ガタン、ゴトンと、電車が茶色の平原を突き進む。規則正しく並んだそれらは、春に向けての準備を進めているのだろう。
しかし、窓からそれらを眺めようとしても真っ暗で何も見えない。ぽつり、ぽつりと小さな光が遠くに点々と見えるだけ。あえてはっきり見えるものがあるといえば、ボーッと窓の外を眺めようする、鬱屈した僕の顔だけだ。
ハイカラスクエアから新幹線で約二時間。そこからローカル線に乗り換えて約二時間。イカ族や他の種族は夜行性が多いのもあって、夜の電車の本数は比較的多い。でもハイカラスクエア駅に着いた瞬間、出発ギリギリの新幹線に乗れたのはラッキーだった。これなら夜明け前には実家の最寄駅に着くだろう。運が悪ければ、明日に着くのを覚悟していたのだが。
(まるで『早く帰れ』と、促されているようだな)
全くそんな事は無い。だが、運命がそう言っているのだと錯覚してしまう。
実家に近づくにつれ一人、また一人と乗客は減っていく。
あと数駅で最寄駅に着く頃には、乗客は僕1人になっていた。
なにせ僕の実家の最寄駅は終着駅だ。周りには畑が広がり、少し歩けばバトロイカ社の工場も立っている。片田舎もいいところだ。
そういえば父さんの仕事場はその工場だったのだけれど、今思えばそれもバトロイカ社から紹介された仕事だったのかもしれない。
気づかないうちに、僕の家族はバトロイカ社に生かされていた。父さんの話が正しければ。
どう思うのかと聞かれたら──気に食わない。
だって監視されているみたいじゃないか。全て与えられて、でもある程度の自由は制限されて、自分のしたことは全て無かったことにされて……
でも、20年前の父さん達はそうするしかなかった。
だって、本当に何も持っていなかったから。
反論する余裕も、交渉する材料も、抗う力も。
だからリクさんは
せめて、自分達が少しでも有利になるように。内側から、サポートが出来るように。
そのかいあって、少しの融通がバトロイカ社に通じるようになった。
それが『僕がハイカラスクエアに行く』ことだったんだろう。
ささやかな、ほんの少しの我儘。
それにどれだけ、両親とリクさんは時間と労力を費やしたのだろうか。
僕はその重みを───全く理解していなかった。
『もうすぐ終着〜。終着サワラ駅〜。お忘れ物が無いよう、お気をつけください〜』
電車のアナウンスにハッとし、僕は少ない荷物をまとめる。慌てて飛び出したから貴重品や少ない現金、途中で買った水のペットボトルしか無い。
(流石に少なすぎたかな)
急いでいたとはいえ、約四時間の旅にはいささか無計画過ぎたか。少し溜息を吐きながら、僕は電車を降りて改札を出る。暖かかった車内にいたため、より一層冷たい風が頬を突き刺す。
「────シオン」
不意に声をかけられた。
「────父さん」
駅を出た所で待っていたのは───僕の父さんだった。
沈黙。
あの時と同じ沈黙が、僕らを囲う。
何を話せば良いのだろうか。いや、話したいことはたくさんある。しかし何から話せばいいのか、分からないのだ。それは恐らく、父さんも同じだったんだろう。
「まだ、完全に受け入れた訳じゃないから」
気まずい沈黙を、オレは意を決して破った。
「確かに昔、アンタは色々あったのかもしれない。アンタから聞いた話は突拍子も無くて、映画の中の話のようで、嘘みたいな話だったから。正直、オレにはあまり現実味が無い」
父さんはじっと、オレの話を聞いていた。
いつもと、何も変わらない。
オレから背を向けて、悲しい微笑みだけ残した姿と、態度が全く同じで。
それに少しばかり、イライラする。
「でも、父さんは普通じゃないって薄々気づいてたし、母さんの眼は見えないし、黒インクも……オレの中に存在してる。だから聞いた話は本当にあったことだと、納得はしてる。その中で父さんが間違いを犯してしまったのかもしれないことも……理解してる。
───けど、そんなの関係ない!!」
冷静に話そうと、そう決めていたのに。
思わず感情が昂る。
「だって!
両手にギュッと力を入れる。
しかし父さんは『淡い青色』をして、感情的に叫んだ僕から目を逸らした。
「でも……お前は僕のことが、嫌いなんじゃないのか……?」
「……わかってる」
「……」
「父さんのこと、本当は嫌いじゃない」
「………………え?」
「自分の建前と本音が違うこと、本当は自分でもわかってたんだ」
父さんが目を丸くして、僕を見る。
その背後の色は、『濃い黄色』。
───あぁ。父さんのそんな『色』、初めて見た。
「全部、わかってたんだ。本当は僕は父さんのことが嫌いじゃないってこと。父さんが僕のことを大事にしてくれてたってこと。僕は父さんのこと尊敬、してるってこと……」
「っ!!」
僕の言葉に、父さんの色は少し『赤み』を帯びた。
「だからほんの少しでも、大好きな父さんを疑った僕が、嫌いになった。父さんはあまり感情を表に出さないから……色さえわからないから、疑問に思ってしまった。
『本当は僕のこと、嫌いなんじゃないか』って。
黒インクを持って生まれた僕を、『疎ましく思っているんじゃないか』って」
「っ!! そんなこと……思っているわけないじゃないかっ!!」
珍しく父さんが声を張り上げる。
父さんの色が『濃い緑色』になる。
「わかってるよ。父さん、優しいから……そんなこと思うわけないって。でも僕は、少しでもそう思ってしまった僕が、大っ嫌いになったんだよ」
僕の言葉に、父さんの『色』がコロコロと変わる。
『驚きの色』、『戸惑いの色』、『焦りの色』……
こんな父さんを見るのは、本当に初めてだ。
こんな話の最中なのに、僕にはそれが、たまらなく嬉しかった。
「そしてその苛立ちを、父さんにぶつけてしまった。僕の性格は、父さんにそっくりだから。父さんの姿は、僕にそっくりだから。そして、都合が良かった。父さんは何も言わないから。父さんは何も変わらないように見えるから……!」
言いながら、僕は父さんに近づく。
「でも、そんなこと全然なかった。父さんの話を聞いて、僕と父さんは見た目以外、全然違うってわかった。僕が勝手に思い込んでいた父さんの気持ちは、全く違うものだった。
……そんなの当たり前なんだけど、その当たり前がわからなかった。だって父さん、些細なことも大事なことも、何も言ってくれないから…………!!」
僕は叫んだ。
父さんに、僕の気持ちが届いてほしくて。
あまりに遠回りし過ぎた当たり前に、気づかなかった自分に苛立って。
「だから、もっと自分の気持ちを話してくれよっ! 僕、わかんないよ! ただでさえ父さんは感情や気持ちが『見えにくい』のに……言ってくれなきゃ、父さんの気持ちなんて分かりっこない! 分かるわけない!
父さんは、ずっと僕達を避けてきた……ように、僕は感じてた。そしてこの前やっと、父さんは自分のことを話してくれたんだ。
僕はそれが、たまらなく嬉しかった。『やっと隠していた秘密を教えてくれた』って。
でも、その最後に『好きにしなさい』みたいなこと言って、また突き放すのは止めてくれよ! それはただ、僕達から逃げてるだけじゃないか……!!」
「…………っ、それ、は…………」
父さんは何も話さない。動かない。
ただじっと、八つ当たりにもほどがある僕の本音を聞いてくれた。
「ちゃんと! 僕達のこと見てくれよ! 父さんが僕のことを大事に想ってくれるように、僕も父さんのことを大事に想いたいんだ! もっと、寄り添いたいんだよ……だって僕たち、“家族”なんだよ? そう思うのは当たり前だろ?
……“普通の家庭”だなんて、僕にも分からないよ。だって、僕にとっては父さんと母さん、シエロが全てだ。だからこそ、“僕たちは僕たちの家族”でいいだろう? だから、もっと僕たちに頼ってくれよ……」
そこまで言うと、僕の視界は微かにボヤけた。
柄にもなく、喉の奥から詰まる感覚が押し寄せてくる。
「僕はもう、守られるだけの子供じゃない。もう一人で歩ける。それは父さん自身が僕に言ったことだ。僕は何も知らずに、ただ巻き込まれる存在になんか……なりたくない。それに───」
泣きそうな瞳に一呼吸置いて、僕は父さんの目の前に立つ。
僕が見つめる父さんの瞳の中には、ようやく僕が映っていた。
「昔は昔、今は今だ。そんな過去のことで、僕がアンタのことを嫌う理由にはならないだろう!?」
「っ!! その、言葉は───」
父さんが目を大きく開けて、息を呑む。
再びの沈黙。
突然、父さんが僕のことをギュッと抱きしめた。
「わっ!? ちょっ、父さん!?!?」
「……いつの間に、そんな大きくなっていたんだね」
慌てる僕に構わず、父さんが呟く。
すぐにヒトを抱きしめるのは父さんの癖だ。昔から空恥ずかしかったけど、今なら理由がわかる。
ヒトとの距離感がわからない、不器用な父さんなりの愛情表情だったのだ。
もしかしたら、眼が見えなくなった母さんのために付いた癖だったのかもと、今ならそう思う。
それでも、恥ずかしいものは恥ずかしい!!
「と、父さん! ここ! 駅!! 公衆の面前だからハグはやめてっていつもっ!!」
「……? 今は誰も近くにいないよ?」
「そりゃここは田舎だし、夜だから誰もいないけどっ! それとこれとは話が別!!」
父さんから離れようと僕は必死でもがく。
だけど父さんはびくともしない。
それどころか、さらにギュッと力強く抱きしめられる。
……気づかなかったけど、意外と父さん力強いな!?
『それにあなたは───あなたでしょう? そんな昔のことで、私が今のあなたを嫌いになる理由になるわけないじゃない』
「……母さんと、同じこと言うんだね」
「え?」
もう一度呟かれた言葉に、僕はもがいていた身体を止める。
「うん、そうだね。シオンの言う通りだ。僕は感情を出すのが苦手らしいから……これからは、なるべく言葉で伝えるようにするよ」
父さんが僕の頬を、愛おしそうに撫でた。
「……綺麗な瞳だ、昔と変わらず」
(昔……?)
僕は首を傾げる。僕には『昔』に覚えがない。赤ちゃんの時のことだろうか? それとも───
「シオンは父さんの、自慢の息子だよ」
父さんが、ニッコリと微笑んだ。
いつもの微笑みじゃない。『桃色』を帯びた、満面の笑みだった。
・
・
・
「……さて、帰ろうか。母さんとシエロが待ってる」
いつも付けている黒のマフラーを僕にかけながら、父さんが優しく言う。
ふと、マフラーの端に白の刺繍で四つ葉のクローバーが縫い付けてあるが目についた。
「あ、四つ葉のクローバー……」
「あぁ、それかい?」
ボソッと呟いた言葉に、父さんが嬉しそうに反応する。
「それはね、母さんが僕のために刺繍してくれたものなんだ」
「母さんが?」
「うん。僕が『幸運になれますように』ってね。……まぁ、彼女自身が刺繍したものってわかったのはプレゼントされて少ししたあと、だったんけどね」
「でも四つ葉のクローバーって、ヒトに踏みつけられて出来た傷で出来るものでしょ。それで“幸運の証”ってちょっと……」
と、そこまで言いかけてハッと口をつぐんだ。
父さんと和解出来た喜びで気を抜き過ぎた。父さんが溺愛している母さんからの大切なプレゼントを貶すなんて、そんな酷いこと……
「ご、ごめん父さん。僕……」
「……そうだね。四つ葉のクローバーはそうやって出来る確率が高いらしいね」
怒るようなことは無く、父さんは静かに語った。
「でも、だからこそ四つ葉のクローバーは“幸運の証”だと思うんだ。
……誰かに踏みつけられて、心も体も傷つけられて、ボロボロになっても。精一杯生きようと努力し続ける。そうすれば、いつか“幸運”となって返ってくる。
それが『幸運の証』ということだと思うんだ。
まさに父さん達にピッタリだろう?
……母さんはそんなことまで考えてなかったと思うけどね」
慰めるように、父さんがポンポンと僕の頭を撫でる。
自分の浅はかさが恥ずかしい。知識だけ自慢げに披露して、感情の色が見えるからって本当の気持ちを考えないなんて。
(やっぱり、父さんには敵わないなぁ)
巻いてもらったマフラーをギュッと握って、僕らは家路についた。
冷えて澄んだ風が吹き、空には大きく満ちた月が今にも消えかかる。
そして地平線には───暖かい夜明けが顔を出していた。
それから、母さんとシエロを起こさないようにそっと家に帰り、僕の部屋で、僕と父さんは語り合った。
ハイカラスクエアの話、父さんとリクさんのバトルの話、僕の新しい友達の話、父さんと母さんの話……。
楽しそうに話す父さんは珍しくて、懐かしくて、聞いている僕もすごく楽しかった。
……まぁ、父さんが母さんの話をする時はめちゃくちゃ嬉しそうに話すから、聞いているこっちが恥ずかしくなったんだけど。
父さん、いくらなんでも母さんのことを好き過ぎないか? いや、あの経緯を聞いていたらそれも納得するんだけど、それにしたって息子からしたら両親のイチャイチャを聞かされるのは相当キツイ。耐えかねず途中で止めたもん。父さん少ししょんぼりしてたけど。
でも、僕の聞きたかったことや父さんが思っていたことは全部話してくれた。『好きに生きてくれ』と言ったその真意は、『父さんや黒インクに囚われないで生きて欲しい』という意味だったらしい。
いや、わかるか。流石に僕でも、一からそれを予測するのは無理だ。せいぜい母さんぐらいだろ、予測できるの。
そのまんま伝えたら、「母さんにも同じこと言われて説教されたよ」って、父さん苦笑いしてた。これ、一番スゴいのはやはり母さんなのでは……?
夜更けはだいぶ過ぎ、日もだいぶ昇ってきた頃。いつの間にか僕も父さんも寝てしまっていた。
僕も父さんも、夜中じゅうずっと起きていたから、寝てしまうのも当然だろう────
そんな彼らを、ドアからコッソリ様子を伺う影がいた。
(相変わらず、似た者同士ね)
ふふっと笑い、遠くを見るように彼らを見る。先ほどまで聞こえていた会話は寝息に変わり、とても心地よい気持ちで胸がいっぱいになる。
「お母さん? こんなところでどうしたの……?」
「……あらあらシエロ。起こしちゃった? でも静かにね。お兄ちゃんが帰ってきたのよ」
若草色をしたイカの子供に「お母さん」と呼ばれた彼女は、ゆったり微笑みながら返事を返す。
「……え!? お兄ちゃん帰ってきたの!?」
「シーっ……今、お父さんと一緒に寝てるからね。昨日の夜に帰ってきたみたいだから、もう少し寝かせてあげましょう。シエロ、この毛布を二人に掛けて来てくれない? 今日はお休みだから、朝ごはんはホットケーキにしましょうね」
「ホント!? うん、わかった! わたし、静かにするね! 毛布も掛けてくる!」
キラキラした目をして、シエロと呼ばれた子供はとてとてと可愛らしく小走りしていった。
(ちゃんと仲直り出来たのね。もうっ、二人とも不器用なんだから)
彼女───カイは愛しい夫と息子の声を思い出し、ほっと胸を撫で下ろした。
もう彼女の瞳は、何も映してはくれないけれども。
それでもまだ、暖かな色彩だけは覚えている。
「おかえりなさい。シオン、アーティくん」
◎エピローグ
目が覚めると、もうお昼過ぎだった。
慌てて飛び起きてリビングに向かうと、すでに起きていた父さんに「おはよう」と声をかけられて、それと同時に妹のシエロが「おかえりなさい!」と抱きついてくる。それに母さんが「シオン、もうお寝坊さんね」と和やかに笑いかけてくる。
あまりにありふれた、一年ぶりの懐かしい光景だった。
僕───シオンは少し泣きたくなって、でも必死に隠して「おはよう。ただいま」と声に出した。
シエロには都会のことを散々質問攻めにされた。ったく、よくもまぁあんなに聞きたいことが思い浮かぶものだ。呆れながらも、カワイイ妹のためだ。答えられることは答えてあげた。
その途中でツバキのことを思い出した。慌ててメッセージを送ると、
『今は家族といっしょにいるんだろ?俺のことは気にしなくていいよ』
というメッセージが返ってきた。やっぱり、ツバキはとても良いヒトだ。僕はありがたくツバキの好意に甘えることにした。
母さんにはやはり全てお見通しだったようだ。僕が父さんと話をしているだけで、とても嬉しそうにしていた。目はほとんど見えていないはずなのに。
あ、でも遅くに帰ってきたことには怒られたな。しかも父さんと一緒に。どうも僕達、男の家系は女のヒトに敵わないらしい。いや、母さんが強すぎるだけか?
そして父さんは、前より感情が読みやすくなった。
それでも僕は恥ずかしくて、急には態度を変えることがなかなか出来なかったけど……少し声をかけるだけでも父さんはちゃんと話をしてくれて。父さんからも関係性を変えようと努力してくれているのがわかった。
「……………よしっ!」
戻ってきたハイカラスクエアの家で、僕は気合を入れ直す。
相変わらず病弱で、黒インクのことは何も解決してないけれど、きっともう大丈夫だと思うのだ。だって、僕には頼れる家族と友人がいる。独りよがりで強がっていた昔とはもう違う。
僕は扉を開けて、バトルをするために家を出た。
空は雨が上がり、虹が大きく顔を出していた。
それをくぐって、僕は歩き出した。
────恐らくあるであろう、輝かしい明日に向かって。
完結までお付き合い、ありがとうございました!