とある箱庭の一方通行   作:スプライター

36 / 76
愛と幸せで締めくくる物語(ラブコメディ)を目指して

 

 

壊れた街。

壊れた世界。

夢の世界。

 

どこまで行っても現実ではない世界。

心が作り上げた無意味の世界。

 

その筈なのに。

そうでしかない筈なのに。

 

ユウカには。

早瀬ユウカには。

目の前で起きている光景が、現実かのように思えて仕方が無かった。

 

「キヒヒャハハハ!! アハ! アヒャハハハハハハ!!!」

 

現実なのか夢なのか区別が出来なくなる程曖昧な世界で、真っ白と真っ黒が幾重にも折り重なった翼を生やした先生が壊れたかのように笑い声を上げ続けている。

 

正体不明の翼もさることながら、ユウカはここまで笑う先生の姿も見た事が無い。

ともすれば恐ろしささえ覚えてしまう程に狂気的に笑い続ける彼の姿は、天使にも悪魔にも見える翼の存在も相まってあまりにも非現実的な光景としてユウカの目に焼きついていく。

 

だがそこにユウカは恐怖を感じなかった。

翼から放たれる圧倒的威圧感に、全身が押し潰されそうになる感覚こそ覚えるものの、彼の存在自体に怖さは無い。

 

代わりに湧き上がるのは、どうして。という気持ち。

ユウカの知る限りでは、先生はこんなことをしない。

先生の足元や、その周囲で倒れている生徒達に目もくれず、ひたすら笑い続ける事なんてしない。

 

先生ならまず、自分より生徒を優先する。

どんなに言葉で不機嫌である事を装っても、どれだけ面倒臭そうな態度になってても、そのスタイルを崩しているのを見た事が無い。

 

だからこの先生は紛れもなく夢の先生で、違う先生。

本物とは、似ても似つかない紛い物。

 

そう、断言したいのに。

普段のユウカなら絶対に断言出来る筈なのに。

 

彼女の心は、紛れもなくあれは私の知ってる先生だと報せていた。

 

「先生……! い、今! 今そっちに行きますッッ!!」

 

助けないと。

今すぐ先生の所に行かないと。

咄嗟に彼女は己のやるべき事を理解した。

彼の笑い声が、助けを求めている声だとユウカは即座に察する。

ユウカは先生が助けを求める声を一度も聞いた事が無い。

けれど何故だか、今の先生は間違いなく救いを求めているのだと断言できる。

 

夢の中であっても、ここが現実では無いと分かっていても、ユウカは耐えられ無い。

彼が苦しそうにしているのを、ユウカは黙って見ていられない。

 

早瀬ユウカはそう言う少女だった。

 

「ギャハハハハハハハッッッ!!!!」

 

だが、世界は彼女に優しく無かった。

ユウカの思いを汲んで待ってくれる程、都合良く回っていなかった。

 

ゾアッッ!! と、先生の背中から生えている翼が突然肥大化する。

まるで彼の笑い声が大きくなったのを切っ掛けに爆発したかのような勢いで膨張を見せる翼は、彼の体躯の何十倍もの大きさに成長すると。

 

その翼を一直線に真横目掛けて上から下へ振り下ろした。

 

瞬間、天地がひっくり返ったのかと錯覚する程の轟音が大地を轟かし、翼を叩き付けられた大地がその地点を中心として四メートル程隆起させた。

 

水面に大岩を高度から叩き落した時に発生する巨大な波紋を地面で再現させたかのように大地が膨らみ爆発し、叩き付けた翼の衝撃で地面が一直線に割れ初め、その余波が廃墟まで届く。

 

衝撃波と地割れによって複数のビルが轟音と共に根元から崩れ、都市が地割れによって二分され、吸い込まれるように無数の建物が割れた大地に沈んで行く。

 

最早災害としか呼べない想像を絶する大破壊を前にしたユウカは、一つの都市がたった一人の手によって瓦礫の山へと変貌していく様を、足を止め、顔を青ざめさせて眺める事しか出来なかった。

 

「うッッッ!?」

 

圧巻。そんな一言ではとても表現出来ないような光景に呆気に取られていると、大地が爆発した影響で膨れ上がった砂や小石の壁がユウカに襲い掛かる。

 

視界が茶色に覆い尽くされ、暴風も相まってまともに目と耳の機能が一時的に使えなくなる。

反射的に目を閉じ砂から目を守る行動を取る。

 

その行動が、この惨劇の結末を知る最初の切っ掛けとなった。

彼女は、早瀬ユウカは否応無く知る事になる。

 

この世界の地獄を。

少女達の覚悟を。

彼がもう、とっくの昔に壊れている事を。

もう、救える存在ではなくなっている事を。

ドサリと、ユウカの目の前に何かが落ちた事から、彼女はゆっくりと知り始める。

 

暴風でまともに聴覚が機能しない中、何かが落ちて来た事だけユウカは把握した。

風が収まり、先生の高らかな笑い声だけが響くだけになった世界で、ゆっくりとユウカは目を開ける。

 

そのまま彼女は自然な動きで落ちて来た物を見ようと視線を落とし。

 

「ノ……ア……?」

 

落ちて来た物体が、親友であることに声を震わせた。

瞬間、ユウカの脳が情報を得る事を拒絶する。

 

彼女は、生塩ノアは、ダラリとその身を力無く放り出し、落ちたその地点から一寸たりとも動かなかった。

生気の宿っていない瞳で虚空を見上げる彼女は、呼吸の動作一つ行っていない。

 

胸元から斜めにバックリと身体を裂くように刻まれた傷は、制服を真っ赤に汚しながらも、現在その傷口からは血の一滴も流れていなかった。

 

「ノア……!? し、しっかり!! しっかりして!! ノアッッ!!」

 

仰向けに倒れ伏している少女の名前をもう一度呼び掛ける。

だが、彼女の震える声にノアは何一つ返事を返さない。

そればかりか、みじろぎすらも行わない。

 

瞬間、ユウカの頭の中に一つの知識が流れる。

しかしそれは同時に、絶対に認めたくない、受け入れたくない知識だった。

 

生塩ノアは、既に事切れている。

恐らく、ユウカがここにやって来るずっと前の段階から。

 

「そんな……! ま、まって!! ノア!! 返事して!! ノア!!!」

 

浮かんだ知識を振り払いたくてもう一度彼女の名前を呼び、慌てて彼女の肩に手を伸ばす。

 

しかし。

 

「あ……え……?」

 

ノアに触れようとした手は、彼女の身体をすり抜けて地面に触れた。

 

「ウソ……ウソ……ッッ!」

 

己の身に起きている現象が信じられなくて、何度も何度も彼女を抱き抱えようとするも、その手に重みが加わらない。

何度やっても、何度やっても、まるでそこには何もないかのようにユウカは彼女を持ち上げられない。

 

それは、この世界における重大なルールだった。

 

早瀬ユウカは、この世界に干渉出来ない。

夢の外から来た住人は、世界をただ見ている事だけしか出来ない。

この世界の悲劇に、介入する権利を持たない。

 

それは少し考えれば分かる物だった。

彼女は先程、先生が放った攻撃の余波を受けた際、このままだと目に砂が入ると咄嗟に目を閉じた。

直後、少女の身体が吹き飛ばされる程の暴風に見舞われて尚、彼女は風が強いと体感的に思いこそしたものの、踏ん張るなどの耐える動作を何一つ行わなかった。

 

機械的に、経験的に、反射的に目を閉じただけ。

飛んで来た砂の勢いから、風が強いと感じただけ。

 

実際は、彼女は何一つ感じていない。

五感が健在な事が、ユウカにそれを気付かせるのを遅らせた。

 

「い! いや! いやよそんなの!!」

 

たった一人この世界の行く末を見届けなければならない。

ノアに触れられない事でようやくこの世界のルールを把握したユウカはその残酷さに悲鳴を上げた。

一体誰がやったのだという自問自答に、とっくに答えが出ている事にさらにユウカは絶叫した。

 

瞳に涙を一杯に溜めながら、ユウカは先生の方に視線を向ける。

先生は、苦しそうに笑い続けていた。

助けを、求め続けていた。

 

どうにかしないと。

なんとかしてあげないと。

 

そう思いながら彼女は先生の下に走り寄ろうとして。

 

「せ、ん、せい……! せん……、せ……い……ッ! せん……せ…………い……!」

 

彼の身体に必死にしがみついている、一人の少女を目撃した。

 

「ヒ、ヒナさんッッ!」

 

先生と呼び掛け続けている少女が見覚えのある少女、ゲヘナの風紀委員長を務めている空崎ヒナである事に気付き、ユウカは彼女の名を叫びながら走り始めようとした瞬間。

 

「う……ぁッッ!! あッッ!」

 

ユウカは足を止め、絶句した。

先生に抱き着くヒナの下半身が無い事に。

上半身のみで必死に齧り付いている事に。

 

言葉を発する事が出来なくなる。

遠目で見ているだけで分かる。

 

彼女はもう、助からない。

身体から流れ続けている絶望的な出血が、それをありありと物語る。

 

痛い。

その程度で収まる筈の無い激痛に晒されているであろう中、ヒナは己の事を何一つ鑑みず、ただひたすらに先生に対して言葉を投げかけ続けていた。

 

残された僅かな時間と、最後の力を振り絞って先生を地獄から引っ張り上げる。

それが彼女が選んだ、先生を助ける為の道だった。

 

「ごめん……ごめんなさい先生! 私が弱かったから!! こんな! こんな思いを……! 先生を助けられなくて……!! 私が、助けなきゃ……いけなかったのに……!!」

 

空崎ヒナは、もう直ぐ死ぬと分かってて、その時間を全て先生に捧げる。

永遠に、謝罪の言葉を投げ続ける。

 

「ごめんなさい……! ご、めんな……さい……!! 正気に……戻って……っ! 自分を……こわさ、……ない……で……おね……がい……! せん……せ……い…………ッ!」

 

だが、

だが、

 

「ギヒャハハハハッ!! アギャハハハハハハハハハハッッ!!!!」

 

ヒナが頑張れば頑張る程、先生の悲痛さは増していくばかりだった。

彼女の声が届く度、先生は心を壊していく。

まるで、許しの言葉を受け取るのを怖がっているかのように。

 

「ゆ、るして……先、生…………! そ、して……っ……! 私、のこと……を……忘れてほ、し……い…………!」

 

己の身体を半分に割いた先生を救おうと抗うヒナは、掠れ行く意識の中でささやかな願いを口にする。

私の記憶が傷になるならもう思い出さなくて良いと、忘れて良いと懇願する。

 

それはどこまでもどこまでも、真っすぐで純真な愛だった。

死を目前にして、ヒナは先生を優先する。

 

それを愛と呼ばずして、何と呼ぶのだろう。

報われる筈の無い想いであることが分かっているのに彼女は最期まで貫き通す。

それを愛と呼ばずして、一体何と呼ぶのだろう。

 

「わ、た……しを、……わすれ……て……! い、生きて……! お願い……先生……せんせ、い……」

 

だが、時間がやって来る。

間近に迫っていた限界が、とうとう彼女に時間を告げる。

ズル…………。と、しがみつく力を失った彼女の身体が地面に落ちる。

 

先生の身体にしがみつく力を失った彼女は、それでもまだ諦めたく無いともう一度先生の方に手を伸ばそうとして……、身体を動かそうとして。

 

「ぁ……ぁ…………」

 

全く力が入らない事に気付き、もうダメなのだと気付き。

 

「ご…………め………………ぃ…………」

 

最期に一つ言葉を吐いた後、ヒナはゴホッと今まで吐き出すのを我慢していたであろう血を吐き出し、その瞳をゆっくりと閉じた。

 

「ヒナ……ヒナさッッ……! ヒナさんッッッ!! そんなっっそん……な……」

 

彼女の死に様を目の当たりにして、ユウカは思わず声を上げる。

同時に、先生の笑い声も一際悲痛さを増した。

 

その事も余計に彼女を追い詰める。

先生が彼女を救えなかった。

そこに心を痛め悲鳴を上げている。

その事実が、どうしようもなく苦しい。

 

だが、世界は、彼女にさらに追い打ちをかけていく。

 

この世界の悲惨さを、彼女に教える様に。

 

カラ……と、先程の風に乗って流されたのか、地面を何かが転がる音が聞こえた。

その音にユウカは瞳に涙を浮かべながら、目線を流されてきた物にゆっくり、ゆっくりと合わせ。

 

流れてきたのが狐を模した面である事を知った。

見知った面だった。

見知った少女が着用している面だった。

 

「~~~~~~~ッッ!!」

 

声を、失う。

この場所に面がある事の意味。

そして面だけしかない事の意味。

 

一歩後退しながら小さく、ユウカは首を左右に振る。

その現実を、認めたくない様に。

 

「だ、だれ……か……」

 

声が聞こえたのは、その直後だった。

まだ生きている子がいる。

そう思った瞬間、ユウカの意識はそちらに向いた。

声の主を探す為、ユウカは必死に辺りを見渡し。

 

「ワカモさん!!!」

 

声の主を見つけ出したユウカは、その名前を、狐坂ワカモの名前を叫んだ。

叫びながら、慌てて駆け寄る。

 

仰向けで倒れている彼女に今助けるから声を掛けようとして。

ワカモの顔の右半分がゴッソリと消失しているのを目撃した。

 

「あ……ぁああああああッッ!!」

 

一瞬で頭が沸騰する。

悲しみがユウカの中で荒れ狂う。

もう沢山だと思った悲しみがまた訪れた。

もう十分だと思った仲間の死をまた見届けなければならない。

 

全身を槍で貫かれたかのような苦しみだった。

喉の奥から引きずり出したかのような声でユウカは絶叫する。

 

なのに事態は止まらない。

ワカモの時間は、止まってくれない。

 

「だ……れ……か……いな……い……の…………です……か…………」

 

既に死んでいてもおかしくない。

否、死んでいなければおかしい程の傷を受けて尚、ワカモはこの世にしがみついていた。

 

何時命の灯火が失われても不思議じゃない中、ワカモは空に向かって一人でに呟き続ける。

ユウカの姿をワカモは認識していない。

ユウカの声に気付く素振りも顔を向ける素振りもしないまま、空に向かって言葉を投げ続ける。

 

それがこの世界の、理だった。

 

「そんな……ぁあああっっ!! そんなっっ!! ワカモ……さん……ッ! ワカモさん!! ワカモさんッッッ!!」

 

「誰……か……わた……しのから……だ……を……隠し……て……」

 

無事な少女がいると意気込んだ矢先に飛び込んできた絶望にユウカは今度こそ耐えられず涙を流した。

 

だが、ユウカの声は届かない。

届かないまま、ワカモは言葉を放つのもやっとな筈なのに、誰もいない場所で、誰かが聞いている事を信じて言葉を並べ始める。

 

彼女はもう、目が見えていなかった。

耳も何一つ音を拾えていなかった。

放って置いても力尽きる。

そんな状況で、今にも尽きる命で、それでも彼女は誰かに向かってメッセージを送り続けていた。

 

狐坂ワカモが貫きたいとした意思を。

 

「ワカ……モ……は、先生に、みき……り……をつけ……て……どこ、か、遠くで……無事に、生、きて……るっ……、て……、せんせ……に……信じ……させ……た……め、に……か……くし…………」

 

「ッッッッ!!!!」

 

彼女が選んだ、先生を助ける為の道。

それは、狐坂ワカモの死そのものを隠蔽する事。

 

先生は、狐坂ワカモだけは手に掛けなかった。

手に掛ける前に、彼女は彼の前から姿を消した。

 

そのウソを、現実にしてと。

残された命を使って、誰かに発信し続けていた。

 

だが。

 

「お…………ね、……が…………ぃ、し……………………」

「……ッ!! ワカモさん! ワカモさんッッッ!!」

 

その願いを言い切る前に、少女の命は途絶えた。

必死に必死にユウカは彼女の名を呼ぶが、返事が返って来る事は無い。

 

先生に自分が生きていると信じ込ませる。

ただそれだけの為に命を燃やし尽くした。

愛した一人の男にウソをつく為に、彼女は命を使い切った。

 

「どうして!! どうしてなのよッッ!! どうしてぇえええええええええええええええッッッ!!」

 

ユウカの絶叫が廃墟街に木霊する。

だが、彼女の声は誰にも届かず、ただ虚しく響いて消えていくだけだった。

 

「何なのよこれ!! 何なのよこの世界はッッッ!!!!」

 

怒りに任せてユウカは叫ぶ。

だが、どれだけ叫んでも彼女の声に応えてくれる者はいない。

 

見ている世界は夢で。

なのにあまりにも起きている光景が現実が過ぎていて。

 

現実であるとすれば到底受け入れられない光景しか繰り広げられていなくて。

過酷と残酷に塗れた世界に放り出されて、それでいて自分は何も干渉できない様にされている。

 

悪夢の一言で片付けて良い問題では無かった。

もっと陰惨で、もっと極悪で、悪意に満ち満ちた何かだと心が訴える。

 

だが、どれだけそこにユウカが憤慨しようとも、この世界に何か良い変化が訪れる事は無い。

 

世界は等しく平等に時間を刻み続ける。

それがたとえどれだけ最悪の中であろうとも、揺るがすことの出来ない法則として動き続ける。

 

そして彼女の目の前で、また一つ悲劇が起こる。

ザリ……と、何かを引き摺る音がどこかから聞こえた。

 

「だ……いじょ……ぶだ……よ……せんせ……い……」

 

聞き取るのもやっとな程の声量が、その方向から届く。

ビクッッ! と、その音に過剰に反応したユウカは、恐る恐るその音の方へ振り向き。

 

「ミド……リ…………?」

 

良く知っている双子の妹が、地面を這いずって進んでいる姿を見つけた。

 

「ミドリ……! ミドリッッッ!!! ッッッ!?」

 

慌てて彼女の名前を呼んで近付こうとした瞬間、ミドリの状態を見てユウカは言葉を失った。

 

ミドリの右腕と左足が根元から無い。

まるでバッサリと鋭利な刃物に切断されたかのように完全に消えている。

さらにうつ伏せ故に詳細は不明だが、彼女もノアと同様、腹部に致命傷を受けているのか、這いずった痕跡が夥しい程の血となって現れていた。

 

流れた血は……助かる見込みが完全に無いと言い切れてしまう程の量。

しかし彼女は、懸命に身体を引き摺って前へと進めていた。

 

「わ、たしは……先生に、殺……、された、りなんか……し、ない……。わた、しは……あいつらと戦って……殺される、ん、だ……」

 

ユウカの存在に気付かぬまま、ミドリはズリ……ズリ……と、たどたどしく前へと進んで行く。

必死に身体を前へ前へと進めていく。

左腕の力のみで。

言う事を聞かない胴体と下半身を引き摺って。

 

「安心……し、て…………。先、生は…………私を…………、殺して……な、んか……な……い…………よ……!」

 

全ては、先生に己の死を悟らせない為に。

先生によって受けたであろう傷を、別の傷で覆い隠す為に。

 

先生がミドリを殺したという真実を、ミドリは勇猛果敢に敵に立ち向かい、返り討ちに会い殺されたという事実に書き換える。

 

彼から受けた傷は、彼女の死因に何一つ起因していなかった。

いつかどこかでもう一度彼に会えた時、胸を張って言い切り、笑いかけるのが彼女の、才羽ミドリの矜持。

 

彼女が選んだ、先生を助ける為の道。

 

「だ、から……先生が……苦しくなる必要は……ない、の……。わた、しは……先生に……ころされて……ないも……ん……」

 

「もう良いミドリ! 喋らないで! 動いちゃダメ!! 傷が!! 傷が開く!! あぁ!! やめて!! やめてミドリ!! ミドリッッッ!!!」

 

だが、それを看過出来る程ユウカは優しく無かった。

 

今にも泣きそうな声で決死にユウカはミドリを説得する。

放って置いても放って置かなくても、どの道ミドリはもう助からない。

彼女の肉体は既に力尽きており、気力だけで彼女は意識を保たせているだけ。

それももう長くない事をユウカは分かっていても、死に行くミドリを見過ごすことは出来なかった。

 

だが彼女の声は、この世界の才羽ミドリには届かない。

部外者であるユウカの声は、どこまでも言っても独り言としてしか消化されない。

 

「だい、いち……か、ん、たんに、ころされる、ほど……やわ……じゃ、……な…………い……。おね、え……ちゃん……じゃ、ある…………ま…………い……、……し……………………」

 

段々と、声がか細くなる。

ワカモと同じように。

 

消える。

消えていく。

 

また命が消える。

好きな男の心を守らんとする一人の少女の献身な愛が、形を成さずに消えていく。

 

それがどうしても悔しくて、報われない愛が悲しくてもう一度、ユウカは彼女の名前を叫んだ。

彼女の手を取ろうと手を伸ばした。

 

しかし。

しかし。

 

声は届かず、手は握れない。

眩しさすら覚えるミドリの輝きに、ユウカは触れる事すら出来ない。

 

「せ……ん…………せ…………だ、い……す…………」

 

最後に、ミドリはおずおずと左手をまっすぐと伸ばした。

その手に掴もうとしたのが何だったのか、ユウカに知る術はない。

 

パタ……と、伸ばされていた手が力無く落ちる。

持ち上げられていた頭が、静かに地面で休み始める。

宿っていた目の光が消えて、ミドリの身体が動きを止める。

 

最期に一滴、小さく微笑みを浮かべる瞳から、ポタリと涙を落としながら。

 

「ミ……ミドリ……ッ!? ミドリッッッ!! ミドリッッッ!!!」

 

ユウカの呼びかけに、才羽ミドリは応じない。

声も手も届かず、何も掴み取れないユウカの手の中でまた一つ、命が零れた。

 

「うぁっっうあああああああああああああああああああああッッッ!!」

 

悲しみだけが募り、悲痛な声がどこまでも響く。

受け止めてくれる人のいない世界で。

たった一人ぼっちの、誰にも認知されない世界で。

 

「覚め……て……ッ!」

 

絶望に項垂れる中、ポツリとユウカが零す。

それは、彼女が自分の心を守ろうとする防御本能で。

 

一度溢れ出したら、もう止まらない物だった。

 

「夢なんでしょ!! だったら覚めてよ!! お願いだからここから出してよ!!! もう見せないで!! 先生が苦しむ所も! 皆が死ぬ所ももう見たくない!! もう見たくないのッッ!!!!」

 

夢から覚められない。

悪夢から逃げられない。

 

どうして先生がこんなことをしているのか分からない。

何が起きて先生が凶行に走っているのか分からない。

 

けど、少女達は必死に彼を助けようと足掻いている。

一人、また一人と先生を助けようと死力を尽くしている少女達が散っていく。

 

見ていられなかった。

耐えられ無かった。

 

だが夢はまだ終わらない。

彼女に続きを突き付けていく。

 

まるでこれを焼き付けろと言わんばかりに。

 

次は彼女だと言わんばかりに、フラリと、一人の少女がどこからか先生の前に姿を現す。

 

「ん。先生……大暴れ……してる……ね……」

 

知らない少女だった。

だが傷は今までの少女の中でも浅い。

額から血を流し頭に生えている右耳を失い、右手から流れる酷い出血を左手で抑えているものの、両足でしっかりと少女は立ち上がり先生と相対していた。

 

「ホシノ先輩も、ノノミもアヤネもセリナも……、空で先生が元に戻るのを願ってる……。けど。先生はもう……戻る気は無いん……だよね……」

 

先生に向かって少女は語り掛ける。

しかし先生は彼女の言葉に対して笑い続ける以外の反応を返さない。

 

少女はその彼の変わらない様子を見て、何かを受け取ったかのように小さくはにかんだ。

 

「良いよ、それで。先生のわがまま、受け……入れ、る……ね……」

 

そのまま彼女は、両手を大きく横に広げた。

まるで己の身体を差し出すような格好に、その光景を見ていたユウカが息を呑む。

 

「好きにして……良い、よ……。その分、私も……、好きにする……。何があって、も……先生の……傍から、離……れな……い……」

 

少女は願いを口にする。

その身の全てを先生に預けて。

全てを自由にする権利を先生に譲って。

 

少女は己の欲望を、どこまでも彼と一緒に居たい旨を紡いだ。

 

「ッッッッ!!! ガァアアアアアアアアアアァアアアアアアアッッッ!!!」

 

刹那、今まで笑い続けるだけだった先生から身が竦む程の雄叫びが迸った。

 

全てを圧倒するかのような絶叫はまるで、逃げろと訴えているかのような叫び。

しかしそれと同時に、まるで自分の意思とは無関係かのように翼が轟く。

彼の慟哭と時を同じくする様に、白い翼を掻き消しながら黒い翼が肥大し。彼女を貫かんと凄まじい勢いで襲い掛かる。

 

遠い位置にいても、干渉されないと分かっていてもその威圧感にユウカの身体は震える。

それはつまり、実際に間近でそれが迫って来ているというあの少女が受けている恐怖は想像を絶する物であろうことを意味していた。

 

死が目の前に迫る。

避けられない死がすぐそこまで近づいている。

 

けれど彼女は。

彼の嘆きを前にした彼女は。

 

「ん。イヤ。逃げない」

 

キッパリと力強くそう言い切った。

彼女が選んだ、先生を助ける為の道。

全てを受け入れ、絶対に離れないという意思を見せる。

 

「最期まで一緒にいる。最期の後も一緒に居る」

 

それがたとえ、どのような結末になろうとも。

たとえそれが死だったとしても、それすら二人を分かつ要因にならない事を。

 

彼女は行動で示す。

 

「根比べは、私の勝ち」

 

翼が彼女を飲み込む直前、彼女は勝ち誇った顔で先生に向かってそう告げ。

直後、真っ黒な闇が彼女を包み込み。

 

彼女がここに居た痕跡ごと先生は彼女を消滅させた。

 

翼の一撃が終わった後、彼女が立っていた場所には血の一滴すら残っていなかった。

さっきまでそこに居た筈の少女は、その全てを先生に捧げて姿を消した。

 

「いや……! いや…………」

 

小さく、言葉を繰り返す。

彼女の死。それは想像以上の傷となってユウカに残る。

 

気付けば、彼女の身体は膝から崩れ落ちていた。

瞳からは、溢れんばかりの涙が止まらずに流れ続けていた。

 

やめて……先生。

小さい声で彼女は嘆願する。

 

どうにもならないと知りつつ、それでも言わずにはいられない。

 

誰か先生を助けてと。

この悲劇を止めてと。

 

カチャ……と言う音が背後から聞こえたのは、ユウカの心が折れる直前の事だった。

 

「止め……ます、わよ……!」

 

ユウカの後ろからある生徒の声が聞こえた。

その後、ザッ……、ザッ……。と、ゆっくりと地面を歩く音が響く。

 

少女はユウカのすぐ横を左手で血の滴る腹部を抑えながら通り過ぎた。

 

「ハルナ……さん……」

 

通り過ぎた少女の名を、ユウカは泣きそうな声で紡ぐ。

黒舘ハルナの名を紡ぐ。

 

「これ以上……先生を苦しめたくありませんわ……! 幸い……もう私も長くありません……だから一緒に逝け、ますわ……」

 

声を震わせ、今にも倒れそうな程に身体をフラつかせながらも、先生に対して彼女は銃を向ける。

 

「先生を一人になんか、させません……」

 

それが、彼女が選んだ先生を助ける為の道。

 

彼の苦しみがいつまで続くか誰にも判断出来ない。

たとえ正気に戻ったとしても先生が苦しみ続けるのは必至。

 

であるならば。

そうであるならば。

 

今ここで全てを終わらせて、もう苦しまなくて良いと、もう休んでいいんだよと伝える。

それが、彼女が導き出した答え。

先生を底の見えない闇から救い上げる、唯一の方法。

 

「今……助けますわ……。少し……痛い……かもしれませ……んけど……。これが、最後の痛みにさせて……みせ、ますから……!」

 

例えそれで誰かに恨まれようとも関係無い。

先生を救えるのなら、誰に恨まれたって良い。

 

どれだけ間違った選択をしているのだと言われようとも。

それだけはダメだと何度諭されようとも。

 

先生を救う。その一つの優先事項に勝る物なんて何も無い。

 

心からそう言い切れるハルナの覚悟。

それはまさしく、一途すぎる愛の形だった。

 

「そして、目が覚めた、先の、世界では……。未来、永劫……、今度こ、そ……絶対、絶対、絶対に……ッ!」

 

両手で武器を構え、先生に銃口を向けた彼女は最期だとばかりに言葉を添える。

その意思はどこまでも儚くて、どこまでも強くて。

 

果てしなく、

果てしなく、

果てしなく。

 

黒舘ハルナらしい、辞世の句だった。

 

「私が先生を……守ってみせ、ます、わ……!」

 

ゴッッッパァァアアンッッッ!!! と、彼女の決死の力が込められた一撃が解き放たれる。

 

先生を苦しみから解放させる為の銃弾は、赤い空を切り裂く勢いで先生の身体に勢い良く吸い込まれ。

 

ドチュッッ!! と、その直後、弾丸がハルナの横腹を肉ごと抉り取った。

 

「え…………」

 

声を上げたのは、ユウカ、ハルナのどちらだっただろうか。

何が起きたのか理解出来なかったのは、どちらだっただろうか。

 

しかしその考察は、もう考える必要が無い物だった。

 

先生を殺す為に放たれた一撃。

それがハルナに命中した事実。

 

その意味を、何よりもまずハルナが理解した。

 

ガシャンと音を立てて彼女は手に持つ銃を手放し、彼女の口から血が溢れ始める。

横腹から、見ていられない程の血が音を立てて流れ始める。

 

「あぁ……本当に……ほんとう、に…………」

 

武器を握り続ける握力を瞬く間に失ったハルナは、最期にニコリと彼に向かって笑いながら、その身を前に倒れさせ。

 

「ズル、イ…………かた、です……わ………………」

 

その言葉を最後に、ビチャッと、己の血で溢れた地面に彼女は前から倒れる。

満足気に力尽きた彼女はもう、二度と動く事は無い。

 

黒舘ハルナは、この瞬間を以てその生涯を閉じた。

 

「ハルナ……さ…………んぐっっ! ぐっっあっっああぁあっっっっ!!」

 

刹那、様々な感情がユウカを襲う。

見ているだけだった。

見ているだけしか出来なかった。

彼女達の死を。

彼女達の生き様を。

 

誰にも気づかれる事無く、

誰も助けられる事無く。

一人でずっと。

一人でずっと。

 

気付けば、誰ももう立っていない。

自分が見届けた少女達の他にも、色々な少女が、あちらこちらで倒れている。

 

メイド服に身を包んでいるミレニアムの精鋭達。

ゲヘナで出会った便利屋と名乗っていた四人組。

サンクトゥムタワー奪還作戦を共にした少女達。

 

その他にも、その他にも、その他にも。

 

ありとあらゆる少女の身体が、その一部が、そこかしこに転がっている。

 

「うぁああああああぁぁあああああああああああああああッッ!!!」

 

悲鳴を上げる。

嗚咽を漏らす。

涙を流し続ける。

絶望に打ちひしがられる。

ただひたすらに罪悪感に襲われる。

何も干渉できない自分が嫌で、無力さしか覚えることが出来ない。

 

「たす……け……て……」

 

誰にも存在を認識されない大地で、彼女は一人助けを求める。

ユウカと先生の二人しかもう残っていない大地で、ユウカは先生に助けを求める。

 

決して届かない願い。

絶対に交わる事の無い世界。

 

それの意味する事はただ一つだった。

 

ズアッッッッ!! と、その始まりを告げる様に、先生から黒い翼が消え失せ、白く輝く翼が大きく天に向けられ初めた。

直後、彼の頭からヘイローらしき白い輪っかが浮かぶ。

 

何十メートルも高く天に伸びる翼に、先生の姿に思わずユウカは目を奪われた。

そんな状況でない事は分かっている。

分かっているのに。

ユウカはその翼、その姿から、途轍もない神々しさを覚えた。

 

しかし、その表情は途端に一変する事になる。

 

空へと向けられた白い翼。

その先端が、一斉に真下へ向けられ始めた事によって。

刺し貫こうとするかの如く、真下へ向けられ始めた事によって。

 

「ま……まさ……か……」

 

瞬間、ユウカの脳裏に最悪の未来が過る。

即座に彼女は違う可能性を探ろうとするも、彼女の優秀な頭脳はそれを許してくれない。

 

気付く。

気付かされる。

 

あの翼が天に伸びた理由も。

その先端が真下に向けられた理由も。

 

「やめて!! やめて先生!! 先生まで行かないで!! 私を置いて行かないで!!!!」

 

ダッッ!! と、ユウカは我を忘れて彼の方に走り始めた。

その間にも、パキパキとした音が空から響く。

 

ああ。

ああ。

 

もう、間違えようの無い問題だった。

どれだけ頭を捻って曲解しても、答えはもう出終わっていた問題だった。

 

あの白い翼の標的は先生。

先生は、自分の翼で自分を貫こうとしている。

 

その時間が刻一刻と迫っていくのを肌で感じながら彼女は先生の目先に到着すると必死に懇願を始めた。

 

置いて行かないで。

私を一人にしないで。

 

お願いだから先生まで死なないで。

 

しかし。

しかし。

 

「やめてっっ!! やめてっっっ!! お願いっっ! お願い先生ッッ!!」

 

彼女はこの世界に干渉出来ない。

早瀬ユウカは一方通行に接触できない。

 

それがこの世界に放り出された早瀬ユウカに課せられたルールで。

壊すことの出来ない幻想だった。

 

ユウカにこのルールは殺せない。

彼女にその力は宿っていない。

だから彼女は、どこまで行っても見届けることしか出来なかった。

 

光の翼が、落ちる。

その直前、ユウカは直視する。

 

ボロボロに顔を歪め、助けを求める子どものような目をしている先生の顔を直視する。

 

「        」

 

刹那、彼の口から何かが呟かれる。

その事に対しユウカが目を見開いた直後。

 

空から降り注ぐ光の奔流が、容赦なく二人を包み込んだ。

 

「イヤァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 

刹那、彼の身体が翼によって跡形も無く溶けていくのをユウカは間近で目撃した。

己のみ耳すら破壊してしまうような絶叫は。むしろ壊したいとすら願ったほどの絶叫は。

 

バチンと言う音と共に彼女を現実の世界に引き戻し始める。

世界の観測に勤めていた彼女の身体も、終わりを迎えたように消滅を始める。

光と共に、

先生と共に、

 

彼女の身体が、現実に帰っていく。

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

絶え間ない銃声が廊下に響き続ける。

残酷さをありありと物語る射撃音が続いた時間は十数秒。

 

いつまで続くのかと思った地獄は、ある瞬間を境に終わりを迎えた。

 

「……弾切れですか。神秘を宿さない私では、追い詰めると言ってもこの程度が関の山のようです」

 

カチカチと引き鉄を引く音だけが虚しく廊下に落ちる。

一秒前までとは打って変わって静けさを取り戻した世界はしかし、

 

「ぐッッ!! うぁ……ッッ! はっっはッッッ!!」

 

その全ての弾丸を腹部に受けたユウカにとっては至極どうでも良い事だった。

否、銃弾を受け続けた事それ自体がユウカにとっては至極どうでも良い事だった。

 

「ゲホ……ゲホ……ッ! ぁ……ぁ……ッ!」

 

帰って来た。

校舎の廊下。撃たれていた状況。目の前にいる黒服。

 

全ての情報があの世界に行く前と同じである事から、即座にユウカはルールから切り離された存在ではなくなった事を把握する。

 

「ん……ぐッッ……!!」

 

痛む腹部を抑えながら、ユウカは黒服の動向を見やる。

彼は、先程の戦闘の最中に落した銃を拾っている最中だった。

 

今なら身体を起こせると、ユウカは壁に手を付きながらもこのまま転がされている訳にはいかないと起き上がる。

 

その最中、ユウカは先程の世界の様子がありありと頭に思い浮かぶも、今は邪魔だと切り捨てる。

 

先程の世界の事はとりあえずこの瞬間だけは後回し。

今は目の前の事態の解決に集中する。

 

そうして冷静になってみると、不可解な点がいくつかある事にユウカは気付く。

 

おかしい。

この男の動向は、何かがおかしい。

 

この男の目的は『(しん)』である事は明らか。

なのに黒服はユウカに固執しているような雰囲気を醸し出していた。

 

それがユウカには不可解でならない。

尋問、拷問には必ず対象者の意識が必要となる。

そして詰問の条件として、基本的に殺してはいけないが必ず不随する。

 

殺されると分かったが最後、どちらにせよ殺されるなら最期まで黙り続け、相手に情報を与えない覚悟を持つ存在は少なくない。

 

生かさず、されど殺さず、このまま続けられたらいずれ殺されるかもしれないが、今ここで情報を吐露すれば助かる。その絶妙なバランスを維持し続けなければ拷問は成立しない。

 

だがこの男の行動は今すぐ自分を殺そうとしているようにしかユウカは思えなかった。

自分を殺す事。これが目的なのかと勘繰る。

 

しかしそれも間違いであるように思えた。

もし仮に殺害を目的としているならば何故回りくどい方法をとっているのかが今度は疑問となる。

 

ヘイロー殺しの弾丸と言うのがもし本当に存在しているのなら、わざわざ姿を現す必要も無い。

それを用いて狙撃すれば良いだけの話。

何故そうしなかったのかを彼女は瞬時に整理し始める。

 

(しん)』の在処を聞き出したいから。

ならば何故最初の質問以降聞き出そうとしない。

 

男の行動は、一件筋が通っているように見えてチグハグ。

何か裏があると、語っているような物だった。

 

「知ってますか? 弾丸を受けても痛いで済むあなた達ですが、それを痛いで済まない箇所に当てたらどうなるか」

 

自身の銃を拾った黒服が、ヘイロー殺しと彼が言った弾丸が装填されている銃を改めて握った黒服が淡々とそう告げながら銃口をユウカの瞳に向けた。

 

「早瀬ユウカ。あなたはここで永久に戦線離脱です。目が見えなくなってはもう二度と戦う事は出来ない。二度と」

「ッッ!?」

 

その言葉に、ユウカは一瞬息を詰まらせた。

それは恐怖からでは無かった。

 

点と点が繋がって一つの線に変わる。

その瞬間を、彼女は今体感したからだった。

 

思い出す。

 

(しん)』は楽園への道の途中で朽ちると言った。

それは逆に言ってしまえば、自分はその段階までは何が起きても無事である事を意味している。

 

それろこの男はここで自分を終わらそうとしている。

永久離脱と言う言葉を用いて、事態をひっくり返そうとしている。

 

その真意は、少し考えれば分かる事だった。

 

「分かったわ……あなたの目的」

 

右目に銃の照準が合っているのを確認しながら、ユウカは静かに口を開く。

 

「未来を変えたいのね」

「ッ!?」

 

ユウカの言葉に、今度は黒服が分かりやすく動揺した。

やっぱり。と、その反応から自分が立てた推測が間違っていない事を彼女は知る。

 

先程ユウカが体験した世界。

あれは、未来の映像なのだ。

未来で何が起きるのかを、ユウカに投げ渡した映像なのだ。

 

つまり、誰かが彼女に投げかけたのだ。

問題を、問いかけてきたのだ。

 

どうにかしてこれを回避してみせろと。

 

(しん)が欲しいのも勿論あるんでしょうけど、それにしてはやり方が力業過ぎる。普通ならもっとスマートにやるわよ。力業をやるにしてもミレニアムのカメラを全てハッキングして直接場所を把握したりとかの方針にする。普通ならね」

 

なのにそれをしなかった。

敢えてこの男は自分に接触を試みた。

 

一度疑問に思えば、無駄があり過ぎる事に気付けば。

この男の目的が、早瀬ユウカその物である事に気付くのはそう難しい話では無い。

 

そしてその早瀬ユウカに固執する理由。

何故固執するのかと言う理由を一度考えれば、それはもう『(しん)』が示した予言の差す未来。

先程まで立ちあっていた、滅びの未来に関係する事なのは確定となる。

 

「確かに目を失ったら流石に戦えない。でもそれをする利点があなたにあるとも思えない。なのにそれを決行しようとする。何故なのか。少し考えたら答えは出る。知ってる人なら答えを出せる」

 

つまり。

つまり。

 

この男も知っている。

どういう経緯かは知らないが、キヴォトスの空が真っ赤に染まり、先生が暴走する未来を知っている。

彼は、それを止める為にやって来た。

 

なるほど。と、ユウカはようやく筋が通り始めた話に納得を覚えた。

加えて、ここで大人しく目を撃ち抜かれれば最悪の未来は回避出来るのかもしれないと予想する。

 

自分の犠牲で先生を助ける事が出来るのかもしれない。

 

けれど、

けれど。

 

「残念だけど、私は先生の重荷になりたくない。だからその案は受け入れられない」

 

キッパリと、彼女は拒絶の意を表した。

仮に目を撃たれた場合、先生は責任を取ってユウカと一緒にいる事が多くなるだろう。

 

誰よりも彼女を優先し始めるだろう。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

脳裏に過るのは、文字通り決死の覚悟で命を張った五人の少女達。

彼女達の想いを知って、覚悟を知って、のうのうと一人先生の寵愛を甘んじて受ける。

 

そんなのはユウカの側から願い下げだった。

もしそうなるなら、彼女は先生争奪戦レースから脱落する道を選ぶ。

喜びなさいあなた達。ライバルが一人消えるわよ。大声でそう語る未来が見える。

 

でもそんなのはイヤ。

そんな未来はまっぴらごめん。

 

だから。

だから。

 

「私は、私の手で未来を変えてみせる! 先生を助けてみせる!」

 

ユウカも、彼女達と同様に覚悟を見せる。

自分の人生を掛けて、黒服に啖呵を切る。

 

「あなたのやり方には賛同しない! (しん)は、プロトダイアグラムは絶対に渡さない!!」

 

なりふり構わぬ世界の改変には一切協力しないとユウカは豪語し、ズイ……と、一歩彼女は前に出る。

命知らずにも程がある行動だが、今のユウカにとってはほんの些細な事でしかない。

目を付け狙う黒服の銃に怯えないという行動は、現在キヴォトスにおいて出題されているどんな問題よりも簡単だった。

 

「あの世界で見た通りの結末になんかさせない! あの通りに進ませてなんかやらない!」

 

世界の残酷さを知った。

失敗した時の悲惨さを痛感した。

だから何だと言うんだ。

 

そんな物、全て守り切ってしまえば良いだけの話じゃないか。

 

「どんなに先生が強くても関係無い! 手の届かない人であろうとも関係無い!」

 

彼の強さを知った。

秘めている力の巨大さに一度は打ちひしがれた。

だから何だと言うんだ。

 

どうにもならない程に強いのなら、どうにかなるまで彼の強さに追い付けば良いだけの話じゃないか。

 

()()が先生を助けるッ!! あなたとは違う可能性を私達は進む!!」

 

あの世界で、誰もが死を前にした未来で、彼女達はそれでも先生を守ろうとした。

 

己の死を悟らせないようにした狐坂ワカモ。

その身を犠牲に彼に手を伸ばし続けた空崎ヒナ。

殺されていないと言い張る為に命を張った才羽ミドリ。

彼の苦しさを終わらせる為に心中を図った黒舘ハルナ。

そして、彼の全てを受け入れた銀髪の少女。

彼女がきっと、砂狼シロコ。

 

五人全員、(しん)に予言された少女達。

 

きっとこれは、運命と呼んで差し支えない物だった。

ならば自分がやるべきことはたった一つ。

 

自分も、彼女達の進む道に乗っかる。

彼女達と共に、先生の為に命を懸ける。

 

何故かと聞かれたらユウカは胸を張ってこう答えるだろう。

 

先生にどうしようもなく惚れた。それ以外にどんな理由があるのよ。と。

 

「守りきって見せるわよッ!! どんな奴からも! どんな敵からも!!! 悲しみも怒りも全部因数分解して見せる! そして最後に残った数式! それがッ! それがッッッ!! 皆が選んだ道に待っていた答えよッッ!!!」

 

彼女達と力を合わせて先生を守る。

それが、彼女が選んだ先生を助ける為の道で。

 

絶対的な愛と幸せで締めくくる物語(ラブコメディ)だった。

 

「お話はそれで終わりでしょうか」

 

グイッッ!! と、銃口が目に当たる寸前まで突きつけられる。

対しユウカは、口角を上げて不敵な笑みを浮かべて。

 

「先生のダメな所を挙げる話を始めるなら、百は超えるぐらいあるけど?」

 

自信満々に、そう告げた。

 

「それはまたの機会にしましょう、ではさよならです。早瀬ユウカ」

 

パンッッ!! と、終わりを告げるような銃声がユウカの耳を叩いた。

 

発砲音が虚しく響き、放たれた弾丸は容赦なく着弾地点へと吸い込まれ、皮膚を食い破り突き刺さった弾丸が血を容赦なく噴き出させる。

ボトボトと止まる事を知らない血がユウカの目元を汚し、床に広がっていくと同時、おぞましい程の激痛が走り否応なく叫ばせていく。

 

「ぐ、ぐッッッッッ!?」

 

但し、激痛に声を荒げたのはユウカではなく黒服の方だった。

 

放たれた弾丸は男の手首に深々と突き刺さっていた。

黒服の右手が着弾と同時大きく右方向に弾かれ、カラッッ!! と、構えていた銃が黒服の手元から零れ落ちる。

 

何が起きたのか、ユウカは分からなかった。

発砲される直前に首を大きく真横に曲げ、弾丸の軌道から外れようと全力を出していたが故に瞬間的に何が起きたのか把握できていなかった。

 

「百個もダメな所があるたァ随分な言い種だなァオイ」

 

だから、その声が聞こえ始めたのはユウカにとってあまりに予想外にも程があった。

 

「つゥかよォ。生塩に呼ばれて慌てて来て見りゃどォ言う状況だ、こいつァ……!」

 

カツ……、と、聞き覚えのある音が廊下に響いた。

何度も何度も聴いた声が、ユウカの心を途端に満たし始めた。

ずっと、ずっと聴きたかった声だった。

 

「最初は小汚ェハエを追い払うつもりだったが色々と聞きてェ事が出来ちまったなァ。ンだァ? そのプロトダイアグラムってのは。胸糞が悪くなる単語に近い物を喋ってンじゃねェよ」

 

カツンッ! と、杖を大きく響かせながら彼は気絶しているノアの前に立つと、左手に持つ拳銃を改めて黒服の方に構える。

 

それを見て、ああと、ユウカはうなる。

間違いなくそんな状況じゃないのに、心が勝手に高揚を始める。

 

現れるタイミング、ノアを守りながら前に立つ所作。

その一つ一つで私をときめかせてしまうのは、ズルイと正直にユウカは思う。

戦闘中なんですから私をたぶらかすような事はしないで下さい。

 

「全部話せ、知ってる事を洗いざらいだ」

 

先生のダメな所リストに、また一つ新たな項目が加わった瞬間だった。

 

 

 

 

 







多分ヒロインズにとってはこの話が一番残酷だと思います。
これがピークだと思うんですよね、正直。

だってまあ、酷い事になってますから。更新されちゃダメな奴ですから。

皆さんは誰の生き様が好きですか?
私はこの中だとミドリがお気に入りですね。健気って素敵。

さて、この話をもっていよいよ本格的に話が本題に入って行きます。
ここからが『とある箱庭の一方通行』となります。

この物語が何を目的としているのか大体掴めてきたようなそうでないようなと言う所を残しつつ、次回から一方通行がようやく個人戦闘を始めそうな感じになりました。

長い。長いよ。四十万文字使って一度もタイマンしてない主人公ってなんだ!?
仮面ライダーは三十分で二回戦うというのに!!

でも仕方ないんだ、だって生徒が相手だと一方さんが戦う理由が無いからさ……。

このお話を読むと、このシリーズで一番ヒロインするのがユウカなんだなと思ったりする人もいるでしょうが、作品的にも私的にもなるべく六人全員同列に扱っていきたいなと言う所存。ちなみにメインヒロイン級の扱いをする予定の生徒はもう一人いるんですが……まだ隠しという事で。隠しなのでこのお話にも出てきていません。


パヴァーヌ編は次回から佳境に入って行きます。
もうパヴァーヌじゃなくねという意見は……その通りかもしれません。

でもパヴァーヌですから、アリスもいるし、モモイもいるし。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。