「エリモスってさあ。」
「なんだ?
「だからあたしの名前は『
昼下がりの食堂にてズズ、とシェイクを啜りながら、エリモスの前に座る
「エリモスってさ、結構頭いいけど本当に学校行ってないの?」
「行ってないぞ。
そもそも当時はそんな余裕無かったし。そう答えながら彼はスルスルと手に持ったプリントの採点を進めていく。プリントには高卒程度の問題が並んでおり、書かれた解答はアンジェリーナによるものだ。
「ふーん…それにしては頭いいよね、あ、いや、バカにしてるとかじゃなくてね!?」
「大丈夫大丈夫。分かってるから。で、はい採点終わり。ここの計算ミス無かったら満点だったな。」
「え?…あ、本当だ。うわー…。」
今度は返されたプリントを手に持ったアンジェリーナを眺めながらエリモスがアイスコーヒーを啜った。彼女がプリントを見たままむむむ、と首を振るたびにそのふわふわとした髪が揺れ、整った顔立ちがわずかに歪む。
シラクーザの若きトランスポーターとロドスの技師兼オペレーター。そんな2人の関係は、誠に奇妙ながら『教師と教え子』であった。
ことの初めは数ヶ月前。鉱石病によって学校を辞めざるを得なかったアンジェリーナにドクターがせめて高卒認定だけでも取ってはどうか、と提案したのが始まりだった。そしてその話がドクターから巡り巡ってエリモスの元へ辿り着き、時間のある時に勉強をみるようになっていた。
これには彼がロドスに来てから学位をとったことや、他の学歴持ちたちは基本多忙であることが関係しているのだが、その辺りは今回は割愛しておこう。
「…ごめん、エリモス。ここ分かんない。」
「どこだ?…ああ、そこか。これは確か…テキスト108ページだな。大事なところだしもう一度解説しておくぞ。」
「うん、ありがとう。」
教える側からすると、アンジェリーナは真面目な生徒である。まあ元はただの女子高生であったのが鉱石病によって学校を辞めてしまったと言うのだから学校にまだ思うところがあるのかもしれない。給料のために勉強しただけの自分とはやる気から違うのだ。
「…はい、てなわけだが、分かったか?分からなかったら言ってくれ。」
「うーん…多分大丈夫。」
「それは大丈夫じゃない奴の台詞なんだわ。」
うんうんと呻きながらテキストを睨め付けるアンジェリーナを見ながら、エリモスは今度はポテトを齧った。流石はカランド随一のコックお手製のポテトである。ソース含めて絶品であった。
「ま、わからないところを急に理解しようってのが間違いだろ。まああいつがいないうちにこっそり頑張って褒めてもらおうってのは理解できるが…」
「はあ!?ちょ、違う!違うからね!?」
そう言うと急に顔を真っ赤にして叫びながら立ち上がった。とりあえずここ食堂だから静かにしなさい。
「ほう?違うのか?」
「違うよ!?誰もドクターに褒めてもらおうだなんて…」
「俺はあいつ、とは言ったがドクター、とは一言も言ってないけどな。」
「…お、おあああああ………。」
「おお、耳まで真っ赤じゃねえか。」
語るに落ちるとはこのことか。とは言えアンジェリーナがドクターに淡い恋心を抱いていることなど大人組ではあまりにも周知の事実なのだが。
「おおおおお………。」
「ああ、うん。その…気にすんなよ。」
「気にするよお…みんなには隠しとくつもりだったのに…。」
「え?ああ…そうか。でもな、
まじか。隠せてるつもりだったのかこいつ。あまりの衝撃に一つ決意したエリモスは心を鬼にしてアンジェリーナに真実を告げることにした。
「お前の恋模様、大人組の飲み会だと定番の話題になってるぞ。」
「───────────!!!!???」
その事実にアンジェリーナは声にならない悲鳴をあげた。
たっぷり数分後。そこには哀れにも耳まで真っ赤にして机に突っ伏すアンジェリーナの姿があった。犯人の男といえばそんな彼女の姿を見ながら呑気にコーヒーを飲んでいるが。
「うう…嘘でしょ…?」
「マジだよマジ。まあ厳密に言えばお前だけじゃなくてドクター周り…お前とかアーミヤとかプラチナとかスカジとかのドクターガチ恋勢の様子が、だけどな。ついでにその中で最後は誰が勝つかで賭けができてる。」
なお現在の1位はケルシーである。
「ええ…何やってんのみんな…。」
「暇なんだよ、みんな。大人になると皆んな自分で恋愛するのがめんどくさくなるのさ。」
ホシグマなんざその典型であろう。あの人男女問わずモテるくせに酒があればいい、とか言って全部断ったくらいだ。羨ましい。
「まあ俺はそうじゃないけどな!24時間365日彼女募集中だぞ!」
「そういうこと言うからモテないんじゃない?」
「急に辛辣になるなよお前。泣くぞ?180越えの成人男性が全力で泣くぞ?」
「本当にみっともないからやめてよ…。」
急にスンとした顔になったアンジェリーナはそう言って溶けかけたシェイクを啜った。どうやらその程度の落ち着きは取り戻したらしい。
「ひどいなお前…ていうかさ。マジでなんで俺モテないんだと思う?」
「……………顔?」
流石JK。思ってた100倍エグい答えが来た。
「ごめん、泣く。」
「ああ、ごめんごめん!別にエリモスの顔が悪いとかじゃないって!!」
「嘘だ!ガチトーンだったじゃねえか今!」
これでもそれなりに生きて、かつクッソ波瀾万丈な人生を送っている身として精神的負荷には慣れている自信がある。あるのだが、それでも若い女子からのストレート罵倒は流石に心にくるものがあった。目から塩水が止まらない。
「いや、エリモスはそれなりに顔いいんだよ!でも他の人たちの顔が良すぎるから霞むだけでさ!」
「…………ああ、成程。」
「……やはりあいつは闇討ちしかないか。」
「急になに!?物騒すぎない!?」
「うるせえ!俺はあのムッツリ野郎に現実を教えに行かなきゃならねえんだ!」
「待って!?それ誰の話なの!?」
そもそもエンカクはムッツリではない。
急に殺意を込めて立ち上がったエリモスをアンジェリーナは必死に押さえつける。やる。間違いなくこの男は放っておいたら闇討ちする。心優しき少女は、誰が被害者になるかはわからないがそれを放っておくことはできなかった。
「………おい、エリモス。」
「離せ安s…ん?ヤーカの兄さんじゃないですか。どうしたんです?」
「マッターホルンさん!?お願い!この人止めて!」
とうとうアーツまでアンジェリーナが持ち出したところで、2人の間に1人の大柄な
「いいか、エリモス。ここ食堂は確かに賑やかであることが許されている場所だ。」
「はいそうで…イタタタタタタタ!ちょっと!ちょっと待ってあんたの握力でアイアンクローはシャレにならない…!」
「それでも限度というものがあるだろう!いい年して何をやっているんだお前は!」
「ぎゃああああああああ!!!」
流石はカランドのママ。アンジェリーナでは止めきることができなかった彼を一瞬で押さえ込んで見せた。そのままエリモスは恐ろしいほどの握力で顔面を握りつぶされ、汚い高音を断末魔に叫ぶと急に静かになった。ぶら下がった手足にも力が入っていない。いったいどれほどのダメージだったのだろうか。
「…これ、エリモス生きてる、よね?」
「大丈夫ですよ。手加減はしましたから。」
多分そういう話ではない。ないのだが、静かになったので食堂の主としてはそれで満足だった。なお、マッターホルン的にはエリモスは割と適当に扱っていい枠に入っている。
エリモスを仕留めた彼は再び厨房の方へと戻っていき、後には1人の瀕死体とJKが残された。
「えっ…?これあたしがエリモスどうにかしなきゃいけないかんじ?」
彼女は若いながらも腕利きのトランスポーター。きっとうまいこと処理するだろう。
とんでもない困惑と共に、アンジェリーナは心を落ち着けるべく完全に溶けたシェイクを啜った。
安心院アンジェリーナ
元JKトランスポーター。エリモスは彼女のことを親しみを込めて「あんしんいん」と呼んでいます。
【オペレーター、エリモスのプロファイル】
【健康診断】
造影検査の結果、臓器の輪郭は明瞭で異常陰影も認められない。循環器系源石顆粒検査においても、同じく鉱石病の兆候は認められない。以上の結果から、現時点では鉱石病未感染と判定。
【源石融合率】 0%
鉱石病の兆候は見られない。
【血液中源石密度】 0.16u/L
オペレーター、エリモスは普通なら鉱石病を発症してもおかしくない環境に長年身を置き続けてきました。それでも発症していないというのは体質もありますが、それ以上に運が良かったと言えるでしょう。─とある医療部職員
【第一資料】
エリモスはヴィクトリアのスラム出身の機械工である。
彼は数年前、まだ少年と言えるほどの年齢の時にロドスのヴィクトリア駐在職員の元へと数名の子供を引き連れて訪れた。そんな彼の要望はただ一つ。子供達の鉱石病を治療すること、だった。
そんな彼の話を聞いた職員は子供達の治療をすることを約束し、それと同時に彼にオペレーター試験を受けることを勧めた。彼もまたオペレーターとして働きながらその給料を子供達の治療費に充てることに決め、その結果彼はオペレーターとなったのである。
そして子供達がいなくなり、ロドスへの負債がなくなった今でも彼はオペレーターとして働き続けている。