「博麗さん?」
私の問いに、阿求は首を傾げる。
「博麗さんが、どうかしましたか?」
「どうっていうか――」
私はなんとなく誤魔化した。
「――いや、なんか、気になってな。深い意味は無いぜ」
「そうですか?」
「ほら、あれだ、博麗霊夢なんて、変わった名前じゃんかさ」
「……博麗って、彼女のご実家の神社のお名前ですよ?博麗神社」
「え、そうなのか?あー、じゃあ名前の方だ。こっちならどうだ?」
「どうだ、って。何の話をしてるんですか。でも、霊夢というのは、神様仏様のお告げを聞く夢のことですよね。神道とも関わりのある言葉ですから、それが由来かもしれません」
「お前は何でも知ってるな……」
「何でもは知りませんよ。ただ、何かで見たことがあるというだけです」
阿求は訝しんでいる様子だったが、しかしそれ以上話を膨らますでもなく、「今日の霧雨さんは変ですね。まるで別人のようです」と言った。
んだそりゃ、と私は鼻を鳴らした。上手くできたか分からなかった。
我がクラスの委員長をやってる物好きな奴だ。
僅かに紫がかった黒髪は肩まで伸びており、側頭部を花の髪飾りが彩っている。
制服をきっちりと着こなし、ピンと背筋を伸ばして椅子に座る彼女は、生真面目で規則にうるさく、いろいろと小言が多い。まさに委員長、と言ってしまうような存在。
と思いきや、実態は全然そんなことはなかったりする。
私から見た阿求を一言で表現するなら、『人間大好き人間』だろうか。
人を知る、ということに並々ならぬ熱意を持っているちょっと、いや、かなり変わったやつ。歯に衣着せぬ言い方をしていいならば、ぶっちゃけ変態だ。
こいつの趣味は人間観察。具体的には人間観察の記録をつけること。
人と交流しては、その人の性格・容姿・趣味嗜好・口癖・能力等、分かったあらゆることをノートに記録するという、ハッキリ言ってキモいことを日常的にやっている。
相手のことを知るには直接言葉を交わすのが一番です、と語る彼女は、ありとあらゆる人に交流を持ちかける。校内に限っても、先輩だろうと校長だろうと工事の人だろうと、普通ならば話しかけづらいとされる人にも、迷わず声を掛ける。その場面を直接見たことがあるが、朗らかな挨拶から入って、誰とでも会話を成立させる手腕は見事なものだった。もっとも、その感嘆は、スルスルと相手の
まあ、人の趣味はそれぞれだ。私がこいつの人様には言えない趣味を知っているのも、一種の事故のようなもので。阿求は周りにはバレない、かつ迷惑にならないようにやっているらしいので、私がとやかく言う必要は無いだろう。
それに、そこから目を背けることさえできれば優秀な一女子生徒となる。
成績はとても優秀で、特に文系科目は高校に入って以来満点しかとったことが無いなんて嘘みたいなことをやってのけている。
テスト期間が近づくと、男女問わず人が集まって、彼女に勉強を教えてほしいと懇願する光景を見られる。それらを笑顔で快くいくらでも答えるので、どんどん人が集まって休み時間のたびに疑似的な勉強会が開かれるのが、阿求が所属するクラスの日常風景だ。
他には、規則にはうるさいが新しい試みを好むフレッシュな心性や、時偶いつの時代の人間だよと突っ込んでしまうような天然っぽいところなんかが特徴だろうか。
いろいろ尖ってるが、悪い奴ではない。私もこいつには好感を持っている。
だから、放課後に呼び止められて、根掘り葉掘り質問を投げかけてきて、目の前で観察記録の更新をされても、まあ、うん。苦い笑みを浮かべて許してやらんことも、ない。
「イメチェン、ではないですよね。一般的に高校生活3年間のド真ん中でやるものではないですし、それに霧雨さんの性格的にもそういうタイプではないですしねぇ」
「お前が私の何を知ってるんだよ」
「『サバサバとした性格で周囲に流されない強い芯を持っている。自己中心的な一面もあるが、心根はとてもまっすぐで隣人を大切にs」
「その気持ち悪いノートを朗読するな!」
「心外ですね。私がどれだけ取材、研究をし、編纂を繰り返してきたと思っているのですか。これは私の全てが詰まった世界に1つだけの書物ですよ?それを気持ち悪いなどと。はあ」
「そのムカつく溜息をやめろ」
「もうやめてますよ?」
「......はあ」
「溜息吐くのやめてもらっていいですか?気が散るので」
「もうやってないぜ」
「私が言っているのはこれからのことです。今のは見逃してあげるけどこれ以上は勘弁してくださいね、という意味です」
......なんなんだろうなあ、こいつは。
私以外の誰かと話すときは、口元に手を添えて「ふふふ」とお上品に笑っているというのに。私には趣味がバレてからはこの有様だ。詐欺師が自分の手口がバレた途端に演技をやめるのに似ている。というか、もはやそのものだ。
「話を逸らそうとしないでください。この夏休みに何があったのか訊いてるだけじゃないですか」
「だから、何もなかったって言ってるだろ」
「あくまでそう言い張るんですね?」
「ああ」
「では髪を染めたのに、特に理由はないと?」
「そうだぜ?」
「......ふーん?」
ジト目で此方を見つめてくる。
「なるほど分かりました」
「ようやくわかってくれたか」
「ええ。結論は出ました。霧雨さんは夏休みの間に特に理由も無く黒髪に飽きたから金に染めた、ということですね?」
「うむ」
「なんなら黒目にも飽きたから金色のカラーコンタクトを付け始めた」
「そうだな」
「そしてそして、頭が悪いのにも飽きたから、夏休み中に猛勉強をして成績も良くなったと」
「......は?何の話だ?」
「今日の課題考査。普段であれば直前まで教科書に噛り付いて、終わればご友人に自虐風に絡みに行くのに、今日は終始落ち着いていらっしゃいましたから。手ごたえがあったんだろうな、と」
「......あー、まー、うん。そうだな。馬鹿にも飽きたんだ。ほら、私は天才だからな。いままではやってなかっただけで、やればできるんだよ」
「なるほど」
人間観察を趣味にしているだけのことはある。課題考査のことは誰とも話してないのに、まさか何も話していないことから推測されるとは思っても見なかった。改めてコイツの熱意を舐めていたことを分からされた。
阿求の表情はずっと変わらない。いや、むしろ鋭くなっている気がする。顔面に穴が開いていくと錯覚するほどの眼光だ。
「あーもう!うるさいなあ!」
「特に大きな声を出した覚えはありませんが」
「顔がうるさいんだよ!済んだ話はもういいだろ!それよりも、博麗のことだよ。なんか知ってることないのか!?」
もはや形振り構っていられない。私としては、この話をこれ以上掘り下げられるは困るので、無理やりにでも話を逸らしにかかる。
阿求は暫く私を睨んだままだったが、諦めるように息を吐くと追及する姿勢を辞めた。
今も、そして最初に博麗のことを尋ねた時も、私が辞めてほしいと思ったことにはそれ以上踏み込まない。こういった親しき仲にも礼儀ありというか、ちゃんと一線引いている在り方が、彼女の良いところだ。
「そんなに気になるんですか?博麗さんのこと」
「ああ!すごく気になるぜ。私よりよっぽど変わってるし、お前だって気にはなってるだろ?」
「いやあ、そこまでではないですが......。でも確かに目立つ方ではありますね。いえ、目立たない方、ですかね」
「目立たない、か」
目立つのに目立たない――確かにそうだな。
成績も身体能力もサボり癖も、どれも学校というコミュニティの中では注目を集める特徴だ。なのに彼女は人目を惹かない。陰口とまではいかなくとも、あれほど個性を持っている彼女なら同級生らの話題に上がってもおかしくないと思うのだが、少なくとも私は聞いたことが無い。おそらくだが、阿求も同じように感じているのだろう。
とても不思議な事だ。
いや、しかし、不思議で済ませていい話なのか?
何より、今朝見たあれは不思議などという言葉で片づけていいものではなかった。
人が――空を飛んでいたのだ。
あの後。踊り場で博麗と接触した後のことである。
しばらく呆然と、その場に突っ立っていた私は、時間に余裕がないことを思い出して教室へ駆けた。友達が私を見るや否や、夏休み前と比べて別人のようになった私について代わるがわる質問してきたので、それらを捌きながら教室を見渡せば、窓際の一番後ろの席に彼女はいた。
いつものようにボーっと空を見て、時間の流れに身を委ねている様子に、先ほどの異様は見当たらず。始業式もHRも、今日一日それとなく様子を窺っていたが。どこを見ているのか分からない目。仏頂面な表情。地に足着いた人間らしい挙動。つまりは、いつもの博麗だった。
彼女以外、クラスの様子を探っても変わらない。なんなら一番、かつ唯一変わっていたのは私だった。
「でも、博麗さんのことなら、霧雨さんの方がよく知っているのでは?去年も同じクラスだったと思いますが」
「そう言われたら、そうなんだが。たかが一年、同じ教室で過ごした時間が長いってだけだぜ?だったら、お前に軍配が上がるさ。取材と研究と編纂を重ねた世界で1つだけの資料を持ってるんだからな」
「なに根に持ってるんですか」
阿求は苦笑した。
「博麗さん、ですか。まあ、成績優秀かつ運動神経が良い。しかしコミュニケーション能力は高くない、というより他人に関心が薄い。霧雨さん以上に自分というものを持っていて、それがマイペースな性格に現れている」
「それくらいなら私だって知ってるさ。私が知らないような、お前だからこそ知ってることを訊きたいんだよ」
「と、言われましても。同じクラスになって半年も経ってないんですよ?」
「半年、ね」
「なにか?」
「なにも。続けて」
夏休みがあったとはいえ、4カ月弱もあればあらかた調べてそうだと思ってたんだがな。見当違いだったか?
「やはり、コミュニケーションをとるつもりが無い方から得られる情報というのは少ないです。1年生の時に何度か声を掛けたことがありますが、ああも壁を作られてしまうと、難しいですね」
「ふうん、そういうもんか」
「はい。中学時代のご友人が1人でも居られたら話は違ったのでしょうが、当校にはいないでしょうし」
少し気になることがあったが、その後の微妙な表現が引っ掛かった。
「......んぁ?それは博麗に友達がいるわけない、って言いたいのか?」
「え?......ああ、いえ、そういうことではなくてですね。彼女のご実家が神社というのは話したと思いますが、博麗神社はここからかなり離れた場所にあるんです。それこそ毎日この御伽高校に登校するのには無理があるくらいに」
「へー、そうなのか。てことは、今は実家暮らしじゃないってことか?」
「はい。えっと、今はアパートで独り暮らしをしているそうです。これは本人から直接聞いたので、間違いないはずです」
分厚い書物をなぞりながら、阿求は答えた。
「ありがちな話ですと、知り合いが一人もいない高校でデビューに失敗して、お一人様街道を行くことになった。というのも考えはしましたが」
「ま、無いわな」
「私もそう思います」
勝手なイメージですけどね、と阿求。
確かに勝手なイメージだな。私なんか一度も話したことが無いのに、それはないと断言しているのだ。これ以上ないほどに、勝手だ。
人は変わる。
中学生の頃と高校生の今じゃ、訳が違う。私だってそうだし、阿求もきっとそうだ。だから、博麗も、そうなのだろう。本当は博麗も、中学時代に仲の良かった友人が何人かいて、でも高校で別れることになってしまい、マイペースな性格が災いして、新しい環境に馴染めなかった。それだけなのかもしれない。ありがちな話なのかもしれない。読書もせず、勉強もせず、ただ空を見上げているのは、過去を思い出しながら寂しがっているのかもしれない。
かもしれない、というより、それが自然な考え方だろう。なんて言ったって、ありがちな話なのだから。
今朝のことさえなければ。
そう言えた。
「でも、勝手なイメージですけど。それっぽいって、思っちゃうんですよね、博麗さん」
「ぽいって、何が」
「一人、教室で佇む姿が。空を眺めてるのが。らしいと言いますか、似合ってると言いますか」
「......」
「希薄で、朧気で、何にも囚われない。誰も触れられない。まるで――透明人間のようで」
沈黙するに――十分な言葉だった。
それは。
透明人間のよう。
触れられない。
何にも捕らわれない。
何にも――重力にも?
博麗霊夢。不思議な少女。
空を飛ぶ――彼女。
勝手なイメージ。
常識非常識。
幻想妄想。
すべてを受け入れる――だっけか。
「あー、そうだ、思い出した」
「え?」
「行くところがあった。用事を思い出したぜ」
「また唐突ですね」
「野暮用さ。思い出したら即行動。これ金言な」
「まあ、役に立つこともありますね」
立ち上がって帰り支度をする。
阿求は微妙な反応を見せる。が、私を引き留めようとはしない。露骨な切り上げ方に不審を覚えてはいるが、それはそれ。踏み込ませない私の態度に沿う。
やっぱ、どれだけ変でもこいつのことは嫌いにはなれないな。
「という訳で、取材は終わりだ。金髪金眼美少女魔理沙ちゃんは帰らなくちゃいけない。阿求、教室の戸締りよろしく!」
「元々、私が無理に引き留めた訳ですし、道理ですね。霧雨さん、今日は話に付き合っていただいて有難うございました」
「いいってことよ。じゃあまたなー!」
そして私は教室を出た。
転生先の苗字が稗田である可能性低くね?って思った。
あと、「正式名を名乗るのならこうなります。稗田阿求、と」みたいなシチュを妄想したから。
なお、そのシチュを書く日は来ない。