欠けた夢を見た。
弓を引き絞る、懸命に、されどしなやかに。
周囲からは息を呑む音が支配し、不思議な沈黙を以てラーマを注視する。
ピシッ―――!
途端、何かが裂けるかのような甲高い破裂音が木霊し、折り重なるように徐々に音が鳴る。
―――ピシッ、ピシシッ―――!
弦を伸ばし、正眼に弓を構える。
まだ、この弓は引き絞りきってはいない、徐々に、徐々に弓を引き絞りきったその時であった。
バンッ―――!
弓がそのまま真っ二つに裂け、壊れる。
弓の破片が散らばり、四散し、まさに雷鳴が轟くかの様な轟音がミティラーの都城に響き渡る。
衆目は驚き、意識を失いかけると、数瞬の余韻のあとに皆の意識は覚醒する。
玉座よりそれを垣間見たジャナカ王は認めざるを得ない。
ジャナカ自身が発した王女の夫を決める試練をラーマは見事にやってのけたのだ。
「我が娘、シーターの夫はこの者である! 他ならぬミティラー国の王たる我が宣言しよう」
ジャナカ王は意気高らかに告げる。
このような豪勇の勇士との出会いに対し、彼の心配はなくなった。
「ラーマよ。其方をシーターの伴侶と認めよう! これより其方たちは夫婦であり、互いを支える半身であるのだ。我が臣民よ、彼らの新たな旅路に大いなる祝福を!」
沸き立つミティラーの聴衆、我がことかのように嬉しがるラクシュマナと柔らかな笑みを浮かべるヴィシュヴァーミトラ。
そんな中、彼の視線はただ、一点の少女に注がれていた。
ミティラーのジャナカ王とアヨーディヤーのダシャラタ王を筆頭に、聖仙ヴィシュヴァーミトラ、聖仙ヴァシシュタ等のバラモンの僧たち。
そして、クシャドヴァジャ王がその二人の美しい娘を伴い、四王子の結婚式が始まる。
法を愛する聖仙のもと、法に乗っ取った儀式をもって、彼らは式を執り行う。
ラーマとその妻シーター。
ラクシュマナとその妻ウールミラー。
バラタとその妻マーンダヴィー。
シャトルグナとその妻シュルタキールティー。
夫たる彼らはその妻の手を取り、聖仙たちは彼らの新たなる旅路を祝福する。
儀式は大いに盛り上がりを見せ、天界の楽師ガンダルヴァの歌声や楽器の音が鳴り響き、天からは花の大雨が光り輝きながら降り注ぐ。
おそらく、これはラーマの幸福な出来事の一つなのだろう、それほどまでに鮮明に夢を感じる。
無邪気に笑いあうラーマとシーター、そして分け隔てなく仲の良い兄弟としての絆。
しかし、幸福などは続きはしない。
それを示すかのように、晴彦の意識は徐々に覚醒する。
「・・・・・・まえ! ・・・・・・ター・・・・・・!」
意識がぼんやりと半覚醒の状態で晴彦は目覚める。
「起きたまえ! ミスター!」
怒鳴られるような大声で晴彦はようやくその情景を目視する。
揺れる視界、街灯の灯りが妙にまぶしい宵闇の中、そのまっただ中で晴彦は目を見開く。
「・・・・・・んなっ!?」
空を切るかのように身に応える寒さの中、晴彦は目の前の人物と目を合わせる。
「―――レイヴさん!? ここはいったい・・・・・・!」
晴彦がいた場所は掌の上だった。
青銅の巨人であるタロスの、その掌の上でレイヴ・ロザンと二人きりだ。
「時間がない、手短に話そう。ミスター、アーチャーとの連絡はつくかい」
レイヴは晴彦をそう急かすと、直ぐ様前方の森林を見つめる。
その様子にただならぬ様子を感じながら、晴彦はアーチャーに念波を接続する。
「アーチャー、そっちの様子はどうだ」
(―――晴彦か。こちらはまずまずだ、今セイバーとランサーの打ち合いの中にいる)
「そうか。取り合えず、またなにかあったら連絡してくれ」
(了解した)
手短に簡単な連絡を取り合うと、晴彦はレイヴ・ロザンに再度向き合う。
「・・・・・・それで、ロザンさん。話ってのはなんだ。大分穏やかな状況でも無さそうだしな」
「・・・・・・あぁ、当初の予定とは狂いっぱなしであるが」
レイヴは嘆息するのもつかの間、彼は話を早々に切り出す。
「ミスター、最初に君の願いを聞いておきたい」
「・・・・・・」
レイヴからしたら少々ばかし意識のすり合わせ程度の考えであったが、晴彦からしたら非常に難しい質問だった。
魔術師とは己とは考えの異なる人間だ。
あの教会でそのことは聞いた、事実、晴彦はアーチャーの手ほどきを受けているとはいえ魔術師としての技量は三流魔術師にすら及ばない。
下手なことは言えない、されど、嘘をつくわけにもいかない。
現状、彼とは同盟関係を結んでいる、その相手に対し信頼関係を欠くようなことがあればこれからの戦争は勝ち抜けないだろう。
「・・・・・・人に聞くにはまず自分からだろ」
「成る程、道理だ。私の願いとしては根源の到達だったさ」
だった、過去のことであるならば今の願いとはいったい。
晴彦はレイヴの挙動の一つ一つに注視する。
「・・・・・・私はね、彼女とともに人生を生きたかったのさ。あぁ、これ以上ないほどに彼女を愛していたから。彼女が神から解放されたのなら、ともに私の伴侶として生きてもらいたかった・・・・・・。今はもう、あきらめざるを得ないがね」
レイヴの言う彼女とはあのライダーのことだろう、確かに息を呑むほどの美しい女性だったと晴彦は記憶の奥から引っ張り出す。
「魔術師としては失格だろう。目的の為なら、何をされても、何をしようと許される。そう思っていた私は、知恵と体だけが大きくなっていたただの子供だった。この三十年間を捨てることになろうとも、私は絶対に彼女を取るだろう。今までの悲願を失うことを代価にしても構わないと、そう想うくらいは愛していた。
―――あぁ、愛してるからこそ、私は止めねばならないのだから。彼女の愛した世界を、守るために」
それはレイヴが初めて内面というものを吐露した瞬間であった。
少なくとも、彼は善性の人間だと、そう信じてもいいくらいには晴彦は思った。
「聞かせてくれ、君の願いを。私は最悪、君をここで斃さなければならなくなるのだから」
釘をさすレイヴ、緊張により冷や汗を流す晴彦。
覚悟は決まっている、この戦いに参戦すると決めた瞬間からその想いにブレはない。
彼は真心を以てその想いを話してくれた、ならばこちらも相応に対応することが礼儀である。
「レイヴさん、最初に謝っておくが、俺は魔術なんて知らない」
「・・・・・・」
「聖杯戦争に巻き込まれたのも半ば事故みたいなもんだし、ただ、あのバーサーカーに訳も分からずに殺されかけた。それが怖くて、逃げ切れることなんてないかのように、ひどく自分を攻めたてられるかのように辛かった」
レイヴは晴彦の言葉を拝聴する。
真剣に、一言一句逃さないように。
「・・・・・・ただ、それでも俺は死にたくなかった。死ぬのが、怖かったんだ」
晴彦はうつむきながら、ぽつぽつと言葉を漏らす。
かつての自分に向き合い、苦悩しながら、彼は前に進むことを決めた。
「あの時、あの場所でアーチャーに会って。それで何度も考えた。
―――このままでいいのかって」
葛西晴彦は凡人だ。
並外れた力があるわけでもなく、天才的な頭脳を所持しているわけでもない。
些細なことで傷つき、些細なことで喜び、並外れた精神力があるわけじゃない。
それでも憧れてしまった。
英雄のように気高く、強く、そうありたいと。
あの日アーチャーを見て、自分がそうなりたいわけじゃなかったけど、それでも、彼とともに歩んでいけば、何かがつかめるかもしれない。
そう思ったから、彼は逃げることを止めたんだ。
「アーチャー、少し聞いてくれるか、ついでで構わないから」
(・・・・・・了解した)
晴彦は先ほど切った念波を再度つなぎ、話始める。
「・・・・・・レイヴさん。あんた、家族のことを知ってるか」
「・・・・・・どういうことかね」
レイヴは疑問を投げかける、晴彦はそれに応えるかのように話を始める。
「俺は、家族を知らない。別に孤児院で育ったとか、そういうのじゃないんだ。ちゃんと産みの母と、親父もいた、ちゃんと血の繋がった妹だっていたさ」
手が震える。
記憶の底に隠して、見て見ぬふりをしていた記憶が鮮明によみがえる。
「でも、俺は・・・・・・、知らない」
自身の手の甲に一筋の雫が零れ落ちる。
「昼間の母親の姿を知らない。仕事場の親父の姿を知らない。妹の学校での姿を知らない。家族なのに、家族なのに、俺は、そんな家族の姿を知ろうとしなかった!」
「・・・・・・」
「俺が知ってる妹の姿は、新興宗教にはまって日々怪しげな呪文を唱えている不気味な姿しか、知らなかった。それだけじゃない! 俺はそんな妹の姿が怖くて、ただ、避けてたんだ、気味悪がって、たったそれだけで・・・・・・!」
晴彦の語気は強まっていく、今にも逃げ出したい。
できることなら、二度と封印しておきたい記憶、ほんの二、三年前の記憶を彼は掘り起こす。
「・・・・・・勝手に決めつけてたんだ。こいつはもう俺の知らない妹だって、あいつに何があったかなんて知らないで、そんな勝手な決めつけが、あいつをどんどん追い詰めていったんだ。・・・・・・ほんと、馬鹿だよ。せめて家族である俺たちが、あいつを支えてやるべきだったんだ」
晴彦は口を噤む。
そんなことを言ってどうなるのか、おそらく、誰も得しない、レイヴさんに至ってはいい迷惑だろう。
それでも、晴彦は話すべきだと、晴彦は思う。
この忌まわしく事件は今の自分の行動原理そのものであるから。
「援助交際、少女売春とも言うのかな。知ってるだろレイヴさん」
「・・・・・・あぁ」
「随分と、弱みを握られていたらしい。全部、後で知った話なんだけどな。校内での陰湿ないじめもあったらしい。そりゃ、不登校にもなるよな・・・・・・学歴が何とか、就職やらなんやら、俺らの説得は何ともまぁ的外れって訳だ。滑稽すぎて笑えるだろ・・・・・・」
そうは言うが、この場で笑うものなどいない、鬱蒼とした沈黙と気持ちを落ち着けるかのように晴彦の深呼吸の音だけがしていた。
「・・・・・・レイヴさん、俺はね。人を殺したんだ」
やっとの思いで出した声は酷くかすれていて、弱弱しく、声を張り上げる気力もない。
「いつの間にか非日常が日常と化して、誰もそれを気にも留めなくなった時だったよ。むせ返るような錆鉄のようなにおいと、何かを引きずったかのような赤い血が散乱していたのは」
逃げればよかった。
いや、逃げなかったからこその後悔。
恐怖と好奇心に揺れる狭間の中で、ほんのちょっとだけ好奇心が混ざった瞬間だった。
妹は何をしてもおかしくなかった。
それでも、その内容は自分の想定に収まる程度であると、無知な自分はそう思っていた。
勝手に嫌っていたのに、自分の中の妹は自身の趣味を押し付けても苦笑しながら何気なく付き合ってくれる気立てのいい女だったのだから。
「偶然、ほんの偶然だよ。半開きの戸を開ければ、真っ赤に染まった部屋に、ひどい裂傷を負ったお袋と同じく裂傷を負った親父を引きずる妹がいたんだからな」
妹と目と目が会ったときに感じたのは猛烈な恐怖だった。
これは人じゃない、そんな風に思うほど、当時の晴彦にとって妹は妹ではなかった。
「わけもわからず、逃げ出したよ。馬鹿だよな俺、だって玄関に向かえばいいのに、階段なんか登ってさ。思えば、隠れたかったんだと思う。このおかしな状況が夢で、目が覚めればまた元通り。そんな風に思ってたんだ」
「・・・・・・」
「まずは、太ももを斬られた」
台所から持ち出したであろう出刃包丁を片手に、血濡れの妹は、半狂乱に笑いながら、既に正気を失っている状態だった。
不思議と痛みは感じなかった、おそらくそれどころじゃなかったのだろう。
ただ、この状況から逃げ出したくてたまらなかったことだけは覚えている。
血に濡れた足を引きずって、ようやく階段を上りきっても、なおも妹の攻撃は続く。
「階段を上りきったと思ったら、次は腕を斬られたよ、深々と刺さった出刃包丁を右手で抑えて何とか膠着状態には持って行ったさ」
左腕を刺されたときに、だんだんと足の痛みも激しくなり、おびただしい出血で意識も朦朧とする中で、晴彦がとった行動は簡単だった。
「ほんの出来心だった。距離を取ることに必死で、周りのことなんて考えてもなかった」
朦朧とする意識の中で、まともに動かない足、塞がった両腕。
できることは限られていた。
「ほんのちょっと押しただけだ。それで、妹はまっさかさまに階段に落ちていったよ」
出刃包丁を何とかもぎ取り、右肩でタックル。
本来ならば、落ちることはなかった、落ちたとしても、頭から落ちない限り、早々死ぬこともなかった。
しかし、状況が状況だった、当時、階段には晴彦のおびただしい血痕があったのだから。
「・・・・・・離れないんだ」
妹が死んでしまうその瞬間、時間がやけに停滞しスローモーションのようにゆっくりと光景が動く時のことを、彼は生涯忘れはしないだろう。
「・・・・・・妹は最期に『助けて』と、そういったんだ」
涙を浮かべ、こちらを見ながら、その瞬間だけは正気だったと信じてもいいくらいに、妹が放った言葉は晴彦の耳に焼き付いている。
「・・・・・・あとのことは覚えてない。俺が再び目覚めたときは警察病院の集中医療室だった」
「・・・・・・」
「半ば事故のようなもので、当時は未成年だったし、何より弁護士さんも優秀だったから。正当防衛は立証されたけど、妹を殺したのは間違いなく俺なんだ・・・・・・」
一通り話終えた晴彦はがっくりと肩を落とし、顔を手で抑え込む。
「・・・・・・君は、かつての幸福を取り戻したいと、そう願うのかね」
「・・・・・・その気持ちが無いとは言わないさ。でも、そうじゃない。・・・・・・そうじゃないんだ」
タイミングを見計らい、レイヴは問いを投げ掛ける。
その問いに対し、晴彦は確固たる決意をもって告げる。
「俺はもう、逃げたくないんだ。逃げて逃げて、その結果手遅れになることが怖い」
こぶしを固く握りしめ、晴彦はレイヴに対し正眼に構える。
「誰だって、こんな死地に行きたくはない。死ぬのは怖い、けど、後悔に後悔を重ねながら生きるのは、俺はいやなんだ」
葛西晴彦は平凡を愛している。
葛西晴彦は、非日常を憎んでいる。
あの日、あの時の平凡な家族が笑いあっていた、そんな普通の日常を晴彦は何より愛していた。
今はもう失ってしまったもので、取り返しのつかないことだと知っている。
「聖杯を手に入れて、あの幸せな日々を甘受することなんて、俺には無理だ・・・・・・。だって、俺は妹を殺したんだ。ほかのだれが許そうたって、きっと俺が許せない。あの悲劇をなかったことにしちゃいけない」
出来得ることなら、それはきっと素晴らしい日々だろう。
普通に生きて、普通に老いて、長い人生の結果、息絶える。
それはなんて幸福だろう、少なくとも、無情にもほかの誰かに殺されるなんて悲劇のない平々凡々の凡作のような人生。
人は後悔しながら生きている。
失敗して、傷ついて、それでもなお、現実との折り合いをつけて、一歩一歩進んでいく。
時には立ち止まったり、振り返ることもあるだろう。
それでも人は、進み続ける。
「やり直しがきかないから、それが人生なんだと思う。やり直しがある人生なんて、そんなのはゲームと変わらない」
「・・・・・・」
「・・・・・・うまく言えないけど。もしかしたら、俺は間違っているのかもしれない、間違ったまま進んでいるのかもしれない。でも、それでも。
―――貫き通せば、きっとそれが俺にとっての正解だって信じてるから」
レイヴ・ロザンは、その瞳に炎を見た。
一人の男がこうと覚悟を決めたその眼を。
「君は強いな・・・・・・。いや、強くなった」
少なくとも、当初あった時よりも彼にとって好ましい人物へと変化していった。
とびぬけた戦略や魔術師としての高い力量があるわけではない、それでもレイヴ・ロザンにとって葛西晴彦と組んだことに関して後悔は微塵たりともない。
「聖杯ではなく、戦いそのものに意味を見出すか。成る程、考えもつかなかった」
「レイヴさん・・・・・・」
レイヴは、困ったかのように笑みを浮かべる。
冷静な男かと思えば、中々熱い面も持ち合わせていると、レイヴは晴彦の評価を上方修正した
「少なくとも、私は君を信用する。信頼ではなく、信用だ。」
「・・・・・・」
「今から話すことは、とても重要なことだ。今、君にそのすべてを話そう」
レイヴは神妙そうに、そう告げ、この聖杯戦争のすべてのあらましを告げるのだった。
晴彦くんの過去! トラウマスイッチ起動! 聖杯戦争に出てるんだトラウマの一つや二つあって当然よ!
こんなことあったら流石にトラウマになるよね?