アイドルクロージング!   作:ひょうたんふくろう

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44 修羅場

 

「むむー……」

 

 ダンスのレッスンスタジオ。壁の一面がまるまる鏡となっているそこで、ユリは自らのほっぺをぐにぐにと動かしていた。

 

 やっぱりなんだかんだで、体を動かすと気分がすっきりするものだ。レッスンに入る前には確かにあった心の中のしこりのようなものも、今ではすっかり霧散している。きっとこの、気持ちよく流した汗と共にどこかへ行ってしまったのではないか──と、ユリはそう思ってさえいた。

 

「やっぱりちょーっと、衰えてるなあ」

 

 ただし、ダンスパフォーマンスとしてどうだったかと言われると、【なんか微妙】と言わざるを得ない。きっちりリズムには乗れているし、振り付けをミスったりもしていない。踊りながらでも体の動きは鏡でチェックできるから、それは疑いようがない。

 

 そのはずなのに──なんか、変。動きは完璧なはずなのに、何かがおかしい。

 

「……笑顔、かなあ」

 

 雰囲気。あるいは覇気。きっとそう呼ばれる類のものが欠けているのだろうとユリは考える。というか、そうでもなければ説明がつかないので、無理やりにそう思うことにしている。

 

「……む?」

 

 一瞬確かに感じた、それ。

 

「…………なんか、すっごくヤだ」

 

 鏡の中の自分が、ちょっと自分でも信じられないくらいにむすっくれた表情になる。とても女の子がしていい表情じゃないというか、不満タラタラでワガママを爆発させる一歩手前って感じの顔だ。もちろん、それはアイドルがしていい表情でもない。

 

 それは確かにわかっているのに……どこか予感めいた不快感が、全然収まらない。それどころか、どんどんと強くなっている気さえする。

 

 これは少々、本格的にメンタルをリセットしなければ──なんて、ユリがまさにそう思った瞬間。

 

 

「──は?」

 

 

 鏡越し、レッスンスタジオの入口に。

 

 あろうことか、自分以外のアイドル(オンナ)を侍らせたユウを、ユリは見つけてしまった。

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

「やあ、ユーリ。レッスンの調子はどうだい?」

 

「いちおー病み上がりみたいなものなんだからさ? あんま無理はしないでよねー」

 

 やべぇ、とユウは心の底から戦慄した。

 

 なんだかんだで、なし崩し的に訪れることになってしまったダンスのレッスンスタジオ。事務所内に併設されたそれは、本来であればアイドルとその関係者──コーチやプロデューサーしか入れない秘密の花園だ。間違ってもそこらの男子高校生が入れる場所じゃないし、そしてどんなに望もうとも、そのチャンスすら得られない場所である。

 

「ほらほら、咲島くん! すごいだろう、ここの設備は!」

 

「男の子でここに入れるだなんて、奇跡と言って良いレベルだからね! 冗談抜きに、咲島くんが最初で最後かも?」

 

 そんな場所を、現役アイドルに案内してもらっている。ぐいぐいと両手を引っ張られて、とても楽しげに。これだけでもう値千金以上の貴重な体験なわけで、宝くじで三億円が当選するよりも羨ましいと本気で言う人だっている。

 

 けれど、ユウは。

 

 想像していた以上に冷え込んでいるユリのその表情を見て、まるで生きた心地がしなかった。

 

「聞いてよユーリ! とっても珍しいお客さん! 桜木さんのお墨付きの男の子! アイドル(わたし)を見てもまるで普通の女の子みたいに接してくれるの! それも演技っぽさが全然なくて、マジでナチュラルな感じ!」

 

 だってマジに知らねえんだもん──と、ユウはユリと目を合わせないようにしながら心の中で弁明する。

 

 このきゃあきゃあと楽しそうにはしゃぐ彼女は、来ている服やら身に着けているワンポイントまで、全体的に赤で統一しているという特徴がある。アイドルとしてのイメージカラーであることは疑いようがなく、そして色の印象通り、明るくて活発な感じがひしひしと伝わってくる。

 

「おまけにおまけに、どうしてなかなかいいカラダしてるんだこれが。すごく体幹がしっかりしていて、体の動かし方が凄く安定しているというか。脱いだら間違いなくすごいと見たね。……私としてはダンスの特別コーチと踏んでいるんだが、どう思う?」

 

 実はこの人、既に見ているばかりか何度も腹筋(じつぶつ)触ってるんですよ──と、ユウは冷や汗をかきながら心の中で呟いた。

 

 赤の娘と同じくユウの手を引っ張るのは、全体的に黄色を基調とした装いの娘だ。比較的理知的な感じがして、なんとなくユーモアやウィットに富んでいるような雰囲気がする。ただ、それ以上にどことなくマッドな気配もして、良くも悪くも振り回されそうだな──というのがユウの第一印象だった。

 

「……………………」

 

「誰かの知り合いらしいんだけどさー? 暇そうにしてたから連れてきちゃった!」

 

「一人でぽつねんと喫茶店の所にいてね。どうもほったらかしにされていたらしい。……誰だか知らないが、招いておきながら放置するような輩がいるようだ。であれば、私たちがより仲良くなってしまっても、何ら問題はないだろう?」

 

 アイドル的に問題大ありなんじゃねえかなあ──と、ユウは半ば投げやりのようにそう思った。

 

 だってもう、この段階でがっしり両手を掴まれてしまっているのである。これが普通の高校生ならよくある青春の一頁、ノリのいい女子とのちょっとした戯れ合いで済ませられるかもしれないが、相手はアイドルだ。下手にすっぱ抜かれたらだいぶヤバいことになりかねない。

 

 何より──現在進行形で、ユリの顔がすんげえヤバいことになっている。できることなら、今すぐこの手を離したいというのがユウの本音だった。

 

「ユーリもそろそろ休憩でしょ? せっかくだし一緒にその【誰かさん】を探しに行かない?」

 

「これもまたファンサービスだよ。だいじょぶ、桜木さんのお墨付きだし。きっと彼も喜んでくれるさ」

 

「…………へえ?」

 

「ひえっ」

 

 たったの二言。

 

 それだけのはずなのに。ユリは確かに笑っているはずなのに。

 

 何故だかユウは、背中に氷を突っ込まれたかのような心持ちになった。

 

「ごめんねー? 私、これからまたレッスンしなきゃだから。そっちの可愛い二人に案内してもらったほうがいいと思うなー。ホント、サービス悪くてごめんねー?」

 

「いや、あの、俺は……」

 

 ぷい、とユリはそっぽを向いた。

 

 どんなに言葉を取り繕おうとしても、両手がよその女の手で塞がっている以上、何の意味も無いのである。

 

「……あの、その、もしかしてだけど」

 

「…………」

 

 ここに来て声を上げたのは、一歩後ろから事態を見守っていた──青いイメージカラーの娘である。なんかやたらと押しの強い赤と黄色とは対照的に、ちょっと大人しいというか、儚くて守ってあげたくなるような感じの娘だ。偏見かも知れないが、文芸部や美術部辺りの文化部に所属していそうだな……というのがユウが抱いた印象である。

 

「もしかして……この人、ユーリちゃんの知り合いなんじゃ」

 

「え……まさかあ。ユーリの知り合いなのに、ユーリを気にかけずにカツサンド食べてたって言うの?」

 

「絶対無いな、それは。ユーリと友人関係になれる男子なんてそれこそ奇跡みたいなものだよ? 普通だったらユーリに夢中になっているはずで、そんな幸運の持ち主が……桜木さんに色目を使うはずないだろうよ」

 

「………………へえ?」

 

「ご、誤解です……」

 

「でも、見てたんだよね?」

 

 ユリは間違いなく、満面の笑みだった。今までに見たことが無いほど、完璧な笑顔だった。

 

 ──それが余計に、おそろしかった。女の笑顔がこんなにも恐ろしいだなんて、ユウは生まれて初めて知ってしまった。

 

「うん、わかるよ。しょうがないよね。男の子なら誰でも、落ち着きのある大人のおねーさんが好きっていうもんね。桜木さんなんてまさに理想だもん、アイドルよりも目が奪われちゃうよね」

 

「ひえっ」

 

 既にユリは、完全にブチギレている。何にどうキレているのかはわからないし、知りたくも無いが、それは間違いない。ユウは知らず知らずのうちに虎の尾の上で華麗なるタップダンスを踊ってしまっているし、龍の逆鱗で見事なスクラッチを決めてしまっているのだ。

 

 色々諸々理不尽だ。いったいどうして自分がこんな針の筵に座るような思いをしなきゃいけないのか。そんなことを考えながらもユウは同時に、ユリのご機嫌を取るためには自分から最善の選択をしなきゃいけないことも理解してしまっていた。

 

「私なんて気にしないで、遠慮せず桜木さんところに行けば? うん、その方がきっといいよ」

 

 ──で、どうするの?

 

 伝わってしまったアイコンタクト。なんで伝わっちゃうんだろうなあと心の中で涙を流しながら、ユウは絞り出すように告げた。

 

「いや、俺は……ここで見学していたい」

 

「へえ……? どれくらい?」

 

「ずっと、最後まで」

 

「……そっちにはアイドルが二人もいるけど? 手まで繋いでくれてるじゃん」

 

「それでも俺は、こっちがいい。二人には申し訳ないけど、そっちのほうが、俺の」

 

 ──俺の精神的な安寧のために大事だから。口からこぼれそうになったその言葉を、ユウはかろうじて飲み込んだ。

 

「え゛っ……うそ、今なんて言った……!?」

 

「ま、まさか……! 私達との手繋ぎデートよりも、ユーリのレッスン見学の方が良いと言うのか……!?」

 

 信じられないという表情で見つめてくる二人に、ユウは心の中で全力で謝った。できることならちゃんと言葉にして謝りたかったが、それをしたが最後、ユウの大切な何かがもう後戻りできないどん底に落ちてしまう気がしてならなかったのだ。

 

 そして。

 

「……そこまで言うなら、しょうがないなあ?」

 

「うぉ!?」

 

「きゃっ!?」

 

 むんずと腰にしがみつかれ、ユウは半ば無理やり二人から引き離された。

 

「え……ユーリ、何を?」

 

「えい」

 

「わぉ」

 

 女の早業。ユリはユウを引き寄せるとほぼ同時にそのズボンの中に手を突っ込み、ぐいってやってぺろんとシャツをめくり上げた。

 

 当然、そこから姿を覗かせるのは──綺麗に割れた、それはそれは見事なユウの腹筋である。

 

 もちろん、ただ見せつけるだけでは終わらない。

 

「おい……!」

 

「なに?」

 

「何でもないです」

 

 ひたひた、ぴとぴと。後ろから優しく摩るように、ユリはユウの腹筋に指を沿わせている。そのシルエットの美しさを触覚で感じ取るように、あるいは程よい硬さと弾力性をオーディエンスに見せつけるように。遠慮も躊躇いも一切なく、何度も何度も、心行くまで。

 

「いやはや、想像以上に見事な……いや、そうじゃなくて! ユーリ、いったい何を……!」

 

「これ、私のですけど?」

 

「えっ」

 

「私のだから、好きにしているだけなんですけど?」

 

 お前のものになった覚えはないんだけどな……と、ユウは諦めの境地の中でそう思った。

 

「ちょ、ちょちょ、ちょっと待ってよユーリ……! そんなまさか、あんた……!」

 

「──さっき、普通の女の子扱いされるって言ってたけど」

 

 ユリは、ユウの腹筋に指を這わせながら言った。

 

「逆に、アイドル扱いされた?」

 

「いや、それは……」

 

「無いでしょ?」

 

「無い、けど……でもそれは、単純に」

 

「──ユウくん(・・・・)。私の名前は?」

 

「……ユリ、だ」

 

「よろしい……じゃ、あの二人は?」

 

 なんだかすごく、すごく居た堪れない気分にユウはなった。例えるなら躾中のペットか、調教中の動物か。逆らおうにも有無を言わせない迫力がユリからは出ているうえ、その上自分はこれから──まさかそんなはずはなかろう、いくらなんでも冗談が過ぎると顔に書いてあるアイドル二人に、残酷なことを告げなくてはならないのだから。

 

「えっ……知ってる、よね? だって私、アイドルで、それも結構有名な」

 

「ゆ、ユーリほどじゃないけど。でも、ユーリに次ぐほどのアイドルなわけで、知らないなんてことは」

 

「…………」

 

「「目を逸らすなぁ!!」」

 

 悔しさと羞恥でいっぱいの表情。どうにか思い出せ、絶対聞いたことはあるはずだと胸倉をつかんで揺さぶってくる二人。そんな二人をユリはしたり顔で眺め、そしてユウは、何処までも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

「くそぉ! くそぉ! 何たる屈辱!!」

 

「こ、ここまで袖にされたのは生まれて初めて……ッ!! めっちゃ悔しい……ッ!!」

 

 赤の娘も、黄色の娘も悔しさで涙を流さんばかりに表情だ。幸いなことに最後のプライドで持ちこたえているようだが、もし決壊してしまったら、それこそユウの精神には尋常じゃないダメージが入ることだろう。

 

「そっか……普通の女の子扱いしてくれたって言うか、そもそもアイドルだって知らなかったんだ……そんな人、いるんだ……」

 

「そ。ユウくんが知っているのはユーリ(わたし)だけ。これでわかったでしょ? ……全く、あの二人ったら油断も隙もありゃしないんだから!」

 

「……あの、一応”ミチル”は知ってる」

 

「「──え?」」

 

 ──え、知っていてくれてうれしい。

 ──え、なんで。私のことは知らなかったのに。

 

 全く同じ言葉なのに、二人から発せられたその言葉には、全く違う意味が込められていた。

 

「……ユウくん?」

 

「いや、知ったのはついさっきなんだけど……一人だけ、名前呼ばれていたし」

 

「…………」

 

「俺だぞ? お前、俺のこと知ってんだろ? お前さえ知らなかった俺だぞ? そんな俺が、他のアイドルなんて知っているはずがないって……頼む、信じてくれよ」

 

「……私の知ってるユウくんは、落ち着きのあるおねーさんが好きだって公言してたよ? ……へえ、ちょうどミチルちゃんもそういうタイプだよね? ……そっかー、だからクラスメイトにすらろくに興味を持ってなかったのにソッコーで名前覚えたんだぁ」

 

「「ひえっ」」

 

 ユウと同じようにその青い娘──ミチルもユリから発せられるそのオーラに潜在的な恐怖を覚えた。仲のいい友達から向けられているとはとても思えない笑顔に戦慄し、生物としての本能から後ずさって、一番近くにいた都合の良い肉盾……赤の娘と黄色の娘の後ろに隠れた。

 

 無意識のうちにそうしてしまうほどに、今のユリはおっかなかったのだ。

 

「ホタルちゃんとマリナちゃんばかりか……ミチルちゃんまで”そっち側”だったなんて、ね……」

 

 ──ああ、やべェなあ。

 

 もう、何度目かすらわからない。はっきりしているのは、密着している背中越しに伝わってくるわなわな、ぷるぷると震えている──少しだけ不健全な意味も含まれている──感覚と、おそらくは俯いて絞り出しているであろうユーリの低い声。感情が爆発寸前であるのは見て取れて、そして悲しいことに、ユウにはこれをどうにかする策がさっぱり思いつかなかった。

 

「ゆ、ユーリちゃん……? わ、私は別に何もしてないからね……? 名前は本当に偶然で、咲島くんにちょっかいを出していたのはあの二人の方だから……!」

 

「あっ、この野郎! 仲間を売りやがった!」

 

「止めなかったミチルも同罪だろぉ!? ノリノリで話を聞き出そうとしてたじゃないか!」

 

「そ、それは二人も同じじゃん……!」

 

 「集中砲火」から免れようと何とか必死に互いに罪を押し付け合う三人の娘。ああ、アイドルとはいえこういう所は普通に学校にいる女の子と同じなんだなあ──と、ユウは、現実逃避気味にそんなことを考えた。

 

 そして。

 

 

「……うーっ!」

 

「おっと」

 

 

 ぐい、とさらに強い力で体を引っ張られ。

 

「うーっ! うーっ!」

 

 文字通りの涙目。大好きなお人形を取られないようにと必死で抱きすくめる女の子のように、ユリはユウを庇うように抱きしめて、そして三人娘をキッと睨みつけて宣言した。

 

 

「わたしの! これ、わたしのだもん! 絶対に渡さないったら!」 

 

 

 ──せめて、人間扱いしてほしかったなあ。

 

 

 ユウのそんな気持ちは、涙目で三人を威嚇するユリに届くはずもなかった。  

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