帰り道、今日はやたらに煌びやかな服装の人達が目についた。
何かあったのか、だなんて思いはしない。あんな若々しくて、あんなに輝いていて、そしてあれほどに立派な格好をこの時期にしているとなれば、大方どんな人たちかは予想がつく。
今日はきっと誰かの大きな節目で、誰かの懐かしの再会の日で、誰かの感傷の時間。
だから私はそっと、コートの襟元に手を添えて、誰知らぬまま正す。
私は今日という日が嫌いだ。
私の中学校生活は色がなかった。
淡白で、無味。
取り立てた思い出は何も無い。
しかしいじめられてたわけではないし、孤立していたわけでもない。
ただ単に友達という友達もおらず、顔見知りのクラスメイトとただなんとなく過ごして、高校入試に何事もなく受かり、そして私はあの学び舎を出た。それだけのことだ。
だが別にそれを後悔してはいない。そういう生活をした自分を否定しはしない。
当時の自分がいたから今の自分があるし、そういった選択をしたから得られたものも多分ある。
大恋愛ができなかったとか、大親友に出会えなかったとか、別にそんなことはどうでもいいことだ。
ではなぜ嫌いなのか。
私はあの日、いつか私も若かったあの日、私もまたそこへと足を運んでいた。
興味はそんなになかったけど、節目の日でもあるし、行かずに後悔するよりかはずっといいと思って行った。
綺麗な振袖、体に似合うようになったスーツ、それを身に纏う若き新芽。
そしてその一人たる自分自身。
もしかしたら人並み程度には浮き足立っていたかもしれない。
私はそんな中、あの式に参列して、堅苦しい挨拶を、味わい深いだろう興味もない祝辞に耳を傾けた。プログラムの中には意外と懐かしさを覚えさせるようなものもあった。
あんな先生もいた、あんな人もいた、そんなことを思い出しながらそこにいた。
そして、終わった。
私はそのまま、何をするわけでもなく、ただ帰った。
直前、会場では懐かしさを分かち合い、感傷に浸り合う人々が見えた。
羨ましいとは思っていない。
妬ましいとも思っていない。
けど、ただ、私が得られなかったものがまざまざとそこに存在していた。その事実を確かに認識しただけのこと。
それは諦観に似た何か。
悲しみでもない。寂しさでもない。
しかし確かに存在した曇天だった。
私はこの日が嫌いだ。
あの日の感覚を思い出すから。
あの日の感情を思い出すから。
もう取り返しのつけようもない、呑み込むには少し苦い、しかし吐き出すには少し味気ない、あの心が滲み出るから。
その心を覚える私が、何故だか酷く醜く思えるから。
だから私はきっと、来年も、再来年も、そしてその先も、静かにこの日を嫌い続けるのだろう。
新成人の皆さんおめでとうございます。