とある箱庭の一方通行   作:スプライター

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ゲヘナ脱出

 

 

 

 

 

いつからだろうか、彼女、天雨アコは同じ夢を見るようになった。

否、同じ夢。と言うには少し語弊があったかもしれない。

 

彼女が夢の中で見る物はその日その日によって違う物。

しかし、そこにある空間は常に共有されているような感覚があった。

 

例えるならば、ゲヘナの北区にいる夢を見た次の日は、東区にいる夢を見ていると言う方が分かりやすいだろうか。

 

同じ場所では無いが、本質的には同じ場所。

見ている夢の内容は毎日違うのに、そこにはどこか連続性がある。

 

そんな不思議な夢を、アコはある日を境に見るようになっていた。

 

寮で寝ていた筈の彼女は気付けば、どこかの都市部にポツンと一人佇んでいる。

それが夢の始まり。

 

周囲には彼女とほぼ歳を同じくする大勢の人が街中を闊歩し、談笑を交わしている。寒い時期なのだろうか、行き交う人の殆どが防寒着を着用していた。

不思議だったのは、女性と同じぐらいの比率で男性が街を歩いていることと、少女達の頭にはヘイローが浮かんでいないことだった。

 

アコにとって知ってる男性は『先生』ただ一人だけ。

なのにこの夢には多くの男性と呼ぶべき存在が少女達と同じ数だけ存在する。

 

夢だからそう言う世界もあって当然だろう。

そう割り切ろうと当初は思っていたが、こうも連続して見続けていると自然と考えも変わって来る。

 

この世界は何なのだろうと、純粋な興味が湧いて来る。

けれど、アコは自身が見ている夢に干渉することは出来なかった。

 

話しかけても人は反応しない。

移動しようと思ってもある地点を境に景色が動いてくれない。

彼女に出来ることはただ眺めることだけだった。

 

退屈と興味が交互に湧き上がるこの感覚は何なのだろうなと、アコはこの夢を見る度に思う。

 

見ているだけしか出来ない退屈と、見ているだけで得られる娯楽。

何も触れなくても、見ることは出来る。

切り取られた世界しか与えられなくても、その中では自由に動ける。

そこで得られる面白さは、ゲヘナでは得られない物だった。

 

ただし、それでも自分はこの世界からは弾かれている。

何かをしたくても、何も出来ない。

面白いと思う気持ちと同時に、あまりにも退屈だなとアコが思うのも、仕方のないことだった。

 

『そんな訳で巷で流行っとるメイドさんによる耳かきASMRは買いやで? 勉強で疲れた体にはあのほんわかな癒しがたまらんねん!』

『それを買うと本物のメイドはんなことしねえんだよクソ兄貴って顔面ぶん殴られて終わる未来しか見えないんだにゃー……』

 

周囲を歩く人たちの会話は基本的に雑踏に飲まれて聞こえないが、時折こうして強く聞こえることがある。

聞こえる聞こえないに関する原理は不明だが、何か理由はあるのかもしれないと思う物の、今日の聞こえた会話はあまりにもバカらしくてアコから突き止めようとする根気が消えた。

声の主が誰なのか探す気力すら失せた。

 

そうしてアコにとっては貴重ではあるハッキリと言語として聞こえた声もやがて雑踏の中へと消え去り、再び彼女は独りとなる。

 

夢の終わりが訪れるのは、いつも突然。

しかし、その時に起きる出来事は決まって同じ物だった。

 

トン……。と、彼女の身体が何かにぶつかる。

ぶつかる。と言ってもアコの身に特段変化は無い。

この世界に干渉出来ないのは夢の世界側の住人にとっても同じ。

 

よって、体格的には弾く側であるアコの身体は、ぶつかって来た少女を真正面からすり抜けると言う形で回避する。

だから正確には、ぶつかったという表現は正しくないのだ。

適切な表現に言い換えるならば、すれ違う。

夢と夢じゃない世界の住人同士である二人が、たまたま同じ座標にいて、それが偶然交差しただけ。

 

けれどそれが毎回のように起こるのならば、偶然の一言で終わらせるにはあまりにもおこがましすぎる。

しかし、そう断言した所でこの世界における役割は観測者な以上、アコにこれ以上の成果は出せない。

 

だから彼女はいつも結果を見届けることしか出来ない。

少女がぶつかってくるのは、いつも突然。

前触れなく、不意に訪れる。

 

故にアコは事前に衝突に対して反応することが出来ず、いつも慌てて振り返るのだ。

 

けれど、彼女の願いが成就したことは一度も無い。

顔はいつも俯いてて、衝突寸前に少女の存在に気付いても見ることは叶わない。

唯一分かるのは、白いコートを着ていること。

そして、自身の半分程度の体格であるということだけ。

 

(……ッ! 今日の夢が、終わる……!)

 

突然、グイッと彼女の身体がどこかに引っ張られる様な感覚が走る。

物理的に引っ張られているのではなく、精神的に。

夢から覚める合図だと、アコは察していた。

 

(まだです……待って……! もう少しだけ……ッ!)

 

抗えない眠気のような物が全身に広がっていく中、彼女は必死に手を伸ばす。

すれ違った少女に向かって、その手を伸ばす。

 

けれど、その手は届かない。

どんどんと、遠ざかる。

 

意識が現実に引っ張られていく。

夢の世界から、アコの身が切り離されていく。

 

『何処にいるの……』

 

声が、聞こえる。

いつもの、声だ。

少女が発する、悲しい声だ。

 

『あなたは一体、何処にいるの……?』

 

今にも泣きそうな声で、少女はフラフラと危ない足取りで街中へと消えて行く。

アコはその少女に触れることは出来ない。

 

いつも。

ずっと。

 

伸ばしたその手は、少女を掴めずに離れて行く。

 

『会いたいよ……っ』

 

その言葉を最後に、アコは夢から覚める。

現実世界へ、キヴォトスに舞い戻る。

アコは、夢の出来事を覚えていない。

泡沫の如く、消えて行く。

 

思い出すのはいつも、夢の世界に舞い戻ってから。

意地悪な神様は、彼女に答えを教え続けている。

彼女に悪夢を、与え続けている。

 

 

 

 

 

 

──────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

「以前、私があなたに向けて言った内容を覚えてますか? 先生」

 

僅かに肩を上下させる呼吸をしながら冷徹に拳銃を彼の心臓部分に照準を合わせているアコから、初対面の時にどのようなやり取りをしていたか覚えてるかという旨の質問が飛ぶ。

 

一方通行がアコと出会ったのは今より一か月以上前、救援要請でその日の当番であったミドリと共にゲヘナに赴き、カイザーコーポレーションが運営していた塾、『未来塾』を叩き潰したその事件終了直後だ。

 

当時彼女と交わした会話の内容を一字一句とは行かないが、どのようなやり取りをしたかぐらいなら彼の記憶力では造作も無い。

 

「ゲヘナで問題が起きたならまずは風紀委員に連絡しろ。だったかァ?」

「その後、ゲヘナで発生した問題は私達が解決しますとも言った筈です」

 

でも結果はどうでしょう? と、アコはこれ見よがしに周囲を見渡しながら言葉を続ける。

 

「またしてもあなたは話を通さずシャーレの権力を行使した。風紀委員として甚だ遺憾です」

「その下らねェ価値観は捨てろとも俺は言った筈だがな」

「私がしているのはゲヘナの自治を担当する立場として当然の話です、先生からの忠告はちゃんと頭の中に入れてますよ」

 

どうだかな。と、一方通行は彼女の言葉から信憑性を感じられず声に出さず反論する。

声に出した所で、はぐらかされるのが関の山だろう。

そうなるのが分かってしまったからこそ、一方通行は反論することを諦めた。

 

同時に、彼女の様子がおかしいと彼の中に眠る勘が訴える。

その正体が何なのかまでは掴めないが、それでも確実に断言出来ることがある。

 

初めて会った時よりも、彼女が纏う攻撃的意識が強くなっている。

一方通行が嫌いだからと言う理由だけでは、到底説明出来ない程に。

彼女と会うのは二度目なのに、出会っていきなり銃を向けられる謂われは彼の中には無い。

 

ゲヘナに話を通さなかったからと言う理由だけでアコはこちらに銃を向けて来る少女だと言う認識を一方通行は思っていない。

だからこそ、彼の中で、アコの異変について納得出来るだけの説明が付かない。

 

それがどこまでも、不気味さを彼に与えていた。

 

「だったら俺に銃を向ける意味は無ェだろ。俺はオマエの、風紀委員の、そしてゲヘナの敵じゃねェ。現に俺は今オマエに何の敵対行動もしてねェだろォが」

 

アコに銃を突きつけられている今も、一方通行は彼女に武器を向けていない。

それを以て信じろと彼は問いかけるが。

 

「先生視点ではそうかもしれませんね。でも、私達からの視点で先生を見ると、果たして本当にあなたが味方なのかどうか疑わしいのは避けようの無い事実です」

 

やや早口で語るアコの返答は彼の意志を無視していると言っても過言では無い内容だった。

 

何が言いたいのだろうかと強く勘繰る。

彼女が指摘したい内容が何なのか、一方通行は上手く掴めない。

一方通行にゲヘナと敵対するような戦闘を行った記憶は無い。

なのにアコはあたかも一方通行がゲヘナにとって実害のある行為を行ったような主張を彼に突きつけている。

 

彼女の言動は明らかに妄言の域に突入している。

最悪なことに、アコは本気で言っているのも質が悪い。

 

言葉に言葉で返しても意味が無いことを悟った一方通行はどうするのが正解なのか探る最中、彼はグルリと会場に雪崩れ込んできた十数人の風紀委員を見やる。

 

アコの態度に困惑している者。ひたすら倒れているロボットの確保に動いている者、彼女の意見に頷き、共に彼に銃を向けている者など反応は様々だが、改めて周囲を見渡した一方通行はある事実に気付いた。

 

(待て……どォしてここに天雨だけが出張ってきてやがる……?)

 

役職付きの少女達、銀鏡イオリ、火宮チナツ、そして空崎ヒナの三人がいない。

 

火宮はサポートに回る仕事が多いだろうとしていないのは納得出来る。

ヒナがいないのも今朝シャーレにいたからだろうと説明を付けることは出来る。

だがアコが出て来てイオリがいないのはどう考えてもおかしい。

 

実働部隊である彼女がおらず、最も裏方で役柄な筈のアコが現場の最前線にいる。

これは一体どういうことなのだろうか。

とは言え、これを指摘した所で今の彼女には無駄なのだろうと踏んでいる一方通行は敢えて口に出さず、ゆっくりと心の中で整理を始める。

 

「先生はご自分の立場を分かっていないようです」

 

だが、その思考を中断させるようにアコが口を挟んだ。

その言葉に、流石に一方通行も意識を割かざるを得ない。

彼女の声色には、明らかな敵意が混ざっていたからだ。

 

「前も言いましたが、現在ゲヘナは緊張状態にあります。それをむやみやたらに掻き回す先生の存在は私達からすれば障害でしかありません」

「だったらどォするンだ。ここで俺をその銃で黙らせてェってか」

「そんなことをすれば連邦生徒会、そして恐らくはミレニアムと戦争になるでしょう。それは避けなければなりません。本当厄介ですねあなたは、直接的な排除すら許して貰えないとは」

 

しかし打てる手は無いとは限りません。

銃による照準は合わせたままコツ……コツ……と靴を鳴らして横に移動するアコは淡々と言葉を続ける。

 

「単刀直入に言いましょう。風紀委員の顧問としてゲヘナで働きませんか? 先生」

 

シャーレではなく、ゲヘナで。

アコから渡された提案は、どこまでもゲヘナにとってだけ都合が良い物。

 

あまりにも愚問だった。

話にならない程に下らない質問だった。

 

「銃を突きつけながらの交渉は卑怯じゃねェか?」

 

それを口には出さず、状況に対してのみ反論する。

未だに銃はいつでも撃てる状態で彼の額に合わせられている。

これでは提案では無く強制に等しい。

 

無論、この程度の脅しは彼にとって何の意味も無いが、わざわざそれをバラす理由も無い。

 

脅威であると見せかけておくのも、手段の一つだ。

 

「戦争になるから短絡的行動は避けるンじゃなかったのか?」

「応じてくれないならば仕方ありません。外交でどうにかしてみせますよ」

 

その銃を使うのは結果的に悪手だと指摘する一方通行に対して、アコはその答えをはぐらかす。

無理だ。と、経験から一方通行はアコの考えを心の内で一蹴した。

いくら笑顔で取り繕い、最悪の手段に出たとしてもそのリカバリーは可能であることをアコは余裕そうな表情を崩すことなく一方通行にアピールしているが、彼からすれば浅はかであると言わざるを得ない。

 

断言する。

もし仮にここでアコが銃撃を行い、自分が殺害されてしまった場合、ゲヘナは何もかもを失うと。

 

当然、銃撃に対して対策を行っている関係上、そして彼自身が望んでいない以上、そんな結末には絶対に一方通行はさせない。

仮にアコに撃たれ、仮にそのままダメージを負い、仮にそれが取り返しの付かない傷になったとしても、一方通行はゲヘナを庇う為に尽力する。

 

しかしそんな風に考えている一方通行の思考をアコは知らない。

故に、今ここで起きている問題はただ一つ。

 

このまま彼女の交渉に一方通行が応じなかった場合、アコは容赦なく彼を撃つかどうかについてだ。

しかし、この点についても半ば絶望的な答えが一方通行は弾き出してしまっている。

 

直感する。

彼女は本気で、撃つのも辞さない構えでいると。

答えを間違えると、本気でここで彼女と戦闘になると。

 

「俺の存在がそこまで厄介か? オマエにとって俺の何が目障りなンだ」

「そっくりそのままあなたの存在が、です。いつ敵になるかも知れない人を放置しておくのは愚かの極みですよ、先生」

 

アコの指摘は正しい。

シャーレの立ち位置は自主的には動かず、あくまで他学校から要請を受けて一方通行は腰を上げる。

 

つまり、どの学校から要請を受けたかで彼の立ち位置は変わる。

必然的に、旧知の生徒と敵対する日だってやって来るだろう。

 

アコが彼に首輪を付けようとしているのはそういうことだった。

今はまだゲヘナと敵対していないだけ。

けど、いつかどこかで、誰かの依頼によってゲヘナと敵対する日が来るかもしれない。

 

その時、誰が彼と相対するのか。

各学校から粒揃いの戦力を集め、一大組織となったシャーレにゲヘナは対抗できる手段はあるのか。

 

頼みの綱の風紀委員長ですら、シャーレに所属しているというのに。

最悪のケースでは、ゲヘナの最高戦力がゲヘナの一大事に敵として立ちはだかる可能性だってあるのに。

 

一方通行を野放しにするということは、それを容認するということ。

そんな未来は認められない。

 

それが、アコの主張だった。

 

「ハッキリ言って先生はただいるだけで脅威なんです。しかし私達の目が届く範囲にいるのならばあなたの存在を許容出来る。絶対的にゲヘナの敵にならないという保証があるのならば、私達は先生がいることを歓迎します」

 

一方通行は何も言わない。

ただし彼の黙秘は彼女の説明に対して反論が出来ない訳ではない。

ある種の、答えを握ったからだ。

 

疑問だった。

天雨アコと言う少女を一方通行は詳しく知っている訳ではないが、それでも僅かなやり取りだけで感じられる物と言うのは確かに存在する。

かつてゲヘナで邂逅した時の彼女は今と同じように一方通行に喰って掛かり、今と似たニュアンスの言葉を彼に浴びせかけた。

しかしそれはヒナを思っての、さらに言えばゲヘナを思っての物であると当時の一方通行はその気持ちを汲み取り、その上で敢えて釘を刺した。

 

柔軟な思考を持てと。

 

では、今の彼女はどうだろうか。

一方通行に銃を向けて一方的な、彼の事情を一切鑑みず己の理想を語る彼女の姿はどうだろうか。

 

放った言葉に大きな違いは無い。

物理的な脅しが入っているかいないかの違いしか一見感じられない。

だがその銃を彼に向ける動作を行っているという一点から、彼の話を聞き入れなかった、だから敵対も辞さない選択を取ったのかと考える者もいるかもしれない。

 

しかし一方通行は見抜いた。

 

過去の彼女と、今の彼女の違いを。

 

だから。

だから一方通行は。

 

「オマエ、何に追い詰められてやがるンだ」

 

本心を、口に出した。

 

「……は?」

「今日、オマエがここの扉を開けて突入して来た時からずっと疑問だった。不自然に呼吸が荒ェ。瞳孔が僅かに開いてる。おまけにオマエの声から焦りのような物が読み取れると来たもンだ。どォ見ても今のオマエは正常な状態じゃねェだろ」

 

身体の各所から放たれる機微な違いも、かき集めれば大きな違和感へと生まれ変わる。

今のアコからは、かつて宿していた冷静さが感じられない。

 

そう考えれば納得がいく部分がいくつも生まれる。

普段の彼女ならば取らないであろう実力行使寸前な行動も、いつもの彼女ならば嫌っているであろう後先考えて無さそうな言動も、全てまともな判断能力が奪われているからと考えれば納得出来る。

 

「分かって来たな。何でオマエだけが役職付きの中で唯一前線に出動しているのか」

「な、にを勝手なことを……! 正常じゃないのは当たり前でしょう! あなたがこんな場所にいなければ私はいつも通りに仕事を──」

「その前提がそもそも成立たねェって話をしてるンだよ。なァ、何で裏方業務が得意分野のオマエが現場の最前線に立っているのか、自分自身ですら分かってねェだろ」

 

今の彼女はどこかまともな思考をしていない。

何かに追い詰められるように、追い立てられるように歪んだ回路で行動している。

 

「今日の所は仕切り直しにしろ、話し合いの余地が無さすぎる」

 

であるならば、今日の遭遇自体なかったこととして扱うべきだ。

 

「帰ってヒナと相談しろ。あいつはオマエの味方だ」

 

そろそろ彼女もシャーレから帰還している頃合いだろう。

思い悩んでいる原因を、ヒナに打ち明けろと一方通行は進言する。

 

アコを蝕んでいる精神的な何かについて、一歩通行は干渉しないことを決めた。

彼女がそれを望んでいないのは明らかであるし、それ以上に彼女の理解者はゲヘナに大勢いる。

一方通行が無理に首を突っ込む理由はどこにもない。

 

イオリ、チナツ、そしてヒナ。

彼女達にアコのケアは任せた方が無難だと、ここで無理に首を突っ込む必要は無いと彼は判断する。

 

その判断は、どこまでも正しい。

だが。

 

「ヒナ……。ヒナ……、ですか」

 

一方通行が失策を犯した部分があるとするならば、ヒナのことを空崎と呼ばず、いつもの調子でヒナと呼んでしまったことだろう。

それ自体はきっと喜ばしい物。

彼なりの友好の表れであり、信頼の証であり、良い変化だと断じて良い物。

学園都市で過ごしていた頃には出会えなかったタイプの存在。

それがヒナやハルナ等、名前呼びしている少女達。

 

だが、今回ばかりはそれが裏目に出てしまった。

 

自然の調子で、いつもの調子で零してしまったヒナという呼び方に、アコは声を低くし彼を睨みつける。

 

「先生、やはり私は間違ってなんかいませんよ。私の判断は、正しい」

 

雰囲気が、変わる。

空気が、冷える。

彼女が纏う気迫から、迷いが消える。

 

まずい。と、一方通行が彼女の変化を察したその瞬間にはもう。

 

「最初からこうするべきだったんです」

 

交渉なんて、甘い考えを持った私が愚かでした。

そう言い終えた後、一発の銃声音が、無慈悲にもオークション会場に鳴り響いた。

会場全体に響き渡った銃声音と共に放たれた弾丸は、容赦なく確実に狙い定められていた場所へと飛来し。

 

バギンッッッ!! と、一方通行の胸元に狙いを定めていたアコの拳銃を弾き飛ばした。

 

「あ、ぐっっっ!?」

「先生!!」

 

右手に伝わる鈍い痛みにアコが身を屈ませて呻くのと、奥の扉からシロコの声が聞こえたのは同じタイミングだった。

思わず振り向けば、血相を変えているシロコが発砲した形跡が立ち上っている銃を構えている様子と、その横にいる彼女と同じ制服を着込んでいる初めて見る少女の姿が映る。

 

一方通行は即座に理解する。

シロコがアコの銃を撃ち抜いたことと、隣にいる少女、十六夜ノノミの救出に成功したことを。

 

「ノノミ、あそこに転がってるトランク持って付いてこれる?」

「任せて下さい」

 

アコが攻撃された事実から、反撃するべく風紀委員が一斉にシロコとノノミの方に振り向き戦闘準備に入る。

 

だがそれよりももっと早く二人は行動を始めた。

真横に飛び込むように身を低くしながらノノミは転がっている一方通行の荷物が入っているトランクを掻っ攫い、シロコは一直線に彼の方に向かったかと思うと、ヒョイと一方通行の身体をやすやすと抱き上げる。

 

「オマ、何をッッ」

「逃げる」

 

突然身体を持ち上げられると言う慣れてないシチュエーションに遭遇した一方通行は流石に驚きを隠せなかったのか動揺混じりに声を荒げる。

 

シロコはその問いに対する答えを簡潔に述べながらも、その足は既に地上へと続く階段の方へと向かっていた。

もうここに用は無いから、逃げると。

 

「ま、待てッッ!!」

 

一方通行を抱えたシロコと、トランクを担いでシロコの後に続くノノミを静止させるように風紀委員の一人が射撃を開始する。

 

それを皮切りに、一人、また一人と彼女達に攻撃を始める。

だが、今彼女達がするべきことは攻撃することでは無く追うことだった。

 

ヘイローを持つ少女達は銃弾が一発二発当たろうがちょっと痛いで済む程度のダメージしか与えられない。

故に、既に階段に差し掛かり始めたシロコとノノミが受けた被害は大した物ではなく。

 

「あいたたたたっっ! 滅茶苦茶撃たれちゃいましたね」

「気にしないで行こう、先生には当たらなかった。問題無し」

「チッ……確かにこォいう場面じゃ俺はこの形で運ばれる方が良いわなァ」

「ん。先生がいる時に迅速な移動が必要な時は()()担いだ方が早い」

「なンでそこを強調した?」

「あれ? 俺? それに声も……。女の子じゃないんですか?」

「ここに来るために変装したンだよ……全部無駄だったけどな。オマエが十六夜ノノミ、で、合ってンのかァ?」

「はい。ノノミです。よろしくお願いしますね。えっと……助けに来てくれた……で、良いんですよね。ありがとうございます」

 

「当り前のことをしただけだ。それにまだ終わりじゃねェ。下げる頭はまだ取っとけ」

「先生」

「あ?」

「私に抱っこされながら格好良いことを言ってもあまり意味ない」

「心配すンな、自覚はある。ある、が。その上で一言言わせて貰うなら、うるせェ。だな……」

 

軽い雑談を交えながら一方通行、シロコ、ノノミの三人は順調に逃走を進めていた。

その纏っている雰囲気は既に脱出が成功しているようで、緊張感は感じられない。

 

シロコに抱き抱えられている一方通行はチラリと視線を背後に移す。

風紀委員の追手が来る様子は、無かった。

 

間違いなく、シロコが銃を弾いた衝撃によりうずくまったアコが風紀委員へ咄嗟に指示を飛ばせなかったことが影響していると一方通行は踏む。

 

その後も一向に追って来る足音も怒声も聞こえないことから、諦めたのか判断にまごついているのかは定かではないが、少なくとも具体的な行動を行っていないことは明白だった。

 

「このままバイクがある所まで先生を抱いて走る」

「好きにしろ……俺は何も言わねェ」

 

ゲヘナ風紀委員から何も妨害を受けなかった一方通行達はその後、難なく地上一階に辿り着き、施設から完全に脱出するのに成功した。

 

だったが、シロコは未だ彼を降ろさず、このままバイクがある所まで走ることを提言する。

無論、それを否定する理由も無い一方通行は、多少の羞恥としかしまあどの生徒が通りかかろうが自分が先生であるとはバレないだろと楽観的なことを、もっと明確に言えば半ば現実逃避的な思考をしつつされるがままにされていると。

 

「バイクでゲヘナまで来たんですか?」

 

あれ。と、首を傾げながらノノミがちょっと待ってくださいと言いたげな声を出した。

その声に一方通行とシロコの顔が彼女の声色に引っ張られるようにノノミの方へと動き。

 

「じゃあ、帰りはどうしましょう? 三人もバイクって乗れましたっけ?」

 

あ。

 

と、シロコと一方通行から情けなさが含まれる声が重なって放たれたのはそんな時。

一瞬だけ時が止まったような感覚が一方通行とシロコの間に走る中、二人は互いに顔を見合わせ。

 

「分かった。私が先生に密着してノノミが座れるだけの隙間を作る」

 

何が分かったのかと問い合わせたい解決案がシロコから飛び出し始めた。

キヴォトス人の力で密着させられた場合、骨が複雑骨折するどころか命の危機すら感じられる物なので普通なら速攻で却下する内容だったが、とはいえそれ以外にまともな代案が今の一方通行に用意できる筈も無く。

 

「俺が死なないよォに力加減だけお願いしまァす……」

 

と、何ともまあ情けなさ全開の声を捻り出すことしか今の一方通行には許されていなかった。

 

 

 

 

 

 

──────────────────────────────

 

 

 

 

 

 

一方通行達が順調にゲヘナを脱出していく。

その、一方で。

 

「く! このっっ!!」

 

風紀委員の空気は一変して薄暗さを醸し出していた。

 

このままでは逃げ切られる。

彼女達を足止めするべく撃ち続けていた一人の風紀委員がその事実に気付き、慌てて銃撃を止めて三人の後を追い始めるが既に時は遅い。

 

その風紀委員が階段に差し掛かった時には既に、一方通行達の姿はどこにも無かった。

エレベーターは地上一階に停まっている。呼び戻す時間は無い。

 

「そ、その……どうします?」

 

どう行動するのが一番良いのか判断出来なくなった風紀委員の一人が、指揮権を持つアコに指示を窺う。

 

しかし。

 

「先生……。そうですか……あくまでも……あくまでも穏便に済ませる気は無い。そういうことですか」

「っっっ!?」

 

アコは話しかけてきた風紀委員の声が耳に入っていないのか、右手首を抑えながらブツブツとうわごとのように呟き続けていた。

 

その顔には、笑顔が刻まれている。

 

不気味な程に、笑みをアコは浮かべていた。

話しかけてきた風紀委員が、思わず一歩後ずさるぐらいに。

 

「仕切り直し、ですか。良いでしょう。先生が望む通り今日の所は退いてあげましょう」

 

一歩後ずさった風紀委員には目もくれず、ゆっくりと立ち上がったアコは拳銃を仕舞いながらそう言葉を零す。

おどろおどろしい雰囲気を醸し出すアコに、風紀委員達は声を掛けることが出来なかった。

 

ただ、アコから飛び出した先生は追わないという言葉から、追跡を諦める方針を取ったことだけは理解したらしく、全員そそくさと銃を収め、倒れているカイザーの一員達の確保。及びアビドスの生徒が飛び出して来た扉の奥の調査を始めて行く。

 

ドタバタと慌ただしく動き始める風紀委員を横目にアコはですが。と続ける。

 

「あくまでもゲヘナを拒むその姿勢、後悔させてあげます」

 

平和的な解決を望んだが、無駄だった。

あくまでも穏便に進む方向に舵を切りたかったが、他ならぬ彼がそれを妨害した。

であるならば、もう仕方が無い。

 

提示した安全に解決出来る策を全て守ろうとしていた蹴り飛ばされた。

譲歩に譲歩を重ねたが、それでも彼は首を縦に振ってくれなかった。

だったらもうしょうがない。

これ以上話し合いの場を設けても意味が無い。

 

何故なら相手に応じる気配が感じられないのだから。

彼との交渉は無駄であると分かった。

今日の成果は、それで十分。

 

「もう、忠告もしませんよ……」

 

覚悟を決めた目で、アコは懐に手を伸ばす。

取り出したのは十錠程の錠剤が入っているスライドケース。

 

真っ黒な男から譲り受けた、ゲヘナの北区にあった廃墟を纏めて吹き飛ばす程の力を自身にもたらす薬。

 

手に持ったケースをギュッと強く握り、アコは冷酷に宣言する。

それは、宣戦布告。

もしくは、決別の証。

 

薬のケースを強く握ったまま、アコは一方通行に対して明確な敵意を露わにする。

 

「死んでから、後悔して下さい」

 

 

 

 

 

 









とある側の事情が少しだけ見えた今回。

青髪ピアス。出したかったんや……多分ここでしか出番が無いから……。
冒頭で出すキャラ、他にも佐天初春、御坂食蜂、ステイル神裂、芳川黄泉川、浜面滝壺等、様々な案がありましたが、一番納得出来るのがこの二人だろうということで。

そして舞台はキヴォトスに戻ってゲヘナ編完結。
そして私の作品におけるアビドス編でのもう一つのメイン、アコのストーリーが始まります。

彼女がアビドス編をどう動かしていくのか、ちょっと楽しみですね。
不穏ですけど。限りなく不穏ですけど。


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