教室から外に出て、歩き出す。廊下を突き当りまで進み、角を曲がって階段を下りる。
――下りようと思っていた。が、そこには思いがけない先客がいた。
「あー?やっと来たわけ?ったく遅いのよ」
意外過ぎる登場人物。ここで会うなどほんの一欠片も想像だにしなかった、予想外の出来事だった。
今まで、高校に入学してから今日まで1年と5カ月。一度もまともに言葉を交わしたことが無い少女。
今朝とは違い、地に足をつけて、焦点の定まった、強い自我を窺わせる眼を持った彼女。
今朝と同じ場所で、私は博麗霊夢と初めて目を、意識を、警戒を、感情を、交わした。
「あと数分遅かったら、もう帰ってたわ。ま、その場合は明日に持ち越しになるってだけなんだけど。いや、明日はどうなってるんだ?」
現状を処理できずに呆然とする私を気にすることなく、彼女は言葉を続ける。
そこには、普段教室で見せるふわふわとした、浮いているような、超然とした様子はどこにもなく。親しみを覚える人間臭さ、盤石で大きな自意識が横たわっていた。
「ま、意味の無い仮定の話なんてさておいて」
防火扉にもたれかかっていた身を起こして、こちらに体を向ける。
女性的な美しさを滲ませる濡烏の髪、見る人に幼さを思わせる頭頂部の大きなリボン。相反する2つの要素が、体の動きと一拍遅れて揺れた。
正面から顔を合わせて、こいつ綺麗な顔してんなー、と内心呑気に感想を呟いていると。
「あんたが黒幕なのかしら?」
「......は?」
勝手に黒幕扱いされてた。
「......すまん。何の話だ?」
「ハイハイ、ありきたりな反応をどうも。とりあえずとぼけるのは追い詰められた犯人がとる行動としては定番よね」
博麗の目に呆れの感情が宿る。例えるならば王道中の王道、テンプレ展開を何度も擦った三流ミステリーの謎解きシーンを視聴中、といったところか。これまでの展開から既に犯人なんて分かりきってるんだから、これ以上私の時間を浪費しないでくれる?みたいな。そんな苛立ちや退屈をないまぜにした雄弁すぎる半目。
それを今日、初めてまともに会話をした私に向けてくるとは、いったい何がどうなったらそんな過ちが起こるのか。まるで理解できない。
「本当に何の話か分からん......。黒幕?悪いが私にも分かるように話してくれよ。頼むぜ」
「話す気はないわ。さっさと終わらせましょ」
「何をだよ!?」
同じ日本語をしゃべっているはずなのに、まるで話が通じない。異世界人と会話するとこんな感じだろうか。現実逃避じみた感想が浮かぶ。
戸惑っていても相手は待ってくれない。ノンストップで時計を進める。
数歩分の感覚を開けて向かい合っていた博麗は、左足をスッと下げて半身になり、真っ直ぐ伸びた美しい姿勢をそのままに頭の位置を僅かに下げた。頭の位置を下げたというより、脱力した結果伸びていたものが縮んだというべきか。
いまだに混乱から抜け出せていない私でも、パッと見てそれは
「ハアァッ!」
「なっ!?」
だからこそ突然の博麗の動きにもかろうじて対応することができた。
こいつ、いきなり蹴りかましてきやがった!?
飛び込んできたのは上段蹴り。下げた左足で踏み込んで、そのまま流れるように右足を振り上げてきたのだ。
たたらを踏むように、不格好に後ろへ下がったので当たらなかったが、もし動いていなかったら顔面に直撃コースだった。
「チッ。外したか」
「おい!?何すんだ!危ないだろ!」
「うるさいわね。今ので大人しくやられときなさいよ」
「だから、人の話を聞け!本当に何の話をしてるか分からねえんだって!」
「じゃあ、分かんないままやられなさい!」
蹴りの足を下ろして、体側を入れ替えての追撃。軽快にジャブを連打しながら迫ってくる。
「うおっ!てえっ!くっ!」
「動くなっての!このっ!」
時に、腰の入ったストレート、不意を突くように足払い、地面から這い上がってくるアッパー。
完全に私を刈りに来ている動き。けれど、運がいいのか、それとも私も自覚していなかった天性のバトルセンスが今覚醒しているのか。どうにかダメージを負うことなく博麗の猛攻を捌き続けている。
「もーしぶといわね!こうなったら!」
攻撃が当たらないことに苛立ちを覚えているのか、声を荒らげる博麗。怒りで抑えが効かなくなった彼女は、次の一手を打ち出してきた。
懐に右手を突っ込んで何かを取り出す。その手にはおよそ15cmの金属の棒。より正確に言えば、棒の形状は均一でなく端に行くほど細くなっていて、先端は鋭く尖っている。
刺されば人を殺せそうなデカイ針である。
なんでそんなもん制服に仕込んでるんだよ!?
「いやいやいや!それはマジで冗談じゃすまねえぞ!?」
「私はいつだって大マジよ」
「待て、早まるな!えーと、そ、そうだ!その黒幕?が、人違いかもしれないだろ?」
「それならまた怪しいヤツを探して刺すわ」
「コイツ躊躇いがねえ!?」
言動も行動も立派な通り魔である。
だが、そう言いつつも、博麗は凶器を構えたままその場から動かない。私を警戒しているのか、はたまた辛うじて人としての良心が残っていたか。
……前者はともかく、後者は無いな。
この際理由はなんでもいい。この膠着状態は私にとってありがたいものだ。
「なあ、そろそろ話してくれてもいいんじゃないか?」
「あん?何が?」
「私を襲う理由だよ。お前の言う黒幕ってのに、本当に、全然、心当たりはないんだ」
「んー?まさかホントに分かってない?」
最初からそう言ってるだろうが。
まだ数分の関係だが、彼女のことで1つ分かったことがある。それは何を考えているのかが、とても分かりやすいということだ。
目を見れば分かる。
こんな簡単なことも分かんないの?もしかしてこいつ、馬鹿?
って言ってる。目がしゃべってる。
分かるわけないだろ!?この無差別殺人犯が!?
「あんた、見たでしょ?」
「ん?何を?」
「今朝ここで会ったわよね。ここまで言えばわかる?」
「......」
今朝の出会い。
宙に浮かぶ。不気味な笑み。発光した瞳。
......あれが夢でも妄想でもなんでもないと本人から突き付けられるとはな。
「その反応はアタリってやつね」
「あー、まあ、心当たりがあるっていうか。何の話をしているかは理解した。でも私はただの目撃者。つまり第三者だぜ」
「はあ?まだ言うの?もーめんどくさいいわね!話進まないんだけど!なにこれバグ?それとも、どっかでフラグ回収忘れてる?」
現実とゲームの境界がわかっていない、凶器を持って地団太を踏む女。
こいつ頭やば。
素直にそう思う。
でも異世界人と会話してたときよりは会話が成り立つ分、いくらかマシだ。時間稼ぎも兼ねて言葉を途切れさせないようにする。
「あ、ああ、たぶん、きっとそうだ。スチルの回収でも忘れてるんじゃないか?」
「なによクソゲーじゃない。まあいいわ。さっさと済ませましょ。えっーと、どのセーブデータだろ」
「は!?お前、セーブ&ロードのチート能力持ちなの!?」
「選択肢分岐があったら、とりあえずクイックセーブ。当たり前でしょ」
「しかも、ワンボタンでできるデメリット無し系のやつ!?」
「ちなみにセーブスロットは8コよ」
「お前の人生ノベルゲーかよ......」
何この会話。
もしかして私、精神汚染受けてる?
「ま、冗談はこの辺にして」
「お前、冗句のセンスないぜ......」
本気で言ってるのか判別できない、笑えない冗句ほど救えないものはないぞ。
「中学校を卒業して、この高校に入る前のことよ」
博麗は言った。
「中学生でも高校生でもない、春休みでもない、中途半端なその時期に――」
今回の出会いで、今までの印象は全部吹っ飛んだけど、マイペースなとこは全く変わらない。
「――奇妙な
......奇妙な、女の子?
頭がスッと冷えていく。彼女の言葉の端々に耳を傾ける。
「あいつのことはよく覚えてない。けど、あいつが犯人なのは間違いないわ」
当時のことを思い出しているのか、博麗はしかめっ面を浮かべている。
「あいつが、私の意識を奪っていったのよ」
意識を奪った......?
「最初は何ともなかった。けど少しずつ何かが私を蝕んでいった。抵抗しようにも手段がなかった。何もできずにただただ時間だけが過ぎていって」
歪んでいた表情は気付けば色が落ち、能面のようだ。
「そして、私は意識を失った」
「......」
「それからのことはあまり覚えてないわ。記憶に残ってる学校行事は、1年生のときの文化祭だけ。で、気付いたら今日よ」
......いまいちピンと来てないが。今ある情報を整理すると、だ。
約一年と半年前。博麗は
意識を奪う、というのがフワッとしていてよくわからないな。
それに、今の話だと博麗は随分と長い期間、意識を奪われた、という状態だったらしい。我が校の文化祭は例年、5月末に開催される。それが最後の記憶ということは約1年間、彼女はナニカの被害を受け続けていたということになる。
だが私の
このチグハグこそが、意識を奪われるという状態の正体なのか。
「長々と説明してあげたんだから、何か言ったらどうなの?」
考え込む私に声を掛けてくる博麗。碌にリアクションを取らない私にムカついたのか、その声は刺々しいものだった。
いや、こいつの声はファーストコンタクトからずっと攻撃的だったか。
「ま、いいわ。やることは変わらないしね」
ん?やることは変わらない?
そういえばこいつ、私を黒幕だとかなんとか言って襲い掛かってきたんだったか。
登場人物は被害者と犯人と黒幕、として。被害者=博麗、犯人=奇妙な女の子、というのは分かったが、黒幕=私ってのは何がどうしてそうなったんだ?
「いきなり出てきた金髪金眼の怪しい風貌の女。間違いなく役職持ち。残っているのは真犯人の枠だけ」
「ちょっと待て」
「つまりあんたがこの事件の裏で糸を引いていた黒幕ってことよ!」
「ガバ推理にもほどがある!?」
ど う し て そ う な っ た 。
なんでぇ?やっぱ異世界人なのか?思考回路が明らかに常人のそれではない。
「あんたをやっつけて私は元に戻るのよ!」
じっと私に向けていた針にグッと力を込めた。針先が僅かに震えた。
啖呵を切った彼女の表情は引き締まっている。話しているうちに覚悟を決めただろうその顔から、決意と、そして焦りを感じ取る。
......なるほど。
彼女の話を信じるならば、一年以上意識を失っていたが、今日突然正気を取り戻したのだ。でも、いつまた意識が飛ぶのか分からない。そのうえ、次は正気を取り戻せる確証がない。
だから今日中にどうにかしなければいけない。
それにしては今の今まで何のアクションも起こしていなかったようだが。それも何かできなかった理由があるのか。
出鱈目な推理。短絡的な行動。噛み合わない会話。
それら全てが、時間が無くて焦っていたのだと仮定すれば。理解できなくもない。
「......ッ!」
ついに駆け出した博麗。右腕を引き絞り、手に持った針の向きをこちらに定める。私を射程内に捉えたら、溜めた力を解き放つつもりだろう。
それで私が怪我したり、死んだりするとかは深く考えてないような気がする。
ただ敵を倒せば解決するのだ、と。そんな曖昧で確証がない妄想を信じて、信じるしかなくて。
それが少し羨ましい。
信じられるものが残っている。幽かに残った未来を見つめている。元に戻れる可能性を感じている。
99%が絶望でも、1%の希望がまだあって、それに手を伸ばせる。
その1%の余地が、羨ましかった。
「......はぁ」
しかも、その1%の余地が私自身とは、いったい何の冗談なのか。
羨ましい。妬ましい。こいつも私と同じ目に遭えばいい。
もしここで、私が無視して、知らん振りすれば、きっとそうなるだろう。
そうすればお仲間が増える。やったぜ、私は一人じゃない!
......阿保か。
「......ったく」
ふと思い浮かんだ暗い気持ちを振り払う。
そんなしょうもないことして、何になるんだか。更に惨めな気持ちになるだけだ。やらんやらん。
それに、頼まれ事もある。胡散臭い奴だが、一応は恩人だ。恩人の頼みごとを忘れるほど、私は恩知らずではないつもりだ。
博麗はもうすぐ傍まで迫っている。
私はポケットから試験管を取り出して、親指でコルク栓を弾いた。
ポンッと軽い音がする。
その瞬間、煙が大量に吹き出して、周囲一帯を包み込んだ。
「きゃっ!な、なに!?」
博麗が思わぬ反撃に面食らって脚を止め、両腕を交差して顔面を守る。
両眼を瞑った隙を突いて、すれ違いざまに手に持っていた凶器を取り上げる。
煙は無味無臭の無害なものだ。さらに短時間で消えるように作ってある。10秒もしないうちに視界は晴れた。
「......チッ!逃げたわね!」
「ここにいるぜ」
「っ!......なっ!?」
辺りを見渡して毒吐く博麗を
体を震わせた彼女は、反射的に声が聞こえた方へ
今朝と同じ場所、同じ顔触れ。しかし立ち位置は入れ替わっていた。
空を飛び、取り上げた針の先を博麗に向ける。
「動くと撃つ!」
このシチュエーションだと、針はさながら魔法の杖だな。
東方の二次創作は、かわやばぐさんが大好きです。