朝、八時過ぎ。前日に灰原と七海と騒ぎすぎたせいで若干痛む頭を薬で誤魔化しながらぶるりと震えた携帯を確認する。どうやら五条からの一通のメールが来たらしい。嫌な予感しかしねぇ…と眉間にシワを作りながらも、逆らったら逆らったで面倒なので見るに越したことはない。
『一年がまた一人増えたから見に来なよ』
この言い方はアキが見に来ることが確定している言い方だ。しめしめと笑っている五条の顔が浮かんではすぐにそれを打ち消した。アキはため息を吐いて、口にタバコを近づけたが…吸うことなく箱の中へ戻すと「昼過ぎに顔出します」と返信した。
ーーわざわざ俺に会わせなくてもいいだろうに。
昼に三件ほど入っていた任務を手短に終わらせたアキは高専に行くと、どうやら待ち伏せしていたらしい五条が長い腕をブンブンと振りながらアキの名前を叫んでいた。すごく目立つし知らない人のフリをしたいが、それはもう高専内敷地なのでほとんど意味を成さないだろう。なんならその場に居た者たちは五条を居ないものとして扱っていた。手馴れてる感がある。
「さーさー、アキ行こうか!」
「別に俺は会いたいワケじゃないんですけど」
「そんなこと言わないでさー。ボッチのアキくんを思った先輩の心遣いが分からないのかな?」
アキが逃げないよう、右腕を掴んで歩く五条にアキは呆れてため息も出なかった。高専時代から傲慢な性格が治らない五条に言っても改善されることなくムダに終わるだろう。
「恵たちにはわざわざアキに会わせる為にちょっと待ってて貰ってるんだよね〜」
「こうやって人は尊敬を無くしていくんですねよく分かります」
「何か言った?」
「いえ、何も」
どうやら件の一年生たちは座学の授業中だったらしい。
ズンズンと歩いていく五条について行くこと数分。五条のコンパスはアキと比べると少し長いので、アキは少々早歩きになりながらもついて行った。
一年の教室に着くと、五条は勢いよく教室の戸を開けた。「おっはー!!」という五条の叫びは恵の「十分の遅刻です」という痛い指摘によって落とされた。
「そんなこと言うなよ。せっかく恵の大好きなアキを連れてきてやったのにさ」
「ほら、なにしてんの。入りなよ」と掴まれていた腕を五条に引っ張られ、アキは教室に足を踏み入れる。アキの顔を見た瞬間、恵と虎杖の表情は瞬く間に変わると、ガタガタと音を立て立ち上がるとアキの周りを二人が群がる。
「……!! アキさん!! あ、アキさんが今日は授業してくれるんですか?」
「え、マジ!? アキさんが今日授業すんの!?」
「俺は教師じゃねぇ。仕事増やすな」
「ていうか僕より人気じゃない!?」
「……いや、誰よその人!」
恵が言うアキの教師宣言に食いついたのは虎杖だった。虎杖は恵と共に目をキラキラとさせアキを見つめている。そんな二人を怪訝な目で見つめているのは、五条の言う「新しい一年生」なのだろう。
「野薔薇にわざわざ会わせるために連れてきたアキくんで〜す! さ、アキくん何か一言!」
「
「ん〜〜? どういう意味かなアキくーん??」
アキの一言を聞いてアキの頬を高速で突く五条。しかもかなり力を込めているので頬が痛い。絶対に赤くなっているに違いない。
「ほら、釘崎も自己紹介しろって!」
「…釘崎野薔薇よ」
虎杖に即されてようやく自身の名を名乗った釘崎はアキを見定めるような視線で上から下へと見ていた。
「(伏黒みたいなムッツリ感が無くなったイケメン…ズバッと言うところは言うけど、どことなく気配りの出来る気配があるわね。面倒見がいいタイプかしら……)」
深く思案する釘崎を心配に思ったのか虎杖が釘崎の肩をトントンと叩いた。
「どしたん釘崎?」
「なになに〜? アキに惚れちゃったのかな〜?」
心配する虎杖とは別にニヤニヤとゲスの笑みを浮かべ思案する釘崎の顔を覗き込む五条。これが五条の嫌われる所以のひとつだ。
「合格よ。少なくともアホガキ五条よりはマシだわ」
「当たり前だ」
五条をまるっきりと無視した釘崎はアキにグッドサインをだした。釘崎の言葉に瞬時に同意したのは恵で、そんな恵を見た虎杖は「ホントに伏黒はアキリンのこと好きだよな〜」と笑いながら言った。
「虎杖、お前はまずアキリンをやめろ。アキさんに失礼だ」
「え〜、アキリン本人が良いって言ってるんだから良くね?」
「良くない」
「コラ、アキを挟んで喧嘩しないの!」
五条が楽しそうに恵と虎杖の言い合いの仲裁に入っていく。言い合いの元ネタにされているアキ本人は平然と面倒くさそうに教室の窓の外を見つめていた。その横顔はどこか楽しそうに見えて、そして悲しそうにも見える。
「(人懐っこい虎杖は分かるけど…伏黒にまで好かれてんのね。それに五条も輪に入ってる…違うわ、五条が輪に入ることでアキって人も無理くり中に入れようとしてるのか……。)」
アキと出会って数分である野薔薇にはまだアキの人柄の良さが見えてこない。どこか諦めた空気を醸し出しているアキを見て五条も人の子かと釘崎は息を吐いた。
「そうだ! どーせアキもヒマでしょ。恵たちと一緒にさ授業受けなよ! タイミングがいいことにあらなんてことでしょう! 恵たちも次は座学だし!」
「イヤです。ヒマじゃありません」
「嘘つけよ〜〜〜。な?」
先輩独特の圧は縦社会が基本となっている呪術界では煩わしいものである。年齢も権力も上で、それでいて駄々っ子である五条はかなりめんどくさい。何だかんだこれまで夏油に甘やかされて生きてきたツケだろう。アキはこれからの予定を頭の中で組み立て、その通りになぞっていくのと五条の言いなりになるのどちらがいいかをシュミレーションし、ため息を吐いた。
既に恵の後ろの席に用意してある空席を見て断っても無駄なのだろうとアキは悟った。わざわざアキのために机まで用意するとは…。アキが五条を睨むが五条はニヤリと笑うだけで何も言わなかった。大人しくアキが席に着席するとそれに習うかのように恵と虎杖も着席した。それを見て「ちょっと〜」と拗ねた五条が恵たちに絡んでいるのをBGMにしながら、アキは緊張気味に少し固くなっている恵の背をチラリと視線をやった。あまりにも緊張しているものだから少しそれが面白くてクスリと笑いながら、アキは窓の外に視線を移し決断した。
そうだ、北海道に行こう。
「(おい伏黒、アキリンに笑われてるぞ…!)」
「(俺…可笑しいトコあったか…!?)」
「(いやアンタ緊張しすぎでしょ)」
緊張で震えている恵を見ながら五条は思い出したように「そうそう」と言った。
「あ、ちなみにこの授業担当は僕だから☆」
「やっぱり帰ります」
十二月二十二日。
番外編 その日は一人の筈だった
ーー伏黒恵、十歳。
「ねぇ、恵。本当にいいの? 私、休むよ?」
「いい。せっかくの修学旅行なんだから楽しんでこいよ」
「でも……」
恵の前には心配そうな顔をした血の繋がっていない姉、津美紀がいた。津美紀は二十一日から修学旅行を控えており、家に帰ってくるのは二十三日の夕方頃だった。しかし、その修学旅行期間中に恵の誕生日を迎えてしまうのだ。それが津美紀の懸念していることだった。
「せっかくの誕生日なのに」
「本当に、大丈夫だから」
「五条さんに金まで出してもらってるんだから、津美紀は津美紀で楽しんでこい」そう言う恵に津美紀は「うん」と頷くことしか出来なかった。
毎年、津美紀と小さな誕生日パーティをした。一昨年まではスーパーの小さなケーキにひとつのロウソクを立ててお祝いした。去年は手作りケーキを作るのだと津美紀は言って、それは残念なことに焦がして失敗してしまったけれど今年こそはと意気込んでいた。実は恵もそれを楽しみにしていた、のだけれど…。運悪く恵の誕生日と津美紀の修学旅行が重なってしまった。それを知った津美紀は行かないと言い張ったけれど、たった一回の誕生日。津美紀の一生の思い出と引き換えに祝って貰うことなんて出来ない。
「作り置き作ったからね。ちゃんと食べてね恵」
「何度も聞いた」
「帰ってきたら絶対お祝いするからね! 楽しみにしてて!!」
「それも何度も聞いた」
念押ししてくる津美紀に少々、うざったそうな顔をする恵。終いには「早く行かないと津美紀のせいで遅刻するかもな」と言って津美紀を家から追い出した。
津美紀が行った日。ひとりで食べるご飯は少し味気なく感じた。けれどそれは気のせいだ、そう決めつけることで寂しさを誤魔化した。
津美紀が居ない家は酷く静かで、中々寝付けない。いつも、どんな時でも津美紀は恵に寄り添ってくれて暖かった。ひとりで長期の留守番なんて初めてのことだから、恵は対処法がいまいち掴めなくて。恵は暗い部屋をキョロキョロと見渡すと、丁寧に畳まれた津美紀の布団の上に置いてある人形を見つけて、それを抱きしめて寝ることにした。
人形は暖かくない。
次の日、普通に学校があるので支度していつも通り授業を受けて帰ってきた。本来であれば、津美紀と一緒に学校から帰ってきて、その後夕飯に必要な食材を買いに行くのだけれど、津美紀はいない。家の扉を開けても静かな闇しか見えなくてどうしようもなかった。
何となく家の中に入ると闇に飲み込まれるような気がして、恵は足踏みをした。そして、最後には俯いて玄関前で蹲ってしまう。
自分は津美紀が居ないだけでこんなにも弱い存在だったのか。寂しさと怖さと悲しさで恵は涙が出てきそうだった。一人鼻を啜っていると、後ろでじゃりっと砂利の擦れる音がした。まさか津美紀が帰ってきたんじゃないかと恵は勢いよく振り向いた。そして、振り向いた先にいたのはーー。
「そんなとこで何してんだ。寒いだろ」
見慣れたスーパーの袋を持ったアキだった。
恵はパチパチと瞬きして「なんでアキさんが…」と小さく呟く。アキはスラリと長い足で恵を追い越すと、玄関で靴を脱ぎ綺麗に並べ「何言ってんだ」と恵を見た。
「お前、今日誕生日だろ」
「どうせ五条さんは来ねぇだろうし俺が来たんだ」とアキは言った。アキの言葉を聞いて固まった恵をアキは眺めていた。そして「はあ」と息を吐くと、恵に手を差し出した。
「そこは寒いだろ。中、入れ」
差し出されたアキの手は、暖かった。
アキは恵と手を繋いだまま家の中へ入っていく。アキは恵と繋いでない手で持っていた袋をキッチンに置くと「津美紀は?」と恵に問うた。恵はそっぽを向きながら「修学旅行…」と答えた。
「…修学旅行、そうか。じゃあ恵は一人だったのか?」
「……うん」
恵は小さく頷くとアキは恵と繋いでいた手を離し、床に膝をついた。そして恵と視線を合わせるとこういう。
「そういう時は俺に連絡しろ。本当なら小学生二人をこんなセキュリティもクソな家に住ませるのは心配なんだが…俺も忙しくて毎日は来れねぇ」
「…………」
「恵、一人は寂しいだろ」
「……うん」
グスグスと鼻を流しながら恵が頷くとアキは恵の頭を撫でて「そうだよな」と言った。
「姉の力は偉大だ」
アキは遠い目をした。それがなんだがいけないような気がして、恵はアキの袖をクイクイと引っ張る。
「……なんだ?」
「お腹、空いた」
「ああ、そうだな。…生姜焼き食うか?」
恵の好物は生姜焼きだとアキは津美紀から聞いていた。そのため、誕生日の日ぐらい好きな物を食べたいだろうとアキは用意してきたのだが。
「………シチュー。シチューが食べたい」
「…シチュー?」
「……アキさんが、初めて作ってくれた暖かいシチューが食べ、たい…です」
「分かった」
あいにくと食材は揃っていて、作れないことは無い。その代わり、パンは食パンになってしまうがそこは許して欲しい。
「手ぇ洗ってこい」アキはそう言ってまた恵の頭を一撫でしてキッチンへ消えて行った。それを横目で見ながら恵は手を洗いに洗面所へ向かった。
アキの作ってくれたシチューは美味しかった。と言っても途中から恵も強制的に手伝わされたのでアキ一人で作ったわけではないのだけれど。
「ちゃんと美味くできてるな」
「美味いです」
カチャカチャとスプーンが皿に当たる音がする。それ以外は特に会話もなく、でもそれが苦に思わなかった。だって、誰かと一緒に食べる食事は美味しいから。
「…恵はメシ作れるか?」
アキが先にシチューを食べ終えた。ティッシュで口元を拭きながら、アキは恵に問うた。
「…簡単なものなら」
基本的に伏黒家の料理は津美紀頼りなことが多い。そもそも、津美紀はアキに料理を習ってからというもの自分が作りたいとキッチンを譲らなかったのだ。津美紀が作った料理を淡々と食べる恵を見て嬉しそうに顔を綻ばせる、そんな津美紀を見てやりがいを無理やりとるわけにもいかない恵はお手伝い程度の、本当に大したものは作れない。頑張って卵焼きが綺麗に焼けるぐらいで。
「じゃあ作れるようになれ」
「え」
「俺が教えるから」
恵はアキのことを尊敬している。伏黒家の家計を支えてくれている五条よりも、来れるだけ顔を出してこうやって食事を共にしてくれるアキの方が好感が持てるからだ。だけれど、少し厳しい人だとも思っている。
アキは出来ないことを許さなかった。「とりあえずでいいから出来るようになれ」とアキは言う。掃除も洗濯も恵はアキに習った。津美紀も浴槽にこびりついた垢のとり方などを教えて貰っている所を恵は見たことがある。
「恵、当たり前を当たり前だとは思うな。明日、俺は呪霊に殺されて死ぬかもしれない。明後日、津美紀が事故にあって死ぬかもしれない。一ヶ月後、五条悟が攻略されて死ぬかもしれない。当たり前なんて簡単に壊される世の中だ。出来ないことはひとつでも潰せ。とりあえずでいい。妥協でいいから出来るようになれ」
それは今誕生日を迎えている小学生に告げる言葉にしてはとてつもなく重いものではあったが、恵はアキ言葉の裏で確かな愛情が感じ取れた。少なくともアキは恵のためを思ってこんなことを言ってくれている。
「俺は置いていく側だ。だからその時まで俺はお前たちの面倒を見る。それまで子供でいてくれ」
妥協でいいから出来るようになれ、なんて言っているのに子供でいて欲しいとアキは言う。明らかな矛盾しているその言葉に恵は目を伏せて頷いた。
ーー置いていく側なんて言わないで欲しい。
ケーキは津美紀にも食べさせたいという恵の言葉にアキは頷き、その日食べることはしなかった。
夜、恵はアキと布団を並べて寝た。何となく冷たい布団が嫌でアキの布団に恵が潜りこんでもアキは何も言うことなく、恵の頭を撫でて「早く寝ろ」と言った。
アキの心臓はちゃんとドクドクと言っていて、生きていることを確認出来た。
朝、起きたら枕元にプレゼントが置いてあって少し早めのサンタかよなんて笑って。そしてアキの作ってくれた暖かいお味噌汁を啜った。
誕生日プレゼントは流行りのゲーム機だった。