アイドルクロージング!   作:ひょうたんふくろう

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10 『私ね』:明かされた正体 【Idol×Closing】

 

 朝の冷たい湿った空気が、ユウの頬を柔らかく撫でていく。春もいよいよ深まりつつあり、少し強く吹く風からは新緑の──萌える緑や豊かな土の匂いを十分に感じることが出来た。

 

 時刻はやっぱりお日様が顔を出したかどうかといった頃。老人よろしく今日も早起きしたユウは、いつも通りジョギングをするために運動公園へと向かっていた。

 

 ユイが雨に濡れて熱を出してから今日で三日目。約束をきっちり守って翌日のジョギングを休んだユイは、大事を取ったのか二日目も運動公園には姿を見せなかった。意外にも体調管理はきちんとするんだな──なんて、そんなことを思いながらちょっぴり物足りない気分になったのは、ユウだけの秘密である。

 

「今日はいるのかねえ……」

 

 ほんの少しばかりいつもより足早になりながら、ユウは思わずそんなことを口走った。

 

 常識的に考えれば、いないほうがいい。倒れるほどに熱を出したやつが一日二日で万全の体調になるとは考えにくい。これがもっと軽い運動だったのなら話はまたちょっと変わってくるだろうが、ユウたちが走るいつものコースはそんな生易しいコースじゃない。

 

 しかし、いてほしいと思う自分がいることにも、ユウは気づいている。ユイの体調が心配ではあるのだが、それはそれとして元気な姿を見てみたいとも思っている。

 

 そこに深い意味はない。ただ、昨日、一昨日と走った時に、なんだか妙に森の静かさが耳に障っただけだ。

 

「……いないな」

 

 いつもの待ち合わせ場所。

 

 まかり角の向こうのその先には、誰もいない。

 

「……」

 

 ちら、とユウは時計を見た。

 

 別に約束なんてしてるわけじゃないが、いつも集まっている時間よりも少々──十五分ほど早い。

 

「……ちっ」

 

 軽く舌打ちをして、ユウはベンチに腰掛ける。持っていたポーチをごそごそと漁り、中から年季の入った携帯ゲーム機を取り出した。そのままぴこん、と電源を入れれば、この場に似つかわしくない軽快な音楽が静かに朝の空気に響き渡っていく。 

 

「……」

 

 一面はクリア。何度もやっているのだ、ユウにとってはこの程度造作もない。

 

 二面もクリア。まだまだこれくらいじゃ時間潰しにもなりはしない。時計を見ればほら、まだ五分程度しか経っていない。

 

 三面もクリア。ここらでようやくやり応えを感じてくる。経過時間はおよそ十二分。このままどこまで出来るか挑戦してみたいところ。

 

「……」

 

 四面もクリア。少々てこずったものの、損害は少ない。経過時間はおよそ二十分。いつもの約束の時間より五分ほど過ぎている。

 

 でも、中途半端が嫌いなユウは、キリのいい五面までクリアしてしまうことにした。

 

 五面は今までと違い、ボスのところに行くまでが大変だ。ありとあらゆる準備を行って、地道に己を研鑚し、障害を乗り越えなくっちゃならない。時には運も味方に付けなければ、簡単にゲームオーバーになってしまうだろう。

 

 しかしだからこそ、クリアできた時の喜びは凄まじい。ボスと戦っている時のスリルはたまらないものがある。

 

「……よし」

 

 目の前にそびえる、ボスへの扉。ゲームの中の勇者が、その大きな扉を開けよう──として。

 

 ユウの手元に、影が落ちた。

 

「──女の子との待ち合わせでゲームしてるなんて、ひっどーい!」

 

「ホント、タイミングが悪いな!」

 

 経過時間、およそ三十五分。いつもの時間より二十分ほど遅れてユイはやってきた。

 

「おはよっ、ユウくん! ……へへ、わざわざ待っててくれたの?」

 

「バカ言え。ちょうどゲームが良い感じだったってだけだ」

 

 にっこりと──それこそ花が咲いたかのように笑うユイの全身に、ユウはこっそりと目を走らせる。

 

 見たところ特に変わった様子は無く、顔の血色も悪くない。呼吸の乱れは多少あるものの、これは小走りで来た影響だろう。少なくとも、この前倒れたときのような乱れ方じゃない。

 

 いつもの芋臭いジャージにマフラー、サンバイザー、サングラス。完全不審者スタイルだけれど、プロポーションだけはなかなか侮れないとユウだけは知っている──そんな、いつもどおりのユイが目の前にいた。

 

 ただし、いつもと違うところもある。

 

「ユイ、そいつは?」

 

「ん、この前貸してくれた傘とジャージ。ありがとね!」

 

 ユイの手元には、この前ユウが貸したスポーツバッグがあった。中に入っているのは結構かさばるジャージのはずなのに、見た目はあまり膨らんでいない。ユウが同じようにジャージを詰め込んだら、もっとこう、見てわかるほどにパンパンになっていてもおかしくない。

 

 しかし、問題なのはそっちじゃない。

 

「その、紙袋の方だよ」

 

「……これ? 気付いちゃった? ……そっかぁ、気づいちゃったかぁ!」

 

 スポーツバッグと一緒に掲げられた、小さな可愛らしい紙袋。駅前の洒落た雑貨店や女の子御用達のケーキ屋さんなんかで使われていそうな、そんな感じのちゃんとした紙袋だ。ご丁寧にもペタッと貼れるリボンなんかもついていて、ラッピングもばっちりである。

 

 バレンタインやクリスマスの日の女の子が持っていそうだな──というのがユウの率直な感想だが、こんなジョギングの朝に見かけるような代物ではない。

 

「泣いて喜べ! なんと──女の子の手作りクッキーだぁ!」

 

「ほーん。そいつぁすげえや」

 

「……あれっ?」

 

 紙袋の大きさやデザイン的に考えて、それくらいしか可能性は無い。それに、中がチラチラと見えてもいる。さらに加えて言えば、ユウの鋭敏な嗅覚はクッキー特有の甘い香りをとらえていた。

 

「わ、私の手作りなんだよ!? アイ──こ、この私の手作りって、実はとってもすんごいことなんだよ!? オークションに出せば何十万円になるかわかんないんだよ!?」

 

「マジかよ。じゃあ売ってその金で焼肉行こうぜ」

 

「──ユウくんのばかぁ!」

 

 さすがにちょっとからかいすぎたか、と反省したユウはユイの鉄拳制裁を潔く受け入れる。ユイのほうもある程度はふざけているため、叩くふりをしてユウの大胸筋をぺたぺたと満足そうに触っているだけだ。無論、仮にユイが本気になって殴ったとしても、ユウに有効打を与えることは不可能だろう。

 

「というか、それくれんの?」

 

「むー……お礼として持ってきたつもりだったんだけど……甘いの、嫌いだった?」

 

「いや、普通にびっくりしただけ。別にそんなの気にしなくてよかったのに」

 

「ユウくんはもっと、私からのプレゼントってことをありがたく思うべきだと思います」

 

「お前のその自信はマジでどこから来るんだよ……」

 

 ともあれ、ユウはそのクッキーを受け取った。口ではなんだかんだ言っても、ユウだって男なのだ。女の子から手作りお菓子を貰えて悪い気はしない。

 

「じゃ、そろそろ行くか?」

 

「ん……今日は、ゆっくりおしゃべりしたい気分なの」

 

「……奇遇だな、俺もだ」

 

 スポーツバッグに傘、紙袋。こうも荷物が増えてしまっては、ユウとしても走るのに少々難儀する。

 

 ジャージなら多少揺れたりぶつけたりしても問題ないし、傘だって安物だから最悪の場合でも買い直すだけで済む。

 

 しかし、この紙袋だけは話が別だ。ユウには砕けたクッキーを食べる趣味は無い。

 

 本当にそれだけだ──なんて思う気持ちと、こいつまさかそのためにわざわざかさばるものを──なんて思う気持ちがユウの中でせめぎ合う。どっちの割合が強いのかは、ユウ自身にもわからない。

 

「実はさ」

 

「ん?」

 

「……たぶん、一緒にいられるの、今日が最後」

 

「……」

 

 突然告げられた事実に、ユウはなんて返せばいいのかわからなくなった。

 

「お仕事の予定が入っちゃって。春休みの間はもう無理かな」

 

「……そっか」

 

 ユウはまっすぐ前だけを見て言った。ユイが顔を覗き込もうとしてきたのが気配で感じられたが、なんだかまともに顔を合わせることが出来ないような気がしたのだ。

 

「春休みが終わったら……学校が始まったら、ユウくんも走らないでしょ?」

 

「そりゃまあ……」

 

 朝の冷たい空気のほかには、鳥のさえずりや樹々のざわめきくらいしか辺りには存在しない。ぽつぽつと紡がれるユイの言葉がユウの耳には妙に大きく響いて、そして儚い残滓のように森の中へと消えていく。

 

「だから、せめてたくさんお話したいなって」

 

「……今生の別れじゃねえんだから、そんな改まって言うなよな」

 

「あはは、まぁそうなんだけどね。それでもやっぱり、今まで通りってわけにはいかないから」

 

「……」

 

 ユウとユイは、所詮は偶然知り合ったってだけの、ただのジョギング仲間でしかない。こうやって朝に集まって森を走ることだけが二人を繋いでいるものであり、それがなくなったら後にはもう──何も残らない。

 

「何からお話しようかなぁ? せっかくだし、ユウくんの好きなタイプとか聞いちゃおうかなぁ?」

 

「少なくとも、芋ジャージのグラサンマスクサンバイザーな不審者はタイプじゃないな」

 

「ひっどーい!」

 

 二人のとりとめもない会話が、静かな朝に響いていく。昨日見たテレビが面白かっただとか、新しく発売されたお菓子が美味しかっただとか、本当にそんなくだらない話だ。

 

 けれど、そんな会話が止まらない。会えなかった二日分を埋め合わせるかのように──そして、これからの分も含めるようにユイはユウに語り掛け、ユウもそんな会話に没頭していた。

 

「……」

 

「──ん?」

 

 だからこそ、違和感がある。そして、ユイにはそれが少しばかり寂しく、同時に腹立たしくもあった。

 

「どうしたよ、ユイ。いきなりむすっとして。腹でも減ったのか?」

 

「……ちがう」

 

 ぽつぽつと続いていたはずの会話。二人で楽しんでいたはずの会話。さっきまでの和やかな雰囲気はどこへいったのか、話題が少し途切れた瞬間に、ユイはあからさまに不機嫌な──少し寂しそうにも見える表情になった。

 

 もちろん、ユウにその理由がわかるはずもない。

 

「おい、マジでどうしたんだよ。いきなりそんな顔されるとホント怖ぇんだよ……」

 

「……ユウくんさぁ」

 

「あん?」

 

「──全然違うっ!」

 

 違うと言われても困る。それがユウの正直な感想だった。

 

「もっとこうさっ! 普段は話さないようなこと話したりとかさっ! ユウくんの内緒のプライベートの話をしちゃったりとかっ!」

 

「ちょっと落ち着け」

 

 食い殺さんばかりに詰め寄ってくるユイの肩を押さえ、ユウはユイを宥めた。相も変わらずユイは声だけは素晴らしく、そしてその体は柔らかい。こいつ本当に自覚ないよな──なんて思いながら、ユウはユイの体をちょっとだけ引き離した。

 

「プライベートを明かさないのはお互い様だろ?」

 

「う……! でも……!」

 

「でももへったくれもあるもんか」

 

「きゃん!?」

 

 十分に手加減したデコピンを放ち、さて、どうしたものかとユウは考える。

 

 今のユイは、明らかに冷静さを欠いている。こうもいきなり露骨に態度が変わるだなんて、ユウは自分の妹でしか見たことがない。何より困るのは、その理由にまるで見当がつかないことだ。

 

 それもそのはずである。

 

 なぜならこれは、ひとえにユイの個人的な理由によるものなのだから。

 

「ユウくん……最後かもしれないんだよ? もっとこう、いろんなことを話そうって思わないの……!?」

 

「なんかいきなり重くなったなオイ……」

 

 ユイにとって、ユウとの時間は特別なものだった。この朝のジョギングも、ユウとの会話も、何もかもだ。

 

 そして、今日でそれは最後になるかもしれない。なら、最後に相応しく特別な何かを感じたいとユイは思っていた。

 

 だのに、結局はいつも通りの会話でしかない。そんなのちっとも特別じゃあない。

 

「だって私──ユウくんのこと、全然何も知らないんだよ!? なのに、もう会えなくなるかもしれないんだよ!? だったら──!」 

 

 だから、少しくらいはユウ自身のことを聞いても──否、ユウが自ら話してくれてもいいんじゃないかと思っている。

 

 つまるところ、ユイはユウのことをもっと知りたいだけであり、もはやただならぬ仲である──もちろん、ユイが勝手にそう思っているだけだ──自分にまで他人行儀でいろいろ諸々隠されているのが、堪らなく悔しいだけなのだ。

 

「やっぱり私、もっとユウくんとお話していたいっ!」

 

 一息で言い切ったユイを見て、ユウは何とも言えない気持ちになった。

 

「……普通に連絡先交換してさ、ケータイでやり取りすればいいんじゃねえの? そんで、たまの休みにこうして会えばいいじゃんか」

 

「……それで、いいの?」

 

「あん?」

 

「連絡先を教えるってことは、私のお仕事も教えるってことになるの。……私がばらせば、ユウくんも教えてくれるんだね?」

 

「逆じゃなかった?」

 

「ううん、そんなのどっちもでいいっ!」

 

「どうしたお前マジでホントに……」

 

 ──最後になるかもしれないのだ。なら、せめて心残りが無いようにしたい。

 

 ──「私」だけを見て接してくれた人なのだ。だから、もっと話していたい。もっと、いろんなことを知りたい。

 

 ──「私」のことを知ってほしい。「私」のことを知らないのが、言葉にできないくらい悔しい。

 

 ユイは、覚悟を決めていた。いつかこうなるだろうという予感はうすうすあった。今までは一度たりとも自分から話したことはなかったが、ユウになら話してもいい──話したいとさえ思えた。

 

 たとえそれで今までの関係が終わってしまったとしても、関係ない。だってもう、どっちにせよ今まで通りではいられないのだから。

 

 いつからそう思っていたのかはユイ自身にもわからない。初めて会った時なのか、一緒に過ごしているにうちなのか、はたまたこの前看病してもらった時なのか。もしかしたら、お礼のクッキーを焼いている時にはもう、この展開を無意識で望んでいたのかもしれない。

 

「ユウくんっ!」

 

 声を荒げ、少し顔を赤くしながらユイは言った。

 

「今から私の秘密を教えますっ! 文字通りのトップシークレットですっ!」

 

「マジかよ」

 

 それでもユウはろくに驚いた様子を見せない。ずっと前から勘づいていたのか、あるいはユウにとってそれは驚くに値しないことだったのか。

 

 いずれにせよ、ユウの態度はユイの女の子としてのプライドと闘争心に火をつけた。

 

「この前、夢をあげるって言ったよね?」

 

「言ってたなぁ、そんなこと」

 

「それが私のお仕事って言ったら──どうする?」

 

「……うん?」

 

 ユイは立ち上がり、ユウの目の前に立った。涼やかな心地よい風がさぁっと流れ、出来過ぎた映画の演出かのようにユイの髪がふわっと浮かぶ。

 

 爽やかな朝の陽ざしがユイの顔を照らす。ユイは、お日様の光がもったいないとばかりにマフラーやサングラスを外し、可愛らしいその素顔を晒して見せた。

 

「ユイ、お前──」

 

 彼女は少し、震えていた。初めてステージに立った時よりも、初めて雑誌の取材を受けた時よりも──いいや、この業界に足を踏み入れてから、これほど緊張したことはないと言ってもいいくらいに緊張していた。

 

「私ね──」

 

 それでも。

 

 それでも、彼女はプロだ。

 

 だから、今まで生きてきた中で一番の笑みを浮かべて見せた。

 

  

「私ね……ユーリなの」

 

「……ユーリ? なにそれ?」

 

 

 表情を固まらせる少女と、不思議そうに首をかしげる少年。

 

 意を決して自らの正体を明かした超大型新人アイドルは、しばらく思考停止に陥った。




Idol:アイドル
Closing:近づく
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