アイドルクロージング!   作:ひょうたんふくろう

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12 交流会

 

 

『もしよかったら、来てくれると嬉しいな──』

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

「……来てくれる、かなぁ」

 

 本番三分前。舞台袖の暗がりで、ユイ──ユーリはポツリとつぶやいた。

 

 自らがアイドルであると明かしたあの日。自分にとって一世一代の告白だったはずのそれは、しかしユウには何の意味もなかったらしい。ユーリの勇気は空回りし、恥ずかしいやら情けないやら、いろんな感情がユーリの心を揺さぶった。

 

 結局碌な説明も出来ず、出来たことと言えば半ば押し付けるように特別チケットを渡したことだけ。それはファンやマニアからすれば垂涎モノの逸品ではあるのだが、ユウのあの反応を見る限り、その価値を正しく理解してもらえたかは非常に怪しい。

 

「握手以上のこと、もうしちゃってるもんねえ……」

 

 特別チケット。アイドル(じぶん)と確実に写真が撮れたり握手が出来たりするという夢のチケット。しかし、言い方を考えれば女の子一人と握手できるというだけでしかない。程度の差こそあれど、実態としては子供が両親や祖父母に送る「かたたたきけん」と大差ないだろう。

 

 だいたい、すでにユウは「ユイ」の手を握ったことがあるし、「ユイ」はユウの大胸筋をぺたぺた触ったり、おぶさったり、お風呂を借りたり、一緒にゲームをしたり──と、それ以上のことをしている。どんな特典であっても体験できないスペシャルな経験をしている以上、ユウがその特別チケットに興味を抱いてくれる可能性は低いと言っていいだろう。

 

 ジョギングをしている時は、毎回のようにユウが疲れ果てた「ユイ」をベンチから引っ張り上げてくれたのだ。今更握手の一つがそこまで魅力的に思えるとはとても思えない。

 

「……」

 

 会場に来てさえくれれば──本来の自分を見てさえ貰えれば、なんとかできるという自信がユーリにはある。

 

 今日は気合が入りに入りまくった──アイドルとしての正装をしているのだ。自分でもこれは無いと思っている、いつもの芋臭いジャージの不審者スタイルとは比べるのもおこがましいくらいである。

 

 こう言ってはなんだが、ユーリには自分が可愛いという自覚がある。そして、この衣装が可愛いという絶対的な自信もある。だからこの姿を一目見てもらえれば、悩殺──とまではさすがに行かなくとも、見惚れさせることくらいは出来るだろうと思っている。

 

 ましてや、そんな美少女アイドルが歌って踊って握手までしてくれるのである。会場に来てさえもられば、もうほとんどユーリは勝ったようなものだった。

 

 しかし。

 

「──ユウくん、基本的にひきこもりだしなぁ」

 

 チラッと外を見る。今日も大勢の観客がいた。

 

 それ自体は非常に喜ばしいことではあるのだが、しかし今この時だけは、自分の人気がユーリには恨めしく思えた。

 

 なんだかんだで、ユウは優しい。だから、意外と会場に来てくれる可能性がないわけでもない。おそらくユウのことだ、無名アイドルのライブなんて人が来ないだろう、せっかくだし賑やかしで行ってやろう──くらいのことは考えてもおかしくない。

 

 だけど、こんな人混みの中でもみくちゃにされる趣味は無いはずだ。もし自分が逆の立場だったとしたら、ユーリは人混みを見た瞬間に回れ右して我が家に戻ることだろう。

 

 ましてや、相手はわざわざ早朝に人気の限りなくゼロな森を走るのを好むユウだ。そんなユウがこんな大勢の人がいる場所に自ら飛び込むなんて、ユーリにはとても思えなかった。

 

「……ううん、集中しないと!」

 

 ぱん、とユーリは自らの頬叩く。

 

 今考えるべきはライブを如何に盛り上げるか、如何にお客さんに楽しんでもらえるか、である。私情でうわの空になんてなっていられない。

 

 

『──大きな声でユーリちゃんを呼んでみましょう! ……せーのっ!』

 

 

 ──ユーリちゃああああああん!

 

 

 唐突に耳に飛び込んできた開始の合図。次の瞬間には、アイドルとしてのユーリのスイッチが入った。

 

 

「みんなぁーっ! 今日は来てくれて、ありがとぉーっ!」

 

 

 今の自分が出来る最高の笑みを浮かべて、ユーリは夢の舞台へと駆けていく。酷く眩しいその舞台から見えるのは、今日もやっぱり人で埋め尽くされた会場だ。

 

 何かがじりじりと肌を焦がす感覚。確かな圧に押しつぶされそうになる感覚。とてつもなく大きい、形容できない何かがユーリの体に覆いかぶさってくる。

 

 

「こんなにいっぱい集まってくれて、すっごくうれしいっ! 時間が許すギリギリまで頑張るから、みんなも楽しんでくれるとうれしいなっ!」

 

 

 だけれども、この感覚がユーリは好きだ。心臓がドキドキして、今にも空に飛んでいってしまいそうなくらいに心が弾んでくる。

 

 熱いスポットライトが心地よくて。体に響く大歓声が心を昂ぶらせて。もはや自分が何をしゃべっているのかわからないくらいに頭がぽーっとしてくるような、まさに夢心地。

 

 

「ただーしっ! ルールとマナーはぜったいに守ることっ! 他人の迷惑ダメぜったい!! みんなで楽しんでみんなで盛り上がる、最高のライブにしようっ!」

 

 

 期待の籠った眼差しを全身に受ければ、後は気持ちのままに歌うだけでいい。

 

 

「それじゃあさっそく──【O'ast Kitten!】!」

 

 

 マイクを片手に、ユーリは心に身を任せた。

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

遅刻しそうな霧の朝

イケナイ道のT字路

飛び出した猫に驚いて

トースト ぽとりと落ちた

 

マーマレードのその向こう

黒猫を抱きしめて

優しげに笑うキミを見て

心臓 ドキリと跳ねた

 

かわいいエプロン ぐつぐつお鍋

甘く熱い炎をくべて

私の心 溶かして固め

チェックのリボンを巻いて 渡したいな

 

うわのそら O'ast Kitten!

キミだけを みつめてる

指鉄砲に ときめきこめて

キミに届け この気持ち

 

勇気を出して O'ast Kitten!

ウィンク飛ばし 投げキッス

鏡の前で はなまるつけて──

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 熱に浮かされるように歌いながら、どこか遠くの──まるで幽体離脱したかのような第三者視点で、ユーリはぼんやりと考えていた。

 

 いつもと同じく、喉の調子は好調だ。いいや、いつも以上に声が出せていると言ってもいい。ジョギングを始めた影響か、肺活量そのものが増えているらしく、どれだけ大きな声を出しても、どれだけ長く声を出しても──まるで、苦しい感じがしない。

 

 体力も明らかに増えていることが実感できた。ああ見えて、歌いながら踊るというのは尋常じゃない体力を使う。この大舞台で、遠目からでもはっきりわかるほどに大きく動き続けるというのはなかなかの運動量であるし、ましてやそれをずっと息を吐き出しながら行うのだ。

 

 普段なら、ショーの中盤に入るころには心臓が興奮以外の理由でバクバクと轟音を立て始めるし、誰にも言えないアイドルとしてのトップシークレット──衣装の下では、運動部の高校生に勝るとも劣らないくらいに汗をかくものである。

 

 しかしながら、今日はいつもに比べてだいぶ余力があった。少なくとも、こうしてぼんやりと目の前の観客──ひいては、自らのパフォーマンス以外のことを考えるくらいには余裕がある。普段なら酸欠と熱でぼんやりしているはずの脳みそが、今日に限って言えばクリアで──そして、何とも言えない奇妙な雑念を抱かせている。

 

(……)

 

 調子はいい。それは間違いない。身体的な面で言えば、未だかつてないくらいのベストコンディションだと言える。それは、ほかならぬユーリ自身が誰よりも自覚していた。

 

 しかし、何かがひっかかる。何か、妙なしこりを感じてしまう。

 

 精神面で何かあるのか……と言われれば、「わからない」としかユーリには答えようがない。でも、デビューしたばかりの頃ならまだしも、この程度の規模のライブは何度も経験しているから、今更必要以上の緊張を感じるとは考えにくい。

 

「──!」

 

 右へ、左へ、笑顔を振りまく。

 

 何もかもうまくいっているはずなのに、妙にすっきりしない。何か大事なものが、見つからない。

 

「──♪」

 

 上へ、下へ、ウィンクを飛ばす。

 

 いつもは感じる手応えが──心の底から湧き上がる高揚感が、ちょっぴり物足りない。

 

 いつもどおり夢の熱に身を任せている自分と、いつもどおりじゃない現の何かを見つめている自分。わかっているのはただ、それだけだった。

 

「──!」

 

 そんなもやもやを吹き飛ばすように、ユーリはいつもの三割増し、いや、五割増しで会場のあちこちに笑顔を振りまき、ウィンクを飛ばす。爆発するように歓声が響き、いつも以上の熱気と圧がユーリを包む。

 

 それでも。

 

 それでも、昂ぶる何かが、満足しない。

 

「──私だけ見て O'ast Kitten!」

 

 何もかもを振り払うように、全霊を込めてユーリは真正面を指鉄砲で撃ち抜き、自分の心の奥底まで広げるような笑みを浮かべた。

 

 デビュー曲の、盛り上がりに盛り上がったクライマックス。

 

 今までで最高の歌声。

 

 今までで最高のダンス。

 

 今までで最高の歓声。

 

「……ちぇっ」

 

 歴代最高のライブ。アイドルとしてデビューして以来最高のパフォーマンス。

 

 音響から吐き出される重低音が何もかも完璧なライブの余韻となって、見えないカーテンを下ろしていく。

 

 誰もが見惚れる笑顔を浮かべたまま、ユイは物足りなさそうに──悔しそうにつぶやいた。

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 ライブが終われば、交流会が始まる。

 

 会場にいた人間も、会場には入れなかった人間も……ライブの特等席をあえて見逃し、交流会受付と予想される場所に陣取っていた人たちも、全神経を研ぎ澄まして、その瞬間を待ち構えていた。

 

『それではこれより、交流会を始めます。交流会受付は東八番ブロックの──』

 

「ッしゃオラぁッ!」

 

 たまたま偶然受付に近かった運の良い人間は、獣の遠吠えにも似た歓喜の声をあげた。中には泣き出すものさえいる。

 

 一方で受付から遠い位置取りであった人たちは、まるでこの世の終わりを見たかのような絶望の声をあげていた。

 

「来てくれてありがとーっ!」

 

「わ……!?」

 

 期待や興奮で息を荒げるファンたちに、ユーリは精いっぱい、心からのもてなしの気持ちを込めて握手する。片手でちょちょい……なんてケチ臭いことはせず、両手を使ってたっぷりと、である。

 

 もちろん、一回一回の時間はそんなに多くない。というか、はっきり言えば五秒かそこらしかない。刹那のそれよりかはマシかもしれないが、それでも長い時間とは決して言えないだろう。

 

 だから、せめてそれを埋め合わせられるように──と、ユーリは相手の瞳をまっすぐ見据えて、自分のこの楽しくてうれしくて仕方のない、素敵でわくわくした気持ちを伝えるように笑みをプレゼントしている。

 

 不思議なことに、あれだけ興奮していたファンたちであっても、こうしてユーリが握手をすると、その大半が我を忘れたかのように言葉を失う。呆然としている間には既定の時間が過ぎてしまうので、ユーリはいつもそれがもったいないと思えてならない。

 

「うぉぉ……! もう、二度と手は洗えない……!」

 

「こら! ちゃんとお家に帰ったら洗わないとダメだぞっ!」

 

「ずっと前からファンでしたっ! これからもずっと応援しますっ!」

 

「ありがと! 私も元気いっぱいもらっちゃった!」

 

 十人に四人くらいの割合で、ユーリに握手されてもしゃべる余裕がある人たちがいる。そんな人たちと心温まる会話を交わし、そしてまた、次のファンから元気をもらう。もはや何人と似たようなやり取りをしたかわからないが、それでも、ユーリはこの瞬間がたまらなく好きだった。

 

「じ、自分、これ、初めて女の子と握手したんです……!」

 

「そうなの!? ……えへへ、なんか嬉しいな!」

 

「本物のユーリちゃん、テレビや雑誌で見るより百倍かわいい!」

 

「ありがと! ……おだててもサービスなんてできないぞっ♪」

 

 掌から確かに伝わってくる温かい感覚。陽だまりのような温かさもあれば、懐かしい温もりのような温かさもある。女の子の高めの体温に、男の子の火照った体温。どれ一つとして、同じものなんてない。

 

 手入れが行き届いている滑らかな手。いかにも力がありそうな逞しい手。子供らしさが残る柔らかいぷにぷにの手。妙な位置にいくつもの豆があるスポーツマンの手。

 

 握った感触も、やっぱり同じものは無い。握手すればそれだけで、その人のことがなんとなくわかる。ほんの数秒のふれあいで、お互いの自己紹介が出来たような、そんな不思議な気分。

 

 言葉で伝えられないこの不思議な感覚が、ユーリは堪らなく好きだった。それがあるからこそ、こうして何百人と握手することそのものが楽しめるし、一回一回のそれを大事にすることが出来た。次もまた、握手したいと思えた。

 

「ほ……ほんとにほんものだぁ……! ゆ、ゆめじゃないんだぁ……! ほ、ほっぺつねってもらっていいですかぁ……?」

 

「今回だけの特別だぞっ!」

 

 時折やってくる、特別チケット持ちのファン。ユーリはその誰かのほっぺをむにっとつまみ、痛くない程度にくいっと引っ張る。まさか本当に引っ張ってもらえるとは思っていなかったのか、その人は声にならない歓喜の悲鳴を上げて、そのままフラフラと立ち去って行った。

 

「情熱的なハグ、お願いしますっ!」

 

「下心丸見えはモテないぞっ! 怒りの鉄拳制裁を喰らえっ!」

 

「あざまーすッ!!」

 

 茶目っ気たっぷりに、ユーリはその男子学生の胸板をぽかぽかと殴る。もちろん、互いにわかってやっている茶番のそれに等しいことである。さすがはチケット持ちのファンというべきか、数発殴られた後は必要以上に留まろうとせず、爽やかにその場を後にしていた。

 

【握手三秒 自撮り二秒 握手から流れで】

 

「む……!」

 

 妙なボードを持った女の人が、目の前へとやってきた。次の握手の相手だろう。いかにも場慣れしているという雰囲気からして、それがチケット持ちのファンだということに、ユーリは直感で気づくことが出来た。

 

「──」

 

 ユーリがサッとそれを読んだのを視線の動きで理解したのか、彼女は流れるように片手を出した。ユーリがその手を握った瞬間──冬の手袋のように心地よい感触が強くなった瞬間、ぱしゃりとカメラの音がする。

 

 いつのまにやら、ユーリの目の前にカメラがあった。その上、彼女の立ち位置はユーリの真横になっている。ユーリ自身は一歩たりとも動いていないのに、ツーショットに相応しいポジションが出来上がっていた。

 

「ありがと。応援してる。がんばって──」

 

「あなたもね! いつもありがと!」

 

 言葉少なく去っていく彼女の背中に、ユーリは指先だけ触れることが出来た。ユーリがボードを読んでから、ここまで実に六秒しか経っていない。

 

 目的を果たして、さっと帰る。実に手慣れた無駄のなさすぎる動き。

 

 ユーリは彼女のことをよく覚えている。最初は【握手一秒 自撮り四秒 自撮りメイン】だった。それでなおもたついて、泣きそうになりながら震える手で写真を撮っていたのが強く印象に残っている。

 

 しかしいつしか【握手二秒 自撮り三秒】と自撮りの時間が短くなり、動きも洗練されて、ほかならぬユーリ自身が気づかないうちに完璧なアングルで最高の一枚を撮るようになっていた。

 

 次かその次くらいの握手会では【握手四秒 自撮り一秒】……いいや、【握手五秒 自撮り零秒】になるのではないかと、ユーリはひそかに睨んでいる。

 

「サインください! お願いします!」

 

「ごめん! 時間の関係でサインはNGなの!」

 

「そこを何とか! 今日のためにがんばってここまで……!」

 

 もちろん、誰もかれもがそんなマナーの良いファンというわけではない。中には事前に告知されていた禁止事項を平気で求めてくる者もいる。それだけだったらまだしも、時間制限を無視して居座ろうとすることさえあるので、ユーリとしても扱いに困ることが多かった。

 

「こら、キミ……!」

 

 当然のごとく、ユーリのそばにはいつもスタッフや警備員の人が控えている。だから、この手のファンが現れると強制的に連れ出そうと率先して動いてくれるのだ。

 

(待って)

 

 それを、ユーリは無言で止めた。元気いっぱいの笑顔だけはまっすぐ前に向けたまま、さりげなく、されどしっかりと片手で彼らの行く手を遮った。

 

「ワガママ言っちゃダメだぞっ! 私はみんなのアイドルだからね! ……サインはまた今度で!」

 

 そして、相手のおでこをこつんと突く。こうするだけで、大抵の人間は顔を真っ赤にしてこくんと頷いてくれる。後は自然に次のお客さんを迎え入れれば、そのまま流れではけてくれるのだ。

 

 それでも何ともならない場合は、今度こそ本当に警備員たちの出番になる。

 

 幸いなことに、ユーリのファンは他のアイドルのファンに比べてマナーの良い人が多いらしく、そんな事態にまでなってしまったことは数回しかない。

 

「いつも応援、ありがとーっ!」

 

 握手して、握手して、握手して。

 

 もう何百回と握手をして、どれだけ時間が経ったのかもわからない。依然として会場にいる人間が減った気配は無く、ユーリの目の前にある行列は一向にして短くなった様子を見せない。最初から最後まで、ずっと変わっていないんじゃないか──いいや、むしろ、ますます増えているのではないかと思えるくらいだ。

 

 それでも、ユーリは笑顔を変えることなく握手を続ける。文字通り、疲れなんてどこかへ吹っ飛んでしまっているからだ。

 

「ユーリちゃん!」

 

「こんにちはーっ!」

 

 目をキラキラと輝かせた──チケット持ちの女の子がやってきた。小学校低学年くらいだろうか、顔にはまだまだ十分にあどけなさが残っている。握った手は柔らかく、そして思っていた以上に熱い。

 

「わ……!」

 

 そして、今のユーリとそっくりな──デビュー曲を歌うときにいつも来ている衣装とそっくりな格好をしている。お母さんか誰かに作ってもらったのだろうか、手作り感があふれているしディティールもちょっと異なるものの、服その物としての仕上がりはかなり良い。

 

「わ……私も、ユーリちゃんみたいになれるかなぁ?」

 

「絶対なれるよ! せっかくだしパワーをおすそ分けしちゃうぞーっ!」

 

「きゃーっ!」

 

 堪らなくうれしくなって、ユーリは未来のアイドルをぎゅっと抱きしめた。小さな小さな細い腕が、何か大切なものを確かめるように自分の背中にきゅっと回されるのを、ユーリは確かに感じた。

 

 握手だけじゃ味わえない、この言葉にできないふれあい。

 

 出来ることなら、ずっと抱きしめていたい。

 

 けど、なーんか物足りない。

 

 せっかくだしうちの子にしたいな──

 

 

 

「キャーッ!?」

 

 

 

 そんな夢心地なユーリの思考を、絹を裂くような悲鳴が断ち切った。

 

 女の子を抱きしめたまま、ユーリは顔をあげる。

 

「──え」

 

 目の前を覆っていたはずの人垣に、ぽっかりと穴が開いている。

 

 その中心にいるのは、妙にダボッとした真っ赤なジャケットを着こんだ、鉢巻き姿の中年の男。

 

「なんでだよ……何でユーリちゃん、そんな顔して笑ってるんだよ……」

 

 何かヤバい、とユーリは本能で理解した。

 

「どうして他人の手を握らされてそんなにニコニコしていられるんだよ……! つらいはずなのに、どうしてそんなに無理してまで笑っているんだよ……っ! はた迷惑でしかないおっかけやミーハーなバカどもを相手するのだっておかしいのに、そのうえ……そ、そのうえ触ったり抱きしめたり……ッ!」

 

 ブツブツと、しかしなぜだか妙に場に響く声で、男はそんなことをずっと呟いている。会話の中身はもちろんのこと、目つきも顔立ちも、放っている雰囲気全てが異様だった。

 

 目つきが虚ろ、というのはちょっと違う。むしろ、ギラギラと血走っている。ただし、それなのにどこも見据えていないから、こうも不気味に感じるのだろう。

 

「なあ、ユーリちゃんッ!」

 

「は、はいっ──!?」

 

「もうそんな無理なんてしなくていいんだ! 俺だけには本音を言っていいんだ! 俺たち、恋人同士だろう!? 前世から結ばれた運命の相手だろ!? その証拠に今まで何度もユーリちゃんは俺に優しく握手してくれたし、今日のライブだって何度も目が合った! 手を振ってくれたし笑ってもくれた! 俺のCDだけはユーリちゃんの声がいつもと違うし、テレビ越しでもあの熱い視線に俺が気づかないわけないだろ! 夜寝る前にだっていつもテレパシーで今日の出来事を報告してくれるし、こないだだって飼っていた子猫がどこかへ行って寂しいって言って、一緒に探したじゃないか! 俺はユーリちゃんを支えるためにバイト生活を頑張って、今度一緒に結婚するって……この前のライブのアレ、遠回しのプロポーズって、気づいているから!」

 

 ぞわりと鳥肌が立つのを、ユーリはどうしても抑えることが出来なかった。こんなのを聞かされても笑顔を崩さない自分を、誰か褒めてくれとさえ思ったくらいだ。

 

「なのに、どうして──どうして、俺以外の人間にそんなに優しくしてるんだよぉッ!」

 

「──!」

 

 一段と大きい悲鳴があがった。

 

 理由は実に単純。

 

 その目の焦点のあっていない、もはや正気とは思えない男が──服の下から、大きなを鉞を取り出したからだ。

 

「ひひ……そうだよ、我慢なんてする必要はない。これ以上ユーリちゃんが辛い思いをするくらいなら、いっそ……俺の手で、二人は永遠に結ばれるんだ……!」

 

 喧騒。怒号。悲鳴と言うよりただの叫び声のような、耳障りな音。先程までとは違う意味で空気が震え、そしてパニックになった人たちが一斉に男から離れだす。

 

「おいっ! なんだよ!?」

 

「きゃあああああ!?」

 

「いってェ!?」

 

 こちらで何が起きているのかわかっていないのか、後ろの方での人の動きは無い。だから何もわからず棒立ちしている人に、逃げ惑う人が突っ込んで、ドミノ倒しのように人が倒れて……と、想定される限り最悪の事態が起こっていた。

 

「そうだよ……もう、そうすることでしか二人は結ばれない……。だから、せめて俺の手で永遠の愛を……!」

 

 鉞を持った男が、ゆっくりとこちらに歩いてくる。

 

「警備員さ──!?」

 

 いない。

 

 ユーリの隣にいるはずの警備員が、こういう時に何とかしてくれるはずの警備員が、どこにもいない。

 

「あ、え……」

 

 あまりの出来事にただただ茫然としている腕の中の女の子を除けば、ユーリの近くには──誰もいない。

 

(嘘でしょ……)

 

 何がどうしてそうなったのかは知らないが、警備員はここにいない。観客はパニック状態で、とにかく男から離れようともみくちゃになっている。新しい警備員──そんな人がいるかどうかは別として、ともかく頼りになりそうな人がこちらを助けに来ようとしても、この群衆の中を突っ切ってくるころには、ユーリはきっと鉞でざっくりやられているだろう。

 

 逃げ惑う観客という生きた天然の壁。それを突破するにはあまりにも難しく、そんな壁に阻まれて出来たぽっかり空いた空間にいるのは、無力な女の子に、正気を失った鉞持ちの男だけ。

 

 頼りになるのは、自分しかいない。

 

「お、落ち着いて……?」

 

 声をかけた。

 

「いいんだ……二人で一緒になろう……?」

 

 ダメだった。

 

(なんなのもぉ……!)

 

 泣きそうになるところを、ユーリはぐっとこらえる。泣き出さなかったのは、アイドルとしての、そして年上としてのせめてものプライドがあったから。

 

 自分の腕の中で、恐怖で顔を引きつらせている大事なたからもの(ファン)がいる。そんな子の目の前で、プロである自分が弱音を吐くわけにはいかない。

 

 自分に憧れ、自分に会いに来てくれた未来の後輩。

 

 幸か不幸か、あの男の狙いはおそらく自分だけ。なら、せめて隙を見てこの子だけでもこの場から逃がすべき。

 

(私があいつを引きつけるから、その隙にあなたは逃げて──)

 

 男を真正面に見据えたまま言い聞かせるように囁き、ユーリはぎゅっとその子を抱きしめる。

 

 ──それが、いけなかったらしい。

 

「なにやってんだよォォォ!」

 

「きゃっ!?」

 

 鉞を片手に突っ込んできた男を、ユーリは辛うじて避けた。女の子を抱えての、ハリウッド映画もかくやというほどのダイナミックなダイブである。

 

 無茶苦茶に振り回された銀の刃がリボンと数本の髪をプツリと千切ったけれど、ユーリ自身にも、女の子にも、刃は届いていない。

 

 ジョギングで体を鍛えていてよかったと、ユーリは心の底から感謝した。

 

「逃げないでよぉ……?」

 

「ひっ……!」

 

 しかし、たった一撃避けただけでは何の解決にもなりはしない。一呼吸遅れてユーリの方へと振り向いた男は、ブツブツとうわ言を呟きながら鉞の先を向けてきた。

 

 やはりというか、諦めるつもりはないらしい。

 

「逃げ──痛っ!」

 

 女の子を抱えて逃げようとしたユーリの足に、鈍い痛みが走る。どうやら先程飛び込んだ際に、足を打ったか捻ったか……ともかく、痛めてしまったらしい。

 

 ライブ中はずっと踊り続けて疲れがたまっていたところに、いきなり無理な動きをしたのだ。こうなってしまったこと自体に、そこまで不思議はないと言えるだろう。

 

 問題なのは、ユーリが満足に走ることが出来ないという一点だ。

 

「う、わぁぁぁん……!」

 

「……っ!」

 

 女の子が自分の腕の中で泣いている。たぶん、腰を抜かしてしまっているのだろう。とても自力で逃げられるような状態には見えないし、その小さな手はユーリのことをひしっと掴んでいた。

 

 逃がすことは出来ない。逃げることもできない。

 

 そして──時間の猶予もない。

 

「おまたせ……ようやく、幸せになれるね……」

 

 狂気に満ちた笑みを浮かべ、男が鉞を構えた。

 

 彼我の距離は──多めに見積もっても、三メートルと少しといったところ。

 

「行こうッ! 二人の世界にッ!」

 

 銀の輝きが近づいてくるのが、ユーリには妙にゆっくりに見えた。うるさいはずの悲鳴が一切聞こえなくなり、不思議なほどの静寂がユーリを包む。

 

 鉞の先端から目が離せない。体に感じるのは、女の子の体温。

 

 怖い。

 

 怖い。

 

「──っ!」

 

 あまりにも怖くて、ユーリは思わず目を閉じた。

 

 こんなに怖い思いをしたことなんて、今までに数えられるくらいしかない。

 

 そう、ほんの少し前、ガラの悪いチンピラに誘拐されそうになったあの日。怖くて怖くてどうしようもなくて、ちょうど今みたいに足腰が抜けて力が入らなくて、もうダメだと思ったその瞬間に──。

 

「──助けて、ユウくんっ!」

 

 無意識のうちに、ユーリは彼の名を呼んでいた。もう、そう叫ばずにはいられなかったのだ。

 

 そして──

 

 

「──待たせたな」

 

 

 心の底から安心できるような、いつもの声。

 

 おそるおそる目を開けてみれば、大きな大きな背中が、ユーリの目の前に聳えている。

 

 ──ぽたりぽたりと、赤い雫が地面を濡らしていた。

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