無機質な執務室に、キーボードが小気味よく叩かれる音だけが響く。その音の主であるロドス・アイランドのドクターは、これから始まる大規模長期作戦を前にして己のやるべき職分を果たそうとしているのだ。そしてそんな彼の前には、ソファに座って書類に目を通す一人の金髪をした
オペレーター・シージ。種族、経歴を問わないという触れ込みのロドスにおいても、多くのオペレーター(主にヴィクトリア出身者)たちから過去を推察されている存在である。そして現在ドクターよりも一足先にロンディニウムに向かっているオペレーター・エリモスの過去を知る唯一の人物。
そんな彼女の口から先日放たれたエリモスの経歴は、彼に大きな衝撃を与えていた。
『─エリモスと私の関係は…実の姉弟、と言うことになる。出自だけで言うなら、だがな。』
彼女の口から語られたその発言自体は、そう驚くことでもなかった。考えてみると、二人の間には共通点が意外にも多くある。
出身地。髪の毛の色。そしてその髪質。瞳の色。長身。その身体つきからは想像もつかないほどの身体能力と、それを操るセンス。見てくれ以外で言うならば、実は血液型なんかも一致していたりする。纏っている雰囲気が両者であまりにも異なるが故にあまり目立たないが、そのフィルターを除いてみれば、実際のところ2人は姉弟と言われても納得のいく容姿をしているのだ。
『…驚かないのだな。エリモスはこれを聞いてかなり驚いていたのだが。』
そんなドクターの反応を見て、シージは懐かしむかのように言った。…いつの間にエリモスにこの真実を伝えたのだろうか。
『あいつがヴィクトリアに発つ直前に、だ。ほんの数分しか時間が取れなかったが、あいつにはその時に伝えている。…あの時のエリモスはものすごく驚いていてな。なにせ、開口一番に “ああ、道理で目と鼻と耳の数が同じだと思いました” とか言い出したくらいだ。』
…それはロドス内でもかなりの数の人が一致するやつではなかろうか。
『まああいつはそもそも自分のことをフェリーンだと思っていたようだからな。ロドスに来て自分の種族を知ってからは、アスランはアスランでもサルゴン出身の系譜なのではと思っていたらしいが。』
確かに、まさかエリモスもスラム育ちの自分が王族の系列だとは夢にも思うまい。…それにしても、それが本当なのだとしたら、彼は何故スラムにいたんだ?そんな私の問いに、シージは懐かしそうな顔をした。
『そうだな。ずいぶんと昔の話だが…あいつが生まれた時の話だ。その日のことは今でもよく覚えている。何せ、私の弟が生まれた日だからな。生まれたばかりのあいつは、しわくちゃの顔で、そしてものすごく小さな手で私の指を掴んできたんだ。』
そう語るシージは今までに見たことのない、弟を慈しむ姉の顔をしていた。
『だが…その、エリモス、いや、アルトリウスは…生まれた時からアーツが恐ろしく強くてな。だが、生まれたばかりの赤子にアーツなんて当然制御なんてできるはずはないだろう?その結果として、あいつは生まれて1週間経つかどうかと言うくらいの時期に離宮の一部を吹き飛ばしたのだ。』
なにをやらかしているんだあいつは。いやまあ生まれたてなのだから仕方ない話ではあるのだが。というか確かにエリモスはオペレーターたちの中でもかなりアーツ出力が高いが、それは昔からの話だったのか。
『それに両親は頭を悩ませてな。結論として、アルトリウスを一人の騎士の元に預けることにしたんだ。その騎士は父の腹心で、アーツに極めて長けた男だった。彼ならばアルトリウスのアーツを抑え込めると判断したのだろう。その上で父はアルトリウスに、彼の元でアーツの使い方と戦い方を学ばせる魂胆だったようだ。』
…と言うことは、彼の言う“ジジイ”とはその騎士のことかい?
『いや、そうではない。何せ、その騎士はアルトリウスを預かってすぐに亡くなっている。…いや、
…
『そうだ。私が聞いた話だと、その時に残された死体は全て判別が難しい状態で、遺体の残っていない者も多かったらしい。屋敷の中は真っ赤で、手入れのされていたはずの庭にはまるで何かが這いずり回ったかのような痕跡が残っていた、と。…そして調査が行われた結果として、アルトリウスはその襲撃のせいで死んだと、そう判断されたのだ。』
…だが、実際には生きていた。
『そうだ。おそらくはその騎士は襲撃の最中、部下にアルトリウスを託してその場から逃したのだろう。託された部下は、襲撃者の目を避けてスラムへと逃げ…』
そこでエリモスを育て上げた、か。彼は何故、君たちを頼らなかったんだい?
『…ここからは私の推測になるが。』
私の問いに、シージは一度瞑目して答えた。
『彼らは、襲撃を受けたその時に王宮に潜む脅威に気付いたのではないだろうか。このままアルトリウスを元いた場所に返したところで、再びアルトリウスの身に危険は訪れると、そう判断したんだろう。実際彼らの危惧通りに、その僅か数週間後に国王は突然に処刑されているからな。』
………。
『それに気がついた彼らはヴィクトリアの政府ですら監視の届かないところ…スラムを隠遁場所に選び、見事にアルトリウスを育て上げた。何もないあの場所で教育を施し、生き方と技術を学ばせ、アーツの扱いを身につけさせ、初歩的ながら戦いを教えている。あの環境でできる教育としては完璧と言ってもいいだろう。』
そこからは、エリモスの語った通りの経歴ということか。
『あいつが嘘をついていないならばな。まあ、わざわざそうする必要もないだろうが。』
そう言ってシージは肩をすくめた。
それにしても、生き別れの姉と弟がヴィクトリアから遠く離れたこのロドスで再会する、なんてことがあるなんて思わなかった。運命的な話だ。
『…私も最初はそう思った。最初
…最初
私がそう聞くと、シージは頭を両手で押さえて呻いた。なんだろう、どこか背中が煤けている。
『…まさか生き別れた弟が、あんなに色ボケになっていると思わないだろう…。なんでよりにもよって相手がリードなんだ…?他にもいるだろう…?』
ああ、うん。そこの関係も大概複雑だよね。私がそういうと、シージは疲れ果てたような顔をして、こちらを向いた。
『…ドクター、この際だ。少し愚痴を言わせてくれ。少しの間だけでいい。こんなのを頼めるのは私にはドクター以外にいない。』
え?と私が驚くのも気にせず、シージはその口を開いた。そして彼女の愚痴はそれから1時間もの間一瞬たりとも止まることはなかった。
とりあえず帰ってきたらエリモスは色々と年相応に落ち着いてくれ。マジで。このままだとシージの胃に穴が開くぞ。
今や遠くに行ってしまった部下のことを恨みながら、ぼんやりと私はそう思った。
「…怪物が。」
自分の周りにいた誰かが畏れと共にそう呟いた。そう言ったのは一人だったが、その場にいた全員がそう思っていたと思う。
「…なんで生きてるんだよ、あいつ!」
合計何発だろうか、数えきれないほど俺たちは何度も大砲を撃った。あいつに向けて撃った。都市に向けて撃った。わざと射程をあいつから外したし、3門同時に放ったりもした。
なのに、その全てを撃破された。距離があろうが、同時に放とうが関係ない。その全てがあいつの放つ光条によって消し飛ばされたのだ。そして今、もはや大砲の残弾はない。そう、たった一人の男に、俺たちの最新鋭の大砲は無力化されてしまったのだ。
「なんなんだよ、あいつ…!」
観測してみると、その男は今も口から血を吐いて苦痛に顔を歪ませながらも、それでも堂々と立っている。
あまりにも勇ましく、そして誉高いその姿こそが、たった一人で俺たちに勝ってみせた証だった。
…これ、完全に癒着してないか?まだ引っこ抜けるか?
光の消えた城壁を見て、俺はそんなことを考えていた。痛みは今、一周回って感じなくなってきている。そのまま俺は一瞬【釘】に手を伸ばそうとして、少し考えた後にやめた。まだこれを使う必要がある。
そもそもこの【釘】とはなにか。それは簡単に言えば超高純度の源石を材料に使用したアーツユニットである。体内に突き刺すことでその効果を発揮するこれは、効果としてアーツ能力を飛躍的に上昇させる。実際に本来であれば俺のアーツ出力はロドスの中でのトップ20にも入れないであろうに、今ならロドスでも三指に入るほどの出力となっているだろう。この【釘】はそれほどに強烈な効果を有している。
ならば、それはなんの副作用もなしに使えるのか?まさか。そんな上手い話があるはずがない。
では、その副作用は?それは単純。このデメリットは
今、俺には上半身を中心にいくつもの源石が体表に現れている。その数は幾つなのだろうか?実際に数えていないのでわからないが…ここまで出た以上、症状は相当重いと見ていい。だが、それはこれを作った時点で分かっていた話だ。
明日を手に入れるために、訪れたかもしれない未来を捨てる。これは元からそう言うものなのだから。
その事実を噛み締めて、俺は剣を持つ両手に力を込めた。
そろそろ色々と『癖』を語りたい。