とある箱庭の一方通行   作:スプライター

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一章 それは紛れもなく憩いの一時  meeting_girls
早瀬ユウカ


早瀬ユウカの朝は早い。

否、早い時もある。と言った方が正しい。

さらに言えば、朝早く活動するようになったのはここ二週間程前からの話になる。

 

そのきっかけとなったのは、連邦生徒会が新たに立ち上げた連邦捜査部(シャーレ)という部活に顔を出すようになった事。

連邦捜査部(シャーレ)に行く日だけ、ユウカはいつもよりちょっとだけ早起きし、身支度に時間をかける。

 

ただし部活と言っても、形式上そう呼ばれているだけであり、その実態は部活動の一言で済ませて良い程生易しい物ではない。

 

連邦組織と言う名目の基キヴォトスに存在する全ての生徒を学校、所属に関係なく、さらには制限なく加入させることが出来る権限を保有し、各学園の自治区内においても制約無しに自由に出入りが出来、果ては戦闘行為すら可能な超法規的機関。それが連邦捜査部(シャーレ)という部活動の正体。

 

一方で連邦捜査部(シャーレ)は自ら目的という目的を保持することはなく、その行動理由、理念は全て部活顧問であるただ一人の『先生』と呼ばれる人物により決定される。

 

つまり、連邦捜査部(シャーレ)は先生の意向次第でどこにでも首を突っ込み、介入し、事態の解決に努めることが可能なキヴォトス内において唯一無二の第三勢力と言っても良い存在として、そして異例中の異例な存在として、現在キヴォトス内にて様々な意味で注目を集めていた。

 

その連邦捜査部(シャーレ)があるオフィスの扉、の横にある大きな窓。

 

ユウカは窓に映る自分の姿を見て、どこかおかしい所はないか身だしなみの最終チェックを行う。

 

(髪型は……、崩れてない。制服の汚れも……ないわね。うん! 今日も完璧っ!)

 

準備万端であることを確かめたユウカは最後に一度大きく深呼吸をし、少し意気込んだ声でよしと自分を鼓舞した後、扉の取っ手に手を掛ける。

 

引っ張る様にして開けた扉に踏み入れ、ユウカはコッ、コッ、と、靴音を鳴らして自分が来たという存在感を僅かにチラつかせつつオフィスに入室し。

 

「先生、おはようございます!」

 

と、開口一番元気な声を先生に浴びせた。

 

しかし。

 

「………………、やっぱり今日もまだお休み中ですか」

 

彼女が発した挨拶に返事が返ってこない事に、困惑するよりもどこか呆れにも似た感情を抱きながらユウカは先生の今を予測していた。

 

はぁと息を吐きながら、ユウカは先生が未だ夢の中で微睡んでいるであろうことを理解している上で、足音を意識的に大きく鳴らしつつオフィスの中へと進入していく。

 

どうせソファで寝ているんでしょと過去の経験から学んだユウカは先生を起こそうと一直線に向かう途中。

 

「あ。またコーヒーがそこら中に……。銘柄もまた変わってるし」

 

デスクの上とソファーテーブルの上に乱雑に放り投げられた大量のコーヒーの空き缶を見つけ、その動きを停止させた。

 

どうしよう。と、ユウカは一瞬悩む姿勢を見せる。

 

先生が飲んだ物なのだからこのまま放って先生に掃除させるのか、それとも見つけてしまった以上自分がこれを綺麗にするのか。

 

と、一度考える仕草をしてしまったものの、室内で無秩序に捨てられているゴミを見て放置出来る性格ではないユウカは、先生はこれだから私がいないと等とブツクサ言うことで気を紛らわせつつ、あるいは何かの幸福感を得つつ、さっきとは打って変わって物音をあまり立てない様に注意しながらオフィス内の掃除を始めた。

 

静かに台所からお盆を持ち出し、オフィス内の備品置き場から大きなゴミ袋を一つそっと取り出すと、持ってきたお盆に空き缶をいくつか乗せ、台所で空き缶の中を水洗いすると、それらを一つ一つ雑多にゴミ袋の中に放り込んでいく。

 

その作業を何回か繰り返して全ての缶コーヒーを袋に入れ終えたユウカは、袋の口を締めるとそのままオフィスの外にある、ビル内の空き缶置き場へと袋を持って行く。

そこは最近になって設営された先生専用のゴミ置き場。

あまりにも缶コーヒーのゴミ排出量が多い為、数々の生徒の要望によって設置されたソレは、そこに置いておくだけで既定の日になると清掃ロボットが勝手に持って行ってくれる為大変重宝されている。

 

そうした一連の流れを終え、改めてオフィス内へと戻ったユウカは今度こそ早足で先生が寝ているソファーに辿り着くと、起きて下さい先生と彼を起こそうと声を掛ける寸前、

 

穏やかな顔つきで惰眠を享受している姿を見て、一瞬動きを止めた。

 

ぐっっ、と、唸るような声が思わず飛び出し、全身が強張る感覚が走る。

それは今すぐ先生を起こさなければならないという使命感と、もう少しこの寝顔を眺めて居たいという邪な精神がぶつかり合っている事に起因する。

 

(普段は怖そうな顔をしてるのに、寝てる時は本当綺麗な顔してるのよね、先生)

 

やや蕩けた瞳で先生の寝顔を見つめながらそんなことをユウカは思う。

どうやら、先程の脳内対決で勝利を収めたのは後者の方だったらしい。

 

また、怖い顔をしていると言っても実際に接してみると先生が怖いと感じる事はあまり無く、むしろお願いをするとイヤイヤな態度を一度は取りながらも最終的には折れて聞いてくれる方なので親しみは持ちやすい人であることをユウカは知っている。

 

尤も、第一印象は相変わらず怖い人であると思われがちなのを否定することは出来ないが。

付け加えると、捜査部としての仕事を請け負っている様子を見たこともないが。

 

(て言うか、先生先生って私も皆も言ってるけど、冷静に先生の顔を眺めたら歳はあんまり私達と離れてなさそうなのよね。同い年か……一年だけ上ぐらい)

 

もしかしたら自分達と同じ学生なのではないかとユウカは勘繰ってしまう。

仮にそれが本当だとしたら彼はまだ学校に通わなければいけない身であり、キヴォトスで先生をする立場ではない筈なのだが、先生として招かれている以上それを疑うべきではない。

 

それを踏まえてもキヴォトス全員の先生をこの若さで務めているのは、ユウカから見てもいささか凄過ぎると言わざるを得ないのだが。

 

さて、とユウカは改めて考える。

時計の針は九時を回っている。先生は普段から遅くまで作業をしたり仕事をするタイプではないので、睡眠はたっぷりともう取れているだろう。起きてこないのはあくまでそういう人だから。で終わらせることが可能であり、その証拠を推察するには十分な材料が揃い過ぎている。

 

ユウカの性格的にも規定時間に起きず、惰眠を貪り続ける姿は見過ごせない。

僅かな本音を見せてしまうならば、このままこうしていても先生との時間が少なくなるだけなのでイヤだ。

 

勿論ここには仕事として来ており、私用ではないので過ごす時間とかそう言った物が重要ではないことは彼女自身重々承知だが、そうだとしてもやはり少しは『そう言う時間』があっても良いと思う気持ちはある。

 

そして先生が起きるのが遅くなればなる程、削られて行くのはユウカが一番欲している『そういう時間』なので、それはユウカとして最も望ましくない。

 

なので、先生の寝顔を十分堪能し、ほんの少しだけ幸せ気分を味わったユウカは。

 

「せ〜ん〜〜せ〜〜〜い〜!! そろそろ起きて下さらないとダメです! もう仕事の時間は過ぎてるんですから!!」

 

先程まで人知れず見せていた緩んだ顔を引き締め、まるで今ここに到着しましたよという雰囲気を纏わせてから先生の肩を掴んで揺らし、夢の世界からの覚醒を促し始めた。

 

「………………ァ? …………チッ。また、明日、来、……い……」

 

ユウカの必死な呼びかけは先生を起こす事に成功こそするものの、その肝心の先生はユウカが起こしに来ていると見るや、すぐさま二度寝の体勢へと突入する。

 

「明日の担当は私じゃないからイヤですそして言いながら寝ようとしないで下さい往生際が悪いですよ」

 

対してユウカは一瞬でも起きたこの瞬間を逃がすまいと、再び意識を夢の中へと逃がそうとする先生の肩をガシッと掴み、そうはさせませんと必死に揺する。

 

もう、本当に朝が弱すぎです先生と愚痴りながらも、その顔に嫌気が差している様子はない。

一方で先生は先生で意地でも寝ようとユウカの妨害を無視し続けようと努力を続ける。

 

そんなやり取りを二度程続けるのが、ユウカと先生の朝の日常だった。

ちなみに、勝つのは毎回ユウカである。

 

 

──────────────────

 

「そう言えば先生、またコーヒーの銘柄変えましたね」

 

時刻は午前の終わりが見えてくる頃、あの後どうにか先生を起こす事に成功したユウカは、連邦捜査部(シャーレ)に届いている多数の書類を先生と一緒に処理していくのだが、先生の仕事は早い。

 

二人でかかってやっと一日で終わるであろう仕事量を午前中で自分の分を終わらせ、現在はユウカの分を手伝い、それも半分以上終わらせてしまっている。

 

連邦捜査部(シャーレ)の付近に温泉の気配がするから周辺を掘らせろ? なンなンですかァこの要請書はァ!? ンなもン当然却下だクソ野郎』

 

『ゲヘナ風紀委員の排除への支援だァ!? 下らねェ事で俺に頼ンな自分で何とかしてみろォ。却下だ』

 

『ミレニアムに資金援助だと? 早瀬、これお前が出しただろ。考える余地もなく却下だ』

 

尤も、その殆どを無言で、あるいは一言添えて一蹴しているだけな気がするのは気のせいではないだろう。

 

先生の暴れっぷりと、却下されて当然の要望書の群れ、ついでに濡れ衣を着せられたことに対し僅かに彼女が私じゃないですと反論し、時間が多少潰されたり等をしながらユウカは仕事の殆どを終えたこと、もうすぐお昼だからということでちょっと早めに休憩を取り始め、先生に朝のゴミ掃除で思っていたことを口にした。

 

「あ? 良いだろォが別に。俺の好みなンだからよォ」

 

「ソラちゃんが困ってましたよ? この前大量に仕入れた在庫がぁあああっっ!! って」

 

「そりゃご愁傷様だなァ。他の奴等が買うのを待ってろって伝えとけ」

 

軽く笑いながら先生は言うが、ユウカとしてはそれはあまりにご無体だと、連邦捜査部(シャーレ)内部にあるコンビニを一人で切り盛りしているソラに同情を禁じ得ない。

 

彼が人一倍コーヒー愛好家なのは良い。

それでオフィスをコーヒー缶だらけにするのもまあ譲歩しよう。

 

しかし、その極端な飲み方は流石にどうかと思ってしまう。

 

「もう、笑い事じゃないです。そのずっと同じ銘柄をしばらく飲み続けて、ある日突然パタッと飽きるクセどうにかならないんですか?」

 

自分の気に入った銘柄の缶コーヒーを延々と買い続けて、かと思えば突然その銘柄を飲まなくなり、違うコーヒーに手を伸ばす。

 

新たに選ばれたその違うコーヒーもまた然り。一週間程度の気に入られだ。

 

別に気に入ったコーヒーだけを一定期間買い続けるというのは普通なら特段咎められる物ではない。

ないのだが、ここ連邦捜査部(シャーレ)においては話が別だった。

 

そう、現在連邦捜査部(シャーレ)に顔を出す生徒の中に、コーヒーを好んで飲む少女がいないのだ。

従ってコーヒーエリアは今、半ば先生専用の場所と化している。

 

そんな状態で、この銘柄を沢山飲んでくれているからと大量に仕入れた商品が、ある日から突然見向きもされなくなり、あまつさえ違う種類のコーヒーに手を伸ばされれば叫びたくなる気持ちも分かる。

 

ちなみに先生の所業をこうして咎めているユウカであるが、彼女の鞄には先生が飲んでいたのと同じ缶コーヒーがしっかり一本入っている。

先生が好んでいる味を知りたいのか、はたまたソラへの同情か定かではないが、今まで積極的に飲もうと思っていなかった物を購入している辺りが、先生への信頼度を如実に表しているように見えた。

 

「ならねェなァ。人生ってのはままならねェもンだなァオイ」

 

「言ってることが分かりませんがコーヒーと人生は先生にとって等価値だということだけは理解しました」

 

水掛け論が展開され始め、これはもう説得は無理だなとユウカは諦めモードに突入する。

 

が、先生に小言を言う流れであることは変わらなかった。

この際だ、不満に思ってることをもう少し言ってしまおうと、ユウカはやや前のめりになりながらやや食い気味に。

 

「もっと言うと」

 

「まだあンのか」

 

「あります。先生はもうちょっと野菜も摂取するべきです」

 

なんですかこのレシート。と、ユウカは机の隅に置いてあった一枚のファイルとそこに挟まれた多数のレシートを見せつけた。

 

「唐揚げ弁当にとんかつ弁当。その前は生姜焼き弁当に焼肉弁当。先生の昼食、お肉弁当ばかりじゃないですか。これは流石に見過ごせません」

 

ファイルをヒラヒラと上下に踊らせつつ、良いですか。とユウカは人差し指をピンと立てる。

 

「食事に必要なのはバランスです。コーヒー、ひいてはカフェインの取り過ぎも含めて言いますが先生の食生活はあまりに偏り過ぎです。毎日とは言いませんが何日かに一回はサラダも合わせて買いませんか?」

 

「別に食わなくても死ンだりはしねェよ」

 

「健康に悪いですしその連鎖で寿命が短くなります」

 

ユウカの熱弁に先生はそォかよと、やや面倒臭そうに相槌を打つ。

 

しかし彼女の勢いは止まらない。

元々の生真面目かつ心配性な性格が、今回は裏目として発揮されていた。

 

「あと掃除もして下さい。私、先生が掃除してるのを見たことが無いです。先生が飲み捨てた缶コーヒーとかいつも私が片付けてるじゃないですか。私がいなかったらこの部室今頃ゴミ屋敷ですよ? 設立してまだ二週間しか経過してないのに」

 

しかも全部が缶コーヒーだけというゴミ屋敷だ。

想像するだけで最悪すぎる。

そこまで熱弁した所で、全く先生はもう。という態度を取りながら小休憩とばかりに机の隅に置いていたペットボトルの蓋を開け、中に入っているお茶を飲み始める。

 

「なァ」

 

「コク……コク……。なんですか?」

 

「早瀬は俺の通い妻か何かを演じてンのか?」

 

ブッッ! と、その発言にユウカは今まさに飲んでいたお茶を勢いよく机の上に噴き出した。

その拍子に何枚かの書類が濡れ、それを目撃した先生の口から何してンだお前……等と何とも罪深い言葉が飛び出す。

 

「な、なななななにを急にっっ! か、かかか通い妻だなんてそんな! 私は先生が忙しそうだから手伝いに来てるだけで! そのついでで色々しているだけで! そそそそそんな妻みたいな行動をしているつもりはまだ全然なくていやでもそう思われたのがちょっと意外というか悪くない気分というか」

 

先生から突如として放たれたその言葉。

そこにはユウカの度重なる小言に対しての嫌味を多少含ませた反撃以外の意味合いは何も含まれていないのは冷静に考えれば彼女でも分かる物だったのだが、肝心の言われた側のユウカにとってそれは最大級の爆弾以外の何物でもなく、脳内がその一言で完全にパニック状態に陥いるのはある種当たり前のことだった。

 

あわわわわわわわわわ。と、先程までのハキハキと物事を指摘していた姿からは想像も出来ない慌てっぷりを披露する。これ以上の水害を増やさない様ペットボトルの蓋を閉じることが出来ただけでも褒めて然るべきレベルである。

 

こうなってしまっては、最早どうしてそんな言葉がこのタイミングで先生から飛び出して来たのかを冷静に推測する余裕はない。

 

結果として、先生の反撃はユウカの精神的余裕を見事に瓦解させる程の大ダメージを負わせることに成功していた。

 

「前々から思ってたがよォ」

 

一方で、ユウカの慌ただしい内面事情を露程も知らない先生は右拳で頬杖をつきながら心底呆れた表情で物申しを始める。

 

「今までまともだったのがある瞬間を境に異様に早口になる現象は何なンだ。そのせいでいつも後半何言ってるか全く聞こえねェ」

 

それは先生が私をいつも振り回してるせいです。

とはとてもじゃないがユウカには言えなかった。

 

 

──────────────────

 

「へ? 今からミレニアムに行くんですか?」

 

午後一番、残っていた仕事を粗方片付け終わった後、ユウカは先生から今からミレニアムに行くことを告げられた。

 

「あァ。調べた限りではお前の学校はキヴォトスの中でも最先端に科学が進んでる。皮肉だが悪くねェ居心地だ。そこのエンジニア部だったかァ? あそこに頼ンでたもンが届いたのと、もう一つ頼ンでた物の試作品が出来たって報告を貰ったからな」

 

灰色と白の横線が交互に入っているちょっと奇抜と言わざるを得ない私服の上から連邦生徒会の男性用制服を身に纏いつつ、ミレニアムに行く理由を先生は語る。

 

細身であること、肩まで伸びかかっている長髪で、さらに真っ白な髪であることが相乗効果を生み、白尽くしの制服をあまりにも完璧に着こなす先生の姿に一瞬見惚れ、何も考えられなくなるユウカだったが、先生が発した言葉の内容が数秒後に頭に入ってきた瞬間、ユウカはブンブンと素早く頭を二度振った後、ちょっと待ってくださいとその発言に待ったをかけた。

 

「ん? え? あの、今の話を聞く限りでは、先生はこれまでも何回かミレニアムに来てたように聞こえるんですが……」

 

咄嗟に、聞いた内容が間違ってないかの再確認を行う。

聞き間違いであって欲しいな。と思っていたユウカの心は。

 

「既に三回ぐらいは行ってるな」

 

余りにも呆気なく真実によって打ち砕かれることとなった。

 

無情な先生の発言にユウカは二歩、三歩よろけた後、いやこのままじゃダメと。ぐっと堪える様に体勢を持ち直すと、それはいくらなんでも酷過ぎませんかと喰い掛り始める。

 

「ど、どうして声ぐらい掛けてくれないんですか! 探してくれても良いじゃないですか!」

 

ミレニアム内ではそれなりに忙しい身ですけど先生と話す時間ぐらいありますし、無くても無理やり取ります! と、先生の口から放たれた聞き捨てられない初耳情報にユウカはやや感情的になりながら先生に不満を訴える。

 

確かに、確かに最初に出会ったあの日。何かあったらミレニアムに来て下さいとは言ったが、私に会いに来てくださいとは言わなかった。先生の行動に過ちはない。なんならその数日後に自分からこの連邦捜査部(シャーレ)に足を運び始めたので、今更ミレニアムで会う必要がないのも分かる。

 

そこまで自分で分かってて、理解してて尚、でもやっぱり納得いかないとユウカは乙女思考全開の、もしくは少女特有の理不尽さで先生に詰め寄る。

 

だが先生はそれに動じず、むしろお前は何を言っているんだと言わんばかりの視線を向けながら、これまた至極当然の様に答えを返した。

 

「いや探す用事もねェだろ……」

 

「あ、そうだ。ミレニアムに来たんだからついでに早瀬いないかなーみたいなノリでちょっとぐらい探してくれても良いじゃないですか!」

 

「俺がそういうタイプの性格に見えンのか?」

 

「見えませんけど!!」

 

それはそれ。これはこれという奴です。と暴論を展開しながらもまあ良いですと一方的に彼を許したユウカに対し、先生は心底体力を消費した表情でじゃァ何だったンだ今のやり取りとぼやく。

 

「ちなみに何をエンジニア部に頼んでたんですか……と言うかどうしてエンジニア部なんかに……」

 

複数の札束に羽が生えて空へと消えていく様子がありありと脳内で思い浮かび、その光景が容易に現実でも起こり得ることに頭を抱えながらユウカはどうしてよりにもよって頼った先がそこなのかと疑問を投げかけた。

 

「ミレニアムの中でもアイツ等が開発にかけては優秀そォだっただけだ」

 

言いながら、先生は懐から自前の銃を取り出し机の上に置く。

 

「一つ目はコイツだ。俺の新しい銃がいる」

 

「銃、ですか……? でも新しいのと言っても、先の戦いではそれなりに手慣れた扱いをしていたように見受けられましたが……」

 

二週間前の連邦捜査部(シャーレ)奪還作戦の時の戦いが思い起こされる。

彼の片腕は杖をつく関係上、戦闘では基本的に使えない。

 

その制約もあり、先生はどうしても片手のみでの使用を前提とした拳銃を持つことを強制される。

先生はそれをキッチリ使いこなしていた。と、ユウカは先頭に立っていたが故にそこまで詳細に把握出来てこそいない物の、その命中率の高さは目を見張る物があった事を思い出す。

 

基本的に利き手または両手で扱う事が前提とされる銃という武器種を、利き手ではない左手で使いこなしている辺り、彼の練度は相当の域に達している。

しかし、その芸当は決して己の手腕だけでは達成出来る物ではない。人間と武器にも相性がある。

 

先生の武器は、随分と手に馴染ませているのが傍目でも分かる程に使い込まれていた。

それ程の武器を手放して別のに持ち替える必要は、彼女としては無い様に思う。

 

「弾の数がもう心許ねェ。こっちの事情で弾はキヴォトスの『外』にしか無くてなァ。どォにかして取り寄せる事も出来ねェンで代わりになる物を探して貰ってる」

 

「なるほど、そう言う事情が……」

 

頷き、それならば仕方ないのか。と、ユウカは若干の勿体なさを心の奥にしまいながら先生の言い分に納得する。

 

「もう一つは俺の身体のサポートする玩具の試運転だ」

 

コンコンと、先生は杖で足を軽く叩き、

 

「見ての通りコイツは基本頼りにならねェ。この環境になってから特にだ」

 

先日の連邦捜査部(シャーレ)奪還の際に発生した戦闘でそれが良く分かったと、先生はなんでもなさそうに機能不全状態の脚を指して言う。

 

反対にその言葉を聞いた瞬間、ユウカの口は止まった。

流れが、一瞬にして変わってしまったと直感で理解する。

今までの緩い雰囲気が、一気に変わってしまったことを肌が訴えてくる。

 

「……その足は、ケガでもしてるんですか?」

 

「怪我ねェ。……まァ一言で括るなら怪我、だなァ」

 

天井を見上げながらそう喋る先生の目はどこか遠い物を見ていた。

その表情から過去を思い出しているのがユウカには丸分かりで、それ故に次の言葉を彼女は見出せない。

 

先生は何も言い出せないユウカに気付いているかの如く、もう一度足を軽く杖で叩いた後、その現代的デザインの杖を見ながら語り始める。

 

「走ることはもう出来ねェ。歩くのもコレがなきゃままならねェ。確かにやろうと思えば十分回避出来た怪我だった。いや、回避する選択肢はあの時俺の中に常にあった」

 

だが、と先生は一度言葉を区切りながら席を立ち、

 

「回避する道を選ぶ気は微塵も無かった。この不自由を選ンだ事に後悔はねェ。大事なモンを守る為にこの犠牲は必要だった。そのツケが今回って来てるだけだ」

 

とは言え一歩間違えてたらあの場で俺は死ンでたンだから、これだけで済んでるだけまだマシだなと。そう言い終えた後、連邦捜査部(シャーレ)のオフィスから出ようと歩き出し始める。

 

出て行こうとする先生に待ってくださいと言いながらその後を追うユウカの表情は浮かない。

 

一分程度の短い会話の中でユウカは思い知らされた。

自分は、先生のことを何も知らないのだと。

 

先程、頷いている場合じゃなかった。

納得している場合じゃなかったと。己の浅はかさに後悔の念が生まれる。

 

今までの話を聞いて、あの時の先生の戦いぶりを見て、自分は何も違和感を抱かなかった。

いや、思わなかったことが間違いだった。

そのことに、たった今ユウカは気付いた。

 

刹那、先生の背中を見つめるユウカの額から冷たい汗が流れる。

 

先生は銃の扱いに長けている。

そればかりか、あの弾丸飛び交い爆弾が常に投擲される戦場の中心を涼しい顔で歩くどころか、戦局を支配する程の度胸と経験がある。

 

銃の扱いが上手い事と、戦場でそれを発揮出来るかは全く別のスキルだ。

それを弾丸が当たっても死にはしない自分達と違って、一発でも当たれば死という世界でそれを両立させることが出来るのは、並大抵の人物が出来る芸当ではない。

 

果たして、果たしてそれは、普通の生活の中で育まれる経験なのだろうか。

キヴォトスの外でも、ああいった物は日常茶飯事なのだろうか。

 

違う。と、ユウカは即座に否定する。

自分の考えを、自分で否定してしまう。

 

そして気付く。気付かされる。

それが当たり前だと思っていたことが、当たり前ではないという当然を。

 

本来ならば自分達と先生との生活は切り離されてしかるべきなのに。

外から来た先生にとって常識外のことがキヴォトスでは常識である事に混乱がある筈なのに、どうして彼はここまで綺麗に適応出来ているのだろう。

 

否、適応どころの話ではない。

最初からそれが当然かのように、先生は振る舞っていた。

まるで、今までいた世界でもそうだったように。

 

「どォした。お前は行かねェのか?」

 

「え? あ、い、行きます!!」

 

深い深い霧の中を手探りで進んでいるような考えの中、いつのまにか立ち止まっていたらしい自分目掛けて先生が声を掛ける。

 

先生のその一言によってその深い霧が全て吹き飛ばされたような気持ちになる中、ユウカは一度今までの思考を全て振り切り、加えてほんの少しの嬉しさを覚えて先生の後に続く。

 

キヴォトスに来る以前、先生はどんな生活を送ってきたのか。

先生はいつから身体の自由を後天的に失ったのか。

先生の過去を、先生が歩んできた道を、先生が失ったものの大きさを、ユウカは知らない。

 

先生が語った、大切にしている物が何なのかもユウカは知らない。

聞く勇気が、まだ持てない。

 

聞けば何かが、終わってしまう気がするから。

根本から、ガラガラと崩れてしまうような気がするから。

 

でも、それでも。

 

(いつか教えてくれたら、良いな)

 

なんて思うのは、やっぱり自分が先生に抱いてしまった気持ちの表れなんだろうなと。

そんなことを思いながら彼女は先生の隣を歩き、ユウカと先生の平和な一日は続いていく。

 

 

 

 










平和だ……平和過ぎる。

平和な世界にいる一方さんなんか一方さんじゃないと思う方々。安心してください。私も同じこと思いながら書いてます。
でもシリアスの前にはほのぼのが無ければ、コメディが無ければその後の悪魔的地獄が映えないのでね。仕方ないんです。

まあ地獄が始まるのはエデン条約編までほぼないんですけど。

ああああ早くエデン条約編に突入して一方さんをボッコボコにしたいぃいいい!!
能力使えない彼を一方的に殴って撃って蹴って血だまりの海に沈めさせてえ欲を必死に抑えながら日常編を書いています。

主人公は黙ってヒロインの盾になれば良いしヒロインはそんな無茶をする主人公に泣き叫んでいれば良いと思うんですよ。

そんな訳で次回はミレニアムサイエンススクールです。
学園都市であらゆる地獄を味わいつつ生きていた一方通行ですが、結局は学園都市の人間なので科学が発達しているミレニアムサイエンススクールは彼にとってシャーレに続いて居心地が良いのです。割と暇さえあればここに彼はやってきます。

そのせいで割を食ってる学校がいくつかある訳ですが、それはまたおいおいという事で。

ユウカと一方通行はもう少しほのぼのする話にしようと思っていたのに最後シリアスになっちゃった……どうしてだろう……。


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