俺にとっての南雲は紛れもない強者だ。
この学校に入学して最初に話しかけてきた相手。その相手がテレビで見たことのあるアイドルだったことは驚きだったが、最初は人付き合いが苦手な自分でも話しやすい落ち着いた女子程度に思っていた。
だがすぐにその認識を改めた。南雲は自分の何倍も優秀な存在だった。
南雲に苦手なことは殆どなかった。勉強も運動も軽くこなす。クラス全体をまとめるリーダーシップがあり、積極的に他者と交流を取って仲良くなれる。
それでいてクラスを勝たせるためなら非情な決断も取ることが出来る──それはまさに、人の上に立つべき器とでも言うのだろうか。他の同年代の生徒にはない強い『魅力』を南雲からは感じた。
だからこそ俺は南雲の隣で彼女を支えることにした。
しかしそれにはまだ力不足だということを思い知った。
自分が足枷になってしまい、支えるべき相手に尻拭いをさせる……そんな無様をこれ以上晒す訳にはいかない。
だからこそ俺もまた力を求めることにした。
どんな手を使っても勝つ覚悟も決めた。
一之瀬は南雲の参謀として申し分ない人望と統率力を持っているが、南雲を支えるにはそれだけでは甘すぎる。
ならその不足を埋めるのは俺の役目だ。
俺は昔かけられたある男の言葉を思い出しながらそれを決める。
出来ることがあるならやるべきだ。俺は俺が出来ることで勝利してみせる。
それがまた自身の成長に繋がる筈だ。
それは期末試験が迫ったとある日の午後。
ケヤキモールのカフェではBクラスのリーダーである坂柳にその側近である神室と橋本、そして鬼頭が集まって話し合いを行っていた。
「なあ姫さん、本当に良かったのか?」
「良かったとは?」
「Aクラスを狙って良かったのかってことさ。DクラスやCクラスを狙った方が楽にポイントを稼げたろ? それなのになんでAクラスを狙ったのか。その理由をそういえば教えてもらってなかったからさ」
「そうでしたか。それほど大した理由はありませんよ。確かに学力勝負でAクラスを相手にするなら多少は良い勝負になるでしょうがそれでもまだこちらが有利。であれば勝った時により差を詰められる方を選んだだけです」
「なるほどね。それなら良いんだけどな」
橋本は坂柳の答えに納得しながらもどこか含みを見せる。それに坂柳が気づかない筈がない。
「他に何か気になることでもありますか?」
「いや……気にしてるのは俺よりもクラスの方さ。正直、姫さんがAクラスを狙うって言ってからみんな気が気じゃないぜ。また負けてポイントを落とすんじゃないかって冷や冷やもんさ」
「クラスの状態のことであれば承知していますよ。ですが安心してください。仮に今回の試験で負けても十分に巻き返すことは可能ですよ」
「必ず勝つって言ってくれないのか?」
「私の見立てでは6割か7割ほどでしょうか。互いにクラスの防諜が行き届いていれば後は純粋な学力勝負。そうなれば皆さんなら勝てるでしょう?」
坂柳はそう言うと余裕を持って微笑んでみせる。そう言われれば橋本もそれ以上は追求しない。
坂柳の言う通り、確かに純粋な学力勝負であれば元AクラスのBクラスに分があるからだ。
だが今度は橋本の代わりに神室が声を出した。
「ペアが組めない生徒への措置が大したことなかったからそれに助けられてる部分も大きいんじゃないの?」
「そうですね。確かに学校側のルールには助けられました」
坂柳は神室のその言葉を認める。
他のクラスと違って退学者を出しており1人少ないBクラスはペアを組めない生徒が1人出てしまう。
だがその場合、その1人の生徒は自分の点数の半分の点をペアの点として合算することになっている。
つまり100点を取れば50点。50点を取れば25点。小数点以下は四捨五入される。今回のテストであれば退学のボーダーラインはペア合計で60点であるため各教科は40点。総合点のボーダーでも仮に700点であれば467点前後を取れば退学は免れられる。
だがこれだけならクラスの総合点で競い合う今回のテストでは不利を強いられるため、クラスが40名に満たない場合に総合点に加算する点数はクラスで最も総合点の低い生徒の点数をその人数分加算することになっていた。
つまりBクラスであればおそらくは戸塚が2人分計算されることになるが、その戸塚ですらAクラスに選ばれるだけはあってそれほど低い訳ではない。よって坂柳の見立てではそれでもBクラスが有利だと見ている。
だからこそ今回のペーパーシャッフルは守りを固めていれば勝つことは難しくないと坂柳は踏んでいる。その上で手はきちんと打っていた。
「問題文をゲットできりゃ確実なんだけどな。そうなれば絶対安心だ」
「さすがにそれは高望みというものでしょう。私と同じように麗さんも問題文は全て自分1人で作成し、時間ギリギリに提出する筈。その上で他の生徒への確認を封じておけば問題文が外部に漏れることは絶対になくなります」
「打てる手は限られてるってことか」
「そうですね。仮にクラス内にスパイがいたとしてもこの方法であればおいたを封じることが出来ます」
坂柳は軽く橋本に微笑みかけながらも問題はないだろうと判断を下す。AクラスがBクラスに落ちてから、橋本の動きは常に見張らせているが特に気にするべき動きはないし、あったとしてもここでは動かないだろうと坂柳は見ている。
期末試験の延長なだけあって今回のペーパーシャッフルは学力で競い合う比較的真っ当な試験だ。ルールの穴も少なく、負けても失うものは少ない。唯一退学だけが懸念要素だが、それも学力の高い元Aクラスにとっては無用の心配だった。
「一之瀬さんは特に何も考えていないようですし神崎くんも裏で色々と動いているようですがこちらも特に収穫はないでしょう」
「南雲は? あいつだけは注意しておくべきなんじゃないの?」
「麗さんも今のところは特に注目すべき動きはありません。強いて言うなら宣戦布告はされましたがその程度は可愛いものです」
「は? 宣戦布告って……いつの話よ、それ」
神室に質問され、坂柳は思い出す。こちらの秘密の目も南雲にはあっさりと気づかれてしまっていたことを。彼ほどではないが南雲もまた坂柳にとっては面白い相手だ。それだけに、今後の特別試験で勝負するのが楽しみでもある。
そして神室の質問に対しては流しておくことにした。
「秘密です」
「秘密って……まあいいけど」
「どうやら姫さんは南雲との勝負が楽しみでしょうがないらしいな」
「ええ、そうですね。少なからず期待しているのは否定しませんよ」
否定はしないが、それもまた彼と勝負するまでの退屈凌ぎにすぎない。
坂柳にとって彼以外は取るに足らないものだ。残りは自分の駒かそうでないものか。自分を楽しませられる存在であるかというそれだけだ。
期末試験を3日後に控えた12月の金曜日。
その日は張り巡らされた陰謀が成就するか、それとも失敗に終わるかの分水嶺だ。
だからこそその男──神崎は人気のない校舎裏で人知れず手を結んだその相手と接触していた。指定の時刻から少し遅刻して姿を現したその男を見て神崎は腕を組んだまま視線を鋭くする。
「遅かったな──龍園」
「クク、遅刻したくらいでそんなに睨むなよ神崎」
その男、龍園は神崎の鋭い視線を見ても気にすることなく同じく校舎裏の壁に背中を預けた。そして嘲笑うかのような挑発を挨拶代わりに口にする。
「随分と苛立ってるみたいだな。自分の考えた戦略が上手くいかずにご立腹か?」
「……ああ。確かに腹を立てている。おまえを信じた俺の馬鹿さ加減にだ」
神崎はそう言うと壁から背中を離し、龍園に向かって向き直る。その表情は先程よりも更に険しく怒りを覗かせたものだ。
だがそれを受けても当然、龍園は動じることはない。
「それはそれは。良い勉強になって良かったじゃねぇか」
「っ……どうやら履き違えているようだな。俺を無能と言いたいようだが無能なのはおまえも同じだ龍園。Bクラスの情報を手に入れられないどころかDクラスを嵌める作戦も失敗したようだな」
神崎は自分が得た情報から龍園の企みが失敗したことを指摘する。
龍園は当初、Dクラスのスパイを通じて問題文をすり替える戦略を打とうとしていたが、その問題文は龍園が指定したものになっておらずその戦略は既に破綻していた。
「ああ。態々必死こいて教えてくれて助かったぜ。おまえ達Aクラスが抱えるスパイからの情報がなけりゃ死んでたのはこっちだったからな」
「そう思うなら謝罪の1つでも欲しいところだな」
神崎の当然の要求に龍園は不敵な笑みを崩さない。その態度に苛立ちを感じた神崎が眉根をひそめたが、そこで龍園は鼻で笑ってみせる。
「船上試験で俺に意気込んだ割には頭のキレは大して成長してないようだな神崎」
「何だと……!」
「クク、見下されるのが不満か? だったら教えてやるが、おまえのとこのスパイ、もうとっくにDクラスのXに気づかれてるぜ?」
龍園の挑発に憤慨し、詰め寄りかけた神崎だが龍園にそう指摘されると足を止めて驚きを顔に作る。そしてしばし考え込んだ上で静かに龍園に問いかけた。
「……なぜ気づかれたとそう言い切れる」
「簡単なことだ。おまえが持ってきたもう1つのDクラスの問題文。それも偽物だからな」
「なんだと……?」
神崎は龍園のその言葉に耳を疑う。
そしてその手に持っている問題文に視線をやったが、それを見ても教師に確認出来ない以上は偽物かどうか分かる筈がない。
だが龍園はどういう訳か確信しているようだった。
「鈴音が失敗した時のための保険ってところだろうな。俺に有益な情報を教えておきながらそれを受けなかった時のための保険までかけてるとは。まったくDクラスのXには恐れいるぜ」
「有益な情報だと……まさか龍園。貴様、Dクラスとも手を結んでいたのか……!」
「互いに有益な取引だったからなぁ。だが早とちりするなよ神崎。このXと手を組んだのはついさっきのことだ。俺の立てた計画が失敗した後、おまえが来る前にな」
神崎は考える。つまり、龍園はそのDクラスの誰かに神崎がDクラスの情報をスパイを通じて入手していることを教えたんじゃない。龍園が言うXが龍園や神崎の打った手を読んだ後で龍園と取引を結んだということだ。
勿論、それが本当であればの話だが。
「……本当なのか?」
「まだメールの履歴は残ってる。見るか? このXはどうやら俺やおまえ。それにスパイの狙いも全部読み切ってたようだぜ」
「……本当、なのか」
龍園から転送されてきたメール。その元の受信日時と本文に書かれた『松下千秋を経由して渡される問題文は偽物』という文を見れば確かにそれが本当であることが分かる。
一部、本文に書かれた名前が黒く塗り潰されているのはこれがおそらくCクラスが抱えるスパイの名前だからだろう。その情報を神崎に与えないようにした応急処置。
だがこれが本当だとすれば、少なくともそのDクラスのXはAクラスの抱えるスパイとCクラスが抱えるスパイ。その両方に気づいて手を打ってきたことになる。
そんなことがありえるのかと神崎は戦慄を感じた。
「気づけたこと自体は大したことじゃない。これまでの試験での違和感を推理すりゃ誰が裏切ってるかどうかなんざ簡単に分かる。だが、このXの面白いところはスパイがいると分かっていながらそれを利用してるってことだ。クク、スパイがいると分かってるならやりようもあるってことだよなぁ?」
龍園はそこで笑みを深くする。もっとも、スパイがいることが分かってるのはこちらも同じだと。
神崎がいる場で口にこそしないが、それを読んでいるのはこちらも同じ。だからこそ、その対等な条件での読み合いに龍園は心が沸き立つのを感じていた。
「……つまり俺の動きも全て読まれていたということか」
「そういうことだな。そしておまえが持ってきた問題文が役に立たねぇ以上、俺もお前の条件を呑んでやる必要はねぇ。坂柳とは真正面から戦うんだな。甘っちょろい一之瀬の希望通りによ」
「っ……」
龍園にそう告げられると神崎は歯噛みする。神崎には分かっていた。
確かに一之瀬のやり方で真正面から戦っても勝てる可能性は十分にあるだろうがそれでも五分だ。以前に行われたテストの平均点はBクラスの方が僅かに高かった。
だからこそ一之瀬はより勉強に力を入れるようにクラスに指示を出していたし、神崎は裏から手を回して何とかBクラスの情報を手に入れようとした。
だが神崎の方の目論見が失敗した以上、後は正面から戦うしかない。心を切り替えてテストで少しでも点を取れるように思考をシフトすべきだった。
神崎はその思考を切り替えるのに数秒を要した。
「──と、言いたいところだったんだがな。生憎と勝つのは麗になりそうだ」
「……何?」
だがそこで龍園から励ましとも取れる言葉が届く。
無論、龍園にそんなつもりはないだろう。龍園は何かを確信しているように呟く。その言葉はもはや神崎に向いていない。
「実際に対峙した俺には分かるが坂柳には気づけないだろうな」
その言葉が意味するところは、龍園にとって坂柳は南雲の格下だと定義していること。
あるいは坂柳の思考では南雲や龍園の思いつく戦略には辿り着けないことを意味している。
そして龍園は静かに笑う。Xであれば実際に南雲と対峙せずとも打つ手を読めただろうかと。
「精々君臨してろよ麗。おまえもXも……俺がいずれ潰してやる」
そうして龍園は神崎に背を向けてその場から去っていった。やるべきことは終わった。後は試験の日を楽しみに待つだけだと。
期末試験の問題文、その期限であった金曜日から3日後の月曜日。
遂に期末試験の朝がやってきた。
その日の朝、坂柳はいつものように神室を伴って登校する。
そして教室で静かに試験が始まるのを待つつもりだった。どのクラスも無事に問題を提出し終えたことで後は否が応でも地力での勝負となる。
坂柳もまた1生徒としてクラスに貢献するつもりだったが、もし仮にこれで負けてもそれはそれでいいと坂柳は思う。こういった簡単な勝負くらい勝って貰わないと面白みがないからだ。
クラスメイトはポイントが減ることで多少動揺するだろうが、それでも統制が利かないほどではないし、仮に数人従順でなくなったところでどうとでもなる。
重要なのは大きくポイントが動く特別試験で他のクラスを下して勝利を得ること。そして、その試験の中で彼と戦うことの2つだ。
そのどちらも坂柳にとっては個人の楽しみでしかない。葛城派を追い落として遊ぶためにAクラスの地位を簡単に投げ捨てたように、Aクラスであることに坂柳は執着しない。
「おや……?」
だからこそ坂柳はその時が来るまで異変に気づけなかった。いつもより騒がしいBクラスの教室。中にいると思われるクラスメイト。
教室に入ってその反応と教室の状態を見た時──すぐに坂柳は気づいた。
現状起きていること。そして、これから起きることに。
「……なるほど。麗さんはこれが狙いでしたか」
小さく息を吐きながらも坂柳は冷静にその事実を受け止める。
無論、それで負けたとは微塵も思っていない。
だが坂柳の内心はともかく、他のクラスメイトにとってその事実は間違いなくBクラスの敗北を意味していた。
やがて教室に担任の真島がやってきたことでクラスは一旦静まり返る。坂柳は皆を代表して質問することにした。
「真島先生。机がひとつ足りないようですが」
「……ああ。分かっている。そのことで通達しなければならないことがある」
そして真島先生はその答えを告げた。南雲が打った手。その正体を。
「──つい昨日のことだ。本人からの申し出とそれに必要なポイントを受領し、正式に受理されたことで……
──とある生徒がBクラスからAクラスへの移動を成功させた。
そしてそれを主導したのは誰なのか。もはや考えるまでもないことだ。
期末試験当日の朝。
Aクラスは落ち着いて最後の詰め込みを行うところだった。
だがその教室に、先週まではなかった机が1つあることで皆の作業を中断させる。
「なんで机が増えてんだ?」
「分かんないけど……あ、もしかして転校生とか?」
「いやこの時期に普通ないだろー」
最初、それを見ても多くのクラスメイトはそれが何を意味するかが分からなかった。
だが、当然一部の生徒はそれに気づく。
「麗ちゃん。これってもしかしてなんだけど……」
「南雲。まさかとは思うがこれは……」
この試験の仕切りを任されていた2人の参謀、一之瀬と神崎がそれを見るなり南雲の元にやってくる。
そして南雲はその2人の反応を見ていつものように人好きする笑顔を浮かべた。
「ふふ。驚いた? 2人が頑張ってたからね。私もクラスの1生徒としてささやかながら勝利に貢献するために頑張ったんだよねー」
「……まさか、こんな手を考えてたとはな」
「えっと……さすがにびっくりした、かな……」
2人も驚きと戸惑いを隠せない。それは規格外でありながらも確かに勝利に繋がる手だ。
それも2人が思う以上に。
「ま、後で色々教えてあげるね。気になっちゃうと思うけど試験に集中するべきだよ」
「……ああ」
「……後でちゃんと説明してくれるんだよね?」
「うん、勿論。それとちゃんと紹介もするから安心して」
南雲がそう言うと2人もまた自分の席に戻る。
そしてそれから少しして担任の星之宮と1人の女子生徒が教室に入ってきた。
星之宮は教室に入ってくるなり、挨拶と試験が行われること。そして、その前にその生徒を紹介すると少し戸惑いながらも笑顔で口にした。
「そんな訳で、皆も戸惑ってると思うけど……とにかく試験もあるし進めるわね。──
「──はい。Bクラスの森下藍です。南雲麗に誘われて今日からAクラス入りさせてもらうことにしましたのでよろしくお願いします」
そうして深々と礼をした可愛らしい容姿の女子生徒──森下藍がAクラスに移動してきたことに、多くの生徒は驚きと戸惑いを隠せなかった。
次回でペーパーシャッフル編終了です。
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