ようこそアイドル至上主義の教室へ   作:黒岩

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理解の時

 オレの不名誉な噂が立ってから約1ヶ月が過ぎた。

 しかし未だオレの噂が収束する気配はない、

 人の噂も七十五日という言葉がある。もちろんその言葉はきっかり75日間で噂が収束することを意味しているわけではないが、その言葉に当て嵌めるなら後2、3ヶ月は耐えなければならないだろう。

 もっとも噂を止めさせるだけなら差して難しいことではない。

 オレが直接学校側に訴えかければいいだけだ。それだけである程度の抑止にはなる。

 だがそれでも人の口に戸は立てられないし、1度知れ渡った噂が人の頭から消えてなくなるわけでもない。

 

 だが、かといってその行為が問題の解決に繋がるかどうかは疑わしい。

 

 何しろもう1つの噂と違ってオレがヤリチンだという噂は生徒の中でそこまで知れ渡っている噂ではない。

 その内容のくだらなさとオレが日陰モノの生徒ということもあってそこまで広まっている噂ではないのだ。あくまで一部の生徒の間でまことしやかに囁かれる噂に過ぎない。

 だからこそこの時点で学校側に訴えかけるというのはむしろ噂を蔓延させる危険性のある行為でもある。

 噂を吹聴させるのをやめてほしいと学校側に訴えかけそれが受理されれば、学校側からアナウンスがあるだろう。綾小路清隆に対する噂の吹聴を禁止すると。

 そうなれば噂を知らない生徒にとってはその噂に対して興味を抱く。一体どんな噂だろうと、人伝に聞くか、学校の掲示板でも調べるか。そうして噂を知れば表立って吹聴されずとも結局頭には残ってしまう。

 だからこそここで不用意な行動に出るわけにはいかない。

 噂もあってか外出時によく周りからの視線を感じるものの、それを学校側に訴えかけるのは少なくとも現時点で行うべきではないとオレは判断した。

 来週には学年末テストに向けた全教科の仮テストも行われる。この週末は外出を控えて大人しく部屋で過ごすのが無難な選択だろう。

 

 それにやれることも特にない。

 

 というのも既にやれることは終わっていたし、あるいはやろうとしていたことも無為に終わったからだ。

 ここ数日のオレは何人かの生徒に接触した。

 噂を聞いたのかオレを心配している様子だった恵。

 混合合宿の件や今のスタンスを聞こうと松下にも連絡を送ったが今のところ返信はない。

 そして昨日は人目を盗んでもう1人の裏切り者とも接触した。

 

「こんばんは、綾小路くん」

 

 その相手とは櫛田。

 堀北やオレを退学させるために龍園と手を結び、その結果南雲にその裏の顔がバレたことで大人しくしている──いや、大人しくせざるを得なくなった櫛田をあえて呼び出したのには幾つか理由があった。

 まずは1つ。これ以上噂が広がった時のため必要な情報を得ること。

 2つ目が櫛田桔梗の持つ情報の精度を知ること。

 そして3つ目だが……これについては確認の意味合いが強かった。

 

「そっか。自分の身を守るための情報が欲しいんだね。それなら、うん。もちろん協力するよ」

 

 櫛田はオレの求めに快く応じてみせた。

 その姿は裏ではなく表。普段クラスメイトに見せている顔とそう変わらない。

 

「随分と簡単に受け入れてくれるんだな」

 

「どうして? クラスメイトが困ってたら協力するのは当然だよ」

 

「普通ならそうだ。だが今までの言動を振り返ればオレに対して協力的なのは不自然に感じる」

 

「それはそうだけどね。でもほら、分かるでしょ? 私としても綾小路くんが動いてくれるんなら助かる部分があるんだよね」

 

 櫛田の言葉に思い当たるものをそのまま口に出す。

 

「それはオレが南雲の手を防げば櫛田としても助かるということか?」

 

「そういうことだね。私からすれば綾小路くんも堀北さんも南雲さんもみんな嫌だけど……私じゃ南雲さんには敵わないから」

 

 櫛田桔梗という生徒にとって最も相性の悪い生徒。それが南雲だ。

 櫛田よりも信頼を集め、学内での地位の高い南雲に対して櫛田は打てる手を持たない。裏の顔という弱みを握られてる以上、櫛田は南雲の言いなりになるしかない。

 だからだろうか、最近の櫛田は比較的大人しくなっていた。オレや堀北に対しても目立った動きを見せていない。

 だが動けないだけで邪魔者を排除したいという思いは消えていない。

 それは南雲に対しても変わりない、か。

 

「なるほど。だが条件くらいは求められると思ったんだけどな」

 

「条件?」

 

「ただじゃ動かないと思ってオレの方は幾つか交渉材料を考えてきた」

 

 もちろんタダで協力してくれるに越したことはない。

 だが櫛田桔梗という生徒は裏の顔を知った相手に対してそれほど優しくはない。

 

「言われてみれば確かに、何か条件を出した方が私としては得かもね」

 

「思いつかなかったか?」

 

「うーん、どうだろ。一応綾小路くんが考えてきた交渉材料を聞かせてもらってもいい?」

 

「今後オレに入ってくるプライベートポイント。その半分をおまえに譲る契約だ」

 

 オレが予め考えてきた内容を口にすると櫛田は軽く笑ってみせた。

 

「綾小路くんって面白いこと考えるんだね。それって龍園くんの真似?」

 

「同じだと思ってもらっていい。それで、どうする? 必要ならポイントの履歴も毎月見せる。情報としては破格の値段だ」

 

 そう言えば櫛田はやや間を取ってから答えた。

 

「そうだね。確かにいいかも。だけど残念。私プライベートポイントには困ってないんだよね」

 

「非常時にあって困ることはないだろう。それにAクラスからの契約もある。ポイントを多く集めていればAクラスに上がる手助けになるだろう」

 

「うーん、そういうのはちょっと……クラスを率先して裏切るのはよくないと私は思うかなっ」

 

 個人的な目的のためにクラスを裏切ったにも関わらずそんなことを口にする櫛田。

 だが一転。すぐに言葉を翻す。

 

「まあでも確かにポイントはあって困らないし、受け取るのもやぶさかじゃないかな。でも1つだけ条件を追加してもいい?」

 

「なんだ?」

 

「綾小路くんって今何ポイント持ってる?」

 

 現在のポイントの残高を求められたため、オレは正直に口にする。

 

「50万とちょっとだ」

 

「結構持ってるんだね。どうやってそこまで貯めたかはあえて聞かないでおいてあげる。代わりに、そのポイント全部私にくれない?」

 

 余計な詮索をすることなくポイントを更に徴収しようとしてくる櫛田に確認を行う。

 

「つまり、先に今持っているポイントを全額櫛田に渡す。それから来月以降は入ってくるポイントの半分を櫛田に振り込む。その2つが条件ということでいいか?」

 

「うん。あ、でも1万か2万くらいは残しておいてもいいよ? いきなり一文無しになっちゃうと綾小路くんも大変だろうから」

 

 こちらを一応は気遣った提案をしてくれる櫛田。

 だがそれはいらない心配だ。

 

「いや、構わない。櫛田がそう言うなら全額振り込もう」

 

「……いいの? 今月もまだ半分くらい残ってるけど。その間極貧生活を送ることになっちゃうけど」

 

「それを覚悟するほど価値を感じてるってことだ」

 

 櫛田を敵に回さず自らの退学を避けるため。

 互いにメリットのある提案だとオレは説明する。

 

「……なるほどね。分かったよ。その話に乗ってあげる」

 

 オレが求めるのは櫛田がオレに対して敵対しないことと情報を幾つか渡してもらうこと。

 その対価としてオレは今所持している全てのプライベートポイントを支払い、そして今後入ってくるポイントの半分を櫛田に渡すこと。

 それらを櫛田のボイスレコーダーで証拠として残しておく。

 そうして契約を結んだ上で櫛田から幾つもの話を聞き出した。

 

「綾小路くん。南雲さんには気をつけた方がいいよ」

 

「南雲もまた性格の悪い相手ってことか」

 

「そりゃそうだよ。あんなの絶対腹黒に決まってる。あんなに普段から周りに笑顔振りまいて何でも出来るくせに馬鹿みたいなことしてさ。お腹の中じゃ全員見下して悦に入ってるに決まってるよ。アイドルだなんて言っても女子だしね。私なんかよりよっぽど悪どいことしててもおかしくない」

 

 幾つか話を聞き出し、櫛田から女子の生態について聞いた後、櫛田は南雲についても性格が悪いはずだと自らの見立てを口にする。

 確かに南雲は決して綺麗なばかりじゃない。櫛田の言うように裏では他者を陥れようとしていた事実もある。

 だが、生憎とオレの見立てとは一致しない。

 この1年近く。南雲の手やその考え。言動を見ていて分かったこと。

 そこに似通った部分があるのも確か。

 だが櫛田と南雲じゃ決定的に違う。

 櫛田からの話も聞いてオレは更に理解が深まった。

 

「そういえば知ってる? 綾小路くん。来週の2月14日が南雲さんの誕生日だってこと」

 

「ああ。そうらしいな」

 

 そして別れ際、南雲の公式プロフィールを見て知った情報を聞く。

 

「その誕生日パーティが来週末にあってさ。私も誘われてるんだけど……良かったら綾小路くんも来る? 他のクラスの生徒も結構いるらしいんだけどね。Dクラスからの参加者は少ないから肩身が狭いんだよね」

 

 櫛田からの誘い。それに対し、オレはその時点で早くも結論を出していた。

 

「直接誘われてないオレが行ってもいいのか?」

 

「多分大丈夫じゃないかなぁ。池くんや山内くんみたいな人まで誘ってるくらいだしね。綾小路くんならむしろ歓迎してくれるんじゃない?」

 

「そうか……なら都合が合えばお邪魔させてもらおう」

 

「うん。そうするといいよ。それじゃあね」

 

 そうして約束を取り付けた上で櫛田と別れる。

 南雲の誕生日パーティとやらに行くことはどちらでも構わない。行っても行かなくても、大勢に影響はないと見ているがゆえに。

 なぜならおそらく──その前後にはそれとは関係なく決着がつくことになる。

 

 ──だからこそそれから2日経った2月13日の日曜日の夜9時半頃。オレに対してメッセンジャーが来た時は特に驚くこともなかった。

 

「あ、綾小路」

 

 インターフォンを押してオレを訪ねてきたのは小声でどこか恐れの感情を滲ませたCクラスの時任だった。

 少し前に学校の屋上での一件で龍園とオレの戦いを見てオレの実力を知る生徒の1人。龍園の策によって封じられたはずの生徒。

 その時任が、オレに対するメッセンジャーとして使われた。その意味をオレは理解する。

 

「今日の22時。これから20分後だ。すぐに寮の裏手に来い……」

 

 インターフォン越しの時間を指定した呼び出し。

 それは十中八九、南雲からの呼び出しだろう。それを思いながらも一応オレは問いかける。

 

「それは南雲からのメッセージか?」

 

「っ……伝えたからな」

 

 オレの問いかけに僅かに怯んだものの余計なことを口にすることなく時任は去っていく。

 その背中を見送りながら再びオレは思考した。

 ここで呼び出しを無視するのは難しいことじゃない。むしろ急場を凌ぐには賢い選択だろう。

 だがここで無視したところで南雲からの攻勢が止むわけでもなければ、何かが進展することもない。

 合同合宿での最後の言葉。そしてオレに対する噂が流れていること。それらの真意を確かめるためにはどの道南雲との接触は避けられない。

 そうしなければ今後ずっと南雲にちょっかいをかけられながら学校生活を送ることになりかねない。

 だからこそオレはここで呼び出しを無視することは出来ない、か。

 オレは思考を終えると私服に着替えて寮の部屋を出る。

 どのみちオレにはこうするしかない。

 南雲の手を防ぐことは出来ても南雲に対して打てる手のないオレにとって出来るのは──南雲の懐に飛び込んでその真意を確かめることだけだ。

 後はもうアドリブで何とかするしかない。そう思ったオレは、携帯と部屋のカギなどの最低限の物を持った上で指定された場所へ向かった。

 寮の裏は普段はゴミ捨ての時くらいしか行くことのない場所であり、監視カメラなども存在しない。学校内の死角に数えられる場所だ。

 時間を確認すれば10分前だ。そこに南雲の姿もなければ人気もない。

 オレはしばらく冬の夜の寒さに耐えながら待ち続けること10分後。

 

「やっほ、綾小路くん」

 

 南雲がゆっくりと姿を現し、気軽に声を掛けてきた。

 顔を隠せるフード付きのパーカーに暗い色の短めのスカート。おしゃれな南雲にしては少し地味で目立たないように意識したようなファッション。

 だがその表情の明るさ。キラキラした瞳は変わらない。

 そんな南雲が、オレに告げる。

 

「それじゃ話そっか。とりあえず付いて来てくれる? 嫌とは言わないよね?」

 

 有無を言わせない南雲の笑顔に対し、オレは一応問いかける。

 

「断ってもいいのか?」

 

「いいけど、それで困るのは綾小路くんだよ」

 

 短い言葉での返答。それ以上は言葉を続けない。

 それが意味するところは、この場でやり取りする気はないということだ。

 オレは少し間を取り、その上で仕方なく頷く。

 

「……分かった」

 

「うん。それじゃ付いてきて」

 

 先導するというより、オレの隣に並ぶ形で歩き始める南雲。

 その横顔。普段と同じに見えるようでどこか違う。それを観察しながら南雲と共に再び寮の中に。

 

「それでどこに行くんだ?」

 

「私の部屋か、もしくは綾小路くんの部屋かな。どっちがいい?」

 

 エントランスに入ってエレベーターを待つ間に問いかけるとあえてこちらに選択権を預けてくる南雲。

 だが夜の20時以降に男子が女子の階に行くことは禁止されている。

 もちろんバレなければ問題ないし、バレたところでそれほどペナルティは重くないことは分かっている。

 だがここで安易に南雲の部屋に踏み込んでいいのかどうか。

 

「どうするの? 私はどっちでもいいけど」

 

「……ならオレの部屋で構わないか?」

 

「オッケー」

 

 少し悩んだが自分の部屋だと言うと南雲はやってきたエレベーターに乗り込んで4階のボタンを押した。

 その間、特に会話もない。すぐにエレベーターが4階に辿り着き、オレはカードキーを取り出して部屋の扉を開ける。

 

「入ってくれ」

 

「お邪魔しまーす」

 

 誰かに見られては更にあらぬ誤解を受けてしまうため少し注意したがそれはどうやら杞憂だったか。オレは部屋の鍵をしっかり閉めたのを確認して中に入る。

 僅かな外出だったため部屋の電気は付けたままだ。電気や水道、ガスなどを幾ら使ったところで代金を請求されることはないため特に問題はない。

 だが部屋に入ったところでオレは少し立ち止まる。

 

「? どうしたの? 綾小路くん」

 

 背後の南雲が心底不思議そうな顔で覗き込んできたため、オレは間を置かずに返答した。

 

「いや、何でもない。とりあえず適当に座ってくれ」

 

「はーい。それじゃ遠慮なく」

 

 笑顔で返事をすると躊躇なくオレのベッドに腰を下ろす南雲。

 本当に遠慮がない。だが、オレもそれに対しては指摘せずに台所でカップを取り出す。

 

「何か飲むか?」

 

「適当にお茶でいいよー」

 

「分かった」

 

 南雲の希望通り、カップにお茶を注いで南雲の前に。テーブルの前のクッションに腰を下ろした。

 

「ありがと。……んー、これはインスタントの緑茶だね」

 

「美味しくないか?」

 

「そんなことないよ。お茶は好きだけど別にこだわりはないからね。最近はインスタントでも美味しいし」

 

「確かにな」

 

 インスタントだが決して飲めない味ではない。

 互いにお茶で喉を潤すと静かな時間が訪れる。

 オレはしばらく南雲が話出すのかと待ったが、南雲はお茶を飲んでまったりして話始めようとしなかったため、仕方なくオレから口火を切ることにした。

 

「それで、話ってなんだ?」

 

「んー、そうだね。その前にちょっと約束しよ」

 

「約束?」

 

「うん、約束。ここに携帯置いて」

 

 南雲はそう言うとテーブルの上に自らのスマホを置く。

 そしてオレにもそれを求めてきた。オレはその意味を理解して言葉に出す。

 

「互いに盗聴はなし。そういうことか」

 

「そんなとこ。今日は綾小路くんと腹割って話したいと思ってるからさ。それに綾小路くんにとっても盗聴されたら困る話をするかもしれないしね」

 

 それが本心かどうかは分からない。

 だが南雲の言うことも間違いない。盗聴などを警戒して言動をセーフするなら互いに本音で話し合うことなど出来はしないからだ。

 それはオレとしても望むところではない。ゆえにオレもまた携帯を取り出してテーブルの上に置く。しっかりと画面を見せた上で。

 

「これでいいか?」

 

「うん。それじゃお話しよっか。えーと、まずは何から話そっかな~」

 

 南雲はいつにも増して、あるいはいつも通り気の抜けそうな態度で足をパタパタさせながら話題を探し始める。

 

「何から話すか迷ってるならオレの方から聞きたいことがある」

 

「お、なになに? 何でも聞いて?」

 

「合宿の時の言葉の真意。それとここ最近、流れている噂の出処だ。あれは南雲が流したものなのか?」

 

 当然の疑問。それを直球でまずは南雲に対して投げ渡す。

 あれほど意味深な言葉を口にし、噂の内容に南雲が関係している以上、その出処として1番怪しいのは当然南雲になる。

 

「それ聞いちゃう? 綾小路くんなら私に聞かずとも答えが分かってるんじゃないの?」

 

「一応推理はした。だが確証まではない」

 

「ならその推理をまず教えてくれる?」

 

 南雲はこちらの質問をはぐらかしてくる。

 腹を割って話すと口にしておきながらもタイミングを外すように、あるいはこちらを試すような逆質問をしてくるのは南雲の癖というわけでなく間違いなく狙ってやっていることだろう。

 だがそれに意味があるのかどうかは分からない。南雲兄妹に共通するものだが、表のようで裏。裏のようで表のような意味のないフェイクをも時折織り交ぜてくる。

 そのため話していると自然に裏を読み合ってしまうが、それに付き合うのは本来あまり得策ではない。

 だが心理戦。言葉の裏を読み合うのは南雲と相対する上で避けられないことだ。

 何しろ南雲は相手の逆をつくのが上手い。それは入学当初から変わらない南雲の長所だ。

 中間試験では偽の過去問をバラまき、無人島ではリーダーを誤認させ、干支試験では何の意味もない揺さぶりを堀北に行っている。

 そういったことを踏まえれば南雲の思考パターンも見えてくる。

 

「生憎と期待には応えられないぞ」

 

「それでもいいから思うところを言ってみて」

 

 南雲がそう言うのでオレは一息ついて口にする。

 

「そうだな……まず噂の方だが、それはおそらくオレの評判を落とすために南雲が計画したことなんじゃないか?」

 

「えー、私敗北宣言までしたのに? 今更綾小路くんの評判落として何の得があるの?」

 

「その真意までは分からない。だがオレを困らせるため。あるいは嫌がらせで行っていることくらいしかオレには分からないな」

 

 それ以上は分からないと白旗を出せば、南雲はけらけらと楽しそうに笑った。

 

「あはは、綾小路くんでも分からないんだ? 結構分かりやすいと思ったんだけど分からない?」

 

「分からない。だからこうして南雲の呼びかけに応えることにしたんだ」

 

 そうでなければこうして南雲と夜中に話し合うことも出来ればしたくない。

 オレがヤリチンであること。そして──オレが南雲と付き合っているという噂が立っていることはオレにとって目下問題となっている。

 そしてその解決のためにはどうやっても南雲の力が必要だ。

 

「なるほどなるほど。それじゃ綾小路くんは今困ってるわけだ」

 

「そうだな。困ってる。噂を立てられるだけなら実害も少ないが対処法もまた難しい」

 

「あくまでも噂だからねー。分かるよ綾小路くん。私もアイドル時代はよく変な噂立てられて困ったからね。無視するのが1番だけどそれじゃ根本的に解決にはならない。だけどかといって反応するとそれはそれでまた邪推されたりしてさー。ゴシップってのは恐ろしいよね、ほんと」

 

「ああ。正直なところ思い知ってる。だからこそ南雲にはそれを止めてほしい」

 

 あえて南雲がやったと断定はせず止めてほしいとだけ願う。

 この時点じゃ南雲がやったと断定出来るほどではないが、南雲ならそれを止めることが出来るのは確か。だからこその要求だ。

 

「止めてほしい?」

 

「ああ、正直なところ南雲をこれ以上敵に回したくない」

 

 これは本心だ。

 Aクラスのリーダーで櫛田以上に求心力のある生徒会の副会長で元アイドル。そんな生徒からいつまでも攻撃を受け続けるのは正直辛いところがある。

 

「なるほどねー。だったらその代わりに私のお願いも聞いてくれたりするの?」

 

「無理なお願いじゃなければ構わない」

 

「そっか。だったら大丈夫だよ」

 

 条件があると言う南雲が、オレと真っ直ぐに目を合わしてくる。

 そうして笑顔で。いつも通り軽い調子で言葉を向けてきた。

 

「まず1つだけど……私と付き合ってくれない?」

 

 真正面から、キラキラした瞳を向けられる。

 それはオレにとって人生二度目に受ける告白だ。

 静寂が部屋を支配する。

 だが以前の佐藤のようにいっぱいいっぱいといった様子ではない。

 こちらを笑顔で見続ける南雲には余裕が感じられた。

 それでもアイドルからの告白は通常喜ぶべきことだろう。池や山内。普通の男子高校生であれば飛び跳ねて喜び回るほどの衝撃。

 そこに裏が何もなければ、だが。オレはそれを見定めるために質問する。

 

「付き合う、か……一応聞くが、南雲はオレのことが好きなのか?」

 

「もちろん嫌いじゃないよ? そうでなきゃこんなこと提案しないしね」

 

 嫌いじゃない。提案。

 それらの言葉が意味するところは単純な好意によるものではないということ。

 無論、南雲がこう見えてオレに強い好意を抱いている可能性も0ではないが、それでも今のところは何か別の目的があると考える方が自然だ。

 

「……悪いが恋愛的に好意を持っているようには見えないな」

 

「え~疑っちゃうの? 麗ちゃんの一世一代の初めての告白なのに?」

 

「腹を割って話す。そう言ったはずだがあれは嘘だったのか?」

 

 もしそうでないなら話は終わりだと暗に匂わせる。

 すると南雲は肩を竦めて見せた。

 

「それ言われちゃうと困るね。なら本音を言うと……ま、恋愛がしたいってのが本当のところだよ」

 

「恋愛がしたい?」

 

「そう。私ってこう見えて異性を本気で好きになったことないし、誰かと付き合ったこともなくてね」

 

 南雲が軽く自嘲するようにカミングアウトする。

 だがそれは恥ずべきことではない。そこいらの男子であればそういった感情を抱くこともあるだろうが、南雲の場合はアイドルという事情もある。

 恋愛は禁止。あるいはご法度というのがどこか暗黙の了解となっているアイドルにとって誰かと付き合うことのハードルは普通の人以上に高いだろう。

 もちろん彼氏を作ろうと思えばいつでも作れるであろうことは言うまでもない。

 

「交際経験がないのは分かった。だが無理して誰かと付き合う必要もないんじゃないか?」

 

「それじゃダメなんだよねー。私的には、自由に恋愛出来る今のうちに1回くらい経験しておかなきゃなって思うんだよ。人間的にさ」

 

「人間的に?」

 

「そう。だって経験がないってことは成長出来ないってことでしょ?」

 

 それはおそらく南雲の持論であるのだろう。南雲は頷いた上でそれを披露する。

 

「私は完璧なアイドルだからね。完璧ってのは完成してることよりも常に成長する存在じゃなければならない……って私は思うんだよね。だから恋愛をしたことがない。男女の付き合いをしたことがないってのは私にとってちょっとした弱点とも言えるんだよ」

 

 常に成長すること。それが完璧なアイドルである上で大事なことだと南雲は言う。

 そしてその考えはオレとしても頷けるものだ。自らを高めること。成長することはオレもまた自然と求め続けているもの。

 もっともオレのそれは強く求める欲求のようなものではなく、呼吸や食事のように生きる上での必要な行為。日常的なものであるのだが。

 

「……なるほどな。その弱点を克服したいのは理解した」

 

 ゆえに理解はする。

 だが肝心なことがまだ分からない。

 

「だがその相手が何でオレなんだ?」

 

「綾小路くんが1番可能性を感じるから、かな」

 

「可能性?」

 

「うん。恋愛的に好きになれそうな可能性。だって綾小路くんてすごい人だし」

 

 南雲が再び満面の笑顔をオレに向けてくる。

 だがその笑顔はすぐにオレを試すような、いたずらっぽいものに変わった。

 

「それに綾小路くんなら私の目的を知った上で付き合ってくれそうだからね。私は恋愛というものがどういうものか知りたい。綾小路くんも多分だけど誰とも付き合ったことないだろうし、そもそも普通の恋愛が出来るようには見えない」

 

 南雲はオレに対する評価、私見を口にする。

 そしてそれは当たっていた。確かにオレは誰とも付き合ったことがない。

 冬休みに佐藤に告白されたが、それもまた断ってしまった。幾つかの理由によって。

 

「綾小路くんだって恋愛がどういうものか知りたいって思わない? それならほら、私とならお似合いだと思うんだよね。顔は私に釣り合わないとはいえ合格を上げられるくらいにはイケてるし、能力は互いに優秀。そして互いに恋愛を知らなくて、恋愛を知りたいと思ってる。ほら、お似合いでしょ?」

 

 南雲の続く言葉はまたしても正しいものだった。

 確かにオレは恋愛というものを知りたがっている。経験のないもの。それゆえに。

 だがそれでもオレが佐藤の告白を断ったのは、第一に佐藤に興味が湧かなかったから。

 佐藤と付き合って普通の恋愛をするという絵図が描けないし、それよりも別の興味や目的を優先してしまう。

 そしてそれはもう1つの目的と並び立つほどに重要なものだ。

 

「……そうだな。確かにオレは恋愛というものを知りたい。だが──」

 

「もう1つ断る理由があるって? 当ててあげようか。恵ちゃんのことでしょ?」

 

 そして南雲はオレの考えすら先回りしてみせる。

 得意気に、自信満々に。南雲は目を細めて言葉を続けた。

 

「恵ちゃんは綾小路くんに依存してるし、好意を持っている。そんな状態で綾小路くんが誰かと付き合ったら恵ちゃんが使い辛くなる。だから今のところ誰かと付き合う気はない。そういうことでしょ?」

 

 答えを言い当てられ、オレは内心で既に評価していたはずの南雲の評価を更に上方に修正する。

 佐藤の告白。恵と関係を持つに至った経緯。2人の人間性やオレについても。

 それらをある程度把握していたとしてもオレの恋愛に対する思考を読み取るのは決して簡単なことじゃない。

 優れた洞察力。理解力が必要だ。南雲の人間に対する理解の高さはやはりさすがと言える。

 

「さすがだな。そこまで見抜いているのか」

 

「ふふん。私の理解力はすごいでしょ。それが理解出来たところで話を続けるけどさ。恵ちゃんが使い辛くなるって言うならもう1つの条件もまた呑んでくれたら解決すると思うんだよね」

 

 オレの素直な褒め言葉を胸を張って受け止めた南雲は更に解決策とやらを提示すると2本目の指を立ててくる。

 

「そういえば1つ目の条件がそれだと言ってたな。なら2つ目は?」

 

「綾小路くんが、Aクラスにやってくること。これが2つ目の条件」

 

 南雲から提示される2つ目の条件。

 それもまたオレにとっては都合の良いものに見えた気がした。

 

「クラスの移動か。だがそれを行うなら2000万ポイントが必要だ。それについてはどうするんだ?」

 

「もちろん私が払うよ」

 

「それはまた随分と破格の条件だな……」

 

 これもまた素直にそう口にすると南雲が機嫌を良くした。

 

「でしょでしょー? そしたらほら、恵ちゃんとかもういらないじゃん? 手足が必要なら私を使えばいいし、なんだったら綾小路くんはもう何もしないでもいいよ? 綾小路くんの平穏を邪魔する人間は私が代わりに排除してあげる」

 

「確かにそれならもう恵を使う必要はなくなるな」

 

「でしょ? なんだったら恵ちゃんも退学させてあげるし、後は誰だろ。桔梗ちゃんとかはどうにでもなるし、有栖ちゃんがなんかしてきても私が適当にお尻ぺんぺんしてお仕置きしておくよ。それで適当に邪魔者を排除しつつ綾小路くんは悠々自適にAクラス生活。私という最高の美少女を彼女にしながらヒモ生活を楽しめる。控えめに言ってもこれって最高じゃない?」

 

 南雲のセールストーク染みた数々の売り文句を聞いてオレは冷静に思考する。

 確かにそれならオレにとって何よりも都合がいい。

 恵を使ったのは元々クラス内で動ける手駒を求めたからだ。

 それが他の誰かに代わるに当たって感情的な部分は何一つ障害にならない。求める条件はその能力。

 南雲は恵と比べてあらゆる能力が上回っている。頭脳面。体力面。統率力。求心力。コミュニケーション能力まであらゆる面でだ。

 それを自由に使えるならそれに越したことはない上、それどころか南雲が代わりにオレを守ってくれる。問題の多いDクラスからトップをひた走るAクラスに移動した上でだ。

 それはオレの抱えている多くの問題を一気に解決する提案に他ならない。櫛田のことも悩む必要はなくなるし、南雲兄についても妹の味方になったのならこれ以上手出ししてくる可能性は少なくなくなるはず。

 あえて懸念があるとすればあの男の手が伸びてくることだが、その対処もAクラスの庇護の下、南雲と協力すれば対処しやすいことは間違いない。

 加えてオレの求める恋愛的な部分においても南雲は条件に当て嵌まる。オレの興味の持てる相手であり、都合的にも全く悪くない相手。

 そしてそれらに比べれば指して重要視していないことではあるが、南雲はとびきりの美少女だ。

 重要視していないと言っても魅力的な相手であることに越したことはない。容姿の優れていない相手であれば性欲を引き出すのにも苦労するだろう。その点において南雲は全く心配のいらない相手だ。

 

「もっと言うならある程度付き合って互いに知りたいことが知れたら後腐れなく別れてもいいしね。どっちかが本気で相手のことを好きになったらその限りじゃないけど……それはそれで良いでしょ?」

 

「確かにな。その点も同意出来る」

 

 そして何より互いに目的を同じにしているからこそ後腐れがない。

 仮に3年間、男女として交際をした後でもメリットがなくなれば南雲はあっさりとオレを手放すだろうし、オレもまた同じだ。

 あるいはその交際の中で恋愛感情が芽生えることがあるなら……それはそれで歓迎すべきことだ。

 

「オレにとってメリットしかない提案だな」

 

「理解した? だったら答えは1つじゃない?」

 

 南雲が答えを求めてくる。

 だがそこでオレはあえて待ったをかけてみせた。

 

「悪いがまた答えは出せない。もう1つの答えがまだ出てないからな」

 

「え~? こんなに良い条件なのに即決しない理由ある?」

 

「だったら答えてくれ。オレに対する悪い噂。それを流したのはなぜだ?」

 

 オレはその理由を理解しながらもあえて南雲に向けて問いかけた。

 その答えを南雲の口から知ることに意味がある。

 

「ふむふむ、やっぱり気づいちゃう? だったら教えてあげようかなぁ。答えはね──デメリットを作るため、だよ」

 

 既に気づかれていることに気づいているのか、南雲はあっさりと答えを口にした。

 

「やはりか」

 

「これもお見通しって顔だね。そういう顔を見ると不正解だって言いたくなるけど……当たってるんだな~これが」

 

「オレに確実に条件を飲ませるため。しかもデメリットは1つだけじゃない、だろ?」

 

 南雲の先読みにはこちらも先読みで返す。

 そうすることで南雲の機嫌がまた良くなった。

 

「すごいすごい! 理解してたんだ! だったらもう言っちゃうけど、もしこの提案を呑まないなら当然噂を消すことはないし、もっと酷いことも起こしちゃうよ?」

 

「例えばどんなことを起こすんだ?」

 

「またまた~分かってるくせに。でも教えてあげる。例えば──綾小路くんと龍園くんの戦いの詳細を学校中にバラまく、とか?」

 

 上機嫌に南雲はもう一方の条件という名の脅しを展開する。

 それは南雲がオレを思い通りにするための手だ。申し出を受けるメリットに対し、申し出を断る際のデメリット。今度はそれを説明する。

 

「ついでに恵ちゃんが虐められてたことなんかもバレちゃうし、綾小路くんの実力についても知れ渡っちゃうね? おまけに暴力を振るったことなんかもバレて大変なことになるかな?」

 

「やはり時任を使ったのはそれに気づかせるためのメッセージか」

 

「そりゃあね。私が気づかないわけないよね」

 

 そう、そこに未だに時任を動かせる理由。そして真鍋や、Cクラスの生徒を動かせる理由が隠されている。

 オレはその危険性に気づいていたし、南雲もまたそれをしっかりと利用していた。

 

「龍園くんは時任くんに色々危ない橋を渡らせることで時任くんを封じたつもりだったし、実際龍園くんが健在ならそれも間違いじゃなかったけどさ。龍園くんが表舞台から降りちゃったならこれがなんとどうにでもなっちゃうんだよね~」

 

「そうだな。それは間違いない」

 

 オレは南雲の言葉に同意する。

 結局のところ、龍園が打った南雲のスパイを封じる手は龍園が健在でなければ機能しないのだ。その理由を、南雲は口にする。

 

「時任くんから詳細を聞かされた時点で色々と都合が良いなって思っちゃったよね。綾小路くんが龍園くんを潰してくれたおかげで時任くんにまだまだ入れ知恵出来ちゃったし」

 

「時任が起こした諸々の問題について自首してしまえば、時任にかけられた枷はなくなるからな」

 

「そうそう! 後はついでにその暴力事件による代償を脅しにしちゃえばポイントを減らされたくないCクラスも従うしかないよねー」

 

 時任が自首を行い、屋上での一件について証言を行えば少なからず時任だけじゃない。オレや龍園、石崎やアルベルトに伊吹といったあの一件に関わった全員にペナルティがかけられるだろう。重ければ退学。軽くてもクラスポイントをある程度失う羽目になる。

 だがそれでも時任が退学になる可能性は実際のところ分からない。野村という生徒に対する暴力と恵に水をぶっかけたことを認めたとしても、そこに龍園の存在が絡んでくると話は変わってくる。

 龍園が首謀者だということを学校側に証明出来るなら時任はペナルティをかけられたとしても退学にはならない──そう嘯けば、時任を使うことなど造作もないことだ。

 あるいは退学になっても救済するとでも口にしたか。混合合宿においてCクラスが大量のポイントを得たことも、退学を阻止するためのポイントを南雲がグループ分けの時点で操作して与えたのだと言えばより信頼は増す。

 おまけに南雲の言うように、時任が起こした暴力事件や屋上での一件を軽くでもCクラスの誰か。例えば金田辺りにでも告げておけば、Aクラスのチケット争奪戦の提案だけでなくCクラスが南雲に従う理由にもなる。

 もっともそれらも龍園がリーダーのままであれば時任の証言を暴力的な手段やあるいは確実な証拠といった手段で封じることも出来ただろう。

 屋上の一件に関して龍園が時任に対して反対の証言を口にすることは考えられるが、それでも確実な証拠がなければ水掛け論だ。

 そしてそもそも問題を起こされた時点で龍園たちCクラスにとっても、そしてオレや恵にとっても負けのようなものだ。互いに問題を表沙汰にしないことが互いにとっての利。

 だが南雲からすればそんなことは関係ない。

 

「いつでもあの件を表沙汰に出来る。だからこそオレはここに来るしかなかった」

 

「そうだよねー。いやぁごめんね? 私だって本当はこんなことしたくないんだけどさ。綾小路くんを手に入れるためにはやれることはやっておかないとと思って」

 

「脅しを受けてオレが南雲を嫌う。あるいはより強固な抵抗を見せるとは思わなかったのか?」

 

「綾小路くんはそういう人間じゃないでしょ? だから問題ないかなーって思ってね」

 

 南雲のオレという人間に対する理解はどこまでも的確だ。

 問題にはならないことをしっかりと指摘し、答え合わせした上で変わらぬ笑顔を向けてくる。

 

「それに綾小路くんも言い訳があった方がいいでしょ? 提案を受けた時のメリットだけじゃなく断った時のデメリットまである。ここまでされたら合理的な思考の綾小路くんはこの提案を受けざるをえない」

 

 つまりこれは交渉であって交渉ではない。

 オレという人間を読み切った上での脅しであり懐柔策でもある。

 主導権は南雲にあり、オレには主導権があるようで存在しない。

 断ればオレは何も得られず、ただ損害を被るだけとなる。

 

「理解した? 自分が既に麗ちゃんの甘ぁ~い罠にかけられてること」

 

 罠でありつつも、それを罠とは思わせない。

 飴と鞭をどっちも使う。表と裏。どちらも表裏一体。

 

「でも悪くない気分でしょ? 別に綾小路くんは負けてないわけだから。私の提案に乗るだけで全てが良いように転ぶ。だからこそ、綾小路くんだって危機感を感じない。私の手に気づけない」

 

 オレが気づいていようがいまいが、オレにとって都合がいいなら防ぐ必要もない。

 だからこそ南雲もまた安心して策を打ったのだろう。防ぐことがそもそも難しい上に気づいたところで与えられるメリットを思えば防ごうとはしない。

 だからだろう。南雲の中のオレは次にこう口にする。

 

「……そうだな。確かに、オレに断る理由はない」

 

 噂が吹聴されることはなくなり、屋上での一件も露呈しない。オレの実力についても知られることはない。

 そしてオレはAクラスへ行き、南雲と交際して恋愛を学び、悠々自適な日常を過ごすことが出来る。

 

「ああ。そうだな──オレの負けだ、南雲」

 

 オレの口からの直接の敗北宣言。

 それを耳にした南雲が、目を細めた。

 楽しそうに。嬉しそうに。

 

「それは私の提案を飲んでくれるって思っていいんだよね?」

 

「ああ。だが、言質が欲しい」

 

「心配ないよ」

 

 今のままでは証拠がない。そういう意味合いで口にすれば、南雲はパーカーの胸元に手を突っ込み、そこからボイスレコーダーを取り出してみせた。

 

「そう言うと思って録音しておいたからさ。これが証拠になる。それでいいでしょ?」

 

「……ああ。それなら問題はない。オレもまた南雲の提案を飲む」

 

「契約成立だね」

 

 オレは納得してみせる。

 すると南雲はボイスレコーダーの録音を止め携帯の隣。机の上に置いた上で大きく伸びをした。

 

「んー……はぁ。それじゃ今この時から綾小路くんは私の彼氏。私は綾小路くんの彼女。それでいいよね?」

 

「ああ。それで構わない」

 

「そっか。それじゃ早速……始めよっか」

 

 そう言って、南雲は自らの服の裾に手を掛けた。

 こちらが驚く暇もない。あっさりとパーカーが脱ぎ捨てられ、中に着ていたタンクトップが露わになる。

 オレはその意味を半ば理解しながらも一応問いかけた。

 

「一応聞くが、何を始めるんだ?」

 

「……いやー、それは私の口からはちょっと、ね。言わなくても分かるでしょ?」

 

 若干恥ずかしそうにしながらも南雲は更に衣服に手を掛けていく。今度はタンクトップに手をかけた。

 すると次に見えるのは南雲の白い肌だ。細いウエストと、その上に位置する大きな胸の膨らみ。桃色の大きな下着に包まれたそれが視界に入ってくる。

 

「……いいのか?」

 

「そりゃ彼氏だからね。もちろん。私だってどんな感じか経験してみたいし、綾小路くんだってしてみたいでしょ?」

 

「……まあな」

 

 そう言う間に南雲はスカートまで下ろしてしまう。

 しっかりと肉付きがありつつも引き締まった太ももと長い足が目に毒だ。

 そうして下着姿になってしまった南雲は、部屋の電気を自ら消した上でベッドの上に寝転がる。

 

「それならほら……来て」

 

 どこか余裕そうに見えながらも、隠れた憂いさと緊張を感じる南雲の誘い。

 それは男という生き物にとってどこまでも甘い毒だった。抗おうとしても抗い難い。

 オレの考えていた恋愛というものを学ぶ過程。それらを一気にすっ飛ばそうとする南雲の試み。

 自らの本能を完全にコントロールしているオレでさえ、僅かながら血流を早くさせるその色香は魔性とも言っていいだろう。

 抗おうと思えば難しくはない。だが、オレは抗わずに同じくベッドの上に移動する。

 

「綾小路くん」

 

 南雲がオレの名を呼ぶ。

 その声色は可愛らしく、そして普段の明るい南雲のギャップを感じる。

 南雲もまた気分を盛り上げようとしてくれているのだろう。オレのことを本気で好きではないながらも、しっかりとムードを大事にしようとしていた。

 

「綾小路くん……」

 

 もう1度名前を呼ばれる。

 その瞳は真っ直ぐこちらを見ていた。

 オレもまたその瞳を真っ直ぐに見る。

 そのキラキラした綺麗な瞳の奥を覗き込む。

 そうして理解るのは、何も理解らないということ。

 南雲は本気で、オレと恋愛の階段を昇ろうとしている。そんな風に感じられる。

 だがそれも何もかも──甘いまやかしでしかない。

 

「綾小路くん──」

 

 3度目の名前呼び。

 先程確認した。時刻は22時20分に差し掛かろうという頃。

 見下ろす南雲の顔。間近で見る南雲のその瞬間の表情はとても美しいものだった。

 だがその表情は、オレという男を受け入れようとしている顔ではない。

 読み取れるものはないが、理解る。

 オレという人間を理解した南雲が、オレの耳元で囁いてくる。

 

「──『理解(プロファイル)』完了だよ。綾小路くん♡」

 

 未だ何も始まっていない。それなのに理解したと囁いてくる南雲。

 その意味を南雲は、オレは理解出来ないと思っているのだろう。

 だが、オレは間違いなく理解していた。

 ここまでの展開。経緯。この状況。これから起こること。それら全てが……南雲の罠だということ。

 ゆえにオレはこれから窮地に見舞われる。

 それは今すぐ。あるいは今この時にも起こること。

 南雲に全てを理解されたオレには為す術はない。ただこのまま、その破滅の時を待つのみだ。

 

 ──もし本当にそうであれば、だが。

 

 だからこそ、今はまだ内心だけで南雲にこう告げる。

 

 ──おまえじゃオレを理解することは出来ない。

 

 これから1分か2分。あるいは長くても10分以内に南雲は思い知ることになるだろう。

 この瞬間こそ南雲が望んだ、そして……オレが望んだ展開に他ならないのだと。




麗ちゃんVS綾小路。次回がまた激動です。出来れば年内に更新したいけど出来なければ年明け前後になります。お楽しみに。

感想、評価、良ければよろしくお願いします。
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