「大丈夫?」
「っ!!ああ、大丈夫だ」
沼にはまり込むような感覚から抜け出せたのは目の前の幼女から発された弱い声だった。台詞そのものは爆豪を案ずるものだ。だが、心配と不安が綯い交ぜになった小さくも悲痛な声は悲鳴以外の何物でもなかった。
かぶりを振って、頭を掻いて、歯軋りして、最後に大きく息を吸って意識を切り替える。
「・・・成る程なァ」
爆豪勝己には個性が効かない。普通、人に作用する個性など受ける機会は無い。病院の検査でも個性を使った分析は行われなかった。故に、個性の影響を無効化する個性は発見されなかった。
「どうしたの?」
「なんでもねえよ。卵トースト食うか?」
「ううん、いらない」
「まあそれだけ食べればいらねえわな」
(俺のことは後でいい。今はガキのことだ)
十中八九小石 心の個性は人に気付かれなくなる個性だ。家族ですら、例外ではない。
例外は・・・
「俺に、何が出来る」
言葉にするつもりも無い呟きが、口から漏れた。
食事を終え、店を出るころには小石 心は夢半ばだった。入浴というのは体力を使う。加えて彼女の体を思えば、精魂尽き果てても可笑しくはないだろう。幸いここは大型銭湯テルマエ。一眠りするためのリクライニングスペースと貸しブランケットも用意されていた。
「ほれ、大人しく寝ろ。ガキは飯食って寝るもんだ」
「う・・・ん、がきじゃ、ないもん・・・こころ・・・んにゅ・・・」
「ハイハイ、おやすみだ心」
心を寝かせてブランケットを掛ける・・・爆豪勝己の貴重な育児シーンである。きっと緑谷出久が見たら魂を吐き出して気絶することだろう。しかしこの爆豪勝己の育メンシーンは誰にも見られることは無い。今も、爆豪への視線は一切無い。
(最悪ガキが寝てることに気付かず他の客に潰されました。なんてことも考えられる。迂闊に動けねぇな)
爆豪は自分の荷物を小石の隣に置き、自分のスペースであるとアピールする。もっとも心の個性適用範囲が分からない以上爆豪は隣を離れられないし、寝ることも出来はしないのだが。
(ま、時間の潰し方くらい幾らでもある)
スマホの充電は77%。なんなら鞄の中には夏休みの課題すらある。少なくとも5時間は余裕で過ごすことが出来る。
爆豪は自らの宿題に向き合った。
◆
それは小石 心の4歳誕生日のことだった。
父、小石 忍 個性「認識阻害」母、小石 悠 個性「時間経過による変化を遅らせる」
そして小石 心の個性は勿論
個性「認識無効」
父の発動型個性がより強力に発現し、母の個性に強く影響された結果、常時発動型個性という極めて希少な発動型個性として発現している。
効果範囲は不明、少なくとも万引きされたコンビニは万引きされたことに気付いていないようだ。
「心~何処にいるの~?」
「ママ?」
「可笑しいな~さっきまで誕生日ケーキ楽しみにはしゃいでたのに」
「こころは、ここ居るよ?」
「何処に行ったのかしら?」
これが、小石心の
母、小石 悠を責めることは出来ないだろう。確かに夫は認識阻害という個性を持っていた。しかしそれはあくまで気付かれ難いというだけで、触れれば気付くし、目の前にいれば視認できる。
心の個性はそれを圧倒的に上回っていた。
たとえ心に叩かれても、気付くことはない。疑問符でも浮かべながら、まあいいかと済ませてしまう。そして、視界範囲を埋めてしまうと・・・
「ママ!!見てよ!!ここに居るよ!!」
「いっづ!!頭が、痛い!!」
見ているのに、見えないというバグにより強烈な頭痛が発生する。
「こ、こころ!!何処にいるの!!?」
「ま、ままぁ」
「きっと個性ね・・・!!しんッぱい、ないから!!ママは痛っ、大丈夫だから。心・・・!!どこ・・・!?」
この日、家は、小石心の居場所では無くなった。
誰に話しかけても聞いてもらえず、目線すら、合うことは無かった。
書置きも意味がなかった。拙いひらがなで書いた手紙は誰の目にも付かない。
電話も使えなかった。何かあったら110番と教わっていた心は意を決して掛けてみたが、心の声が伝わることは無かった。無意味ではなかったが、小石心が救われることは無かった。
だから、仕方が無かったのだ。
心はコンビニやスーパーから商品を持ち出した。悪いことだということは分かっていた。
寝泊りには家具売り場のベッドやショッピングモールのソファなどで過ごした。
誰にも気付かれないのだから小石 心は何処にでも居れたし、何処にも居なかった。
だから、それは本当に信じられない出来事だった。
「オイ待て」
それだけなら、小石心に掛けられた言葉だとは思わなかっただろう。今までにだってそういう勘違いは沢山した。そのたびに心は傷ついてきた。
だが、肩に置かれた手が勘違いではないと証明した。
思考が真っ白になっている間にも時間は進む、肩をグイっと引かれて半回転したところで停止、一ヶ月ぶりに人と目が合った。
・・・人だろうか?
・・・悪魔ではないだろうか。
・・・金髪のボンバーヘッドと眉間によった青筋がものすごく怖かった。きっと悪い悪魔に違いない。
そういえば心は悪い人だ。何度も人の物を盗んだし、居てはいけない場所に何度も行った。そうか、つまりはねんぐのおさめどきなのだ。
「ほらよ」
金髪ボンバーヘッドから何かを渡された。レジ袋には心が盗んだパンと覚えのない菓子パンがパンパンに入っている。レジ袋に入っているということは、買ってくれた。ということだろう。
分からない。小石心は今の状況が分からなかった。
「 」
・・・とりあえず、食べる物が手に入ったのなら、寝る場所を探そう。分からないことは考えない。分からないことを分かろうとしたところで傷つくだけだから。
そうして走って約3分。
完全に迷子になっていた。
明らかに普段入らないような路地裏に来てしまった。人生すで迷走極まっているようなものだが流石に不安になってしまう。一先ず来た道を戻ろう。そう思った時、目の前のマンホールから何かが這いずりだしてきた。
「クソクソクソ!!いい加減しつこいんだよチクショウ!!」
ドロドロとした油のような物がマンホールから這い出てきた。液体が喋るというのは人生経験の浅い心には中々衝撃的ではあった。
それゆえに思わず悲鳴を上げてしまった。ヴィランの前で、人目の無いところで悲鳴をあげるなど襲ってくださいと言っているようなものだ。
「これだけ離れりゃ撒けるだろ、流石に・・・はは、そう考えたらスゲェな俺・・・あのオールマイトから逃げ切ったのか?」
ただし、小石 心は例外だが。
路地裏で小さく震える心にヴィランは欠片も気付くことなく通り過ぎて・・・
「テメェそこで何やってやがる!!」
何と言うことだ、先ほど自分にパンをくれたヴィランがやって来てしまった。
前門の液体ヴィラン、後門の金髪ヴィラン
遂に小石心は進退窮まってしまった。
だが金髪ヴィランは制服を脱いでヴィランに被せ、戦い始めた。
もしかすると縄張り争い、と言うやつかもしれない。
だが如何にも金髪ヴィランは弱いらしく、液体ヴィランに負け始めてしまった。
「逃げろガキ!!早ぐ!!ん゛ん゛ん゛」
そんな、明らかに自分の身が危険な状況で、彼は私に向かって目を合わせて、逃げろと言った。どうして、どうして彼だけは私を見てくれるんだろう。
小石 心は現状を全く理解できないまま(しようともしないまま)一目散に走った。
それからいつも通り、今まで通りに過ごして数ヶ月後、私はまた金髪ヴィランに見つかった。
◇
「やっと起きたか」
目を覚ますといつもの100倍青筋が浮かんだヴィラン顔の彼が居た。
「…ぴいっぃ‼‼」
「うるせえ。トイレ行ってくる。ここから動くな」
「うぇ、うぇ、う、うん」
小石 心は時計がまだ読めないが、短い針が8を指しているのが見えた。