それから、僕は父さんに聞いたことをずっと考えていた。
まさか僕の持病にそんな理由があったなんて、知らなかった。そして思った以上に、『黒インク』が危険なことも。
父さんの話は……全て、初めて聞くことの連続だった。
『黒インク』の危険性。
『黒インク』を使った、非人道的な実験。
父さんの出自。
父さんと母さんの馴れ初め。
隠匿された、大事件。
なにより────父さんの、“ヒトゴロシ”発言。
父さんのしたことは悪くない。
生きるか死ぬかの瀬戸際だっただけ。そもそも本当に“ヒトゴロシ”だったのかすらわからない。
もし僕も同じ立場……例えばシエロが誘拐されたりしたら、同じ行動を取ったと思う。
自分のことはどうでもいい。ただ大切なヒトが無事ならば。
その結果が、父さんの場合は“ヒトゴロシ”になった、というだけ。
だから正直なところ、その点についてはあまり気にしていなかった。そこには自分でもちょっと驚いたけど。
一番心に引っかかっていたのは───『自由に生きてくれ』と背を向けた、父さんの背中。
(どうして?)
ようやく父さんが自分のことを話してくれたのに、またわからなくなった。
まるで遠ざけるかのように、父さんは僕から距離を置く。かと思えば、この『F-190』を押し付けてきたように、距離を急に詰めてきたりする。
行動がチグハグなのだ。極端、と言ってもいい。
なぜ、父さんは僕から目を逸らすんだろう。
(僕が……『黒インク』を持って生まれたから?)
話を聞く限り、父さんにとって『黒インク』は思い出すのも苦痛なレベルで嫌な代物だ。だからそれを持った僕を、父さんは見ていられなかったんだろうか?
でも、父さんから受けた愛情は“本物”だった。それだけは信じたい。じゃないと矛盾が生じる。
だって、ウザいと感じるぐらい過保護に、ここまで育ててくれたのだ。黒インクのアザがハッキリした時、取り乱して泣いて謝るぐらいに。
でも、だからこそわからなくなるのだ。
『贖罪の色』しか見えない背景に───父さんは何を考えているのかを。
そういえば、リクさんは最初から知っていたのだろうか。
いや、知っていたのだろう。だからオレをすごく気にかけてくれていた。病院の対応がスムーズだったのも、リクさんが裏で色々してくれていたに違いない。
この世界にこんな世界があるなんて……想像もつかなかった。
その時、ぐぅと控えめにお腹の音がなった。
(……もうそんな時間か)
窓の外を見るとすでに赤い光は沈み切っている。
黒インクのように暗い空が、部屋を覆い尽くしていた。
(とりあえずご飯……食べないと)
フラフラと冷蔵庫に向かい、その扉を開ける。
「…………あ」
冷蔵庫を開けて、初めて食材が全く無くなっていることに気づいた。
(三日分ぐらい、あったはずなんだけど)
オレは少食だ。一日に三日分食べ尽くす、なんてことは物理的に出来ない。強盗にあったなら、それはそれで気づくはず。
つまりオレは約三日間、ずっと部屋で考えこんでいたことになる。全く気付かなかった。
「…………食材、買いに行かないと」
オレは財布とイカスマホだけを掴んで、重い重い部屋から外へ出た。
◇ ◆ ◇
かと言って自炊する気力も無く。オレは近くのスーパーに寄ってお弁当を買って食べることにした。
ピークを過ぎた時間だったからか、スーパー内のヒトはまばらだった。当然、残っている商品も限られてくる。
(早く買って、早く帰ろう)
とりあえず目についたお弁当に手を伸ばした。
「「………………あ」」
同じお弁当に手を伸ばした人物と目が合う。
「シオン?」
「…………ツバキ」
それはオレが傷つけてしまったフレンド、ツバキだった。
「シオン……大丈夫か? また顔色悪いぞ? まだ調子が悪いのか……?」
傷つけてしまったのに、真っ先にオレを心配してくれる彼。
その優しさに、オレは柄にもなく涙が出そうになる。
「ツバキ…………この間はごめん。オレ、イライラをツバキに八つ当たりしてしまった。ツバキはこの前、『怒鳴られるのが苦手』って言ってたのに……」
「それは……病気とストレスのせいだったんだろ? リクさんから聞いたよ。だからシオンは……悪くないよ」
「でも……アレは……」
「むしろ俺の方こそごめん……俺シオンが体調悪いこと、気づいてたのに。嫌われるのが怖くて止められなかった。
俺が止めていたら、倒れるまで悪くなるってこと、なかったのに……」
「なんで……ツバキが謝るのさ。全部オレのせいにしていいんだよ。実際オレが悪いんだから」
「いや、でも…………」
ツバキとの会話になんとなく既視感を覚えて、思わずプッと吹き出す。
「シオン…………?」
「くふふふ…………もう、やめよう? このままだと、お互い謝ってばっかりだ。だから、この話はこれで終わりにしよう。
───君とオレは、“友達”なんだからさ」
「っ! ───あぁ、そうだな!」
ツバキが心底嬉しそうな“色”になる。
顔を見合って、お互いクスクスと笑い合う。それはオレの心を、とても穏やかにしてくれた。
「シオンも晩ご飯まだなんだろ? 一緒にどこか食べに行くか?」
「…………いや、どうせならオレの家に来なよ。と言っても食材ほぼ無いから、今から買ってすぐ作れる鍋ぐらいしか出来ないけど」
「えっ……いいのか? でも俺めっちゃ食べるし……」
「オレが、ツバキに来てほしいんだ。……今、あまり家に一人で居たくなくて」
「……じゃ、じゃあさ! 『オトマリ』っていうの、してもいいか!? 俺、昔からすごく憧れててさ……!!」
キラキラと効果音が聞こえてきそうな表情で言ってくるツバキ。ツバキからその提案が出てくることに少々驚いたが、その提案はいいかもしれない。
現に今、オレは自分をコントロール出来ていないから……ヒトが一緒に居てくれていた方が、安心するかもしれない。
「お泊まり? ……うん、いいよ。むしろ助かる」
「じゃ、じゃあ! 俺、家からオトマリグッズ持ってくるよ!」
「あ、そういえば……オレの家にある鍋じゃあ、二人で食べるには小さいかも。それも買わないと……」
「大丈夫! 三、四人前? 用の鍋持ってるから! それも持ってくるよ!!」
「一人暮らしで、三、四人前用の鍋……? なんで持ってるの……?」
こうして急遽、オレはツバキと『お泊まり会』をすることになった。
・
・
・
ツバキとの晩ご飯は、とても穏やかなものだった。
突然決まったから鍋の素に少しアレンジをしただけだったが……それでもツバキは美味しい、美味しいとモリモリ食べてくれた。
一緒に食べる、と言っても、オレはやはり多くは食べられないので……ツバキが食べる様子をほぼ眺めているだけになっていた
でも、それでもいつもよりは多く食べることが出来た。誰かと久しぶりに、一緒にご飯を食べたからかな。とても懐かしい気持ちになった。
「シオン、食べないのか? これめちゃくちゃ美味しいぞ!?」
「ちゃんと食べてるよ。君がオレと比べて、たくさん食べるってだけ。……フグみたいに口の中パンパンになってるよ」
「あって、おいひいし……」
「慌てなくても、食材はたくさん買っただろう? 取らないから、ちゃんとよく噛んで食べて」
ご飯を食べている時のツバキは、本当に嬉しそうな“色”をする。
(父さんも、これぐらいわかりやすかったらいいのに)
つい、そう思ってしまった。
・
・
・
「…………親父さんのことが、わからない?」
「…………うん。そうなんだ」
ひと段落して、オレはツバキは自分の悩みを打ち明けた。
もちろん、黒インクのことや父さんの出自についてはぼかした。
ただ、両親には過去に事故があった事。
それによってオレが病弱に生まれてしまった事。
それを父さんが申し訳なく思っている事…………それだけを話した。
「オレは……父さんの‘’考えていること”がわからない。急に自分のこと話して歩み寄ってきたかと思えば、前触れもなく『自由に生きてくれ』って言って、オレを突き放したんだ……
その行動が、よくわからない。矛盾してるんだ」
ツバキはオレの話を、静かに聞いてくれた。聞きたいことがたくさんあっただろうに、静かに聞いてくれたんだ。
「普通はさ、自分のこと話してきたのなら、少しは相手の“考えていること”ってわかるじゃないか。そうじゃなくても、態度や言葉でなんとなくはわかる……
でも、父さんは違う。まるで押しては返す波のように、一歩進んできたと思えば、次には二歩も下がってる」
「……」
「父さんは昔からそうだった。感情が見えないんだ。何も喋ってくれない。何も応えてくれない。勝手に行動して、勝手に納得する。“父さんが考えていること”は、いつも不透明で…………
それが、昔から嫌だった。今回もそうだ。なんだって唐突に……」
「…………なぁ」
突然、ツバキが口を挟んできた。
「……なんで、シオンは“親父さんの考えていること”にこだわってるんだ?」
「えっ……だって考えてることがわからなきゃ、父さんの行動の意味なんてわかるはずないじゃないか」
「でも」
ツバキはあっけからんと、言い放った。
「『ヒトの考えていることがわからない』って、
「────っ!!」
ツバキの言葉に、
「俺だって……ヒトの考えていることが簡単にわかったら、こんなに苦労しないよ。でも、どこまでいっても俺以外は“他人”だ。だから色々考えちまうんだ」
「……じゃあ、どうして君は……僕と仲良くしてくれるの?」
「それは──シオンが、シオンだからだよ」
ツバキは真っ直ぐに、僕に向かい合って言ってくれた。
「シオンといる時、すごく楽なんだ。少なくともシオンは俺のことを嫌っていないし、俺のこと第一に考えてくれるし、自分の意見をハッキリ言ってくれる…………それがたまらなく、安心出来るんだ」
ツバキが穏やかな表情で、穏やかな『桃色』で、自分の気持ちを話してくれる。
それは『信頼の色』だった。
「オレは口下手だ。だからそれを汲み取って、先に意見を言ってくれるシオンには本当に感謝してる。だから俺も、自分の意見をしっかりと言えるんだ……シオンは親父さんに、自分のことを話したのか?」
「それ、は…………」
思わず口籠もる。
相手の感情の色を読み取るのに必死で、『自分のことを話したか』なんて、頭の片隅にも無かった。
「家族から逃げた俺が言えた事ではないけど……シオンは親父さんと、よく話すべきだと思う。…………せっかく、仲良い家族なんだからさ、大事にしないと損だよ」
「仲良い、家族……?」
ツバキの言葉に、少し疑問で返す。
「えっ、だってシオンの体調が心配で……わざわざ数時間かけて来てくれたんだろ? そんなの、相手のことを大事に思っていないとしないだろ」
僕の疑問に、ツバキは非常に驚いた顔で返してくる。
そうか。
ツバキからは『仲良い家族』と、僕と父さんは映っているのか。
そうか────
◇ ◆ ◇
…………その後、「もう夜も遅いから」とお互い布団に入った。
どちらがベッドに入るかの軽い論争はあったが、結局「まだ体調よくないんだろ」というツバキの圧に押されて僕がベッドに入った。
床に簡単な布団と毛布をひいて、「もう食べられない……」と、少し寝言をいいながら眠りこけるツバキ。
夢の中でも何か食べているらしい。全く、ツバキらしい事この上ない。
対して僕はあまり寝付けず、天井を見上げながらツバキに言われたことを思い返す。
「『考えてることがわからないのは当たり前』か……」
言われてみればそりゃあそうだ。
いくら僕が『感情の色が見える』とは言え、それは僕からの直感。実際に合っているかどうかは本人に聞かないとわからない。
ましてや『思考していること』など、最初から分かるわけがなかった。
───それに僕は、頼りすぎていた。
あまりにも不安定、確実性のない直感に、「それが全てだ」と信じ切っていた。
だって昔から、自分の思った通りに相手は感情を出してくれたから。同年代の子供はもちろん、大人達も同じだった。たまにちょっとズレることはあったけど、僕の答えはほぼ“正解”だった。
ヒトの感情は複雑だ。
相手自身が本当に『嬉しい』と思っていたとしても、無意識下では『迷惑だ』と、感じていることもある。笑っていても、本当に笑っているのかどうか、わからないこともある。例えばあの、リクさんの怖かった笑顔のように。
自分でもそう、わかっていたはずなのに。
(僕は……どうしたい?)
目を閉じて、考える。
父さんの気持ちを考えるのは辞めだ。考えても意味が無い。だって答えなんて一生出ないのだから。
ならば、自分自身の気持ちならば?
(僕は─────)
ガバッと飛び起きる。
答えはすぐに出た。
ひどく単純な答えだ。
それは最初から、
問題はその後。
(どうやって、父さんに伝える───?)
呼吸が浅くなる。否応にも焦りと不安が先行する。
父さんは『自由にしなさい』とここから出ていった。
それは、『僕にもう会わない』という意思表示だったのでは───?
早く伝えなければ、父さんが遥か遠くに行ってしまう。
そう、感じた。
「…………シオン……?」
切迫詰まった僕の雰囲気に感化されたのか、ツバキが眠そうに目を擦って僕を見る。
「……ごめん、ツバキ。起こしちゃった?」
「ううん。どうしたの?」
「ツバキ…………僕、実家に帰ろうと思う」
「じっか、に……?」
「うん。早く、父さんに僕の気持ちを伝えないと……父さんが、とても遠くに行ってしまう。そんな、気がして…………」
「…………そっか」
ツバキはボーッとしながらも、返事をしてくれた。
「だから明日にでも……」
「じゃあすぐ、いかないとね」
「………………え?」
ツバキの言葉に、僕は驚いた。
「だって、おとうさんがとおくに行ってしまうんでしょ? じゃあいまからすぐ、行かないと」
ツバキが優しく微笑む。
とても幼く、穏やかな性格。
たぶん、これが本当の彼なんだろう。
「ぼくのことは、気にしないで。だいじょうぶ。だから───いっておいで」
「────あぁ……あぁ! ありがとう……本当に、ありがとう…………!!」
胸に込み上げる物を感じながら、僕はツバキに感謝する。
そして最低限の荷物、最低限の連絡をして家を飛び出した。
────父さんに、会いに行くために。