遂に1年度最終特別試験が始まった。
今日ここまでに各クラスがそれぞれこの試験に勝つために準備を行ってきた。
「それじゃよろしくね、軽井沢さん」
「よ、よろしくお願いします」
そしてその準備をしっかりと自分で行ってきたAクラスの司令塔、一之瀬帆波は落ち着いていた。相手となるDクラスの軽井沢恵と握手を行うと席につき、深呼吸を行う。
「うん……大丈夫」
負ければ退学。救済は恐らく可能とはいえ、それでも大きなリスクであることに違いない。負ければクラスに迷惑をかけることになるし、親友であり自分に任せてくれた南雲麗に対して申し訳が立たない。
だからこそ万全の準備を持って臨んでいた。相手のDクラスは自分が立ち直るきっかけもくれた綾小路がいると一之瀬は考えるも、ここで手加減などは当然しない。それとこれとは別。互いに全力で戦い合うだけだ。
「でもまさか、軽井沢さんとこうやって向き合うことになるなんてね」
「それは私もびっくり、かな……はぁ、プロテクトポイントなんて得たばっかりに……」
「あはは、それだけ軽井沢さんが慕われてたんじゃないかな。司令塔に選ばれたのは、その、大変だと思うけどお互い頑張ろうね」
「え、ええ……一応、やれるだけのことはやるつもりよ」
だが反対に、軽井沢の方は緊張していた。
彼女が思うのは、しっかりと教えられたように出来るのか。そのこと。自分の失敗がクラスの敗北に繋がる大役を任されてしまったことで軽井沢は誰が見てもあがっていた。
それを見て対戦相手である一之瀬に親切心が生まれかけるも、心を鬼にしてぐっと堪える。軽井沢の緊張を解きほぐすことは一之瀬には然して難しいことではないが、Aクラスの司令塔としてはDクラスの司令塔には緊張してもらった方が都合が良いという事実。
「それでは試験を始める。各クラス、5種目を決定しボタンを押すように」
結局一之瀬は軽井沢にどういうスタンスで声をかけるか悩んだ挙げ句、それより先に特別試験の進行役である真嶋が試験の開始を通達する。
それによって一之瀬は少しだけ迷ったが、それほど時間をかけずに5種目を選択。選んだのは『将棋』『カラオケ』『化学テスト』『数学テスト』『ドッジボール』の5つの種目。Dクラスのウィークポイントは総合的な学力の低さにある。その中でも理系科目の方がよりアベレージ的な差は大きいとして選ぶことにした。そして10人以上の種目である数学テストとドッジボールを選んだのは1巡させる可能性を高めるためだ。生徒を一巡させることでDクラスも能力の高い生徒が2回出てくる可能性が高まるとはいえ、それでも総合勝負となればAクラスの方が得が大きいと判断した。将棋にカラオケは大本命とも言える種目であり、Aクラスにとっての鬼札である南雲麗を出せばほぼ確実に勝てると思われる種目かつ代わりの人材を出してもある程度は勝ちを見込めるため迷う必要はない。
迷ったのは『フットサル』を入れるかどうかだったが、DクラスにはAクラスの柴田に匹敵するサッカー部の平田がいる。互いに自信はあるとはいえ、リスクを考えて見送ることにした。
そして対する軽井沢は自分の判断で変えることはせず事前の打ち合わせ通りに『タイピング技能』『卓球』『弓道』『テニス』『バスケットボール』を辿々しくも選択。どれも事前に誰が出るか決定している種目。Dクラスの10種目はそんな種目が多いとはいえ、こちらはあえて必要人数が少ない順に選んだ。一巡、二巡と回るようなら不利になる。総合力や対応力もDクラスよりAクラスの方が上だと堀北やそれ以外の面子からも教えられていた。
「選択し終えたようだな。これからは完全なランダム抽選によって7種目が選択されていく。中央の大型モニターにそれが表示されるようになっているので見逃さないように注意するといい」
「は、はいっ」
Bクラス担任の真嶋の進行は真面目かつそれでいて生徒への気配りを感じる。その言葉選びは未だ落ち着かない様子の軽井沢のためのものに思えた。それも公平さを損なわない程度で。
一之瀬はそれに何も言うことはなく、じっと大型モニターに視線を向ける。第一戦に何が選ばれるか。言うまでもなく重要なその一戦目は──
『タイピング技能』 必要人数1人 時間30分
ルール 『単語』『短文』『長文』の3つの科目で早さと正確性を競う
司令塔 試験中に気付いたミスを1ヶ所だけ伝えても構わない
最初の種目はDクラスが選択したタイピング技能。それを見て一之瀬はすぐに思考を回す。必要人数が1人の種目は30秒しか選択時間が得られない。そのためゆっくりはしていられない。
──ここで麗ちゃんを出す手もあるけど……。
一之瀬が迷うのは、この必要人数1人のDクラスの選んだ種目に鬼札である南雲麗を選出するかどうか。
試験前に一之瀬に伝えていた──「私が出た種目は99%勝つから安心していいよ」という言葉は信頼と実績に足るものだ。タイピング技能についても普段からパソコンを触っている彼女であれば相手として出てくる外村くんにも勝利するだろうという確信が一之瀬にはあった。
だがまだ1戦目で他にも出したいところ。出すべき状況は幾つもある。まだ生徒の選出も制限されていない段階。ここで南雲麗を出すべきかどうか──迷い、一之瀬は選択した。
Dクラスは当然、外村秀雄が選択され、対するAクラスは南雲麗──ではない。別の男子生徒を選択。
当然だが南雲麗が出ない場合は別の生徒が対応できるように準備はしてきた。だからこそ勝機は十分にあったが──。
「集計の結果、Dクラス外村秀雄、92点。Aクラス森山進、81点。1戦目はDクラスの勝ちとする」
「あはは……取られちゃった、か。やっぱり外村くんはすごいね」
「やった……! オタクもたまにはやるじゃん!」
結果が真嶋の口から通達され、一之瀬は苦笑いを浮かべて相手を称える。反対に一戦目を無事に取れたことで軽井沢は席から立ち上がるほど喜び、もう1人の同席していた教師、Cクラス担任の坂上に睨まれて慌てて席に座り直していた。
その間、一之瀬は結果を冷静に受け止めるように努める。大丈夫。まだ一戦目。元より取られて仕方のない種目だった。
1種目が消費され、残りは9種目。それも確率としてはAクラスの種目が選ばれる確率が高い。そう思い、2回戦の種目が発表されたのを一之瀬は見た。
──だが、2回戦目に選ばれたのはまたしてもDクラスの種目である『弓道』だった。
必要人数は3人でDクラスには弓道部の三宅明人がいる。
弓道は素人では矢をちゃんと飛ばすだけでも難しい。一之瀬も種目が発表されて少しだけ体験したが、まともに矢を飛ばすことは出来なかった。
だからこそここでも結果は半ばわかりきっている。Dクラスの軽井沢は言われたことを思い出すように三宅とそれ以外に2人の生徒を選択し、一之瀬もまた辛うじて矢を飛ばすことが出来た生徒らを中心に3名を選択。
だがやはりと言うべきか、勝利したのはDクラスだった。
「これも仕方ない、かな」
一之瀬は自分にそう言い聞かせる。これでDクラスの2勝。Aクラスは未だ1勝もあげることが出来ていない。
運の要素もあるためこればっかりはしょうがないが、少し流れが悪い。じわりと焦りが一之瀬の心に侵食するもそれを振り払う。そうして迎えた第3戦目。一之瀬は少し表情を硬くしながらモニターを見つめた。その結果は──。
『数学テスト』必要人数19人 時間50分
ルール 1年度における学習範囲内の問題集を解き合計点で競う
司令塔 1問だけ代わりに答えることが出来る
よし、と声には出さず心の中で口にする。
ここにきてようやくAクラスの種目が選ばれた。しかもそれは必要人数の多い筆記試験。まず間違いなくアベレージで勝るAクラスが有利な種目だ。
だがそれでも一之瀬は焦らない。人数の分、選択時間には多少の猶予がある。そのため、しっかりと考えた上で生徒を選択していく。
そうして選びながら考えるのは、ここからは読み合いの要素もある、ということ。なにしろ筆記試験はこれだけではない。学力が高い順に選んでいけばまず勝てるとはいえ、相手がそれを見越して捨ててくるのであればこちらも態々優秀な生徒を選ぶ必要はない。人数の多さからある程度は選ばざるを得ないとはいえ、他の筆記試験や種目に備えて突出した生徒は抑えておくという戦略もある。
とはいえAクラスはまだ1勝も上げていない。そこで一之瀬は軽井沢の方に視線を向けた。モニターとにらめっこしている軽井沢はこちらには目もくれず、生徒の選出に苦労している。読み合いをしているというよりは、思い出すのに苦労しているという様子だ。
それを見て、一之瀬は方針を定める。1度選びかけていた学力の高い生徒を外し、Aクラスの中では学力が低めの生徒やそれなりの生徒で固めた。不安はあるが、自らの判断を信じる。それから遅れて軽井沢の選択が終わったことで──少しだけ一之瀬は安心する。見立て通り、学力の高い生徒を上から選ぶのではなく、どちらかと言えば低いメンバーで固めてきたと。
つまるところ必要人数が多い数学テストを選ばれた場合のDクラスの戦略は捨てること。学力が高い生徒を選んだところで勝ちの目は薄い。ならば別の種目やテストに力を注ぐ方が勝率は高いと踏んでいた。
一之瀬はそれを軽井沢の表情から結果、読み取ることに成功したが、それでも不安はあった。相手が捨ててくると見てこちらがそれに合わせた結果、相手が全力で挑んでくることもありえたから。
もしこれで司令塔が軽井沢じゃなければ、堀北や平田。あるいはポーカーフェイスな綾小路であればもっと迷ったかもしれないと一之瀬は軽井沢がここに出てきたことを少し喜び、そしてすぐに自らを戒めた。結果はまだ出ていないし、その喜びは軽井沢に失礼だと思い直して。
「集計が終わった。Dクラス969点。Aクラス1367点。よって3戦目はAクラスの勝利とする」
そして結果はAクラスの勝利。ここに来てようやく貴重な勝ち星を1つあげた。
一之瀬は再びそこで気を持ち直す。先に2勝されたことでほんの少し焦りを感じていた心に余裕が出来た。こうなってくるとAクラスの有利。一気に生徒を19名も消費したことで一巡の可能性が見えてきた。
次にドッジボールが選ばれれば確実に1巡。そうでなくとも1巡する可能性は高いし、なんなら先に別の種目が選ばれてほしいと思う。理想は将棋かカラオケで南雲麗を出すか、相手の卓球やテニスで出すか。そんなところだったが。
『バスケットボール』 必要人数5人 時間制限20分(10分2回)
ルール 通常のバスケットボールに準ずる
司令塔 任意のタイミングでメンバーを1人まで入れ替えても良い
「ここでバスケ、か。当然そっちは須藤くんを出してくるんだよね」
「え? あ、いや、どうかなー……?」
「ん……ごめんね。ちょっと聞いてみただけだから」
4戦目に選ばれたのはバスケットボール。それで思わず軽井沢に声をかけてしまう一之瀬。
ちょっとでも揺さぶられてくれればいいと思った悪あがきだったが、もしかしたら揺さぶられたのはこちらの方かもしれないと一之瀬は思う。向こうは学年でもトップクラスの身体能力を持つバスケ部の須藤がいる。それに対抗するにはこちらも身体能力の高い生徒で固めなければならない。
一之瀬は須藤と並ぶ身体能力を持つAクラスの運動能力トップの『柴田颯』に加え、それに続く生徒である『神崎隆二』。そして女子だが運動能力の高い『安藤紗代』に『南方こずえ』も選択。残り1人は迷ったが、『渡辺紀仁』を選択することにした。能力は平均的な生徒だが、明るいムードメーカーと言える生徒で一之瀬も信頼している。
対する軽井沢は『須藤健』を真っ先に選択し、それに続くエースである『牧田進』と女子としては運動能力の高い『小野寺かや乃』を選択。残りは『池寛治』に『本堂遼太郎』と残った生徒の中から使えなさそうな生徒をピックアップする。
残りの生徒が少なくなってきたことで軽井沢の中でも誰がこの種目ならいけるかという考えも僅かだが回る。残りの種目が選ばれた時に出す面子を考えるとこれがいいのだろうと、教えられたことも踏まえて生徒を選んでいった。
そしてモニターに映し出された体育館でバスケットボールの準備が行われ、程なくして試合は始まった。当然、そこで活躍するのは須藤だ。ジャンプボールを柴田を超える跳躍力と長身もあって制した須藤は一旦別の生徒を経由してパスを受け取り、速攻。レイアップで容易くシュートを決める。
『すぐにディフェンスに切り替えろ! 向こうのオフェンスだ!』
『悪い悪い。ボール取れなかった。やっぱ須藤はんぱねーわ』
『問題ない。まだ1つ入れられただけだ。須藤は俺に任せておまえは自由に動いてくれ』
『りょーかい! そんじゃ任せたぜ神崎! 最速柴田様はバスケも出来るってところ見せちゃるぜ!』
しかしAクラスも負けてはいない。運動能力において須藤に匹敵する柴田が爆速でドリブルを始め、神崎を筆頭に他の生徒もそれに付いていく。
当然散らばったAクラスの生徒をそれぞれDクラスの生徒がマークするが、Aクラスは正確かつ素早くパス回しを行い、ゴールに近づいていった。
『やらせるかよ!』
『とと、危ない! そんじゃパス!』
『チッ……!』
そして柴田がシュートを決めようとするも、それを須藤が猛烈なディフェンスで抑えようとする。それに反応した柴田はすんでのところでAクラスの女子生徒でバレーボール部に所属している安藤へとパスを渡すと、受け取った安藤はシュートを決めた。
『やっぱ一筋縄じゃいかねーな……だが、俺のバスケの腕の方が上だ!』
今度は再びDクラスのオフェンスとなり、須藤を中心に攻撃を組み立てていく。そして確実に点を取る。言うだけはあり、須藤のバスケの腕前は飛び抜けていた。Aクラスも追いすがっているが、4点差で負けている。
とはいえ須藤としても楽勝かと言えばそういうわけではない。特に、須藤のマンマークを担当する神崎は須藤を動きにくくすることに成功していた。
『っ……へばりついて来やがって……! それに思ったよりも体力も筋力もありやがるな!』
『俺に任された任務はおまえの動きを可能な限り制限すること。ならばそれを全うするまでだ……!』
『バスケ未経験の奴が俺に付いてこれるかよ!』
その言葉通り、須藤は更にギアを一段階上げる。
最初から全力ではあったとはいえ、須藤の動きのキレが増したことでバスケ未経験の神崎はその圧倒的なスピードとテクニックで突き放される。
『待て……!』
だが、それでも神崎は付いていく。少し遅れて、須藤が他の生徒を抜こうと試みた僅かな遅れの間に追いつき、再び須藤に張り付いた。
『しつけぇんだよッ!』
だがそれでも須藤は動きを止めない。1度他の生徒を経由し、ゴール下でボールを受け取った須藤はそのままダンクシュートを決めようと飛び上がった。
須藤の筋肉と天性のバネが唸りを上げ、須藤は跳躍する。神崎もまたそれに合わせて跳躍を行った。
ただそれでもやはり長身と部活で鍛え上げられたバネには敵わずにボールまで手は届かない。須藤はそのまま神崎を跳ね除けてリングにボールを叩き込む。
結果として須藤は神崎のマンマークに負けずにゴールを決めることが出来た──が、須藤はそれでも神崎に驚いた。
『倒れねぇ……!』
『っ……ああ……倒れるはずがない……倒れなければ追いつけるからな……!』
須藤のパワーで吹き飛ばされなかった神崎。苦悶の声が僅かに口から漏れたが、それでもその鋭い瞳で須藤だけを捉え続ける。Aクラスのオフェンスが始まると直ぐ様前方へと走ってAクラスの速攻を助けた。
そしてそれは前半が終わり、後半になっても変わらない。一巡させるために一之瀬がキツそうにしていた渡辺を別の男子生徒へと交代するが、キツいのは他の生徒も同じだ。
そんな中で前半と変わらずトップスピードを維持し続けるのは須藤と柴田。そして神崎だった。須藤には劣るがDクラスのもう1人のエースである牧田も疲れを見せ始めている。
「神崎くん、あんなに体力あったんだ……!」
思わず一之瀬もそう口にする。驚くのも無理はなかった。一之瀬は神崎がそうなるに至った詳しい経緯を知らない。
試合に集中する神崎が一瞬思い浮かべたのは去年の夏休みに行われた無人島試験。その最終日に起きた屈辱の出来事だ。
その頃はまだBクラスで、しかしリーダーとなった南雲麗の統率力と優れた知略は完璧で、他のクラスを相手にしても十分に勝ち得るものだと神崎は思っていたし、事実として勝利することは叶った。
しかし、神崎は足を引っ張ってしまった。
南雲の策に気づき、最終日直前に仕掛けてきた龍園とその取り巻き。彼らの襲撃に対し、備えを命じられていた神崎や他の男子は呆気なく龍園やアルベルトによって沈められた。
その時に感じたことを神崎はずっと覚えている。空から降り注ぐ雨の冷たさにぬかるんだ地面の感触。身体の痛みやその時感じた悔しさまでも。
自分はなぜこんなところで倒れているのか。どうして何も出来なかったのか。この事態を防ぐことが本当に出来なかったのか。
神崎は己の無力さを感じ、それから今まで疎かにしていた身体を鍛えることにした。
無論、他の生徒と比べて劣ってはいなかった。むしろ平均的には上位だっただろう。
だがそれでも足りない。不十分だ。Aクラスの座を守り抜くには、あまりにも自分は弱すぎる。
そうして夏休み頃から密かに筋トレやジョギングを始めた。南雲にもそれを打ち明け、そこから更に薫陶を受けた。
『南雲は言っていた。どんな時でも裏切らないもの。おおよそ殆どの人が努力で手に入れることが出来るものがあると』
異次元の体力を持つ南雲は神崎にジムとトレーニング方法を教え、神崎はそれを毎日怠らずに行ってきた。早朝のランニングと筋トレ。放課後も友人の誘いやクラスの用事。生徒会の業務がない時は欠かさずにジムに通い、用事がある時でも僅かな合間に少しでも身体を鍛え続けた。
『それは体力と筋力……! 俺は決して倒れはしない……!』
『くっ……本当に思ったより強ぇじゃねぇか……!』
ゴール下での須藤と神崎の争いは互いのパワーがぶつかり合う熾烈な争いとなっていた。まだ身体能力は須藤が上とはいえ、神崎は鍛え上げた肉体と体力だけでなく執念で競り合っていく。バスケットの経験はなくとも肉体で競い合う分にはそれほど多くのテクニックは必要ない。神崎は思う。格闘技において相手を倒すこと。テクニックの部分には才能や血の滲むような反復練習や経験がいるだろうと。
あるいは才能があれば短い時間でそれらの技を磨くことは可能だろうが、神崎にそんなものは持ち合わせていない。自分はどこにでもいるような普通の人間に過ぎず、南雲のような万事に秀でる才能を持つような人間でないと他ならぬ神崎がそう自己分析していた。
しかし、そんな才能がないものでも耐えること。受けることは誰にでも出来る。
例えるならそれはボディーガードのようなもの。要人を身を挺して守るためには鍛えた肉体だけではない。迷わない判断力と自らがどうなっても要人を守るという泥臭さが求められる。
ゆえに神崎は自らの必要な能力としてまずはそれを求めた。勉学を疎かにするわけではないし、自らの頭で考えることを放棄するつもりもないが、それでもまず必要なのは自らの弱点を消して強みへと変えることだと判断した。
『っ! しまった……!』
そしてその神崎の努力と執念の甲斐あって、遂に須藤のボールをスティール。弾くことに成功する。そうして溢れたボールは近くにいた柴田の手に渡り、柴田は時間があまりないことを見てそれをスリーポイントラインから放ち、それを決める。得点差が3点縮まり20対17。シュートを2本決めれば逆転出来るし、スリーポイントシュートなら同点になる点差までこぎつけた。
『よっしゃ! 後3点差! どうにか止めて逆転するぞ!』
『させねぇよ! こっちも止めて突き放してやる!』
点差を詰めたことで盛り上がるAクラスに逆転されまいと燃え上がるDクラス。
勝負は更に白熱していた──が、時間が足りない。
神崎はその時、己に、いや、クラスに課されている正々堂々戦うという制限を密かに苦々しく思う。もし今回の試験をまとめていたのが南雲や、あるいは自分であったなら──もしそうであればこのバスケットも含め、勝負は違った展開を見せただろう。
『試合終了! 22対19でDクラスの勝利!』
『おっしゃー! やったぜ鈴音!』
しかしどうにもならない。勝負は終わり、神崎は審判から伝えられる敗北の事実をしっかりと受け止める。これで自分の出番は終わり。あるいは一巡すればまた出番があるかもしれない。正々堂々とやり合うしかないとはいえ、勝敗に直結する戦いにできれば加わりたい。そう思いながら神崎は仲間たちと労いながらコートを去った。
──そしてその勝負を見ていた一之瀬は神崎や柴田らの奮戦虚しく負けたことに責任感と焦燥感を感じる。
これで1勝3敗。Aクラスにはもう後がない。ここからの3連戦を全て勝利することができなければAクラスは敗北し、自らは退学処分。それを防ぐならAクラスが貯め込んでいた膨大なプライベートポイントとクラスポイントをかなり吐き出すことになる。
それだけはなんとか避けたい。そんな祈りからモニターを見つめる。自分たちの選んだ種目が出てほしい。考えることはそれだ。
そうして迎えた第5戦。その種目は──。
『化学テスト』必要人数9人 時間50分
ルール 1年度における学習範囲内の問題集を解き合計点で競う
司令塔 1問だけ代わりに答えることが出来る
モニターにAクラスが選んだ学力テストが選ばれたことが通達され、一之瀬は命拾いしたような心地だった。
だがまだ助かったかどうかは分からない。ここから3回勝利するためにベストの組み合わせを一之瀬は即座に計算する。
──残りの種目はAクラスの『カラオケ』『将棋』『ドッジボール』とDクラスの『卓球』と『テニス』。その内、ドッジボール以外なら麗ちゃんを出せば勝てるし、そのうち将棋以外の何が出ても次の種目で一巡する。
現在、種目に出たクラスメイトの数はこれから行われる化学テストを含めて38人。Aクラスは森下を引き抜いたことで41名いるため、司令塔の一之瀬を除けば種目に参加するのは40名。
つまり次の6回戦で将棋以外が出れば一巡して再び全員が種目に参加することが出来る。鬼札である南雲麗を含めて。
つまり彼女を2回出せば高確率で勝利出来る──がその中でドッジボールだけは大勢で行う種目なだけに確実に勝てるとは言い切れない。なので一巡するとはいえ6回戦目にドッジボールは出てほしくないし、一巡することが出来ない将棋も勝利を得ることはほぼ確実とはいえ出来れば避けたい。
──理想としてはこのテストで勝って次にカラオケ。その次に将棋が出ればいい。もしくは相手の種目が2回出た時も、麗ちゃんを2回出すことが出来る。向こうの残り種目は全部スポーツだけど須藤くんほど圧倒的な生徒はいない。その須藤くんがもう1回出てきても麗ちゃんなら勝てるし、柴田くんや他の生徒だって出せる。
制限時間を使って一之瀬は思考を回す。運次第とはいえ、次に将棋以外が出れば勝ちは硬く、仮に出ても7回戦目に決着を持ち越し、互いに一巡しての勝負をすることになるため負けが決まったわけではない。
そこまで考えたところで、単純な確率としてここでは南雲麗を温存した方が勝つ確率が高いと当然気づく。無論、ここで温存した結果負けてしまっては意味がない。確実に取りに行くなら少しでも点が取れる生徒を出す方がいいだろう。
ただAクラスにはまだ最初の数学テストで出さなかった学力上位の面子が残っている。浜口や二宮。初川や新浦といった紛れもないAクラスの主力たちだ。Dクラスが平田や櫛田。幸村に堀北といった面々を出してきても総合力で押し切れる。
「ふーっ……大丈夫、大丈夫……ここで勝てれば後は……」
一之瀬は息を吐き、小声で自らを奮い立たせるように言い聞かせた。
自分のクラスメイトを信じる。学力テストで負けるはずがない。
自分が下した最善の判断。それを信じて一之瀬は生徒を選択する。
その中には南雲麗の存在はない。やはり、次とその次を確実に取るために
対する軽井沢ももう殆ど選べる生徒が残っていないのでほぼ自動的に生徒を選択する。その中には当然、堀北や平田。櫛田に幸村といったDクラスの学力トップの面々が揃っていた。
「あ……」
そんな中、一之瀬は綾小路の名前があることに気付いて思わず声を上げる。──そっか。まだ出てなかったんだ、と。無意識に綾小路の存在を忘れるほどに勝負に集中していた。
しかし種目に出たからといって関係はないし、あるいはそれどころではない。
教室に選ばれた生徒が集まり、テストが始まる。
そんな中で一之瀬は自らも脳を必死に働かせて問題を解いた。このテストで有利な部分があるとすれば、司令塔がやはり軽井沢であるということ。こう言ってはなんだが、あの面子に分からないような問題を軽井沢に解けるはずがないと思っていた。
だから一之瀬としてはそこで少しでも差をつけたい。1年間必死に取り組んでいた勉強。その成果として間違っている生徒の問題を代わりに答えておく。
これで後は祈るだけ、と。一之瀬は試験終了までの時を固唾をのんで待った。
だが──。
「え……?」
そんな時だった。モニターの中で動きが起こり、教室にいる試験官と真嶋が連絡を取っている。そうして試験官と共に教室を出ていってしまう自分のクラスの生徒の1人に、一之瀬は呆然とした。
「ま、真嶋先生……」
「今しがた試験官から連絡が入った。体調不良だそうだ。腹痛を訴えて今しがたトイレへ向かった」
「! それ、は……」
「……試験の方は残念ながら失格扱いになる。タイミングが悪かったな。生徒を選択する前であれば選び直すことも出来たが1度生徒を選んで試験が始まってしまった以上、交代することはできない」
真嶋からの気遣うような言葉を聞いて、一之瀬は更にショックを受ける。なぜ、どうしてこのタイミングで?
たった1人の体調不良。それはもちろん、ただの偶然なのかもしれないし、一之瀬の脳は冷静にその可能性が高いことを弾き出している。相手が龍園であればともかく、相手はDクラス。司令塔の軽井沢もリーダーの堀北や平田といった面々もそんな手を取るようには思えない。
ならば本当に運が悪かっただけなのか? そこに何も策略は動いていなかったのか?
一之瀬は内心で必死にそれを否定しようとしていた。
まだ負けたわけではない。負けたわけではないが、1人足りない状態での筆記試験。残りの面々で欠けた分を埋め合わせられるのか。一之瀬は退室した生徒を憂いながらも結果についても祈った。
「……集計が終わりました。Dクラス──797点」
Cクラス担任の坂上から試験結果が通達される。その点数は思ったよりも高いとも言え、低いとも言える点数だった。
これが9人同士のテストであれば、負けはなかった。
だがAクラスは1人退室したことで8人。Dクラスの点数を上回るには全員がほぼ満点を出さなければいけない。
「そしてAクラス──768点」
だからこそ結果はわかりきっていた。こちらも、想定より高い点数だった。
それを見てクラスメイトたちが頑張ったことが伝わってくる。
だけど負けは負けだった。Dクラスの4勝目。それが告げられる。
「Dクラスの4勝目。種目はまだ残っていますが、これにて特別試験の勝利確定です」
「なんか勝っちゃった……」
試験結果を受けて小声で軽井沢がそう呟く。軽井沢からすれば、まさか勝てるとは思っていなかった。
そして一之瀬は試験結果を受けて項垂れるしかない。何が起こったのか分からなかった。正面から戦って、偶然運悪く負けたのか、それとも何かが裏で行われていてそのせいで負けたのか。一之瀬の下には断片的な情報があるのみでそれを推察、答えを言い当てることはできない。
「……負けてショックなのはわかりますが試験はまだ続いています。続いて6回戦目の種目が決まりますのでモニターを見てください」
事務的な坂上からの言葉。それを受けて一之瀬は一応、モニターに視線を向けた。
だけど心ここにあらず。既に一之瀬は負けた理由を考え、そしてクラスに迷惑をかけてしまったことを悔いている。
──きっと、Aクラスの仲間や麗ちゃんは私をポイントで救済しようとする。
いずれ来るであろうその優しさに、一之瀬は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「っ……」
それでもまだ試験の最中。少しでもポイントを残すために一之瀬は戦わなければならない。
ゆえに声を押し殺し、涙を無理やり引っ込めようとした。
6回戦目に選ばれたのは──『カラオケ』。Aクラスの本命とも言える種目であり、一之瀬は堪えながら『南雲麗』と『姫野ユキ』を選択し、推移を見守る。
もうどう足掻いても勝利の道は残されていない。静寂に包まれた多目的室ではしばらくの間、限りなく小さい啜り泣きが響き渡った。
文量は1話分余裕であるけど内容としてはAクラス対Dクラスの前半部分しか入れれなかったので1日2回投稿です。
次回は龍園VS坂柳。そして麗ちゃんが歌って締めます。でも地味に麗ちゃんVS綾小路もあります。お楽しみに。
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