夜、私は空を見る。星はない。
街の中心部であるがゆえに、空の星より街の灯りの方が眩しかった。
なんてことはない、少し肌寒い秋の日。制服は少し厚いけど、それでもまだちょっと冷える、そんな日。誰かにとっては記念の日、誰かにとっては忌むべき日。けれど私にとっては何もない日。
公園のベンチは冷たかった。けど、もうそれもない。
「ほいよ、千紗」
そう言いながら、コーヒーを手渡される。じんわりと温かくて、冷えた手先にはいい癒しだ。
「ありがとう、翠」
「いいのよ。で、どうだった?」
興味津々に聞いてくる翠。目には期待を宿して、肩ほどまでの髪を揺らしながら、私の顔を覗き込む。
「ダメだった」
「かーーーっ!マジかよーっ!」
私が答えた途端、翠は顔を顰めた。その反応は少し喧しいまである。
「やっぱ、あんたの魅力はこの10年来の友人様にしかわからんのかねぇ。こーんないい子なのにー」
口を尖らせる翠。けど、“そう”じゃない。だから私は首を横に振る。
「違うの。言い出せなかった」
言うと、翠は驚いたように目を見開いた。
「なんで?」
抱いただろう疑念を、翠はありのままに投げてきた。
当然だ。するはずだった告白は、もうずっと前から考えていて、準備もしてきていた。やっぱりやーめた、なんて軽くやめられるものではない。
彼女も、私も、わかっている。そんなことは当然の事実のようなものだから。
けどそんな重たく強いもの、重要で必要だったことを踏みとどまらせるのに十分でもってあまりある現実があった。
「なんで、かぁ…」
空を仰ぎ見る。黒い、暗い、昏い空。ただ一つだけの光が、優しく灯っている。
私が慕ったあの人。努力家で、真面目で、そして明るい笑顔のあの人。
私は憧れた。その魅力にただただ焦がれた。
密かに抱いたこの心を、私は抑えきれなくなっていた。
幾度となく思い悩んだし、相談もいっぱいした。翠にはきっとすごく迷惑をかけただろう。
そしてようやく決心した。この心を、気持ちを、そのまま伝えようと思った。伝えないまま、伝えられないまま終わるのはよくないから。
だから今日、この秘めた思いを告白するはずだった。
けれど、私がこうして逡巡しているうちに、あの人の隣の席は埋まってしまったようだった。
玉砕すらできなかった、ある秋の日。
「ああ、そう。そういうこと」
翠は察した様子で、詮索することを止めた。
少しだけ静けさが訪れる。車通りは変わらず多いし、人はそれなりに行き交っている。けど、静かだった。
「千紗」
名前を呼ばれて、私は翠の方を向く。膝に肘をつきながら、前の方をぼうっと見ていた。
そのまま私の方を見ることなく翠は聞く。
「辛くない?」
その問いに私は目を伏せた。俯くように、少しだけ。
「辛くは…ないよ。悔しくも」
事実だ。嘘じゃない。伝えられないまま終わるのは嫌だったけど、それももう受け入れざるを得ないし。
けどなぜだろう。私の喉元は今、込み上げる何かを必死に押さえている。
自然と視界がぼやけて、気づいた。
私は今、“寸前”だ。
そんな私を、翠は頭を引き寄せて、自分の肩にとんと乗せた。無言のままだった。
翠からのささやかな慰めだった。
途端、決壊する私の心。
流れ出る、小さな雫。
言葉はないけど、今だけは何より優しかった。
泣きじゃくって、泣き崩れて、そして自覚した。強がりを全て否定するただひとつの思いを。
そうだ。ひとつだけ。叶わずとも願いたかったことがあったことを。
ただ私は、あなたを見るだけで幸せだったから…あなたにとっての私も、そうであって欲しかった。
ただ、それだけ。
どんなに悲嘆に暮れようと、今日はなんてことない、肌寒い秋の日。
誰かにとっては記念の日。誰かにとっては忌むべき日。
ただ、欠けた月が弱々しく照らす、私にとっては…何もないはずだった、一日。