カイとの、生活の終わりを意味する。
最近気がついたが、僕は彼女にも特別な感情を抱いている。
ずっと側にいたい。もっと彼女に触れたい。
そんな感情が、僕の思考をかき乱す。
これが、小説に書いてあった『恋』というものなんだろうか?
「アーティくん? どうしたの?」
いつの間にか部屋に入ってきたカイが、ベッドの上でうずくまっていた僕に近づいてきた。
「ご飯出来たから呼びにきたんだけど……何かあった? どこか痛いところでもあるの?」
「カイ……」
心配そうに僕の顔を覗く彼女。
その優しさに、僕は心臓が締め付けられる。
彼女は優しい。優しすぎる。
得体の知れない僕をここまで手当てしてくれて、寝る場所と食べ物、温もりを与えてくれた。
僕は彼女にもらったマフラーと手袋をギュッと握りしめる。
異様に寒がる僕に、彼女が傷も隠せるようにとプレゼントしてくれた、とても大切なもの。
彼女は僕のことを極度の寒がりだと思っているようだが……本当は黒インクを使用した後遺症だ。
彼女はそれを知らない。
僕が話していないから。
僕はどれだけ、彼女に嘘をつき続けるだろう?
そんな僕が、彼女の側にいていいのか?
このまま……彼女の優しさに甘えてていいのか?
「何も、話さなくていいよ」
「………………え?」
僕は咄嗟に彼女の顔を見る。
彼女の紅い瞳が、僕をジッと見ていた。
「あなたが何か抱えていることはわかる。あなたの身体が少し普通とは違うことも……
でも、無理して話さなくていい。その様子だと、何かやるべきことがあるのでしょう? だから何も話さないまま、あなたはそのやるべきことをした方がいい」
「でも」
「大丈夫。私はずっとここにいるから。心配しないで? あなたがここを離れても、私はずっとここで待ってる。
いつでも、帰ってきていいから」
彼女の言葉に、僕は息を呑む。
紅い瞳が、僕の心の内を見透かしている。
──彼女は強い女性だ。
何も聞かないで、僕を温かく送り出そうとしている。
それどころか、僕の帰る場所になってくれようとしている。
「…………カイ」
「…………何?」
僕は意を決して、彼女に話しかけた。
優しい彼女に、誠実になるために。
「聞いて、ほしいことがあるんだ」
「うん」
「僕は説明下手だから、聞きにくいかもしれない。それに、今から話すことは……そんな明るい話じゃない。それでもよければ、聞いてくれるかい?」
「うん、いいよ。聞かせて?」
彼女はいつも通り、即答してくれた。
それから僕は今まであったことを、全て話した。
僕には生き別れになった妹がいること。
僕達は黒インクの人体実験に使われた、被験者だったこと。
黒インクとは、とても危険なものであること。
そして研究所から逃げる際、黒インクを使用したこと。
そしてヒトを、殺したかもしれないこと……
「…………じゃあ、あなたの身体が傷だらけなのも、身体が弱いことも、全部黒インクと実験のせい……って、こと?」
「恐らくね」
「この注射器に入っているものが……例の黒インク?」
僕の懐から出した注射器を、カイはそーっと両方の掌の上に乗せて言った。
「そうだよ。逃げる時に咄嗟に掴んだのがニ本だったから……そのうちの一本だ。こんな危険なもの、簡単には捨てられなくて……
それに万が一、追っ手が来た時使うかもしれないから、ずっと手元に残してる」
「追っ手、って……」
「研究所の生き残りだよ。僕がいた研究所は燃え尽きたけど、奴らが『他の研究所に応援を』って言ってたからね。まだアイツらの仲間がいる可能性が高い」
「そんな…………」
僕が話した内容に、カイは顔面蒼白で俯く。
(やっぱり、嫌われた……かな)
当たり前だ。こんな内容、受け入れられるはずがない。
手当てをして、匿っていた相手が犯罪者、なんて──
「───そっか。話してくれて、ありがとう」
「え…………?」
唐突に、僕はカイに抱きしめられた。
彼女の大きな胸に顔を引き寄せられて、その柔らかな感触が僕を襲う。
ふんわりと甘い香りがした。
「苦しかったね、辛かったね。そんな話しにくいこと、話してくれてありがとう」
彼女の心臓が、とくんとくんと動く音がする。
それはとても───安心できた。
「僕が怖く、ないのかい?」
「全く怖くないと言ったら嘘になる。でもどっちかというと……あなたがまだ危険な目に合うかもしれない、って方が怖い。それにあなたを信じるって、私決めたから」
「どうして、そこまで───」
「だって私───あなたのこと、好きになっちゃったんだもん」
彼女の言葉に目を見開く。
彼女の顔を見ると、彼女は出会った時と同じように優しく微笑んでいた。
「あなたはとっても優しいイカ。そんな辛い目にあっても、他のヒトのことを第一に考えることが出来るんだもの。それにあなたは──────」
彼女が最後に発した言葉に、僕は息を呑む。
視界がキラキラと、明るく輝いた気がした。
君は、そんな考え方が出来るのか。
こんな傷だらけの僕を、許してくれるのか。
君はなんて───素敵なヒトなんだ。
「…………あぁ、アーティくん。やっぱり、それが本当の眼の色だったの?」
「え?」
「気付いてないの? 出会った時からずっと……あなたの感情が出た時、その色になっていたのよ? わかりやすくて、私は助かっていたけどね」
彼女が戸棚の引き出しから手鏡を取り出して、僕の顔を映す。
そこには彼女と同じような──紅い瞳の僕が映っていた。