アイドルクロージング!   作:ひょうたんふくろう

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48 昼餉(みんなで)

 

「……なぁ、アイ」

 

「どしたの、おにーちゃん」

 

 休日の朝。高校生にしては珍しく、惰眠を貪ることなくいつも通り朝の時間に起きたユウは──これまたやっぱりいつも通り朝の修練を終え、そして朝餉の支度を整えている妹に向かってぽつりとつぶやいた。

 

「食事中のテレビを解禁しようと思うんだが、どうだろう?」

 

 かちゃ、と小さな音。どうやらアイが、運ぼうとしていた箸を手から滑らせて落としたらしい。いつもだったらそんなヘマはしないし、そもそも落ちる前にキャッチできるはずなのに、である。

 

 それが意味することは、つまり。

 

「お、おおお、おにーちゃん……!?」

 

 目の前にいる人間が、まるで怪物が何かだと知ってしまったかのように。あるいは、あと数時間ほどで巨大隕石が衝突してこの世が終わると知らされたかのように。

 

 なんとも言えない──かつてないほどの驚愕の表情を浮かべなら、アイはユウに問いかけた。

 

「い、いったいどうしたの……!? 頭でも打ったの!?」

 

「失礼な奴だな、お前は」

 

 アイにとって、兄がこんなふうにルールを変更するのは到底信じられないことだった。【食事中にテレビ・ラジオをつけてはいけない】という今時考えられないようなルールがあるからこそ、アイはテレビの時間をずらしてご飯の時間を設定しているし、どうしてもどうにもならない時は光の速さで食事をするようにしているのだ。

 

 そんなあまりにも苦痛すぎるルールが……何の兆候もきっかけもなく、それも兄の方からやめにしようと言ってきたのだ。これを驚かずに、何を驚けというのだろうか。

 

「だって! いったい今まで、あたしがどれだけ……!」

 

「その気持ちを汲んだつもりなんだけどな。それにもう、高校生だし……」

 

「……偽物ぉ!」

 

「取り消しにしてもいいんだが?」

 

「あっうそうそ! おにーちゃんだいすき!」

 

「よろしい」

 

 今までに見たことの無い程の満面の笑みを浮かべ、そしてアイはさっそくとばかりにテレビのリモコンに手を伸ばす。

 

「うっひゃあ……! まるで夢みたい……!」

 

「大袈裟な奴だな」

 

 きっちり整った朝の食卓に、そして賑やかなテレビという──どこにでもありふれた、しかし咲島家では一度も見られなかった光景が広がった。

 

「でもでも、ホントにどうしたの? 最近のおにーちゃん、今までと全然違うって言うか……!」

 

「さっき言った通りだよ。お前ももう高校生だし、こんなのいちいち注意するほどのことでもないだろ。それに、テレビがついてたからってだからどうだって話だ」

 

「……もしかして、見たいテレビとかできたの?」

 

「おにーちゃんほどともなると、朝の短い時間で社会の動向を知る必要が出てくるんだよ」

 

 半分本当で、半分ウソである。高校生だし子供みたいにテレビ禁止を言い渡さなくてもいいだろうというそれもまた事実ではあるが、実際はもっと単純に……これからのアルバイト(・・・・・)のことを考えて、少しでも世間に詳しくなっておこうというのがユウの本当の所だ。

 

 ただ、いきなりそんなことをしたらまず間違いなく疑われてしまうから、建前としてアイの成長を認めたというだけに過ぎない。

 

「うーわ、嘘くさい……でもそっかぁ。てっきり見たいテレビでもできたんじゃないかなーって思ったのに。おにーちゃんは世間に疎いまんまなんだね」

 

「お前はおにーちゃんのことを何だと思ってるんだ。こう見えて最近は、多少は見識を広げてるんだぞ」

 

「ほんとぉ?」

 

 ひょいひょいひょい、ぱくぱくぱく。

 

 いつもと同じように雑談をしながらも、アイもユウも箸を動かす手は止めていない。ちゃんと言いつけ通り(?)、テレビをつけていてもそれに夢中になることなくきちんと食事をしている。

 

「例えばだな……お」

 

 ちょうどいいタイミング。ちら、とテレビを見たユウの目に飛び込んできたのは、つい最近知り合ったばかりの赤、黄、青の三人娘の顔だった。

 

「あの赤いのがマリナ、黄色いのがホタル、青いのがミチルだろ?」

 

「……やっぱ偽物ォッ!!」

 

 瞬時に警戒態勢を取ろうとしたアイを、ユウは気迫を乗せた視線だけで黙らせる。悲しいかな、今のユウとアイにはそれだけの力量差が存在していた。

 

「テレビ消すぞ」

 

「ごめんなさい」

 

 卵焼きをぺろりと平らげ、そしてユウはみそ汁に口を付ける。今日もまた、いつもと同じ咲島家のその味で、なんだかんだでこれが一番落ち着くんだよな──と、ユウはそんなことを思った。

 

「で……でもさ! おにーちゃんが……よりにもよっておにーちゃんがアイドルを三人も覚えるなんて!」

 

隣の席のやつ(・・・・・・)がそういうのに詳しいんだよ……まぁ、知っているのは名前と顔だけで、具体的に何をしているのかって所まではまだ全然だけど」

 

 公演か何かに関するニュースだろうか。物理的な熱気を感じてしまいそうなほど人でいっぱいのドームの中で、三人娘が可愛い衣装を着て踊っている。彼女らの顔は観客のそれよりもキラキラと輝いていて、マイクを握ったその姿に、ユウはほんの少しだけユリの面影を覚えた。

 

「何のニュースだ、これ?」

 

「この前のライブが大盛況だったってニュースだよ……ほら、インタビューとかも出てるじゃん」

 

「……ほぉ」

 

 テレビの中で、三人娘が向けられたマイクに当たり障りのないコメントを返している。にこっと極上の笑みを浮かべ、いかにもアイドルらしく可愛らしい仕草でやり取りする様は、本当にユウが知っている彼女らと同じ人間であるのか──”アイドル”という違う生物なのではないかと疑いたくなってくるほどだ。

 

 ユウにはどうしても、この三人娘がついこの前一緒に焼き肉を食べた──肉の焼き加減でぎゃあぎゃあと姦しく騒いでいた三人と同一人物であるように思えなかった。

 

「あああ……! やっぱりこの三人もイイよねえ……! 曲もそうだけど、ファンサービスも良いっていうか! キャラがばっちりで、もうそれだけで推せるんだあ……!」

 

「ふーん……」

 

「マリナちゃんは元気っ娘! 明るく活発で、時には女の子をきゅんとさせるような男の子っぽい魅力もあったり!」

 

 ──そういや焼肉でおろしニンニクを二つもぶちこんでたなぁ。

 

「ホタルちゃんはクレバーな知的さが魅力! アイドルどころか勉強キャラでもやっていけるほど! ちょっといたずらっぽく知的にからかってくるところが、もうホントに……!」

 

 ──ドリンクバーでオレンジジュースとアイスティーを混ぜてケラケラ笑って飲んでいたっけ。

 

「ミチルちゃんは優しくて穏やかな女の子らしい女の子! 普段はおっとりしていて繊細だけど、時折見せる芯の強さのギャップにクラクラしちゃう人が続出!」

 

 ──だいぶ焦げちゃった肉、『生まれつき胃は丈夫なので』って普通に食べてたような。

 

「ホントにもう、三人ともめっちゃ可愛くてすっごいアイドルなんだから! 確か去年の女の子の赤ちゃんの名前、この三人のがすっごく多かったんだよ!」

 

「お、おお……」

 

 聞いてもいないのに、興奮冷めやらぬアイは如何にその三人のアイドルが凄い人物なのかを語っていく。聞かされれば聞かされるほど、ユウの中のアイドルのイメージがぐちゃぐちゃになっていってしまったのは、ここだけの秘密であった。

 

「ま、まぁこの三人についてはよくわかったよ……俺が知らなかっただけで、三人ともすげえんだな」

 

「そうなの! というかおにーちゃん……この三人、ユーリちゃんと同じ事務所のアイドルだよ? すごいに決まってるじゃん!」

 

 ──うん、知ってる。

 

 その言葉を心の中だけに留めて、ユウは食後のお茶に口を付けた。

 

「俺はよくわからないけどさ……この三人とユーリはどっちがすごいんだ? やってることはどっちも歌って踊る……だよな?」

 

「うーん……こればっかりは好みの問題だからねえ。キャラが好き、歌が好き、声が好き……一口にアイドルを推すって言ってもいろいろあるし。でも、単純な数字や規模だけで見たら……ユーリちゃんになるのかなあ」

 

「ふーん……」

 

「でも、決して三人が劣ってるわけじゃないからね? どっちかっていうとユーリちゃんが凄すぎるだけなんだから! あたし、ユーリちゃんがデビューする前はこの三人の曲ばっか聞いてたもん!」

 

「へえ……俺も聞いてみようかな」

 

「そうしなよ! 食わず嫌いはよくないし、ユーリちゃんの曲が好きならこっちも絶対ハマるって!」

 

 ある意味当然のように、アイはこの三人のCDもすっかり揃えているらしい。聞けば、イマドキの女子高生の中では持っていない人の方が珍しく、もはや生活必需品と同等の扱いを受けているのだという。CDを買ってない人も、友達と貸し借りするか、あるいはダウンロードするなりして……本当の意味で全く触れていない人というのは、ほぼ存在しないという話であった。

 

「そんなに有名だったんだな」

 

「おにーちゃん、普段から全然テレビ見ないもんね……でも、本当に珍しいというかどうしたの? ……本格的にアイドルに興味出てきたりとか、しちゃったの?」

 

「んー……そういうわけじゃないんだけど。いや、まったくないってのも嘘になるか? ユーリ(あいつ)の【O'astKitten!】はちょくちょく聞いてるし、あの三人の曲も気になったのは間違いない……けど、それだけだ。他のアイドルとかにはこれっぽっちも興味が湧かないな」

 

「……ふーん?」

 

 何かを言いたそうにじとっと見てくる妹を見て、ユウは言い訳するように言葉を紡いだ。

 

「あー、実はバイト仲間との共通話題とかもあってだな……。案外これが盛り上がるし、大人としてこれくらいの常識はしっておかないとだろ?」

 

 そのバイト仲間が、アイドル本人だとは口が裂けても言えない。持ち歌を知らないどころか、顔と名前も一致せず……アイドルであることすら知らなかったことをチクチク突かれたことなんて、絶対に言えない。だからユウは、裏方とはいえこれから関わっていくことになるのであろうアイドルやその常識のことを、少しでも覚える必要があるのだ。

 

「そう言えばおにーちゃん、最近バイト多いよね。去年はそこまで入れてなかったよね?」

 

「まぁな。家にいてもやることないし……夏休みに向けて、ゲームの資金を稼ぐのも悪くないだろ? それに案外……」

 

「む?」

 

「……結構楽しいんだ、このバイト」

 

 少なくとも、退屈はしない。色々諸々気恥しかったり照れくさかったりはするものの、なんだかんだでユリと過ごすのは楽しいのだ。少なくとも、淡々と家で古いゲームをしているよりかは、よっぽど有意義で意味のある時間と言えるだろう。

 

「へええ……! あのおにーちゃんが……! もしかして、よほど気の合うバイト仲間ができちゃったり?」

 

「……まぁ、そうだな。バイト仲間とはずっとアイドルの話をしているような気がする」

 

「ほっほぉ……! つまりは、天野さんって人と似たタイプってことかぁ……! この前も一緒に夕飯食べてきてたわけだし、おにーちゃんはそういう人と気が合うんだね!」

 

「…………お、おう」

 

「……どうしたの?」

 

「いや、別に」

 

 アイはユウのバイトが、去年と同じく学生御用達の登録制バイトだと思っている。だから当然バイト仲間も同じような高校生で、もっと言えばそんなバイトしかできないような──言ってみれば、自分の兄と同じようなタイプの人間だと思ってしまっている。故に、天野とユーリを同類だとみなすという、あまりにもあんまりな勘違いをしてしまっているのだ。

 

「まぁでも! あたしとしては、おにーちゃんが楽しい生活を送ってくれて嬉しいよ! ……いやもう、ホントにマジで!」

 

 三人娘のインタビューに関するニュースは終わり、今度は天気予報のコーナーが始まった。今日も明日も晴れが続くものの、三日後くらいからは天気が少し荒れ気味になるらしい。洗濯物は今のうちに済ませるように──と、テレビの中でお天気おねえさんがそんなことを言っている。

 

「それでおにーちゃん、今日の予定は? あたし、ちょっと休んでからまた修行するけど」

 

「俺は今日もバイトだな」

 

 今日もまた、ユウは例の事務所に赴くことになっている。ユーリのレッスンの立ち合いをする傍ら、姫野に芸能界の最低限の常識を叩きこまれるというスケジュールだ。裏方として現場に入る以上、知っておかなかきゃいけないことがそれなりにあるため、雰囲気に慣れるためにも必須である……と、そんな説明を受けたのをユウは覚えている。

 

「あっ、それじゃあおにいちゃん──」

 

「ん?」

 

 そんなことを考えていたせいで。

 

 ユウは、アイが言い出したその一言への反応が遅れてしまった。

 

 

 

「お昼はどうする? よかったらあたし、お弁当作るけど?」

 

 

 

 どうせついでだし、コンビニで買うよりかはいいでしょ──という妹の言葉に、ユウはただ頷くことしかできなかった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

「──さて、良い時間だし切り上げてお昼にしましょうか」

 

 時が経つのは早いもので、気付けばあっという間に昼餉の時間。午前中はなんだかんだでダンスレッスンの見学に勤しんでいたユウは、姫野がパンと打ち鳴らしたその手の音に、悪い意味で背筋がピンと伸びるような心持ちであった。

 

「どうよユーリ、調子の方は?」

 

「うーん……? 少しはマシになったけど、やっぱ違和感があるような」

 

「マシになってるだけ良いと捉えるべきだろうねえ。悪化してないなら上出来さ」

 

「ですね……。何事もポジティブに考えるべきですよ。病は気からと言いますし、特にこういう精神的なものであれば」

 

 ユーリと赤青黄の三人娘が、そんな風に話しながらこちらへとやってくる。四人ともついさっきまで激しく踊っていたからか、額には珠のように汗が浮いており、そしてちょっぴり息が荒い。レッスン用のラフなシャツ姿であることも相まって、果たしてこれは自分が見て良い光景なのか、ユウにはどうにもそこのところが気になって仕方がない。

 

 いや、良いか悪いかで言えば悪くはないのだろう。だが、だからと言ってガン見するのは紳士的に憚られる。悲しいことに、その手の経験が浅いユウには、いったいどこまでがセーフでどこまでがアウトなのかの判別ができないのだ。

 

「ね、ね! ユウくん、その……ど、どうだった?」

 

「お、おお……俺の目にはよく踊れているように見えたが」

 

「……それだけ?」

 

 ほんのり赤くなりながら、若干の上目遣いでそんなことを聞いてくるユーリ。どう答えてもろくでもない方向に流れそうだと悟ったユウは、身近にいる大人の力に頼ることを瞬時に決めた。

 

「姫野さん、昼飯はどうします?」

 

「逃げた」

 

「逃げたね」

 

「逃げましたね……」

 

「……気迫は籠っていなかったっす。ダンスは素人なのでわかりません」

 

「それはそれで逃げだけれど……まぁいいわ。ユーリもそんなふくれっ面しないの。女の子がそんな顔しちゃダメでしょう?」

 

 はあ、とわざとらしくため息をついてから、姫野は顎に指を当てて思案した。

 

「お昼だけど……各自で適当に取ってもいいし、いつものお弁当屋さんでよければこっちで出すわ。あるいは──」

 

「あ、俺は──」

 

「あのっ! 実は私!」

 

 予想外にも被った声。お互い目を見開いて驚きあってから、アイコンタクトを通して──ユリの方から、言葉を紡いだ。

 

「その……私、お弁当作ってきたの。せっかくだしみんなでどうかなって」

 

「え……お弁当? みんなって、ここにいるみんな?」

 

「うん! ほらあの……運動会みたいなアレで!」

 

 これくらいのお弁当箱が五つほど、とユリは手でそれを表現する。なるほどたしかに、昭和か平成初期の運動会でよく見られたような、重箱みたいに大きなお弁当箱なのだろう。それに嘘偽りがなければ、女の子四人と女の人一人くらいは十分に満足できるほどの量だ。男子高校生も含めるとちょっと心もとないが、一人で準備するのに相当手間暇がかかっただろうことは想像に難くない。

 

「普通に嬉しいけれど……あなた、準備するの大変じゃなかったの?」

 

「気分転換も兼ねてたので! 最悪、何かあってもユウくんが食べきってくれるし!」

 

 そうだよね、とユリはウィンクを飛ばしてきた。実際、マジにその通りなのでユウには反論のしようもない。

 

「ただその……ユウくんはちょっと足りないかも? その時はいつものカツサンドをおやつに食べる感じで!」

 

「あー……その、実は俺も弁当持ってきてんだ。バイトに行くって言ったら、妹が」

 

「わぁ! じゃあ何の問題もないね!」

 

 いや、全く無いわけじゃないだろう──なんて言葉を紡ぐ前に、ユウはユリに腕を取られて荷物置き場へと引っ張られていく。そういやなんだか今日は妙にデカい荷物だったなと、ユウはこの時になって初めて自らの注意力不足に気づいてしまった。

 

「やー、でもよかったよー……。実は内心、足りなかったらどうしよーって思ってたんだあ」

 

「お、おお……」

 

 デカい。

 

 ユリがゴソゴソと引っ張り出したその包みを見た時に、ユウが抱いた感想だ。ちょっとうまい例えが見つからないが、それこそおせちの重箱と大差ないんじゃないかってくらいの大きさだ。

 

 ユウの目測を信じるならば、それは一辺が一尺ほどのキューブであるわけで……まぁ、普通の弁当箱としては文字通り規格外の大きさである。食べきれない心配をすることはあっても、足りなくなる心配なんてあるはずがないものだ。

 

「ユウくんのお弁当箱は……相変わらずおっきいねえ!」

 

「いや、そっちに比べたら……というか、なんでそんなデカいの持ってるんだ?」

 

「さぁて、なんででしょうねー?」

 

 せっかくだからということで、食事場所はそのままダンスレッスンスタジオである。文字通り、運動会のようにお弁当箱を広げて好きに突いて食べましょうというスタイルだ。ユウたちが弁当箱を取りに行っている間に姫野らでその他の準備を整えてくれたらしく、ペットボトルのお茶に紙皿と割り箸が揃っており、三人娘がまだかまだかとそわそわした様子でユウたちの帰りを待っていた。

 

「おまたせ!」

 

「待ちくたびれたぜい!」

 

 円を組むように座って──スカートである姫野は正座をしていた──お弁当箱を真ん中に置けば。あとはもう、その希望しか詰まっていない魅惑の箱のふたを開けるだけである。

 

「さぁ……召し上がれ!」

 

 ほう、と誰かのため息が聞こえた。

 

 それもそのはず。

 

 だって、良い匂いと共にユウの目の前の広がったのは。

 

「──すげえな」

 

 実に見事な、お手本のようなお弁当。一段目にはおにぎりが、二段目にはサンドイッチが、そして三段目以降には見ているだけでワクワクしてくるような華やかかつ美味しそうなおかずがこれでもかと詰まっている。

 

「ほうほう! ひょっとしたらと思っていたけど、本当に運動会みたいじゃないか!」

 

 おにぎり。三角形じゃなくて、俵型のやつだ。少し小ぶりだけれど、その分レパートリーが豊富で、シンプルに海苔だけまかれているもの、わかめふりかけのもの、たまごふりかけのもの、ゆかりのもの……と、何と四種類もある。見た目からはわからないだけで、きっとオーソドックスな海苔巻きのそれの中にもいくつか具の種類があるのだろう。一つ一つが小さいのも、いろんな種類の味を楽しめるようにという配慮であるのは明らかだ。

 

「すっご……! こんなガチなの、お話でしか見たことないよ……!」

 

 二段目のサンドイッチもすごい。たまごサンド、ハムサンド、あとなんか野菜も使っているやつ……と、こちらも三種類ほどある。綺麗にみっしりとお弁当箱に詰められていて、まるで高級なパン屋のショーウィンドウをみているかのようだ。これをそっくりそのまま店頭に並べるだけで、多少強気の値段設定でも飛ぶように売れるだろうと、ユウはそんな確信を抱いた。

 

「つ、作るの大変だったんじゃ……!?」

 

 で、三段目のおかず。こちらはもう、ユウの貧相な語彙じゃ到底表現できないほどだ。

 

 ミートボール、ハンバーグ、唐揚げはユウでもわかる。タコさんウィンナーだって学校でのお弁当の時に何度も見かけたものだ。アスパラのベーコン巻もまぁ、見たことがあるからそこまで大きな衝撃はない。

 

 だけど、ゆで卵にはなんか肉が巻かれているし、野菜がくるくると綺麗に巻かれた(?)サラダに至っては、ユウの理解の範疇を超えている。こんな食べ物がこの世に存在したこと自体ユウは初めて知ったし、そもそもとしてどうやって作れるのかの見当もつかない。

 

 そう、まさしく華やかでおしゃれなお弁当。運動会でこのお弁当箱を広げたら、周りの注目をかっさらうこと間違いなし。誰に自慢しても恥ずかしくないほど立派なそれが、ユウの目の前に広がっている。

 

「へへん、もっと褒めて! けっこー頑張っちゃったんだから!」

 

「いつ見てもすごいわね……というか、いつにもまして気合が入っているというか。手間暇もそうだけど、単純に量が多くて大変だったでしょう?」

 

「さっきも言った通り、気分転換も兼ねてたので! お弁当ってたくさん作ると達成感みたいなものがあるんだもん!」

 

 自分一人じゃ食べきれないけどね……なんて、ユリは照れくさそうにはにかんだ。

 

「そ、その……ユウくんも、遠慮しないで食べてね?」

 

「…………」

 

「……ゆ、ユウくん?」

 

「……あ」

 

 ちょいちょいと肩を小突かれて、ユウはようやく自分がユリに呼ばれていたことに──そのお弁当に釘付けになっていたことに気付いた。

 

「……ユウくん? どうしたの?」

 

「悪い……なんか、普通に見とれてた。いや、見とれてたって言うか、すげえなあって……」

 

「えへへー……でも、メニューとしては定番の物ばかりと言いますか、量は多いけど目新しさは無いのです。ほとんどのやつが、普段のお弁当にも入れてるやつだよ?」

 

「そう……なのか? ……ああいや、そうかも。でもなんだ……なんでだ? 一つ一つを見れば見たことあるやつなのに、なんで、なんでこんなに……あ」

 

「……ユウ、くん?」

 

 ここでようやく、ユウは思い当たった。

 

「……そっか。そうだよ、俺、こういうのって初めてだからか」

 

 家族みんなで食べるための大きな大きなお弁当箱も。そんな大きなお弁当箱をこうしてみんなで突くことも。ただ食べるためじゃなくて、楽しむために作られたお弁当も。何もかも、ユウにとっては初めての経験だった。

 

「あら……今の子達は運動会でみんなでお弁当を広げたりってしないのかしら?」

 

「……あー、全然記憶にないっす。なんか普通にいつものやつを教室で食べたような……?」

 

「おや。私のところは家族と一緒に校庭でお弁当を広げるスタイルだったけどね」

 

「ウチもそうだったけど、それ低学年までだったなぁ……上級生のころはむしろ恥ずかしくて親に来てほしくなかったし」

 

「結構地域差がありそうですよね……偏見かもですけど、都会の学校は校庭もあんまり広くなさそうですし、全員がお弁当を広げるスペースは絶対ないですよ」

 

「ふぅん……まぁ、言われてみればそうかも」

 

 それにしても、と姫野はそのお弁当を一通り見渡してから呟いた。

 

「いつもに比べて妙に茶色が多いというか、肉肉しい感じのチョイスが多いわね? ……ええ、それこそ男の子が好きそうなものがいっぱい」

 

「そ、そう? ハンバーグも唐揚げも、男の子に限らずみんな大好き……だよね?」

 

「すでに十分見た目も整っているし、そもそも男の子大好きメニューの詰め合わせでどうやったらここまでオシャレに仕上げられるのかって本気で不思議だけど……それでも普段のあなたは、もうちょっと彩や見栄えを気にしてるじゃない?」

 

「そ、そんなことない……かも?」

 

「……彩のプチトマトを入れるくらいなら、一個でも多くお肉を入れたかったのね」

 

「はーい、配膳するよーっ! みんなお皿を出して―っ!」

 

 何かをごまかすようにして慌てて紙皿におかずを取り分けるユーリを見て。三人娘は、ああ、間違いなくそういうことなんだろうな──と、察してしまった。いや、このあからさますぎる光景を見れば、誰が見てもそういうことなんだと気づくことができただろう。気づいていないのは、当の本人だけだ。

 

「あ、タコさんウィンナー美味しい」

 

「ハンバーグんまい」

 

 もちろん、味の方の評価なんて今更語るまでもない。普通の料理ではなく、お弁当ととして──冷めても美味しい料理の作り方も、ユリは熟知している。公式プロフィールには載っていないが、何気に結構なハイスペックなのである。

 

「ほら、ユウくんも! ……とりあえず一種類ずつは取っておいたよ!」

 

「おう、ありがとな」

 

 バランスよく、肉を多めに──それでいて、見栄えもばっちりと考えて。お皿に取り分けるというただそれだけの行為のはずなのに、その段階でユリはもうユウのはるか上を言っている。もし立場が逆だったとしても、これだけきれいに盛り付けられる自信はユウにはない。

 

「なんか……本当にすげえなあ……。同じ弁当だとは思えないぜ……」

 

「えー? アイちゃんのお弁当もすごいと思うけど……前にも言ったけど、冷食なしで全部作るって相当凄いことだよ?」

 

「あいつの場合、単純に冷食を好まないからってだけなんだが」

 

「またまたぁ……ところでなのですが、また卵焼きを頂けたりしちゃったり……」

 

「おう。でも、お前のには敵わないと思うが」

 

「えへへー……私だって、たまには誰かの手作りを食べたいのです」

 

 妹の作ったどこにでもあるごくごく一般的な卵焼きをひと切れと、話題のトップアイドルが丹精込めて作った手作りお弁当。ユウとしてはそのトレードに不満はない……どころか、あまりにも天秤の皿の釣り合いが取れていなさすぎて逆に不安になってくるほどだ。その価値なんて比べるべくもないというか、逆に卵焼き一切れの方を選ぶ人間を見てみたいくらいである。

 

 ──そこまで思って、 目の前で心の底から嬉しそうにユウの弁当箱に箸を伸ばす少女の笑顔に気づいた。

 

「……あら?」

 

 ちょうど、ユリがユウの卵焼きに嚙り付いたタイミングで。

 

 ちょっとびっくりしたような声を上げたのは、姫野だった。

 

「この卵焼き、いつもと味が違うわね」

 

 言われて、ユウも自分の取り皿にある卵焼きを見てみる。見た目はいたって普通で、いつぞやの学校での昼食時に見かけたものと変わらない。

 

「あなた、卵焼きは甘いのが好きだったでしょ?」

 

「……えへへ?」

 

 ユリは、どこか遠くの方へと視線を彷徨わせた。

 

「…………ユウくん、その卵焼き、食べてごらんなさい」

 

 有無を言わせぬ迫力。どれ、ここは一つ初っ端から景気づけに唐揚げを食べてやろうか──と伸ばしていたユウの箸は、姫野のその鋭すぎる眼力により強制的に行先を変えさせられた。

 

「──あ、美味い」

 

 和風だしを使った、いわゆるしょっぱい方の卵焼き。味付けは結構しっかりしていながらも、上手い具合に卵の甘みも調和していて、なかなかユウの舌にもしっくりくる味である。高級なお寿司屋さんで出てくるそれのような上品さも兼ね備えていて、とても家庭用のお弁当に入っているものとは思えないほどの出来栄えだった。

 

 文句なしに、美味しい。口に出して言うのは恥ずかしいが、それこそ毎日でも食べたくなるほどに。

 

 ただし──作った本人は、そうでもないようだった。

 

「うーん……なんかちょっと、味が違う……」

 

 ユウのお弁当箱にあったそれを一口齧っては、うんうんと首をひねって。自分が作ったそれを齧って、再び咲島家のそれを食べて……と、ユリは先ほどから何度も同じことを繰り返している。

 

「和風出汁を使った卵焼きのはず、なんだけど……なんだろ、何か違う……」

 

 考えて考えて、結局わからなかったのだろう。降参だとばかりに、ユリはユウに問いかけた。

 

「ね、ユウくん。ユウくんの所の卵焼きって……何か特別なもの、使ってる?」

 

「い、いや……普通の材料しか使ってない、はずだぞ?」

 

「えー……ホントかなあ? ……実は内緒の秘伝だからって隠していない?」

 

「そんな秘伝はさすがにないって……使ってる和風出汁だって粉末のやつだぜ?」

 

「……すっごい高級なやつとか、珍しいこだわってるやつだったり?」

 

「特売で買う安物だな」

 

 ──なんでこいつ、こんなにグイグイ聞いてくるんだろ?

 

 ユウ以外の全員が、その理由をしっかりばっちり理解してしまっている。というか、なんか思っていた以上にガチでアレな感じだったので、下手にからかっていいものなのか判断に困っているといったほうが正しい。

 

 外堀から、かつ胃袋から落としにかかっている友人の姿は誰がどう見たって真剣そのもので、決して茶化していいとは思えない。しかしながら、こんなあまりにもベタベタで露骨なそれをスルーするというのも却って意識し過ぎなのではないかと思えてしまう。ここは軽いノリで当たり障りのない程度に触れるのが最も自然なのではないか……と思いつつも、ここまでくるとその匙加減を測るのが凄まじく難しかった。

 

 結果として、赤青黄の三人が取ったのは……何もかも忘れて、そのお弁当に舌鼓を打つという消極的な「選択をしない」という選択であった。

 

「んー……この前貰った卵焼きが美味しかったから、しょっぱい方にも挑戦してみたんだけど……」

 

「こっちの卵焼きの方が美味いと思うけどなあ」

 

「……ふふっ、ありがと。……でも私は、ユウくんの家の味の卵焼きを作れるようになりたいんだあ」

 

 

(ひゃあああああ!?)

 

 マリナは心の中で大絶叫を上げた。友人の、同性でさえキュンキュンしちゃうその言動に、なんだかもうベッドに飛び込んでジタバタしたくなった。

 

(ふぉおおおお!?) 

 

 ホタルは心の中で大絶叫を上げた。まさか漫画の中でしか見られないような、こんな青春真っ盛りなやりとりがリアルで見られるだなんて、世の中まだまだ捨てたもんじゃないと思った。

 

(うああああああ!?)

 

 ミチルは心の中で大絶叫を上げた。というか、なぜだか自分の方が顔が真っ赤になっているのがはっきりとわかった。そして許されるのなら、今すぐスマホを取り出してこの瞬間を一生保存したいとさえ思った。

 

(……チッ!)

 

 このヘタレ鈍感男子高校生め、と姫野は心の中で舌打ちした。女の子がここまで勇気を見せているのだから、ちゃんと察してそれ相応の対応をしろと心の底から思った。そもそもとして、女の子が心を込めて作ったそれを食べた感想が「あ、美味い」のたった一言だけだなんて、いったいどういう了見なのだと胸倉をひっつかんで揺さぶりたくなった。

 

 ただ、悲しいことにユウと姫野ではその身体能力に天と地ほどの差がある。やりたくでもできないものはしょうがない。

 

「……あら、それならいい方法があるわ」

 

 だから──意趣返しとして。元々そのつもりではあったけれど、こいつを口実に使ってやることにした。

 

 

 

「作り方が分からないのなら──作った本人に、聞きに行けばいいのよ」

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