「ほお……例の、ジョギング仲間がユーリちゃんだった、と……」
「おう。まぁ、俺がその名前を知ったのは当日なんだけど」
ユウの部屋。妹からの詰問に耐えられるはずも無く、ユウは自分が知っていることを洗いざらいアイに話していた。
当初は興奮気味で何か一つ話す度に猛り昂ぶり荒れ狂っていたアイも、今は素直に話を聞ける状態になっている。この状態になるまでいったいどれだけの面倒臭いやり取りがあったのかは、ユウのみぞ知ることだった。
「いろいろワケアリで引きこもりっぽい感じだったってのも……」
「今から思えば、有名アイドルだったからって説明がつくな。顔を隠すのも、普段の生活を隠すのも……」
「ラジオの録音をくれたのだって……」
「本人が出演しているんだからなあ。持っていてもおかしくはないだろうよ」
振り返ってみれば見るほど、ユウは自分の知っているユイがアイドルだと思えなくなり、同時にまた、ユイがいかに有名人であるのかを実感していく。
アイが点けたミュージックプレイヤーからはユーリの曲が流れている。例のラジオやライブイベントでも聴いたあの有名な曲だ。スピーカーから聞こえる歌声は紛れもなくユイのもので、それがなんとも不思議な響きとなってユウの胸の中に落ちていく。
「あいつ……マジでアイドルなんだよな……」
「ただのアイドルじゃないよ? 超大型アイドルだからね? ……あああ! あの時ちゃんとチケットの話を聞いとけばよかったぁ!」
「まぁ、俺が都合よく激レアのチケットを持っているとは思わないよな」
あのライブイベント──実はアイもあのイベントに出向いていたらしい──から三日。一端落ち着いて冷静になってみれば、ユウのイメージにあるユイはジョギング姿のそれに戻った。だからこそ、あの一日だけしか──否、あの一瞬だけしか見ていない【ユーリ】の姿が余計に鮮烈になってユウの心に焼き付いて、何とももどかしいような、力尽きるまで走り回ってしまいそうな気分になる。
数日間一緒に過ごした、ジョギング仲間のユイ。
たった一瞬だけ遠くから見た、アイドルのユーリ。
同じであるはずのそれが、どうしてもユウの中ではイコールで結ばれない。いや、結ばれてはいるのだろうが、何かが引っかかって信じることが出来ない。
何より信じられないのが、ユウの中で天秤の皿に乗ったその二つが釣り合っていることだ。
「……待って、おにーちゃん」
「なんだ?」
「いつだったか、おにーちゃんが持ってきたクッキー……」
「ああ」
「ユーリちゃんの……手作り?」
「だな」
あの雨の日の後に貰ったクッキー。本人曰く、『オークションに出せば何十万円になるかわからない』代物。
実際、超有名なアイドルの手作りクッキーだというのだから、まったくもってその通りだったのだろう。否、高級な焼肉なら金さえ積めばいくらでも食べることが出来るが、しかしアイドルのそれはお金で買えるようなものじゃない。文字通りのプライスレスだ。
「貰っておけばよかったぁぁぁ!」
「残念だったな……待て、その握った拳はなんだ?」
「大事なのは事実。形じゃない……そうでしょ?」
アイの目はキマっていた。その目はただただ、ユウの腹を見据えている。そこから導かれる答えなんて一つしかない。
「仮に俺に一撃与えられたとしても、もう俺の腹の中にはないぞ。今頃は多分……」
「……おトイレいってくる」
「おいバカやめろ」
妹のあまりの変貌ぶりにユウは本気で怯えた。魅力というのはこうも人を変えてしまうものなのかと戦慄さえした。
それに比べれば自分の物理的な暴力など、とてもとてもちっぽけだとユウは思う。肉体なんて鍛えれば誰だってそれなりのものを手に入れられるが、しかし魅力なんてものは生まれ持った才能が物をいう。欲しがったって手に入れられるものじゃない。
そう、どんなに頑張っても手に入れられるものじゃないのだ。
「……」
そんなものを持っているユイのことが、ユウは少しだけ羨ましくなった。
「……で、あれからユーリちゃんとは?」
「……なーんもねえよ」
あれから一回も、ユウはユイの姿を見ていない。ユーリの姿だって見ていない。
「なんでよ!? ユーリちゃんとはクッキーを貰える間柄なんでしょ!? 別におにーちゃんにその……甘酸っぱい関係とか、そりゃまあちょっとは期待しなくもないけどさ! でも、あんなことがあった後なんだし、ちょっとくらい連絡入れたりとか……!」
「落ち着け。……言っただろ、ただのジョギング仲間だって。連絡先なんて知るわけないだろ。……名前を知ったのも、あの日だったしな」
「……おにーちゃん」
「……なんだよ」
「そーゆーの抜きにしてもさ……。こう、純粋にちょっと寂しくなったりとか……しないの?」
「……」
一転。妹の真面目な雰囲気に、思わずユウは言葉を詰まらせた。
少し前までは、文字通り毎日会っていたのだ。だから──こうしてぱたりと会えなくなって、テレビの向こう側の人間としてしか語られていないことが、ユウにはどうしても信じられなかった。
これを【寂しい】と表現するのなら、きっとそうなのだろう。
だけど同時に、それとはなんか違う──とも、ユウは思っている。思っているだけで、それが何なのかはさっぱりわからない。
「春休み、ずーっと引き籠ってたよね。人となんか、絶対に会わなかったよね。私とユーリちゃん以外で誰かと話した?」
「……」
「学校の外で……おにーちゃんがプライベートで人と話したのって、すっごく久しぶりだよね。……ユーリちゃんじゃなくても。ユイちゃんの時から、私はそのことがうれしかった。だから、【ユイちゃん】に会いたかった」
「……」
「おにーちゃんのためじゃない。私のために……ユイちゃんと連絡してみない?」
「……だから、ただのジョギング仲間だって言っただろ? お前、あわよくばサインの一つでもって考えが見え見えだぞ」
「……あはは、バレちゃったか」
静かに笑って、アイはユウの部屋から去っていく。その背中を見て、ユウはちょっとだけ胸がチクりと痛んだ。
「連絡、か……」
ユウの中にある、ユイとの思い出の確たる証拠。白いリボンは確かにこの手の中にある。それはユウと【ユーリ】だけが知っている、二人を繋ぐ標に他ならない。
「……俺のガラじゃねえよ、そんなの」
落としきれなかったシミがちらつくリボンを握り、ユウはぼんやりと窓の外に散る桜に思いをはせた。
▲▽▲▽▲▽▲▽
春風が吹く四月某日。桜舞う都内某所にある高校では始業式が行われ、そしてユウは晴れて高校二年生となった。
面倒くさいホームルームが終わったこのわずかな休憩時間。ふとあたりを見てみれば、新たなクラスメイトは新たな教室で話に花を咲かせている。
クラス割りがどうだったとか、新たな担任がどうだったとか──この時期の話題としては、おそらくどの学校でもそういった内容が主なものとなるだろう。もちろん、春休みに何をして過ごしていただとか、そんな話題も尽きることは無い。
しかしながら、今この教室で誰もが話しているのは全く別のことだった。
「なぁ、あのユーリちゃんのライブの件知ってる?」
「知ってるも何も、俺見に行ったからね! ……まぁ、一番端っこで全然見えなかったけどさ」
「兄貴の友達が犯人の男が取り押さえられるところを見たって話だけど、その正体はお忍びできていた俳優の……」
「はぁ? 休暇中の自衛官だって聞いたけど」
「ユーリちゃんあれから全然見ないよな……」
「精神的なショックがデカすぎてひきこもっているらしいよ?」
「いや、ネットじゃ専ら例のあの人を探しに駆け回っているとか……」
ユーリ。ユーリ。ユーリ。
聞き耳を立てなくても、教室中からそんな言葉が聞こえてくる。やはり、地元で起きた大きな事件だけあって、みんなの関心はそちらに向いているらしい。中にはテレビのインタビューを受けたという者まで居て、学生らしくこれからの勉学に思いを馳せている人間なんて、一人としてその場にいなかった。
「よーぅ、相変わらずつまんなさそうなツラしてるなあ。ちったぁクラスメイトと交流しようとは思わんのかね?」
「……おう」
配られていたプリントに目を通していたユウに、話しかけた少年が一人。ユウは面倒くさそうにそいつへと顔を向け、そして顔をひきつらせた。
「天野……お前、それ……」
「わかる? わかっちゃう? さすがの咲島でも、ユーリちゃんの魅力には抗えないってか?」
ユーリの顔がプリントされた団扇。ユーリの顔が大きく描かれたクリアファイル。どこかで見たようなフォントが描かれている缶バッヂ。
見た目通りの軽薄な言動ながらも、しかし意外と思いやりや人への気遣いに長けた男──天野は、全身にそんなグッズを纏っていた。
「すごいだろこれ。まさかこんなに手に入れられるなんて、自分でも思わなかったぜ」
「……すごいのか、それ?」
思わず口から出てしまった、ユウの心からの言葉。天野は大げさにはぁ、と息をつき、出来の悪い子供に算数を教えるがごとく語りだした。
「並んでも買えない。金があっても買えない。売り切れる前に売り場にたどり着ける……そんな幸運があって初めて手に入れられる代物だ」
もちろん、ネットで買えるわけでもないんだぞ、と天野は続ける。
クリアファイルなんて、購買に行けば一枚五十円でいくらでも買えるぞ……と、ユウは口に出しそうになった。
「そういうグッズって軒並みボッタクリ価格なんだろ?」
「価値ってのは第三者が決めるものじゃない。売り手と買い手が互いに満足出来ればそれでいいんだよ。……まぁ、ただのクリアファイルとしてなら高いけど、アイドルのそれとして見ればかなり良心的な値段だぞ?」
天野が口にした値段は、一般的なアイドルグッズとしてのそれの八割程度の値段だった。しかし、そもそもとしてアイドルグッズの相場なんて知らないユウにとっては、どう考えてもボッタクリにしか思えない。
扇の中で満面の笑みを浮かべているユーリに対し、意外とアコギな商売やってるな──とユウは心の中で毒づいた。
「……何見てるんだ? やっぱり、お前も興味津々? 実はこの前のライブイベントに行ってたり?」
「天野よぉ」
「なんだよ?」
「俺が、アイドルのライブイベントにわざわざ出向くと思うか?」
「……だな」
アイドルのライブイベントに行ったんじゃない。馴染みの知人に会いに行っただけだ。
誰に対してしたかもわからない、そんな言い訳。幸か不幸か、それを察することが出来た人間は、ここにはいない。
「お前、アイドルに興味ない……っていうか、テレビとかドラマとかさっぱりだもんな。……はは、俺、SM∀P知らない人間とか初めて見たもん」
「よくわかってるじゃないか……正直、今でもよくわかんねえけど」
ゲートボールをしているお爺ちゃんでさえ知っているような超有名アイドルグループのことを、ユウは全く知らなかった。構成メンバーの数どころか、その単語がアイドルを指していることすらわからなかった。
もちろん、今どきの歌なんて知る由もない。カラオケに行ったって、歌えるのは童謡か音楽の授業で習った歌くらいである。
芸能関係なんて一切知らない、わからない。それがユウという男の生きざまであり、そして他者から見たユウの偽りのない姿だった。
「でも、ユーリちゃんを知らないってのはなぁ……お前、生きてて楽しいの?」
「うっせ」
「いや、冗談抜きにさ。みーんなこうして盛り上がっているのに、お前ひとりだけ壁の花だぜ? むしろ、花っていうかただの苔? 俺が話しかけるまでに誰かと話した? ……おまけに、ずいぶんむすっくれたブサイクなツラしてやがる」
何かがユウの胸にぐさりと刺さる。いつの間にこうも自分は弱くなったのだろうと、ユウは心の中で舌打ちした。
「……ちょっと、妹に説教食らっただけだよ」
「お? それ詳しく」
「……さっきのお前と似たようなこと言われた」
「おま……重傷だな、そりゃ」
勝手知ったるなんとやらとばかりに、天野はユウの机にグッズを置いた。
「こーゆーときこそ、アイドルだ。アイドルってのは、みんなに希望を与える存在なんだ。お前みたいなやつにこそ、アイドルは必要なんだよ。……どうだ、可愛いだろ?」
ずずいとユウの目の前に押し出されたクリアファイル。見知ったそれよりいくらか化粧が──あるいは画像加工されたそれが、ユウの目の前にあった。
「……どっちかって言うと」
「お?」
「……ほっとけない、って感じなんだよなぁ」
芋臭いジャージ姿をしたグラサンマスクの不審者。割と呑気であっぱらぱあな彼女が、ひらひらの可愛い衣装を着て人前に立っている。どうしてこれで心配せずにいられようか。
そうだ、自分はただ心配しているだけなんだと、ユウはそう思うことにした。
「ふーむ……? ちょいと引っかかるが、まぁお前にしちゃ及第点だな。よし、じゃあ次はもっとユーリちゃんを好きになってもらう方法として……そうだ、いくらお前でも芸術はわかるだろ? うん、人間ならあのメロディの美しさが魂でわかるはずだ!」
「わからなかったら人間じゃないってか?」
「持ってくれよ俺の美声……“鏡の前ではーなまるつけてー♪”」
「“私だけ見て おーすときったん♪”……ってか」
もう何度も耳にしたフレーズ。今更間違えるまでも無い。
この手のアイドルの歌って、どうして毎回のように意味のよくわからないフレーズがあるんだろうな……だなんて、ユウはぼんやりと思った。
「なんだよ、わかってんじゃねえか」
「そりゃあ、そこらで流れているからな。……ところで、“おーすときったん”っての、なんなんだ?」
「Kittenは子猫って意味だな。O'astはよくわかんね。ファンの間でも議論されてるけど……いろんな説がありすぎる」
「本人に直接聞くしかないってか」
「ははは、それが出来りゃ苦労しねえよ」
「違いねえ」
ははは、とユウは天野と二人して笑いあう。その様子は、どこからどう見ても【休み時間に友達とくだらない話で盛り上がる男子生徒】のそれであった。
「……コミュニケーションは普通に取れる。なんならちょっとしたユーモアだってある。性格に問題があるわけじゃない。なのに、プライベートじゃ友達と遊ばずずっと引き籠ってる。……マジで何なのお前? 何が不満なの? 冗談抜きに、俺はお前の将来が心配だよ……」
「そう言われてもなあ。俺個人としては、何の不満も問題も無いと思ってるんだけど。妹にしてもお前にしても、どうしてそんなに心配してくるのか、本当によくわかんねえんだ」
「そういうところだよ! ……はぁ、マジでお前、生きる楽しみとか見つけておけよ。ワクワクした気持ちや適度なスリルってのは、精神的に充足した生活を送るのに必須だぜ?」
適度じゃないスリルや猛る気持ちならいくらでも体験している。精神的に充足した生活よりも、精神的に波風の無い安寧とした生活を送りたい。
そういう答えはきっと誰も求めていないだろう。それくらいなら、ユウにもわかった。
「そうは言ってもな。そんなワクワクしたイベントなんてそう都合よく……」
「あるんだな、これが」
もちろん、ユーリちゃんの件とは何も関係ないんだが、と天野は前置きをしたうえで語る。
「今度、この学年に転校生が来るらしい。応接室からそんな話が聞こえてきたって噂があるんだよ」
▲▽▲▽▲▽▲▽
放課後。部活動に入っていないユウは、チャイムが鳴ると同時に一目散に学校を後にした。誰かと話すことも無く、教室に残って宿題を済ませるわけでもなく──それこそが自分の使命だと言わんばかりに靴を履き、颯爽と通学路を歩んでいく。
別に、特に大きな目的があるわけじゃない。学校に居たくない理由があるわけでもない。強いて言うなら、早く帰ってゲームの続きを楽しみたい……と、その程度の理由でしかない。
尤も、それにしたって行動が早すぎるわけだが、わざわざそのことを指摘する人間は、ここにはいない。
あまりにも行動が早すぎたからか、制服姿の人間は見受けられない。買い物途中であろう主婦や、定年を迎えてのんびりしているのであろうおじさん、はたまた講義をサボった大学生風の身なりの若者……などなど、どこかのどかな光景が広がっている。
「……ん?」
そんな中で、
校門よりちょっと離れたところ──ちょうど、ユウの家の方向にあるちょっとした路地に停まっていた高級そうな車。ユウは車のことはとんとわからないけれど、俗に言うセダンというやつだろう。黒いボディで、後部座席にはスモークがかかっている。手入れがよくされているのか、傷や汚れは一つとして見当たらない。
フロントから見える運転席には、サングラスをした女性が座っている。割と若くて綺麗な人だ。目元が解らないから何とも言えないが、ピリッとしたクールな雰囲気を纏っているな──というのが、ユウの受けた印象だった。
「……」
ユウは無言で、その車の前を横切る。
瞬間、その女の気配が揺らめいた。
「……」
歩く。
歩く。
いつもの曲がり角を曲がらず、向こうの自販機まで。お地蔵さんの前を通り過ぎ、古びた本屋を冷やかす。
黒い車が、ゆっくりとユウの後を追っていた。
「めんどくせえなぁ……」
これが美少女だったら──それこそ、ユーリのようなアイドルだったらまだわかる。いや、そこまで行かなくとも、花も恥じらう女子高生ならば理解が出来る。
だが、ユウは立派な益荒男である。胸はぺったんこを通り越してガチガチだし、パンツの下には立派な男の魂がぶら下がっている。決して麗しの女子に見える体形はしていない。
「ウチにはお金もありませんよっと」
遠回りに遠回りを重ね、ユウは商店街へと入り込んだ。この時間は買い物に来た主婦で一杯で、そろそろ放課後の買い食いに来た学生でにぎわう頃合いでもある。そして何とも都合のいいことに、車の立ち入りは認められていない。
「……げ」
だけど、そいつは未だにこそこそとユウの後を尾行していた。車はどこかで置いてきたのだろうか、片手に今どきのOLが好みそうなドリンクを持ち、のんびりと時間を潰す風を装って、しかし着実にユウの後についてきている。
尾行するなら服装と気配、そうでなくともそのヒールの靴をどうにかしろと、ユウは声を大にして言いたくなった。
「どうするかねえ……」
もはや直接確認するまでも無く、ユウはその女が自分の後ろを一定の距離を空けてついてきているのがわかっていた。女の気配そのものをもう覚えたし、何よりあんなあからさまな視線を受けてわからないはずがない。
素人であることは明らかだ。だから、余計に理由がわからない。
「あんな知り合い、いたっけか?」
間違いなく見覚えのない女性。それも、結構綺麗な顔立ちでスタイルも悪くない……というか、良い部類に入る。ユウだって男なのだ、綺麗なおねーさんは大好物だし、そんな人を忘れるなんてありえない。
「ふむ……」
歩く。
歩く。
神社の前を通り過ぎ、お地蔵さんに手を合わせ。
長い石段を上り、くねくね坂を駆け下りて。
街外れでひっそり営むコロッケ屋さんのコロッケに舌鼓を打ち、トンネルの向こうの古本屋さんで買いもしない古書を真面目ぶって検分する。
「……」
それでも女は、ユウの後をつけてきていた。
ぜぇぜぇと苦しそうに息をする彼女を見て、ちょっぴり罪悪感を覚えたのはユウだけの秘密だ。
「ふむ」
もちろん、ユウはあえて彼女を泳がせたのだ。あえてついて来れるかどうかのギリギリの速さで歩き、そしてわざとらしく自らの顔を見せつけたのだ。
これでもう、人違いの線は消える。一時間以上もユウの散歩に付き合っていて、顔を見間違えるなんてありえないだろう。そして、それだけの機会があったのに……ユウが一人きりだった時もあったのに接触してこなかったことから、彼女の目的がユウ自身よりも──ユウの行動やユウの向かう先にあることがわかる。
それだけわかれば、ユウにとっては十分だった。
──!?
不意打ちのように動き出し、ユウは目の前の角を曲がる。
見晴らしの良い一本道。次の曲がり角ははるか向こう。
はるか後方で彼女の気配が揺らめいたのが、ユウにははっきりとわかった。
「相手が俺じゃなきゃ、警察呼んでたぞっと」
長い長い距離をほんの数秒で詰めたユウは、視界のはるか向こうで慌てたように周囲を見渡す彼女を見て、颯爽とその場を後にした。