ようこそアイドル至上主義の教室へ   作:黒岩

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完璧な敗北

 2月13日の日曜日。22時20分頃。

 後1時間半もすれば2月14日。バレンタインデーだ。

 だが私にとってはその日は私がこの世に生まれた誕生日である。

 そんな1年で最も記念すべき日を前に、私は大人の階段を昇ろうとしていた。

 暗い部屋。綾小路くんのベッドの上で下着姿になる私。

 水着姿になったことはあっても男の人の前で下着姿になったことはないし、当然そういった経験も私にはない。

 だが私は緊張することもなければ抵抗感もない。これは私が昔から得意としていることだ。

 嫌だと思うから嫌になる。

 だから心を作って好きになれば大抵の物事はクリア出来る。

 私は自分のため。そして人の期待に応えるために今までに色んなことを成し遂げてきた。

 私には才能もあって環境もそれなりに恵まれていて、おまけに努力も嫌いじゃなかった。

 自分という存在を高めて大勢のファンを夢中にさせる。

 元々人に好かれることが好きな私にとってアイドルは天職だ。アイドルとしてデビューする前から、私は周囲の人に可愛いと言われ続けて育ってきた。

 つまるところ私は生まれながらのアイドルなのである。

 だから中学に上がってアイドルとして正式にデビューした時も私は私というアイドルが成功すると疑わなかった。

 私は見た目だけじゃなくて能力がある。中学の頃は今と比べればまだまだ未熟だったとはいえ、私は常に成長を続けて目の前の問題をクリアしてきた。

 私はどれだけ醜い相手でもその気になれば笑顔を向けられる。

 そこに嫌悪感やストレスなどは存在しない。だって好きなことだから。これは本心から間違いなくそう言える。私は私がアイドルとして在るためならなんだって出来る。

 そういうところがやっぱ他のアイドルとの違いだ。例えるなら桔梗ちゃんみたいな、仮面を被る人間みたいな感じ。

 私からすればそういった人たちはアマチュアだ。

 本心に嘘をついて嫌々やっているのだからそりゃストレスも溜まるし限界もあるのはそりゃそうだろうとしか言えない。

 大抵の人間は嘘をつけば態度に出る。言動に出る。嘘が上手い人ほど表面上は見えにくくなるが、それでも理解る人には理解るのだ。

 嘘で笑顔を振りまく人より本心から笑顔を振りまく人の方が魅力的に決まってるからね。

 私は幼い頃からそれに気づいていた。

 だがそれがより完璧になったのはやっぱり3年前かな。

 私はふとそんなことを思い出す。やっぱりこうやって男性に覆いかぶさられてるからかな。

 

「綾小路くん」

 

 私は目の前にいる男の子の瞳をじっと見つめる。

 綾小路くん。私の策を何度も見抜いて防いできたすごい人。

 その瞳は──例えるなら虚空だ。あるいは深淵。深く、暗く、そして何かが見えるようで何も見えない。

 その中に何を秘めているのか。全容が見えず、それが小さいのか大きいのかも分からない。

 だが今までの綾小路くんを見てきた結果、私はそれがとてつもなく大きいものだと確信していた。

 だからといって勝てない相手じゃないけど。

 どんなに完璧に見える人間でも付け入る術はある。私はそれを理解している。

 だからこそ入念に準備をしてこの状況に持ち込んだ。

 そしてこうなった時点で私の勝利は確定しているのだ。

 もちろんリスクもあるし、私としてはこういった手は出来れば取りたくはない奥の手ではあった。

 だけどしょうがない。綾小路くんはとても強いから私としてもノーリスクというわけにはいかないんだよね。

 勝利を掴むために出来ることがあるならなんだってするべきなんだから。

 そのためなら自分だって犠牲にするのも時にはあり。肉を切らせて骨を断つって感じで。

 だからまあちょっと身体を触るくらい。あるいはキスくらいなら本当に特別に許してあげよう。

 その代わりに綾小路くんは終わっちゃうけどそれも仕方ない。

 綾小路くんという人間を『理解』し、私の血肉にする。平たく言えば経験値かな。そう、倒して経験値にすることで麗ちゃんはレベルアップ。更に完璧になる。

 綾小路くんのことは嫌いじゃないけど、たとえ好きな相手でも自分の成功のためなら時には切り捨てることが必要な時はある。

 だから……そう。これは仕方のないこと。

 

「──『理解(プロファイル)』完了だよ。綾小路くん♡」

 

 だから私は彼に本心から囁いた。

 初志貫徹。1度やると決めた以上は切り替えていかないとね。

 最初の目的通り、これで綾小路くんは終わり。

 その時はもう間もなくだ。私の体内時計的には後1分か、あるいは2分か。多少の誤差はあれどそれで勝負は決まる。

 だからまあその間くらいは綾小路くんの好きにさせてあげようと私は受け身になることにした。

 さて、最初はやっぱりおっぱいかな? それともまた別のところに触れるかな? 

 綾小路くんの興味がどこにあるかをそれで確かめるのも悪くない。やるからにはこれもしっかりと経験値にさせてもらう。

 だから私は待った。綾小路くんの動きを。心を作る準備をしながら。

 

「……綾小路くん?」

 

 だが、どうにも綾小路くんの動きは鈍い。

 私に覆いかぶさったまま何もしない綾小路くんに対し、私はその名前を疑問符付きでまた呼ぶ。

 ははーん? さては緊張しているな? 

 それなら仕方ない。別に何かされたいわけじゃないけど言葉を掛けてあげよう。

 

「どうしたの綾小路くん? やっぱり……緊張してる?」

 

「ああ、緊張してる」

 

 やっぱり緊張しているらしい。声色には何も見えてこない辺り相変わらずすごいけどまあ綾小路くんもしっかり人間だったということだ。

 それが理解出来ただけでも良かったかな。

 

「南雲」

 

「ん、なに?」

 

 綾小路くんが私の名を呼んだので返事をする。

 そして待つことしばらく。それは30秒程度だったが、無言の時間は思ったよりも長く感じるものだ。

 ただ私としてはちょっと残念なような複雑な時間。綾小路くん的には時間がまだまだあると思っているのかもしれないけど残念。もうじきタイムリミットだ。

 だから私はその段階で心を作っていくことにした。いつその時が来てもいいように。

 綾小路くんがその時にどんな顔をするか。それが楽しみだ。そう思って──

 

「もうすぐだな」

 

「……え? 何が?」

 

 その言葉に私は一瞬、意味が分からず素で問いかけた。

 だがすぐにその言葉の意味を理解する。

 

「おまえの予定では、もうすぐのはずだ。オレが嵌められるのが」

 

 その言葉に私は心臓を跳ねさせる。

 だがそれを表情には出さない。問題ない。私は心底疑問に感じて応答する。

 

「……それはどういう意味かな?」

 

「惚けなくてもいい。オレには全部分かってる」

 

「ちょっと何言ってるか分からないんだけど。それよりもしなくてもいいの? エッチなこと」

 

 平常で答えるが、私の方がどちらかと言えば困惑していた。

 全部分かっている? ──いや、そんな筈はない。

 

「ここまでがおまえの策なんだろう? オレと密室で2人きりになり、そこで情事を行っているという状況を作る。そして、そこを現行犯で取り押さえる」

 

 そこまで聞けばまず驚き。そして次に楽しみを感じた。

 まさかとは思いつつもそれを本当に理解しているのか。それを試すためにも私は質問する。

 

「……いやいや、そんなことしないけどさ。仮にそうだとしたらちょっとよく分からなくない? ここ綾小路くんの部屋だし、そもそも合意の上だよ? 誰かが入って来れるはずがないし、仮に入ってきたところで取り押さえる意味が分からないよ。その時は2人で何でもない風を装うか撃退しちゃえばいいしさ」

 

「合意の上だと言っているのは今だけだ。この部屋に誰かが入ってくる。その時点でおまえは泣き叫ぶなり抵抗する演技をしてオレに襲われそうになったと助けを求めるつもりなんだろ?」

 

 私のすっとぼけた疑問を難なく封じてくる綾小路くん。

 その顔には動揺も恐れも何もない。私をじっと見つめながら続けてくる。

 

「そして鍵がかかった部屋への侵入方法も難しいことじゃない。合鍵を使えばいいだけだ」

 

「合鍵? そんなのどうやって手に入れるの?」

 

「合鍵を作ることは大して難しいことじゃない。鍵を持っていった上でポイントを支払えばいいだけだ。持ち主からは同意は得ていると告げた上でな」

 

「もちろんそれは理解してるけどさ。でもそんなことした覚えないよ?」

 

 これは嘘じゃない。綾小路くんの部屋の合鍵を作るようなことはしていないし、第一そんなことは不可能だ。現実的な手じゃない。

 だが綾小路くんは理解していた。

 

「以前、オレは須藤や池、山内たちに勝手に合鍵を作られたことがあった」

 

「……へえ? そうだったんだ」

 

「そうだ。そして、その合鍵は未だに返却されてない。だからそれを盗み出せばいい。池や山内の部屋にでも入れば出来ないことじゃないだろう」

 

「私が盗み出したって? それって証拠あるの?」

 

「なんなら確認を取っても構わない。池か山内、あるいは須藤の持っているオレの部屋の合鍵が失くなっているはずだ」

 

 とは言え私に盗み出されたとは思わないだろうけどね。普通に失くしちゃったと思うだけだ。

 

「それでも私が盗んだって証拠にはならないよ」

 

「かもな。だが、今外にいる人間は確実にオレの部屋の合鍵を持っている。そしてオレの部屋に突入しようと動いている。ヤリチンのオレに襲われている南雲を救い出すためにな」

 

「……なるほど。確かにそれならちょっと綾小路くんはマズいかもね」

 

 この状況で私が泣き叫んで助けを求めれば綾小路くんには強姦容疑が掛けられてしまう。

 もしそれが認められれば綾小路くんは退学どころか逮捕までありうるし、認められずとも社会的には死ぬだろう。

 ただそうなるにはもっと色んな仕掛けをしなくちゃいけなかったんだけどね。

 私は時計をちらりと横目で確認しながら更に話を続けようとするが……そこで気がかりを思い出す。

 

「『さすがに遅い』──そう思ってるんじゃないのか?」

 

「…………」

 

 私はそこで浮かべていた笑顔を意図的に弱める。

 それを聞いて私もまた気づいた。

 おそらくだが綾小路くんもまた手を打っていることに。

 

「ふーん……ということは、もしかして何かした?」

 

「ああ。当然、手は打たせてもらった」

 

 私は綾小路くんが打ったであろう手を想像しようとする。

 だがそれをする必要もなく綾小路くんから語られた。今、この裏で起きていることを。

 

 

 

 

 

 ──それは綾小路と南雲が偽りの契約を結んですぐのこと。

 

「……時間だな」

 

 1年生の寮の外。そこでスマホで時間を確認した1年Aクラスの神崎は動き出した。

 寮のエントランス。そこに向かうまでに神崎は計画通り大勢の生徒たちと合流する。

 

「よろしくお願いします、先輩方」

 

「ああ。いつでもいけるぜ。南雲を部屋に連れ込んだ変態野郎を取っちめればいいんだろ?」

 

 そこにいたのは2年生を中心とした10名の男子生徒。

 それも喧嘩自慢。腕っぷしに長けた生徒たちだった。

 この計画のために南雲の指示を受けた神崎が集めた生徒たち。その先輩に向けて神崎は敬語で指示をする。

 

「はい。これから突入しますので付いてきてください」

 

「ああ」

 

 そうして神崎を先頭に集団は歩き出す。

 だが神崎以外は計画の全容までは知らない。彼らが分かるのは、ヤリチン疑惑のある綾小路という生徒が南雲を襲う計画を立てているということ。それを防ぐために神崎が綾小路に関する証拠を集め、それを防ぐために腕っぷしの強い生徒に交渉を持ちかけたということだけだ。

 そのために神崎は動いていた。事前に入手していた綾小路の部屋の合鍵を使い、その部屋に侵入して綾小路を嵌めるため。

 クラスの勝利のために南雲を信頼し、このグレーな作戦に身を投じていた。

 そしてやる以上は抜かりはない。神崎は完璧な布陣でこの計画に臨んでいる。

 それを自負し、神崎はエントランスに入るとエレベーターのボタンを押した。神崎を含め11名の大所帯とはいえ、寮のエレベーターの定員内ではあるため問題ない。そのためエレベーターで綾小路の部屋がある4階まで行こうとしたのだが……。

 

「……エレベーターが来ない?」

 

 エレベーターの現在位置を示すランプ。それが13階から一向に動かない。

 何度かボタンを押してみるがそれは変わらない。

 

「故障か?」

 

「どうするんだ神崎」

 

「……仕方ない。階段で行きましょう」

 

 エレベーターが動かないことに疑問と違和感を感じつつも神崎は非常階段で行くことを先輩たちに告げる。寮の管理人に一々報告しにいくようなことはしない。

 そうして神崎は着実に近づいていった。階段を一歩ずつ登っていく。

 だが4階にやがて辿り着こうという時。3階と4階の間の階段に到着し、そこで神崎は姿を見るより先に声を聞いた。

 

「──よう。こんなところで何してんだ?」

 

 寮の非常階段に1人の男の声が響き渡る。

 その声。そしてその姿を確認し、神崎は階段の踊り場部分で立ち止まり、見上げながらもその男を睨みつけた。

 

「なぜおまえがここにいる──龍園……!」

 

「おいおい。そりゃこっちの台詞だろ。こんな夜中にぞろぞろと集まって何をしてるんだ?」

 

 神崎は4階に続く通路の前で立ち塞がる龍園。そして石崎にアルベルトというCクラスの面々を見て事態を把握していく。

 偶然とは思えない妨害。そうは思いつつもまずは言葉を作った。

 

「おまえ達には関係ない。そこをどけ」

 

「クク、悪いな。生憎と今はこいつらと取り込み中でな」

 

 石崎とアルベルトの両名も大人しく龍園に付き従っている。その違和感にも神崎は言及した。

 

「龍園。おまえはリーダーを降りたんじゃなかったのか? なぜ石崎やアルベルトと……」

 

「それこそ関係ない話だ。部屋に戻りたきゃエレベーターでも使えよ神崎。おまえの部屋は4階じゃないはずだ」

 

 部屋の場所を把握していることに驚きはない。

 だがあえて4階に陣取っている妙に神崎は思考した。

 

「クク……それともエレベーターが使えなかったか? そうじゃなきゃ階段で一々ここまで昇っては来ないからな」

 

 その言葉に確信する。

 おそらく、エレベーターの方も龍園……いや、あるいは綾小路が手を打って4階への移動を封じているのだと。

 

「おい、どうするんだ神崎」

 

 2年の先輩にどうするかを問いかけられ、神崎は判断した。ここでいつまでもまごついているわけにもいかない。

 

「……龍園。そこをどけ」

 

「おまえの命令を俺が聞くと思うか?」

 

「どかないなら痛い目に遭うことになるぞ」

 

 言葉での警告。まずはそれを行う。

 ここで龍園と事を荒立てるのは得策じゃない。そう思ったがゆえの警告。

 だが、それではいそうですかと言うことを聞く相手じゃないことは分かっていた。

 

「随分と強気だな。雑魚の分際で脳筋共を引き連れてそれで俺の上に立ったつもりか? 雑魚は雑魚らしく引き返せよ神崎」

 

「……そこを通すつもりはない。そういうことでいいんだな?」

 

「ああ。当然だろ」

 

 どこまでも強気に、そして挑発的にこちらを見下してくる龍園に神崎も諦めと共に怒りを覚える。

 そしてそれは脳筋と言われた神崎の背後にいる生徒たちも同様だった。

 

「おい、神崎。こいつもやっちまっていいのか?」

 

「……ええ、構いません」

 

 龍園がここに立ち塞がっている以上、それを排除する必要がある。

 そう判断し、許可を出した神崎を見下ろし、龍園もまた笑う。

 

「クク、こいつ()、か。やっぱり脳みそまで筋肉まで出来てやがるな。これじゃ先輩でも敬うのは無理ってもんだ」

 

「何だと!?」

 

 階段に足をかけ、今にも詰め寄ろうとする上級生に龍園は一歩も怯むことはない。

 

「だが頭まで筋肉で出来てる分、久し振りの喧嘩の相手としちゃ申し分ねえな。──なあ?」

 

「うす! ……い、いや、当然だろ!」

 

 龍園が石崎とアルベルトに声をかければ、石崎はぎこちない返事を。そしてアルベルトは無言のまま頷き、共に拳を構えた。

 そして龍園もまた神崎らを見下しながらも応じる姿勢を見せる。

 

「ほら、来いよ神崎。俺と遊びたかったんだろ?」

 

「っ……この数を前におまえこそ強気だな。止められるとでも思ってるのか?」

 

「なんだ、おまえには止められないとでも思ってるのか? 無人島で大勢でかかっておきながら沈められたこと、まさか忘れてねぇよな?」

 

 無人島で龍園たちにボコボコにされた記憶。

 それは神崎にとって苦い記憶だ。

 だが今の神崎はそれがあったからこそ、自らを高めここに立っている。

 

「以前の自分とは違う。それをおまえに思い知らせてやる……龍園!」

 

「クク、そういう威勢のいい言葉は聞き飽きたぜ。さっさと来いよ、格の違いってのを教えてやる」

 

 その言葉と共に神崎と2年の集団が龍園たちに駆け寄った。

 怒号が響き、暴力に満ちる非常階段。南雲と綾小路の争いはここでもまた始まっていた。

 

 

 

 

 

 オレは南雲に裏で起きていること。オレの打った手を語って聞かせた。

 部屋は薄暗く、オレの真下には未だ下着姿の南雲がこちらを楽しげに見つめて来ている。

 分かっていたことだが、このくらいじゃ多少は動じてもすぐに修正してくる。負けを認めたようには微塵も見えない。

 

「……なるほどね。なーんかこそこそ龍園くんと接触してるかと思ったら協力してたんだ」

 

「ああ。南雲、おまえが時任やCクラスを使って何かすることは分かっていた」

 

 だからこそ林間学校の時からではなく、屋上での一件を終えた冬休みの時点から協力を要請していた。

 もっとも、林間学校では南雲がどんな手を取ってくるかは龍園とグループを組んだ時点では分からなかったし、この南雲の計画に気づいたのもほんの少し前だ。

 

「前々から気づいてたってことかー。じゃなきゃ事前に龍園くんを配置なんて出来ないもんね」

 

「部屋を出ておまえと合流する前には連絡を送っていた。オレ1人じゃどうにも出来ないからな」

 

 南雲がオレを取り押さえるためにどれだけの人数を用意したかは分からないが1人2人ではないことだけは確か。

 そしてたとえ1人でも部屋に突入されて騒ぎになった時点でオレは少なくとも社会的に死ぬことになる。たとえ南雲や他の生徒をオレが暴力で屈服させたとしても騒ぎが大きくなればどちらにせよオレは破滅する。

 

「この部屋への侵入を止める。あるいは遅らせる。そのためにも龍園が必要だった」

 

 南雲の取ってくるであろう策とそれを封じることを話せば龍園は仮に気乗りせずとも応じざるを得ない。

 南雲が時任を使って龍園や石崎たちCクラスに被害を与えるのは龍園としても避けたい展開だ。いざとなればどうにか説得する必要もあったが、その心配はいらなかったのはオレにとって都合がいい。

 龍園もまた南雲に対しては思うところがある。だからこそ協力を得られた。

 石崎やアルベルトに関してもあの一件がバレることを口にすれば協力を得ることは容易だ。女子階である13階でエレベーターを封じている伊吹に関しても。気に入らずとも協力するしかない。

 

「なるほどなるほど。龍園くんも根に持ってたってことかー。確かに、綾小路くんに負けたとはいえやられっぱなしだしね。おまけにデメリットまであるし。これはちょっとCクラスを虐めすぎたかなぁ」

 

 南雲は得心をしたようにオレの下で頷いている。

 だがそれでも疑問はあるようだが、それに対しても解答は用意出来ていた。

 

「だけどさ。そもそもそこまでして封じなくても良くない? ほら綾小路くんが私を襲った証拠もないしさ。それどころか私と綾小路くんの契約を録音したボイスレコーダーまであるんだし。もしそうなってもそれを提出すればいいだけじゃん」

 

「ボイスレコーダーはこの部屋に侵入し、オレを取り押さえる時に破棄すればいいだけだ。あれはおまえがオレを油断させるために用いたものに過ぎない」

 

 ボイスレコーダーで録音したから大丈夫。そうやって人の心理を突く。思い込ませるのは南雲の常套手段だ。ボイスレコーダーで録音したとしても後で消去してしまえばいい。

 こちらが同じく録音していなければたったそれだけで済んでしまう。

 

「オレに有利な証拠を取られないようにするため、おまえは最初に携帯を置かせた……が、取った手段はそれだけじゃない」

 

 南雲は黙って聞いている。視線でその先を求めていたのでオレは続けた。

 

「おまえや、あるいは神崎といったおまえの手駒は事前にオレの部屋に侵入し、レコーダーの有無や細工を行った。合鍵を持っていればそれも難しいことじゃない」

 

「……ああ。なるほど、あの時立ち止まったのはやっぱ気づいたからなんだ」

 

「オレを寮の裏手に呼び出し、それを確認してからおまえ達は部屋に侵入していた。その際に何か撮られていないかを確認し、更にはオレの部屋に幾つか見つかったらマズいものを忍ばせておく。後でオレが取り押さえられた時に不利になるように」

 

 例えば南雲の下着や写真。あるいは避妊具といったものをオレの部屋のタンスやどこかに忍ばせる。

 オレのヤリチンだという噂や、南雲と付き合っているという大勢の人に嘘だと思われる噂を補強し邪推させるためのアイテム。それがオレの部屋から見つかれば、オレが南雲に目をつけ襲おうとしたというストーリーが出来上がる。

 

「それに加えて周りの人間の証言も付け加えれば更にオレは不利になる。例えば──櫛田とかな」

 

「……あー、桔梗ちゃんも余計なことしたんだ」

 

「ああ。オレが交渉を持ちかけた際、オレのポイントを根こそぎ奪い取ろうとしてきたからな。少し不自然だった」

 

 あの対応を見てオレは櫛田もまた一枚噛んでいることを確信した。

 そもそも南雲に弱みを握られている以上、櫛田からオレに関する情報が漏れるのは想定して然るべきもの。

 つまり──櫛田がオレを脅すために保管し続けている証拠もまた提出する用意があるということ。

 

「とはいえ櫛田にまでこの計画を話しているとは思えない。おそらく櫛田はオレが胸を触ったことを持ち出して南雲がオレを退学にすると思っているんだろう」

 

「はぁー……ま、そうだろうね。桔梗ちゃんはおバカちゃんだからあんなのが証拠になると思ってるみたいだったし。でもまあそんな桔梗ちゃんのぽんこつ証言でも付け加えれば多少の証拠になるよねー」

 

 南雲は呆れているようだった。当然だが、南雲もまた櫛田の持つ証拠が証拠にならないことに気づいている。

 だがそれをあえて指摘はしないし、それどころかそれを利用しようとした。

 

「ま、桔梗ちゃんのことは置いといて話戻すね? さっきの話だけど仮に私たちが忍び込んだとして綾小路くんが部屋を出てから約束の22時まで。そんな短い時間でそこまで出来るかなぁ?」

 

「遅れれば時間を遅らせればいいだけだ。寮の裏手で適当な話題でも話しながら細工の時間を待つ。それからオレの部屋に向かえばいい」

 

「それはそれは。用意周到だねぇ」

 

「付け加えるならオレにあえて部屋を選ばせたのもオレを油断させるためのフェイクだ」

 

 話をする場所の選択肢をオレに投げ渡した南雲だが、仮にどちらを選んでも同じことだっただろう。既にアイテムは仕込んである。盗聴の恐れもない。南雲の部屋であればオレが何か細工を行っている可能性は0な上、深夜に女子の部屋にやってきたという更に不都合な証拠まで付け加えることが出来る。

 そしてそもそもオレが南雲の部屋を選ぶ可能性も少ない。だが選択肢として渡すことで自分の判断で、しかも自分の部屋を選んだという油断が生まれる。

 自室に侵入されているはずがないという思い込み。それを覆した上で南雲は策を打っていた。

 

「可能な限り痕跡は消すようにしていたはずだが、それでも多少の不自然はあった。置いてある物の位置。タンスやクローゼットの引き出しの僅かなズレ。シーツの皺。部屋に入った時点で違和感は幾つかあったからな。そこで侵入されてることを確信した」

 

「そこまで覚えてるんだ。すごいね」

 

「意図的にズレを作っておけば問題ない。それに覚えていたのはおまえも同じだろう。部屋に入ってわざとベッドに座ったのも証拠を消すためだ」

 

 部屋に侵入される可能性が分かった時点で細かな細工は行っておいた。

 南雲や神崎が如何に気をつけようと本当に微細な違いまでは修正出来ない。

 

「後はオレに有利な契約を持ちかけ、この状況まで持ち込むだけだ。断れば不利に陥る以上、オレは断ることは出来ない」

 

「──さすがだよ。綾小路くん」

 

 そこまで言えば南雲はこちらをより楽しげに、オレの身体を軽く押して起き上がりながら褒め称えてきた。

 オレはあえてそれに逆らわずに南雲を1度起き上がらせる。そうして月明かりだけが頼りな薄暗い部屋の中で、南雲は手を叩いた。

 

「でもなんでだろ。そこまで気づいてたならここまで乗っかる必要はなかったんじゃない? 私と部屋で2人っきりにならなければ防げるわけだしさ。そこがちょっと分からないなぁ」

 

 南雲は顎に手を当て、思考する。

 だがそれもポーズでしかないだろう。その証拠にすぐに南雲は明るい笑顔を見せた。

 

「ま、いいや。とりあえずもうしばらくはここで待たせてもらうよ。神崎くんたちが龍園くんたちを突破してここに来る可能性もまだあるからね」

 

「おまえは本気でオレを潰す気なのか?」

 

「これは仕方のないことなんだよ綾小路くん」

 

 探偵や教師でも模しているのか、南雲はそこでもおどけてみせる。

 

「これまでの私の経験の中に綾小路くんほどのすごい人間はいなかった。それだけに、出来れば倒して『理解』しておかないと。ほら、RPGで敵を倒して経験値集めてレベル上げるじゃん? それと同じなんだよ」

 

「南雲の成長のためにオレを倒したいということか」

 

「そう。そのために今まで散々色んな手を打ってきたんだけどね。でも綾小路くんがあんまりにも私の手を防いじゃうからさ。もうこんなやっべー手しか残ってなかったってわけ」

 

 肩を竦め、やれやれと言わんばかりに苦笑いを浮かべる南雲。

 それたもまったく演技しているようには見えない。どれも南雲の素の顔なのだろう。

 やはり多少の負けでは落ち込むこともなければ諦めることもない、か。

 

「……そこまで自分の成長に、いや、アイドルであることにこだわる理由はなんなんだ?」

 

「ほう? 気になる? 気になっちゃう? 麗ちゃんのことが」

 

「ああ。気になる」

 

 南雲は玄関に続く通路に立ち塞がりながらにやりとこちらを見ている。

 オレが逃げ出さないようにしているのだろう。この部屋からオレがいなくなれば、多少の不都合はあるとはいえ少なくとも強姦しようとした罪だけは逃れることは出来る。

 だがいらない心配だった。オレはあえてじっとし続け、南雲の言葉を待つ。向こうもまたこちらの一挙手一投足を見逃さないようにしていた。

 

「ふむ。それならまだ時間もあるし、せっかくだから教えてあげようかな──といっても語ることはそんなにないんだけどね」

 

 おどけてはいても隙は見せていない。暴力においてもある程度の自負はあるのだろうが、それよりも気をつけるべきは女としての武器の方だ。オレが動けば南雲はそれを用いて立ち回ってくるだろう。それを注意しているというポーズを見せつつオレは黙ってその話を聞いた。

 

「ま、簡単に言えば私は昔から人の期待に応えるのが好きな子だったってだけでさ」

 

「期待に応えるのが?」

 

「そう。私は可愛がられるのが好きだし、可愛がってくれる人が喜んでくれるのも好き。そしてみんなが私に期待してそれに応えて輝いている私のことが好き」

 

 南雲は手を胸の前で組んでそう語る。

 それが南雲の持つアイデンティティなのだろう。南雲がアイドルになった根源とも言えるもの。

 

「活動してきた中で好きなものはたくさん増えたけどそういった諸々引っくるめて何でも出来て完璧な魅力的なアイドルであり続けることが私にとっては生きがいなんだよね。だから上に行くために必要なことは何でもするようにしてるの」

 

「なるほどな」

 

 オレは理解を示す。

 といってもまだ肝心な部分。オレが最も興味が湧いた部分までは覗けていない。

 ゆえにオレはここで更に質問をする。

 

「何でも、か。もしかして2年前のスキャンダルもなのか?」

 

「……あー、あれね。綾小路くん知ってるんだ」

 

「南雲のことを調べている時に偶然知ったんだ。そして興味を持った。良ければあの事件の詳細を教えてくれないか?」

 

 そんな不躾なお願いをすると南雲は目をすっと細めた。

 

「んー……さすがにそれは無理、かな。というか私が答えられることでもないしね」

 

「あの事件に南雲が関与していることは全くないと?」

 

「ノーコメントだよ。はぁ……そういうマスコミみたいな質問やめてくれるかなぁ。せっかくの楽しい時間が冷めちゃうよ」

 

 当然、聞いただけで珍しく苦い顔を浮かべた南雲が教えてくれるはずもない。

 とはいえこれ自体は然程重要じゃない。答えてくれないことも織り込み済みだ。

 既に自分の中で算盤は弾き終えていた。そして南雲を見続ける。南雲の方は時計を確認していた。

 

「うーん……これはもうダメかな。さすがに遅すぎるね」

 

 時間を見ながらもこれ以上時間を稼ぐことも難しいと悟ったのか南雲は軽く息を吐いて見切りをつける。

 床に落ちていたタンクトップを拾い、軽く指でくるくる回し始めたのを見てオレは問いかけた。

 

「帰るのか?」

 

「いつまでもここにいても仕方ないからね。というか綾小路くんが本気出したら私なんてあっさり抜けられちゃうし。とりあえず仕込んでおいたもの回収して帰ろうかな」

 

 南雲は既にこの作戦も失敗したものと決めつけ、さっさと撤収しようとしていた。

 この辺りの切り替えの速さに割り切りの良さも的確だ。成功する見込みが薄いと分かった時点でどれだけ手間暇かけた作戦であろうと粘ることなく撤退する。

 これが出来る人間はそう多くはない。

 

「そんなわけで今回の麗ちゃん劇場はしゅうりょ~う。次回もまたお楽しみに~」

 

 気の抜けるような台詞を口にする南雲。

 このまま南雲が帰れば南雲の計画は失敗に終わる。

 だがそれでも南雲は諦めはしないだろう。手を変え品を変え、オレに執着してくるに違いない。

 だからこそこの場で南雲は敗北してもらわなければならない。

 ただの敗北じゃない。降参。白旗を上げて許しを乞うほどの完全敗北を。

 

「待て、南雲」

 

「ん?」

 

 だからオレの部屋から仕込みを回収しようとする南雲に、オレは声をかけた。

 通路側から部屋の中へと移動した南雲に代わり、今度はオレが通路側を塞ぐように立つ。

 そして告げた。

 

「悪いがおまえをこのまま帰らせるわけにはいかない」

 

「……どういうことかな? ちょっと理解に苦しむんだけど。私を帰らせなきゃ困るのは綾小路くんだって理解してる?」

 

 南雲がこのまま部屋に居続けることは疑惑を強め、オレが破滅する危険性を高めるだけの自殺行為。

 きっと南雲はそういう風に思っているのだろう。

 だがそれは誤りだ。

 

「仮に神崎か誰かがここに来るとしてももう少し時間があるだろう。それまでにやるべきことを済まさせてもらう」

 

「ちょっとちょっとー? 勝手に話を進めないでくれる? 私はもう帰るって言ってるのにさ。それにこう見えて結構恥ずかしいんだよ? 下着姿で男の人の前に出るなんて初めてだしさ」

 

 そう、南雲は男を知るため。恋愛を知るためにオレに偽りの契約を持ちかけてきた。

 偽りとはいえ、その目的自体は本物だとオレは考える。

 だからこそチャンスになるのだ。オレは南雲に、自らの意思を伝えた。

 

「これから続きをさせてもらう」

 

「……続きって?」

 

「さっきの続きだ。最初におまえが言ったように、これからおまえを……襲わせてもらう

 

 言えば、南雲はほんの一瞬だがぽかんと呆けた顔をした。

 だがすぐに表情を取り戻す。だがそれも、普段のものとは違う。

 

「あっはっは」

 

 こちらをバカにしたような。あるいは蔑むような。

 あるいは理解不能だと断じるような、そんな乾いたスマイルが向けられる。

 

「綾小路くんさ……正気? 自分から私を襲うってさ。噂を真実にしちゃってどうするの?  そんなことしたら綾小路くん犯罪者だよ?」

 

「バレなければ犯罪になることはない。オレがおまえを襲ったところで証拠になるものがなければ問題ない」

 

「いやいやいや、さすがにそれはやりすぎでしょ。綾小路くんってばそんなに人生捨てたいの? それとも……案外、本気で私とシたいとか? 結構びびっと来ちゃった? そうは見えないんだけど」

 

「人生を捨てるつもりはないが経験しておくのも悪くない。据え膳食わぬは男の恥とも言うしな」

 

 そこまで言えば南雲は笑みを弱くした。こちらが本気であることを悟ったのだろう。目を細めてこちらを見つめる。

 珍しくその目は笑っていない。

 

「……本気の本気で私を襲うつもり、か。そんなことをしてタダで済むと本気で思ってるの?」

 

「この部屋には誰も来ない。おまえを襲って証拠を隠滅する時間は十分にある」

 

 無論、即警察に駆け込まれれば逮捕されるリスクもまた高い。

 だがそれでも実行する。そんな気概を、冷静に、静かに佇むことで見せつける。

 すると南雲もまた理解したのだろう。机の上のボイスレコーダー。そしてオレの背後にある退路を見て呟く。

 

「そっか。なるほどね」

 

 だがそこで一転。南雲は再び笑顔を浮かべた。

 

「まさか綾小路くんがここまでお猿さんだと思わなかったよ。それは私の計算ミスかな」

 

「受け入れるのか?」

 

「そうだね。綾小路くんから逃げられそうにないし、ここは大人しく受け入れざるをえない、かな……ま、ちょっと経験してみたかったのは嘘じゃないしね」

 

 そう言って南雲はこちらに近づいてくる。

 そうして1度は身に付けていたスカートをもう1度目の前ですとんと下ろしてきた。

 その瞬間、オレの目線が僅かに下がる。そう見せかけた。

 

「──!」

 

 スカートが落ちてオレの目線が下に下がったのを見るやいなや南雲の手が素早くオレの右手を取ろうとしてくる。

 オレはそれを同じく手で払い、続いての金的を狙った蹴りも膝でガードする。

 それと同時に今度はオレが南雲を捕まえようと手を伸ばした。

 

「っ!?」

 

 一瞬、それに驚いた南雲だがそれを手刀で叩き落して強引に突破──することはなく背後に下がって回避を選択。

 それによりオレの手は空を切る。

 

「やるな南雲。何か習ってたのか?」

 

「……アイドルは自分の身を守る必要があるんだよ。普通の人より危険が多いからね」

 

 半ば肯定しつつもこちらを油断なく視界に収め続ける南雲。

 その一連の動きは迷いなく、そして素早く的確な動きだ。技術があるだけじゃない。目の良さ。動体視力とセンスが良いのだろう。初見の不意の行動にも的確に対応してきた。

 見る限り技術とセンスだけなら龍園や、あるいはセンスだけならオレよりもあるかもしれない。オレの強さは膨大に培ってきた修練と経験による強さだが、南雲は経験や筋力は敵わずともそれなりの技術とセンスによってオレの動きに対応してきた。

 アイドルをやっていただけに武術を徹底的に学んではこれる時間はなかったはず。

 だが短い時間であっても要領が良い人間。才能のある人間は短い時間でそれなりの成果を残すことが出来る。

 あるいはオレと同じだけの教育を受ければオレ以上になりえる可能性を持つことも考えられるが、仮にそうだとしても今圧倒的に強いのはオレの方だ。南雲もそれを理解しているのだろう、静かに言葉を送ってくる。

 

「全く……勘弁してほしいよ。綾小路くんと暴力で競い合うつもりなんてさらさらなかったのにさ。勝てるわけないじゃん」

 

「そうだな。おまえじゃオレには勝てない」

 

「っ!?」

 

 その言葉と共に南雲に肉薄する。

 南雲が素早くオレに打撃と力を利用しての受け流しを行おうとするが、オレはそれを筋力で強引に押し通すことにした。南雲が掴んできた手を逆に掴み返し引っ張る。

 そして体勢が崩れたところでもう片方の手で首を掴み、そのまま床に押し倒した。

 

「っ……あはは、ちょっと、容赦なさすぎるんじゃない? それに強すぎだよほんと」

 

「南雲も十分に強い。女子でその強さなら他に敵はいないだろう」

 

「番組とか企画で知り合った現役の五輪メダリストとか合気道の達人とかに頼んで仕込んでもらったからね。だけどこの状態で言われても皮肉にしか聞こえないんだよねー」

 

 名の知れた人に教えてもらったという南雲の技術はやはり高い。

 強さで言うなら堀北や伊吹などを優に超えているだろう。

 だがそれでもだ。男の持つ筋力には敵わない。

 女子にしては筋力も強い南雲だが、見た目を重視している南雲では鍛えるのにも限界があったのだろう。腕と足で押さえ込めば南雲に為す術はない。

 

「っ……はぁ、はぁ、ちょっと、首苦しいんだけど? よく本気でこんな可愛い女の子に暴力振るえるね?」

 

「見た目が良いから暴力を振るえない? 悪いがオレはそんな優しい人間じゃない」

 

「あはは……血も涙もないね」

 

 首を押さえつけられて苦しいのか苦笑いを浮かべる南雲。

 だがそれでも南雲の瞳に絶望は見えない。未だ光輝いている。

 

「……どうしても私を襲うつもり?」

 

「そのつもりだ」

 

「そっか。それじゃ──仕方ない、ね」

 

 どこか諦めたようにそう言うと、身体から力が抜ける。

 そして今度は苦笑いで苦しそうな声ではない。切なさを感じさせる表情と声を出してきた。

 

「んっ……はぁ……これで準備は出来た、かな。それじゃ後はもう好きにしていいよ……」

 

「……諦めたのか?」

 

「諦めたというか受け入れたんだよ。んっ、だからほら……やられるなら苦しくない方が良いし、受け入れられるように心を作ってみたんだよね」

 

 そう言う南雲の身体は熱い。そしてどこか湿り気を帯びている。

 その反応と言葉が意味するところは、南雲が、心からそれを受け入れる態勢と整えたということ。

 

「メソッド演技か」

 

「ふ、ふふ……そうとも言うのかな……? まあ私の場合は特定の役柄ってわけじゃないし、演技じゃなくて本心だよ。私は今、心から綾小路くんを受け入れる。そうすれば何も苦しくないし抵抗感もないからね」

 

 その言葉通り、南雲は全身を脱力させている。

 それどころかこちらを求めるように僅かでも身体を押し付けようとしていた。

 そしてそれがオレが指摘するメソッド演技──自分の内面を掘り下げて感情を追体験することでより自然な形で演技を行う手法ではなく、それを本心だと口にする。

 それが事実だとすれば確かに面白い。

 実際南雲はそういう風に見える時もある。

 多くのことに興味を持ち、嘘を嘘と思わせない。

 それが南雲の自覚する特異性なのかもしれない。

 外側ではなく内側をも取り繕う。嘘を本当にする。本当のことを嘘のようにする。自分の気持ちすら騙す。表のようで裏。裏のようで表。それを自在に切り替えることが出来る。

 今までにその優れた分析力で多くの人間を『理解』してきたであろう南雲は、それらを自分なりに取り込んで昇華しているのかもしれない。

 事実として南雲の得意なことは多岐に渡る。

 前に調べた南雲の出演番組。様々なジャンル。それぞれ違う環境に身を置いても求められた役割を行い、結果を出している。

 そしてこの学校においても多くの生徒を裏切らせてきた。それは南雲の人間への理解。

 そしてその都度本心を作ってきたから? 

 

「……そうか。なら好きにさせてもらう」

 

「……うん。好きにして」

 

 南雲は一見──いや、よく見ても本当に抵抗感をなくしているように見える。

 常に心を作り変えているのが真実なら南雲を『理解』することはおそらく誰にも叶わない。

 もし本当なら本心なんて存在しないのと同義だからだ。本心が存在しない人間を理解することは出来ない。

 

「本当にいいんだな?」

 

「もちろんだよ。むしろ早くしてほしい、かな……私も切なくなってきちゃってるから……」

 

 こちらの再度の確認にも南雲はむしろ潤んだ瞳を浮かべ、こちらを誘ってくる。

 当然だが多少の揺さぶりは通じない。

 精神面において南雲の優秀さはこの学校でも群を抜いている。

 相手の心を見通すことはもちろん、自分の心を隠すことに非常に長けている。

 未熟な学生だらけの学校ではなく成熟した大人が跋扈する社会。芸能界で成功を収めてきただけはある。

 それに加えて頭脳やビジュアルの良さ。能力の高さがあれば人気を集め、信頼され、そして人を操ることも造作もないだろう。

 

「これからおまえの初めては奪われる」

 

「うん。それで綾小路くんの初めては私だね……」

 

 もちろん南雲がオレを本心から受け入れている可能性もないわけじゃない。

 だが一点──心が全て作り物であることだけはありえないと言い切ることが出来る。

 

「そうなればおまえは傷を負うことになる」

 

「あはは、まあキズモノにされるとも言うもんね。でも相手が綾小路くんならいいよ……」

 

 その言葉をオレは嘘だと判断する。

 オレの知る南雲が、それを許すはずがない。

 

「南雲。おまえは完璧で魅力的なアイドルであり続けることが生きがいだと言っていたな」

 

「そうだね。でも今はそんな話はいいよ」

 

 いいや、この話は絶対に必要だ。

 南雲麗という『アイドル』を理解(わか)らせるためにオレは必要な言葉を冷たく南雲にぶつける。

 

「オレにキズモノにされればおまえはアイドルとして一生モノの傷を負うことになる」

 

「そうかもしれないけどね。でも一生経験がないってのもそれはそれで嫌だし仕方ないよね」

 

「自分が認めた相手ならそれもいいだろう。だが、自分の意思じゃない。好きな相手でもない。合意もなく強制的に襲われ慰み者にされる。そんな風に初めてを奪われ、汚点を刻むことになってもいいのか?」

 

「そんなの……」

 

 別にいい。そう言いたいのだろう。

 だが悪いが南雲。オレにはもう全部理解(わか)っている。

 

「オレはこれから、おまえを屈服させるために徹底して襲う。おまえの心が折れるまで何度も」

 

「何度もされるのはちょっと困るけど……それも仕方ないかなぁ」

 

 いや、おまえは本当はそうは思っていない。

 南雲の手首。そして首を掴むオレの両手から伝わるその脈がそれを教えてくれる。

 南雲、本当は気づいてるんだろう? 

 その脈。全身を巡る鼓動が速くなっていることに。

 その肌に汗が浮かび始めていること。

 

「おまえがオレの要求を飲むというならやめても構わない」

 

「…………」

 

「だがもしその条件を飲まないならオレが止まることはない。──それじゃ始めるぞ」

 

 あえて条件を口にせずにオレはゆっくりと手首を掴んでいた右手だけを離し、その手を南雲の突き出た左胸に近づけていく。

 南雲はまだ何も言わない。だからそのまま、手を南雲の左胸に置いていく。

 下着越し。それでも信じられない柔らかさと弾力を感じた。

 そして同時に、心臓の鼓動もまた感じられる。

 

「──

 

 何も聞こえない。

 だからオレは徹底して淡々と続ける。

 興奮を表情に見せることもない。冷たい表情で南雲を見下ろし、その手を別の場所へと伸ばしていく。

 もっとも、身体の方の準備は出来ている。それは南雲にも理解出来ているだろう。

 

「──かった……」

 

 そうだ南雲。理解したか? 

 自らの本心。南雲麗という『アイドル』にもそれは存在する。

 それがもっとも強く現れるのは信念や矜持。人間の芯に当たる部分だ。

 アイドルであり続けたいという想い。

 それはこの1年の南雲を見続け、確かに嘘じゃない本心であり信念だろう。

 その生きがいとまで語ったそれを踏みにじられそうになって動揺しないわけがない。

 最初に計画した強姦未遂とは全然違う。悲劇をアイドルのストーリーに組み込むにも限界がある。

 自らの身に起こる取り返しのつかない悲劇。こうして本物の危機的状況に陥った時、南雲麗の本心は姿を現す。

 だからこそ理解(わか)っただろう南雲。

 おまえは決して『理解』出来ない存在なんかじゃないということが。

 完璧なアイドルに最も近いだけの、ただの人間であることが。

 そしてオレのことを、まるで理解出来ていなかったことが。

 心の底からそれを認め、オレの要求を受け入れる時──それが南雲麗の完璧な敗北となりえる。

 だからこの状況をあえて避けずに受け入れた。南雲を理解し、南雲を理解(わか)らせるために。

 そしてその結果は──無事に成った。

 

「……理解(わか)った。条件を飲んであげる」

 

「……そうか」

 

 その言葉をはっきりと耳にし、オレは1度力を弱めて立ち上がる。

 そして机の上に置いてあったオレの携帯を持ってきた。南雲は動かない。このタイミングで動いても無駄。また取り押さえられるだけと理解っているから。

 

「今後、オレと敵対しないこと。オレを陥れる手を打たないこと。それを誓ってくれ」

 

 その条件はこれからの南雲を封じるためのもの。

 だがその条件自体に大して意味はない。

 録音したところで曖昧な条件であれば南雲がその気になれば破ろうと思えば破れるものだ。

 だから南雲がそれを認めること。それだけに意味がある。

 この条件と録音はその意味を持たせるためのものだ。

 オレはその意思をしっかりと確認する。

 

「……ああ。なんだ、そんなこと。もっと無理なこと言われたらどうしようかと思ったよ」

 

 笑顔の消えた表情で南雲は告げる。

 オレが携帯で録音をしているのをしっかりと見た上で。

 

「もちろんいいよ。綾小路くんに勝てないことは理解したから」

 

 普段の南雲とは違う低めの静かな声で南雲麗は口にした。

 

「──私の負けだよ」

 

 以前のような偽りではない──完璧な敗北宣言を。




今年最後の投稿です。次回は麗ちゃん視点のエピローグでこの章は終わり。
来年はちょっとだけ期間が空くかもしれないけどちゃんと退学投票やら学年末試験やら2年生編のことも考えていますのでお楽しみに。

感想、評価、良ければよろしくお願いします。
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