喜多郁代が後藤ひとりを避けるようになってしまいました※pixivにも投稿しています

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青春の吹き出物

 早朝の通学路には、同じ格好をした高校生で溢れかえっていた。「おはよ」とか「やっほ」とか、そんな軽い挨拶を交わしながら学校へ向かっている。私もその内の一人であり、肩を叩いて通り過ぎていく友だちに、笑顔で返していく。

 耳にしたイヤホンでは、ボブ・マーリーが《Nice Time》を歌っていた。しっとりとしたテンポで、伝わらない愛のもどかしさを歌った曲だ。まだ醒め切っていない、ぼんやりした頭で聞くには丁度いい。

 すると前方に、ギターケースを背負ったピンクジャージの姿が目に入った。少しだけ歩く速度をあげて、イヤホンを外した。肩を叩いて声をかける。

 

「おはよ、後藤」

 

 突然の出来事に、後藤は首を絞められたような声を上げたが、挨拶を返してくれた。

 

「さ、ささささん! お、おはようございます……」

 

 後藤は、おどおどした態度で、教室でも目立たない。けれど、文化祭ではかっこいいギターを披露した彼女は、積極的に話しかけられることはないものの、今や学内の生徒のほとんどが知る有名人だ。その証拠に、通学路を歩いていても、後藤に挨拶していく生徒は多い。

 他愛ない話を後藤に振りながら歩いていると、後ろからすごい勢いで誰かに追い抜かれた。後ろ姿で、喜多であることが分かる。彼女は、これまで見たこともない早足で、生徒の間を縫うように歩いていった。

 後藤と喜多が、同じバンドメンバーであることは周知の事実だ。そのせいもあってか、クラスで喜多と後藤は特に仲がいい。

 喜多は、学校で学年問わず友だちが多い。彼女は、誰を差別することなく一定の笑顔を向ける。

 けれど、喜多が後藤に向ける笑顔は、私には少し違って見える。それは、ほかのクラスメイトにはどう映っているのだろう。そんな喜多が、後藤を見つけて足を止めるでもなく早足に去っていった。これはちょっとした異常事態だ。その証拠に、隣で後藤はうめきながら百面相をしている。

 まぁ、なにか急ぎの用があったのかもしれない。

 

「後藤、大丈夫?」

 

 すると後藤は正気を取り戻したらしく、弱々しい返事が返ってきた。

 教室に行けば、いつも通りの喜多がいるのだろう。そう、思っていた。

 

♪ ♪ ♪ ♪

 

 しかし、教室に喜多の姿はなかった。彼女の机には、カバンがぶら下がっている。なので、教室へ一度来たのは間違いない。

 けれど、ほかのクラスメイトに訊いてみても、居場所は分からなかった。

 後藤といえば、席に付いて居心地悪そうにしている。まぁ、こっちはいつもどおりだ。

 

「なぁ後藤、喜多からなんか訊いてる?」

 

「い、いえ。なにも……」

 

「だよなぁ」

 

 携帯で喜多に連絡してみたものの、送られたメッセージに対して既読も付かない。そろそろ、ホームルームが始まる時間だ。

 やがて、予鈴が鳴った――と、同時に喜多が教室に飛び込むように入ってきた。なぜか額を右手で押さえている。そのまま一目散に席に付き、突っ伏してしまった。

 出欠にも、顔を伏せたまま腕を真っすぐ上げる奇妙な格好で応えている。

 そんな喜多の様子に、クラスメイトはざわついている。けれど、本人は全く気にしていないようだった。

 

♪ ♪ ♪ ♪

 

 一時間目の授業が終わると、教室を飛び出していく喜多。

 

「あ、き、喜多ちゃん……」

 

 という後藤の呼びかけも、彼女には届いていないようだ。

 見ると、後藤は青い顔をしてぶるぶる震えている。

 

「後藤……?」

 

「あああ、ささささん。わたわたわたし、喜多ちゃんに、そのきらきらきらきら嫌われ嫌われ嫌われ――」

 

「まてまて、落ち着け」

 

 私の言葉に、後藤は「ででででも……」と口ごもっている。私にだって、喜多の真意は分からない。

 

「まぁ、明らかに避けられてるよなぁ」

 

「あばばばばばば」

 

 後藤は、スタンガンを当てられたみたいな反応をしている。いや、スタンガンなんて当てられたことないからわかんないけど。

 しかし、喜多が後藤を避けるなんてあり得ないことだろう。昨日までは、休み時間になるたび「ねぇねぇひとりちゃん!」なんて、目を輝かせながら話しかけていたからだ。そうして生まれる二人の世界は、私でもちょっと入りづらい空気を放つほどだった。そんな喜多が、事実として今日、後藤を避けている。

 

「まぁ、とにかく様子を見るか」

 

 私は、びくびくと痙攣している後藤をなだめながら、自分の席に戻ることにした。

 

♪ ♪ ♪ ♪

 

 だが、その後も喜多の様子は変わらなかった。見ていると、どうも彼女は後藤と目が合うのを避けているようだ。私も、今日一日彼女の顔を見ることができていない。授業中、私が視線を送ると、喜多は敏感に反応して顔をそむけたからだ。

 五限目が終わるころには、後藤は溶けてなくなりそうになっていた。目の焦点もあっていない。多分、女子高生がしていい表情じゃない。

 最後のホームルームが終わり、担任に挨拶。すると、喜多はカバンを掴んで教室を飛び出していった。私は、彼女の後を追うようにして追いかける。後藤をちらりと見ると、泣きそうな顔になっていた。不安なんだろうな、と思った。それはそうだ、友だちに関係を絶たれるのは辛い。

 運動部に助っ人を頼まれる喜多は、あれでなかなか足も速い。私だって、伊達にヒップホップダンスをやっているワケではない。運動神経やスタミナには自信がある。

 が、なかなか前を走る喜多の背中に追いつけなかった。

「廊下は走らない!」という教師のお小言を「すみません!」で交わし、廊下を駆け抜ける。階段を二段飛ばしでかけ降りて、生徒用の昇降口まで一直線。

 下駄箱から靴を取り出そうとしたところで、ようやく喜多に追いつくことができた。

 二の腕を何とか掴み、引き止める。

 二人の荒い息遣いが、か細く響いた。

 息を整えながら、口を開く。

 

「ねぇ、喜多ちょっとお前、今日ヘンじゃない?」

 

「なにも、ヘンじゃないわ」

 

 喜多が、私の腕を振り払ってそっぽを向いた。

 

「いや、ヘンだよ。一日中、避けてたじゃん。後藤のこと」

 

 一瞬の沈黙。すると、喜多の声が響いた。

 

「ひとりちゃんだからよ!」

 

 帰ろうとしているほかの生徒から、なにごとかという視線を向けられる。

 

「ひとりちゃんだから、顔を合わせたくなかったの!」

 

 これまで、訊いたことのない叫びだった。声色には、悲痛が漂っている。

 だけど、その言葉の意味が私には分からない。後藤が言ったように、本当に喜多は後藤を嫌いになってしまったのだろうか。

 

「嫌いになったの? 後藤のコト」

 

「違うわ!」

 

 即答だった。振り返った喜多に、ぐいと詰め寄られる。どうやら、私は地雷を踏んだらしい。これまで五年の付き合いがあるけれど、久しぶりに見た表情だった。本気の怒りが浮かんでいる。

 

「私がひとりちゃんを嫌いになるなんて、ないから! ゼッタイ!」

 

「じゃあ、なんで?」

 

 私の問いかけに、喜多は観念したようだった。一歩下がって、がっくりと肩を落とす。

 

「これよ……」

 

 そう言うと、喜多は前髪を指で上げて見せる。

 すると、露になった喜多の額に、ぷつりと赤く腫れている部分があった。これは、ニキビだ。

 

「こんなの、恥ずかしくってひとりちゃんに見せられないじゃない。分かるわよね? さっつーなら」

 

「喜多さぁ……」

 

 今度は、私が肩を落とす番だった。少しだけ、頭が痛むような気もする。喜多の後藤に対する態度の変化。それは、直径一ミリにも満たない、小さなニキビが元凶だったらしい。

 私は、身体の力が抜けてしまって、大きく息を吐いた。

 すると、柱の影からぬるりと誰かが現れた。ピンクのジャージに、ギターケースを背負った後藤だ。ケースのストラップを握る手は、ぷるぷると震えている。息も上がっているようだ。きっと、私たちの後を必死に追いかけてきたのだろう。

 

「あ、あの……」

 

 蚊の鳴くような声。

 喜多は、「見ないでひとりちゃん!」と、またそっぽを向いてしまう。

 後藤は、喜多の背中に向けて言葉をかける。

 

「ぜ、全部聞いてました……盗み聞きなんて最低だと思ったんですけど……ごめんなさい」

 

 青い顔をした後藤を夕焼けが赤く焦がしている。ガラスから差し込む光の濃さで、日が傾いてゆくのが分った。

 後藤が続ける。

 

「私なんかがこんなこと言うのヘン、かもですけど……そんなこと、私は気にしないです。喜多ちゃんは、喜多ちゃんですから……」

 

 私も喜多も、黙ったまま聞いていた。

 

「それよりも、喋ってくれない方が私は悲しいし……寂しい、です」

 

 教室では、ほとんど喋らない後藤。だけど、喜多のことになるとここまで喋るんだなと思う。彼女は、誰かに対してこんなに感情を露にできる人間なのだと、クラスメイトの何人が知っているだろうか。

 

「ひとりちゃん……」

 

 ぽつりとした喜多の呟き。彼女の表情こそ見えない。けれど、握られた拳だけでなく、肩まで震えている。

 学校のあちこちで、部活動が始まったらしい。吹奏楽部のトランペットや、野球部の掛け声が聞こえてきた。

 

「ごめんなさい、喜多ちゃん……こんなこと言われても、ウザいだけですよね。気持ち悪い、ですよね……」

 

 そう言って、後藤がうつむく。その時だった。弾けるように喜多が走りだした。手にしていたカバンが彼女の手を離れ、宙に放り出される。カバンはくるりと舞って、綺麗に私の手に収まった。

 

「そんなことないわ! ひとりちゃん、ごめんなさい! 私……私……!」

 

 次の瞬間、喜多は後藤に抱きついていた。頬を寄せて、赤ん坊のように泣きじゃくっている。

 

「喜多ちゃん……だ、大丈夫ですよ。大丈夫です」

 

 後藤は、喜多の背中をさすっている。その手つきは、恐る恐る。だけど、大切なものをいつくしむような、優しい手つきだった。

 夕日に照らされて、三人の影が伸びる。

 私は、ボブ・マーリーの言葉を思い出していた。

 

――心配しなくていいんだよ。どんな些細なことでもすべてうまくいくからさ。

 

 いや、今回の件、つまり喜多のニキビは二人にとっては“大した事”だったのだろう。

 けれど、二人を見ていると、ボブ・マーリーの言葉はほんとにそうなのかもしれないと思える。

 いろんな音や声がする学校で、喜多の泣き声だけが音楽だった。


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