提督は2度死ぬ   作:あんたが大将

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第一話

 

 

 

 吐いた煙が上へと浮かんでいき、それをベランダから眺めていた。

 

 主無鎮守府第一庁舎の執務室。

 

 海軍大将である一人の男──提督が箱から取り出した煙草を片手に書類へとペンを走らせていた。

 

 カリカリ、カリカリ。

 

 ペラリ。

 

 そんな擬音がしばらく響いていた中、突然提督は書類を横に置いて万年筆を止めた。

 

 その視線は執務室の入り口である唯一のドアへと吸い寄せられるように向けられていて、怜悧な横顔が電灯に照らされて顕になる。

 

「誰だ?何かあったか?」

 

 提督はそれが誰であるのかを分かってはいても口に出すことを決してしない。

 ドアをノックしないこと、事情がありそうなこと、別の客人であること。全てを頭に入れて運営している提督からすればそれは児戯にも等しい推理だった。

 

「ごめん、提督さん」

 

 扉が開き、真っ先に見えるのは緑色の髪。やはりそうかと気を抜いたのも束の間、提督は椅子から徐に立ち上がる。

 

「なんのつもりだ」

 

 扉を開けて入ってきた瑞鶴。その艦載機が駆動音を大きく発しながら浮かび上がり、搭載された九九式艦爆二二型が提督を射抜くように突きつけられている。

 

 ゆっくりと煙草の火を消し、そしてまた刺激しないように緩慢な動作で椅子の裏側へと回る。椅子の裏にある窓は近いと言っても構わないが、こんな密室で命を握られた状況ではその小さな距離こそが致命的だった。

 更に言うのであれば、鎮守府という軍事基地である以上窓はしっかりと複層ガラスを使用しているのだ。いくら鍛えていて体格のいい提督であっても、瞬時に割ることなど不可能。

 

 脱出経路は見つからなかった。

 

「提督さんは悪くないの。ずっと大本命からの仕事も引き受けてくれてたこと、私たちは感謝してる」

 

「……もしや、あの鎮守府がケリを付けたのか?」

 

 瑞鶴はこの鎮守府の艦娘ではなかった。他の鎮守府艦娘でもなければ大本営直属の艦娘であり、『裏』側の情報伝達を主な軍務としている。

 それを知っているのはこの鎮守府では大淀くらいのもので通常案内をしていたのも彼女だった。

 しかし瑞鶴の隣に大淀の姿はない。

 

 つまり、提督の想定よりもずっと早く用済みになってしまったのだった。

 

「私は、不要になったということか……そうか。そうか……」

 

「ごめんね、提督さん。提督さんが戦後に生きてると、他の提督やその艦娘と、小さくない軋轢ができるのは目に見えてるから……」

 

 提督が俯かせていた顔を上げると、弓に番えていた艦載機がブレた。それは瑞鶴の手の震えからくるもので、更に言えば瑞鶴自身が動揺したせいでもあった。

 瑞鶴が震えた声を出す。

 

「なんで……笑ってるの?嫌じゃないの?」

 

「いいんだよ。私は──いや、俺は元々国のためにやってきたんだから。そりゃこうなることくらい分かってた」

 

 若い男の姿をしていながら威厳さえ纏っていた提督の姿はそこにはない。あるのは、護国のために身を粉にして働いたただの若人の姿のみ。

 ()の仕事に心も身体もボロボロになりながら、遂には終戦まで職務を全うした誇り高き軍人。

 

「だから瑞鶴、お前が気に病む必要はないんだ。俺が言うのもアレだが、さっさと射ってくれ」

 

「でも、だって……あんなに頑張ったのに、あんなに自分を偽ってまで務めてきたのに、亡命の準備すらしてくれてなかったんだよ!?」

 

「それはあの鎮守府が優秀だったからだ。大本営のせいじゃない」

 

 肩をすくめ、首を振る提督。

 

「それに、薄々こうなるだろうってのは分かってたんだ。他の鎮守府の艦娘に怖がられて、威嚇されて。それで何も感じなかった訳じゃない」

 

「なら、なんで……」

 

「やらなきゃいけなかったからだ。誰かがやらなきゃ、また別の誰かに御鉢が回る。俺がその終着点を引き受けた。少しでも勝利に貢献できたなら、俺はそれでいいのさ」

 

 瑞鶴が何を叫ぼうとも、戯けた仕草で隠された仮面の下側は見ることは叶わない。恐らく彼が本音を話すことは決してないのだろう。そう、今までと同じように。

 提督は自分の最期を予期しても、死に怯える姿だけは絶対に外へと出さなかった。

 

「ぅ、ぐぅ……分かった。最期の説得からそのまま下手人になるなんて、嫌だったんだけどなぁ……」

 

「すまないな、瑞鶴」

 

「分かったよ……分かってる……」

 

 揺るがぬその姿勢に瑞鶴も上っ面だけの覚悟を決める。形だけではなくしっかりと弾薬が装填され、艦上爆撃機の準備が完了する。

 

「まあ、それでも思うよ」

 

 窓の向こう側、平和になった海を見て独白する提督。

 瑞鶴の指示を受けた爆撃機に搭載された爆弾の閃光が執務室内を満たして、悲痛な面持ちのまま扉を閉める。

 故に、提督の声を聞いた者は居ない。

 

「もしかしたら……」

 

 手を伸ばし、人差し指が窓に触れた。

 

 

 

 英雄になれたかもしれないな、ってさ。

 

 

 

 

 とある鎮守府の執務室が吹き飛び、艦娘たちの悲鳴が上がった。黒い噂が絶えず、その上噂が否定されることすらなくなっていた鎮守府での出来事だった。

 国を救った英雄までもがその事件に否定的な言葉を言わず、終戦ムードの中で更に拍車をかけるようなことが起こったことによって、世界は益々喜びに打ち震えることになった。

 

 しかし反対に、大本営や同鎮守府の反応はそこまで大きいものではなかった。かの事故は結局深海棲艦の悪あがきとして処理されたが、世間での悪評や朗報に肯定的な顔を見せる艦娘は居なかったとか。

 

 憂いを帯びた顔を見せる本部の艦娘や重役達、並びに同鎮守府内の艦娘は、何を言われても決して秘密を漏らさなかったらしい。

 何を問われても彼の完璧な職務を汚すことはなかったということなのだろう。

 

 

 そのことを彼女らが誇りに思うかどうかは別問題だったが。


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