「Present for you 〜arrange〜」 作:鐘餅
ニーアランドのドクター。
医者ではなく年老いたメンテナス技師だ。ここ十数年、主にヴィヴィのボディチェックを担当してくれた、ある意味では最もお世話になった人物。その彼がニーアランドを離れる――その事実を聞いた時、ヴィヴィの中で生まれたのは、悲しみと動揺だった。やはり唐突なこともあり、衝撃的だったのだ。
しかし、そんな話を昔、少しだけドクターとしたことを思い出す。
あの時ドクターは、端末のデータと睨みっこしながら、困ったように言っていた。
「最近、目も見えなくなってきた。いくら角大できるとはいえ、読みづらいことに変わりはないし、年を取るのは少し嫌なものだね。この調子では、そろそろ後輩に任せる時が来るかもしれないね」
「そんな。まだまだドクターはお元気です。同じ年の方と比べると血色は三十%も良いですし、健康状態だって問題ありません」
「そうかい? 嬉しいことを言ってくれるね。それなら、もっと頑張らないと」
そう言ってドクターは笑った。ヴィヴィも控えめに笑った。その話はそこでお終いで、だから気にも留めてなかった。
けれど、思い返してみると、これまでドクターは腰を痛めたりと不調を訴えたこともあったし、特にここ最近は病気がちになったりもして、その傾向をネットで調べたデータと照らし合わせても、彼が言うようにもう働くには限界が近く――人間は機械のように、パーツを取り替えてずっと動き続けるのは、無理があるから。
……仕事を辞めてしまうというのは、何も不思議なことではなく、当たり前のことなのだった。
「そうか。そんな話をスタッフが。……どうやら噂が一人歩きしてしまったようだね」
後日、改めてドクターに話をすると、彼は困ったような、少し呆れた様な顔をした。年配のため、ドクターを慕うスタッフも一定数いるのだろう。そんな彼らが勝手に大騒ぎをしていたらしい。
「あの、辞めるというのは本当なんですか?」
ヴィヴィは確認するように聞いた。本当ならば否定して欲しかった。
しかし、ドクターは静かに頷いた。
「そうだ。原因は……まあ、君が考えている通りだね。こればっかりは仕方がない」
「……いつ、ここを?」
「一ヶ月後だよ」
――ちょうど新ステージお披露目の時期。
ヴィヴィの首筋、OGCのマークが青くゆっくりと明滅する。これは何と呼べば良いエモーションパターンなのだろう。少し演算していると、ドクターはその優しい目をヴィヴィのアイカメラと合わせた。
「最後に君のステージを見に行こうと思っているんだ。今から楽しみだよ、ディーヴァ」
「……ドクター」
「すまないね。こういうことは真っ先に言うべきだったんだが……機会を逃してしまった」
「いえ、そんなことはありません」
気にしないように言う。
そもそも対面することは多くあれ、ドクター自身も多くのAIを診ている。特にここ最近、ヴィヴィは新ステージのこともあり多忙だった。話す回数が減った以上、これは仕方がないことである。
更に付け加えて言うなら、この件に関しては暴走したスタッフが悪い。ドクターが罪悪感を感じる必要はないのだ。
それでもヴィヴィの心遣いが嬉しかったのか、ドクターは感謝を伝える。
「ありがとう。ディーヴァ」
「……、これから寂しくなりますね」
ヴィヴィはしばらく沈黙した後、言葉を選んで俯く。ドクターも少し間を空けてから、悲しそうに呟いていた。
「そうだね。……これ程寂しく思ったのはいつぶりだろうか。出来ればもっとここで、働きたかったなぁ」
ドクターの声は、ちょっとだけ悔しさみたいなものが混じっていた。
そうして、彼はゆっくりとした仕草で机の上にあるカップを手に取った。中は熱々のコーヒー。湯気が出て、その黒い水面の中で砂糖の白がまるで渦のように溶けて揺らいでいる。
ヴィヴィの側にもカップはあった。当然こちらはカラだ。それは飲み食いしないAIに対しても、人間と同等のおもてなしをしますよという意思表示。AIを歓迎する時の習慣だった。
そしてその通り、ドクターはAIに、ヴィヴィに、いつも好意的だった。今この瞬間も、ドクターの顔は穏やかで、暖かい。
ドクターは少しの間、カップの中をじっと見つめ、それから先程のヴィヴィみたいに言葉を考える素振りをしながら言った。
「実は言うとね、君のことは子供を見守っているような感覚だったんだ」
「子供……ですか?」
そう告げるドクターに、ヴィヴィは首を傾げる。
まるで実感が湧かない。当然、子供……人間の幼児と同じ成長を、AIはしないのだから。それを感じ取ったドクターは、微笑んだ。
「そうだよ。不器用だけど苦手なことにも向かい合って、歌でお客さんを幸せにして、どんどん人気も上がっていって……。AIの君にこんなことを言うのもなんだが、それはよちよち歩きの赤ん坊が、一人で歩き、言葉を喋り、感情を知っていく。そんな過程に似ているように思ったんだ。成長していく度に、我が事のように嬉しく感じたものだよ」
「……」
「君を支えられたことを、誇りに思っている。この十数年は、まるで宝物のようにキラキラして、楽しい思い出だよ」
「……私もです、ドクター」
愛情あふれるドクターの言葉に、ヴィヴィは何だか胸が詰まる思いだった。この十数年、随分と豊かになったモーションパターンで、くしゃりと顔を歪ませる。
「私もドクターと話せて楽しかった。ドクターは私にとって……掛け替えのない人です」
「ディーヴァ……」
「すみません、ドクター。私、あの時の答えをまだ出せていないんです。それなのに……」
ヴィヴィはふと申し訳なくなり、頭を下げてしまう。
ドクターは一瞬、ぽかんとしたものの、すぐにヴィヴィの言いたいことを察したのか、気遣うよう、優しく言った。
「良いんだよ。顔を上げてくれ、ディーヴァ。それは君が使命に対し、とても真摯なことへの証なんだ。気を重くする必要はないよ」
「でも――」
しかしヴィヴィは、暗い表情を変えられなかった。
思い起こすのは“あの時”――数年前、ステージ直後のメンテナスで、ドクターと話した“心とは何か”という話題だった。
その時、ドクターは言ってくれたのだ。心とは魂だと、感情だと。もしその答えが決まったら、聞かせておくれと彼は微笑んだ。でもヴィヴィは、それに答えられない。まだ自分にとっての心とは何か? という定義を見つけられていない。その事が純粋に悲しかった。今、話をしていて、ドクターが自分を認めてくれていると感じるから、余計にそう思う。
「……それに、悔しいんです」
ヴィヴィは気付けば、更に自分の気持ちを吐露していた。それは甘えだ。迷惑な事だとは分かっていたが、これが最後だと思うと、どうしてもと思わずにはいられなかった。
ドクターはいつもの様に頷きながら、静かにヴィヴィの話を聞いてくれている。
「このままじゃ、いつまで経っても、私は変わらない。本当の意味で使命を果たしたとは言えないと思うんです。新ステージを成功させたいのに、その肝心の歌う曲も、未だに決められていなくて…… 思いをどう伝えたら良いか、その思いが何なのか、よく分からないんです」
「そうかい」
ヴィヴィの悩みをすべてを聞き終わったドクターは、少しだけ眉を下げた。
ヴィヴィは最初、それを悲しみや怒りによる表情変化だと思った。しかしその顔を分析し、弾き出した演算結果は一瞬の焦りを乗り越え、その考えを否定する。
これは違う。これは不快な感情から生じたものではない。ヴィヴィの心に寄り添っているが故の、ドクターらしい共感による表情変化だ。
「……要するに、君はとても焦っているんだね」
「……」
ドクターはヴィヴィの話を、その一言でまとめた。
それに対し、返答代わりに無言を返すヴィヴィ。
……そう、ドクターの言う通り、自分はとても焦っているのだろう。だってこのエモーションパターンは、何だかとても胸がモヤモヤする。叫び出したいような、居ても立っても居られないような、そんなどうしようもない不安な気持ち。
「ドクター。私はどうすれば良いのでしょうか」
ヴィヴィは、牧師に救いを求める哀れな信者のように、ドクターに聞いた。
ドクターは安心させるように微笑んでから、少しだけカップの中のコーヒーを飲んだ。彼は深く思案しているようだった。そして、まるで関係のないような問いをする。
「ディーヴァ。AIと人間の違いは何か、分かるかな」
「はい。そこには様々な違いがあります」
ヴィヴィはすぐに答える。
簡単な質問だ。
「例えば、それは体の構造です。私達AIは部品の集合体。一から十まで鉄の塊であり、精巧な機構、プログラムによって動いています。対して人間は、細胞によって構成された体を持ち、血が流れ、成長し、やがては老いて死にます」
「そうだ。人間は時の流れに敵わないよ。事実、ここにいる老いぼれがそうだからね」
茶目っ気たっぷりにドクターは言った。
冗談だとしても、ちょっとヴィヴィには笑えない。ドクターは続けた。
「それはね、心も同じだと思う。人間というものはよくも悪くも移ろいやすいものなんだ」
「移ろいやすい、ですか?」
「例をあげよう。例えば使命だ」
ドクターはカップを机に置いた。改めて視線を合わせる。
「君達AIは使命を持って生まれてくるね。君ならば、歌で皆を幸せにする。だけど、人間はそうじゃないんだよ。……人間は、誰もが真っ新のままに生まれてくる」
だから、自分で目的を探さなければならない。意味を見つけなければならない。使命に縛られるAIと違い――自由と引き換えに、あやふやな人生を送るのが人間だ。
「この仕事をやって長いけど、残念なことに、それを使命だと感じたことは一度もないよ。勿論、AIのことは好きだがね。他の大多数の人々もそうだろう。反対に君達AIは違う。何処までも使命に真摯的だ。その生きる意味に対し、どんなことがあってもぶれない。純粋で一途なんだ。AIというものは」
「純粋で一途……」
「君の歌が人々を幸せする理由だろう。AIは色んな意味で、不変性の塊だよ」
ドクターは目を細めた。
それは人間から見たら、羨望の対象か、はたまた、哀れまれるものなのか。……ヴィヴィとしては、人間の方が遥かに不思議な存在なのだが。到底、使命なしの人生など想像できそうにもない。
「AIの記憶にも同じことが言える」――ドクターは語る。
「なんせ、AIの記憶は基本、劣化することがないからね。私との別れも、データとして残り続けることだろう。これがどういう意味だか分かるかい、ディーヴァ」
ドクターの声は、まるで心の中に直接問いかけるような声だった。
「君達AIは、抱いている辛い思いを、人間のように時間で癒すことが出来ないんだ。その痛みを、当時と変わらぬまま、ずっとずっと悲しい記憶と共に保持し続ける」
そのために、AIは苦しみ続けなくてはならない。
しかも一途な分、純粋な分、余計に苦しみは重いのだと、ドクターは言った。
それは不変性が齎す弊害とも言える。
「ディーヴァ、モモカという子のことを、ナビから聞いたよ。……モモカちゃんは、君の初めてのファンだったそうだね」
ドクターに言われ、自然、ヴィヴィは息を呑むモーションパターンを実行。
陽電子脳の奥、映像が自動で流れる。
モモカの笑顔、モモカの言葉、モモカの温もり。そして夜の雨空、流星のように燃えて消えゆく飛行機。それは一瞬にしてモモカのすべてを奪った。ヴィヴィのアイカメラはその始終を捉えていた。
ドクターの言う通り、薄れゆくことのない、こびりついた記憶データだ。その悲しみはいつでも演算の回路を軋ませて――
「……ドクター」
ヴィヴィは動揺を隠しきれず、彼の呼び名を口する。
「すべて言わなくて良いよ、ディーヴァ」ドクターは優しい口調で話した。
「存在意義とも呼べる歌。それを初めて認めてくれた彼女のことを、君がどれだけ大切に思ってるかなんて、想像がつかない訳がない。事実、彼女との約束のために、今日まで君がどれだけ頑張ってきたか、私はちゃんとこの目で見てきている」
「……」
「ディーヴァ。初めての存在は、何事も物事の基準になるものだ。恐らく君にとって、お客様の象徴はモモカちゃんだ。君は毎日、亡きモモカちゃんに歌を届けるつもりで歌っていたんだ」
(私が、モモカに……?)
思わず驚き、心の中で呟くヴィヴィ。
しかし言われてみたら、成る程、確かにその通りかもしれない。ヴィヴィの歌声は、常にモモカと共にあった。あの日モモカを失って以来、彼女のことを考えない日は、きっとなかったから。
「じゃあ、お客さまに届ける歌が分からないのは、モモカに伝えたいことが分からなくなったから……?」
ヴィヴィはぽつりと呟いた。
ドクターは聞いた。
「きっかけは何か分かるかい?」
「それは――」
そんなの、言われるまでもない。
――新ステージの増設の決定、それしかない。
(でもなんで、それだけのことで……)
本当なら嬉しいはずだ。喜ばしいはずだ。
なのに新ステージのことを考えた途端、演算にノイズが生じる。
これは何だ。どうして、自分はこんなことで悩んでいるんだろう。新ステージを成功させないければならないのに。
「……っ」
ヴィヴィの表情はいつしか、焦り一色に染まっていた。拳を握りしめてしまう。
ドクターはそれを見てハッとし、次に嗜めるように言った。
「そんなに思い詰めるのは良くない。逆効果だ」
「……」
それでもヴィヴィの首筋のマークは、激しく点滅していた。ドクターは再び思案する顔。何処か悲しそうだった。
「ディーヴァ。さっきも言ったけど、AIは辛い思いを時間で癒すことが出来ない」
何度か会話の中でしたように、たっぷり間を空けてからドクターは口を開いた。
「……十数年経っても、モモカちゃんを失った痛みは、まだ君の心の中に残っているだろう。だから引っかかることがあるとしたら、些細なことだろうと、それだけ大きな迷いになるかもしれない。でもそれは君に原因がある訳じゃないんだ。自分を責める必要はないよ、ディーヴァ」
「……、良いんですか?」
「ああ、良いんだよ」
その一言で、ヴィヴィは何故か不思議と救われた気持ちになった。でも、ちょっとだけ、人間のように泣けたら良いな、と思った。
「大事なことは、自分の心に向き合うことだよ」
「向き合うこと……」
「大丈夫。きっとディーヴァなら答えを見つけ出せるよ」
なんせ、ディーヴァは頑張り屋さんだからね。
ドクターは親愛を込めて、励ますように笑ってくれた。
数日後。
今日は平日、閉園間近、夕暮れ時。
自由時間を貰ったヴィヴィは、ゆっくりとニーアランド内を歩いていた。
この時間帯のおかげで、まず人集りが出来ることはなかった。しかし、それでもヴィヴィはニーアランドの歌姫、スターだ。
お客様に手を振られたり、時々写真撮影とサインを求められた。ヴィヴィは随分と鍛えられたコミニーション回路をフルに稼働させ、歌姫として最適だろうモーションで対応する。そのヴィヴィの振る舞いに、皆満足そうにして帰っていくのだった。
「ジェットコースター楽しかったぁ」
「マスコットのパレード可愛かった」
「また来たーい」
年若いカップルが、子供連れの親子が、旅行客の団体が、夢の国での体験を、満足そうに話して家路に向かっていく。きっと楽しい思い出として、ずっと記憶の中に残るに違いない。ヴィヴィはそんな彼らとすれ違う度、嬉しくなった。やはり自分が関わっていなくても、お客様の笑顔は良いものだ。
「……えーん、えーん」
……と、微笑んでいると、泣いている女の子を発見。二つ結びのおさげで、まだ六才ぐらいだ。すぐに近づき、優しく話しかける。
「どうされましたか?」
「うわあ!」
すると、突然話しかけたせいか、女の子はびっくりしてしまった。しかし、ヴィヴィの姿を見た途端、泣くのを止めて目を輝かせる。
「って、ディーヴァ!? 本物!?」
「はい、本物ですよ。私のことご存知だったんですか?」
「知らない人なんていないよ! ニーアランドの歌姫でしょ!?」
冗談で聞けば、女の子は興奮のせいかそう早口で言い、ヴィヴィの周りをくるくると周る。
「うわあ、うわあ、凄いなあ、写真で見るより可愛いなあ! ねえ、ねえ、手繋いでも良い?」
「すみません。原則、キャストへの接触は禁止されておりまして――」
「ええ〜、そんなぁ。少しぐらい良いでしょ、別に」
「ふふ。ならちょっとだけですよ」
残念がる女の子へ、ヴィヴィは手を差し伸べる。女の子はすぐにパッと顔を明るくさせ、その手を握った。
そして、はしゃぐ様に笑う。
「やっぱりちょっと冷たいね。でも柔らかい」
(……)
その時、痛むはずのない胸が、ズキリとなった気がした。陽電子脳に響く、幼い声。
『やっぱり、ちょっと冷たいんだ。あ、でもちょっと柔らかい。へえ〜』
(……モモカ)
ヴィヴィはモモカのことを思い出して、少し暗い表情となった。
不思議そうに、女の子が顔を覗く。
「ディーヴァ?」
「……大変申し訳ございません。ちょっとだけ眠くなってしまって」
「ふふ、ディーヴァって面白いんだね!」
苦し紛れに誤魔化せば、女の子はコロコロと笑い声を上げた。ヴィヴィがホッとしたのは言うまでもない。
それから、ヴィヴィは女の子を連れて歩いた。
女の子は迷子だったらしく、「こういう時はね、入り口で待ってなさいってお父さんが言ってたんだ」と話してくれた。しかし、肝心のその場所が分からず困り果てていたらしい。
ヴィヴィは彼女の言う通り、入り口へと向かった。
そこへ着くと、予想通り、父親と思わしき人物が立っており、女の子を見ると慌てた様子で駆け寄って抱きしめる。
「ああ、良かった!! もう心配たんだぞ!」
「もうお父さん、大袈裟過ぎだよ」
泣いていたくせに、女の子は仕方がないなあと言わんばかりに呆れ顔になった。父親は涙ながらに笑い、女の子を離すと、ヴィヴィに頭を下げた。
「すみません、ありがとうございます。何とお礼を言ったら良いか……」
「そんな。私は当たり前のことをしただけですよ」
「いえいえ。それでも、ディーヴァさんは恩人です。絶対娘と一緒にまた来ます。貴女の歌を聞きに」
「……」
「それでは、改めてお礼を。ほら、挨拶なさい」
「うん。ディーヴァ、ありがとね! バイバーイ!」
親子は手を振りながら帰っていった。ヴィヴィもまた手を振り替えした。ちょうどその姿が見えなくなったところで、アナウンスが鳴り響く。
「閉園時間となりました。本日はお越し下さりありがとうございます。またの来園をお待ちしております。閉園間時間となりました。本日はお越し下さりありがとうございます――」
ヴィヴィは手を下ろした。笑顔だった顔が無表情に戻る。そのまま背を向けて歩き出した。太陽は随分と沈んで、夜の気配が近づいている。
やがて、そのまま進むと、見えてきたのは小劇場。ヴィヴィは並ぶベンチの背もたれを少し触ってから、何を考えたのかステージに立った。
そうして思うのはモモカのこと。
忘れられずにはいられない。思い出さずにはいられない。さっきの子はモモカに似ていた。モモカとの出会いも、迷子だったところを助けた時。あの日のモモカはユズカのことで悩んでいて、ヴィヴィはそんな彼女へ向けて――
(モモカ……)
気づけばヴィヴィは息を吸い、人工声帯を震わせ、歌を歌っていた。
「happiness」、「My code」、「A Tender Moon Tempo」……。曲はいつも通り、伴奏はない。すべてアカペラだ。
ヴィヴィはその落ち着いたリズムとは真逆に、体を左右に激しく揺らしてステップを踏む。くるくるとっ回れば、相手のいないぎこちないワルツを踊ってみせた。それはまるで、モモカと出会った頃の時の様。そのせいか、心なしか声も固い。顔も不気味な程に笑顔だ。
でも、胸中は悲しみに満ちている。これは魂なきAIの、慟哭なのだ。
やがて徐々に徐々に、歌声が変わっていく。振る舞いが変わっていく。不自然なターンは刻まない。代わりに激しい歌は明るく元気に。別れを告げるラブソングは情感たっぷりに歌い上げる。先程と違い、声の表現の幅は明らかに広がっていた。
そして数十分後には、ニーアランドの歌姫、ディーヴァに相応しい、完璧なパフォーマンスがそこにある。それは人間には真似出来ない、AIの完全性を示す様な、圧巻のステージであった。それでいて、何処切なくなる程、ガラス細工を思わせるような……。
そんな繊細で神秘的な歌が響く中――ふと、パチ……パチ……と拍手の音が鳴る。
思わず演算が乱れた。ヴィヴィはすぐに歌うのをやめて、その場に現れた人物達を見ると、驚いた表情を作る。
運営上層部の男性職員を除けば、彼らは随分と懐かしい顔をしていた。
「……久しぶりですね。ディーヴァさん。いえ、ヴィヴィさん」
手には姉娘の遺影を、側に妹娘を連れて、中年男性は、親愛を込めた笑みを浮かべた。その表情は、モモカにそっくりであった。