「あーあ、負けちゃったか。残念」
1学年最後の特別試験である選抜種目試験。AクラスとDクラスの対決が行われ、5種目目が終わった時点でAクラスの敗北が決定し、私は移動しながら端的な感想を口にした。近くにいるクラスメイトはそれを聞いて──と言ってもユキちゃんしかいないけど──私に不安そうな表情を向ける。
「負けちゃったって……これ、結構ヤバいんじゃないの? 一之瀬さんが退学になるとかさ……」
「それは防ぐよ。普通にね。だけどクラスポイント300はちょい痛いっちゃ痛いかなー。まあまだ全然勝ってるけどね」
「そりゃそうだけど……」
6回戦でカラオケが選択されたため、ユキちゃんと一緒に学校敷地内にあるカラオケボックスに移動する。もうすぐ到着だってのにユキちゃんはやっぱりショックなようだ。
とはいえ仕方ない。この1年間、負けという負けを経験してこなかった上に今回は退学がかかった試験。それで負けてクラスポイントを最低でも330ポイントは落とすし、2000万プライベートポイントも払わなきゃならないんだからね。
私にとってもそれは決して安い代償じゃない。クラスメイトから徴収してやっと払えるだけのポイントだ。
私たちAクラスがこの1年間で稼いだプライベートポイントは大体6590万ポイントくらいで、その内クラスの皆に残してあげたポイントを差し引いて使える金額は4670万ほど。そこに私が個人的に稼いだポイントが大体1000万くらいで合わせてざっと5700万。
そこに今クラスメイトが持っているクラスポイントが大体320万くらいだから合わせれば6000万くらいになる。すごい! 沢山稼いだね!
そう思うけど藍ちゃんを引き抜いた2000万とクラス内投票で退学を阻止した2000万。そして今回帆波ちゃんを救済すれば……ななな、なんと! あれだけ稼いだプライベートポイントがあら不思議! 殆どすっからかんになっちゃいました~! わー! ぱちぱちぱち!
──なーんて盛り上げてみたけどこれくらいはしょうがない。ポイントは天下の回りもの。貯めるためではなく使うためにあるのだ。クラスポイントはまだまだあるからプライベートポイントはすぐに貯まる。特別試験で結果を残しても増えるし、個人的な取引やクラス同士の大型契約を結べば更に増やせるかもしれない。
それに優秀な人材には投資するべきだ。藍ちゃんの引き抜きや帆波ちゃんの退学阻止にしても同じこと。
特に帆波ちゃんの成長のためなら私は幾ら払っても惜しくない。2000万かかろうが4000万かかろうが帆波ちゃんが完成すれば幾らでもお釣りがくる。
それは延いてはこのクラスをAクラスで卒業させるための大きな力になるだろうし、私のためにもなる。
だからこそ帆波ちゃんにはこうやって正々堂々やった結果、ボロ負けして無力感を感じてほしい。
あるいは勝利するならそれでも良かった。親友が仲間たちの声援で挫折から立ち上がり、そのまま友情パワーで勝利って展開はフィクションでも現実でも大好きだし、出来ればそんなことばかり起こればいいとは思う。
だけど残念ながら……それじゃ上手くいかないことがあるのが現実。今回だって私はAクラスが不利になるような指示は一切出してないのに帆波ちゃん率いるAクラスは負けてしまった。
帆波ちゃんがしっかりと成長して今の混沌とした状況を把握出来ていればどうにかなったかもしれないけど、いきなり私みたいになれって言われても無理があるだろうし私も期待はしてるけどそこまでは求めてない。
だったら敗北を糧に成長させるしかない。
そしてそれは帆波ちゃんだけじゃなく、色んな人に言えることだ。
「はい到着~。もう準備出来てますか?」
「あ、ああ。いつでも始められる。では担当の教師に連絡を取った上でAクラス対Dクラスの6種目目、カラオケを始める」
と、そんなこんなで色々思考している間にカラオケボックスに到着。ちなみにここまでやってくるまでにも試験官に連れられてやってきたが、カラオケボックスにも別の試験官が待っていた。その人に笑顔で質問してみれば、その人は少し動揺した。この人は初めて見る人だね。新人さんかな? ちゃんと覚えておかないと。
「それで対戦相手は……うげっ」
「これはこれは。アイドルガールじゃないか」
「……南雲さん、よろしくね」
そしてカラオケボックスの中に入ると対戦相手である2人がいたのだが、それを見て私は気分が少し盛り下がる。Dクラスの相手は松下ちゃんと高円寺くんだった。前者は全然良いけど後者がいらない。本当に帰ってほしい。
「カラオケなら本職である君が選ばれるのは当然か。これなら少しはこんなところまでやってきた甲斐があるというものだよ」
「──さ、それじゃさっさと始めよっか。どっちが先に歌うかじゃんけんしよ」
「え、あ、うん」
「ちょっと……声かけられてるけど?」
「じゃんけんぽん! 勝った! それじゃ先行で! ユキちゃん先に歌って!」
「ええっ!? いきなりあたしから!? 普通にヤなんだけど……」
「フッフッフッ。ではアイドルガールは3番目か。真打ちといったところだねぇ。ではそれまでガールたちの歌でも聴かせてもらおうか」
はーうっさい。無視無視。じゃんけんも勝って先行にしたし、さっさと歌ってさっさと帰ろ。
「いい? ユキちゃん。私がいつも教えてる通りにね。マイクチェックと音響設備のチェックは忘れずに。常温の水を飲んで喉を潤して」
「う、うん。わかってる。ちょっと緊張するけど多分いけると思う」
「よし。それじゃ頑張ってー! 声は出さないけど応援してるよー!」
私は先に歌うユキちゃんに改めてアドバイスを送りながら激励して送り出す。カラオケは全員が広めのカラオケボックスに入り、試験官もそこに同席した上で行われるため私たちも全員の歌を聴くことになる。
そしてユキちゃんが選ばれたのは余っていたからとかではなく、元々音楽が結構好きで歌も結構上手く、何よりも私とよくカラオケに行くのでその際に何度も歌を教えたことがあるからだ。
「ではAクラスの代表者1人目は希望する曲を伝えるように」
「……じゃあこれでお願いします」
「確認した。これより曲を選択する。歌唱中は他の者は極力音を出さないように。大きな声を出したり物音を立てた者は失格になることもある」
「わかりました」
試験官の進行に従ってユキちゃんが曲を試験官に伝え、マイクを握る。マイクチェックなど必要なことは終わらせたし、後はしっかりと要点を抑えて歌うだけだ。
──とここで麗ちゃんがせっかくなのでカラオケにおける高得点の取り方を解説してあげよう!
まず第一に……選曲! カラオケで高得点を取りたいならまずは歌いやすい曲を選ぼう。当然だけど曲には歌いやすい曲と歌うのが難しい曲がある。それは音程が取りにくかったりするもの。
具体的にはアップテンポすぎる曲や逆にBPMの低いバラードみたいな曲は難しめだから高得点を取ろうとするとそれだけ練習に時間がかかると思った方がいい。
後は長い曲も当然、歌うのが長くなるわけだからミスが出やすいし短い曲の方が良い。
ただ機種によっては中には長い曲の方が仕様やらボーナスやらで高得点を出しやすかったりもするのでそこは機種を調べてから挑もう。
そして照明が暗くなり、ユキちゃんの選んだ曲がスピーカーから流れ始める。モニターにはしっかりと歌詞とカラオケ用のPV映像。採点中を示すマークに音程を示すラインも流れてくる。
どうやらユキちゃんは『雨とカプチーノ』を選んだらしい。ふむふむ、なるほどね。良い曲選ぶねー。音域が広めだからそんなに簡単でもないけどこうやって普通に好きな曲を選ぶのも悪くない選択だ。カラオケは正確に歌うこと。得点を稼ぐ歌い方を覚えるだけのゲームだけど本人がノレる曲を選んだ方がモチベも上がるしね。得点も上がりやすい。
「~~♪」
そして良いリズムのイントロが終わり、ユキちゃんは歌い始める。後はもうひたすらに正しい音程で歌いながら時折機械が求める表現力を出すだけ。抑揚を取ったりビブラートやロングトーンなんかで稼ぐのが基本だ。予めこの部分はこう歌うとちゃんと決めてきてるし、練習では97点は出してたからまあいけるでしょ。私のボーカルレッスンは伊達じゃない。幾人もの後輩を指導してきた私の育成力を見ろ!
それにしても試験の最中にカラオケが出来るなんて良いよね。今頃他のAクラスの生徒や帆波ちゃんはすごいショック受けてるかもしれないけど私はまあまあ楽しい。これで高円寺くんがいなければなー。
「ふぅ……」
「すごいすごい! 上手だったよー! ユキちゃんイエーイ!」
「得点は……96.387点」
うん、やっぱりそれくらいか。悪くないね。今のユキちゃんなら98点くらいなら出せるかなとも思ったけどちょっとミスったかな? まあクラスが負けたってのもあるしベストコンディションではないだろうから仕方ないか。
「オッケーオッケー! 良かったよ!」
「まあ……なんとかなったかな」
「それでは後攻Dクラス。1人目に歌唱する生徒は希望する曲を伝えてください」
「……それじゃあ……これで」
私が歌い終わったユキちゃんを温かく迎えてあげていると次に歌う松下ちゃんが曲を試験官に伝える。さすがに私がいるからか気まずそうだね。これは精神面に影響ありと見た。ちゃんと歌いきれるかな?
そして松下ちゃんが選んだ曲は『マリーゴールド』。あーね。めっちゃポピュラーで歌いやすい曲だ。少しでも点数を稼ぐために頑張って事前に色々調べたのだろう。
少しして松下ちゃんが歌い始めるが、ふむふむ。中々上手だ。そういえば松下ちゃんとカラオケって行ったことなかったっけ。マイクの位置とかもちゃんとしてるし余計なブレスが入らないようにも気をつけてる。しっかりと練習してきたのがわかるね。
ただそれでもユキちゃんにはちょっとだけ及ばないかな?
「はぁ……」
「うんうん! 松下ちゃんも良かった! 上手だったよ! 特にサビが良い感じだったね!」
「点数は……94.230点」
はい、勝った。松下ちゃんの点数がユキちゃんを上回らなかった以上、私が100点を取ってしまえば終わり。仮に高円寺くんが真面目に歌って100点を取ったとしても2人の合計点数での勝負だからね。私たちの勝ち。これでとりあえずクラスポイントを少し守れたかな。
でも一応気をつけないとね。ミスする可能性なんて絶対にないけど、それでも人前で、それも点数を付けられる以上はアイドルらしく全力で皆を楽しませないと。選曲どうしようかな。持ち曲を歌ってもつまんないしね。
そして観客はここにいる面子と試験官。Aクラスの生徒とDクラスの生徒。真嶋先生に坂上先生。後は関係者1人かな。聞いてる人も多いし、持ち曲以外で皆が聴きたいであろう定番曲で行こう。ユキちゃんにも合わせて、その中でも難しめの曲をチョイス。
「それじゃ歌います! 『アイドル』!」
試験官に選曲を伝えてマイクを手に取る。そして点数をきちんと取る──なんて次元に私はいない。
「……すごい……」
「ほう……」
曲が始まると同時に歌唱を行う私に、松下ちゃんや高円寺くんが感嘆の息を漏らす。
音程を完璧に合わせるなんて当たり前。ビブラートだってロングトーンだってお手のもの。出来て当たり前。カラオケの点数なんて100点を取って当たり前だ。私はその先──人の心を如何に揺さぶるか。そのステージで戦っているのだから。
だから私にとってカラオケはただの決まりきった歌い方をするだけのゲーム。遊びでしかない。それはそれで面白いけど、カラオケで点数を取るための歌い方は本来の歌い方じゃない。人を感動させるなら時にそういうテクニックを超越した部分を披露しなきゃならない。
──それこそが『魅力』であり、私の持つ最強の力。
観衆が何を求めているかを『理解』した上で振る舞いを操れば、どんな人間だって私に惹かれる。ひれ伏すようになる。
学力? 経済力? 権力? 暴力? それらも確かに強い。社会を生きる上で重要なものだ。
だけど『魅力』でそれを操ることも出来る。
事実として、私はそうやって生き残ってきた。
「ふぅ……ご清聴ありがとうございましたー!」
「……いつ聴いても相変わらずヤバいね」
「あはは、ありがとー。いつも通り最高だったでしょ?」
そうして画面に表示された得点は──文句なしの100点満点。ま、こんなところだね。プロレベルって誰に言ってるんだって話だ。
「……Aクラスの合計得点は196.387点。この時点で勝敗は決まっていますが……」
「こちらはどちらでも構いませんよ。好きにしちゃってください」
「わかりました。では高円寺くん。どうしますか──」
「──ブラボー、ブラボー」
そして勝敗が決し、試験官が声をかけようとした時、私の嫌いな人がパチパチと拍手を行った。
「さすがはアイドルガール。ガール2人も悪くはなかったが、君の場合は次元が異なる。私もこの美声と歌には自信があるとはいえ、どうやら君が相手ではこの私ですら下回ることを認めざるを得ないようだ」
高円寺くんからの、敗北宣言。それを聞いてほんの少しだが驚く。高円寺くんが私を下回ることじゃない。そんなのは当然のこと。疑ってすらいない。
だけど負けを認めるなんて思わなかった。だからこそ私は素直にそれを口にする。
「ふーん? 高円寺くんが負けを認めることなんてあるんだね」
「フフ、だがそれは私が君より歌唱力が劣っているというわけではない。歌唱力は同等でも君の方が他者に聴かせた際により心を揺さぶる。つまり私より君の方がポピュラーというだけの話さ」
「あはは! 面白い面白い! なにその感想! ヤバいって! 面白すぎじゃない? ほんと面白すぎて──吐き気がしてきたよ」
声も表情もほとんど変えてない。でも怒りから言葉選びが少し強くなる。ユキちゃんや松下ちゃんが何かを感じ取って怯えた気配がした。怯えさせちゃって悪いけど苦情は高円寺くんに言ってね。
いやほんと、ムカつく人だよね。歌唱力は同等でも私の方が人気なだけ? だったら負けてるってことなのに大衆の方が曇ってるだけだと暗に言ってくるのは色んな意味で舐めてるとしか言いようがない。
やっぱり他者評価を捨ててる人とは相容れないね。
「気を害してしまったかな?」
「まあ今まで聞いた感想の中で1番気持ち悪いコメントだったのは確かかな」
「フッフ、最大限の褒め言葉のつもりだったのだがねぇ。だが気を害してしまったのならちょうどいい。素晴らしい歌を聴いて私も気が乗ってきたのでねぇ。せっかくだから一曲披露させてもらおうか。──構わないね?」
「あ、ああ。一応ルール上は問題ないが……」
勝敗が決したとはいえ、交互に歌うというルール。加えて先攻で勝負が決まっても何らかのルール違反を犯して失格になる可能性だってあるので一応は歌ってもいいし歌わなくてもいい。
試験官は歌ったところで勝ちはもう消えているのだから時間を削減するために高円寺くんの歌はスキップしたいところだが、私たちも承諾して高円寺くんが希望した以上は歌う権利はあるだろう。私は少しだけ興味を向ける。高円寺くんは一体どんな歌を歌うのか。
「私は普段、クラシックやジャズばかり聴いていて大衆的な音楽は聴かないのだがね。ここは大衆が好む音楽を歌う場のようだし、私もそれに合わせるとしようか。感謝したまえよ」
その言葉と共に曲名と共に音楽がスピーカーから流れ始める。って、この曲は──
「クレイジー……リトルシング……え、なにこれ。聞いたことないんだけど」
「あれ……? でもこのアーティストって……」
「Queen……? なんで?」
ユキちゃんが曲のタイトルを途中まで読み上げる。どうやら2人はあんまり知らないようだ。アーティスト名くらいは聞いたことあるみたいだけどそれもそう。高円寺くんが入れたのはあのイギリス出身の伝説的ロックバンドQueenの名曲だった。いやいやいや……カラオケで歌う曲じゃない……ってのは言い過ぎで別に洋楽もありだとは思うし敢えて『We Will Rock You』じゃないところも個人的には嫌いじゃないけど……だとしても高円寺くんがQueenって。そりゃ広く知られてるし大衆音楽には違いないけどそうじゃないから!
そして高円寺くんが流暢な英語で歌い始めるが……まあ言うだけあって上手い。上手いけどそれを口にはしない。
ただやっぱり私の方が上だとそう思うが、あえてここで洋楽を出してきたことで高円寺くんは目立ってる。そこが若干惜しい。洋楽……その手があったか。私も洋楽歌って100点取るとこ見せてやれば良かった。
「フッ……たまには大衆音楽も悪くはないねぇ」
「ひゃ、100点……」
そうして歌い終われば表示された点数は当然のように100点。機械じゃ100点以上は出せないようになってるからね。私ならどんな採点機器でも最高値を出せるけど高円寺くんもそれくらいはやってきそうだからどうしたって差はつかない。なので結局はそれを聴く人間が評価するのだ。つまりは私の方が上ってことだね。
カラオケが終わって6回戦の勝者はAクラスになったところで私たちはカラオケボックスを後にする。全く不愉快なカラオケだったね。さー帰ろ帰ろ。頭の中で私は今度カラオケに言った時に歌う洋楽のセトリを考える。音楽なら何を歌わせたって私が1番なんだからね。
──と、ゆっくりとセトリを考えながら待機場所に帰っていた私だが、7回戦目が『将棋』になり、Aクラスの生徒が一巡したことで私も再度選択できるようになる。
なので公式チートキャラにして評価SSSな私がもう1度選出されるのも致し方ない。帆波ちゃんは事前の打ち合わせ通り、将棋に私を選んだようで私は戻るなりすぐに別の部屋へ向かうよう指示を出される。忙しいなぁ。でもこういうのは慣れてる。すぐに切り替えてさっさと相手を詰ませてポイントを持ち帰ろう。
でも相手によってはそれはできない。そう考えていたところで私は部屋にたどり着き、そこで待っていた対戦相手を見る。その予想が的中した。私は笑顔で挨拶する。
「お、相手は綾小路くんかー。よろしくねー!」
「ああ、よろしくな」
茶道部だったかに使われる和室で将棋盤と駒が置かれている。しっかりとした造りの良いものだ。
そしてその前にはDクラスの怪物。1か月前に私を負かした綾小路くんがそこにいた。
「まるでプロの対局みたいだね。綾小路くんはプロの対局とか棋譜とか見たことある?」
「ああ。これでも将棋は得意なんだ」
「へぇ、そうだったんだ。私も結構得意でさ。企画でプロと対局したこともあるし、指導してもらったこともあるんだよ」
「それはすごいな。勝敗はどうだったんだ?」
「一応私が勝ったよ」
将棋盤を挟んで互いに座り、適当な雑談を行う。相変わらずぬぼーっとしていて読み取りにくいけど綾小路くんのことだから当然将棋もプロ級──いや、それ以上の可能性も踏まえてやらないとね。
もっともここで勝ったところでAクラスの敗北は覆らないけど、逆にそれで良かったとも言える。勝敗がかかった勝負だと余計に負けれないしね。
「準備が整ったようなのでこれより第7戦の将棋を始めます」
『お願いします』
試験官の声に従って私たちは揃って挨拶を行う。将棋も挨拶は大事だからね。
そして振り駒の結果、先手は私が取った。なので最初は当然7六歩。角道を開ける最も基本的な一手を繰り出す。
それに対応するように綾小路くんも角道を開けてくる。さて、ここからはもう読み合いだ。どの戦法で行くか。どういう駒組みを行うか。それを考えて最も勝ちやすいパターンを探る。
将棋は先手が僅かに有利と言われる競技だが、その有利は本当に僅かなもの。勝率で考えても50%からほんの数%勝率が上がるのみなのでほぼ互角だ。そのため先手を取ったからと油断は出来ない。私はミスすることなく1つ1つしっかりと駒組みを行う。
綾小路くんの方にもミスは全くない。
「良い駒組みだな」
「綾小路くんこそ。全然隙がないね」
「たまたま覚えた定石通りに進んでるからな。それに、この形はオレの最も得意とする形なんだ」
「なるほどなるほど。綾小路くんは居飛車党で矢倉囲いが好きなんだね。なんというか、本当に王道って感じだ」
矢倉という将棋の純文学とも言える駒組みを行っていく綾小路くん。矢倉が好きだと言ったが、実際には私が矢倉に組んだのを見てそれに合わせにいっただけだろう。私がどんな戦法を取ろうともそれに対応しようとする。そんな気配を感じる。このまま組み合って綾小路先生に是非とも将棋を教えてほしいところだけど……。
「それじゃそろそろ崩しちゃおうかな」
私は矢倉を完全に組み終える前に急戦。歩を前に進める。開戦は歩の突き捨てから。その格言通りに歩をタダで渡してそこから取って取られての応酬。銀と桂馬で制し、角と飛車で強引に敵陣を突破する。
「ここで歩を成らせちゃおっと」
「やるな。南雲」
「綾小路くんも言うだけあって強いねー。とはいえ優勢なのは私の方かな?」
敵陣に打ち込んだ歩を1つ進めてと金に成長させる。そうして左側から敵の玉を少しずつ追い詰めにいく形だ。
対する綾小路くんは私の角を得ることには成功したが、私の守りを崩すには至ってない。駒の数では僅かに勝っているだけだ。
「このままじゃ負けちゃうよ? 大丈夫かな、綾小路くん?」
「かもな」
私は更に桂馬で敵陣に楔を打ち込む。
綾小路くんは持ち駒の銀や角を自分の陣地に打って守りを更に固めた。まだ私の攻めに対応していくつもりらしい。その捌きは確かに見事なものだ。
以前に有栖ちゃんと将棋とチェスの同時対局を行ったが、有栖ちゃんはどちらかと言うと攻撃的な手が多く、組み方も定石を崩してくるものが多かった。
だが綾小路くんはその反対。定石が通じるところまでは定石で対応し、こちらが崩せば対応してくる手を打ってくる。
私がどれだけ敵陣に駒を打ち込み、綾小路くんの駒を奪って攻めても守りで取り返される。私が対局したプロ棋士よりも全然強い。これをほぼノータイムで行ってくるのだから驚きだ。
やっぱり普通の手じゃ綾小路くんには勝てないか。少しずつ有利を取っていけば勝てるなんて甘かった。私ももっと挑戦的に行かないとね。
「本当に上手いね、綾小路くん。もう全然ミスんないじゃん。ひょっとして頭の中にAIでも仕込んでる?」
「たまたま良い手を打ち続けられてるだけだ。それにこう見えて南雲の手を防ぐのに必死なんだ」
「本当にそうなら良かったんだけどね。──それじゃあこうしようかな」
私は手順を少し進め、飛車を一気に前に進めて敵の駒を取り込む。
だがそれはほぼ飛車のただ捨てだ。相手の駒を1つ取り込んで敵陣を僅かに脅かすことは出来たが、返す手であっさりと取られてしまう。一見して無茶攻めのようにしか見えない手だ。
ただそこから派生する手は無数にある。
私は飛車を捨てる代わりに更に攻め手を進める。もうここからは急転直下。一気に必死。もう後ほんの少し崩せば詰みまで見えてくる。
綾小路くんも当然それは理解しているだろうが、かといってそれを止めようと思うならまた難しい。飛車を取り、そこから飛車を守りに使うにしろ攻めに使うにしろ難しい判断を求められるし、少しでも読み違えれば自玉が危うくなる。
もっとも私の方もここからは読みを深くしなければならないし、かなり難しい。今のうちから攻めのパターンを幾つか読んでおかないと詰ませることは出来ないだろう。
さすがの綾小路くんも数秒、手が止まる。
だが──
「飛車を無視……?」
綾小路くんはその数秒後、考えた上で飛車を取らない。代わりにこちらの囲いを強襲するような桂馬を打ち込んできた。
私はその判断に、長考。どういう狙いがあるのかを読み取る。
そうして1分くらい経っただろうか。そこでようやく、私が危ないことに気がつく。
「ああ……そっかそっか。危ないね、この手。もう少しで死ぬとこだったよ」
私に見えたのは逆転。ここから一気に捲くられる手。綾小路くんらしい、普通は考えられないような意識外からの一手だ。
人間なら普通は飛車を取らないなんて手はない。タダで取れるのだから貰っておいた方がいい。それで不利になることはないのだから。
だが綾小路くんはそれが回り回って最終的に自らの首を締めることになると気付いた。気付いて、攻めることにした。
それは私の思考を、攻め手を止める一手。
「ただそれでも……もう1回攻めたらどうかな?」
私は飛車を更に進めてそれを今度は竜へと成らせる。銀を1つ手にし、王の眼前まで迫る一手。
こちらの玉はまだまだ詰まない。必死ですらない。だからこそ余裕がある。綾小路くんの桂馬を無視したところで私はまだ不利にはならない。
ゆえに綾小路くんが今度は長考する。今度は3分くらいだろうか。如何に綾小路くんと言えど一瞬でこの複雑な盤面を理解することは出来ない。
──しかしそれでも。
「玉が逃げて……」
綾小路くんが長考の末に取った手は玉の早逃げ。
竜から逃げるために玉を一手横にずらすだけの手だった。
私はそれを見て一瞬その意味を理解できない。その手は読んだ。読んだが……そこからどう発展するのか。長い手の果てにどうなるかまでは未知数だ。
再び長考。しかし、考えながらもやはり不可解を感じる。ここで竜を下げて良しとしてもいい。あるいは綾小路くんの攻め手に対処するか。1度安全策を取って綾小路くんの出方を見てもいい。それでも不利にはならない。
ゆえに私は1つ後ろに竜を下げる。
──しかし今度は綾小路くんが竜に逆襲した。歩を突き捨てで竜の前に打った。
そこで──私は思考の海に沈む。
そこから派生する無限とも言える手順。それらを考え、考える。
1分、2分、3分、5分、10分──時間が少しずつ、しかし確実に減っていく。
だが私は思考の海から抜け出すことが出来ない。最初は取るに値しない手だと思っていたのが、考えれば考えるほど無視できない手だと気付いてしまったゆえに。
そして更に20分。合計30分を使ったところで……私は呟いた。
「ああ……なるほど。ここで一旦受けるんだ」
私は遅れて理解する。綾小路くんが辿り着いていた地平に辿り着く。
「ここで一旦受けて竜が進んでも引いても私の攻め手が止まる。そして桂馬を送り込んでから……47手先かな? もう駄目だね、これ」
「ああ。そちらの持ち駒が尽きた上での必死。それをそちらが止めることは出来ないし、こちらの玉も詰むことはない」
そう、詰んではいないが、その詰みの直前まで進む。
敵陣にある駒たちで相手の駒を取り込んで守りを固めても時間を長引かせるだけ。
時間も残り少なく、私の読みはその先の宇宙にまで辿り着くことは叶わない。そこまで進めても構わないが、結局は長い長い思考の海に沈むことになる。
つまるところ読みの速度。深さで私は綾小路くんに劣っているのだ。理解ってはいたこと。1か月前にその凄さは分かっていたつもりだったけども。
「まだ届かないか」
1年間戦って、1か月前に敗北して、今日この日にやってきた。
自分の成長速度には自信はある。この先も届かないとは限らないし、届いてみせる。
だけど今はまだ……ちょっと厳しいね。
「負けました」
私は頭を下げて敗北宣言を行う。
見ている人からすれば何が駄目だったのかよくわからないだろう。負けたと言うのも少し早すぎるのかもしれない。
だけど綾小路くんはミスをしないし、序盤の時点でこの状況まで誘導されていた以上は後はゆっくりと追い詰められるだけ。逆転の目はない。
だからこそここは負けを認めて、盤上をリセットする。
「Dクラスの勝利、おめでとう」
「ああ」
「でも次は負けないからね。覚えててよ、綾小路くん」
次こそは勝つ。そう決意して私は感想戦を行わずに立ち上がる。
久し振りに真正面から負けたけど、思ったよりも悔しい。その悔しさはすぐに立ち直ることで持ち直せるけどね。
それに嬉しさもある。こんなにも強い人が私の前に現れてくれるなんてという喜び。
──月城理事長代理も無茶言うよね。
おかげで私はもっと先にいける。綾小路くんと戦って、その先へ。この学校で過ごしてきた1年間。この学校にやってきたことは間違いじゃないとそう確信して、私は最後の特別試験を終える。
──やっぱり綾小路くんには退学してもらったら困るね。
これにて選抜種目試験編は終了。カラオケも将棋もパッションで想像してね。
そして1年生編も春休み編を2話くらいやって終わる予定です。その次は2年生編なのでお楽しみに。
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