──3月5日。金曜日の放課後。
試験を明日に控え、明日には各クラスから退学者が出てしまう。その運命の日を目前にして多くの生徒の心中は穏やかではないはずだ。
自分が退学しないために策を弄し、他者を退学させるように仕向ける者も、何もせずにただ自分が選ばれないようにと祈る者も、誰かに操られて流されるがままに動いている者も、誰もが不安を少なからず感じている。
自分が退学者にならずとも誰かを追い落とす以上は罪悪感を感じて当然。たとえそれが一時のものであろうともだ。
だがDクラスに限っては、現時点では安堵を感じている者の方が多かっただろう。
なにせDクラスの多くはオレ──綾小路清隆を退学させる方向でまとまっているからだ。
その動きをオレは掴んでいる。数日前から、おそらく坂柳に誘導された山内が櫛田を通じてオレを退学させるように仕向けていることを当の櫛田自身。そして他にも坂柳のBクラスに属するある人物から教えてもらった。
このまま座して試験当日を迎えれば間違いなくオレは退学になる。ならばオレも動かざるを得ない。
「少し時間を貰えるかしら」
だからこそ堀北兄に協力を持ちかけて堀北を動かした。
放課後になり、声を張った堀北がDクラス全員に言うのはクラスメイトに嫌われることすらも覚悟しての提言。敬愛する堀北兄に勇気を貰い、名指しで退学者を指名するという手段をもってこの試験をクリアすることを決めた。
「私は今回の特別試験……山内春樹くんを退学にすべきだと判断したわ」
そしてその人物は当然、裏切り者の山内になる。
名指しを受けた山内が取り乱し、堀北がそれを詰めていく作業を眺めながらオレはもう1人の裏切り者である松下の方に僅かに視線を向けた。
すると向こうもちょうど視線をこちらに向けていたので意図せず目が合うが、すぐに目を逸らされる。山内が坂柳と通じていたことを理由に退学者に指名されている今、南雲と通じていた松下も緊張感を感じているだろう。
もっとも松下が南雲と通じていることはオレや恵以外は知らない。堀北が松下の裏切りに気付いていない以上は松下を名指しすることもないだろう。
とはいえ、その流れを強引に松下に向けることもできた。
松下の裏切りを堀北に伝え、それとなく誘導するだけでいい。見方によっては能力の高い松下の方が厄介で、なおかつ長い期間裏切っていたことからも退学に相応しいと見ることもできるだろう。
──だが、今回それはしない。
裏切り者であっても山内より遥かに能力の高い松下の方がクラスの益になる。それでもクラスの不利益になるなら追放するべきだが、オレが南雲との勝負に勝利したことで松下は今のところDクラスに留まる様子を見せている。……もっとも勝負に勝ったとはいえクラスポイントの差は歴然で、そのためかなり悩ましい判断を強いられているだろうがそうやって動きを止めているのは好都合だ。クラス内から2人の裏切り者が出て票が大きく割れることは出来れば避けたい展開だったからな。
だから後はこのまま推移を見守るだけでいい。それだけで試験はクリアされる。
だが──
「待ってほしい堀北さん」
「……何かしら」
挙手を行い立ち上がった平田の顔つきは重く苦しそうだった。
平田の抵抗は少なからずクラスに波紋をもたらす。普段の温和な言動は鳴りを潜め、強く低い言葉で堀北や山内、クラスメイト、この話し合い自体を非難する。
ここから平田が何を言おうと取捨選択の出来ない男に結果を変えることは出来ないだろう。自ら退学者に名乗り出たとしてもクラスメイトが認めるはずもない。堀北に批判票を投じると言ったところで同様だ。クラスの空気は既に山内で固まり始めている。
だからこそ平田の抵抗はただの悪あがきでしなかった。どんなに威圧して怖がらせようと変わらない。机を蹴り飛ばし、強い口調を使ってもだ。その姿は言うなれば駄々をこねている子供でしなかった。
「そうか……わかった。わかったよ。だったら僕からも提案だ」
「提案するのも構わないけど私の意見は変わらないわよ。あなたも私の名前を書きたいなら好きにすればいい」
「ああ。名前の件については考えさせてもらう。だけどその前に、僕からもこの試験を乗り越えるために皆に伝えさせてもらう」
平田はそうして悪あがきの提案を行った。
「退学者を出さないためにどうすればいいか……僕はこの3日間、必死で考えた。考えて考えて……それでも何も思いつかなかった。どう足掻いても明日になれば誰か1人に退学になってしまう。それを避けることはできない」
「……ええ、その通りよ。だからこそ論理的に詰めて退学者を指名する必要がある。そのことがわかっているなら──」
「黙ってくれないか堀北さん。今は僕の話の番だよ」
「っ……そうね。ごめんなさい。話を続けて」
平田の威圧する声に堀北も言葉を呑み込む。言い方はともかく、堀北が自分の意見を通した以上、平田の方も意見をする権利はある。そう判断し、まずは平田の話を聞こうと堀北は先を促した。
「言われずとも続けさせてもらうよ。……そう、それで僕は悩んだ。クラスメイトを救うためには2000万もの膨大なポイントを払うしかないし、もちろん僕たち全員のポイントを集めたところでそれには届かない。だからどうすればいいのかと悩んだ」
平田の言葉にクラスメイトが黙って耳を傾ける。普段と雰囲気は違ってもその苦悩は真実に違いないことは1年間、平田という男を見てきた誰もが知っている。
だからこそ、その言葉は苦しみの吐露であり、具体性のある提案を行うとほとんどの生徒が思っていないだろう。オレですらポイントの話を持ち出してくるまで平田が何を言うつもりかは見当がつかなかった。
だが平田が退学者を救済するために2000万というポイントの話を出してきたことで、オレにもその提案の内容がおおよそ掴めた。
「そうして悩んでる時に、僕は提案されたんだ」
「……何を誰に提案されたのかしら?」
「Aクラスの南雲さんから言われたんだ──『Dクラスが契約を結ぶなら2000万ポイントで退学者を救済しても構わない』って」
「え……?」
その漏れた声は誰のものだったか。少なくとも、困惑が教室を包んだのは確かだった。
多くの生徒がその意味をはっきりと理解出来ずにいる。退学者を必ず出す必要があるこの試験において、唯一設けられた救済の手段。
誰もが言葉にせずとも理解していた。それを行使できるのは膨大なポイントを貯め込んでいるAクラスのみだと。
しかしそれをDクラスに与える。契約とやらと引き換えに。その急展開に思わず山内の指名で押し黙っていた須藤も声を上げた。
「は、はぁ!? どういうことだよ平田!?」
「そのままの意味だよ。南雲さんに従えば僕たちは退学者を出さずに済むんだ」
平田は動揺することなくその言葉をどこか諦めたように告げるが、もちろん契約とやらにその疑問を感じない堀北ではない。
「……なるほどね。要するに私たちのクラスがAクラス行きを諦めてAクラスの軍門に下れば2000万ポイントを払うと、そんな風に嘯かれたのね」
「ああ。毎月80%のプライベートポイントを南雲さんに支払い、クラス間での競い合いについても南雲さんに従って敵対しないのなら救済に足りない分のポイントを南雲さんが支払う。そういう風に言ってくれたよ」
「馬鹿げてるわね。あなた、自分が何を言っているかわかってるの? その条件を呑むってことはAクラス行きを諦めることになる。今まで培ってきたものが全部無駄になるのよ?」
「理解してるよ。僕だって本当はこんな提案はしたくない。だけど退学者を出さないためには仕方ないじゃないか」
「退学者を出すくらいならAクラス行きを諦める。あなたがそう判断したとしても、私はそうは思わない。この先もクラスが上を目指すなら時には退学者を出すべきよ。ましてや明らかに裏切っている人間がいるならそれを切り捨てない道理はないわ」
「裏切り者を切り捨てるべきと言うなら僕だってこうして今、南雲さんと通じて契約を結ぼうとクラスに迫っている。だったら僕に批判票を集めるべきかい?」
「それは……いえ、あなたはまだ厳密には裏切っていない。退学者に立候補してもあなたを退学にしようと思う生徒はいないわ」
「それじゃ筋が通らないじゃないか。僕はもうAクラス行きを諦めて南雲さんと契約を結んでもいいと思っている。なんだったら個人で結んだっていい」
「それこそ馬鹿げた話よ。クラスメイトを守るためにクラスメイトを裏切るなんて」
「どの道、退学者を出すならこのクラスは終わりなんだよ。元々Aクラスとはかなりクラスポイントが離れてる。現時点でAクラスに上がれる可能性が低いなら早々に諦めて退学する人を減らした方が良いんじゃないかな──皆もそうは思わないかい?」
「そ、それは……」
「いや、だがよ……」
平田がクラスメイトにそう問いかければクラスの中に迷いが僅かに生まれる。実際のところ、独走を続けるAクラスにDクラスが追いつけると考えている生徒は少ない。試験に真面目に取り組むようになっても未だ勝利を続けるAクラス。更には混合合宿の際にAクラスから提示された契約の話は既に1年の誰もが知ることだ。
平田が──いや、南雲が持ちかけてきたのはその延長線上の話。おそらくは2年で南雲兄が2年全体を支配しているのと似たような仕組みの構築を図っているのだろう。
それを改めて考えてみると……なるほど。中々面白い戦略だ。
南雲が平田を介して持ちかけたこの提案に素直に感心する。2000万ものポイントを払ってDクラスを救済するメリットは一見ないように思えるが、それと引き換えに今後Dクラスを支配下におけるなら十分にお釣りが来る。
既に表向きには龍園がクラスのリーダーから降りたCクラス。立て直しを図っているとはいえAクラスから陥落し、退学者や裏切り者を出してしまったBクラス。これらを叩いて完全に支配下に置くには如何に南雲とはいえ手間がかかるだろう。あるいは独走を続けるだけなら完全に叩く必要もなく、有利を守っているだけでいい。そのために最下位とはいえクラスを1つ丸ごと支配下におけるなら今後の戦いをかなり有利に進められる。そのための2000万と思えば安いものだ。元々それくらいのポイントは数ヶ月もすれば回収できる上、Dクラスから80%のポイントを徴収するなら300程度のクラスポイントでも1か月で96万。100万近くのポイントを回収できることになる。Aクラス全体のポイント収支に比べれば遥かに少ないとはいえ、十分に大きな金額だ。
「その上で南雲さんは個人での勝ち上がりも一応認めるつもりだ。だからどうしてもAクラス行きを諦めきれない堀北さんのような人はそれを目指せばいい」
ゆえにDクラスが契約を結ぶならAクラスの地位は更に盤石となる。そして仮に契約が退けられたとしてもだ。
「駄目よ。そんな契約は結べない。私は現時点でもAクラスに追いつくことは十分に可能だと思っている。そしてそれにはクラスの協力が不可欠よ」
「そうかもしれないね。だけど堀北さんが言ったように、それは個々人で決めることだよ。堀北さんが強制することはできない」
「……そうね。だけど南雲さんが提示してきた契約はクラス全体で結ぶもの。その意思が統一されない以上、契約を結ぶことはできないことは確かよ」
「……ならやっぱり僕の名前を批判票に書くしかないね。僕は個人でもクラスを裏切って南雲さんにつくつもりだ」
「……確かにあなたが裏切ることは由々しきことね。だけど、それとこれとは別の話よ。裏切りは断固阻止させてもらうけど退学すべきなのは山内くんという意見に変わりはないわ」
Dクラス内に不和を起こせる、か。
堀北と平田の言い合いを黙って見守り、互いに言いたいことを言い終えた後で茶柱先生が言葉を挟んだ。それで話し合いはお開きになり、迷いを抱えたクラスメイトはそれぞれ黙って教室を後にする。
明日の投票で山内になろうが平田になろうが堀北になろうが誰になろうともDクラスは傷を抱えて次に進むことになるだろう。
それはどこのクラスも同じはずだが……そうなってくると気になるのはその提案を行ってきたAクラスだ。一昨日に噂が流れ、昨日にはその噂の真相を部屋を訪ねてきたBクラスの神室真澄から聞いた。──『一之瀬帆波は犯罪者である』と書かれたその紙の真相。一之瀬は神室と同じく、過去に万引きをしていた。
その噂がにわかに流れ始め、オレは噂の渦中にある一之瀬を訪ねたり、Cクラスの石崎や伊吹を介して龍園に仲介を行うよう求められたりしたことである程度、今回の試験における各クラスの動きを掴んでいた。
だがそれでも南雲に関しては今回の平田への提案も含めて読めないところがあった。2000万をDクラスに支払う用意があり、その上で1000万はクラスメイトの救済に使う用意もあるという。クラスメイトから毎月徴収しているのならまだそれだけのポイントがあっても不思議ではないが……実際のところ南雲はどうするつもりなのか。
オレは南雲に関する疑問も含めて、各クラスの結果もどうなるかは結果が出てみるまでわからない。
──だからこそ翌日。今回の試験結果を見てオレは少なからず驚いた。
「称賛票の2位は……綾小路清隆」
翌日の投票を終え、茶柱先生がオレの名前を口にした。その時点で山内を筆頭にクラスがざわつくが、それ以上にDクラスを驚かせたのはその次に口に出された名前。ちなみに3位は平田だったが。
「そして1位は──軽井沢恵。おまえだ」
「…………へ?」
まさか自分の名前が呼ばれるとは思っていなかった恵が間の抜けた声を出す。
そして困惑したのは他の生徒も同じだった。誰もが軽井沢の方に視線を向ける。オレが2位で呼ばれたことで酷い不安に駆られているはずの山内でさえ。
そして視線が集まったことで恵もようやく事態を飲み込んだのだろう。恵が大きな声を上げる。
「な、なんであたし!?」
嬉しさや喜びよりも困惑が勝つ。称賛票1位。つまり恵はこれで退学を1回だけ阻止できる権利──プロテクトポイントを得たことになる。
そして反対に坂柳の目論見──オレにプロテクトポイントを与えるという策略はまんまと外された。
そのことから分かること。それは南雲が、何らかの理由でオレを狙っていること。
今この瞬間にも各々、それぞれの思惑による戦略が動いていること。
そのことをオレは──放課後に張り出されていた試験結果と後から聞いた称賛票1位となった生徒を聞いて確信する。
──『クラス内投票結果』
・退学者
Aクラス なし
Bクラス 戸塚弥彦
Cクラス 時任裕也
Dクラス 山内春樹
そして称賛票の1位は。
Aクラス 南雲麗
Bクラス 坂柳有栖
Cクラス 金田悟
Dクラス 軽井沢恵
と、そんな結果になった。
そうなった過程をオレは一部を除いて知る由もない。ある程度推測はできても、完璧に「なぜそうなったのか」の答えを得るには本人から直接聞く必要があるだろう。
目の前で起きている2人の人物の対峙。その理由を。
「──麗ちゃん。私はそのやり方を認めない。だから親友として、仲間として、正させてもらうよ」
「──うん、いいよ帆波ちゃん。一度だけチャンスをあげる。私のやり方が間違ってるって言うならまずは次の試験でそれを証明してみせてよ」
──人気のない夕暮れの校舎裏。密かに呼び出されたその場所で隠れ見るのはAクラスのリーダー。南雲麗とその親友であり参謀である一之瀬帆波。互いの宣戦布告。
退学者を出すことなく終えたAクラスの中心人物である2人がこうして争っている理由を、オレはまだ詳しくは知らなかった。
ただ1つ言えるのは……一学年最後の特別試験においてDクラスの前に、オレの前に立ち塞がるのは坂柳率いるBクラスではなく、
お久しぶりです。そろそろ2年生編も終わるので2年生編に入りたいなって思って再開しました。とりあえず2年生編の無人島試験までは書きたいなって。
クラス内投票編は最後の学年末試験に続く戦略も含むので次回はこのまま学年末試験編に入ります。なぜこうなったのかは過程が大きく違ったり色々あるのでお楽しみに。今回は出なかったけど次回は麗ちゃんです!
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