アイドルクロージング!   作:ひょうたんふくろう

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34 私が理由に、なってあげる/『本気、出せよぉーっ!』

 

 はっきり言って、戦況はあまりにも悪かった。

 

「クソぉ……! クソぉ……!」

 

「や、小野寺は頑張ったよ。陸上部のガチメン相手にあそこまで食い下がったんだから!」

 

「食い下がる、じゃダメだろうが……! 俺はあそこで、余裕をもって引き離さなくっちゃいけなかっただろうが……!」

 

 特別にトラックの内側……リレーの控え選手の傍らにいることを許されたユリたちの目の前で、息も絶え絶えになった小野寺が悔しそうに歯ぎしりをする。全力疾走をして顔が赤くなっているのにもかかわらず、自分のことが許せないかのようにその大きな拳を地面に叩きつけていた。

 

 第一走者、小野寺。ユリから見て、全体的に悪くない走りだったように思えた。スタートに遅れはなかったし、走るペースも乱れず常にトップスピードを維持できていたように思える。

 

 しかし現実としてユリたちA組は、15m程度のリードを許してしまっている。いくら小野寺がその体格に見合わぬ俊敏性を持ち得ていたとしても、さすがに陸上部の本職に勝てるはずもなく、食らいつくだけで精いっぱいだったのだ。

 

「でも次は吉崎だぞ! サッカー部のあいつなら!」

 

 誰かの声で、ユリは思考の海から浮かび上がる。トラックを半周したところあたりを吉崎が必死に走っており、その前方数メートルに葛西連合軍の第二走者がいた。

 

 二人の速度はほぼ同じ……いや、僅かに吉崎の方が勝っているだろうか。ユリの目には、少しずつ、ほんの少しずつ二人の差が縮まってきているように見える。トップスピードは間違いなく自分の出せる全力のそれより上で、今この瞬間だけに限って言えば、その気合と迫力の成せる業か、どうあがいても自分がかけっこで勝つビジョンが浮かばない……というのがユリの正直な本音であった。

 

「あっ……!」

 

 コーナーを曲がり、次の走者までの最後の直線。その段階で、吉崎は見事に陸上部を抜かし去り、リードを取っていた。

 

「よくやった吉崎ィィ!!」

 

「もっと稼げ稼げぇぇぇ!」

 

 たかだかクラス単位の精鋭が、瞬間的とはいえ陸上部に勝った。その事実に会場も大いに盛り上がり、割れんばかりの声援が送られる。完全にアウェーとなっている葛西連合軍の面々は、そりゃそうだよなと言わんばかりに苦笑いをしていた。

 

 そんな中、どこまでも冷静で会ったのはA組の次の走者……すなわち、上村であった。

 

「ユーリちゃん……私、勝ってくるから。絶対、絶対ユーリちゃんをあんなアホに巻き込ませないから」

 

 決意に満ち満ちた表情で、上村はテイクオーバーゾーンに入っていく。その背中にはもう、緊張もプレッシャーも何もない。あるのはただ、己が役目を果たさんとする覚悟だけであった。

 

 そんな背中に、ユリができることなんて一つしかない。

 

「──がんばって、優香ちゃん!」

 

「──任せて。その一声のおかげで、私は戦える」

 

 そして、ものの数秒もしないうちに隠しきれない気合と本能の塊が迫ってきた。

 

 半ば獣染みた形相で突っ込んでくる吉崎をちらりと一瞥した上村は、二度と振り返ることなく手を後ろに差し出したまま走り出す。

 

 ギアが温まり、どんどんとスピードがトップに近づいて行って。

 

 ユリの目の前を通り過ぎた風は、その背中に向かって大きく叫んだ。

 

「頼むぞ上村ァァァ!!」

 

「任せろぁ!」

 

 お手本のようなバトンパスが綺麗に決まる。勢い殺すことなくトラック側に倒れ込んだ吉崎は、やり切った表情で天に向かって拳を突き上げた。

 

 やや遅れて、葛西連合軍も第三走者が走り出す。この段階で、ユリの目測で10mほどA組がリードを取る形になっていた。

 

「よくやったぞ吉崎ィィ!」

 

「勝てる! これならきっと勝てるよ!」

 

「ちっ……!」

 

 喜びを隠そうともしないA組と打って変わって、不満そうなのは葛西であった。まさか寄せ集めチームに食い下がられるばかりか、リードを取られるだなんて思ってもいなかったのだろう。さすがにチームメイトを詰ったりこそしていないものの、その表情は見るからに不機嫌である。

 

「ふん……たかだかこの程度の差で喜びやがって。これくらいだったら俺で十分取り戻せるどころか、ハンデにすらならねえよ」

 

「ぐ……! ちくしょう、確かにウチのアンカーは咲島だけど……!」

 

「上村がリードを広げまくってくれるはずだよ!」

 

「それに、奇跡が起こってめっちゃブッ千切ってくれるかもしれないじゃんか!」

 

「奇跡が起きなきゃ勝てないってことだろ。つまり俺の勝ちだ」

 

 言い返せるなら言い返してみろ、と無言でA組を挑発する葛西。言い返そうにも言葉が浮かばず、無言でにらみつけることしかできないA組。実際、たかだか10m程度のリードなんて運動音痴と陸上部の精鋭の前では無いに等しく、その上このリードがユウのところまで続くかどうかも未知数だ。

 

 つまり、現状ではまだまだユウたちの勝ちは未確定……それどころか、むしろもっと余裕を作らないと危ないくらいなのである。

 

 ただし、それはあくまでユウのことを知らない人間たちの認識だ。

 

「……正直これくらいなら楽勝だよね?」

 

 ユウの本当の実力……凄まじいまでのバイタリティと健脚を持ち、デパートの四階から飛び降りて平然としていられるほどのスペックの肉体を持っていることを知っているユリは、こっそりとユウに語り掛けた。

 

普通に(・・・)足が速い程度の相手が、ユウくんに敵うはずがない。例え陸上部が相手でも、ユウくんの方が圧倒的に速い……そうでしょ?」

 

 接戦であるということ自体が敵にとっては不利な状況にほかならず、むしろ敵の方こそ圧倒的なリードが無ければ絶対に勝てないだろうと、ユリはそう確信している。

 

 そんな確信に満ちたつぶやきを否定したのは、他ならないユウであった。

 

「本気で走るつもりはないぞ、俺は」

 

「え……どうして!?」

 

「むしろなぜ疑問に思う?」

 

「だって……だって、ここで負けたら私、デートすることになっちゃうけど……?」

 

「んなアホなこと、させるかよ。お前もみんなも、ちょっとは冷静になれ」

 

 そもそもがただの口約束。それも、向こうが一方的に突き付けてきた要求で、こちらにそれを守る理由も義理もない。先生に事態を報告すれば、咎められるのは間違いなく葛西本人であり、こっちはあくまで被害者なのだから、ふざけた約束なんて最初から守る気なんてない。

 

  そんなことを、ユウは言い聞かせるようにユリに語った。

 

「わかるか? 最初からこんなの、ただのポーズだ。本気になる理由なんてどこにもないだろ?」

 

「で、でも……! もし、それで本気でデートとか言われたりとかしたらどうするの……!?」

 

「その時は、それこそ俺の仕事(・・)だろ。むしろそのために俺はいるんだってことを忘れてないか?」

 

 だったら、防げるトラブルは未然に防ぐのも仕事ではないか──というユリの私情の入り混じった指摘は、しかしその口から紡がれることはなかった。

 

「──っ!」

 

「おい、あれ!?」

 

 ざわり、と観客がどよめく。慌ててユリが、後ろを振り返ってみれば。

 

「は……! あっははは! まさかこんなことになるとはな!」

 

 面白くて面白くてたまらないとばかりに、葛西が笑い出す。

 

「ははは……! あーっはっはっは! なんだよオイ、デカい口叩いていた割にはつまらない最後になりそうだな!」

 

「そん、な……!」

 

 みんなの視線の先。トラックを半周と少しほど過ぎ去ったそこ。

 

 ──上村が転倒し、バトンを取り落としてしまっていた。

 

「上村ぁあああ! 立てよぉおおおお!」

 

「優香ぁぁぁ! 頑張ってぇぇぇぇ!」

 

 みんなの声援が届いたのだろうか。上村はすぐさま立ち上がり、そしてバトンを拾って再び走り出す。

 

 が、明らかに先ほどまでと比べてスピードが遅い。左足が思うように動かないようで、若干引きづるような形になっている。

 

「う、わ……」

 

 ユリを始めとした、眼の良い人間は気づいてしまった。上村の膝小僧は盛大に擦りむいていて、赤い血がじくじくと滲み出している。

 

 ──当然、保っていたリードはとっくに消え去っている。葛西連合軍の第三走者は少々心配そうに上村を振り返りながらも、しかし速さは緩めずに走っていた。

 

「まぁなんだ、運も実力の内って言うし……逆にお前も、優香がやらかしてくれたおかげで言い訳には困らないだろ?」

 

「……」

 

「どのみち、あのまま走れていたところで俺には勝てっこない。だから、優香のことはあんまり責めてくれるなよ」

 

 どこまでも自信に満ちた物言い。葛西はまるで自分が負けることを疑っていない。それもそうだろう、上村が転倒したために葛西連合軍はユウたちにとって絶望的なほどの距離を稼ぐことが出来ているし、最後のアンカーは基礎的なスペックが段違いだ。例え一回や二回葛西が転倒したとしても、その勝負はもう目に見えている。

 

「じゃあな」

 

 バトンを受け取った葛西は、それだけ言って走り出していった。

 

 顔は余裕そうで、そのくせ走りは今までの誰よりもキレがある。そこがまた、実力は口だけでないことを物語っている。

 

「う……これは、もう……」

 

「もう、無理だよ……たとえアンカーが咲島じゃなくても……陸上部の部長でも、あいつ相手にこれだけ差が開いていたなら……」

 

「み、みんな……!?」

 

 いわゆるお通夜ムード。この段階ですでに、A組のみんなは勝負を諦めてしまっている。ただでさえ相手は強敵の葛西だというのに、いったいどうして希望の光を見出すことが出来るのかと、誰もがそう思ってしまっていた。

 

「あ、諦めないでよ! まだ、まだ優香ちゃんだって頑張ってるのに……!」

 

「でも、ユーリちゃん……さすがにこれは、もう」

 

「う……!」

 

 上村はようやっと最後のコーナーを曲がり、ラストの直線に入ったところだ。足を怪我しているとは思えないほどのスピードを保っているのは見事としか言いようがないが、しかし今のこの状況ではそれはあまりに致命的すぎる。

 

「頑張れええ!!」

 

「走り抜けろよーっ!」

 

 観客の応援も、さっきまでの下剋上を期待したものではなくなっている。負傷しながらもなお走り抜けようとする上村の精神に敬意を払うような……言い方を変えれば、無意識にA組の負けを認めているそれに他ならない。

 

「ユウくん……!」

 

「しょうがないだろ、コケちまったものは。むしろ、女の子がコケたのにも関わらず勝負続行する向こうのケツの穴の小ささが露呈して良いんじゃないか」

 

「……おげひん」

 

「おっと」

 

 さすがにアイドルにあの表現はまずかったか──と思いつつ、幾分軽くなった心でユウはその場へと立った。【運動音痴】らしくいかにもぎこちない様子で構え、バトンパスの素人であるアピールも忘れない。一生懸命やってはいるが、どうしてもうまくいかないように見せる──という、本当に運動が苦手な人から見ればブチ切れられてもおかしくないことに、ユウはすっかり熟達してしまっていた。

 

 そして、とうとうその瞬間はやってきた。

 

「さき、しまァ……ッ!!」

 

「おう、よく頑張ったとおも……ッ!?」

 

 バトンを受け取ろうと後ろを振り向いたユウは、固まった。

 

 いや、ユウだけじゃない。

 

 近くにいてその様子を見ていたA組の全員が……いいや、負傷をしつつも健気に走りぬいた女傑を讃えようと注目していた全員が、一斉に言葉を失った。

 

 鬼気迫る、まさしく鬼女の如き上村の迫力にあてられたから、ではない。上村の擦りむいた膝があまりにも凄惨で、靴下の方にまで赤い血が滴っていたから、でもない。

 

 普通の人ならばともかく、咲島流の師範代であるユウがその程度で動揺するはずがない。もっと恐ろしい、殺意のそれと大差ない気当たりをユウは何度も受けたことがあるし、修練を積む中でもっとざっくり肌が裂けて血だらけになったことも少なくない。だから、この程度でユウが気後れするなんて、間違ってもありうるはずがない。

 

「上村、さん……」

 

 そんな、咲島流師範代としてのユウが気後れしたのでなければ。

 

 ──ごくごく普通の男子高校生としてのユウの方に、問題があった。

 

「ごめ……! ごめん、咲島ぁ……!」

 

 上村は泣いていた。ぐしゃりと顔をゆがめて泣いていた。あの気が強くて姉御肌な上村が、人目をはばからず泣いていた。

 

「わ、わた、わたし、頑張るって……! ぜ、絶対に負けないって決めてたのに……!」

 

「……」

 

 顔は涙でぐしゃぐしゃだ。今もなお、眼からぽろぽろと絶え間なく涙がこぼれ続けている。ここまで戻ってきたことで緊張の糸が切れたのだろうか、ユウが見ているその瞬間にも、どんどんとその顔は……他人様に見せたくないであろう状態に変わっていく。

 

 ユウはもう、どうすればいいかわからなかった。こんなふうに誰かが泣いている所なんて初めて見るし、その泣いている人間はまっすぐこちらを見据えている。元よりユウは女子供の涙を苦手とするところがあったが、今目の前にいる相手は女で子供である。

 

「わたしが、距離を稼がなきゃいけなかったのに……! わたしが、わたしのせいで、みんなの努力が……! せっかくみんなが、頑張ってくれたのに……!」

 

「いいから! 優香は頑張ったから!」

 

「あーもう、泣かないでよ! あんたを責める奴なんてこのクラスにいるわけないでしょ!」

 

「頼む、頼むから泣かないでくれよ……! 俺達みんな、別に上村さんのこと悪いとか思ってないから……!」

 

 クラスのみんなが、リレーなんてそっちのけで上村を宥めにかかる。まさかこんな大ごとになるなんて思いもしなかったのだろう、葛西連合軍の面々も気まずそうにその輪を囲っていた。

 

 選手以外の人間がコースに入るというリレーとしてあるまじき反則が現在進行形で行われているが、さすがにそれに文句をつける人間は一人たりともいない。そんなことを言える勇者がいるとしたら、今尚走り続けている葛西くらいなものだろう。

 

「と、とにかくさ! バトンだけさっさと渡しちゃお! でもって早く足のケガ処置しないと!」

 

 誰かがそう言って、そしてユウと上村の間に道ができる。

 

「さき、しまぁ……!」

 

「……」

 

「ごめん、ごめんねぇ……!」

 

「……」

 

 差し出されたバトン。さっきまではお遊びのためのそれのはずだったのに、ユウにはどうしてもそれがただのバトンのようには思えなくなってしまった。

 

 一人の女の子が、転んで怪我をしてまでも運んできたバトン。高校二年生にもなる人間が、人目を憚らず泣きじゃくってまで届けたバトン。ユウにとってはただのプラスチックでできた円筒に過ぎないそれだが、それだけの思いが……繋がれてきた思いが込められている。

 

 ユウにはその思いも気持ちも理解できない。どうがんばっても、たかだかその程度のことにユウが熱い気持ちになれるはずがない。

 

 けれど。

 

 けれども。

 

「……」

 

 だからといって、それを無碍に扱っていいとも思えなかった。理解できない気持ちであろうとも、それが如何に大事な気持ちであるかということくらいは理解できるつもりであった。誰かが必死になってきたその思いを、自分の適当な気持ちで弄ぶことが、正しいようにはとても思えなかった。

 

「ユウくん……」

 

 いつの間にか、すがるようにしてユウはユリを見ていた。自分でもなぜそうしたかなんてわからない。理由があるとすれば、自分にはわからないことを一番知っているのはユリしかいない……と、本能でそう思ったからだろう。

 

「……まだ、理由が必要?」

 

「お、れは……」

 

 ユウは今までずっと、実力を隠してきた。そして何の因果か、今日はリレーのアンカーとしてこの場に立っている。

 

 つまりユウは今、その身体能力を発揮することを求められている。絶対そうはならないだろうと思っていた事態に、直面している。そうならないように、そんなことはしたくないために今まで運動ができないふりをしていたというのに、今は誰よりもその実力を発揮することを求められている。

 

「理由が必要なら……私が理由になってあげる」

 

 ユウが今まで、運動ができることを隠してきた理由。

 

アイドル(わたし)のお願いなら、断れるはずないもんね?」

 

 そんな理由を、誰かの理由になり続けてきたアイドルはたった一つの笑顔で吹き飛ばして見せた。

 

 

「本気、出せよぉーっ!」

 

 

 ユウがバトンを、受け取った。

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