アイドルクロージング!   作:ひょうたんふくろう

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54 トラウマ

 

 『──ガコンッ!!』

 

  ──♪・♪~♪!

 

 

 衝撃音と、そして軽快なミュージック。本来あるべき甘い歌声はどんなに耳を澄ましても聞こえることは無く、最初の衝撃音──床に落ちた時の耳障りなその音のほかには、マイクは何の音も拾わない。

 

 そう、流れているのはあくまで音楽だけ。アイドルのライブだというのに、肝心肝要のアイドルの歌声が無い。この一万人の観客を魅了し、熱狂させるはずのアイドルの甘い歌声が……いつまで経っても聞こえてこない。

 

 何より問題なのは……そのアイドルが、ステージの真ん中で膝から崩れ落ちていることだった。

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 真っ先に動いたのは──やはりというか、ユウだった。

 

「おい!?」

 

 ユーリが崩れおちて、わずか三秒。最初の一秒で何か尋常ならざる事態が起きたと理解し、そして次の二秒で舞台袖からステージ中央へと一瞬で駆け出している。

 

 ライブの本番中に、スタッフとはいえ関係のない人間がステージに入り込む。本来であれば許されざる行いではあるが、ユウはそんな常識にとらわれるつもりは毛頭なかった。

 

「ユリ!」

 

「っは、はっ、はーっ、ぁっ!」

 

 真っ青になり、苦しそうに胸を押さえるユリ。明らかに正常じゃない呼吸。体は見るからに強張っていて、どう見ても「うっかりマイクを落としてしまっただけ」には見えない。

 

 そして──血の匂いはしない。熱気の匂いとほんのわずかな汗の匂いだけ。

 

 それだけわかれば。

 

「抱くぞ!」

 

 ユーリが縋るように体を預け……る前に、すでにユウは力強く彼女を抱き上げている。ちょうどお姫様抱っこのような形だが、ユーリのあまりにも苦しそうなその表情を見れば、それがロマンティックなものだとはとても思えない。

 

 ──直に伝わる、その鼓動。脈拍は不自然に多く、息遣いは荒い。体は少し震えているが、これは震えではなく痙攣と呼ぶべきものだろう。

 

 ぶつけどころのない悔しさを無理やり心に仕舞い込み、そしてユウは思いきり足を踏み込んだ。

 

 

 

『ダンッッッ!!!!』

 

 

 

 会場に響く爆音。先ほどのマイクが落ちた時の衝撃音とは比べ物にならないほどの轟音。

 

 そんな轟音と共に──ユウの姿と照明の光は掻き消え、会場に暗闇の帳が下りた。

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

「……な、なにが起きたの!?」

 

 華々しく復帰をするはずの──歌い出すはずのユーリがマイクを落として。そればかりか、苦しそうに胸を押さえて膝から崩れ落ちて。

 

 思わず駆け寄ろうとしたときには、隣にいたはずのユウがすでにユーリの隣にいて。

 

 奇妙な安心感と、ユーリに起きた不測の事態への不安。半ばパニックになりかけている頭の中で、それでも冷静になろう──としたところで、鼓膜が破けそうな爆音がして。

 

 そればかりか、照明が消えて一気に暗くなっている。明るさに慣れた目では、この暗がりでは文字通りなにも見えない。

 

「ねえ! ユウくん!」

 

「俺はいます! ユリも大丈夫!」

 

 思った以上に近くから聞こえてきた声に、姫野はほんの少しだけ落ち着きを取り戻した。

 

「けど気を付けてくれ! 電気は俺じゃねえ! 誰かが仕組みやがった!」

 

 ユーリの不調。それはおそらく、体調不良的なもの。想定外の話ではあるが、誰かに攻撃されただとかそういう話ではない。

 

 だけど照明がいきなり消えたことについては、明らかに人為的なもの。それが狙ったのが偶然なのかはわからないが、タイミングがあまりにも良すぎる。そして古今東西、この手の暗闇で起こることなんて……何のために暗闇をもたらしたかの理由なんて、そう多くはない。

 

 だからこその警戒。ユウはユリをしっかり抱きしめて辺りを探っている。比較的近くにいる姫野には、皮膚がぴりぴりとひりつくようなその刺々しい気迫が嫌でもわかってしまった。

 

「待て! 電気は私だ!」

 

 意外なことに、事実は思ったよりも近くにあった。

 

「明らかに不測の事態だから照明を切った! 今ならまだ誤魔化しも効く!」

 

 そう叫んだのは、例のグラサンの社長だ。いつのまにやら照明係の近くにいて、半ば割り込むようにしてそのスイッチに手をかけている。

 

 おそらく、というか間違いなく。

 

 この社長は……復帰ライブでいきなり倒れるというイレギュラーに見舞われたアイドルを助けるために、【設備不良】という名目で観客の視界を奪ったのだろう。

 

「それよりも何があったんだ!? さっきのあの音はなんだ!? 銃声か!? ユーリちゃんは無事なのか!?」

 

「銃声じゃない! アレは俺が足を踏み込んだ音だ! 近くにマイクがあった!」

 

「──わかった!」

 

 お互い必死になっている者同士、何か通じるものがあったのだろう。社長はユウの言ったことを疑いもせず、音響係の……より正確に言えば、館内全体放送ができる司会運行用のマイクの前に立った。

 

 

『──ただいま、照明及び音響設備に不良が発生しました。ただいま、照明及び音響設備に不良が発生しました。大変申し訳ございませんが、そのままでお待ちください』

 

 

 はっきりとした活舌の、聞き取りやすい発音。照明が落ちた直後はざわついていた会場も、それを聞いて少しずつ落ち着きを取り戻していく。いや、ざわめき自体はまだまだ残っているのだが、その質が変わっているのだ。

 

「……ふう。とりあえずはこれで少しは時間が稼げるだろう。……明かり、付けるぞ」

 

 舞台袖の一部分だけ。より具体的には、ユウたちのいる所だけに明かりが戻る。

 

 ──この時になって初めて、姫野はステージにいたはずの三人娘が不安そうに自分のすぐ傍らに戻ってきていることに気付いた。

 

「はっ、はーっ、っ、はっ!」

 

「ユリ」

 

「はー、はーっ! は、はーっ!」

 

 再びパニックになりかけた頭を必死にクールダウンさせ、姫野はほぼ無意識的に現状の把握に入る。

 

 まず、ユーリがステージ上で倒れた。誰かに襲われたとかそういうわけではなく、体調的な理由で。

 

 その後、それに気づいたユウがユーリに駆け寄った。相変わらずオリンピック選手も真っ青な身体能力だが、この際それはどうでもいい。

 

 で、ユウがユーリを抱き上げたとほぼ同時に、この異常事態を誤魔化すために社長が照明を切った。

 

 そして、ユウがユーリを抱きあげてこちらに戻る際に──その尋常ならざる踏み込みの音を、床に落ちたマイクが拾ってしまった。

 

 お互い色々独自に動いたために一瞬のっぴきならない事態だと思ったが……いや、のっぴきならない事態ではあるのだが、少なくとも本当の意味でユウの出番が来るような危険な事態ではない。

 

 であれば、現状の解決すべき問題は。

 

「っ、っ、はーっ、は、はっ!」

 

 真っ青になってユウに縋りついている、ユーリである。

 

「この症状……過呼吸!?」

 

 聞きかじりの知識しかないが、ユーリのその症状は過呼吸であるように姫野には見えた。明らかに不規則で尋常じゃない呼吸に、真っ青になって苦しそうな表情。ユーリに持病がない事は姫野は把握しているし、ここ最近風邪気味だったとかそういう事実もない。

 

 であれば……何か精神的なことに起因する一過性の過呼吸。姫野のその推測は、間違っていない。

 

「ど、どうすればいいの……!?」

 

 ただ、悲しいことに推測はできても対処方法までは姫野は知らなかった。そう言う事例がある、というのは何かの話で聞いたことがあるものの、「落ち着かせればそのうち治る、死ぬような病気じゃない」というざっくりとした認識でしかない。

 

「ひ、姫野さん……! ユーリ、どうしたの……!?」

 

「だ、大丈夫だよね……!? ユーリ、大丈夫だよね……!?」

 

 そして、それは姫野だけじゃない。ホタルも、マリナも、ミチルも……その場にいるほぼ全員が、ユーリの苦しそうな姿を見て唯々狼狽えている。予想もしなかったこの異常事態に、どうしていいかわからずに思考が止まってしまっている。

 

 もし幾許かの冷静さがあれば、医療スタッフを呼んだり、あるいはスマホで応急処置方法を調べたりしていたことだろう。

 

「ユリ」

 

「は、はぁっ! はーっ!」

 

 ただ、幸いなことに。

 

 この場には、たった一人だけ──冷静さを失っていない人間がいた。

 

「──大丈夫だ」

 

 たった一言だけ、そう言って。ユウは、安心させるようにユーリの手を握った。

 

「話そうとしなくていい。落ち着こうとなんてしなくていい……何も、しなくていい」

 

 左手でユリの右手を握ったまま。元々ユリはユウに縋るように体を預けていたが、それをさらにがっしりと……父親が赤ん坊を抱きしめるようにして、力強くその身体を抱きこむ。右腕でユリの背中と後頭部をしっかりと支えて、自分の胸元にぎゅっと抱え込んだ。

 

「聞こえるだろ、感じるだろ」

 

「は、はーっ! あ、はぁっ!」

 

 ユウの背中が大きく膨らむ……いや、違う。ユウが深く深く息を吸い込むのが、姫野には見えた。

 

「考えなくていい。委ねろ」

 

「はー……っ! は、はー……っ!」

 

 とんとん、ぽんぽん。

 

 一定のリズムで、ユウはユリの背中を叩く。一定のリズムで、ユウは大きく呼吸をする。

 

 傍から見ていると──なんだか、二人で見えないゆりかごに揺られているように思える。この緊急事態だというのに、姫野は場違いにもそんなことを思った。

 

「はー……はー……」

 

「頭を空っぽ……は難しいから、卵焼きの事でも考えよう」

 

 ゆっくりと落ち着いていくユリの呼吸音。少しずつ赤みが戻っていくユリの頬。何度かユウが呼び掛けているうちにはユリの呼吸はほぼいつもと変わらないものに戻っていたが、それでもユウは、同じようにユリに呼びかけ、同じように深く大きい呼吸をしている。

 

「はー……はー……」

 

「あれからアイが、甘い卵焼きを作るようになってなあ」

 

「…………」

 

「よくわからんけど、白い砂糖か茶色い砂糖かで悩んでいたな。結構仕上がりが変わるらしい」

 

「…………」

 

「正直砂糖なんて、どれもそんなに違いなんてないだろって思うんだが……」

 

「……ぅち、ぐ、グラニュー糖使ってる。お菓子作りにも、使えるから」

 

 ややあってから。弱弱しい笑みを浮かべながらも──ユリは言葉を発した。まだ少々ぎこちなさは残っているもののひとまずは大丈夫だということだろう。

 

「……ありがと、ユウくん。もう大丈夫」

 

「おう。でもま、もう一つサービスしてやるよ」

 

 ごくごく自然な動きで体を離す……と見せかけて、ユウはユリを上手い具合に抱え直して立ち上がる。そして、用意されていたパイプ椅子にユリを座らせた。

 

「ありがと」

 

「ん」

 

 その場にいた全員が、固唾を飲んで見守っていたその光景。とりあえずの一区切りがついたところでその緊張の糸が切れる。次に起きるのは現状の把握のための行動と……そして、「これから」どうするかを決めるための行動だ。

 

 ただ、それを言い出す資格があるのは、この場にはほんの数人しかいない。

 

 そしてその数人の一人である姫野は、ユリの保護者としてどうしても聞いておきたいことがあった。

 

「ユリ。あなた、本当に大丈夫なのよね……?」

 

「う、うん。心配かけてごめんなさい。まだちょっとふらふらするけど、もう落ち着いたよ」

 

「……よかった。本当に、よかった」

 

「ちょ、姫野さんったら……!」

 

 ユリのその手をぎゅっと握って。いつも通りの暖かくて優しい手であることを確認してから。

 

 ユリの手を握ったまま、姫野はユウに問いかけた。

 

「ユウくん、今のは……」

 

「たぶんですが、過呼吸ですね。少なくとも外傷とかじゃないです」

 

「……そう。ちなみに、治し方って知ってたの?」

 

「あー、治し方というか、なんというか……」

 

 どう説明すればいいものかと、ユウは眉間にちょっぴり皺を寄せた。

 

「これ、あくまで咲島流(うち)の考えなんですけど」

 

「ええ」

 

「どんなものでも、【正しい姿】がある。そして、バランスが崩れたらその正しい姿に戻ろうと……正確に言えば、より安定した状態にしようとする作用が働く。その原理があるから、動きを予測したり、動きを崩したりすることができる」

 

「……」

 

「ただ、何かの拍子にその【正しい姿】が分からなくなることがある。だからいつまで経っても元に戻らないし、元に戻そうとして余計に酷くなることがある」

 

 偶発的に起きてしまうのか、それとも意図的に起こすのか。いろいろやり方や目的は異なるが、そのプロセスだけは変わらない。

 

「じゃあどうすればいいのかって話になりますが……答えは割とあっさりしていまして。【正しい姿】がわからなくなっているのなら、(しるべ)となる基準を、お手本を与えてやればいい」

 

「お手本って……ああ!」

 

「そう。今回の場合、俺の鼓動と呼吸を……そのリズムを直接伝えた。元々不安定なわけですから、正しい動きを感じさせれば、自然とそれに引っ張られるってわけです」

 

 そのせいで、傍から見ればだいぶヤバい感じに密着していたけれど、それはこの際気にしてはいけない。一大事にそんなこと言ってられないし、さすがにそれを突っ込むほど野暮なことを言う人間はここにはいない。

 

「バスとか電車で隣に座った人の呼吸のリズム、わかっちゃうでしょう? なんだかんだ言いましたが、あれと似たようなもんです。まぁ……正直、かなり自己暗示みたいなところが大きいと思ってますけど」

 

 本当にそれで効果があったのかなんてユウにはわからない。もしかしたら、単純に背中を優しく叩かれて落ち着いたってだけかもしれない。心臓の鼓動の音を聞くと落ち着くという話もあるし、誰かに抱きとめられ、手を握ってもらうというのもまた然り。

 

 今ここで大事なのは、過程や方法よりも「なんとかなった」というその事実だ。

 

「……手馴れてるね、ユウくん。さては初めてじゃないなあ?」

 

「……小さい頃、アイにこうやって教えてたんだよ。あいつ、呼吸法とかの細かい技術が全然ダメだったから」

 

「……ふーん?」

 

「俺の時はやり方を体が覚えるまで、全力の腹パンだったからな」

 

「え」

 

「さすがに女の子にそれはできない」

 

 あっけらかんと言い放つユウ。それは一体どういう意味なのか、そもそもそれ以前になんだかすさまじいことが聞こえたような気がするが、その真実を知っている人間はユウしかいない。そして、今この瞬間においてはもっと大事なことがある。

 

「ね、ねえ咲島くん。いいえ、ユーリのほうがいいのかしら」

 

 何が起きたのか。それはわかった。

 どうやって対処したのか。それもわかった。

 

 であれば、次は。

 

「どうして……どうして、過呼吸になったの?」

 

「……っ!」

 

 ぴしりと、その場の空気にヒビが入ったような沈黙。

 

 そう、何の理由もなく人が体調を崩すなんてありえない。ましてや過呼吸ともなれば、相当に精神的なストレスを抱えていたといってもいいだろう。

 

 ただ、ほんのちょっと前までのユーリは至って好調そのもので、取り立てて緊張しているというわけでもなかった。これが初めてのライブだというのであればまだわからなくもないが、ブランク明けとはいえこの程度の規模のライブであればユーリはもう何度も経験している。

 

 つまり──どうしてユーリがこんなふうになってしまったのか、姫野には見当がつかなかったのだ。

 

「それは、おそらく──観客からの気迫でしょうね」

 

「え……気迫?」

 

「まあその、これもあくまで咲島流(うち)での表現ってだけなんですけど」

 

 気迫。少し前にユウが姫野たちの前で披露して見せた技術。平たく言えば動作に思いを込める技のことで、少々ファンタジーな要素がありながらも、それそのもの自体にはある程度実体感があるという……要は、よくあることにそれっぽい名前を付けているだけに過ぎない。

 

「ま、待ってくれよ咲島くん……」

 

 ユウの言葉に反論したのは、その気迫を最も体感してしまったホタルだった。

 

「た、確かに気迫で動けなくなるってことはあったけど。でも、それは咲島くんみたいな達人がやるか、本当のヤバい人間でもなければできないって……」

 

「ここ、一万人いるんだろ? 一人一人は大したことなくても、一万人分だぞ。それだけあれば」

 

「……あ」

 

「待ってよユウくん、それって」

 

 姫野が思い当たってしまった可能性。そうなるかもとは思いつつも、問題ないと判断してしまったその事実。

 

「──なあ、ユリ」

 

 姫野ではなく、ユーリに向かって。

 

 ユウは、静かに問いかけた。

 

「お前──人前に出るのが、怖いんだろ」

 

「──っ!」

 

 あからさまに固まる顔。それだけ見れば、返事なんて聞くまでも無かった。

 

「正確に言えば、ステージに立った瞬間に怖くなった……ってところか?」

 

 あの、交流会での事件。ユウが介入したおかげで結果的にはユーリは無事だったわけだが、しかし心の奥底ではトラウマが出来ていた。例え自身が直接傷つけられたわけじゃなくとも、凶器を持った人間に直接殺意をぶつけられたとなれば、そうなってしまっても何ら不思議はない。

 

 ユーリ自身、その小さな心のしこりには気づいていなかったのだろう。そもそもとして、日常生活を送るうえであの事件を連想させるような場面なんてそうそう訪れない。

 

 でも、今は。

 

「……きっと、たぶん。ユウくんの言う通り……なんだと、思う」

 

「そんな……」

 

「あ、あはは……自分でも、わかんないの。歌おうって思って、マイクを持って」

 

「……」

 

「まっす、ぐ。真っすぐ、前を見たら……いろんな人が、見てるって気づいたら」

 

 はっきりと、見てわかるほどに。ユーリの体はカタカタと震えていた。

 

「こ、怖くなって……! 何も、何も見えなくなって……! 苦しくて、不安で、眩しいのが、あの時の刃に思えて……!」

 

「大丈夫だ、落ち着け」

 

 ユーリの言葉を遮って、ユウがその肩を抱く。とんとんと優しく何度か背中をさするうちには、ユーリの声の震えも戻った。

 

「姫野さん」

 

「は、はい」

 

「たぶん、大勢の人間の前に出るのが怖いんだと思う。よく言うトラウマってやつです。十数人くらいであれば問題なかったり、あるいはシチュエーションにも因るんだろうけど……」

 

「これだけの熱意……いいえ、気迫が込められた視線が一万人分。加えて、あの事件の時と同じようなシチュエーション。日常生活じゃないことだから、トラウマになっていることに気付かなかった?」

 

「ええ。もしかしたら、そのうちどれか一つでもなかったら大丈夫だったかもしれませんが。今回は、悪い意味で条件が揃いすぎている」

 

 原因はわかった。

 

 だけど、事態は解決していない。

 

 ユーリがアイドルである以上、ステージに立って歌を歌わなければならない。みんなに笑顔と元気を届けなくてはならない。誰よりも輝いて、希望の光となってみんなの前に立たなくてはいけない。

 

 しかし、それができない。例え原因がわかったとしても……その原因こそが、今この場でやらなくてはいけないことなのだから。

 

「……どうします?」

 

「う……」

 

 姫野は考えた。真っ白になりつつある頭で必死に考えた。

 

 まず、いつまでもこうして時間稼ぎをするわけにはいかない。設備不良であるという誤魔化しはあくまでその場しのぎの物。続行するなり中止にするなりの判断を──この際損得勘定は抜きにして、決める必要がある。

 

 観客はユーリが歌うことを期待している。だって、さっきユーリは確かにステージに立ったのだから。

 

 そしてユーリは、ステージに立って歌うことができない。他でもないその観客の視線にトラウマが出来てしまい、こうして過呼吸で崩れ落ちるほどの状態になっている。

 

 プロデューサーとしての経営者的な視点で言えば、なんとかしてステージに立ってもらわないと困る。

 保護者としての視点で言えば、無理をさせるだなんて間違っても認められるはずがない。

 

 歌わせるか、中止にするか。そんなのもう、姫野の本音で言えば一択でしかない。

 

 だけど、その一択は。

 

「姫野さん……!」

 

 必至に、懇願するように見上げてくるユーリの顔を見れば。

 

「わ、わたし……! ちょっと休めば、すぐ、戻れるから……!」

 

「……っ!」

 

 その一言を、姫野はどうしても……どうしても言えなかった。ユーリが何て言いたいのか、ユーリのその本当の気持ちが手に取るようにわかるだけに、それを否定する言葉を言うことなんて、姫野にはできなかった。

 

「なあ、ユリ」

 

「……なぁに、ユウくん」

 

 そして、やっぱり。

 

 こういう時に動いてくれるのは、ユウだった。

 

「やめるか、このライブ」

 

「それはいやっ!」

 

 即答。自分の代わりに言ってくれたことに対する罪悪感交じりの感謝の気持ちと、否定してくれたことに対する後ろ暗い期待と矛盾に満ちた義務感が入り混じった、例えようのない気持ち。

 

 保護者として失格だと自分で自分を詰りながらも、姫野はその二人の会話に耳を傾けた。

 

「体が第一だ。無理に出ようとするってんなら、ぶん殴ってでも止めるぞ」

 

「……アイドルの顔、殴れるの?」

 

「やるといったらやるぞ、俺は。アイドルに欠片も興味が無いって、お前知ってるだろ?」

 

「……アイドルは殴れても、女の子の顔は殴れないよね?」

 

「……女の子だろうと、必要であれば殴るのがウチの流派の教えだぞ」

 

「へえ。つまりそれって、女の子(わたし)の顔に傷をつけるってことだよね。ちゃんと責任取って、お嫁に貰ってくれるんだ。わーい、やったー」

 

「お前……」

 

 悪戯っぽく笑って、ユーリはちろりと舌を出した。

 安心したように笑って、ユウは小さくため息を吐いた。

 

 口喧嘩は……どう見ても、ユーリの勝ち。少なくとも見かけ上は、いつもと同じだ。

 

「見ての通りです、姫野さん。こいつたぶん、ダメだって言っても無理やりステージに行きますよ。それこそ何をしでかすかわからない。俺でさえそう思ってるんだから、姫野さんなら」

 

「え、ええ……こうなったこの娘は絶対に意見を曲げないわ。やめろと説得するよりも、下手にやらかさないように何とかうまく出来る方法を考えた方が良い」

 

 とはいえ。

 

 いくら落ち着いてきたとはいえ、今からすぐにステージに戻ったところで同じように倒れるだけだろう。人の心の傷はそう簡単に癒えるものじゃないし、さっきと何も変わっていないのに二度目のトライで上手くいく……なんて、そんな都合の良いことなんてあるはずがない。

 

「ね、ねえっ! それなら、もっと時間を稼げれば!? もっと落ち着く時間があれば大丈夫!?」

 

「マリナ?」

 

「なるほど……いつまでも設備不良じゃ怪しまれるけど、他に尤もらしい理由があればもっと時間稼ぎができる。それだけ時間があれば、何かしらの打開策を考えられるってわけだ」

 

「……ホタル? あなた、いったい何を?」

 

「ふふふ……私達、みんな気持ちは一緒ですよ。タダ働きでもなんでもします。協力できることは何だってしますから……どうかお願いします。どうにか、ユーリちゃんをステージに立たせてあげてくれませんか?」

 

「ミチル……」

 

 つまるところ……三人娘は、何かいい方法が見つかるまで自分たちを使って時間稼ぎをしろと言っている。望むならあと何十曲でも歌って踊って見せるから、どうにかしてユーリの望みをかなえる方法を探してくれと言っている。

 

「あ、ありがとぉ……!」

 

「よせやい、水臭い。同じ事務所の仲間だし……もともと今日は、ユーリの復帰ライブをお膳立てするつもりで来たんだから」

 

「そうそう。むしろ、危機感持ったほうがいいかもよ? これ、貸しだからね!」

 

「ふふふ……どうやって支払ってもらうか、今から楽しみですね……。実は、いってみたいケーキ食べ放題があるんですよね……?」

 

 ふと周りを見てみれば。

 

 例の社長も、照明スタッフも。音響スタッフも、メイクでさえも。

 

 今この場にいる全員が──姫野のその決定を、待っている。たとえどんな指示が下されようと、全霊をもってそれに応えようとしている。ここに居るアイドルの望みをかなえるためならば、どんなことでもして見せようと、その表情だけで語っている。

 

(……良い人達ね、本当に)

 

 であれば。あとはもう、姫野が決定するだけだ。お金も評判も何もかもを一切無視して、ただユーリの願いを叶えるためだけの方法を考えなくてはならない。

 

 そしてそれは。

 

「ねえ、ユウくん。ユウくんも同じ気持ち? ユウくんも……協力してくれる?」

 

 みんなが協力してくれて、「なんでもあり」が使えるのであれば。

 

 ──実は、意外と単純に何とかなったりする。

 

「もちろん。俺の仕事は【ユーリ(こいつ)のライブを無事に終わらせること】ですから」

 

 ユウのその力強い返事を聞いて、姫野はにっこりと笑った。

 

 

 

「ありがとう──じゃあ、今すぐ服を全部脱いで」

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