四月って思った以上に忙しくて、正直なめてました。はい
「嘘・・・・・・」
今にも死に絶えそうな青年を抱えていた五号は焦りを浮かべていた。
小康状態を保っていた彼だった、しかし渾沌の出現と環境の変化にもよるのだろうか、今まさに葛西晴彦は危篤の状況だが、それに追い打ちをかけるかのように危機的な状況が彼に差し迫っていた。
「心臓が、止まっている・・・・・・!?」
呼吸が浅くなり、やがてその心臓は止まった。
血を出しすぎたのか、満身創痍の肉体は時を経るごとに彼を追い詰めていった。
無意識という状況は彼の生きるという意志は介在する他なく、肉体は死へと移り行く。
このままでは死を迎える結果になる、そうなればすべてが破綻してしまう。
誰かに伝えることは出来ない、皆、目の前の敵に対し足止め、或いは何とか遅延することで精いっぱいの状況でそんなことをしてしまえば間違いなく戦線は崩壊する。
魔力の過剰投与による中毒、何事も過ぎれば毒となる。
今までの戦いでどれ程の魔力をその身に蓄えてきたのか、調整もされてない人間の分際でここまで生きてこれたことこそ奇跡。
溢れ出る魔力は恐らくアーチャーの魔力を吸収し取り込んだのだろう、理論の上での生存可能と言う机上の可能は実際には何の役に立たない。
(このままでは死んでしまう。可能性が、全てが上手くいく可能性が・・・・・・、その存在が・・・・・・!)
目の前を覆う絶望、居もしない神を願うように懇願しても、そんなものは何ら役に立たない。
迫り来るのは死、足掻いた結果待ち受けるのは絶望と言う虚無。
どう足掻こうとも彼女に出来ることはない、何もできない無力な存在。
持ちうるのは小聖杯としての機能であり、常人をはるかに超える魔力の供給量のみ。
「あ―――」
そう、彼女が持ちうる武器はそれだけ、ならばそれを使うしか方法はないのだ。
一歩間違えれば命の危険を伴う行為、葛西晴彦は彼女諸共死んでしまうだろう。
五号は下唇を強く噛む。
自身を創った父がいた、共に生きようとした弟がいた、そして今にも苦しみの淵にいる妹がいる。
生きるとは辛く苦しく、そして何より尊く美しいことと、彼女は何より夢想する。
「―――私は、貴方のことは知らない」
そっと浅い呼吸をする晴彦の頬を撫でる。
最初は彼を殺そうとした、戦争を有利に進めるにあたって必要な犠牲と割り切った行動だった。
思えばそれがすべての間違い、最強の敵を作ってしまった原因であり、自陣の敗北は彼とアーチャーが作り出したといってもいいだろう。
あの日殺そうとした憎むべき仇敵である青年、しかし今は何より救うべき青年。
どこまでも後ろ向きだった葛西晴彦という青年は、今では誰よりも前向きになった。
「けれど、私は信じている―――」
そう、五号は誰よりも信じている。
直接対面した時間は少ない、それでもあの時の覚悟は、熱意は、想いは決して嘘ではなかったと。
「貴方は、きっとみんなを救えるはずだって―――!」
一人でも多くを救うために彼は行動していた。
だからこそ、賭けてみるのだ。
時計塔の貴族も聖堂教会の神父もセカンドオーナーの少女も、あの破綻した殺人鬼もをまとめたその人柄を能力を彼女は信じるのだ。
「だから、ここから先は一蓮托生。貴方が死なない限り、私も決して死んだりしないから―――!!」
服をはだけさせ、少女は晴彦にそっと口づけした。
(苦しい・・・・・・)
葛西晴彦はまさに硫酸の池に沈む魚だった。
勇んで飛び出したはいいものの、その先にあったのはまさに地獄だった。
起きなければならない、皆が待っている。
であるのに、どうにも体が動かない。
意識が埋没しかけ、痛みと苦しみで溶けてしまいそうになる。
死だ。
これを死と呼ばずしてなんという。
光は遠ざかり、暗い、暗い水底へと墜ちてゆく。
(嗚呼、そうか)
瞼が霞む、意識がぼんやりと薄れゆく。
疲労困憊、肉体が、精神が腐っていく。
(もう、いいんだよな休んでも。眠ってもいいんだよな)
何もない暗い底。
広大に広がる空間、世界。
どこまでも、どこまでも、葛西晴彦は墜ちてゆく。
もういいじゃないか、これほど頑張って来たじゃないか。
そんな言い訳を並べ、ひたすら楽になるべく沈んでいく。
(―――本当に、それでいいのか?)
ふと思う疑問ですら、霧散し塵となる。
頭上にある光は遠く、そこに光があったということすらわからなくなってしまった。
あれほどまでに焦がれ、手を伸ばした光はもう届きはしない、そんな倦怠に包まれる。
(駄目だ、生きなきゃいけない。起きなきゃいけない。けれど―――)
意志だけでは、どうしようもない現実がある。
限界を超えた限界、このまま意識が塗りつぶされれば来るのは死他ならない。
この埋没した宇宙の塵へとなり下がり、起き上がることなど不可能となる。
腕を伸ばす、ただそれだけが彼に出来る限界。
唯一抗った結果。
晴彦のうちにあるのはただの意志と義務感だけでそれだけしかできない。
葛西晴彦は弱い人間だ、大した魔術の腕も、英霊と比べるまでもない身体能力もない。
彼に出来るのは頑張ることだけ、それだけが脆弱な人に許された強さなのだから。
意識が呑まれる。
遠い水底へ引きずり込まれる感覚すら遠くなり、感じるという行為すらわからなくなる。
思考がクリアになり、何も考えられない。
ただぼんやりと意識だけはあった。
しかしそれもここまで、霞んでいく意識の中唯一わかることはただ一つ。
これが死なのだと、これが生命の終着点。
―――これが『』なのだと。
嗚呼、これほどの皮肉があるだろうか、誰よりも人であろうとした魔術師でもない少年が魔術師の悲願たる根源の一端に触れる等、早々在り得ることではないのだから。
(―――ああ、駄目だ・・・・・・)
だが、そこまでが彼の終着点。
意識はもはや伸びるまでもない。
ゆっくりと着実に、死は彼を誘う。
(俺は、死ぬ―――)
そうして、彼は死を迎える―――
『いいえ、貴方を死なせはしません』
―――はずだった。
不意に差し伸ばされた手を掴み上げ、晴彦の体は上昇する。
周囲の景色は一変し、硫酸の泉から抜け出ればそこは蒼穹の空にどこまでも続く草原。
そして晴彦を引き上げたボロボロの手の先には白髪紅眼の少女の姿があった。
『立ってください。貴方はこんなところで休んでる暇はないんですよ』
微笑みと共に告げられた声はどこか気丈で、晴彦は苦笑と共にその言葉を受け取った。
「休む暇すらないか、君は俺にスパルタすぎないか」
『レイヴ・ロザンもあの神父もそしてどちらかと言えばアーチャーも貴方を甘やかしすぎです。私ぐらい厳しいぐらいがバランスもとれるでしょう』
「違いないな」
人の心と同調し潜り込む、そんな術は聞いたことはないが、そのおかげで晴彦はこうして生還した。
こうなるまでいくらか無茶したのだろう、ボロボロになって皮がむけて赤くなっている腕を見れば一目瞭然だ。
「有難う、助けて・・・・・・くれたんだよな」
『はい、貴方が居なければどうしようもありませんから。私にはこうすることしかできません―――それと、身体も幾分か軽くなったでしょう?』
五号の言葉に少しだけ逡巡し、そして悟る。
確かにあれほどの苦痛や吐き気も今はほとんど感じられない。
あまりにアレすぎて麻痺したとかではなく、未だに気分は最悪だがその症状もよっぽど軽くなっている。
「確かに、どんな魔法を使ったんだ?」
『あまり会話している余裕はありませんが、簡単に言えば貴方と私の間にパスを通しました。こう見えたも単純な回路の質は私以上の人間はいませんから。貴方の余剰魔力を私に出来得るだけ詰め込みました』
わかりやすく言えば外付けの予備電量を封じている状況であり、晴彦がパンクしないようにいらない部分をすべて五号に押し付けたということだ。
『実際、現実世界での私は小聖杯としての機能を第一とする肉人形のような状態になっていますから、あちらに行ってしまったらそれこそ何も出来ません』
「・・・・・・」
『だから、ここですべてを託します。信じています、きっとあの化け物に勝てると信じて―――』
重い期待を無理やりにでも押し付ける。
なんて性格の悪い奴だろう、なまじ責任感の強い晴彦にそんなことをされれば断ることは出来ないだろうに。
「ひどいな、君は」
『女の我が儘を笑って受け入れるのが男の甲斐性と言うものでは?』
小首をかしげ、口の前に人差し指を添えながら五号はそっと笑う。
晴彦はため息を吐くと、そっと立ち上がる。
思いのほか、気分がいい。
先ほどまでのモノと比べれば幾分か調子が良くそしてあの死の狭間を体験したが故に得たものもあった。
実際はその分のデメリットもあるのだろうが、それでもこの戦いの切り札たるものであることは疑う余地はない。
「行ってくる。一流のバットエンドより三流のハッピーエンドを目指してな」
『上手いこと言ったつもりですか?』
五号は少し眉を顰め嘆息し、改めて晴彦を見上げるとはにかみながら言葉を返した。
『行ってらっしゃい。私の初めてを捧げたんですから、責任とってもらわなきゃ困りますよ』
「―――は?」
そんな虚を突かれた言葉を最後に、晴彦の精神は覚醒していった。
吹きすさぶ大風、枯れゆく木々に朽ちて荒廃する大地。
この世の地獄がそこにあった。
「まったく、神秘の秘匿もあったもんじゃないぞ・・・・・・!」
苦虫を噛み砕いたかのように眉を顰めるレイヴを筆頭に、渾沌との戦いは熾烈を極めていた。
何せその攻撃に触れればまず命は助からない混沌の溜まりを避けての戦いである、一撃一撃が即死たる攻撃に加えその攻撃は風を巻き起こし、或いは散弾かのように振り散らすなど周囲の被害をものともせずに行う苛烈なものであった。
「タロスッ・・・・・・!!」
事実、彼らの最後の矛にして盾であるタロスは彼らを守る為にその溜りを一身に受けていた。
動きは鈍くなり、最早稼動しているのが奇跡の状況でそれでも主命を守る為に戦う巨兵に彼は頭が上がらない。
腐食する青銅の巨兵、外装は剥がれ落ち、むき出しの内部が露わになろうと誰かを守るという意志の元立ち続けるクレタ島の守護者。
これまでも助けてもらったからこそ、その様子が限界と言うことは理解していた。
「・・・・・・ッ!」
そう、限界が近い。
それは即ちこの戦いの崩壊を意味する。
盾であるタロスがいたからこそ今までもってこられたのだ、それが無くなればこちらの敗北は必定。
何せ肝心の渾沌には傷一つつけることすら能わない。
「あの再生力も厄介に程がある」
神父が渾沌を睨み付ける。
当の渾沌は頭部であろう部分が焼かれてなお健在。
カメラの高速再生の画面のように傷が修復されていく。
「タロスの熱も、神父の黒鍵も意味がない。クソッ・・・・・・!」
「レイヴ・ロザン、落ち着いて―――」
「これが落ち着いていられるかッ―――!!」
余裕のない半狂乱の態度。
どうしようもない堂々巡りにイラつきを隠せないレイヴは八つ当たりとわかりながらも止めることは出来ない。
もしも、あの男が―――アサシンが居ればと思うほどにレイヴは追い詰められているのだから。
サーヴァントはいない、令呪もない、この状況をひっくり返すことが出来る装備も作戦もない。
あるのは刻一刻と劣勢になる状況を何とか遅延するしかないというもの。
勝ち目のない、先のないマラソンがこれほどまでに苦痛であると一体誰が予想できようか。
そして、あの最中急変する晴彦の様子も懸念として意識を引っ張られる。
あれを失えば、それこそどうしようもない、何もかもがおしまいだ。
「―――私はッ・・・・・・私はッ、なんて無力なんだ・・・・・・!」
悔しさと怒りを滲ませながら、ただ己の無力を嘆くレイヴ。
時計塔の貴族と言えどもこの程度、本当に人間を止めた人外どもと比べればなんと無力なことか。
「避けろッ―――!!」
そうして不意に意識を逸らした瞬間、神父の叫びがレイヴの耳に入る。
前方に見える巨大な術式、それは寸分たがわずレイヴとタロスを狙っていた。
「―――ッ!!」
声を出す暇なく、そうしてあふれだすのは濁流の如き混沌の溜まり。
ここに至って山そのものの表面を削り取るが如く溢れ出る濁流を前にレイヴはどうにもできない。
魔術で跳ね返す? 威力が足りない、不可能だ。
空中へ飛ぶ? タロスの機能のほとんどが潰されている状況でそんなことは出来ない。
「―――」
走馬燈のように駆け巡る情景、世界がゆっくりとして見え、死を覚悟する。
死ぬ、死んでしまう、死ぬ以外にない、死亡する、死んだ、死ぬしかない、死ね、死にそう、死ぬわこれ、死んだな、死ね、死のう、死んじゃった―――。
立ち込めるのは諦め、もう頑張ったじゃないか、ここまでやってこれたじゃないか。
―――もう十分だろう。
『ねぇ、笑って・・・・・・レイヴ』
「―――ッ!?」
不意に彼女の声が聞こえた。
最期に「ありがとう」と、そう言って消えていった彼女の声がレイヴの耳に届いた。
幻聴か、それとも奇跡か、そんなことはどうでもいい、レイヴ・ロザンが思ったこと、それはただ一つ。
(私は今、笑えているだろうか―――)
死んで、それでいいのだろうか、それで終わりでいいのだろうか。
(違う―――)
それで、彼女は喜ぶだろうか、微笑んでくれるのだろうか。
(違う―――)
あの日、分かれた愛しき人に、自分は顔向けできるだろうか。
「違う―――!!」
否、そんなことはあり得ない。
まだ終わりではない、これで終わっていいはずがない。
諦めなど、そんな怠慢など、このレイヴ・ロザンに相応しいモノか、否!
「タロスッ! 前進せよッ!!」
その言葉を聞き、タロスはあろうことか激流に身に受け、逆流する。
外装が剥がれ落ち、足元から徐々に腐食し、跡形もなく溶かされながらもタロスは主人の命令を実行するが如く立ち向かう。
「レイヴ・ロザン―――!」
蒼白する七海、それは今のレイヴを見ればそれは自殺行為にしか見えないからだ。
事実それは破滅への一歩しかし、無駄な一歩ではない。
「成る程、そういうことか・・・・・・」
戦況を把握した神父は濁流とは反対側へ回り魔術を起動させる。
「
神父が武装を解くと同時に、レイヴの肉体に急激に力が入るようになる。
ロナウド・ハーペンの持つ魔術の一つであるそれは単純に言えば味方の強化である。
しかも単体でなく複数にかけることを可能とした術であり、多人数戦においては非常に重宝したものであった。
まさに死に向かい前進するレイヴ、しかしその表情は笑顔だった。
「嗚呼、そうだ―――」
タロスの肩に乗るレイヴ足が崩れ、弱点である踵を失いながらも這うようにしてタロスは渾沌へと迫る。
まるでレイヴの意志が乗り移ったかのように、タロスは一歩、一歩と進む。
「私はお前と共にある」
その言葉を最後に、レイヴはタロスの口からその巨兵の内部へと入って行った。
「なっ!?」
その様子に肝を抜かれる七海。
しかし、情況はなおも進み、そしてタロスは上半身だけと言う状況になりつつもようやくその姿を掴む。
「
声もなく、音もなく、一瞬の沈黙を置いて、たった一言を耳に、閃光が倉敷山を覆った。